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No.32103の一覧
[0] 幸茸の作品集【ファンタジー、現代物、SF?等】[幸茸](2013/06/18 18:44)
[1] 【オカルト?】一刻を争った話[幸茸](2012/08/02 02:09)
[2] 【ドイツ兵】柏葉は落ちない[幸茸](2013/06/18 18:36)
[3] 【ファンタジー?】七つの証拠[幸茸](2012/08/03 14:44)
[4] 【現代日本風】狩る者と狩られる者[幸茸](2013/06/18 18:37)
[5] 【現代風ファンタジー】星天の饗宴[幸茸](2013/06/18 18:38)
[6] 【オカルト】【ホラー】コツドン[幸茸](2013/06/18 18:39)
[7] 【魔術】赤い竜の夢[幸茸](2013/06/18 18:39)
[8] 【幽霊】【日本兵】勅使河原中尉[幸茸](2013/06/18 18:40)
[9] 【魔術文書】長月典太郎「自動書記文書486」[幸茸](2013/01/16 07:53)
[10] 【SF】ガンマンにビールを[幸茸](2013/06/24 17:23)
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[32103] 【ファンタジー?】七つの証拠
Name: 幸茸◆7cd31f54 ID:6aa97e09 前を表示する / 次を表示する
Date: 2012/08/03 14:44
 彼は昼の街を見下ろしていた。
 そこでは、神父の格好をした中年の男が命を落とそうとしていた。道路に倒れ伏した神父に向かい、大型トラックが急ブレーキの音を響かせて迫っている。
 彼はその神父に何が起こったのかを知っていた。答えは神父が前へと伸ばした手の先にある。そこには十歳を過ぎているかもわからない少年が蹲っている。神父はトラックに轢かれそうになっていた少年を身を呈して助けたのだ。
 彼は神父以外の全てに停止を命じた。その瞬間、何もかもが凍りついたように静止した。何も気づかず通り過ぎようとしている者。驚きに目を見開いて悲鳴を上げようとしている者。駆け出そうとして諦めたかのように中途半端な姿勢の者。鬼気迫る表情でハンドルを握る運転手。そして腕の擦り傷を押さえて蹲っている少年。全てがそのままに止まっている。
 周囲に訪れた異変に戸惑いを見せる神父の前に、彼は降り立った。
 神父は目を丸くし、そして何やら納得した様子になって彼の前に跪いた。
「これはあなた様の御業でしょうか」
「その通りだ」と彼は認めた。
「おお、では、あなた様は主の御使いでいらっしゃるのですね」
「あなたはあの少年を助けた。それはなぜだ」
 それには答えず、彼は逆に問いかけた。
「なぜ、と仰られましても……」神父は困惑の面持ちで言った。「誰かを助けることに理由が必要なのでしょうか」
「しかし、これは、あの少年と運転手の不注意が重なったもの。あなたにはなんの関係もない」
「彼が車に撥ねられようとしているのが私には見えました!」
「見ていたのも、救いの手を差し伸べることができたのも、あなただけではない」
「畏れながら、救いの手を差し伸べたのは私だけでした……それに、御使いよ、そのことは、私が彼を救わない理由にはなりません」
「だが、そのためにあなたは命を落とそうとしている」
「……死ぬのが恐ろしくないと言えば、虚偽の罪を犯すことになってしまいます。ですが、私は……御使いよ、私は、目の前で無垢な命が奪われるのを見過ごすことに耐えられなかったのです!」蹲ったまま静止した少年を指さした。「あんな子供が命を落とす! そんな理不尽を主がお許しになるはずがない! 主にお仕えする私が許していいはずがない! 私がそれを目にする幸運に恵まれたのは、全て主の尊い計らいによるもの……主が、私に尊い命を救う機会をお与えくださった。そうではありませんか、御使いよ」
