少女たちの挽歌--------------------------------------------------------------------------------翼がもげ、墜落して行く機体が碧の瞳に映る。少年は突撃銃を放り投げ、エムのことも忘れて飛び出した。セシリアの乗った594便は、成田空港から僅かに離れた水田に落ちた。彼の目の前で落ちた。土煙が上がり、橋が崩れ落ちる様に翼が折れた、続いて閃光、遅れて爆発音がやってきた。伸ばした手は宙を掻く。 セシリアスラスターの機動音を掻き消す程の叫び。伸ばした手は届かなかった。少年がたどり着いた墜落現場は地獄さながらの光景だった。もげ、砕け散った機体は周囲に散乱し、水田に突き刺さっていた。漏れたジェット燃料は水面に浮かび、全てを焼き付くさんと燃えていた。耐えがたい熱と天を覆うほどの黒煙。小規模な爆発が起こり爆風が吹き荒れた。 どこだ凄惨な光景の中、少年は必死にセシリアを探した。遅れて箒がやってきた。箒は少年の名を呼んだが彼は反応しなかった。 絶対に生きている絶望。箒は無理だという言葉を強引に飲み込んだ。熱風が空へ巻き上がる。少年は飛行機の胴体のなれの果てを持ち上げた、居ない。翼の破片を持ち上げた、居ない。輻射熱で赤外線センサーが役に立たない、体温を手がかりに探すことは不可能だ。音波解析、ノイズが多くうめき声も鼓動も埋もれてしまっている。 どこだ狂った様に少年は探し続ける。箒は彼から離れた、見ていられなかった。彼女は黒煙を避ける様にして上空から探す。煙は、弔いの旗に見えた。 どこだどこだどこだ通信機から流れる少年の声。初めは祈り、次は懇願、嘆き、何時しか呪いとなっていった。◆◆◆上空の箒はブルー・ティアーズの信号を追うことに気づいた。好都合にも先の学園合同トーナメントで設定した僚機設定を維持している。索敵開始、程なく信号をキャッチ。彼女の意識内に発信源が表示された。その距離50メートル、すこし離れた残骸の中だった。炎もまだ上がっていない。箒は急ぎその結果をみやに伝えた。少年は狂った様に飛んでいった。(……なんだ?)箒が気づいたのはブルー・ティアーズの状態である。僚機ステータスは“Removable Condition”を示していた。つまりセシリアがブルー・ティアーズを身につけていないと言う事だ。(イヤリングが外れたのか?)そんなはずは無い。パイロットの意思か、パイロットが死なない限り外れない物なのだから。箒がそう考えていると、突然金属音の軋む音が聞こえた。それは躰が砕ける音、翼が折れる音、魂が眠る音の様だった。真は最後の残骸に手を掛けた。金の髪が見える。逸る気持ちを何とか抑え、慎重に持ち上げた。白い右手がだらりと落ちた。最後の一枚を退けた。 金の髪が赤く染まり行く。箒は疑問を忘れ息を呑んだ。そこに身を横たえていたのは、口から血を吐き、左腕を欠き、腹部から臓物を垂らすセシリアの変わり果てた姿だった。下半身が無かった。充満する血の匂い、焼け焦げる肉の臭い。箒は我慢出来ずに胃袋の中身を吐き出した。真は僅かの間の後、みやを解除。機体の残骸で右手首を切った。大量に滴る鮮血、真は自身の血をセシリアに掛けた。箒はしばらく呆然と見ていたが、我に返ると慌てて駆け寄った。「何をしている真! 死ぬ気か!」「離せ箒! こうすればセシリアは助かるんだよ!」「馬鹿なことを言うな! そんな事ではどうにもならない!」「俺の中にはナノマシンが居るんだ! カテゴリー3の強力な奴だ! 一夏に殴られて口を切っても直ぐ治るのはその為だ! シャルの身体だって治した! 福音戦の時なんか片腹を抉られた! でも治ったんだ! 下半身が無くなったぐらいなんて事無い!」