小さい一つの波みやを形作る一つ一つが鳴らす小さな波それらが重なり合い一つの大きな波となるそれこそがみやの鼓動足を大地に眼を天に青い光が背に灯り雲の屋根を突き抜けるみやが許可高度の警告を鳴らす高度11km、対流圏と成層圏の境界、雲の限界そこは青い空と白い雲の王国だった風の音だけが響き渡る鼓動が一つ鳴り、大地の呼ぶ声が聞こえた体が引かれ、視界が緑と水に変わる空気を切り裂く振動と音が割れる音その破片の先に見えるは帰るべきところ私たちの咆吼が響く最後に見たのは砂粒だった IS学園、第3アリーナのフィールドが、激しい衝撃と音を掻き鳴らす。私はいつもより少し深い地面に降り立った。周囲には土煙が舞っている。「蒼月君、マイナス1cm」「半径5mってところか。着地点が予想より低いかな。少しだけ」「戻る前に埋めて。管理の人に怒られるから」 ピット脇のナビゲータルームにいる鷹月さんに手を上げ、応える。意識に直接響く彼女の声はいつもより遠くに聞こえた。 5月最初の日は少し雲の多い日曜だった。私は正式契約を結んだばかりのみや(ラファール・リヴァイヴ38番機)と最初のデート(フライト)をした。こいつは以前より過激で、僅かなミスを不快な振動といびつな機動で責める。だが以前より妙にしっくり来た。恐らく、こいつと私の関係は少し変わったのだろう。少しずつで良い、歩み寄っていこうと思う。 第2ピットに戻った私は、みやを待機状態(クローズ)に、両足にピットの冷たい感触を得る。鷹月さんがちょうどナビゲータルームから出てきたところだった。彼女にナビの労を詫びる。彼女は日曜にも関わらずその役を買ってくれたのだった。因みに彼女は何時もの白を基調とした制服姿だった。その理由を聞いたら、急で思いつかなかった、らしい。何が思いつかなかったのかという質問には答えて貰えなかった。「本音は?」「さっきお姉さんから連絡あって楓寮に。色々聞いてくるって」「3年の布仏虚さん?」「知ってるんだ。やっぱり」「去年何度か会った。って、やっぱりって何?」「なんでもない」「……なら良いけど。でさ、稼働データは?」「普通」「そっか。少し自信あったんだけどね。コイツじゃじゃ馬だし」「その子とはまだ2時間程でしょ? 焦らない方が良いよ」 そうだよなと、相づちを打ち彼女のタブレットをのぞき込む。横から見る鷹月さんはどこか物憂げのように感じた。雲の隙間から僅かに太陽が漏れ、辺りを照らす。私は彼女の気配に少し戸惑いを覚えた。「転校生の話きいた?」「へ? あぁ、昨日先生から聞いた。ウチの組(2組)だってさ」「そうなんだ、どんな人かな」「中国代表候補の専用機持ち。多分第三世代、エリートだな」「温和しい人だと良いけど」「何だよ、気が強いのはダメなのか」「2組を荒らされそうで、少し嫌」「清香がいるじゃ無いか」「清香はどちらかというと、"元気"だよね。少し違うと思う。蒼月君はどう思うの?」「俺は気が強い娘が1人ぐらい居ても良いと思うけどね。ほら、2組は温和しい娘が多いし」 顔を上げる彼女は僅かな苦笑を浮かべていた。「またそういう事言う。大変なのは蒼月君だよ」「別に気にしな―」 その私の言葉を遮ったのはフィールドからの轟音だった。私たちはピットの出口に駆け寄る。その光景は白式とブルー・ティアーズと打鉄だった。ブレードを構える篠ノ之さんが言う「ぐっとする感じだ! 何度言えば分かる一夏!」レーザーライフルを構えるセシリアが言う「一夏さん! 踏み込みが0.23秒遅くてよ!」一夏が嘆いた「分かるかそんなもん! てゆーか2対1は死ぬから中止だ!!」 フィールドに尻餅をつき抗議を上げる一夏とそれを見下ろす勝ち気な2人。私はバツが悪く頬を掻く。鷹月さんが本当?と私を見上げる。「ごめん鷹月。俺、間違ってた」「ううん、いいの。それより蒼月君」「なに?」「髪染めてみようと思うんだけどどうかな?」「あぁ、良いんじゃ無いか? 気分転換にもなるし。で何色?」「金色とかどうかなーって……」 髪を弄り、何故か頬染める鷹月さんを私は全力で引き留めた。脳裏に浮かぶは担任の狡猾な金色と失恋の青い金色。多少印象が良くなかった故である。多少である。-------------------------------------------------------------------------------- 空気が淀んでいる、そう感じた日曜日は昼過ぎには小雨が、夕方には本降りとなった。