「それがあなたが身を呈して少年を救った理由か」
 彼の問いに神父は頷いた。
「時間を取らせたな。こちらに来るといい。そこにいては車に轢かれてしまう」
 彼は神父がおずおずと危険区域を抜け出たのを確認し、高みへと戻った。そして全てに再開を命じた。
 全てが動き出した。
 何も気づかず通り過ぎようとしていた者が騒ぎに気づいて振り返った。驚きに目を見開いた女が甲高い悲鳴を上げた。駆け出そうとした男は思い直したように立ち止まった。危機迫る表情でハンドルを握る運転手は神の子の名を叫んだ。そして腕の擦り傷を押さえた少年は、蹲ったまま泣き喚いた。
 ざわめきが起こった。
「神父様!」
 少年の傍に佇み天を見上げる神父を通行人達が取り巻いた。
「神父様、大丈夫ですか!」
「お怪我はないですか、神父様!」
「神父様!」
「神父様!」
 神父はもみくちゃにされながらしばし呆然としていたが、やがて我に返った。
「私のことより、あの子は……」
「神父様、僕なら大丈夫だよ! 神父様が助けてくれたから……」
 人混みを掻き分け、あの少年が駆け寄ってきた。神父は身を屈め、少年と目の高さを合わせた。
「怪我は……ああ、すまないね、私のせいで腕を擦り剥いてしまった」
「ううん、悪いのは僕だもん。それに、このくらい、平気だよ」
「そうか……君は強い子だな。今度から、道路を渡る時には気をつけるんだよ」
 神父は少年の頭を撫でると、その場に跪き、涙を流して主とその御使いへの感謝の祈りを捧げ始めた。

 彼が眺める先は摩天楼に埋め尽くされていた。
 暗闇に閉ざされるべき夜の世界に不遜な光を振り撒く塔の一つから、何かが放り出されて墜ちていくのを彼は見た。
 それは上品なスーツを着た老紳士だった。彼は老紳士以外の全てに停止を命じ、地に墜ちゆく老紳士を柔らかく受け止めた。
「な、なんだこれは!」老紳士が喚き、もがく。「どうなってるんだ! ああ、神よ!」
「落ち着きなさい。私はあなたを害しに来たのではない」
「し、しかし、これは……ああ、そうか、これは夢だな、そうだ、夢なんだろう!」
 老紳士は引き攣った顔で彼を見た。
 彼は問いを無視した。
「あなたに訊きたいことがある」
「私に何を訊こうと言うんだ」
「あなたは自らの意思で身を投げた。このまま地に墜ちれば間違いなく命を落とすだろう。なぜあなたは命を捨てようとしているのだ」
「なぜ? なぜだって? 私の夢のくせに、おかしなことを訊くんだな!」老紳士は苛立ちに声を荒げた。「いいだろう、答えてやるとも! 社員達のためだ! 私が死ねば、保険金が入って、少なくとも無一文で彼らを路頭に迷わせる心配だけはなくなるんだ! だから私は死ななくてはならんのだ!」
「あなたは部下のために死のうと言うのか」
「そうだ。私は社長だ。会社に……社員達に責任を負っている。私は責任を果たさなくてはならないんだ」
「死以外の方法で果たそうとは思わないのか」
「そんな夢みたいな方法があるなら、こんなこと、誰が好き好んでするものか! 他に道がないからこうするんだ!」
「ならば諦めればいいではないか。それはこうまでして果たさなければならないものなのか」
「法は私にここまでを求めていない……だが、法が私を許しても、私が私を許せない。私には、確実に行ない得る最善を果たす責任があるんだ」老紳士は険しい眼差しを彼に向けた。「さあ、もういいだろう! こんなことをしている暇なんかないんだ。決心が鈍る。さっさと私を目覚めさせてくれ。私は早く死ななくちゃならないんだ」
 彼は無言で老紳士を元の屋上へと送り届けた。唖然とする老紳士を下ろし、高く飛び去り、全てに再開を命じる。
