学園の、海外籍の少女らに帰国命令が下って数週間が過ぎた。荷造りをする少女らの姿、それを黙って見る少女らの瞳、時は容赦なく刻み続ける。徐々に増えつつある教室の空席、授業中突然泣き出す生徒も珍しくなかった。「泣いてはいけませんよ、辛いのは帰る生徒さんも一緒です、ですから笑って、わらって……ぐす」思わず涙ぐむ教員もいた。 4組のとある赤毛の少女が、仲の良いそばかすの黒髪の少女にこう問うた。「ねえ、メリッサ。いつ帰ってくるの?」「分からない、一ヶ月後かもしれないし一年後かもしれない。全部は国次第だから……」「それじゃあ帰ってこれない可能性もあるの?」「……うん」「そんなあ~」 学園に送り届けられた通達によれば、期限に指定は無かった。先の生徒の言うとおり、事実上の撤収となる可能性もあった。学園は慌てた。海外籍の生徒は全校の半数にあたり、ただでさえ多量の税金を費やしている学園である。先進国を中心に海外の眼が無くなれば、学園の存続について言及する政治家がいても不思議では無い。「ぼーちゃん」「ボーデヴィッヒ先生と呼べ、岸原」「ボーちゃん先生も帰っちゃうんですか?」「……ああ、先日軍から正式な通達が来た」「うぇ……」「泣くな馬鹿者、今生の別れという物でも無いだろう」「だってー」「だってでは無い。留守中、学園は任せたからな」 だが学園側は具体的な対応策が打てぬまま、ただ時間だけが過ぎていった。 11月も終わろうという頃である。柊の711号室で、鈴は荷造りを進めていた。トラベラー・キャリーにぽいぽいと私物を放り込んでいく。学園に来る時はボストンバッグ一つという身軽な装いだったが、8ヶ月に及ぶ学園生活で相応にかさばる物も出来ていた。同室の本音は、そんな鈴の姿をじっと見つめていた。「衣類はこんなもんで良いわね、文庫は沢山持っていくと重いしなー」「連絡くれれば後で送るよ」「そう? 悪いわね」 鼻歌交じりに作業を進める鈴、これは持っていくかと文庫本を一冊鞄に入れた。それには“硝子戸の中”と書かれていた。鈴が手頃な物は無いかと聞いた時、真が最初に薦めた本だった。「ねえ鈴ちゃん」「んー?」「本当に帰っちゃうんだね」「んー」「本当の本当に?」「何度も言ったでしょ、アタシは代表候補生、国の指示には従わないといけないのよ」「だってだって、この部屋2人部屋なんだよー、1人になっちゃうよー」 鈴が本音を見れば、歯を食いしばり目には大粒の涙を湛えていた。今にも泣き出さんばかりであった。鈴は本音をそっと抱きしめると、頭越しにこう言った。「アタシの国は隣、ちょっと足を伸ばせば直ぐ着くから何時でも遊びに来なさい。それにもう戻れないって決まったわけじゃない。ウチの国だって他所に追従してるだけで、大した考えが無いだけかもしれない。それよりあの2人のこと宜しく頼んだわよ、あの2人本当に手間が掛るんだからって、まあ本音なら大丈夫よね」 ぐずつきながら、顔をくしゃくしゃにして本音は言う。“りんちゃん、おりむーにお別れ言ったの?” その声は言葉にならなかった。「言ってない、けど。まあ今更じゃない? もう帰るって事は知っているわけだし、お別れ会はして貰ったし、まあ一夏なら大丈夫よ。なんてったって静寐が居るしきっと大丈夫」「鈴ちゃん、いっちゃやだよー」「泣くのはよしなさいって、ほら笑いなさいって」「ふええええ」「泣くなって、プライベート・アドレス教えるからあっちでも直ぐ連絡とれるのよ、最近は便利よね、顔さえ見られるんだから、いやもううっかり寝起きだったらこっぱずかしー」「ふええええ」「だから泣くなっての、」「ふええええ」「いやだからもう、困ったわねー、大体アレよ、」 鈴の言葉が震え始める。