黒煙が立ち上り、未だ燃え続ける炎。赤黒く照らされるセシリアの頬に生気が戻ることは無い。徐々に、徐々に青白くなっていった。ナノマシンは沈黙していた。ただその耳にイヤリングだけが光っていた。宿主が死んでも輝き続ける宝石のように。「なんでだ、なんでだよ……」真の右手首の傷はもう塞がっている。シャルロットの遺伝子を取り込み、真の異能の力で復活したナノマシンは2人にしか働かない。セシリアには無効だ。その事実に気付き、真は崩れ落ちる様に座り込んだ。ぽつりと空から雫が落ちてきた。一粒、今度は二粒。ぽつぽつと降りだした雨は、徐々に強くなっていった。慰めと言うには冷たすぎた。遠くからサイレンの音が聞こえる。業火が絶えないその場所で、セシリアの遺体を真はずっと見ていた。目は虚で採光を欠いていた。『10点。良い腕ですわね』『お褒めに預かりまして光栄です。ミス・オルコット』それは始めて出会った、射撃場での会話。『勘違いなさらないで、貴方を許した訳ではなくてよ』『ならいつ許して貰える?』『そう簡単に許しはしないわ。覚悟なさい、蒼月真』夕暮れの屋上で、命のやりとりをした後の、彼女の宣言。『もう一夏の元へ戻れ。これ以上醜態を晒すな。これが俺らにとって一番良いんだよ。あの誓いは忘れていないし、忘れない。恨み続けると良い』『だから! 真は何も分かっておりませんわ!』思い込みでセシリアを傷つけたこと。『……君はまだ俺を括るのか』『背負っているのは真だけではなくてよ。用件は済みましたのでもう失礼しますわ、私、体調が優れませんの』『これ重いよ、セシリア。挫けて打ちひしがれそうだ』それでもセシリアは真を守ったこと。『もう捨てないと言ったのに』『済まない』『嘘つき』何度も泣かしたこと。「そうだ……居なければ君は泣くことは無かったな」真は誰に聞かせるようでもなく呟いた。箒がはっとした表情を見せた。「……さえ居なければ君は死ななかった」真は両の手を握りしめた。右手にはリングが光っていた。雨と血で濡れていた。「真それ以上はだめだ!」 俺さえ居なければ 箒の制止も虚しく真の絶叫は響き渡った。揺らぐ炎の影。2人の上空にエムが立っていた。「“俺さえ居なければ”こんな事にはならなかった!」 真はみやを緊急展開させた。光を放つことも無く、一瞬で結合、黒い鎧が顕れた。どす黒い雲が敷き詰められた天の空、強い雨が降りしきる中を、黒い鎧は駆け上がった。「エエエエエエエム!」 真の眼が褪せる始める。最初は深緑、次は薄緑、そして白、最後に輝き失った。星の瞬きもない闇夜、微かに見える古井戸の、何もない奥底。ただの黒がそこに有った。真は超高振動アサルト・ナイフを量子展開、サイレント・ゼフィルスに切りつけた。ガラスを引っ掻く様な耳障りな音が鳴り響く、エムはスター・ブレイカーで受け止めていた。「そう! その眼だ! その眼だよね! その眼が一番似合ってる! お帰り真!」エムは笑った。心の底から喜んだ。何故ならそこにエムの望んだエムがいた。真の眼はエムを吸い込まんばかりに黒かった。黒く淀んだ空、天から落ちる天の粒、2人を濡らす。二つのエムはスラスターを噴かし押し合いながら空高く回って行った。真の眼から赤い涙がこぼれた。「何故殺した!」「君に釣り合わないから♪」「何故殺した!」「君を取り戻す為♪」「何故殺した!」「君が欲しいから♪」「そんな下らないことで!」「下らないというのは失礼じゃないかな。こんなに好きなのに♪ 君のこと♪」「貴様ぁぁぁぁぁぁっ!」真はナイフを捨てると狙撃銃を量子展開、狂った様に発砲した。弾が切れる。今度は銃を棍棒の様に打ち付けた。エムは避けもせず身を任す。頭部を殴り、左肩を殴り、腹部に撃ち込んだ。金属音、一つ打つごとに銃身が曲がる。破損する。