 再び動き出した世界で、老紳士は冷たいコンクリート床にへたり込み、唖然としたまま夜空の星々を見上げた。
 不意に老紳士の懐の携帯電話が鳴った。遅くまで会社に残って金策に奔走している専務からの電話だった。老紳士はのろのろと、この世で最後の会話へと臨んだ。
「私だが……」
「社長、大口契約が取れました! ほら、例の件ですよ、例の!」
 聞こえてくる専務の声は喜びに弾んでいた。
「では、我が社は持ち直すのかね……?」
 老紳士は恐る恐る訊いた。
「持ち直すどころか!」専務の声は興奮に震えていた。「大躍進ですよ! やりましたね、社長! どうやら首を括らんでも済みそうですよ!」
「そうか……」老紳士は深い吐息と共に脱力した。「そうかあ」

 彼は朝日に照らされる切り立った崖を眺めていた。そこには虫けらのように人間が二人へばりついている。登山装備に身を固めた二人は互いを綱で繋ぎ、力を合わせて天を目指している。
 上を進んでいた者が掴んだ突起が岩肌から剥がれた。上にいた男は、そのままバランスを崩し、背中から深い谷底へと落下していく。
 その落下が途中で停まった。伸びきった綱が張り詰め、吊り下げられる格好になった男が振り子のように揺れ、何度かが岩肌に叩きつけられた。
 男はなんとか崖に取りつこうとしているが、丁度良い突起が全くなく、悪戦苦闘している。決して軽くはないであろう男の体重を支えることになった男は、歯を食い縛って突起に捕まっているが、長くは持ちそうにない。
 彼は滑落した仲間を支える男を除く全てに停止を命じ、その男の傍らに移った。
「なんだ……人間……? 馬鹿な、こんなところに……しかも、浮いてる?……幻覚が見えてきやがった」
 男は弱々しい呟きを洩らした。
「あなたはなぜそうしている」
「この幻覚、喋るのか!」
「私の質問に答えてほしい」
「なぜだって?」男は馬鹿にするように言った。「決まってるだろ! 踏ん張らなかったら墜ちて死んじまうじゃねえか」
「あなたは自分一人ならば無理なく支えられるのではないか」
「何が言いたいんだ、ええ?」
「綱を切ってしまえばあなたは助かる」
「馬鹿野郎! 友達なんだぞ!」
「しかし、切らなければ二人とも死んでしまうぞ」
「ああ、そうだろうな……神様が奇蹟でも起こしてくれなきゃ、二人揃ってお陀仏だ! でもな、あいつが諦めない限り、俺も諦めない。あいつの命の始末はあいつが決めるんだ。だから、俺はこのままあいつが決めるのを待つ」男は不敵に笑った。「あいつがどうしようと、それで恨みっこなしだ」
 答えを聞いた彼は、男に停止を命じ、代わって下の男に再開を命じた。
「ち、畜生、掴めない……! 神様! クソ、こうなったら……」
「その刃で何をするつもりだ」
 ナイフを取り出した男に、彼は横から問いかけた。
「ひ、人が浮いてる!」男は悲鳴を上げた。「……な、なんなんだよ、お前、なんなんだよお!」
「その刃をどうする」
 問いには答えず、彼は問いを繰り返した。
「そ、そんなの、き、決まってる!」答える声は震えていた。「切るんだよ、こ、このザイルをよ! このまんまじゃ、あいつまで墜ちちまう!」
「しかしそれではあなただけが墜ちることになる。あちらの男はあなたの命を踏み台にして生き延びることになるぞ」
「いいんだよ、それで! クライマーってのはそういうもんだ! お、お互いに命預け合って、どうしても駄目になったら、その時は、お、お、おとなしく、相棒に迷惑かけないように、自分で……じ、自分で、ケ、ケリを……つけるんだ!」
「あなたはそれで納得しているのか」
「してねえよ!」涙と鼻水を飛び散らせて男は叫んだ。「でもなあ、そうしないと、あいつまで死んじまうんだよ! なあ、もういいだろう、邪魔しないでくれよ! どっか行ってくれよ!」
 彼は黙って男達が目指す遥かな高みの先の先まで昇り、全てに再開を命じた。
