俺はどうなったんだっけか。 確か今日は日曜だからと雨澄との戦いに備えて、だけども雨澄の張ったはずの”虚界”が途中で消えて、そこから反転した色の世界へと突然に変わっていった。 雨澄とも銃使いとも違う大剣使いのアロンツの一人の男が目の前に現れて、それで……「…………っ」 俺は倒され、桐は倒れ、ホニさんが――「殺されていった」 あの惨状を思い出すだけで吐き気がする。酷かった、もう人を扱うようには見えなかった。 ホニさんの姿が血に塗塗(まみ)れ歪んでいく様子が、俺が最後の視界に映ったこと。「…………全滅ってことは、俺も死んだのか」 桐は恐らく再起は出来ないし、俺も意識が結局は落ちて。 今は何も見えない暗く黒い闇の中に居るように、何も俺の瞳に映すことものは何もない。 「これが死後の世界……なんか?」 身体の感じる温度が分からず、かつてまで感じていた痛覚も見つからない。 音も色も何もかもが消え失せている。「俺はこのまま終わるのか……いや、でも」 終わりたくない。子供が駄々をこねるようでも、おれは終わりたくない、諦めたくない。 このまま死んでなんかやらない。「どうにかしてでも……俺は!」 ホニさんを守り、俺自身を守り、家族も、今までの日常も守る。 これは今まで何度も何度も病気のように繰り返して来た決意。「ご都合展開どんと来い、さあ俺の眼を覚まさせてみろよ!」 誰かに、談判するように俺は叫ぶ。 その瞬間に殻が割れるように闇が砕け散り、眩いまでの光が差し込んで来る。 そして俺の居た場所は―― 「おはようございます、下之ユウジ」 覗きこむは深緑色で目元を隠した藍浜高校制定品の制服を着た女子生徒。 そう、これは夢で出会った世界。ここは見慣れているが人のいない空虚な教室。その世界の主のように毎回話しかけてくる女性。「ああ……おはよう」 俺は目覚めたように顔を上げて、その女性に挨拶をする。「久しぶり……ではないですね」「ああ、前は二ヶ月ぐらい前だっけか。これで五回目か?」「ええその通りです――この世界でのことですが」 前回に見た夢で最後の最後に言われた余りにも意味深げな言葉に俺は問いかける。「……なぁ、この世界ってどういう意味だ? それじゃまるで世界がいくつもあるみたいじゃねえか」 某作品で言う世界線ってか、いやいやそれは――「正確には”有った”ですね」「いやーおかしなこと聞いたな、いやそんな訳………………はい?」 予想外の返しに俺は驚愕して裏声った声で思わず聞き返す。「ですから、今までに”違った世界”が有ったってことです」「違った……世界?」「はい、ぶっちゃけるとですね」 そうして彼女は衝撃の事実をあくまで淡々と、今までに何度も語り飽きたように話した。「この”物語軸”の世界をあなたは何周もしてるんですよ?」 …………物語軸の世界、何周。何周……!?「つまりはゲームオーバーですね。バッドエンドを何度も向かえていることに――」 ゲームオーバー? バッドエンド? 確かに俺はギャルゲーと現実の混じった世界を過ごしているけども。 それじゃあ俺は……!「おいおいおいおいおい、それじゃ何か! 俺は何度も今回みたいな失敗を――」「ヒントでも言った通りですよ”過ちを繰り返さないことを祈っておく”と」「あ――」 ……思い出した。それは確か俺が覚えている限りならば三度目の夢、雨澄との初戦の頃はずだ。 コイツの言うとおりなら、ニュアンスならば俺は何度も過ちを繰り返している……ということは、だ。「……俺は何度も死んでるってことだな」「いいえ。全ての世界がそうとは限らないんですよ」「……は?」 全ての世界。「お前はその全ての世界を知ってるのか?」「はい、大体こちらからは把握できていますから」 以前と違って機械的に物事を伝える彼女に少しの違和感を覚えながらも会話を続行させる。「下之ユウジがゲームオーバーになる要因としては”下之ユウジの死亡”と”ヒロインであるホニの消滅”ですね」「俺が死ぬか、ホニさんが消えるか……それが要因なんだな」「はい」 …………待てよ、俺は反芻してなんと言った? 俺が死ぬか、ホニさんが消える……?「”死ぬ”と”消える”は意図的に別けてるのか?」「そうですよ。ホニが消える条件として、戦死するだけではないのですから」「じゃあ、なんなんだ?」「それはネタバレなので自粛します」「いやいや、今まで散々話して来たことも相当にネタバレだと思うぞ?」「いえいえ、今まで話したのは今までの失敗したあなたに話した内容ですから」 こいつが俺に話したのは、かつてのゲームオーバーを迎えた際に俺が聞いた事がら……ってことか。「……同じ世界を繰り返してる、そんな解釈でいいんだよな?」「いいえ”物語”を繰り返しているんです」 俺のかつてのデジャブはもしかしたらこれが主因だったのだろう。 同じ物語で同じ光景と同じ展開を繰り返した――だから俺は度々ある光景に出くわす度に既視感を感じていた。 「デジャブや物語の最初期に自分の意思がない中で動いていませんでしたか? 物語を繰り返すことで身体がその行動を覚えてしまったと考えるのが妥当ですね」 それはおそらく耐性。生物が毒に強い免疫を死を繰り返すごと生存しようとする力によって作られていくように、俺も展開を繰り返すことで自分が覚えていた……ってことか。 そして余りにも手なれた初期の場面は俺が他の部分よりも何度も繰り返したということなのだろう。 更にはご都合展開とはいえ、アスリートにボコボコにされそうなほどに俺の腕力・脚力ほかもろもろの急激な向上も、俺の体がその鍛錬や動きの内容を覚えていたから……ということで強引ながらも頷ける。 帰宅部だが運動は嫌いじゃない、が好きでも無い。そんな俺が空中でそれなりにも重量のある鉈を常時振りまわした上に身体を動かして空を飛ぶことなんて、常軌を逸した運動量のはず。 それを数週間の内に身に付けて、実戦するなんて普通ならば考えられないことだ。 そしてあの朝の調子の悪さは、ある予感によって身体が動くことを拒絶していた……? ストレスが原因で仮病が実際に病気に変わることもあるぐらいだ。恐らくは――「なるほどな……じゃあ俺が今回の闘いで死ぬであろうことを身体が覚えているから、夏の朝は調子が悪かったのか」「いえ、それは低血圧です」「そこでギャグにするのか!?」「私もいつまでもシリアスやってると死にますから」「いや……そういう不謹慎な発言は死んだ奴の目の前で言う事でないと思うぞ」「いえいえ、あなたはまた繰り返すのですから、実質生きる屍ですね」「……お前って凄い嫌な表現するよな、それは天然か?」「養殖で、完全に狙ってます」「タチ悪ィ!」 …………なんでまた急激にコメディ調になるのやら、緊張もクソもねえぜ。「……はぁ、シリアスは持たないのな」「下之ユウジは難しく間抜けな顔をしているよりも、間抜けにボケにツッコむ方が良いんですよ」「そんなに間抜け連呼して……嬉しいか?」「嬉しく、楽しく、実に。快感です」「性格悪ィ!」「でも、人の小難しい顔を眺めていてもいいものではないでしょう?」「……まあ、そうだな」 俺も桐やホニさんが小難しい表情をしているとどうにも気になって仕方ない。 ……なんというか俺は心配性で、ある種の親バカみたいなものなのだろうか。「で、下之ユウジ。あなたはどうしますか?」「どうするって?」「世界をやり直すか、物語を繰り返すか」「……どっちも同じ――とは応えないぞ」 「ほう、それでは違いを述べよ」 なんという上から見下された感、しかし寛大な俺はそれをスルーしておこう。「前者は最初からやり直しで、後者は今までと同じようにバッドエンドを繰り返すってことだろ?」「そんなところです、さあどっちですか?」「――ここでチェス盤をひっくり返すぜ」「残念、このチェスはマグネット式なので零れ落ちることはありませんでした」「安っぽ! マグネット要素があるせいでちゃちい!」「しかしそれでもそれなりにするものなんですよね……」「……まあな」 って、いやいやいやいや!「とーにーかーく! 俺はお前の挙げた選択肢からは選ばない」「……はい?」「美少女ゲームではセーブ&ロードが出来るだろ?」 俺のやったギャルゲーではポイントごとに任意でセーブ出来て、任意の場所からゲームを再開出来る。 ものによってはクイックセーブという簡易セーブ機能がついているものもある。 「まあ……そうですけど、それが一体何の関係が? 思いつきですか?」 ちげーよと心の中でツッコミを入れて俺はそうして考える。それならば、と。「だから俺は、この真相を知ったまま戦いのニ週間前に飛ぶぜ!」 そして俺はそのセーブポイントからロードする。全てを最初ではなく、出来るならば途中から。 