今まで耐えてきた思いがあふれ出した。「大体アレなんだから、本音が泣いたらアタシまで、アタシま……」「ふえええええ」「うぇええええ」 2人は何時までも抱き合っていた。 ◆◆◆ 11月最後の週、楓寮で学年合同の、最後のお別れパーティが開かれていた。既に大半の海外勢が帰国していて、残るは生徒は9名ほど。専用機持ちとしてはダリルとセシリアだけだ。海外勢で唯一残っているのがアメリカ籍の、在日米軍組。つまり3組クラス代表のティナは残っている。アメリカ本国組は既に帰国していた。 パンパンパンとクラッカーが鳴り、帰国する生徒に花束と、メッセージが書かれた色紙が渡された。カランコロンとソフトドリンクの、氷の鳴る音が聞こえる。一転訪れる静寂、誰もが言葉数少なく、陰鬱な空気が豪奢な食堂に満ちていた。 パーティは静かに行われていた。当初でこそ賑やかに行われたが、徐々に空席が目立つ様になる教室、この現実を目の当たりにした結果だ。仲間が減るというのは彼女ら憂鬱にさせた。 癒子がポテトチップスを頬張りながら「今日で最後か、随分寂しくなっちゃったね」と言った。そうしたら清香が「これからどうなるんだろ私たち」と頬杖をつき深い溜息。咥えたチョコレート菓子がゆらゆらと揺れている。癒子が清香に言った。「ねえ、あの噂知ってる?」「当ててみようか? ……学園がお取りつぶしになるかもってアレでしょ」「急に暗雲が立ちこめてきたって感じだよ、入学するのあんなにがんばったのに」「一組はまだ良いじゃない、織斑君居るし。鈴ってムード・メーカーだったんだ。流石の我が二組も落ち込んでる」「「はあ~」」 2人揃って深い溜息。そんな2人に本音が近づいた。頬を膨らませ眉を寄せ、目が赤く腫れていた。「癒子ちゃん、清ちゃん、滅多なことは言っちゃいけないんだよ」 癒子と清香が座るのは4人掛けのテーブル。癒子が静かに席の奥側へずれた。そこに本音が収まった。ちょこんと座る。「「だってー」」「もー 織斑先生とリーブス先生が居るから大丈夫だよ、あとおりむーもまこと君も居るんだからね」 本音の精一杯の強がりであったが、彼女の意を酌んで2人は明るく務めた。自分自身に言い聞かせる為でもあった。清香が「そう、そうだよね。何と言っても我が学園には人類最強の、織斑先生とリーブス先生の2大巨頭が居るから大丈夫!」といった。握り拳を作っている。そうすると「織斑君も居るしね。皆がいつ帰ってきても良いようにしておかないと」と癒子が言った。「まこと君は?」と不満そうに本音が聞いた。清香が言う。「真はちょっと駄目かも」 癒子は失礼だろうと何も言わなかった。反発したのは本音だ、ぷんすかと頬を膨らませている。「えー 清ちゃん酷いー」「だってねえ。ほら、セシリアが帰国するって分かってからあの状態だし」 眼を合わせる清香と癒子。見れば遠くにその2人が見えた。一夏は学園祭で着た燕尾服を纏い、帰国する数名の生徒をもてなしていた。根が明るい一夏の言葉、振る舞いに落ち込んでいた少女たちの表情にゆったりとした笑みがさす。 方や真はセシリアと一緒に座っていたが、浮かべる笑顔に明るさが無く、無理矢理笑っていることが見て取れた。セシリアも似た様なものだ。箒はそっとしておく事にして静寐らと座っていた。真がコーヒーをすすりながらこう言った。「セシリア、前に話した誕生日だけれど12月25日になったよ、千冬は祝うのに手間が無くて良いって言うし、ディアナは無神論者を改宗させるにはうってつけよね、だって。