05-04 ファントム・タスク編 真2(不死者の悲嘆)--------------------------------------------------------------------------------武器受け渡しの当日、真は代金を支払いホテルを出た。宿の主人に軽く挨拶をし背を向けた。その中東人の男は真にアラブ後でこう言った。『神と共にあらんことを』真は半身振り返りこう応えた。「よしてくれ。俺に神の加護はない」「加護がない? 信じないではなく?」「神を信じたことはない、居るかどうかも分からない。でも居たとしたら俺は許されないから。地獄行きだ」真は片にぶら下げるグロッグを見せた。「ではなぜイスラムの挨拶をした」「あなたが信じているから。人々の敬虔な心、それを否定する気は無い」「では私もあなたに加護があらんことを信じよう」真は1つ礼をして、立ち去った。マルセイユの郊外の森の中が取引場所だ。ユニオン・コルスから自動車に乗り、取り巻き達と暫く揺られること1時間。深い森の中にマルコ・コレンテが立っていた。幹部直々の出迎えであった。真は怪訝に思いながらもこう言った。「品物はそれか?」「そうだ。確認してくれ」真がルノーの白いバンをみると荷台に武器が納められている事が分かった。先の作戦で使ったアサルトライフルにはグレネードランチャーが付いていた。新規のスナイパーライフルは分解状態だった。他にも弾丸、榴弾、催涙弾に閃光弾、セムテックス。他にもナイフや望遠鏡、暗視ゴーグルにデジタル無線機、軍用タブレットなどがあった。装備は対検問用ケースに収められていて擬装されていた。「悪いが、納期優先でね。組み立てられていない」「問題は無い」真は流れる手つきでスナイパーライフルを組み立てた。「手慣れているな。学園で習ったのか?」「その、前さ」真が自動車を検査しているとき、マルコがこう言った。「擬装の書類と金は助手席の鞄に入っている」「わかった」真は車体の裏に手を伸ばし、ボタン形状の部品を取り外した。「シニョーレ、これはお返ししよう」それは発信器だった。真の足取りを追い、何をするのか見極めるつもりだったのである。マルコは軽く握りしめた。「本気でロスチャイルドと事を起こすつもりか」「必要とあらばな」「死ぬぞ」「銃を向けた相手だぞ。身を案じるとはどういう風の吹き回しだ?」「私は初め、君は死ぬものだろうと考えていた。困難に打ち勝つには信念が要るからだ。君に有る物はただの技能だろう、そう思っていた。だが君は戻ってきた。そして宣言通り成し遂げた」「俺を調べたのか」もちろんだとマルコは頷いた。「君の行いには正義がある。私に止めることは出来ないし、誰も止めることは出来ないだろう。それはそう言うものだ。だがみすみす死なすには惜しい」「止めてくれ。俺はそんな大層な物じゃない」「愛する者を奪われた怒り、それは卑下するものではない」真は黙って自動車に乗り込んだ。「“正義がほろぶるなら、人はこの世界に住む必要は無い”誰の言葉か知っているか?」「いや」「君の様な、静かな激情を持つ男は最近少なくなった。終わったらまた寄ってくれ。そのとき答えを教えよう」◆◆◆真はマルセイユから北上、パリへ向かった。日はすっかり暮れていて、街灯が付いていた。時計は20時を指していた。丁度良い。真はその途中、情報収集をしようとブラッスリー(酒場)に立ち寄った。整然と並べられたテーブルには白いクロスが掛けられていた。腰掛けのクッションは赤色で壁にはフランスの城や遺跡物の写真が並べられていた。僅かに暗い灯がテーブルを浮かび上がらせていた。一見レストランかビストロの雰囲気だったが、カウンターはあり、その壁には酒の瓶がびっしりと並べられていた。真が店に入った時、数名の客が胡散臭そうに彼を見たがそれ以上は何もしなかった。カウンターに腰掛けたらウェイトレスがやって来たので、ベーコンのキッシュ、そのセットを頼んだ。「飲み物は?」とそのウェイトレスが聞いた。「炭酸水はあるかい?」真は答えた。「東洋人のお兄さん、ここは酒場だよ」「なら白ワインを」「銘柄は?」「お任せするよ、余り詳しくないんだ」店は繁盛していた。地方都市の酒場にしては都市に暮らす人間の臭いが強い。真がそんな事を考えながら、バゲットを食べていると先程のウェイトレスがやって来た。東洋人が珍しい様だ。「お兄さん、中国人?」「いや、日本人だよ。観光巡りをしてる」偽造証書どおりに日系米国人と偽っても良かったが、身分を問い正されているわけではない。万が一追跡されても分かりにくくする為、そう言ったのだった。真は眼鏡をくいと正しこう言った。余計なことを詮索される前にである。「結構繁盛してるね、何時もこう?」「まさか。殆どが野次馬だよ」「野次馬? 何か珍しい事件でも起きた?」「あらま。てっきりお客さんもそうだとばかり思ってたよ」そのウェイトレスはある噂のことを話した。赤い光が天に昇ったこと、山が吹き飛んだこと、現場に通じる麓の道路、軍隊と地元警察が押し問答していたこと。「陰謀の臭いがするね」「皆そう考えてるみたいだよ。TVや新聞で報道されないからね。