もう銃は銃の機能を失っていた。それでも真は狂った様に打ち付けた。彼の痛みが心地よい、エムはそう思った。数え切れない打ち込みのあとエムは素敵なことを思い付いた。真に蹴りを入れた。エムは距離を取る。蹴り飛ばされた真はエムを追い掛ける。エムは逃げた。真は追った。エムは逃げた。真は追った。エムは逃げた。真は追った。手にした銃はどうやって使うのか、それすら忘れて真は“エムを追い掛けた” それこそエムが望んだエムの姿。「鬼さんこちら♪ 手の鳴る方へ♪」それは酷く現実感を欠いたシーンだった。追い掛ける鬼が泣き、童が笑う。錯乱している、我に返った箒は雨月・空裂展開、2人の間に割り込んだ。邪魔だと罵ったのは、真だった。「そこをどけ! そいつは俺がやる! 俺が殺す!」「落ち着け真! 奴の思うつぼだ!」箒にはエムの気持ちが分かった。どれほど想っても報われない悲しみ、その先にある感情、狂った愛だった。「知ったことか! そいつは引き裂く! 痕跡すら残さん! この夜から、この世界から消し去ってやる!」「セシリアがそれを望むと思うのか!」セシリア、その音を聞いて真はぴくりと躰をゆらした。「ああダメダメ、ダメだよ真。もっともっと。我慢なんてダメ。私が憎いだろう? 許せないだろう? 粉々にしたいだろう? だから……その憎悪でその身を焦がせっ!」エムはスターブレイカーを構えた。発砲、実弾モード。弾丸が大地を穿つ。爆発、粉々に飛び散るのはセシリアの遺体。転がり散らばる少女だったもの。頭と右の腕と左の手首。胴体は原形をとどめていなかった。砕かれ肉を血で濡らし、胃と腸の中身をまき散らし、その骸を汚す。金色の細い髪が黒いオイルに濡れ、鼻につく不快な臭いを放っていた。こびり付いていた。頭は転がり、石ころの様に転がり、側溝に落ちた。水音がした。声にならない魔獣の様な慟哭が2人の少女を貫いた。真は箒を振り払い、我を失った。スラスター全開、みやの警告も無視し、エムに飛びついた。エムが構えていたのは大型のバズーカ。真の黒釘(120ミリ戦車砲)より図太く短く、無骨で洗練さに欠けていた。「どうかかなこれ。君の為に作らせたんだ。君のよりダサいんだけどまあ贅沢は言っていられないかな。ちょっと痛いかもだけど我慢してね、いくよ真♪」エムは躊躇いもせず引き金を引き、APFSDS(Armor Piercing Fin Stabilized Discarding Sabot:装弾筒付翼安定徹甲弾:そうだんとうつきよくあんていてっこうだん)を真に撃ち込んだ。エムはこの時を待っていたのである。真を錯乱させ、極至近距離から砲撃を行う。真が冷静ならば構える事すらかなわなかっただろう。全ては彼を手に入れる為だけの布陣。分厚い鉄同士をぶつけた様な重い金属音が響く。みやは絶対防御発動を発動させた。防性力場と弾頭がせめぎ合い、虹色の干渉光を放つ。吸収しきれなかった弾頭の衝撃が真の頭部を襲った。彼は仰け反り、意識を失った。みや具現化限界(リミットダウン)。ISスーツ姿の真をエムは抱きしめた。短く黒い髪を撫で、愛おしく抱きしめた。優しい笑みで口づけすらした。スラスターを噴かす。2人のエムが箒から離れていった。「待て! 真は渡さないぞ!」という箒の叫び、エムもまた箒を理解した。哀れみの眼差しでエムは言う。「お前はしなかった。私はした。それが全てだ」「ふざけるな! そんな行為邪道だ! 人の道に反する!」「ではお前に真は無理だ。支えられない、共に歩けない」エムは箒に銃口を向けたが、僅かな思案のあと銃を下ろし空を見た。「逃がさない!」と箒は叫んだ。怒りではなく懇願だった。「箒、同じ者同士、見逃す。立ち去れ。そして忘れろ」「な……」動揺している箒を他所に、エムはロケットブースターを量子展開、その場を飛びだった。