嫌がらせにはばっちりだ。当の本人だって信じちゃいないのにさ」「その時は是非プロテスタントにして下さいな」「うん、そうするよ」「「……」」 言葉が見当たらず黙り込む2人だった。 ◆◆◆ そのまま時は過ぎセシリアが帰国する前夜である。箒はセシリアの手を引いて学園の夜を歩いていた。「箒さん、一体なんですの?!」「黙って付いてこい」 向かった先は教師用マンション、207と刻まれた部屋である。元々物置として使用されていたここは、部屋が足りないと改装されたところだった。住人の一人であるラウラは既に発ち今では真一人だ。その部屋の前に立ちセシリアは箒を睨み付けた。「どういうおつもりですの?」「今使わずしてどうするのか、といったところだ」「なにを?」「マイルーラに決まっているだろう」「……余計なお世話です」 箒は胸を張り両手を腰に添えた。「もう真とはこれっきり、その可能性とてあるのだろう? 私に遠慮しているならそれは無用だ」「持ってきておりませんわ」「ならば私のを貸してやろう」「随分と強引ですのね。そもそも箒さんはそれで良いですの?」「今2人には2人が必要だ。私では一寸及ばない」 箒はセシリアの右手を見た。その薬指には白銀のリングが収まっていた。「卒業式まで待つ、その予定だったが前倒しになってしまったな。この状況だ。セシリアのしたいようにすると良い」「私がそれを望んでいると?」「納得はしていないが、ティナの物言いには一理あると私は想う。肌の温もり、頭ごなしに否定するものではない。セシリア、お前にしか出来ない事なのだ……真の為にも、たのむ」 しばらくの沈黙の後、セシリアは背を向けた。「セシリア!」「そんなに大きい声を出すと真に気づかれますわよ、安心なさいな。私のを取りに戻るだけです」「……私のを使えば良いだろう」「それは箒さんの物ですわ、私のものではありません。それに、」「それに?」「準備がありますもの、いろいろと」 ◆◆◆ 俺はベランダから月を見ていた。蒼々とした丸い月だった。草木が露に濡れ、りんりーんと虫たちが鳴く。その光景はとても美しい筈なのに、虫たちの歌は心地の良いはずなのに、何故か虚しく見えた、悲しく聞こえた。生徒が減っていることに気づいて寂しさを謳っているのかもしれない。 虫の音が、響く月夜に、人想う。揺れるススキに人の心を見る。 ……締まりが悪い。適当に浮かんだ言葉を句にしてみたが慣れないことはするものでは無いなと改めて思い知った。はあと溜息が自然と漏れた。 明日セシリアが発つ。その事実が体と心にのし掛かった。もう会えないわけでは無いのに何という様だろうか。休みを取りイギリスに行って会うことも出来るのに、抱擁を交すことだって可能なのに。何故のし掛かるのだろうか。 それは壁が出来てしまうからだ。入学から数えて8ヶ月、殆ど毎日会っていたが、明日からは会わない方が多くなる。一日が過ぎ、二日が過ぎ、一週間に1ヶ月。俺らは互いに知らない時を過ごす。知らないところで知らない様に変わる。 次出会ったとき俺は俺だろうか。セシリアをセシリアと見る事が出来るだろうか。 そんな保証なんて何処にもない。再会した時に感じる余所余所しさ。鮮やかな表情がセピア色に変わってしまう空しさ。同じ時を過ごせない恐ろしさ。それがどれ程恐ろしいか俺はまだ知らない。「出来る事ならもう少し時間が欲しかったかな。あと2年、いや1年……」 不意に溢れた言葉。俺は自嘲気味にわらった。「やれやれ、シャルも鈴もラウラも居なくなったというのにセシリアのことだけか。これでは教師失格だ」 俺に出来る事は笑って見送ることだけだろう。