ネットで知った人たちが押しかけてこの状況さ。あたしの弟なんか腰抜かして慌てて教会に行ったのに、暢気なこった」「地震を神罰と思った訳か。日本じゃ地震は珍しくないけれど」「そっか。天使のことも知らないんだね」「天使?」そのウェイトレスは赤い何かが衛星軌道上にじっとしている事を真に話した。その姿はまるで翼の生えた赤い騎士、信心深い人たちを惑わすには十分だった。アマチュア天文家を通じ、ネットに拡散していたのである。「政府は確認中としているけれど、ピクチャーデータは直ぐ消去されるんだ。本当に何だろう」「どこかの誰かにとっては知られたくない事実って事か。それどんな形?」ウェイトレスがタブレットに映し出したその姿、真は息を呑んだ。真は運転する車中で思案に明け暮れていた。この状況はどういうことなのか、上手くまとまらなかった。真はその天使を知っていた、赤騎士だと理解した。かって楯無から聞き及んだ赤騎士白騎士事件の顛末、白騎士は大破し、赤騎士は中破した。白騎士はISの礎となり赤騎士は行方不明。状況から考えてファントム・タスクが絡んでいるに違いない。問題は何故このタイミングなのか、と言う事だ。なぜファントム・タスクはこの時期に復活させ、何をしようとしているのか。何故だ、何故だ、何故だ。真は車を脇に寄せ、止めた。ハンドルを握る手、ぐっと力を込めた。「当たり前だ。俺に治させた。だから俺を掠った。連中に真たるIS(騎士)を治せるはずがない」だが1つ疑問がわく。自己修復を初めて知ったのはクラス対抗戦の時である。日常的に身につけていた、みやですらその能力を獲得するまでに2ヶ月かかった。だが赤騎士の場合はせいぜい数時間。それはなぜか。意識を失う直前、麻酔薬を打たれたことを覚えている。エトルフィンとアセプロマジンの混合麻酔薬、強力なものだ。あの量を打たれれば死ぬだろうと思っていた。カテゴリー3の強力なナノマシンが無いならば。真はじっと自分の左手を見た。復元した左腕、消えた頬と首の傷。出血もしない、疲労もしない、頭部を打たれても死なない身体。複雑なピースが組み合わさる。得られた1つの仮定に真は慌てて最寄りの大病院に走り込んだ。恐怖故に今まで目を背けていた事実、それを突き付けられた。単にナノマシンが癒やしてくれたのだろうという希望的観測。それが打ち砕かれようとしていた。セキリュティを解除し、警備員の目を盗んでCT(Computed Tomography:コンピュータ断層撮影)室に入り込んだ。CTとは医療機器の1つで、放射線を利用し人体の内部を表示出来る物だ。その結果に真は言葉を失った。卒倒しそうになった、いやする筈が無かった。それは生理的反応なのだから。真の身体は樹脂でも金属でも無い一様な物質で構成されていた。真の体内に寄生しているカテゴリー3のナノマシン。それらにしてみれば真に死なれると困るのである。宿主が死ねば共に死んでしまうからだ。ファントムタスクに大量の麻酔薬を打たれ、一度死んだ経験からナノマシンは1つの結論を導き出した。骨が無ければ折れる心配は無い。血が無ければ出血する心配は無い。内臓が無ければ生命維持機能を失うことは無い。脳が無ければ意識を失うことは無い。代謝が無いから老化することも無い。合理的な結論だった。今の真を構成する最小単位“ナノセル”それ自身が筋肉であり、シナプスなのである。「あ、あは。あはは、あははははははっ!」真は笑った。笑い続け、笑い続け、最後は言葉にならなかった。よろめき、どすんと壁に身体を打ち付け、崩れ落ちた。生命とは何か。この命題にルドルフ・シェーンハイマーという科学者が答えを出した。人間に限らず生き物は全て、食物と言う化学物資を取り込み、分解し合成して身体を作る。そして古い身体は分解し、廃棄物として排出する。筋肉だけでは無い、骨も爪も、臓器ですら。分子レベルで見れば生命とは自然界を流れる化学物資の“淀み”の様なものなのだ。分解と合成、この化学的持続的変化を代謝と言い、生命と呼ぶのである。人間ですらない、生物ですらない、人の形をした他の何か。それが今の真だった。我思う故に、我あり。古の哲学者の言葉が虚しく響く。真は暫く呆けた後、ゆっくりと起きた。「機械進化の能力が顕在化したのは、生物ではない故の結果か。異能を最大限発揮出来るようナノマシンが身体を最適化したんだろ……」真はまた笑った。最高だと笑い続けた。「最高だ……仇をなす者には相応しい身体じゃないかっ!」笑い声に駆けつけた、警備員が銃を向ける。真は無防備に歩み寄った。再三の警告のあと警備員が発砲。右腕に当たった、歩き続けた。左足に当たっても歩みを止めなかった。腹部に当たり、そして右目に命中。血も流れずただ穴が空いていた。グレーの何かが露出していた。真は余りの恐怖で腰を抜かした警備員の首筋を殴り失神させた。床に転がる、うめき声を上げる人間を見下ろしてから彼は立ち去った。“セシリア。君は今の俺を見てまだ真と呼んでくれるのだろうか”その祈りは誰にも届くことなく、夜の空虚に消えていった。◆◆◆ノントロン社はパリから少し離れたロワール=エ=シェール県にあった。のっぺりした直方形の白いビルで、窓はあったが偏光式のブラインドらしく、中は見えなかった。