 切れ味の良い波刃を綱に擦りつけようとした男は、その刃の切先のところに具合の良い突起があることに気づいた。咄嗟に掴んでみると、これがびくともしなかった。
 二人分の体重に喘ぐ男は、不意に苦痛が和らいだのを感じた。はっとした表情で下を見ると、その視線の先には、相棒が岩壁に取りつく姿があった。

 彼は夜の郊外に佇んでいた。視線の先にはカーテンの隙間から温かな灯りを零す窓がある。カーテンの隙間からは、銃を片手に、倒れ伏した女を見下ろす中年男の姿が覗いていた。彼はその男が自らの妻を射殺するところを見た。
 彼は男以外の全てに停止を命じると、音もなく窓ガラスを通り抜け、家の中に入った。
「誰だお前!」男が回転式拳銃を彼に向けた。「金ならないぞ!」
 彼はその銃口を無感動に一瞥し、口を開いた。
「なぜその女を殺した」
「何か文句があるのか! こいつは死んで当然の売女だったんだぞ!」
「私はあなたを責めるために来たのではない。ただ、その理由を知りたいだけだ」
「ふざけやがって!」男は床に唾を吐いた。「いいよ、教えてやろうじゃないか。こいつはなあ、浮気してやがったんだよ、若い男となあ!」
「その制裁を科したと言うのだな」
「そんな、そんな上等なものじゃないよ……むかついて、気づいたら、引鉄引いてたんだ……で、目の前に、頭から血を流して倒れてた」
 男の声が沈み、銃口が下がった。銃を握る手は力なく垂れ、銃口は空しく床を狙っている。
「あなたはその女を憎んでいたのか」
「憎んでた、だって? 冗談じゃない! 愛してたよ! いや、愛してるんだ、今でも! だから、赦せなかったんだよ……愛してるし、愛されてると思ってた。なのに、こいつの心に、俺はいなかったんだ……!」
「では嫉妬か」
「嫉妬……どうなんだろうな。なんでなんだろうなあ、あのクソ野郎には、なんでか、そんなに腹が立たないんだよ……」自嘲するように呟き、不意に何かに気づいたように声を張り上げた。「そうだ! そうだよ、嫉妬なんかじゃないんだ……これは嫉妬じゃない……悲しかったんだ。信じてたのに裏切られたこともそうだけど……それ以上に、ああ、もうこいつの心に俺はいないんだな……ってさ」
 男は乾いた笑い声を漏らした。
「後悔しているか」
 彼は平坦な声で訊いた。
 男は考え込むように少し黙り、それからどこか晴れ晴れした顔になった。
「……いや、してないよ。後悔はしてない。こいつの心を繋ぎ止められなかったことは後悔してるけど、殺したことは……うん、後悔してない」右手の銃に視線を落とす。「……なあ、もう、いいだろ。ちょっとさ、やることがあるから、もう帰ってくれないか」
「死ぬのか」
「……ああ。生きてたってしょうがないしな。それに、売女と人殺しだから、地獄であいつとまた会えるかもしれない」
「その可能性は充分にある」
「そうか……あんたにそう言われると、そうなんだろうなって気になってくるよ。なんでか知らないけどな。もしかして、あんた、天使様か悪魔だったりするのか」
 彼は軽口には付き合わず、背を向けた。
「ああ、帰るのか、そうか……最初はさっさと消えろって思ってたけど、今は感謝してる。話聞いてくれてありがとうな」
 彼は答えず、訪れた時と同様、音もなく窓ガラスを通り抜け、高みへと昇っていった。
 それを見送ってから、男は小さく深呼吸をし、それから銃口を口に銜えた。撃鉄を起こし、目を固く瞑り、思いきり引鉄を引いた。
 撃鉄が薬莢を叩く金属的な音が響いた。しかし、その後に続くべき轟音はなかった。
「なんだよ、クソ」
 男は銃を持った手をだらりと下げた。
 高みに昇り、彼は全てに再開を命じた。
 男は力のない笑みを浮かべた。
「神様が死ぬなって言ってるのか……? 責任取れってことか?」そして少し躊躇う素振りを見せた後、意を決した風に電話を手に取った。「……あ、もしもし、警察ですか。実は、その……妻をですね……」

