宵闇が満ちる桜通り。その場に、二人の怪人が相対していた。
吸血鬼の魔法使い――エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。
奇妙な力を使う仮面の少女――長谷川千雨。
その二人の戦いの場面を後ろで見ながら、宮崎のどかは、今この瞬間が本当に現であるのか、わからくなりそうだった。
※
エヴァンジェリンと千雨。双方はそれぞれ手を出しかねていた。
相手が次の瞬間、何をしてくるかわからない。それは両者の間に共通した認識であり、それゆえに状況は膠着せざるを得なくなっていた。
只緊張感と圧力だけが徐々に増していく空間。それが飽和した時、二人は動く。
のどかは、戦闘に関しては全くの素人であるが、この場に満ちる何かが、強くなっている事だけは理解した。そしてそれが弾けた時どうなるのかも。
ジリ、とどちらかの足が摺れた。そして二人の怪人が再び激突せんとしたその時。
「ぼ、僕の生徒に何をするんですかーっ!」
そう言って突如現れたのは、10歳の子供先生、ネギ・スプリングフィールドであった。
「『魔法の射手《サギタ・マギカ》・戒めの風矢《アエール・カプトウーラエ》』!」
そして、ネギがその手から魔法を放つ。それが向かう先は、何と千雨であった。
だがこれは無理もない話である。状況の解らぬネギにとってしてみれば、今この場に居る3人の人物の内、二人は自分の生徒。そして残る一人は怪しい仮面を被った怪人である。
千雨は飛来する魔法の射手を見据え、無造作のその手を薙ぎ払った。
すると、先のエヴァンジェリン同様、生じた爆発によってネギの魔法は容赦なく蹴散らされた。
「ぼ、僕の呪文を掻き消した!?」
驚愕するネギだが、千雨はそれ以上動かない。
それを見たエヴァンジェリンが口元に嫌な笑みを浮かべると、ネギにこう言った。
「助かったよ、ネギ先生。急にこの仮面の不審者に襲われてね、どうしようかと思ってた所だ」
「そ、そうだったんですか!」
純粋なネギはあっさりとエヴァンジェリンの嘘に騙されると、千雨に向かって杖を構えた。
「僕の生徒を襲うなんて、許さないぞ!」
勇ましいネギを前に、千雨はどうしたものかと考え込んだ。まさか担任をこの場で打ち倒す訳にはいかないし、不用意に魔法を受けるつもりもない。ましてや、ネギの後ろのはこちらに意地の悪い笑みを浮かべるエヴァンジェリンが控えているのだ。
悩む千雨だが、救いの手は意外な所から差し伸べられた。
「ち、違います、ネギせんせー!私達を襲ったのはエヴァンジェリンさんで、この人は長谷川さんですー!」
「ええっ!?」
またしても驚くネギ。
のどかの言葉を聞いたエヴァンジェリンが眉を顰めた。
(そう言えばこいつもいたんだったな)
今の今まで、のどかの事をすっかり忘れていたらしい。
慌てて振り向いたネギの目に、舌打ちするエヴァンジェリンが映った。
「え、エヴァンジェリンさん……?」
「フン、あわよくば同士討ちさせようと思ったのだが、上手くいかん物だ」
「じゃ、じゃあ、やっぱりあなたが……!?」
後ずさるネギに、エヴァンジェリンは不敵な笑みを見せる。
その顔を見たネギは即座の呪文を唱え、今度はエヴァに魔法の射手を放つ。
「『氷盾《レフレクシオー》』……」
それに対し、エヴァンジェリンは小さな小瓶を投げ放ちながら、防御の呪文を唱える。
鋭い音が空気を震わせ、ネギの呪文は全て防がれていた。
「驚いたな。凄まじい魔力だ……」
だが完全に防ぐ事は出来なかったらしく、エヴァンジェリンは魔法の余波で避けた指から流れる血を舌で嘗め取り呟いた。
「10歳にしてこの力……。さすがは奴の息子だけの事はある」
その言葉にネギの目が見開かれる。『父』に関する事柄は、ネギにとって決して無視できない事である。
「な、何者なんですか、あなたは!?僕と同じ魔法使いなのに、何故こんな事を!?」
そう叫ぶネギに、エヴァンジェリンは口元に浮かぶ笑みを更に深くする。
「この世には、良い魔法使いと悪い魔法使いがいるんだよ、ネギ先生」
その時、エヴァンジェリンから見て正面、ネギや千雨達がいる方向から、神楽坂明日菜、近衛木乃香の両名が現れた。
「なんや、凄い音がしたえー?」
「あ、ネギ……って、うわっ、誰っ!?」
明日菜が仮面を被ったままの千雨を見て驚く。
だが、千雨にしても未だエヴァンジェリンがここにいる以上、仮面を外す事は出来ない。
そうしていると、不意にエヴァンジェリンがくるりと背中を向け、その場から逃走を図った。