俺が知り得た未来を持ち帰って、それを生かして俺たちは生き残る。「ええええええええええええええええええええ」「え、出来ないの?」「え、や、えっとですね……その展開は今までになかったものですから」「で。出来るんだろ?」「なんで知ってるんですか!」「あ、当たった」「山勘!?」「いや、そうだったとは。そうかそうか」 聞きだす為にはまず誘導、基本だな。「……うー、そうですね。確かに出来ます」「なら、それでさせて貰うぜ」「……でもですね、なぜこの方法があるのに今までのあなたが選ばなかったのか分かりますか?」 俺が選ばなかった……? そんな訳があるか、こんな攻略情報を手放しててたってのか? ないない。「何か、どうせお前が教えなかったんだろ?」「失礼な! というかなんであなたは私がそんなことが出来るとそもそも断定してるんですか?」「え、違うの?」 ここまで話といて、その質問はどうかと。なにせ何度も違う世界の俺を見てきているはずだ。「いえ……まあ、出来ますよ――はっ、これも山勘!?」「いや、デジャブを少し思い出してな」「凄いピンポイントですね!」「……ああ、あああ。思い出して来たぞ……てか何で俺はそれまでの事を忘れていたんだろうな?」 俺は確かに思い出されていく。今年の夏までの出来事と、殆ど同じこと以前にも経験していた――そして隣にはホニさんが居て。 それが疑問だ、デジャブ程度で深層心理が思っていることぐらいしか何故俺は知れていなかったのか。 そして彼女はまた衝撃的なことを言い放つ。 「それは――あなたが望んだからですよ?」「……へ?」 これまた素っ頓狂な声をあげてしまう。それは、まさか。というような疑問が大きく含まれていた。「もう一度言いましょう。あなたが記憶を消してほしい、と訴えてきたからです」「…………」 俺が、か。まあ、確かにホニさんの殺される場面は覚えていたいとは思えない。 ただそれは逃げているだけじゃないのか? かつての俺は――「”俺は世界をやり直して、最初から困難を超えて行きたい”って言った時と”俺はこの記憶を持っていたら押しつぶされるかもしれない……だから消してくれ”というようにですね」 なるほどな、俺は。今までの俺は自分の意思でその道を選んだってことか。「は」「は?」「ははははははははははははははははははははははははははははははっ!」「なっ!?」 俺は爆笑する。「今は笑いどころじゃないと思いますよ!?」「ああ、分かってる。これは皮肉だ、自分に向けての嘲笑だ」「え、それはどういう――」 俺は声を大にして、今度こそ腹から声を出すように深呼吸をして――「とんだヘタレだな、かつての俺はぁ! 逃げてんじゃねえぞ、このクソヘタレ野郎ぉ! やり直す? 笑わせるな、それは逃避だ敗北だ! この知った事実を何で教えずに次の俺に丸投げってか……反吐が出る」 思ったことを声に出す。それはかつての未来に託す……いや問題を放り投げていったかつての俺への怒り。 聞いただけでふつふつと怒りが募っていく……この世界は気に入らないから、プレッシャーだから止める、と?「ちょ、下之ユウジ! キャラが変わっていましてよ」「ああ、キャラは変わった。いままでのヘタレで終わらせてたまるか! 確かに俺の死ぬ間際の記憶は消し去りたい、だがな。それまでの大切な思い出までも消してることに気付かねえのかな、クソみたいな俺は! 全部投げ出したら楽にはなれる、だがそれで世界を物語を繰り返してどうなるよ。過ちを繰り返してどうすんだよ!」「………………」 一人語りを一旦止めて、俺は俺の突然の発狂ぶりに呆気を取られている女生徒へと向き直る。「だから、いいか。俺はこの悲劇を惨状を繰り返さないからな。だから俺はさっき言った通りに、二週間前から始めさせて貰うぞ? 出来るよな?」「……はい、あなたが望むなら」「よし、じゃあ早速行かせてもらう。今度は絶対に死なないし、死なせもしない。違う未来を進んでやる!」「……分かりました。記憶はそのままでいいんですね?」「ああ、この楽しく辛いホニさんとの記憶は絶対に消さねえ」 ……今まで俺と同じようにはならない、逃げない。 決意を思い出す。俺自身を守り、ホニさんを守り、日常も守る――未来をカンニング出来た今では、そんな未来には辿りつけるはずだ。「……前回の物語のあなたとはまた違いますね、ここまで熱血だとは」「ホニさんの可愛さの為なら俺は死ぬ気……いや生きる気で全て守り抜いてやる」「日本語とキャラ間違ってますよ」「確かに今までの逃げてた俺からしたら間違ってる――だが、これからが。今の俺が正史になってやる」「……ビックマワスですね。負けてまたここに来た時は恥ずかしいですね」「たしかにそれは恥ずかしいな。でも俺は何度繰り返しても、この記憶を消すつもりはない!」「……あなたが心変わりしなければ、そういう決意をするあなたは私のタイプです」「いや、いきなりそんなこと告白されても」「まあ、下之ユウジを私は気に入ってますから。言うでしょう? 好きな子ほど苛めたい」「少し同意しておくが……俺は今まで苛められてたんだな」「まだ序の口です」「……過去の俺はお前のせいでヘタレたんじゃないだろうか」「まさかとんでもない、元が駄目だったからどうしようもないですよ」「……相変わらずに苛めるなあ」「えへ」「褒めてはいない」「……それでは二週間前ですね? 一応二週間の理由を聞きたいのですが。前日でも一か月前でも戦闘後以外なら私は戻せますよ?」「ああ、思い当たる節があってな。二週間ぐらいあればなんとか十分だ」「……そうですか、じゃあそこに寝て下さい」「ああ、俺の席な……座り慣れてる」「じゃあ、今度こそは――」「過ちを繰り返さない、次の俺に託すつもりは滅法ない。俺は未来を目指す」「……良い顔です。それでは」「おやすみ――」 意識は遠のいていく、そして闇の中で時は遡っていった。 一日、二日、五日、一週間、そして二週間。 俺はその悲劇の、最悪の結末を知りながら、世界を戻る。「さあ、これからが本当の闘いだ。がんばれよ、俺」 そして意識は覚醒し、瞳には強い日差しの光が差しこんで来る。 それは朝、いつもは調子の悪かった夏休みの朝。 携帯ディスプレイを開けば、そこには―― 七月二九日。* *「……ふぅ」 なんというかいきなりに嵐のような人になりましたね、下之ユウジは。「でも」 今までの”逃げ”の彼よりは何百倍もマシです。「正直今回も消すんだろうかと」 思ってましたから。ヘタレて全てをやり直し、何も知らない自分への丸投げ。「でも」 あなたが死ぬ未来だけではないことを、下之ユウジは気付けていたでしょうか?「少なくとも、あの戦いで生き残っても」 結局はバッドエンドを迎えてしまっていたのですが。「桐の言ったことを、覚えていると良いのですけど」 『ホニに力を使わせるな』と。桐は念押しのように言っていましたね。「でも……今回の彼は大丈夫でしょう」 今まで”十回”ほど、この物語を繰り返す下之ユウジを見てきた私が言うのだから間違いないです。「頑張ってください、下之ユウジ」 その意気で、未来に突き進んでください。次の物語に進む為にも、この世界をやり直すことがないように。「……あの子がそろそろ、私に気付く頃ですから」 ――その響く声は途端に途絶え、その人影は消え失せる。空虚な教室には誰もいない、ただただ空の机が並ぶのみ。* *「……本当に戻って来れたってことか」 身体にあるであろう切り傷や刺し傷を触って確かめるも、その類は見つからない。至って普通の戦い前の健全な肉体だ。 日付が本当であるならば、これは俺たちが敗北し消された二週間前の雨澄との戦いの日。次の週を最後にして雨澄が戦いに参加することを止める。「(にしてもあれはなんだったんだ?)」 最後の日も最初は雨澄の虚界というのを空の色、世界の色は示していた。 しかしそれが唐突にも途切れ、剣使いの作りだした虚界――反転した世界へと姿を変えた。「(剣使いは何か言っていなかったか?)」 仲間が力尽きた――と、現れ様にそんなことを言われた記憶が有る。「(それは雨澄が力尽きたって解釈でいいのか……?)」 それも虚界を作りだせた直後ということになる。 アロンツの奴らがそれぞれの世界の色を持っていて、しかしそれぞれ持てる色が複数が存在したとしたら――という可能性を除くことが前提だが。 「それよりも考えるべきは……そうだな」 なぜ負けたか、だ。 敗北理由を思えばまず最初に”俺の実力不足”が大いにあるのだろうが、本当にそれだけだろうか。「桐の疲労は少し前からも有ったはず」 それが蓄積して結果、あの戦いの当日に吹っ切れ倒れた――タイミンブを考えればあながち外れてもいないだろう。 