敷地は広く、床面積の10倍では済みそうに無かった。草木が生えていて、手入れがされていた。駐車場もあった。車も何台か駐まっている。夜間照明も点いていた。そして。警備システムが張り巡らされていた。ゲートキーパー(警備員詰め所)に、暗視カメラ。レーザーセンサと動体探知機。屋上にはドーム状物体が等間隔に並んでいた。真にはそれがセントリーガン(独立型自動小銃)だと察しを付けた。建物から一定距離の位置に、撃たれたのだろう鳥類とおぼしき死骸もあった。石油関連企業のビルにしては警備が大袈裟すぎた。何より人の名残が無い、日中人気のあるところ程、その人気の無くなる夜はある特殊な雰囲気を漂わせるものだ。例えて言うなら祭りの後の物寂しさ、それが適当であろう。このビルにはそれが無かった。日中も人が居ない証拠だ。木立のなか双眼鏡を覗いていた真は、侵入方法に頭を悩ましていた。ノントロン社の周囲に道路はあったが、辺りに民家は無く、一面畑が広がっていた。身を隠す場所もなく、近づくだけで怪しまれること受け合いである。幾らセキリュティを操作出来ても直接触らなければ意味が無い。カメラは敷地外も向いていた。顔は割れているだろうから、近づくだけで特定されるだろう。真自身が生きていること、ファントム・タスクを追っていること、まだ知られるわけにはいかなかった。「……」近くの酒場で聞いた話では定期的に清掃屋と庭の手入れに造園屋が入るらしい。それ以外人を見たことは無いそうだ。変装して入り込むか? 論外である。いまファントム・タスクは赤騎士騒動で混乱しているはずだ。その定期的を待つ時間が惜しい。そもそも真の変装は素人レベルである。結局真は博打を打つことにした。まず該当区域の変電所に潜入し、指令コンピュータに細工をした。一時的に電力をカットするのである。当然ノントロン社の自家発電システムに切り替わるだろうが、その一瞬を狙うことにした。作戦はスピード、俊敏さが命だ。重装備は適さない。ハンドガンと投擲用ナイフだけを装備した。黒いハーフコートに、黒いカーゴパンツを纏い、黒のスキーマスク……子供に見られれば石を投げられること受け合いである。去年、黒ずくめなのはセンスの無い証だと貴子に注意されたのを思い出した。雑念を振り払い作戦を実行する。手頃なトラック拝借し、進化させ自動運転させた。車の底に這いつくばり、ゲートの前まで来た。時間通りに電力が落ち、照明が一瞬消えた。暗闇に紛れ警備員詰め所に押し入った。動揺している警備員の首に肘を打ち込み、昏倒させる。電力が切り替わる直前だった、警備システムを掌握。セントリーガンもネットワークに繋がっていた。幾ら独立タイプと言っても、発砲を通知する必要はあるからだ。真は、ハンドガンを構えて、屋内に潜入した。そこは暗く、がらんとしていた。もぬけの殻だったのである。真は落胆していた。ダミー会社とは言え何らかの手がかりがあると踏んでいたのだ。広いフロアに積もった塵は一様で、長く使われていないことを伝えていた。余程手の込んだ連中と言う事だ。派手に動くか? いやしかし。煩悶しながら夜のパリをふらふらと歩く。陽も落ちて間もない、ストリートには未だ大勢の人が居た。若者のグループやカップルが目に付いた。ここでは赤騎士など問題ではないようである。ふらりと手近な酒場に入り込みカウンターに腰掛けた。黒人のバーテンダーがやってきて両手をカウンターに置いた。仕方ねぇガキだな、そう身体で表現していた。「子供の来るところじゃ無いぜ」「20歳だよ」と真は擬装したパスポートを見せた。「そりゃすまなかった。東洋人が若く見えるって本当なんだな。それでもまだ子供だけどな」「ユーロ札を払って酒を出してくれるなら、あんたのつまらない話に付き合う。そうでないなら他の店に行く」「カリカリしなさんな。せっかくのパリだ、楽しんでくれ」「……スコッチ」バーテンは丸グラスをふくれっ面の真の目の前に置いた。丸い氷が入っていて、こんじき色の液体が注がれた。「どこかで見た顔だな」「俺だってアメリカ大統領が居ると思った」「確かにな、異国人は区別つき難い」揺らぐ金色の液体は、たなびく金髪に見えた。もう会えない、そう分かっていても、分かっているからこそ強く求めてしまう。真は飲み干すと、もう一杯くれと頼んだ。真の様子を見ていたバーテンダーはそっと注いだ。「フラれたのかい?」妙に優しい声色だった。「……そうみえるか」「そうしか見えないね」「もう会えない、と言う意味では合ってる」「よっぽど良い女だったと見える」「これ以上はない、そう思ってた」バーテンダーはにっかりと笑った。「誰でもそうさ。毎回そう思う、何回も奈落に突き落とされて、そのたびにそう思うんだ。それはそう言う物だからな」的を外した慰めだったが、真は少し笑った。「あんたもそうか?」「俺のはもう永遠だよ」そう言って左薬指のリングを真に見せた。「何年?」「もう10年だ。ガキも憎たらしい事を言う様になった。急に老け込んだ気分だよ、ほんのこの間までかわいい限りだったのに」「そう言う割には嬉しそうじゃないか」「まあな。