 彼の前には堅牢な樫材で出来た重厚な扉がある。精緻極まる彫刻が施され、一見して重要な扉であることがわかる。
 彼は静かにドアノブを捻った。鍵がかかっているが、彼には意味を成さない。そのまま押し開けた。
「なぜノックをしない――誰だ、お前は!」
 巨大な執務机で書類と睨めっこをしていた壮年の男が、顔を上げるなり悲鳴にも似た誰何の声を上げた。
 彼は目の前の男以外の全てに停止を命じ、悠然とその男を見やった。
「暗殺者か!」
 男は小型拳銃を抜き放ち、素早く狙いをつけ、彼に向かって引鉄を引いた。
 だが、弾は出なかった。
 悪態をつき、排莢して改めて引鉄を引くが、やはり結果は同じだった。
「ど、どうなっとるんだ……」呆然と呟き、男は怯えたような声を上げた。「警備兵、警備兵! なぜ来ないんだ!」
「あなたに訊きたいことがある」
 男の狼狽を無視して彼はゆっくりと話しかけた。
「お、お前は何者だ!」
「私の質問に答えて貰いたい」
 彼は真っ向から男を見据えた。男は気圧されたように視線を逸らし、それから諦めたように嘆息した。
「何を訊きたいと言うのだ」
「あなたはかの民族を迫害し、その多くを殺害した。その理由を知りたい」
「お前も人権運動家とか称するごろつき共の仲間か」
「質問しているのは私だ」
「……よろしい、答えよう。何度も口にした言葉だ。もう一度や二度口にしたところで、大した手間でもない。全ては我が民族のためだ」
「民族のため? あなたはかの民族を嫌悪していたのではないのか」
「……それもある。しかし、私は確かに奴らを薄汚い劣等人種と思っているが、それだけの理由で命を取ろうとは思わない。人間より下等だからと言うだけで、その辺りを歩いているだけの虫けらを殺すというのは尋常ではあるまい」
「ではあなたの民族のためとはどういうことなのだ」
「我が国は狭い。食料もない。資源もない。雇用もない。そのくせ、借金と人口だけは膨れ上がる一方だ。わかるかね、君、我が国は、養いきれない人口を抱えているのだ! パイを全員に分配するためには、その全員の総数を減らさねば、もうどうにもならないところにまで追い詰められているのだ……だから私は、奴らを減らすことにした。疫病を蔓延させる害獣を駆除するのと同じことだ」
「それでは不公正ではないか。あなたの言う疫病は、かの民族も、あなたの民族も、どちらもが振り撒くものだ。間引くのであれば均等に行なうべきではないか」
「なぜ我が愛する民族に負担を強いなければならない! 私は我が民族の苦悩を除去するために……勿論、功名心や名誉心、支配欲だってあったとも。だが、根本の目的はそれだ。そのためだけにこの地位を得たのだ。ならばその初志に則り、どこまでも我が民族に便宜を図るのは当然のことだ」
「あなたの民族のために、他の民族に苦汁を舐めさせることは許される、と言うのだな」
「……そうだ」男は躊躇うと言うよりは力を溜めるような間を置き、頷いた。「己のために他者を害することは許される。己の家族のために他者を害することも許される。ならば、己の民族のために他者を害することも許されて然るべきではないか。そこになんの差があると言うのだ」
「第一の事例とその他には明確な違いがある。しかし、第二と第三には、規模の違いはあれど、本質的な違いは存在しない」
「ならば賢しげに私を非難するのはよせ」
「あなたは重要なことをいくつも失念している。害される他者も、一つの独立した意志、害する者と何ら変わるところのない存在だ。害される者には害される者の訴えがあろう。害する者の犠牲に嬉々として供せられるものではないだろう。また、守ったあなたは満足かもしれない。だが、守られた者はどうか。他者を害することに罪や嫌悪を感じることもあるのではないか」