窓には雨粒が音を立てている。その窓に「織斑一夏クラス代表就任&蒼月真専用機ゲットパーティ」と書かれた紙が見えた。そういう祝いの日らしい。 見慣れた食堂にはオードブルやらソフトドリンクやらが並び、1組と2組の皆が思い思いに歓談している。主賓が飾りだが得てしてこんなものだろう。何時もの8人掛けのテーブル。布仏さん、鷹月さん、篠ノ之さん、一夏に私。「何故オルコットがここに座っている」篠ノ之さんが唸る。「私も当事者ですので」セシリアはいつものようにすまし顔だった。 ポテトフライをほおばる一夏を見ていると、数名の生徒が一夏の就任を、私の専用機を祝ってくれた。私は多少感傷的になり彼女らに礼を述べる。一夏は面倒らしく少し不満げだった。 私が2杯目のコーヒーを飲む。すると1組の生徒がみやを今度見せてくれとやってきた。通常の訓練機と変わりない、そう言ったらそれでも良いというので請け合った。 左隣の鷹月さんは身じろぎ一つしない。「蒼月君は似てきたよね」「似てきた? 誰に?」「織斑君」 一夏が不平を言う。はす向かいの篠ノ之さんがあごに手をやり宙を見た。心当たりがあるような仕草だった。「あのさ鷹月、君はもう少し言葉の暴力って奴に気をつけた方が良い。何気ない一言が知らないうちに人を傷つけるんだぞ」「……よく言えるよね、そういう言葉」「なんでだよ」「別に」 陽気な歓談が響く会場において、このテーブルだけ妙な空気が漂っていた。セシリアは静かに紅茶を飲んでいた。一夏は唐揚げを食べていた。篠ノ之さんは一夏か、私を睨み、布仏さんはココアを両手にちらちらと皆を見る。鷹月さんは表情乏しく温和しかった。そんな空気であった。 3杯目は紅茶にしようか悩んでいると、黛さんがやってきた。この時彼女は自分が新聞部だと言った。寝耳に水だった。私は彼女の手を引き会場の隅に連れ出し、セシリアとの決闘前夜彼女に話したことを書かないよう釘を刺す。何故か昼食を奢ることになった。 皆の居る席に戻るとそのまま写真撮影になった。セシリアと一夏と私の写真で、黛さんが3人で手を重ねてと言う。そしたら何故か腕を組んだ写真になった。むろん、セシリアが真ん中である。会場に不満とはやし立てる声が響く。右に一夏、左に私。男2人は困惑気味だったが、随分と艶っぽい笑顔のセシリアを見たら、気にならなくなった。 閃光が灯り席に戻ると、篠ノ之さんが牙をむかんばかりに睨んできた。鷹月さんは、席を詰めようか迷って、結局立ち上がり私を雑に押し込んだ。 そして、「織斑君って意外に軽薄だよね」 と言った。 セシリアは静かに紅茶を飲んでいた。篠ノ之さんはうんうんと頷いている。布仏さんは引きつり気味に笑っていた。鷹月さんは文句を言う一夏を眼で黙らせると、手に持つオレンジジュースに眼を落とした。何故だろうか、今日の彼女は距離が掴みにくい。「そう?」「女の子にほいほいついて行くし」「あーそれはある」「あと無茶するし。アリーナに穴開けたり」「あるある」「似てきたよね」「よし分かった。不満があるなら言ってくれ。出来るだけのことはしよう」 彼女はちらと私を見るとまた目を手元に落とす。「不満なんてありません。どこかの誰かが、何時もふらふらして、落ち着かなくて、機嫌が悪いんです」「それ、不満って言わないか? そもそもふらふら、ってなんだよ」 彼女は私に近寄り見上げる。彼女は笑っていた。こめかみに血管を浮かせて。「本音は名前で呼ぶし。箒には色目使うし。3年生とキスするし。2年とは夜遅くまで二人っきり。オルコットさんには何でもするし。先生にはほいほいついて行くし。金髪なら誰でも良いみたいだし。初めて会った時は、誠実そうな大人っぽい人だと思ったのに。今じゃ、あっちこっちで他の子といちゃいちゃして。一ヶ月足らずでこの変わりよう。これって詐欺だよね」 本人達を前にえらい言われようだった。どうやら彼女は私が女性にだらしなくなった、と考えているらしい。そして、それの信頼を裏切ったと。事実もあるが、誤解も多い。その事実も非難されるものかと反論を浮かべるが、道徳はそれを許さなかった。遺憾ながら彼女に分があった。「なんか言い返してみたら? オルコットさんには言えて私には言えない?」 