一日一日大きくなっていく姿が見られるだけで、何も言うことはないよ」「家族、か。良い物なんだな」「そっちは?」「両親と姉が居たけどな、もうこの世に居ない」「だったら家族を尚更作らないとな」「なぜ?」「家族なら家族を持つ幸せを願うに決まってる。絶対そうだ」「そうかな」「そうさ」「まったく。外国人というのははっきり言うな。決意が鈍りそうだ」「もう恋人なんて作らないってか。馬鹿げてるぜ」「かもな」「ほら、通りを見てみろよ。女なんて星の数ほど居る。手を伸ばすかどうかはあんた次第だ」苦笑交じりで振り返った真は“星は手が届かないから星なんだ”と言う言葉を引っ込めた。ウィンドウ越しに黒い髪を棚引かせる姿が在った。坑道で見た片方の女だ。人口220万人のこのパリで奇跡と言って良い。真は初めて神に感謝した。真は立ち上がり、金をカウンターに置いた。バーテンダーは笑みを堪えきれずハハハと笑い出した。「なんだ、意外と惚れっぽいな」「あんたみたいな人と話せて良かったよ」「がんばれよ、チャイニーズ」「ジャパニーズだ」真は店を出て黒髪の女を追い掛けた。「ジャパニーズ? ……まさかな」◆◆◆真がその女に追いついた場所は酒場だった。窓に面したテーブルに居て、足を組んでいた。肩と胸元が大きく開いた真っ黒なドレスで、髪をカールさせ下ろしていた。浅黒い肌の色、アイシャドウは濃かったが、口紅は薄かった。イタリアの老舗ジュエラー“トッリーニ”の、十字のネックレスをしていた。太陽か獅子を連想させる姿だった。真はイタリアの女優を直で見たことは無かったが、会えばこんな感じなのだろうなと思った。全く以て女は怖い、これがあのオータムだとは誰が信じられようか。彼女の持つ意識の色、それが見えなければとても同一人物とは信じられなかった。何人目なのだろう、席の向いには赤毛の男が居て話し掛けていた。だが彼女は聞き流しぼんやりと窓の外を見ていた。ますます同一人物とは思えなかった。真は脇にある銃を確認すると歩みよりオータムにこう言った。「変われば変わるものだな」無反応だったオータムはちらりと真を見た。赤毛の男が気分を害したに顔をしかめた。今まで必死に話し掛けても反応すらしなかった、オータムが初めて態度を変えた、それが赤毛男の不機嫌さを後押しした。「誰だ君は」「済まないが君、彼女とは“のっぴきならない”仲でね、遠慮して貰えないか」赤毛の男は更に気分を害した。20歳前後の若造に横やりを入れられたのである。無理もない。「のっぴきならないのは僕の方だ。大体君失敬じゃ無いか」「赤毛の坊や、私はその彼と先約があるのさ。どこかにお行き」酒場がざわついた。30前後の女が目の前の男を袖にして、しゃしゃり出た20前後の男を相手にしようというのである。その屈辱如何程のものか。赤毛の男はいきり立ち、真を睨み下ろした。面倒だ、真は眼鏡を取り赤毛の男を睨み上げた。得体の知れない感覚が赤毛の男を襲う。胃袋をわしづかみされた様な、首筋を刃物でなぞられた様な、恐ろしい感覚。「っ!」危険を直感した赤毛の男は、眼を伏せて立ち去った。悔しさは隠さなかった。オータムは向いに腰掛けた真にこう言った。「素人相手に大人げない事をするのね」「配慮して貰ったことには感謝する。だが俺にも余裕はない」「余裕のない男は魅力に欠けるものよ」「君に好かれようとは微塵にも思わない」「連れないわね、やり合った仲なのに」「一方的にいたぶったの間違いだろう」オータムは片手を上げてウェイターを呼ぶと、赤ワインを注文した。ウェイターは無言で真をちらと見た。オータムは気怠そうに窓の外を見ている。真はその苛立たしい状況を堪える。お前に合わせてワインなど頼むものか、馴れ合うつもりはない、と「ブランデー」と言った。くすり、オータムが笑う。子供っぽいところもあるのね、とその目は雄弁に語っていた。神経を逆なでされる。「銘柄は?」「コニャック」「かしこまりました」2人はかちんとグラスを鳴らす。一口呑むと真はこう言った。眼鏡越しだったが殺しかねないばかりに睨んでいた。「エムは何処だ」「篠ノ之博士が連れて行った」真は素直な態度を訝しんだが、嘘は言っていない様に思えた。言葉を信じているのではなく、状況から考えて妥当性があると判断した。あれだけの騒ぎだ、狙って起こしたとは考えにくい。あそこには赤騎士がいた、楯無から聞いた話をまとめると、篠ノ之束が居てもおかしくはないだろう。そして篠ノ之束は学園のゲート・ストーンを狙っている。戦力増強を考えるのも理にかなっている、と真は推理したが実際にはみやが居たからである。「セシリア・オルコットの殺害を指示したのは誰だ」「スコール・ミューゼル」「あの金髪の女か」「そぅ」「殺害の実行犯は誰だ」「もう死んだ。空の藻屑よ」「ならばミューゼルは何処だ」「何処だ、誰だ、“だ”ばかり。さすが世界で2人しか居ないお方。偉いのね」「やめろ、駆け引きなどするつもりはない」真はありったけの殺気をオータムに叩きつけた。その余波で周囲の男たちがたじろいだ。何名かが逃げる様に出ていった。「無駄。危ない男は貴方だけじゃないの。でもまあ、16歳にしては異常かしら」そうは言うオータムだったが昂揚していた。