ロケットエンジンの咆吼は彼女の鎮魂歌(レクイエム)だ。恋敵(セシリア)への。サイレント・ゼフィルスは空高く舞い上がる、2人の道には終わりなど無い、そう言うかのように。「待て!」地震のようなスラスター音。我に返った箒は展開装甲を稼働しスラスターモードへ変更。追い掛けようとした。紅椿の最大速度は音速の約9倍。ブースターを装備したサイレント・ゼフィルスにも十分追いつける、そう考えた。だがブレードによって止められた。箒を止めたのは駆けつけた空自の打鉄だった。打鉄はブレードを箒の喉元に突き付けた。鋭く光る。訓練機と異なりスカイブルーの迷彩。左腕にあるのは大型の物理シールド、右肩に付くのは半球ドーム状の対潜用センサー、右腕にあるロケットアンカーなど、装備も細かなところで違っていた。戦闘型ではなく多用途型の打鉄だった。「そこまでだ」と打鉄のパイロットは抑揚無く言った。「まってくれ! 私が追う!」箒は叫んだ。悲鳴の様だった。エムは速度を緩めることなく離れていく。雲に入り突き抜けた。もうじきハイパーセンサーでも追えなくなる。『斉藤さん追跡します』『深追いはするな、防空識別圏を超えたら帰投しろ。三浦市上空で戦闘をしたあの機体なら勝てんぞ』『了解』打鉄の僚機が高度を上げる。防御重視の重量級の打鉄では追いつけない。だから箒は「この紅椿なら追いつける! 私に行かせてくれ!」ともう一度叫んだ。「公共的施設での戦闘行為に破壊活動、IS学園は何をしても良いと許されると思っているのか。それとも篠ノ之博士の妹だからか? これだけの事をしでかしたんだ、覚悟をしておけ」「私は真が好きなんだ! 真が連れ去られてしまう!」斉藤と呼ばれた女性は、僅かな間の後に表情を幾分和らげた。「分かっていないのか。子供が出しゃばることでは無い」箒は強く握った握り拳を、渋々下ろす。もはや星と見分けが付かないほど小さくなったサイレント・ゼフィルスの軌道光を胸が張り裂けそうな思いでじっと見つめていた。(真……!)箒の叫びは届くこと無く空に散っていった。◆◆◆成田空港でテロが発生し、セシリアの乗ったジェット旅客機が墜落した、この一件は日本政府を介し直ぐさま学園に知らされた。先月行われた日本国政府との意見交換会が功を奏したのだ。第一報として舞い込んで来た情報は全部で四つ。一つ、IS学園準教師の蒼月真が誘拐されたこと。二つ、IS学園生徒の篠ノ之箒が重要参考人として空自に任意同行し、現在任意の事情聴取中ということ(※。三つ、テロ活動行った者がISを所持し、その機体がサイレント・ゼフィルスだったと言う事。四つ……イギリス代表候補生セシリア・オルコットと思われる遺体が発見されたこと。慌てたのは学園である。白昼堂々、ファントム・タスクがここまで大胆な動きをするとは夢にも思わなかったのだ。しかも誘拐されたのは学園トップクラスの真である。詳細な経緯を知らない学園は、戦闘活動の末の結果だと判断した。つまりサイレント・ゼフィルスの能力は千冬、ディアナ以外対応出来ない事になる。倒すより捕縛することは難しいからだ。無理もない。学園が直面している問題をまとめれば、準教師の誘拐、生徒の拘束、ファントム・タスクの再出現と切りが無い。最大の問題なのが、イギリス代表候補生セシリア・オルコットの死亡、である。万が一本当であれば、国際問題は必須。成田空港は学園外、管轄は日本政府とはいえ学園の人間が当事者として関わっているのだ。何らかのペナルティが掛ってくる、学園教師の誰もがそう戦慄いた。面だって言うことは無いにしても。◆◆◆事件発生から3時間後、一夏は自室のベッドで仰向けに寝転んでいた。じっと天井を見る。何度見ても天井は動かず、揺るぎすら起こさずそこに有った。