桐が戦闘に参加する度、その後も翌日も不調で最近ではそれを引きずっていた印象さえあった。「それから考えだされる答えは――」 桐の疲労の要因は”チート”俺に与える力と鍛える為に世界を維持し的当てを用意し、ホニさんを戦いの中で流れ弾から、敵の攻撃から守る力。 おそらくは謎ドリンクも、謎薬も、治癒の力も……言ってしまえばファンタジー、一般人が出来るようなことでは一つだとしても有り得ない。 それを全て行っているのが、口調こそ老婆だが外見は幼い子供。「相当に負荷がかかってたってことだよな……」 その負荷は日に日に増し、戦う度に回復することは殆どなかった。 俺の部屋にふらふらと入ってきては気付かぬ間に寝息をたてている桐の姿を思い出す。 それは心底疲れているように見えて、少なからず寝る回数が増えたことで限界が近づいていたのだろう。 それとすべき雨澄以外の銃使いやアロンツの他メンバーの対策をしたくても出来なかったのもキャパオーバーでこれ以上の的当てを顕現することに力を割り当てられなかった……ということで間違いないだろう。 そして俺の重量制御の時間が減少していたのも、謎ドリンクの支給が減っていたのも。 チートを抑える為。 あからさまでないほどにチートを抑制し、負担を軽減する為。「(…………ごめんな、俺は気付けなくて)」 心底情けない、俺は頼りすぎていたことに気付くことも出来ないなんて。それが当たり前で、ご都合展開と割り切っていたなんて。 なんて調子が良いんだろう、どれほどまでに主人公という自分の立場に陶酔していたのか。「(それでも……桐の存在は必要不可欠なんだよな)」 俺の無力さを改めて実感するが、桐のチートが無いことでは完全に敗北の道しかない。 俺の数か月程度の付け焼刃の鍛錬だけが実を結び、対抗する手段にはほぼならないだろう。 桐のサポートはあまりにも重要だった。「(ということはどれだけ負荷を減らすか、か)」 それは非情すぎることだった。それでも俺はこれを乗り切る為には桐を活用しなければならない。 最悪の結末を向かえない為に、桐の疲労が遅れるように。「(この戦いが終わったら、何か奢ってやらないとな)」 一日コキ使うのも構わない、おそらくはそんなことだけじゃ返せないほどの罪を俺は重ねるのだ。 しかし今のは同じフラグでも完全なる”勝利フラグ”と、言っておこう。これだけは俺が成し遂げるべき事柄だ。 鍛錬でもチート、雨澄との戦闘でもチート。そのチートの回数を抑えることで桐の疲労を抑えることが出来るならば――「俺が桐のサポート分も頑張ればいい」 って、ことだ。 鍛錬はゆっくりと時間の流れる桐の世界を使わずにリアルタイムで、俺が自主鍛錬をする。 雨澄の戦闘ではあまり飛行を使わずに地上でホニさんと桐を守りながら逃げ切ればいい。「後者に関しては原点回帰ってところ……か?」 最初に訪れた日常の破壊。その時俺は抗うすべなくホニさんと逃げていた。「今では少なからずも力は……あるはず」 あのときよりはマシになっている……と、思いたい。 手助けなしに何処まで出来るのか、と。「自分との戦いだな……こりゃ」 鍛錬は休む時間があったからこそ、あれだけの膨大な鍛錬量をこなしてこれた。 あれだけの鍛錬の疲労を謎ドリンクで、体に鞭打つ結果とはいえ抑制してきた。 雨澄との戦いで俺がしくじったことで流れ向かう矢を弾き、俺に翼を預け、戦いの傷を癒させた。「これだけのことを俺は……やるのか。でも――」 これが最後の弱音だ。 俺は大見栄張って、夢の中のあの人に言ったはずだ。決意を改めてしたはずだ。『今度は絶対に死なないし、死なせもしない。違う未来を進んでやる』 俺自身を守り、ホニさんを守り、日常も守る。もちろんその中には桐も家族みんなも入る。 あの夢のあとに少しずつ思いだすのは俺のかつての敗北の光景。俺は剣使いの前にも銃使いに負けることも、雨澄に負けることも――ホニさんが消えることも展開として存在する。 それまでの俺はあの人言うとおりなら”未来に託した”俺が殆どであったこと。 言い方を変えれば今を諦めて、抗う事を止めて、次の俺へと丸投げした責任を放棄した卑怯な自分。「俺は変われる……変わらないといけないな」 生き抜く為にも、守る為にも。そう、俺は今日から、この瞬間から。「……俺はどれだけ我儘で偽善者でも、これだけは通してやる」 意地悪く、諦め悪く。俺は――「俺の戦いはこれからだ」 新たな決意を胸に立ちあがった――その直後にやってくるのは桐。 ドアを壊す勢いで叩き開け、息を切らして俺に矢継ぎ早に言い放つ。「ユ、ユウジ!? どういうことじゃっ、時がどうして今に巻き戻っておるのじゃ! 本来ならば、本来ならばっ……!」 ……なるほどな、桐は全て知ってるのか。確かに桐は攻略情報を知っているはずだけども……把握できてたのか。 おそらく桐はホニさんが消えゆく未来も考えて、ホニさんには力を使うなと言ったのだろう。 だからきっと、あの敗北の記憶も残っているはず。「うぬぬ、わしがもっと上手く立ちまわれていれば、今までの世界だと一番良い展開だったと言うのに……」 ははあ、やっぱりに桐もあの人と同じように世界を見れているということか。 しかし俺は桐にいらん心配をかけないように、変に気を使わせないように、勘付かれないように――白を切ることを遂行する。「桐? 何言ってんだ?」「そもそもこのような二週間前などという時期ではなくゲーム開始時期の――は? え、ん? ……分からないのか?」 今まで弾丸のように喋る桐が途端にトーンを落として、その問いを口にする。「何を言っているのか俺にはさっぱり」 おそらく桐の言っていることは俺の知り得た知識が無ければチンプンカンプンだったこと請け合いだ。 そうなればこの反応は間違っていないはず。「そ、そうか……ならなんでもない、テレビゲームのやりすぎのようじゃな。う、うむ。疲れているのかもしれないな――」 溜息をつき、安堵したように、それでいて少しばかり残念そうな表情を浮かべる桐は部屋を後にしようと背中を向ける。 ……しかし、それを俺は呼びとめた。「疲れてる……か。そうなら俺は桐に言いたいことがあったんだった」「なんじゃ? 少し改まってからに――」 こちらを振り返って、怪訝そうに見上げる桐に。俺は言い放った。「これから二週間、桐はチート……てか能力の使用は禁止な」 その時の桐の顔を俺はよく覚えている。 呆然と、目を見開き口をだらしなく開けて、ただ茫然と。 なにをコイツは言っているのだろうという疑惑と正気の沙汰をじゃないだろうというような表情で。「お、お主! それは何故に――」「それは……気分だ。だとしても絶対な?」 俺はそうしてニヤリ笑みをつくる。 そう、これからが俺の本当の戦いだ。「お主正気で言っておるのか!?」「ああ、そうだ」 俺は桐にこう要求する「お前は二週間の間空間を作ることも、俺をサポートすることも原則禁止だ」と。 桐の反論は当たり前だった。「そんなこと無理じゃ! 不可能じゃ! お主一人でなんとかできることではない!」「いや、なんとかしてみせる」「いきなりに何故そんなことを言いだす! 今までユウジはわしのサポートを受けていたというのに」「そうだな……ケジメって奴だ」「い、意味がわからぬ」 分からなくていい、でも桐に力を使わせずに疲労を抑えることで二週間後には――「その代わりに二週間後の戦いでは全力でサポートしてほしい」「二週間後……! お、お主っ! やはり未来を知って――」「……まあホラ吹いても仕方ないな」 そうして俺が知っていることを話す。その未来さえ知ってはいたが俺の口からそれらが出ることに桐は驚愕を示していた。「……それでお主は最初からやり直す選択肢を除けて、こうして二週間前に遡ったということか」「ああ」 この貴重な記憶を残したまま、世界を戻った。過ちをもう繰り返さないように、誰も消えないように。 しかし桐はふるふると肩を震わせ俯きながら俺を怒鳴りつける。「駄目じゃ駄目じゃ駄目じゃ!」「……なんでだよ」「そんなことをしてしまったら……お主は」「いつもの何倍の危機に晒され、回復の手段もない。予防線無しの命を賭けた戦いだ」「そこまで理解してなおそんなことをぬかすのか……っ」「理解したからこそ、俺は決意できた」 全てを守ると。「いいや、今度こそわしはヘマはせぬ。わしがお主を全力でサポートするぞ。今回のわしは一味二味も違うでの、そう簡単に倒れは――」「倒れることでサポートを受けられない。俺が桐の力だけを目当てにしてると……本気で思ってるのか?」「…………」「心詠めるなら分かるだろ?」「……わしを思ってのことじゃろ」「そうだな」 声のトーンが落ちて、少しの間が空いた。