頬が赤く、瞳も潤み、じわっとした汗もかいていた。足を何度も組み替える。オータムは殺気を浴びて興奮しているのである。真は内心で辟易した。エムと良いこの女と良い、異常なのばかりだ。真は観念してこう言った。「そして先程の様に男も狙う訳か。正直驚いている。女は生まれながらにして顔を使い分けると言うが、あの坑道での姿と重ならない」「あれも私よ。今も私。そして私も驚いている、死んでいなかったのね。強運? それとも凶運かしら」殺気に怯えない以上、拷問、銃の脅しは利くまい。残念なことに真は、自白させるスキルは持ち合せていなかった。だが収穫はあった。次の一手を打てる。「そうか。ではさよならだ」「私はF.T.を首になったのよ」まだ情報の糸口がある、真は一度浮かした腰を下ろした。オータムが求める物がなにか真は理解した。それは単純で原始的な欲求だ、だからこう言った。「大失態だ、殺されない方が異常だろ。相当に功績があったに違いない」「そう。ガラクタになった勲章なら幾つも持っているわ。幹部の情報をもらさない限りは大丈夫、例えばスコールがどの様な商売で資金を得ているか、とか」居場所は知らない、だがそれは知っているらしい。「死は怖くない様な言い方だな」「それはお互い様でしょう? 私たちに挑戦するなんて勇敢より、蛮勇、いえ愚かと言っても良いわ」「言った筈だ。退っ引きならない。俺は退くことも引くこともできない。それに一つ訂正させてもらう。既に私たち(F.T.)ではないのだろう?」「そう。退くことも引くこともできない、人生。それが私の望み」「君はイカれてるよ。狂気の沙汰だ」「狂気、良い言葉ね。貴方はそれを私にくれるのかしら?」真はオータムの手を取り腰に手を回した。「一つ言っておく。俺は女性を怒らせるのが得意だ」「顧みないことを狂気というのよ」「名前は聞かないぞ」満足した様にオータムは真の左腕に自分の腕を絡めた。その夜、高級ホテルの一室で、一時の情欲と共に真は情報を得た。全ては復讐の為である。◆◆◆100年越しのアパルトマン(アパート)の最上階。天井は屋根であり、壁もまた屋根である、三角形の屋根裏部屋だ。備え付けのベッドの上で、真は仰向けに寝転がりながら、考えに耽っていた。見上げる白い天井は傾斜していた。オータムの情報によると、スコールの持つ企業は飲用アルコールを取り扱っているらしい。どの国でもそうだが、アルコールの類い、ビールでもウィスキーでも輸入するとき税が掛る。彼女はその税の掛らないルートを持っている、との事だった。ただ情報はそこまでで、企業名までは分からなかった。「リスクを伴うが銀行のネットワークに侵入してみるか……」真は誰に言うわけでもなく呟いた。裏の企業だろうが表の企業だろうが同じ金を扱っている以上銀行と取引があるはず、そう踏んだのである。ただお金のネットワークというのは広大である。経済はワールドワイドであり下手に弄ると、誰かの目に触れてしまう。慎重にならなくてはいけなかった。マネーフローの閲覧が関の山だ。真はまず現金を下ろす振りをして街角のATMに触れてみた。直近の銀行までアクセスできたが、それ以降は分からなかった。まあ、予想通りだと落胆も消沈しなかった。今度は銀行間のネットワークに侵入するため大口顧客を装ってアクセスを試みる。アノレマーニのスーツ、ロベノレカヴァリの革靴。□レックスの腕時計に眼鏡は黒縁のレイハ"ン。高級ブランドで身を固め、髪にワックスを塗った。真は鏡に移る己を見た。「……ヤンエグに見えなくもない、な」ヤンエグとはヤング・エグゼクティブの略で青年実業家の意味である。バブル期に流行った言葉の一つ。IS世界においてももはや死語であるが問題はそこではない。身形は立派だが、漂う雰囲気が殺伐としすぎていた。狼が無理に羊の皮を被った、その様な雰囲気であった。一夏が居たならば“極道の若頭にしか見えない”と言っただろう。こんなものか、真はク"ッチのトランクケースに札束を詰め、フランスの銀行の一つである“BNP Paribas銀行”に入った。真の姿を認めた警備員がとっさに腰に手をやった。腰には拳銃がぶら下がっていた。真は努めて陽気に「ボンジョルノ」と言った。正しいフランス語の発音に警備員は少し毒下を抜かれた。2人の警備員が歩みより、真にこう言った。「失礼ですが身体検査をしても?」「どうしても、と言うなら構わないがね。特別サービスはしてくれるのだろうな?」「そのサービスの為ですよ、ムッシュ」警備員は真の身体を触り、武器を持っていないことを確認すると「今日は何のご用で?」と言った。「口座を作りたくてね」「トランクケースを確認させて頂いても?」「金に機密性は付いて回る物だ。どうしてもと言うならば君らも付いてくると良い」真は2人の警備員を連れて、カウンターに座った。他の客が何事かとざわめいた。カウンターで対応したのは黒髪の眉の濃い、化粧っ気の少ない、若い女だった。「マダム。電話でアポイントしたジョン・マクレガーだが」その女は真の姿に一瞬怯えたが、警備員が背後に控えていたので自信を持ってこう言った。「ええ、予約名簿を確認したわ。口座を作るで良いのかしら?」