せめて彼女の負担にならないように。両腕をいっぱいに広げ息を吸う。冷たい空気で新鮮な気持ちになった。 風呂に入り明日に備えてテキストを読んでいる時だ。ぴんぽんと来訪者の告げる音が鳴った。はてなと首を傾げた。 時計を見れば午後の10時。この時分に誰だろうか。ディアナや千冬ならば前もって連絡がある。真耶先生か? 彼女は寮長だ。こちらに来るならばそれこそ連絡があるだろう。一夏かもしれない、その考えは直ぐに捨てた。もう寮外に出て良い時間は過ぎている。見つかれば反省文だ……楯無だ。彼女なら生徒会特権とか言って、然も当然の如く、下々よ控えよとかいう傍若無人な悪代官の如く、堂々とやってくるだろう。ぴんぽんとまた鳴った。 はてさてどうしたものか。居留守を使おうか。何度鳴らしても無視をするのだ。そのうち飽きて帰るだろう……そんなわけは無い。そんな諦めの良い性格ならばこれ程苦労はしないのだ。彼女なら強引に入る手段を取るだろう。きっとそう、蛇腹剣を取りだして扉を破壊する。ぶるっと背筋に悪寒が走った。3度目のぴんぽん。心なしか苛立たしげだ。覚悟を決めて扉を開けた。「おそいですわよ」 其処に立っていたのは鮮やかな金髪に蒼い瞳、見紛う筈も無いセシリアだった。茴香(ういきょう)という名の花がある。鮮やかな黄色の花を付け、花一つ一つは小さいが、沢山集まって咲き乱れる、その姿は夜空に浮かぶ花火の様。別名フェンネルともいいセシリアにぴったりだと思う。俺は多少困惑した様にこう言った。「来訪を歓迎したいところだけど、もう時間も時間だ。見なかったことにするから早く帰るんだ」「大事な用がありますの」「大事? 反省文よりも大事な物か?」「勿論」 セシリアの様子がおかしい。どこか、こう、具体的にと言われると回答に困るのだが、確実に何か変だ。 彼女が纏う何時もの学園服。基調の白は、白と言うよりホワイト、純白が適当だろう。赤のラインは鮮やかで何処かしら情熱的。なんかこう、そう艶めかしいがぴったりだ。一瞬、倒錯的な何かが膨れあがったが、何とか押し込めた。「どうぞ」 とセシリアを部屋に招いた。すれ違う瞬間、香水の匂いがした。甘くなく辛くなく、頭の奥をこそぐる様な匂いだった。ふらふらした。いかんいかんと頭を振るう。「何か飲む? ってココアか紅茶しか無いけれど」「では紅茶を頂きますわ」「寝られなくなるぞ」「構いませんわ」 なんで。そう出かかった言葉を飲み込んだ。ケトルに水を入れ火を掛ける。こーと言う音。こう聞いてみた。「で、用件というのは?」「1人では少々大きいですわね、この部屋」「……君の屋敷に比べれば小さいだろう」「自分の常識が何時も通用すると、思っているほど愚かではなくてよ」「そうか」 ケトルがしゅんしゅん言い始めた。「用件のことなんだが」「ラウラさんのベッドは?」「……窓側」 セシリアはソファーから立ち上がり、廊下側のベッドに腰掛けるとこう言った。「ラウラさんが帰国して一週間、そろそろ恋しくなるのではなくて?」「まあ、ね」「あら。意外とあっさり認めましたわね」「否定するとでも思ったか?」「ええ。そんな事は無いと」「家に帰ると誰か居る、家に居ると誰か帰ってくる、ディアナ、知っている君だから敢えてこう呼ぶけれど、誰かと一緒に居る生活は、彼女の分を考えればもう半年だからな、地味に堪える。ああ鈴もそうか」「最近食堂で食事を取る様になったのは?」「勿論一人飯がさみし……自炊が出来ないから」 くっくっくと喉を鳴らすセシリアだった。「あの2人とは?」