そして桐は声をはりあげて苦痛の叫びをあげた。「……わしは、わしは! これ以上お主を傷つけたくなどない! 今までも散々お主に酷なことを強いさせた……だからわしが出来ることは最大限に行うのじゃあ!」 駄々をこねるように、自分の我を通そうと俺に思いをぶつける。 「俺は少なくとも桐に酷な事を強いられた覚えはないな」「……しかしっ! おそらくお主が知り得ぬところでも――」「知らない、分からない、記憶にない。だから俺はそんなことどうでもいい。俺は桐が見るからに疲れて今にも緊張が解けた途端に倒れてしまいそうなほどに、衰弱した桐の姿を俺は見たくない」「わしは努力する! だから、の? わしも手伝わせてくれ、そうでないとわしは……」 とり憑かれるほどに俺の助力をすると執着し、知らせれた自分が何もできない事実の拒絶。 桐は病んでいたのだと思う。俺の少し蘇る、何度も繰り返す世界を、物語を過ごして。 俺がもしそれを覚えていたら平静を保てていただろうか、今はこうして一つの記憶を鮮明に残しているだけで思いだしたとはいえそれ以前のことはおぼろげだ。 しかし桐はその全てを経験し知っているのだろう。それ故にここまで執着する――自分が力になると、サポートすると。「なあ桐、その戦いが終わったらどっか遊びに行こうぜ。家族皆で」「い、今に何を言うのじゃ! それに、それは……」「死亡フラグってか? そんなフラグは俺が叩き折る、俺たちは生き残ってみせる」「……その自信はどころから来るのじゃ、どうしてそこまで自分でなんとかしようとするのじゃ」「自信の元は”守りたいものがあるから”ってところだ。自分でなんとか云々は――桐、お前にも言えたことだろう?」 そうして俺は桐を説得して、二週間の間チートの封印を約束させた。 それでも不安そうで不服そうで悔しそうだったが……こればっかりは仕方ない。 俺はこれでも二週間後に桐に動いて貰うのも躊躇している。でも、桐の力なしに剣使いは倒せない。「(脚力と腕力が必要か……)」 そうして訪れる戦い。 それは午後の二時のことだった。「ホニさん、桐っ!」「うむっ」「うんっ」 桐は力を行使しない条件として”わしも連れて行け”と言われた。 『……わかった。だが力を使わずに俺はお前とホニさんと守るからな』 それを聞いてもしかして迷惑をかけるだけではと、はっとなる桐だが「お前から言ったことだろ? 安心しろ、俺が守る」と言うと黙った。 だから俺は翼を預けられることはない、地上でふりそそぐ矢を鉈で打ち払うのみ。傷も癒せない、身を守る術もこの鉈のみ。「――見つけた」「見つけられた……っと!」 早速に撃ちだされる矢を俺は弾き近くのブロック塀にぶつけて落とす。 俺は地上で桐がホニさんを連れる中で、後ろ向きに進み空を見上げながらその雨澄を見据える。 空で遭遇する雨澄よりも小さく見えるどころか強大にさえ見える……天と地の差とは恐ろしまでに幅があるものだ。「たあぁっ」 周りこむように桐とホニさんの進行方向へと矢を放った瞬間に俺は、翼を持った時ではないしろ、かつて比べれば格段に増した跳躍で前に躍り出てそれを弾いた。「――なぜ空へと来ない」「飛ぶ必要がないと思ったからだっ!」 話してる間だと”手が御留守”なんてことはなく矢継ぎ早に矢が向けられていた。 ペン回しの要領でクルクルと回る何キログラムかは有る鉈を振りまわすことで金属と木製のハイブリッドとは言えあらゆるものを弾く巨大な扇風機の羽のようなものとなる。 それを秒速六回転というもはや常人の域を超えてかくし芸大会でも上位に食い込めそうな能力を自力で身に付けてそれを回し、弾き飛ばす。 鉈の角度を調整して流れ弾が後ろや前や横にいるホニさんたちに当たらないように直前直前で変えながら矢を確実に飛ばしていいった。「――今日こそは」 そうして空に浮かぶは無数の弓と矢の組。「桐っ、ホニさん走るぞ!」「うむ(うんっ)」 正直これを相手にするのはヤバい、桐の助力が無ければ死に向かうことだろう。 今も完全無傷ではなく擦りキズかすり傷、切り傷はある。しかしそれがたまたま大本を逸らしただけであって――命の危機には変わりない。「桐っ、手を!」「うむ!」 がしりと俺の手を掴むと俺は鍛錬で身に付けた脚力で走り駆ける。 空からは空気を裂く音が聞こえ始め、もう少しで無数の矢が到達するだろう。 しかし前方には以前桐に教えてもらった”虚界の終わり”見えてくる。 ガラスのケースの外に出るような、その境界の先にはいつも通りの世界が広がっている。「いっけえええええええええええ」 滑り込むように二人を連れて、俺は地面を蹴り飛ばす――そして俺が越え、桐が越え、ホニさんが越え―― そうして俺は一人でまず一つのことを成し遂げることが出来た。「はぁはぁはぁはぁ……桐、これでいいだろ?」「…………侮っていたな、すまぬ」 そうして俺たちは元へと戻った世界で、少しの傷が痛みはじめながら家へと戻って行った。 七月三十日 分かったことだが、剣使いと戦うところから今までの未来に”付くはずだった”筋肉や俊敏性は無くなっていた。 おそらくは二週間分の鍛錬で得たことはリセットされている形になる。戦いの際に動けていた部分が少し遅れるので感覚を掴むのには時間を要した。 なんとか体が馴染んだところで――「じゃあ行ってくるわ」「気を付けるのじゃぞ……?」 俺が玄関でスニーカーに履き替えていると、送りに来た桐がいつも以上に不安げに顔を沈めて言った。「なーに、なんで今頃そんな心配してんだよ――」 そうして桐の作りだす時間がゆっくりと進む世界の中で行ってきた”チート”を使うことなく行える鍛錬を一人で行い始める。 通気性のよいTシャツと半ズボンの夏真っ盛りの日差し照る照る空の下を駆ける為のかなりの軽装で首には汗拭き用のタオルを巻き付け体をほぐしていった。「……よっしゃ、町内十周だな」 筋を伸ばし足をほぐし終えたところで、俺は走り出す。「……よっしゃ!」 俺はそうして走り出す。その日は三十四度を軽く越える猛暑日だったという。 八月二日「あっついわっ!」 ぜぇぜぇはぁはぁと息を荒げなが天を仰いで叫ぶ。正直叫んだところで心頭滅却ならぬ心頭冷却になりもせずに余計な虚脱感を生むだけなのだが。 おいおい太陽さんはどうしたことなんだ、この暑さはなんですか。とある猛暑の機械壊し(パソコンキラー)ですか。 流石の俺でも脂汗が出るわ出るわの大出汗サービスだよ。もう少し人類や地上を生きる植物や動物たちに優しくしてもいいんでないですかい? ……こんな事態になってるのも人類が生み出した科学文明の弊害ですが、申し訳ないと思いつつもそれでも暑いっ!「冬が恋しくなるもんだ」 一方冬であれば寒さの余り夏が恋しくなる。やっぱり季節はその中間を取るような過ごし易い気候が多い春と秋がいいね。 「……よし、休んだな」 自分に言い聞かせ、俺はそうして駆けだす。 今日の気温は三十五度越え、海に町が面していても少なからず涼しくなる要素であろう潮風は殆ど来ない。八月五日「…………つー」 空は黒、腕についた安物アナログ時計の太い針は七を指す。 未だに即席で蒸しパンを作れるばかりに蒸して、それでまた暑い気が立ち込める空の元。 俺は学校側の商店街の入口で待ち合わせをしていた――そう、今日は夏祭り。 俺にとっては何度も、おそらく忘れているであろうこの世界の町の人が経験したであろう夏祭り。 俺ともう一人を除いて、同じ物語を繰り返す。そんな中の一コマで、今までの夏休みの日々もそれ以前もそうだった。 姫城さん、ユキとやってきてユイと姉貴とホニさんがやってくる。マサヒロは誰だか忘れた。「ユウジ様っ」 相変わらずの着こなしをする姫城さんに見惚れながらも話していると、続々とやってくる。 かつてと同じように桐は今日来ていない。 * * 桐の容体……と言うと難だが、正直前回とは比べ物にならないほどに元気で活発だった。 俺の部屋には毎日来ているものの、寝ることなく俺と話したり戯れていた(ほぼ一方的に) 声だけ言葉だけが元気な桐よりも、俺を襲う事を歓迎してはいないが、大分マシだった。 俺が桐のサポートを受けないだけで、桐の体調が大きく変化することがなく――桐のチートがどれだけ桐の体を削っていたのかが分かる事象でもあった。 それでもおそらくは”あの戦い”から二週間前、その以前までの疲労は蓄積されていると思うので安心は出来ない。 ……決して望むわけではないが、やはり俺にはどうしても桐が必要で。だから”あの戦い”で出せる力を今は留めて置いてほしい。 俺がどれだけ卑怯で冷酷なことを桐に要求しているのか――分かっているはずなのに桐は「無理はするのじゃないぞ」の一点張り。 