「黙れ、黙れ、黙れ!」男は机を叩いて腰を浮かせた。身を乗り出し、口角泡を飛ばして捲し立てる。「他にどんな方法があった。ええ、言ってみろ! 示してみせろ! 全員が不幸になるか、一部だけで幸福になるかしかなかった我が国で、全員が幸福になれた方法を示せ! それができない者が知った風な口を利くな!」
「たとえ一つしかない手段であろうと、欠点があれば批判を免れ得ないものだ。あなたの行ないは、いずれ批判され、末長く批判されることだろう」
 男は乱暴に椅子に尻を落とし、机に肘をつき、頭を抱えて乱暴に掻き毟った。一転、弱々しい声で言う。
「……私にも、私が間違ったことをしているのはわかっているのだ。だが、他にやりようがなかったのだ」
「批判者の前にその弁解は無意味だ」
「それも理解している。人の行ないにケチをつける者は、あらゆる弁解に対して耳を塞ぐものだ」
「あなたはやがて、神の子を高みに押し上げるために罪を被った哀れな裏切り者と同様、自ら死を求め、そして同胞達からも永遠に呪われ、踏み躙られるようになるだろう」
「……それもわかっている。大衆とは移り気なものだ。救われた当初は持て囃すが、満足するに従い距離を取り、翳りが見え出せば責め始める。しかし、それでも私はやらねばならなかったのだ。たとえ後で罵られることになろうと、我が民族を今生存させることの方が、私には大事だったのだ。同胞達が私を踏み躙る。結構なことだ。死者は誰も踏み躙れない。ならば、同胞達はこの一大危機を脱し、立派に栄光を掴むということだ。全ての罪を私に負わせ、民族は、雄々しく立ち上がる!」躁気味に叫んだ男は、すぐに意気消沈した様子になり、蚊の鳴くような声で言った。「……そうだ、私は全ての人に罵られ、嫌われ、呪われるのだ。極悪人として、最悪の指導者として、人類の不朽の歴史に名を連ねるのだろうな……」
「……かの裏切り者を評価する者、同情を寄せる者もいる」
「なんだと」
 男が顔を上げた。
 その時にはもう彼は男に背を向け、来た道を逆に辿って部屋を出ようとしていた。扉が閉まったところで、全てに再開を命じ、高みへと飛び去る。
「待て!」
 男は慌てて彼の後を追ったが、廊下にはもう、誰の姿もなかった。
「……なんだったのだ、あの男は……いや、最早迷うまい。たとえ、後の世でどのように謗られようとも……」男は啜り泣くように呟いた。「主よ、我が民を救いたまえ」

 遥か高みから見下ろす彼の視界には、津波のように進撃する大軍勢と、小道に点々と存在する弱小の守備隊の防御陣地があった。彼は陣地の一つに降り立った。
「なんだこいつは!」
 彼の接近に気づいた兵士が警告の声を発した。
 彼は意に介さず、その場の兵士達以外の全てに停止を命じた。
「待て、撃つな!」指揮官らしい若い男が小銃を構える兵士達を制した。「なんだ? 天狗か? 大陸にも天狗がいるのか?」
「あなた達に訊きたいことがある」
 彼はゆっくりと地面に降り立ち、防御陣地の兵士達を一望した。
「訊きたいこと、とは?」
 指揮官が進み出た。
「あなた達はなぜここにいる」
「……避難民の脱出掩護のためだ」
「中尉殿!」
 年嵩の兵士が咎めるような視線を指揮官に向けた。
「いいんだ、軍曹。この方はきっと神仏の類だ。我々人間如きの秘密を知ったからと言ってどうこうはしないさ」
「中尉殿がそう言うんでしたら……」
 軍曹は不満そうな顔で引き下がった。
「失礼した。それで、私の回答に満足して貰えただろうか」
 彼は問いを無視した。
「あなた達はこのまま留まれば確実に命を落とす。それなのに留まるのはなぜか」
「……軍人だからだ。軍人が民間人より先に逃げるわけにはいかない」
 中尉は悲痛な顔で答えた。
「そうだ。俺達は兵隊だ」軍曹が濁声で口を挟んだ。「武器を持ってて、おまけに訓練だって受けてきた。だったら、いざって時に戦うのは当たり前だ」
「街の人達、俺達に一杯良くしてくれたんだぜ。そんな人達を置いて逃げたりなんかできるもんかよ」