酷く砕けた口調だが、一般客相手ではこんなものかと指摘することはしなかった。トランク・ケースを開けるとどうなるか、逆にそれが楽しみとなった。「書類はここにある。預けたい金はこれだ」「おいくら?」真はカウンターに置いたトランク・ケースを開けて見せた。女の顔色が変わる。ユニオン・コルスの取引で得た、28.8万ユーロの半分。14.4万ユーロ、日本円にして約一千万円である。「口座を作るには不足かな?」少々お待ち下さい、と女は慌ててどこかに消えていった。支配人の中年男性がやってくると「どうぞこちらへ」と真を2階の別室に連れて行った。警備員はその中年男性に追い払われた。高級な部屋で家具も絨毯も一品が使われていた。「どうも申し訳ありません。とんだご不便を」「いや、構わない。彼らも職務を遂行したまでであろうから」「そう言って頂きますと助かります」2人の居る部屋は四角いテーブルと肘当て付きの椅子が二つ、そして端末が置いてあった。真はトランク・ケースをテーブルに置き、開け、支配人に押し出した。「14.4万ユーロある。これを預けたい」監視カメラが動いていた。どこかで見ているのだろう、真はそう思ったが気にしなかった。「お手続きに少々時間を頂きます」「飲むものは頂けるか?」「もちろんです」銀行が行った真贋検査は全てクリア。本物だった。問題はどこから持ってきて何をしようというのかだった。そんな銀行側の事情など知るかと、真は机に身を乗り出しパンフレットを見る振りをして右手を端末のケースに付けた。アクセスし基幹ネットワークを操作する。膨大なデータがそこには在った。真は急いでマネーフローの解析に移った。大半の企業はある一つの口座に多額の寄付金をしていた。極秘裏に、毎年、毎年である。石油はもとより、貴金属、ブランドメーカー、医薬品に至るまで。その額はISを運用するのに十分な金額だった。その口座がロスチャイルドの資金源に違いあるまい。真は全額消去するなどの工作が出来ない事を嘆いた。そんな事をすれば能力が明るみになる、IS学園に迷惑を掛けるかもしれない。なにより、経済への悪影響が懸念された。データ上多額の金が消えるなど、リアルマネーと整合が取れなくなる、貨幣への信頼が揺らげば世界恐慌を起こしかねない。もう少し調べるとアルコール類を扱う企業が20社以上ある事が分かった。ありふれた物故か、どれがスコール・ミューゼルの企業か分からない。さてどうする、しらみつぶしにするか。1つ目で仕留められれば良いが、万が一後半にずれ込んだ場合、情報を共有され警戒されるだろう。もう少し絞り込みが必要だ。真はマネーフローを追っていると、あるIS企業に目をとめた。それは、彼がよく知った企業だった。真は暫く惚けた後、見落としに自分を罵った。新たに見付けたヒントはすこし考えてみれば当然の物だったのだ。支配人がやって来た。「お待たせしました。マクレガー様」「偽札はあったか?」「とんでもございません。全て本物でした」「結構。では早速口座を作ってくれ」「その前に幾つかご確認をしても宜しいでしょうか」「口座を開くのに必要な質問か?」最早口座はどうでも良かったのだが、後々何かの役に立つかもしれない。そう思って続けることにした。「さようでございます」「では仕方ない。答えるとしよう」「口座を開かれる目的なのですが」「散財だよ」「散財でございますか?」「ずっと仕事詰めでね、暫くのんびりするさ。気が向けば、付け足して投資もするかもしれない。フランスは色々と私を惹き付ける」「これだけの金額をどうやってお持ち頂いたのでしょうか」「アメリカで事前にドルをユーロに換金しておいた。外貨貯蓄という奴だ」「何故私どもに?」「何処とは言わないが、ある銀行の行員に不満があってね。銀行を変えることにした。さて貴方方はどうかな。求められれば取引証書も出しても良いが、そこまでするならば別の銀行も考える」若い割に随分場数を踏んでいる、その支配人の男は真を見てそう思った。金持ちの雰囲気ではなく、戦いの雰囲気、大きな物に対峙できる胆力とでも言おうか、その様な物を持っていると感じ取った。真の持ってきた金額は14万ユーロ、庶民感覚であれば大金だが、巨額の資金を持つ大口顧客はまだまだ居る。率直に言えば大した額では無い。だが、真から感じる不均衡さ、何かを動かす力は彼にとって魅力的だった。温和しい人物に大金を動かす事は出来ないのだ。支配人の男は出来うる限りの笑みでこう言った。「その様な失礼なことは致しません。是非私どもにご協力をさせて下さい」その夜、真は一通の手紙を出した。◆◆◆満月の夜だった。デュノア家の当主であるレオン・デュノアが屋敷に帰ったとき老執事が一通の封書を差し出した。封書の表面は規則的な網模様の凹凸で壁紙クロスの様だった。高級紙で出来ていた。銀盆にのった封書、レオンは一瞥すると、ジャケットを脱ぎネクタイを緩めた。情報ネットワークが世界各国に普及し、ビジネスのスピードが劇的に加速している最中、紙のメールは珍しい。だが無くなったわけではない。式の招待状や弔電など、催事には未だ常識的に使われている。ただそれでも、Eメールや電話などで事前に連絡が来るのが常だ。