だから今の今までも自分が出来ることはしてきた。 温度も時間も管理された桐の世界で行う鍛錬とはまた違って時間を通常通り削り、鍛錬内容も限られる――それでも俺は”あの戦い”での俺に近づけるように毎日鍛錬を積んできた。「……無駄になんてしてたまるか」 もう一度物語を繰り返すことがないように、消されてしまわないように。俺はその日まで――* * 桐が外に出てどうということも無いが、桐は自ら遠慮した。 だから俺も無理に誘わずいつものメンバーで祭りへと繰り出した。「あー。置いてかれたか、はぐれたっぽいな」「ごめんね、ユウジさん……我が浮かれていたせいで」「いやいやホニさんのせいじゃないぞ……うーむ」 俺は以前と同じようにホニさんと二人回っていた、まあ前述の通りにはぐれてしまった訳で。「よし、ホニさん。これから俺とデートしようぜ!」「えっ、デ、デート!? アートでも芸術でも爆発でもなくて!?」「うん。言葉遊びがパワーアップしてるけども、それは少し無理があるな」 そんなホニさんの天然の間違を正すのも、心地よい――って俺が粗を探したいとかではなくて! ホニさんと一緒に歩いて暮らせて過ごせるのが俺はとても幸せで。 未来を知らないホニさんは隣を笑顔で居てくれて……俺はその努力が少しでも報われる、もっと頑張れる気分にさせてくれる。「よーし、パパがんばっちゃうぞー」「ユウジさんがパパ……! もしかしてユウジさんには隠し子が!?」「ああ。昼ドラの見すぎは良くないぞ」 そうして楽しい時間は過ぎて、時折デジャブを感じるものの、一応思いだし知っている今では殆ど違和感はもうなかった。 八月八日 あの戦いまで一週間を切り、俺は相変わらず鍛錬に力を入れる。 鍛錬と言っても駆けこむだけではなく。腕力も付ける為に腕立て伏せやら、機動力を上げる為に腹筋やらは屋内の自分の部屋で行い、桐に傍で監修して貰っている。「更に体を上げるのじゃ!」「お、おう」 桐はなんだかんだで指導が上手く、屋内運動の教師は桐にまかせっきりだった。 桐の表情は健康的で、その年相応の白い肌に淡い桃色の頬。俺の今まで見てきた健常な桐の姿だった。 八月十日 一週間前からあることを始めて剣道場へと来ていた。 エアコンがあるはずもない剣道場は剣道部員の汗水を濃縮還元したかのような強烈な臭いが立ち込めて、吐き気を催すほどの悪環境だった。 丁度この時期の剣道部員は遠征していて、今はもぬけの殻。じゃあだからといってただ一年生の俺が言って使わせてくれる訳ではない。 そう――「おまたせユウくん!」 黒い装束に胴と垂れを付けて右手に小手を両手分、左手に面を持って歩いてくる姉貴の姿。 そう、俺は姉貴に手ほどきをして貰っていた。「ああ、毎日悪い。姉貴」 俺も姉貴と同じ姿、同じ持ち物で礼を言う。「ううん。ユウくんがやりたいって言うんだから私はいいんだよ、それに……ユウくんのスポーツやってる姿を間近で見れるなんて……もう学校生活が終わってもいいよ」「いやいや俺の運動姿見ただけで学校を終わらせちゃだめだから!」「それだけ嬉しいってこと! だってユウくんとは学年が違うから、そう一緒に運動する機会もないし……本当に嬉しいんだよ?」「姉貴……」「でもユウくんだからといって、私は手加減しません! だってユウくんにも剣道にも失礼だもんね」「それでいいんだ。ありがとな、姉貴」「そう言われると照れちゃうな――うんっ、じゃあ面付けて?」「おう」 姉貴は容姿端麗成績優秀、それでいてスポーツ万能だった。 二年から始まっている剣道では、時折行われる授業内での試合では負けなしだとか。 そんな姉貴に一週間前打診して理由も聞かずに「うん、いいよ」と了承した上で生徒会副会長権限で今は居ない剣道部員に申しつけて、貸して貰ったという。 学校の殆どの設備が開いていない土日を除いて、俺と姉貴は剣道場へと訪れ、授業で使う胴着を貸して貰った上で行っていた。「後ろは結べた?」「ああ、出来た」「竹刀持って……じゃあ始めるよ――」 姉貴がたぁっと大きく掛け声をあげたことで本格的にそれは始まる。「――ェンッ」「くぅっ」 一撃一撃が女性である姉貴とは思えないほどに重い、竹でなくアクリルで出来た竹刀の剣先が俺の持つ竹刀の剣先を叩き軽快な音を道場全体に響かせる。 一つの動きが終わると、気づけばもう次の動きを遂行し振りかざされる。そして身なりの軽い姉貴は俊敏に動き回り俺の目を惑わす。「たぁぁっ」「がっ」 面の寸前にまで迫った剣をなんとか受け止めて鍔迫(つばぜ)り合いの後に弾き飛ばす。姉貴が後ろへと退くも臨戦体制は一向に崩す気配がない。 少しでもこちらが先に出ようモものなら一閃されること間違いない。俺が鍛錬で動きが鮮明に俊敏になっても良くて互角、本当に身を守らなければ一本を容易に取られる。「っ――!」「たっ」 アクリルとアクリルがぶつかる音は思いのほか軽いながらも大きく音を震わせる、竹刀がぶつかる度に僅かだが歪むほどでもあった。 そして攻めのパターンも”面”だけでなく腰を突然に落とし俺が面を打とうとしたところで”胴”を打たれる。振り上げ胴をしようものなら一瞬の隙に”小手”を受ける。 姉貴は強い。初日は姉貴はこういう場では誠意を持って戦うので手加減なしに何度も一本を取られたことが思い出される。 姉貴を過小評価していた訳ではない、それでも俺の技術は剣使いと戦う前では皆無だったのだ。剣道という運動の中でそれを思い知らされた。 竹刀が真剣だったらどうなるか――俺はとっくのとうに剣先で切られ胴体が二分割されていてもおかしくない。 それでも俺は全く敵わない訳ではない、最近は。始めの数日と違って姉貴に一本を取れるようにもなっていた。 そして僅かな一瞬――引き面をしようと後ろ退いてやってくるところで、俺は腰を落とし体を半分回転させて。「ドォッ――――」 姉貴の胴を竹刀が撃ち叩いた。 動きは止まり姉貴は竹刀を帯刀して下ろして、面を脱いだ。 その時に窮屈に押し込められたかのようにされた纏められた茶髪がさらさらと舞う。 汗を額に残して新鮮な空気に触れられたことを喜ぶように顔を振って少し張り付いた前髪を揺らした。「ユウくん上手くなったねー」「ああ、それもこれも姉貴の指導の賜物だぜ」「ユウくん、またまた御上手」 先に面を脱いで予め持ってきていた水に濡れたタオルを手渡すと「ありがとね」と言って受け取って顔から首筋までを拭いた。「ユウくんも男の子だもん、お姉ちゃんよりも強くなるんだよね」「いやいや、まだまだだって。姉貴にはかなわないよ」「ううん、ユウくんはすっごい上手になった! お姉ちゃんとしてユウくんの成長は嬉しいです!」「どうもありがとうございます」「でもユウくんが相手して欲しいって言うからてっきり――○○の練習かと」「……それは規制入るから言わないでくれ」「え、ユウくん授業だと柔道だよね? あれ?」「……うん、合ってた。俺が間違ってた」 ありゃー、俺もなんか青少年的間違えをしてしまったようだ。「主に寝技とか寝技とか寝技とか○伽とか」「最後は絶対におとぎばなしの”御伽”ではないよなあ!?」「お姉ちゃんに言わせるものじゃないのっ」「弟に言わせることじゃねえ……」「ふふっ、やっぱりユウくんと一緒だと楽しいね」「俺も姉貴と居ると――飽きないよ」 色んな意味で。「じゃあもう少しやろっか、水分補給する?」「ああ、じゃあ貰う」「はい、関節キス」「……いただきます」 一応これはスルーした、と捉えてほしい。うん、一応はね? 俺が剣道を始めたのは……一応相手が剣使いで風を巻き起こすような強大な力を振るうとはいえ剣捌きでもあるということ。 だから俺は剣道を教えてもらった。体制や撃ち方とかもろもろ、そして実際に試合もやってもいる。「(気休めでも、少しぐらいなら分かれるはず)」 剣の動きを、人の動きを覚えられることだけでもかなり有用だ。 そうして姉貴との蒸し風呂同然の剣道場で打ち合い、打ち打たれての稽古が再開される――八月十一日 前日のこと。俺は鉈を研ぐ一方で桐と話していた。「明日は――それで頼む」「でもそれだけで良いのか?」「後は、その時だけ重量制御とホニさんを守ってほしい」「うむ、了解した」「じゃあ、また明日」「……今度は大丈夫じゃ、言っていいのかわからぬが。今回のお主は今までとは違う」「変われたように見えるなら成功、そして明日を切り抜けられるなら――」「大成功じゃな」「おやすみ、桐」「おやすみじゃ、ユウジ」 そうして――当日を迎える。八月十二日 机に置かれた二週間前に作ってあった謎ドリンクをポケットに入れ、桐が予め保管していたという、錠剤タイプの謎ドリンク(この表現だと意味不明だが)を口に忍ばせ、いざという時に弾けて体に浸透するようにした。 