一夏の部屋も同じだ。その部屋は彼一人で静まりかえっていた。一ヶ月ほど前にフランスの少女がルームメイトとして居たが帰国してしまっていた。だからがらんとしている。特に今日は廊下を歩く少女たちの気配すらない。寮全体がとても静かだった。今、彼はそれすら気にとめずずっと考えていた。今日の授業が全て中止だと、告げる校内放送があったのは今から2時間前。初めこそ授業がなくて悲喜こもごもだった少女たちであったが、全教師の緊急会議と知って目の色を変えた。(何かあったのかな)(先生たち全員職員室みたい)(初めてだね、こう言う状況)(先輩たちも緊急会議なんて聞いたこと無いって言ってた)(ひょっとしてセシリア?)(止めてよ縁起でも無い)(なら真?)(あり得るけれど)(ど? なによ)(なんか何時もの真の騒動じゃない気がする)(なんでよ)(だって真が片腕になっても先生全員会議なんて無かったのに)(((……)))教室で交された少女たちのささやき。それ以来彼はずっとこの調子だった。ただ事じゃない、彼はそう“感じた”彼が3時間前感じた感覚は、去年真がこの世界にやってきた春、その時感じた慟哭と同じだったからだ。(真に何かあったか? あの時と感じは大分弱いけどよ……)一夏はごろんと横を向いた。窓がある。ブラインドは下ろされず、夕方の空が見えた。(セシリアとの別れ話……ってなら理屈は通る。でも胸騒ぎがするぜ)ラウラに確認しよう、いやラウラはもう居なかったっけ。学園から成田まで車で片道2時間、もう戻っている頃か。箒に聞いてみるか、彼がベッドから立ち上がった、その時だった。静寐が血相変えてやって来た。その扉を開く勢いは強く、キッチンに置かれた硝子コップが音を立てる程だった。彼女は息を切らして立っていた。「静寐、どうしたんだ。そんなに慌てて」寂しくなったのかと言おうとした冗談は霧散した。静寐は今にも泣きそうだったからだ。「セシリアが……死んだって」冗談にしては笑えねえな、彼はそう言いたかった。◆◆◆食堂にあるTVにみな釘付けだった。誰もが眼を伏せ喪に服していた。すすり泣く声もする。一夏は壁に掛っている薄型の大型テレビを見た。そこには炎を上げる飛行機の残骸があった。映像に消防車両が映る、放水の現場も映った。鎮火する映像はまだ無い。映像が切り替わり男性のキャスターが現れ、こう言った。『では引き続きお伝え致します。今から3時間前イギリス代表候補生セシリア・オルコットさんが乗ったブリティッシュ・ミッドランド・インターナショナル、BMI594便が墜落炎上しました。3時間立った今も火の勢いは強く、鎮火の見通しは立っていません。墜落当時3機のISが確認されていますが詳細はまだ不明です。また先程イギリス大使館オルビー大使が会見を開きセシリア・オルコットさんが搬入先の病院で死亡を確認したと発表しました。16歳でした。心よりお悔やみ申し上げます』「セシリアが死んだ? 簡単に言いやがって……」一夏は人知れず右拳を握っていた。彼の憤りはどれ程の物か、爪が食い込んだ両の手の平、血が流れ出した。ニュースは続いていた。キャスターの隣に居る軍事評論家が、遺体は原形をとどめていないと、だが遺伝子検査で本人だと分かったと、淡々に語るのがまた腹立たしい。「一夏、手を出して」「……おう」 静寐が一夏の手にハンカチを巻く。その声は震えていた。赤くしみ出す白いハンカチ。『新情報が入りました。墜落時の映像です。偶々居合わせたアマチュアカメラマンが撮影した物です』そこには正体不明の機体と戦闘を行う黒い機体と赤い機体が映っていた。みやと紅椿だ、少女たちはそう理解した。一夏にはその不明機に心当たりがあった。先日、セシリアと真を襲った少女の機体、それを思い出した。