「上がる時間が違うんだ、待ってると遅くなるから平日は1人なんだよ」「まあ、そうでしょう」「まったく、何が言いたいんだセシリアは」 ぷひゅっぴーとケトルが鳴いた。頃合いだ。ティー・ポットを取り出し湯を注ぐ。その時だ、背後に彼女の気配があった。なにと、いう間に背中から腕を回された。柔らかい感触と匂いが理性に纏わり付いた。「夜遅く殿方の部屋にやってくる、この意味が分からないほど子供ではありませんわよ」「セシリア、あのな」「織斑先生やリーブス先生、そしてフランスの方、真が義理立てし耐えているのは知っています。でももう自分を許しても良い頃合いだとは思いませんこと?」「俺は……」 どうしたものかと考えた。この下腹から盛り上がってくる衝動に身を任すのは簡単だ。このまま押し倒せば良い。だがそれは正しいことなのだろうか。事後、責任を取れとは彼女は言わないだろう。きっと今まで通りでというだろう。 だがそうは行くまい。何より俺がそう思わない。古き関係が終わり新しい関係が始まる。3人に背を向けセシリアだけを見る。それが俺に出来るのか。「その解きほぐし、私に任せてくれませんか?」 震えるか細い身体と揺らぐ蒼い瞳。俺は覚悟を決めた。なにを怖じ気づいている蒼月真。女性に、セシリアにここまで言わせてそれでも男か。 彼女の身体を一度強く抱きしめるとベッドに誘った。金の髪がさらりと、白いシーツの上に流れた。白にたゆたう金色の髪、偉大な画家でも創れないほどの美しさだった。彼女の胸に手を置き、鼓動を感じる。「正直に言うよ、こう言う風に出来たらとずっと考えていた」「私は夢ではなくてよ、でも夢の様に丁寧に扱いなさいな」 唇を重ねる。最初は軽く、次第に重く。「ん……」 唇を首筋に移し、右手を胸からみぞおち。手の甲でゆっくり滑らせた。さらに腰から足へと流す。 ぴくん。 強ばった彼女の身体。解きほぐそうと強めに抱きしめた。「苦しかったら言ってくれ」「少し……でも悪い気分ではありませんわ」 しばらくの間、セシリアの呼吸と、胸の鼓動を聞いていた。「服を……」「ああ」 するり。白いレースの下着だけとなった彼女はとても美しく、羽化する蝶の様だった。俺は照明を落とした。セシリアはカーテンの隙間から漏れ入る光を浴びて輝いていた。「真」「セシリア」 ぴんぽん。「「……」」 4度目である。ぴんぽん、5度目だ。ぴんぴんぽーん。 誰だこんな狙った様なタイミング。皆中と言うよりはくじを引いた一人目が、一等を当ててしまって、皆が白けているのに、1人はしゃいでいる様な何とも言えない気まずさを感じる。恐らくは、けったくそ陰湿な性格をしているに違いない。「……応対しませんの?」「すまない、ちょっと行ってくる」 俺は苛立ちを隠さずにドタバタと足音を立てて玄関に向かった。『ねー 開けてくれない? ここ寒いのよ』 楯無だった。扉越しにでも分かるほど、陽気な声で立っていた。何かこう大事な物が崩れる前兆の音が聞こえた。何しに来た! と極力小さい声で言ってみた。『遊びにきたに決まってるじゃない』 嘘だ! なにを企んでいる!?『たくらん、卵の世話を他の個体にさせる動物の習性のこと』 出がらしのギャグはもう良い!『ぶー』 良いか楯無、今非常に立て込んでいるんだ。明日だったらなんでも応じるから今日はもう帰ってくれ。否帰れ。『なんでも?』 おう。だから帰れ。『ふーん、そんなに立て込んでいるんだ』 キューバ危機を乗り越えたかのケネディ大統領だって今ほど焦らないぞ!『あやしい』 ぎくう。『開けなさい』 何も怪しくなんて無いぞ! くどい様だが小さい声で言ってみた。