彼女の挑発とも思える言動に、私は苛立ったのかも知れない。一夏に似ていると言われたのも原因の一つだろう。もしくは少なからず彼女に甘えてしまった。だから、この様な失言をしてしまったのだと思う。「なんだよ、そういう鷹月だって」「なに?」「鷹月だって……鷹月、君は変わらないな。辛辣なところとか」 私が聞いたのは、頬を打つ音と、彼女の走り去る音だった。会場が静まりかえっていた。セシリアは静かに紅茶を飲んでいた。「つまり箒は、鷹月と本音が俺を好いているから他の娘といちゃつくな、だから鷹月が怒ったと?」「だから何度もそう言っているだろう……」 鷹月さんが走り去った後、パーティは荒れに荒れた。主にゴシップ的な意味である。慌てて釈明するも、騒ぎは大きくなるばかり。そこを篠ノ之さんが一喝。その場はお開きとなったが篠ノ之さんに首根っこをつかまれ706号室、彼女と一夏の部屋に連れ込まれた。つまりはお説教らしい。らしいというのは彼女の言っていることが腑に落ちないからである。 一夏と私は正座、篠ノ之さんはベッドに座っている。彼女は腕を組んで苛立たしげだ。最近こうして少女に見下ろされる事が多い。「なんでかな」思わず口を滑らせた。脈絡のない私の発言に馬鹿にされたと思ったのか篠ノ之さんは竹刀をもっていきり立つ。「箒ちょい待ち」「真、迷言なら賽の河原でほざけ。だから私が送ってやる」「最近の箒は乱暴だぞ」「私は前からこうだ!」 篠ノ之さんは善良な少女なのだが、頭に血が上ると見境が無くなる。さらに頭に血が上りやすい。義に厚い彼女のことだ、鷹月さんと布仏さんを思う故であれば尚更である。ただ願うならば、もう少し落ち着いてくれると有難い。振り下ろされる竹刀を見つつ、そんな事を考えた。「落ち着けって、それは箒の勘違いなんだよ。鷹月が怒ったとすればそれは友人として怒ったんだ」「まだ言うか!」「もしそうなら買い物の付き合いぐらい応じてくれるだろ?」 竹刀を振り上げた状態で、彼女が固まった。一夏が断られたのか、と少し驚きを含めて聞いた。私は頭をさすりそうだと答えた。 あれは4月2週目の日曜日のこと。日用品を求めて町に出ようと誘い、断られた。因みに布仏さんは「また今度ね」で、鷹月さんは「予定が入っているから」であった。常套句である。それなりに、買い物ぐらいは付き合ってもらえる仲だと思っていたので僅かではあるが気分が沈んだ。「もちろん俺にも反省すべき点はあると思うし、後で謝りに行く。けどさ、箒。いちゃつくと言われるのは心外だぞ。男は俺ら2人しか居ないんだ。友人作れば女の子ばかりになる―ってぇ!」「えぇい! 黙れ! ふらふらするからそうなるのだ! お前は変なところばかり一夏に似てくる!」 何度も打ち下ろす篠ノ之さんは怒っている、と言うよりもどうして良いのか分からない、という表情だった。「箒痛い! 大義が無くなったからって鬱憤ぶつけるのはやめ!」「良いか真! こう言うことが続くなら私にも考えがあるからな!」 腕の隙間から私が見たのは、篠ノ之さんの後ろ姿と、激しく震える扉だった。「おい馬鹿」「なんだ阿保」「一夏の幼なじみだろ、何とかしろよ」「無理。つーかお前が怒らせたんだから、責任取れ」 私たちは篠ノ之さんを怒らせた時の何時ものやりとりをする。今回は私だった。私は陰鬱な気分で絨毯に仰向けになり大の字に寝た。一夏はベッドの上に寝転んだ。絨毯の上は堅く、腫れたところを少し刺激する。空いているベッドは篠ノ之さんの寝床だ。入り込む訳には行かず、精一杯手足を広げた。かちこちと時計が刻む。 3人の少女の事を考えていると、一夏は俯せになり顔を私に向けた。「なぁ真」「なんだ」「仮に、仮にだぜ。2人がお前のこと本当に好きだったら、どっちを選ぶ」「どちらも選ばない」「即答かよ」 あの2人のどちらかを選ぶと言うことは、あの2人の、友人としての関係が終わることだ。「そんな事出来る訳ないだろ」「真らしいと言えばらしいけどな。でもよ、それって正しいのか?」「正しい間違いの問題ではないだろ。少なくとも俺には耐えられない。そういう一夏はどう思うんだ。お前は選べるのか」「わからねぇ。けど、真の物言いはなんかむかつく」 時間を刻む音が、妙に耳に付いた。