『尾羽さん、この3機が墜落に関係しているのでしょうか』『この映像からは分かりませんね。ただ言えることが2つあります。1つは禁止されている空港でのIS活動を行ったと言う事。もう一つ、この黒い機体と赤い機体はIS学園のものです』『そうなのですか?』『ええ。余り知られていませんが“半軍用機”リヴァイヴと“第4世代”の紅椿という機体です。これは篠ノ之束博士の特別機です』『この2機が関係しているというわけですね』どの様な関係かは不明ですが、というコメントは、切り替わった映像に打ち切られた。墜落の現場と交互に映し出される紅椿とみや。事情を知らない視聴者がどう判断するのか、非常に偏った報道だった。彼らは報道規制されている報復としてこの様な手段に出たのであった。ちゃんと報道して欲しかったら情報を公開しろ、と言う訳である。我慢ならないのが少女たちだ。嗚咽は既に無くなり怒りを表わし始めた。「なによこれ! 偏向報道じゃない!」「よくも調べず勝手な事言ってるよ!」「セシリアと真の関係知らないくせに!」騒ぎ出す少女たち。「どうするの」と静寐が言った。解決して欲しいという期待の眼差し。だから一夏はこう答えた。「千冬ねえのところに行って来る」◆◆◆報道機関は当てにならない。それが一夏の正直な印象だった。IS適正者と知られて、学園に入学するまでの間、彼らの常軌を逸した取材は呆れるどころか怒りすら感じた。人の生活を何だと思っているのか、そう苦情を言ったところで是正されることは無かった。政府が動きようやく収まったのである。「取材の為なら手段を選ばないからな、あいつら。俺も苦労したんだ。だから真がやったなんて心配しなくても絶対嘘だぜ」と言う一夏の言葉に静寐も頷いた。一夏の左手を強く握る、彼女も不安だったのだ。「でも一夏。織斑先生に会ってどうするの?」「千冬ねえなら正しい情報知っているだろうし、教えてくれないならくれないで別の手も打てる」「別の手?」「ティナの親父さん、アメリカ海軍の偉い人らしい。米軍なら知っているだろ色々と」「そんな事していいの良いの? 怒られはしないかも知れないけれど、いい顔はされないと思う」「緊急事態だぜ? 大丈夫だ」「そうじゃなくて、ティナのお父さんでしょ? “一夏”にいい顔はしないと思うけれど」「し、知られてなければ問題ないぜ」「ティナのお母さんは一夏との事知ってるみたい。私たちの事も。だからきっと……そういうこと」「まじで?」「まじで」なんてこった、一夏が頭を抱えた時だ。職員室から大きな声が聞こえた。女性の声であったが窓越しにも十分届く、迫力ある声だ。片やそれに応える声は小さく良く聞き取れない。だから、二人は扉を僅かに開けてそっと職員室の中を覗いた。ばれたら怒られるよね、と静寐が言う。俺が庇うから問題ないぜと一夏。愛想笑いで内心照れまくる静寐だった。大きな声の主は千冬である。「どうしてそうなるのですか!」と、千冬が教頭に詰め寄った。椅子に腰掛けて、机に乗り出す千冬を、静かに睨み返すのは教頭だ。千冬の迫力に全く動じていない。「まだ決定ではない」「教頭先生がその言葉を言う時は決定された時です! もう一度言います! 撤回して下さい!」「もう少し冷静になったらどうだ。織斑千冬」「私は冷静です!」「そうだな。私に唾を掛けている、それに気づかない程度には冷静だな」千冬は渋々身を起こした。両手を握って腰に回す。その握り拳は硬く握られていた。千冬の側に控えているディアナは緩やかな笑顔で交渉の行方を見守っていた。他の教師たちはじっとして身動きすらしない。火の粉が飛んでくるのを恐れたのである。「再考を強く具申します」と千冬が言う。教頭が答える。「撤回は出来ない。私は、我々は蒼月先生を切り捨てる。