「あいつらに捕まったら、男はみんな殺されて、女はみんな犯されるに決まってるんだ。街のみんながそんな目に遭わされるのは嫌だよ」
 他の兵士達も同調した。
「それにさ、逃げたら、親兄弟に、クニで肩身の狭い思いさせちゃうしな」
「だな。精々立派に戦って、家族に恥掻かせないようにしないと」
「そうだな、ろくでなし共の最後の親孝行だ。しっかりやらんとな」
 暗い顔で二人の兵士が言い合い、軍曹が笑って相鎚を打った。
「死が恐ろしくはないのか」
 彼は兵士達を眺め、更に問いかけた。
「怖いよ」まだ幼さの残る兵士がぼそりと言った。「とっても。死にたくないよ……死にたくない」
「ああ、おっかないね」軍曹が同意を示す。「もう、あれだ、小便漏らしそうなくらい怖くて堪らねえよ。俺だって死にたくなんかない。クニにはガキがいるんだぜ……」
「ならば逃げてしまえばいい。逃げれば、少なくとも命を保つことができる」
「それはできない」中尉は言下に拒絶した。「私達が逃げれば、この方面の防備がそれだけ薄くなる。それだけ、避難民が危険に晒される」
「それが全体にどれだけの影響を及ぼすと言うのだ。あなた達が奮戦してどれだけの貢献になる」
「たとえ一秒しか止められなくたってな」軍曹が鼻を鳴らした。「それで一人くらい助かるのが増えるかもしれんだろうが。俺達は犬死になんかじゃないんだ」
 中尉が不快そうに彼を見た。
「失礼だが……これ以上、我々の邪魔をしないでいただけないだろうか」
「そうしよう。用件は済んだ」
 彼は高みへと戻り、世界に向かって再開を命じた。
 雲霞の如き軍勢が街道に沿って分かれていき、小石のような防御陣地に迫っていく。やがて銃声と砲声が轟き、時間と共に激しさを増し、怒号と悲鳴が辺りに木霊した。
 命と命がぶつかり合い、砕け散る音は辺りが薄暗くなる頃まで続いた。
 口から血を流して倒れている軍曹の頭を寄せ手の兵士が薄ら笑いと共に拳銃で撃ち抜いた。軍曹が一瞬、体を震わせ、動かなくなった。
 敵兵に囲まれながら、中尉はあちらこちらに穴が開き、血と臓物の溢れたボロ雑巾のような体を大の字に横たえ、焦点の合わない瞳で夕方の空を見上げていた。
 煙の尾を引いて天高く昇るものがあった。それも一つではなく、いくつもいくつも、信号弾の在庫処分をするかのように飛び上がっていく。
 本隊からの脱出完了を知らせる合図を目にし、中尉は薄く微笑み、そして動かなくなった。

 彼はコンピューターの前に座っていた。画面上には掲示板が表示され、記事の中で無数のやりとりが交わされている。
〈とにかく保温を第一にするんだ
 体温下がったら死ぬ〉
〈夜間診療やってるとこ行けよ〉
〈ちゃんと嫁。最初に近場に夜開いてる病院がないって書いてあったろ。〉
〈あなた達はなぜそうしているのか〉
 彼は掲示板に問いを書き込んだ。
〈スレタイも読めない馬鹿がいると聞いて〉
〈赤くしてやろう。〉
〈馬鹿の人気に嫉妬〉
〈ぬこがかわいそうだろ!〉
〈馬鹿はほっとけよ。
 馬鹿に構う暇あったらぬこの回復でも祈っとけ。〉
 彼への反応は酷く攻撃的なものだった。彼は辛抱強く問いを重ねた。
〈その猫も飼い主も、あなた達とは関係ない。なのに、どうしてそこまで親身になる〉
〈あーはいはい思考停止しないで当たり前のことにも疑問を持つ君かっこいいね
 抱いて(棒〉
〈うるせえな百万年ROMってろカス〉
〈荒らしはスルー〉
〈最近の小学校はもう冬休みが始まってるのか。〉
〈関係なかったらかわいそうだと思って助けちゃ駄目なのかよ〉
〈だから荒らしに構うなと〉
 彼は問いに向き合ってくれたたった一人に向けて更に書いた。
〈だが、見ず知らずの誰かのために、どうしてそこまでする〉
〈あー、駄目だこいつ頭おかしいわ〉
〈アスペだろ。
 ほっとけほっとけ。〉
〈だーかーらー、かわいそうだからって言ってるだろ
 頭大丈夫?