磨き抜かれた鉈は今まで山に登ってそこらに落ちている切り倒された木々などを切って裂いて、切れ味も維持しながらもより動きがスムーズになっている。 姉貴の稽古のおかげで身に着いた体の動きと力の入れ方、抜き方。剣の動きと敵の動き。鉈捌きも結構に変わっていた。 「今回は必ずに」 ホニさんとの日常も過ごしながらも、俺はしっかりと努力してきた。 さあ。これが戦いだ。最後に出来るならしてしまえ――甘えの俺は捨てて、本気でかかる。 生き残るために、俺の身をホニさんを日常を守る為に。「っ――」 そうして三人外へと出る。世界の色は変わり、そのあと二度目の変化を遂げる。 反転した色の世界で剣を背負った青年が空から見下ろしていた。 「行くぞっ!」「うぬ(うん!)」 右手には鉈、下方へと刃を下ろした状態で箸から手一つ分のところで柄を握る。 ただの木製で、ただの円柱を体(てい)をしていたそれは今では驚くほどに手に馴染んでいる。 鍛錬で走り込み終わるころには足は筋肉痛で、鉈を振るえるようにバットを振り回せば腕が悲鳴をあげる。 それでも俺は今までの、夏休みの時間を、与えられた二週間の猶予を必死の思いで努力を重ねた。 悔し紛れ、付け焼刃。 剣道を姉貴にしごいてもらったからといって本物の剣使いである相手から一本が取れるとは思っていない。 そんなことで倒せるならば、なんて甘い世界なんだろうと。 しかし俺はそんな甘い世界にすがる。 一瞬の隙と僅かなチャンスにかける。 あまりにも一方的で惨く残酷で、そんな惨状を示してしまった前回の戦い。いや戦いではなく一方通行の弄り殴られだったのかもしれない。 だとしても、俺は――「(全てを守ってみせるっ)」「――重量制御。人物指定男一人、綿毛のような軽さへと――書換(チェンジ)。追加申請、重量制御を指定した人物への一任。制限時間十一分三七秒」 その時俺には二週間ぶりとも思える翼が生えた。 地球の引力やら重力に成すすべなく平伏していた今までの鍛錬や戦いとは違う――あまりにも身軽な自分。 そうして地面を大きく蹴飛ばし剣使いの居座る空へと俺は飛び向かう。「来たね、それじゃあ消させてもらうよ」 男は背負う剣を鞘から引き抜き両手で前へと構える姿勢に持っていく、そこに達する過程だけで空気がかき混ぜられ疾風のごとくな風が吹き荒れるのだから、それはもう強い。 でもこれで吹き飛ばされてはいけない、あくまで口内を潰さないように口を締め中の物が破裂しないように堪える。 俺は鉈を右手左手と両手でしっかりと握り畑を耕す要領で振り上げ、振りかざした――もちろん男は速く一瞬にしてその場から消えうせ、そうして風が巻き起こる。「(やっぱりはええな)」 声に出さずに鼻のみ呼吸をしながら思考する。前回の敗因の一つとして男があまりに身軽ですばやく、それでいて振りかざされる一撃があまりに強いものだったこと。 振り動かすだけで風を動かすそれは、意図的に振るうものならあらゆるものを切り裂くほどに鋭い一撃を見舞われる。 ”重量制御”で”翼”を持っていたとしても、俺ははっきり言ってそのまま追いつくのは困難を極める。体そのものは翼のおかげで動いても体そのものが持たない。 相手の振りかざされる一撃を本当に寸ばかりで避け退き、そしてまた切りかかりに男目がけて向かい飛ぶ。振り向き際にも空気がシャッフルされた。 その風に体を取られないように力を入れ体を動かさずに堪える。そう、まだ風は堪えるべきなのだ。 目の端に映るのはホニさんを連れて走る小さな陰、桐の姿。生みだされ起る風に二週間ぶりのバリア。 前回とは比べ物にならないほどに桐の状態は良く、顔色も挙動も行動も良好だ。 そう、以前とは違うのだ。「あー……君は思いのほか頑張るね、以前の厄病神もこれほどまで――」 以前と同じ言葉を発する言葉はもちろん耳に入らない。聞こえる余裕がないわけではないが、聞く価値がない。 だから俺はそうして右に左に振りかざし、その度に避けられ振られ飛ばされそうになる。「逃げても無駄だよ?」「!」 男の視線の先は地上、俺はその瞬間に空気を爆発させて飛び向かい寸前で振られた剣の一撃を食い止める。 「がっ……」 その時には体の皮膚が一瞬であちらこちらが裂けて、出血の痛みが走る。 でもまだだ、まだ動ける。まだこれは使うべきでない。「喋らないね、無言だと少し寂しいかな」 そんな敵の言葉は真面目に聞くこともなく一心不乱に鉈を振るう。やはり空気を裂くだけで相手に掠ることもままならない。「……そろそろ終わりにしよっか?」「(きた)」 渾身の一撃が来る、余りの衝撃に地面へとふるい落とされる。 剣を空へと両手で付きあげて、それを一気に振りかざした――少し高い建物が一気に砕け、俺にもその衝撃が向かい来る。「(桐、瞬間転送頼むっ)」「(了解した――瞬間転送。人物指定男一人、あらゆる場所へと一時で行ける力を持て――書換(チェンジ)。追加申請、瞬間転送を指定した人物への一任。使用回数制限五十九回――強化防膜。人物指定男一人、身を守る盾となる見透かす膜を構えろ――書換(チェンジ)。追加申請、強化防幕を指定した人物への一任。使用回数制限五十七回)」「(受け取った――守れ、そして飛べっ)」「!」 桐とホニさんが居るところまでは飛ばず、その人を切り裂く風が干渉しない位置まで瞬間的に移動し、桐の使うバリアを出来るだけ広く張った。「……そんなことも出来るんだ」 俺はそれに応えない。そして枷(かせ)を外したかのように縦横無尽に飛び動く。 背後へ、前へ、右へ、左へ、下へ、そして―― 一メートルもない真上。「たぁっ!」 力をこめて、今までとは比べ物にならないほどの勢いをつけて――振りかざす。「っ!?」 男は上に気付く頃には流石に体全てを移動することはままならない、そうして避けようとする右腕を大きく抉り取る。「がっ……やってくれたね」 剣を持ち替えず、左手で裂かれ大きく抉られた腕を抑える。「それなら僕も――手加減なしだ」「っ!」 止まっていたはずの男が背後へと周り、それに気付いた俺は体を飛ばす。 しかし――「ここだね」「なっ……!」 俺の転送地点では剣を構える男が居て、俺は転送待たずして剣の餌食になった。「があああああああああああああああああ」 左腕に大きくめり込み、それは通り抜けていく。もう少しで腕が自分から落ちてしまいそうなほどに力なくぶら下がり、一瞬にして体を駆け巡る激痛に俺は叫びをあげた。「(だめだ、痛みで動きそうもねえ……それなら、今が使いどころだ)」 一時の思考、そして俺は口に忍ばせたそれを歯で弾かせる――これは桐に貰った錠剤タイプの謎ドリンクの入った袋。 それによって口内に錠剤が瞬間の内に溶けだすことで体はその効果を受け入れる。 痛みを失くし力を増させる、これは桐謹製のチートアイテム。「うおおおおおおおおおおおおおおおおおお」「なっ」 驚く男を気にも留めずに俺は瞬間移動を繰り返した末に――「っ!」「がっ…………!」 背中を背骨まで通じるまでに差し込み抜けさせる、血糊が溢れ血が返る。 「…………君のような接続者(コネクター)はここに居ることで調和を乱す。異(コトナリ)とおなじようにね――だから僕は君を全力で消す」「なっ」 動きが一気に変貌を遂げ、今までは考えられて計算されたのように振りかざしていた剣が無造作に振り回される。「くっ……うがっ」 俺はその乱暴に振りまわされた剣を移動をすることを敵わずに受け続けた。 胸が裂かれ、腕が裂かれ、額寸前を通り抜け皮膚が切れる。 あまりにもそれは粗雑で、それ故に凶暴だった。「うわあああああああああああああああああああああ」 俺は錠剤にしたせいで効果の薄くなっていた謎ドリンクの効果が切れて、その響く痛みに移動することを念じることも出来ずに地面へと衝突する。 仰向けに投げだされてコンクリートの固い地面に体を大きく打ち付けた俺は指一本を動かせないほどまでに硬直する。「ユ、ユウジさん!?」「ホ二!」 連れられていたはずのホニさんが桐の手をほどいて、傷ついた俺を見つけて顔を真っ青にして駆け向かってくる。 そんなホニさんを桐は守りながらもこちらへと向かう。「ユウジさんユウジさん!」「あー…………」 痛みで声を出すのもおっくうだ。この体中を抉り取られた感じは慣れない。「ユウジさんっユウジさんっ!」「…………」 俺は声も出せずに、涙を流して俺を揺さぶるホニさんを見上げる。 ここで声を出さなかったら、きっとホニさんは―― 「……これ以上はユウジさんを――傷つけさせない!」 さあ声をだせ、何かを言うんだ俺。 ここで言わなかったら全てがやり直し、また世界をループする。 