その対価として学園を存続させる。我々にはこれ以外の選択はない。考えるまでも無いと思うが?」「空自から送られてきた紅椿の稼働ログは教頭先生も見たはずです。あの場合私でも同じ事をします。教頭先生もする筈です」「確かにそうだ。だがこれは政治問題になってしまった。蒼月先生が護衛を兼ねていた事実は変わらない。セシリア・オルコットをむざむざ死なせてしまった。大失態だ」その時ディアナが「彼女が死んだのは機に乗った後です。機はイギリスのチャーター機。もう責任が及ぶ範囲ではないかと」「繰り返すが、これは政治問題だ。前途ある、有能な、パイロットを日本国内で死なせてしまった。問題は複雑だ。サイレント・ゼフィルスのパイロット“エム”は蒼月先生と因縁がある上、オルコットは貴族と来ている。加えて亡骸の状態。亡骸のピクチャーデータは見ただろう? イギリスは大使館を通して“公平な”裁きを要請している。王家の名前も出してきた。日英関係と学園の存続、リヴァイヴ一機でそれらが維持できる。考えるまでもないだろう」「教頭先生は蒼月先生の実力をご存じの筈です。彼に無理ならば他の誰にも出来ません」「それは身びいきでは無いのか」「客観的に判断したまでです」「ログを見る限り明らかに錯乱している」「セシリア・オルコットを殺されたからです」「殺されたのが先か、狂ったのが先か、その判断は付かない。良いか、もう一度言うぞ。我々学園と日本政府は双方腹を切る。我々はリヴァイヴと生きていれば蒼月真の沙汰を。政府は警視庁官僚の首と膨大な弔問金を。これで手打ちだ」「では私が代わりに罪を被ります」「織斑千冬。君は学園以外生きていく地はない。それにブリュンヒルデ、この銘の重さを思い出せ。その名を汚すと在校生ばかりか卒業生にまで影響が出る」「……」「釘を刺しておくが、ディアナ・リーブス、君もだ。余計なことを考えるな」「意見の一致を見いだせなかったのは残念です……失礼します」と千冬は言った。「念のため言っておくが、出奔など馬鹿なことを考えるな。君にも家族がいるだろう」千冬は震えるほど両の手を強く握った。握り拳から血が垂れた。「私の家族は……他にもいます」「なに?」「失礼します」「待て。それはどう言う意味だ」ディアナが割り込んだ。笑顔だが肩越しに糸が首をもたげていた。左肩に4本、右肩に4本、合計8本。八岐大蛇というわけである。「教頭先生。発言の許可を」「それは脅迫では無いのか?」「織斑先生は24歳のお年頃です。“いても”おかしくはないでしょう?」「それは初耳だ。どこの何方だ」「いやですわ教頭先生。プライベートの極みです♪」「……ブリュンヒルデのお相手だ。(調査に)異存は無いな?」「ご随意に♪」◆◆◆静寐と一夏は声が出ない。出そうにも出せなかった。2人の中に渦巻くのは、嘆きと驚愕と心配と、そして怒り。どうしてだ? 真に落ち度があったか? 教頭先生は、連中は好きな人を殺されて笑ってられるのか? そんなの人間じゃねえ! と腹の底が煮えたぎっていた。(クソッタレ! 教頭も教頭だがイギリスの連中も連中だぜ……)一夏の独白に、静寐は一夏の手を引いて答えた。彼女は怒髪天を衝く勢いの一夏に当てられて逆に冷静になった。(一夏、取りあえず戻るべき。長くここに居るのは良くないから)一夏がそうだなと言った時、職員室の扉が開いた。千冬とディアナである。2人はそのまま職員室脇の生徒指導室へとむかう。2人はさっと隠れ部屋に入るのを待った。千冬はこう言った。「そこの2人、揃ってのぞき見盗み聞きか? それとも夜の校舎の職員室前で逢い引きか? どちらにせよ異常性癖は感心せんぞ」「……何でそうなるんだよ」「……申し訳ありません」「静寐ここで謝るのは誤解を招くって」「……え? あ……あ、あ」慌てふためく静寐と、宥める一夏。