レオンは訝しみながら「何方からだ?」と言った。レオンが手紙を受け取るのは原則的に朝である。夜、帰宅後に読んでも疲労などで正しい判断が下しにくいからだ。老執事ももちろんそれは承知している。つまり、それだけ重用な手紙だと判断されたのだ。老執事は一拍の後こう言った。「蒼月様からでございます」レオンは気怠い身体に力を込めた。彼も当然のことながら成田で起こったセシリア・オルコット殺害事件のことを知っていた。真が誘拐されたことも、ロデーヴで起こった赤騎士事件のことも。彼は手紙を受け取ると、ソファーに腰掛け差出人の名前を見た。住所は書かれていない、ただ名前だけがアルファベットで書かれていた。「スコッチを一杯くれ」「かしこまりました」真がIS学園に戻ったとは聞いていない、戻ったならば報道もしくはディアナから一報があっても良さそうな物だ。つまり何らかの理由で、どこかに居ると言う事だ。レオンは真が手紙を出せる自由な立場に居ると判断した。彼には察しが付いているのである。銀盆に載ったグラス、スコッチを飲み干すと手紙を読んだ。3回読んだ後レオンは老執事にこう言った。「明日の予定を変更する。22時から若い友人に会う」「旦那様。その封書は屋敷のポストに直接投函されておりました。ですが監視カメラの他警備システムに一切の記録がありませんでした。危険です、お考え直し下さい」レオンは余裕を含ませ、僅かに笑う。「そう言った芸当の持ち主が、追い詰められ冷静さを失っているならば、直接寝室に現れるだろう。驚けクロード(老執事の名)、彼は私にこう言っているのだよ、取引に応じなかったら強引に押し入るとね。娘が彼を選ばなかった事、つくづく悔やまれるな。この実行力はとても16歳とは思えない」「では、せめて警護をおつけ下さい」「当然だ。背中に銃を構える味方が居てこそ交渉は成り立つのだからな。彼がどういったカードを切ってくるのか楽しみだ」「シャルロットお嬢様にお伝えなさいますか?」今度は微笑を消してこう言った。「もちろん伝えなくて良い、伝える必要は無い。もうあの娘が関わってはならない事態なのだ」翌日の夜は雨が降っていた。レオンは降りしきるなか傘を差し1人立っていた。周囲に人気はなく静まりかえっていた。小道と樹木と、墓があった。パリ最大の墓地、ペール=ラシェーズである。真の指定した待ち合わせ場所だ。その場所を覗けること3カ所に狙撃班が待機していた。フランス陸軍 第2外人落下傘連隊 第4中隊狙撃班のメンバーである。狙撃班はレオンが装備する耳穴型コミュニケーターで絶えず監視していた。レオンは煙草を取り出し火を付けた。煙が漂う、その時だ。レオンの目の前に黒い亡霊が現れた。「スーツ姿でおいでとは驚きました。寒くありませんか?」「冬生まれでね、寒いのは得意だ。どちらかというと君の方が寒そうに見えるがね」傘も差さず、黒い髪と、黒いトレンチコートを雨に濡らして真が立っていた。前髪から雨粒が滴る。真っ黒な双眸が闇夜に浮かんでいた。真の姿をじっと見ると、レオンは煙草の火を消しこう言った。「変わったな、君は。前の姿を思い浮かべると別人の様だ」「俺は別人ですよ、伯爵。俺は死んでしまったんです。だから別人です」「では、私の目の前に居る君は誰かね?」「かって蒼月真と呼ばれた者の、抜け殻です」「それは彼女を言い訳にしているのではないかね」「セシリアが死んでしまった、だからこういう行動も仕方がない……二度も三度も同じ過ちを繰り返す、つまらない男ですよ俺は。でも止められないんです」「君には休息が必要だ。来なさい、来るんだ。妻も娘も喜ぶ」「無理ですね、伯爵。何故なら貴方も連中の仲間だから」真はすっとグロッグを掲げた。その瞬間、真の左肩が弾け飛んだ。狙撃班の発砲である。ドゴォーンという図太い落雷の音が、着弾の後からやって来た。真は大きくよろめいて、よろめいた後、すっと銃を構えた。狙撃兵たちが息を呑む。それは奇妙な光景だった。16歳の少年は左肩を大きく欠損していた。傷跡は弾け、肉は散っていた……肉という表現は誤りだろう。肉に模したグレーの何かが散っていた。傷跡は波打ちたちまち戻った。散った何かはスライムの様に蠢き、真の足元に近寄り、吸収され、一体化した。まるでデキの悪い、クレイアニメのホラーでも見ている様な光景だった。真は自嘲しながらこう言った。「お伝えしたとおり、俺は死んでしまったんです。もう人間ではありません」「その再生能力、カテゴリー3のナノマシンか? 君に何があった」「そんな事はどうでも良い、最早意味が無い、元には戻らないのだから。俺が知りたいのはただ一つ、スコール・ミューゼルの居場所です」「何故私に聞く」「白々しいことを!」その叫びは闇夜に消えていった。まるで死者が吸い取っているかの様だった。「古くは十字軍。イスラム教徒にレッテルを貼り、ローマ法王をけしかけて、諸侯に莫大な費用が掛る十字軍遠征を行わせた。度重なる遠征で諸侯を衰弱させ、権力を奪い、中近東国家から略奪、私腹を肥やした。さらなる私権獲得のためルネサンスの天才芸術家たちを支援し、貞淑概念を崩壊させ恋愛観念を解放させた。新市場開拓のためです。