そしたらノブがガチャガチャ言い始めた。なんというホラー いやサイコ・スリラーか。ミザリーだってここまでしないぞ……そうじゃない。いま大事な時なんだよ。すっげー大事! 『……』 ぴたりと止んだ。おお、分かってくれたか楯無。君は良い奴だ。帰ったのを確認しようと確認レンズを覗く。そしたら、蒼流旋を頭上に掲げた楯無が見えた。何という毒々しい笑みだろうか。『開かぬなら壊してしまえ蝶番』 前言撤回! やーめーろー! がきんと耳障りな音が鳴った。破壊された蝶番の破片がゆっくりと弧を描き床に落ちていった。からんと軽い音のあと、ごとり、ばたんと鈍い音がした。崩れた扉の残骸、そこには楯無が立っていた。ひんやりとした冷気が入る。「ああああああ」 台無しである。全てが崩れ去る音がする。頭を抱えて壁にすがりついた。「真、どうして更識さんがここに?」「遊びに来たそうだ、といったら信じてくれるか?」 見ればセシリアが立っていた。やって来た時と同じように、学園服を着ていた。情熱的な青春の時間は崩れ去ったようだ。付け加えればセシリアの機嫌が非常に機嫌が悪い、そう見えた。「あら、まあ。まさか来客中とは大変失礼をば。でも意外な時間に意外な人物よね、今何時かご存じ? セシリアちゃん」「それは貴女も同じ筈ですわ、楯無先輩。生徒会長ご自身が校則を破るなどと、示しが付きませんわよ」 彼女は俺の名を呼んだ、見下ろすその瞳には、不信感が山ほどあった。「それで更識さんとはどの様な関係?」「ただの知り合い」「ひどいわ! あんな事やこんな事してあげたのに!」「そんないい目にあった事は何一つなかった気がするぞ」「いい目とは?」「ただの一般論」 セシリアはきっとした目付きで楯無を睨んだ。「どう言うおつもりかしら。更識さん、貴女は知っているはずですわよね?」「もちろん、だからこそと言うわけ。不純異性交遊は駄目よ」「知っていて来たと? それにしては良いタイミングですこと。監視でもしていたのかしら? ……まさか」 セシリアは何かに気づいたようだった。方や楯無は涼しい顔だ。口元を隠す扇には“神出鬼没”と書かれていた。セシリアは張り詰めた表情を緩めてこう言った。「そう、そう言う事ですの。まさか貴女もそうだとは思いませんでしたわ」「意外だった? まあかく言う私もそう思ったのだけれど」「敵は少数ですが強大ですよ、覚悟はおあり?」「そうみたいね。でもやる前から諦めるって性に合わないのよ」 何のことだ? 2人は何のことを話している?「良いでしょう、楯無さん貴女を3人目として認めましょう。言っておきますが苦労しますわよ」「結構♪」「真」「なんだ?」「近いうちに休みを取ってイギリスに来なさいな。続きはその時にしましょう」 そう言うとセシリアは颯爽と去って行った。俺は後ろ髪引かれる思いでその背中を追っていた。見えなくなったところでこう楯無に言った。「楯無、君はセシリアと俺の事を知っていたんだろう? 何故邪魔をした」「ルート確定されたらどうにもならないじゃない」「るーと? 何のことだ?」「冗談よ。教師が生徒に手を出したなんて知れたら一巻の終わりよ、感謝してほしいところよね」 真意は掴めなかったが、彼女の言い分には一理ある。心の中で一言謝意を述べると、立ちあがった。楯無は扇をパタンと閉じた。彼女も帰る様だ。「楯無」「なに?」「今夜は帰さないぞ」「……え」「扉を直すまで」「……」 応急修理に呼び出された虚さんは散々苦言を言いつつもしっかり直してくれた。 ◆◆◆濡れ場、何処まで書こうか悩んだのですがこれぐらいならいいかなーと。程度が難しいですね。