仕方がないと笑った千冬の表情は姉の顔だった。「丁度良い、2人とも来い」静寐と一夏は思わず見合わした。職員室脇の生徒指導室。教室と比べても小さな部屋で、ソファーとローテーブルが置いてある程度だが、その実、電気的、物理的、情報的に外部から遮断出来るセキリュティが施された部屋である。千冬とディアナはここで良く秘密の意見交換と称して愚痴を言い合っていた。千冬とディアナが隣同士に座り、一夏と静寐も腰掛けた。4人の前にはココアが4つ置かれていた。「どうぞ」とディアナが言った。静寐と一夏が口を付けた。あれと不思議な顔をしたのは静寐だ。この味に身覚えがある、静寐はディアナを見た。察したディアナは笑いながらこう言った。「真の紹介よ」「はあ」何か引っかかる静寐であった。うすベージュ色のカーディガン。袖から小さく出した両の手でココアのカップを持っていた。小さい口をカップに付ける。静寐の一つ一つの仕草に(う、かわいい……)と惚ける一夏であった。バカップル丸出しである。「でへー」「鼻の下を伸ばすな、見苦しい」「伸ばしてねえよ!」置かれている状況を一時でも忘れていまい、一夏は猛省した。「交際結構結構。だが淫行は駄目だ。15歳……いやもう16歳か」「ちょっとぐらい良いじゃねえか!」「ばかいちか……」赤く縮こまる静寐を見て、千冬は2人に笑いながらこう言った。「さて、織斑、鷹月。いや一夏と静寐、こう呼ぶか」2人はまた顔を合わす。「どこから見ていた」と千冬が鋭い視線で聞いた。静寐は少し身を引き締めて「“どうしてそうなるのですか”からですと答えた」だから千冬はやれやれと背もたれに身を投げた。全て聞かれていると分かったからである。一夏が「さっきの話全部本当なのかよ」と怒りを隠さず聞いた。ディアナはどこから持ち出したのかエアークッション(ぷちぷち)を絞りながら答えた。雑巾を絞っているようである。「あ、あの福だぬき。次ぎあの顔見たら下あごのお肉、ぷよぷよさせてやるわ……ふ、ふふふふ」少しイメージ壊れたと愛想笑いの一夏だった。静寐は一夏の脚を軽く蹴る。ローテーブルの影、気づかれないと思ったのか、生憎テーブルはガラス製だった。そんな2人を微笑ましく見る千冬とディアナ。一拍。この間を使うと一夏は居住まいを正す。「千冬ねえ」「なんだ」「もうリミットだぜ。そのMって娘誰だ?」「……」「まだ言えねえか。でも俺ももう引けないんだぜ。ダチが誘拐。クラスメイトが殺されて、黙っているほど俺は人間出来てねえ」 しばらくの沈黙。千冬はディアナに目配せをした。時が来たということだ。「あの私外します」と静寐が言った。「いや、静寐も聞け。もうお前も関係がある」と千冬は静寐を座らせた。「一夏」「おう」「エムの本名は織斑マドカ。お前の双子の姉だ」◆◆◆本編再開第1号がこの話……へこむ、へこんじゃう。ええ分かっています。あそこで切った私が悪いんです。……凹むーorz(※)捜査権は普通警察ですが、IS絡みだと同じISを持っている自衛隊の範疇になる独自設定です。だって暴れられたらどうにもならないし。苦労して引っ捕らえた後、警察機関に渡すのも癪だろうし。因みに自衛隊で憲兵に相当するセクションを警務隊と言うそうです。しらなかった……。【作者のどうでも良い話】日本政府とIS学園間で交した密約一つ、契約日時を持って重大事件の情報は隠匿することなく報告し合うこと。一つ、学園教師、生徒を拘束した場合12時間以内に解放すること。本編に入らなかったんですよ。すよ。【作者のどうでも良い話もう一つ】実は今時間がありまして、出来うる限り進めようと想います。【以下ネタバレ上等の方専用】セシリアは生きています。ヒントは学園外の異能持ち。