-------------------------------------------------------------------------------- 薄暗い通路に明るく光るそれに近づく。カードをかざし、ディスプレイに触れるとガチャリと音が鳴る。私はその音がしたところに手を差し込みそれを取り出した。それにはお湯を入れ3分待つだけと、書かれてあった。 寮の2階には、寮長室、ランドリー、小浴場、そして自動販売機がある。一夏の部屋を後にして、夕食を殆ど食べていないことに気づいた私は、部屋に戻る前にここに足を向けた。むろん何か腹に入れるものを求める為であるが、少し考えたいことがあった。 周囲の流れが変わっているのだ。人の流れ、出来事の流れ、それらが絡み合い渦巻いている。まるで、岩を置かれ流れを乱された清流のように。 ものを変える時は慎重にしなくてはならない。変えると言うことは予想外のことが起こりうる。そしてそれは大抵悪いことだ。悪いことは悪いことを呼び寄せる。だから、ねじ1本変える時でも慎重にあたれ。これはおやっさんの言葉だ。 みやを得たこと。鷹月さんの様子がおかしいこと。篠ノ之さんもそうだ。そして、鷹月さんに言われた、私の変化。列なった変化が互いに影響し合い、波打っている。「考えすぎだろうか」 私の問いに胸元のみやは答えなかった。そして私は一つのミスを犯す。 712と刻まれた扉を開けた。そこは何時もの、時が止まったかのような空間だった。15畳程の広さで、3畳の収納と小型キッチンに電子レンジ、冷蔵庫、トイレ、シャワー室が備えてあった。布仏さんはキッチンがもう少し良ければ料理も出来るのにと残念がっていたが、男一人には十分過ぎた。 柔らかい、淡いパープルの絨毯にブラウンの調度品、ベッド、机、チェスト、シェルフは本物の、ウォールナットの木製家具だった。外と部屋を隔てるガラス戸からはバルコニーがあり、ブラインドを上げればそこからは遠く海が見える。 私物は、衣類、日用雑貨。書籍と据え置きオーディオだけだ。収納の半分も使っていない。アパートを引き払う際、荷物は殆ど処分したとは言え、我ながら閑散としていると思う。一夏曰く、これ程生活感に乏しい部屋は見た事が無い、だそうだ。 このような私の部屋ではあるが、日中は意外と来客がある。理由は簡単、訪問者は私の事だけを考えれば良いからだ。IS学園寮はシェアルーム、つまり相部屋だ。訪問先の住人が双方とも知り合いであれば良いが、そうで無いばあい相方に気を遣う必要がある。この部屋は私一人が使っている為その気兼ねが不要。 一夏、鷹月さん、布仏さん、篠ノ之さん、セシリアを中心に、2組の生徒も時々顔を出す。だが、日も落ちればこの様に静まりかえり、ベッドライトがぼんやり光るだけだ。壁に埋め込まれた時計は日曜の23時5分前を知らせている。あと5分で消灯となる。 上着を脱いで椅子に掛ける。そしてベッド上の、毛布で作られた小山に眼を走らせた。一夏が来ていた。篠ノ之さんの機嫌を損ねる度にこうしてやってくる一夏であるが、今晩の理由は先程の一件だろう。私は溜息をついた。一夏を巻き込んだ格好の私は余り強く言うことが出来ない。だから、「おい、一夏。寝るなら廊下側のベッドを使え。窓側は俺のだ。何度言わせる」と、毛布を引っぺがした。 予想外の状況に見舞われた私は思わず「あれ」と間の抜けた声を出す。ベッドの上でくるまる一夏は何とも可愛らしくなっていたのだ。その小柄な体は細く華奢で、黒い髪は体を覆わんばかりに長く、瞑っていても分かるぐらいに大きな目をしていた。更に薄い緑のタンクトップに下は女性物の面積の小さい下着というなんとも直視し難い出で立ちだった。「ふぁ……」と、寝ぼけ声を上げた一夏と眼が合った。 こちこち、と時間を刻む音と共に一夏は顔を赤く強ばらせた。徐々に徐々に。「いよぉ、一夏。暫く見ないうちに随分可愛くなったな」 私の現実逃避にその少女は絹を裂くような悲鳴を上げる。そして廊下に複数の足音が響いた。 私の犯したミスとは鷹月さんへの、3人への謝罪を翌日に先送りしたことだった。--------------------------------------------------------------------------------鈴編は明るく行く予定でしたが序盤重いです。明るくなるのは中編からの予定です。