いいのか? 今まで日々は無駄なのか? 考えろ、声に出せ――さぁっ!「ホ……ニ、さんっ」「ユウジさん!」「ポケ……ットの」「ぽけっとの……ポケットだね!」 桐が吹き荒れる風をどうにかして抑えながらホニさんは俺のズボンのポケットをまさぐる。 左を探しては見つからず、右を探すと――そこには一瓶。「ユウジさん、これかなっ!?」「それ……を、飲ませ……」 飲ませてくれ、そうすれば、きっと俺は動きだせる。「え、ええと……どうすれば……っ!」「ホ……ニさ……んっ」 俺はホニさんがその瓶を開けると自分が飲みそして、一気に口を寄せて――「んっ――」「!?」 俺の口を塞ぐのはホニさんのそれは優しい唇、そして口内に流れ込んで来るのは美味しくない謎ドリンクの味。 どうでもいいが、ファーストキスだった。「……っし」「ユウジさん!?」 俺はドリンクの効果が表れ、痛みがすっと抜けて――力が溢れてくる。それもいつも以上に。 痛みの意識を取られて動かなかった舌がやっとのこと動き、流れるように。「ありがとう、ホニさん」「え、えっ、さっきまで、あんなに、今もあちこちから血が――」「後少しだから、行ってくるよ。ホニさん」「ユウジさんっ!?」 俺は痛みこそないが、一部が動かなくなった体を違う部分で補って飛び向かう。 そこには未だに剣を振りまわす男の姿があって――「これが、最後だああああああああああああああああああああああああああ」 一秒も留まることも無く瞬間移動を繰り返した後に、正面から一気に鉈を振りかざした。 未だに刃のような風が吹き荒れて体が裂かれている感覚がある、それでも痛みは無く俺は力をこめた―― 俺は容赦なかった。男の頂点部から腰にかけて刃一杯に抉らせた鉈で男を切り裂いた――二分割されるように体が分かれる様を見せつけられた。 握っていた大剣が落ちて行く、がっくりと裂かれた首がうなだれる。 俺はそうして人を殺した。 今までの俺は甘えていただけだった。でも今回は、これからは、だ。生き残るためには、もう遠慮はしないことを決意する。 そうして世界は消えていく。そして俺は地面へと着く頃には、意識が遠のいていた―― その後俺は目覚めることが出来て、血だらけで体のあちこちが皮一枚で繋がった瀕死で重篤の俺を。ホニさんは目を腫らせて、俺がその流される涙に気付くほどにボロボロと泣いて――そんな風に覗きこむホニさんの姿がそこにはあった。 生き残った――俺はボロボロにしながらも守れたのだ。 * * 我はこの場所に居れるのは、あの子の体を借りているから。そして我が借りることを止めた時には。 きっと、本能が言っている――我は。* * ユウジさんに出会えて、本当に楽しい日々が続いた。 今までの過ごした何百年が幾年が虚しくなるほどに、二つの季節だけで我は色々なことを知った。 遠くから眺めた町の景色も、人が物を買う為に集う商店街も、勉学の為に歩き指定された席へと座って師の教義を受ける学校(マナビヤ)も。 昼ドラというものの面白さと、人とつながる温かみと嬉しさ、人を失う悲しみと辛さ……そしてこれはおそらく一つの好意。 我はここに居たいと思った。 それは知る為に居座り続けていた理由だけではない、何かが生まれた―― ユウジさんと一緒にいたい。お姉さんや桐やユイやユキに姫城さんの近くに居たい。 ユウジさんの家へと連れて来て貰って、そうして家で一人過ごして昼ドラというものに熱中する――楽しめるものが有っても、やっぱり我は寂しかった。 桐が帰る頃には部屋を飛び出して玄関へと向かって出迎えて、ユウジさんが帰ってくれば我はとにかくユウジさんの顔が見たかった。 さびしがり屋の我はやっぱり誰かと共に居たかった。 そんな気持ちの中でも一際一緒に居たいのが――恩人で、家族で、いつも隣に居てくれるユウジさんだった。 ユウジさんが我を守ると言ってくれた時に、我は涙が出るほどに嬉しかった。それはきっとユウジさんだから。 でもそれはユウジさんに迷惑をかけるのではと考える我が有ったけれど――ユウジさんに守ってもらえるというあまりにも優しい誘惑には抗えなかった。 そのせいで、我がいるせいでユウジさんは命を狙われ。何度も何度も傷ついた。 我はそんなユウジさんの姿を見たくなかった――大事な人が傷つく様をこれ以上に見たくなかった。 だから我は自分を示して、ユウジさんに嫌われようとした。結果を考えるとそれは胸が裂けるほどに辛くてその一歩を踏み出せなかった。 我が神であることを示して――きっと、不気味か異端か、嫌われるモノと思っていた。 でも、ユウジさんは。『うん、びっくりした』 という拍子抜けした一言、聞き間違えたんじゃないかと疑うほどに。『すげえ綺麗だった』 その言葉の意味を一瞬で理解出来ずに、考える間もなく。『いやー、ホニさんは可愛いだけでなく綺麗なんだなあ。と再認識させられた』 我を可愛いと言った事実も驚いたけれど、そのを大きく上回った。 我が綺麗? こんなに不気味な力に嫌悪か恐怖を抱くのが普通だと言うのに……?『とんでもない、ずっと見ていても飽きないほどの素晴らしさだぞ?』 そして我はそんなユウジさんの言葉に魅入られて、ついそれを問いてしまった。こんな我でも、いいの? と。『どんなホニさんでも俺はいいぞ?』 更に続けてユウジさんはこう言った。そんなユウジさんの表情は和らいでいて、つい見つめてしまう。『俺じゃ役不足どころじゃないけどさ、俺がホニさんを守りたい気持ちは誰にも負ける気がしないんだ。こんな俺でよければ、これからも宜しく頼めますか?』 嬉しかった。ユウジさんがここまで我を思ってくれて、でも。我はそれでも信じられなくて。 嬉しいのに、それがあまりにも我にとって都合が良過ぎて――本当に我なんかを守ってくれていいの? ユウジさんも我のせいで、言いかけたところを遮られて。『俺はホニさんが隣に近くいてほしい、もちろんホニさんと出会えたことを絶対に後悔してなんかいない――だからホニさん、ありがとう』 我を守ると言ってくれて、我と出会えたことを後悔しないと言ってくれて、そしてお礼まで―― そうして我は吹っ切れてしまった。この人に任せたたいと、共に歩いて行きたいと。* * 学校に行くことになって、色んな人を知りあって、色んな事を知って。 タイイクサイという運動のお祭りにユウジさん達と出て、スイエイという遊泳運動をしたり、テスト勉強と言うものもした。 そんな日常の中には戦いも有って……桐に連れられユウジさんが戦う中でただ逃げるだけの我、それはもどかしいけれど、ユウジさんと桐がそれを望まなかった。 そうして日常はあっという間に過ぎて行って――そして夏の季節が訪れた。 その戦いは今までと違った。 色が違い、敵が違い、空気が違い、そしてユウジさんが違う――あらゆるものが今までの戦いと異なっていた。 そしてその時にユウジさんは大けがを負って。 それに怒り、堪えることの出来なかった我はユウジさんと桐の約束を破って、力を使った。 ユウジさんは桐のおかげで治って行き、ユウジさんはその状況を話してくれた、 でもそれにはどこか違和感があって、何かを我に隠しているようにも聞こえた。 そして我にはもっと隠していることがあった。だから責めることも聞きだすことも――絶対にあり得ない。 もしそれを聞けるとしたら、我自身のことを曝け出せてから。 でも、それでユウジさんとの繋がりが、途切れてしまうことが怖くて――臆病な我は話すことをしなかった。 そして夏祭り、あれから数日が経って、キモダメシというものに行くことになった。 そこはあまりにも見慣れた場所で――我がずっと居た場所で、あの子と出会えた場所で、ユウジに救われた場所。 ユウジさんが我と歩こうを言ってくれて嬉しい半面、我は未だに自身のことを話せずにいて――隠している罪悪感のようなもので十分に楽しむことができなかった。 隣にはこんなに大切で、一緒のいたいユウジさんがいるのに。『俺にホニさんのことを教えてほしい』 そしてユウジが我のことを聞いてきた。言い出せない我が言えたことじゃないけれど、それは怖かった。 事実を言ったところでユウジさんに嫌われてしまいたくなかった。離れてほしくなかった。『ホニさんが気になるから……俺にとっての大事な人だから』 その言葉が嬉しくて、そう言ってくれるユウジさんが嬉しくて。でも我は聞いてしまう。――後悔しない? というあまりにも調子の良い問い、自分が言えなかったのに最近の言葉の使い方で言う予防線を張るように、ユウジさんにそれを強いてしまう。 更に我は自分の心情を思わず吐露してしまって。嫌われたくないと、一緒にいたいからと――これからも偽って過ごそうという余りにも都合の良い提案。