 病院行く?〉
〈かわいそうだと思ってなんとか助けようと思うのの何がいけないんだよ〉
 攻撃が激化すると共に、誠実な回答もまた増加した。彼は更に踏み込んでいった。
〈それをしたところで、あなた達はなんの利益も得られないのだぞ〉
〈別に得したくてやってるんじゃねえし〉
〈こんなの大した手間じゃない。利益とか、そんな大袈裟な話じゃない。〉
〈ROMるか消えるか死ぬかしてくれ頼むから〉
〈利益にならなくても、損にもならないだろ
 だったら、どこかで誰かが幸せになったり、不幸にならずに済んだりした方が気分がいい〉
 彼はコンピューターの前を離れた。
〈やっと消えてくれたか〉
〈ぬこが元気になってきた!〉
〈マジか>>1〉
〈マジマジ
 呼吸止まりかけてたのに……
 よかった……〉
〈よかったな〉
〈嬉しいのはわかるけどまだ油断するなよ
 ちゃんと朝一で医者連れてけよ〉

 彼は法廷の検察官の席に立っていた。向かい側には茨の冠を戴く弁護人がおり、二人の間の被告人席には、瑞々しい青い惑星が鎮座している。その周囲には翼の生えた傍聴人達がひしめいている。
 高みから声が響いた。
「検察官の発言を認める」
「主よ、検察官は弁護人の要請に応じ、神聖な七つ組の原理に基づき、近現代から無作為に抽出した七つの証拠を自ら検分しました」彼は高みの虚空を見据え、朗々たる声で陳述を始めた。「第一号は良心に基づく無償の愛と献身を示しました。第二号は誇り高く責任に挑みました。第三号は信頼と友情を示しました。第四号は、愛によって道を誤りましたが、自らの罪に立ち向かうことを選びました。第五号は最悪の正義を成して罪を負うことを自ら選びました。第六号は、勇気によって恐怖を克服し、忠実に義務を果たしました。第七号は、互いの顔も名も知れぬ暗闇の中で、見知らぬ誰かのために善意を輝かせました」彼は一旦言葉を切り、高み、弁護人、傍聴人を一望した。「以上の七つの証拠より、検察官は、人に対して以下のような結論を出しました。人はただの一人の例外もなく善きものと悪しきものを持って生まれる。そして多くの者は内なる善きものに従って正しき道を歩む。一方で、少なくない者が内なる悪しきものに惑わされ、誤った道に踏み出す。善きものを持ちながら道を誤る者も、悪しきものに惑わされながら正しき道を進む者もいる。しかし、この善くない、或いは正しくない者達でさえ、真の意味で堕地獄に値する者は多くない。人は彼らを悪と呼び、我らもまた彼らを悪と呼び、罪を負わせ、裁くが、それであっても、真の意味で地獄に投げ落とされるべき者は多くない。この結論から検察官は、個ではなく種としての人を地獄に投げ落とす必要性はないものと判断しました。『悪しき者のために善き者を滅ぼさず』の判例に倣い、検察は訴えを取り下げます」
「取り下げを認める」虚空から絶対的な声が響く。「閉廷とする。解散」
 偉大な気配が遠ざかり、傍聴人達が口々に感想を語り合って去っていく。被告人席の惑星も薄れて消えた。
 彼もまた去ろうとした。人に対する告発を自ら取り下げたことで、彼は明らかに敗北を喫した。しかし彼は傲然と前を見据え、堂々たる敗者として法廷を後にする。
「告発者よ」
 弁護人からの呼びかけに、彼は足を止めて振り返った。視線で用件を訊ねる。
 弁護人は慈愛に満ちた微笑を浮かべた。
「主はあなたの働きを見ておられます。あなたの無比の公正と慈悲を。あなたの魂にも安らぎが訪れますように」


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