「あっ、待って下さい!」
その後をネギが慌てて追いかけていく。
「ちょ、ちょっと、ネギ―!」
明日菜がその後ろ姿を呼び止めるが、ネギは止まらずエヴァンジェリンを追って行ってしまった。
それを見届けた千雨が、ようやく仮面を顔から外す。
「あ、千雨ちゃんやー」
「ち、千雨ちゃん!?何で仮面なんか被ってたの!?」
それを聞いた千雨は短くこう答えた。
「趣味だ」
その場に風が流れた。
「しゅ、趣味って、仮面を被るのが?」
「後、集めるのも、だ。それより、神楽坂、先生を追わなくていいのか?」
千雨が冷静にそう言うと、明日菜は我に返ってネギを追い始めた。
「そうだった!わ、私ネギを追うから!木乃香、悪いけど先に帰ってて!」
言うなり、明日菜は凄まじいスピードでその場から走り去った。
後に残されたのは、無表情な千雨と、茫然とする木乃香とのどかの三人だけであった。
「私も帰る。近衛、宮崎、お前達も気を付けて帰れ」
不意に千雨はそう言うと、その場からふらりと立ち去ろうとした。
「あ……」
背後でのどかが何か言いたげな声を出したが、千雨は振り返らず、そのまま歩き去った。
※
木乃香とのどかにああ言った千雨だが、向かった先は寮にある自室ではなかった。
この麻帆良は学園都市であり、そこには様々な場所がある。
たとえば、それは倉庫街も含まれる。
無個性な建物がずらりと並ぶ中、千雨がやって来たのは、他の物よりも幾分小さい、小屋程度の大きさの倉庫であった。
そこにあった扉の鍵をガチャリと開けた千雨は、中に入り電気を付ける。
中には家具の類がほとんど置かれていない。中央にソファ、そして小さなテーブル。壁際に辛うじて置かれてこれまた小さな棚には、簡易コンロと薬缶、そしてコーヒーや紅茶のパックが置かれていた。
だが、この部屋に入った者はそんな物など目に入らないだろう。
何故ならば、そこには壁一面に飾られた、形も大きさも、国すらも違う様々な仮面の群れがあったからだ。
千雨はその内の一角、不自然に開いた空白の部分に、手に持っていた『キフウエベの仮面』をかたりと掛けた。
そして簡易コンロに火をつけると、薬缶を火にかける。
お湯が沸騰するまでの間、千雨は中央のソファにごろりと横になった。
その時。
『千雨……。千雨……』
声が、聞こえた。否、その声は千雨にしか聞こえない。
『珍しく、心がざわついている』
『何があった、千雨』
何故ならば、その声は、壁に掛けられた仮面達から発せられているのだから。
「……魔法を、知っているか?」
千雨の声に、仮面達は応える。
『知っているとも』
『我等は、魔法と言う名の異能もまた、見て来ているのだから』
『国も違う。文化も違う。信ずる神も違う』
『それでも、人の営みは変わらない』
『魔法もそうだ』
『ある所には、在る』
「……そうか」
千雨はそう言うと、すっと目を閉じた。
その瞼の裏に、追憶が立ち上がる――。
※
『千雨ちゃん。お母さんねぇ、お父さんと一緒に、遠くへ行かなきゃいけないの』
『お母さん、私もお母さんやお父さんと一緒に行きたい』
『駄目よ。これから行く場所は、本当に遠くにあるの。千雨ちゃんは連れていけないわ』
『……うぇ……』
『!な、泣かないで、千雨ちゃん!お願いだから!!……だ、大丈夫、すぐに帰ってくるから。それまで、この学校で、麻帆良学園で待ってて。ここなら、お勉強しながら生活もできるから』
『……うん』
『帰ってきたら、また三人で暮らしましょう。約束よ』
『うん、わかった!』
『じゃあ、私は行くから。いい子で待ってるのよ』
『お手紙、書くから!』
『……さようなら、千雨ちゃん』
※
夜間に取り付けられた笛が、蒸気を受けて高らかに鳴る。
その甲高い音に、千雨は目を覚ました。どうやら、少し転寝をしてしまったらしい。
「約束よ、か……」
千雨は無表情にそう言うと、薬缶をの火を止めるために立ち上がった。
※
翌朝、登校した千雨は、何故か明日菜に引きずられて半泣きになっているネギを見た。
そして、その日からも千雨にとってはいつも通りであった。
宮崎のどかはこちらをちらちらと盗み見る様に見てくるし、ネギ・スプリングフィールドや神楽坂明日菜も同様である。
だが、それらの視線を受けても、千雨の表情は小揺るぎもしなったし、彼らを気に留める事もしなかった。
そして、さらに次の日。
千雨は、ネギ達に呼び出されていた。
呼び出された校舎裏に赴いた千雨は、そこにネギ、明日菜、のどかの姿を確認した。
「何の用でしょうか、ネギ先生」
千雨は、抑揚のない声で尋ねる。