社会の制覇力が武力から資力に移行するにつれ、さらなる実効支配を欲し、支配思想を共有する秘密結社を組織した、それがファントム・タスク。国家を利用し、国家から収奪し、国家の力を削ぎ、戦争と革命を起こさせた。敵対する両国に金を貸し、武器を買わせ、莫大な富を得た。英仏戦争、明治維新、日露戦争、世界大戦、自由・平等・博愛のもと私権闘争を正当化させた。通貨発行権を国家に取り戻そうとしたジョン・F・ケネディ大統領の暗殺、近代史の影には常に貴方がたロスチャイルドが居た。迂闊でした。フランスはロスチャイルドの本拠地。フランスの名家であり最大のISメーカーであるデュノア社が無関係であるはずがない。伯爵、スコール・ミューゼルは何処です」「私が銃に屈すると思うかね? 私が死んでも代わりは居る、デュノアが取りつぶしになっても、組織は他の何かに吸収され、他の何かの為に動き続ける」「……個人の意思に無く世界は物理的に回る、確かニーチェでしたか?」「ニヒリズムは嫌いでね、虚無的すぎる」「矛盾ですね、ならば何故ファントムタスクなど?」「私はかって君にこう言った“いつの間にこうなった?”と。覚えているかね?」「ええ」「私とて運命には逆らえないのだよ」「そして正義も捨てますか」「法に正義などはない」「知っています。法に正義があれば為政者が困るからだ。だから如何様にも都合良く変えられる。だが個人は別だ。伯爵、貴方の正義は何処にある? 法の下、為政者に奪われてしまった者はどうすればいい? 怒り、悲しみ、憎しみ、負の感情は出口を求めて永遠に渦巻き続ける。だったら、こうするしかないでしょう?」真はレオンの頭に狙いを付けた。狙撃で真の片腹が吹き飛んだ。真はこう宣言した。「狙撃班に次ぐ。北東の林の中、北のビルの屋上、西北西のバンの中。良い腕、良い狙撃ポイントだが邪魔だ。次ぎに発砲する仕草を見せたら伯爵を撃つ。銃を狙っても無駄だ、距離を考えろ。どちらが先に着弾するか明らかだ」効果が無い、そう判断したレオンは撤退するよう班に命令した。狙撃ポイントから伸びる意識の線が動揺する様に波打ったあと消えた。「君はわざと狙撃しやすい場所を指定したのだな」「そうしなければ伯爵は来て下さらなかったでしょう?」「止められただろうな」真はハンドガンを握り直した。「これはホーローペイント弾です。頭部に当たれば脳梁を飛び散らす。無残ななれの果てを見たシャルロットお嬢様はどう思うでしょうか?」「その様な事をすれば君は恨まれるぞ」「失礼ですが、お嬢様とは懇意にさせて頂いた。彼女は俺を我が子と呼び、俺は彼女を母と呼んだ。俺が伯爵を殺せば、彼女は苦しむでしょう。苦しんで、苦しんで、苦しみ抜いて。そして一つの答えを出す。それは俺に復讐すること。何故なら伯爵は死んで俺は存在するから。深い愛を持つお嬢様だ、その憎しみもさぞ深いことでしょう。一度は諦めた母になる夢、いま父である伯爵がそれを潰えさせますか?」「……君は何者だ」レオンはこの時初めて真の正体に感づいた。大人びた16歳などではなく、子供の皮を被った誰かだと、相当な場数を踏んだ正体不明の存在だと悟った。「影ですよ。幽であり、幻であり、虚なもの。この世界に存在してはならない存在。それが俺です。伯爵、そろそろおしゃべりも終わりにしましょう。スコール・ミューゼルは何処です」レオンはじっと真の眼を見るとこう言った。それはエゴと幽かな希望を託してのことだった。「アラン・モンティエー。私が知っている幹部は彼だけだ」「ありがとうございます」真は銃を下ろし振り返り歩き出した。レオンはこう言った。「エムの本名は織斑円。織斑千冬の妹、織斑一夏の双子の姉だ」「そんな気はしていました。けれどもう良いんです」「今まで築き上げてきた全てと決別するつもりか」「伯爵、あなたは神を信じますか?」「聞かれれば、そうだと答える」「俺は信じていませんでした。死ねばただの化学物質だと、肉塊だと。でもセシリアの骸を見た時それを改めた。彼女から生を奪い、死者の尊厳を奪った奴らを俺は許さない」真は墓場の闇に消えていった。それを見送ったレオンは煙草に火を付けた。「一度は救いの手を伸ばしてくれた恩人に、銃を向けられるか。因果だな」レオンの知っている幹部とは彼の直上だ。その幹部が死ねばレオンが成り上がる。家と会社と家族を守る為には更なる権力が必要だ。彼は真を利用しようと情報を故意に漏らしたのである。「本当に私は何時からこうなった」彼の呟きは、煙と共に雨音にかき消された。その一週間後、真は幹部であるアラン・モンティエーを彼の屋敷で暗殺した。真の予想通り、アランは仲間のことを調べていた、名前までは分からなかったが、関与する企業名が判明した。仲間だといって無条件に信じる愚か者ではなかったのである。真は彼に感謝しながら、高層ビルを狙撃し2人目を射殺した。高級ホテルで3人目を銃殺、4人目は自動車ごと爆破した。一週間の出来事だった。そしてとある月夜。真はビルの上からとある建物を覗く。そこに金髪の女が歩いていた。「見付けた」つづく。◆◆◆まどか「なんでっ!? なんでっ!? なんでっ!?」( ゚∀゚)o彡°( ゚∀゚)o彡°( ゚∀゚)o彡°