『嫌わない』 その一言が信じられずに、我は問いただして――返って来た言葉は。『ホニさんは、可愛い』 どこか間の抜けてしまうような言葉に我は照れながらも、おろさくそれはあの子の容姿のことだと――言おうとした。『俺はホニさんの可愛さは容姿にあると思う……だがしかし! 俺はホニさん自身が可愛いと思う。ホニさんの全てひっくるめて俺は――可愛いと思う』 聞いていて気恥ずかしかった。石に拘束されていたせいで欠如している知識でも――それはむず痒くなるほどに気恥かしい。『褒めてるに決まってる。俺にとって、今まで出会ったどんな人の中でも――群を抜いての可愛さを誇るのがホニさんだからな』 畳みかけるように我は言われて、それに参ってしまって。思わず一人で空回りしてしまったような、感じさえしてくる。 でもやっぱり我は気になって、そのユウジさんの言葉本当か確かめたくて――確かめる方法なんてないのに混乱する我はまた同じように――後悔しない、きっと嫌われる……と聞いてしまった。 すると。『好きです』 昼ドラを見ていて分かるのは、それは余りにも直球な告白だった。それには我も変な声をあげてしまって、思い切り気が動転する。 ユウジさんは突然なぜこんなことを言うんだろう、と。どうしてこの時に言うのだろう、と。『嫌いになるわけないだろって……そんなことで心変わりするほどに生半可な気持ちじゃない、俺はホニさんのことを知りたいんだ』 そのユウジさんは戦う時の決意に満ちたユウジさんで、それを見るだけで我は胸が高鳴った。 この感情は今までに感じてことのない、息苦しいのに心地が悪くない――あまりにも不思議な感覚。 ユウジさんの掛けられた沢山の言葉で、我はやっと話しはじめた。 話すのにいつまでかかっているのか、そう自分を問い詰めたいほどの時間を要してから。 でも今度こそ嫌われる、と思った。我が余りに膨大な時間を過ごしたことにひいてしまう、気持ち悪く思ってしまう――臆病な我はそう思った。それでもユウジさんは予想外で。『すっげえなあと……思った』 短くて、その感想が来るとは思えなかった、唖然として、何か吹きこぼれてしまうように我は笑いが漏れた。 こんな結果ならもっと早くに話して良かったのに、自分は我はユウジさんを全然信じられていないな、と。 そんな風に重く受け止めずに、短く返してくれたユウジさんの気持ちが、配慮が――今はとても嬉しくて。 その一方で我はユウジさんを責めるように言ってしまう。自分が馬鹿だと言ったユウジさんを否定せずに、今までの無茶を、我はつい勢いに任せて怒ってしまう。 その時のユウジさんは腰が低くて、さっきまでのキリリとしたユウジさんは何処へ……と思う程の変わりっぷりだったけれど。 我はそんなユウジさんが好きだった。 これが昼ドラであるような愛情かは分からない、けれど嫌いじゃない……というか訳がない。 だからきっと好き。 それに照れたのか顔を赤くするユウジさんが……桐をからかう時のように表情豊かで。 もしかしてユウジさんは同じ事を我にして楽しんでいたんじゃないかと思うようにもなった。 ユウジさんが我にはとてつもなく可愛く見えてしまい、ユウジさんの隣を離れたくないと、尚更思ってしまった。 そして今日はユウジさんがまた別の敵と戦った。 何も言う事ができなかったけれど、気付けていた。ユウジさんが二つの週の間の様子の変化があった。 桐の力を使うことなく、戦い。自分を鍛える際も桐に頼らない――二週間前から突然にそうなった。 今日久しぶりに桐は力を使い、ユウジさんは空を飛んだ。 まるで今日という日が分かっていて、今日までに備えていたように。 見上げる先には戦うユウジさんが居て、かつてのように桐は我を連れながら我と桐自身を守る膜のようなものを張ることで敵の攻撃を防いでくれていた。 見上げる空ではユウジさんが傷ついていた。あのいつもと違った戦いのようにあちこちから血を流して、それでもユウジさんは抗った。 敵を追い詰めるほどに速い動きと大きな力で抗うユウジさんの姿を見て、我はユウジさんの表情を見つける。 それは真剣で、真っすぐに見据えた敵に的を絞り、そして大きな決意に満ちていた。 それでも敵は強く、ユウジさんは撃ち落とされた。 駆けた先の背後から聞こえる何かがぶつかった音に気付くと、そこにはボロボロのユウジさんが倒れていた。 あまりにも痛々しくて、辛くて、悔しくて――また思ってしまう。 このままユウジさんを失いたくない、だから約束をまた……破ってしまおう。 ユウジさんが居なくなってからでは遅すぎる、失ってからではどうしようもない――命あるもの、ユウジさんもその通りだ。 だから我はユウジさんの名前を呼んで、返ってくるユウジさんの弱弱しい声に耐えられなくなって、我はまたしようとした。 けれど、ユウジさんは言った。『ポケ……ットの』 途切れ途切れだけれども、それには確かな意味をこめて。きっとユウジさんのポケットをさすのだと理解して、一心不乱に探し、そして一つの小瓶が現れる。 それは少し見たことの有る、ユウジさんが苦い顔で口にしていた飲みものだったように記憶した。 この状況でそれが有って、きっとそれを飲みたいというユウジさんから、おそらくこれは何か意味のあるものだと考える。 でもユウジさんは今は体を動かせないほどに弱っていて、仰向けにやっとのこと声を絞り出していた。『それ……を、飲ませ……』 やっぱり飲むべき物だ。 それじゃどうすればいい、どうすれば我はユウジさんがこの飲みものを飲めるのか。 そこで我は一瞬思い出す。時に見たドラマでのワンシーンを、昼ドラでは似たようなものが度々あった―― 見た目にはある一つの行為、でも実際は大切な事で。 腕を動かして瓶を持つことも、口へ運ぶこともままらないユウジさんにどうしたらよいのか――「(!)」 我は気付いて、そしてそれを実行に移す。 桐が我とユウジさんを守る中、我は瓶を開けて一気に全部の量を口に含んだ。 そして――「んっ――」 ユウジさんに口づけをして、そこから押し込むように含んだ液体をユウジさんに送る。 意味が分かっている。これは口づけで有り接吻であり――ドラマの中の恋人同士や愛し合いものがする”キス”というものであると。 思った上でそれをして、そしてユウジさんの体が少しずつ動きを増やしていき――起き上がった。『ありがとう、ホニさん……後少しだから、行ってくるよ。ホニさん』 我がユウジさんのあちこちの傷を見て制止するよう声をかけるものの、ユウジさんは空へと向かい――そして。 世界の色は戻った。 それはユウジさんが敵を倒した証で、我は空を見上げてユウジさんがゆっくりと落ちて行く様をみながら、ユウジさんの名前を呼び続ける。 ここへ辿りつく頃には目を瞑っていて、がくりとうなだれた姿に我は驚き、理解し、哀しみ、そして叫んだ。 答えてほしいと、ユウジさんが我の呼ぶ声に答えてほしいと――桐がシュンカンテンソウというものを繰り返してユウジさんの部屋へと運びながら我は呼び続けた。 桐は重々しい表情でユウジさんと我を運び部屋に戻る以前から治癒をしている、そんな桐がユウジさんの胸や傷口に手を当てて治療を始めてから数分の内に「もう大丈夫じゃ」と安心を促す言葉を我にくれて「あとは目を覚ますのを待つのみじゃ」と、言って押し黙り。 少しその聞かされたことに安心して気が抜けそうになる。でもユウジさんが目を覚ますまで我はまた呼び続ける――「ユウジさん、ユウジさん、ユウジさん、ユウジさん、ユウジさん――」 ユウジさんが目を覚ましたのはそれから二時間経った頃。 起きてなお優しい表情を浮かべ、なぜそんな彼女が表情をしているのだろう、というような不思議な面持ちで見上げる先にで我はボロボロと涙を流してユウジさんの名前を呼んで――「よ、良かったぁ……」 安堵するように言葉を漏らしそれでも我は涙を流し続ける、その時のユウジさんはずっと我を見つめながら微笑みかけてくれていた。 そんなユウジさんを見て我は勘付いてしまう……ドラマや物語で見た、この女性でも男性でも感じること。 涙を流しながらもユウジさんの顔に見惚れていて気付いてしまう……きっとこれは生まれて、ずっと過ごしてきて初めて芽生えた―― これは恋というものなのかもしれない。 涙が溢れるのに心は温かで、微笑んでくれるユウジさんが嬉しくて、見ているだけで幸せで。守ってくれていたのが嬉しくて、隣にいてくれるのが幸せで。 ずっと一緒に、ずっと隣で。我はユウジさんの変わりゆく心を表情を間近で見ていたいと思ってしまう――そうして我も顔をぐちゃぐちゃにしながらそうして微笑み返していた。