「あ、あの、そのぅ……」
言い淀むネギの尻を、明日菜が叩いた。
「ほら、しっかりしなさい!」
「わひゃぁっ!?は、はい!」
頷いたネギは大きく一つ深呼吸すると、何かを言おうとした。
「そう言えば、何故ここに神楽坂と宮崎がいるのですか」
だが、その瞬間、先手を取る様に言った千雨の言葉に、ネギは慌てて口を閉ざした。
「あー……、私はこいつの保護者がわり。で、本屋ちゃんは……」
「私、長谷川さんに言わなきゃならない事があって……」
のどかが勇気を振り絞って言った。
「なんだ?」
そののどかを見つめる千雨。のどかは、千雨の目を見つめて、そのまま頭を下げた。
「あ、あの夜、助けて貰ってありがとうございました!」
真っ赤な顔でそう言ったのどかを、千雨は僅かに戸惑ったような雰囲気を滲ませた。
「別に、いい」
千雨は短くそう言ったが、のどかは嬉しそうに笑った。
「でも、ずっとお礼が言いたかったんです。あの時、本当に嬉しかったから……」
「そうか」
応える声はやはり平坦。しかし、のどかは満足気であった。
「それで、ネギ先生の用事は?」
「は、はい!!」
漸く話を振って貰ったネギが嬉しそうな顔をする。
「あ、あの、実は、僕のパートナーになって、一緒にエヴァンジェリンさんと戦って貰いたいんです!」
「パートナーとは何ですか」
意気込むネギに対して、返す千雨の声は冷たい。あまり千雨の事を知らないネギは、それだけで気後れした。
「おおっと、そこからは俺っちが説明させて貰おうか!」
その時、不意にネギ達の物ではない声が聞こえた。
千雨が声のした方を見やると、そこに白い毛並みのオコジョがいた。
「オコジョ」
千雨が見たままを口にすると、そのオコジョはニヒルな感じで笑い、どこからか取り出したたばこに火をつけた。
「おおよ。オコジョ妖精のアルベール・カモミールだ。今は、ネギの兄貴の使い魔をやってる。よろしくな、姐さん」
オコジョ――カモは、そう言って煙を吐いた。
「それで、パートナーとはなんだ」
千雨は喋るオコジョをものともせず、当たり前の様に尋ねた。
「ど、動じねぇ姐さんだな……。まぁいいさ。じゃあ説明するぜ、パートナーってのは――」
カモの説明曰く、パートナーとは、別名『魔法使いの従者《ミニステル・マギ》』と言い、呪文の詠唱中、無防備になる魔法使いを守る存在である事を説明された。
「まぁ最も、事は一生の問題だ。そこで、このパートナーを決める際にお試し期間ってのがあってな、限られた期間の間だけ契約する『仮契約《パクティオー》』ってのがあるのさ」
「それを私と結びたいと」
「まぁそう言う事さ」
カモはそう言うと言葉を締めくくった。それに対し千雨は。
「そうか。すみませんがネギ先生、お断りさせて頂きます」
「ええええーっ!?」
一瞬で断っていた。その迷いも何もない言葉に、ネギは驚きの声を上げる。
「ち、千雨ちゃん、どうして!?」
明日菜が驚きの余りニの句の告げないネギに変わって千雨に問い質す。
「理由がないからだ」
「え……?」
「先生を守る理由。マクダウェルと戦う理由。どちらも私にはない」
「そんな!」
明日菜達の目に非難めいたものが混じり始めるが、それでも千雨の態度は変わらない。
「で、でも、エヴァンジェリンさんは悪い人なんです!放っておいたら、また3-Aの誰かが襲われるかも……」
「ならば、他の人達――警察に言えばいい。見回りぐらいはしてくれるでしょう。それで先生の義務は果たせる筈です。後は……関係ありません」
その時、ネギの肩にいたカモが喚いた。
「かーっ、わからねぇ姐さんだな!いいかい、相手は魔法世界でも伝説と謳われた賞金首なんだ!警察何か当てになるかよ!」
「だからと言って、私がそれに付き合う理由は、やはりない」
「ち、千雨ちゃんはいいの!?エヴァちゃんみたいな悪人を放っておいて!!」
明日菜がそう言った瞬間、千雨はその乾いた瞳を明日菜にひたりと合わせた。
人形の様な目だ、と明日菜は思った。
「神楽坂、お前は勘違いをしている」
「な、何をよ……」
「私は、世の中の不正にも悪事にも差別にも、怒りを覚えた事はない。この世の中に住まう人間が何をしようと、私は一切興味はない。怒る事も、泣く事も、笑う事さえしない。私はそういう人間だ」
千雨はそう言うと、その場に立ち尽くすネギ達を残し、立ち去った。
【あとがき】
第三話終了です。
次回は麻帆良大停電。
ネギ達に協力を拒んだ千雨は、果たして巻き起こる騒動に対し、どう出るのでしょうか。
それでは、また次回。