それぞれの戦場、それぞれの戦い。遺恨と因縁、そして絆を生みつつ、彼らの舞台は、一時の幕を下ろして行く。
※
時は少し遡る。
遠くに見える【黒いリョウメンスクナ】が消えて行くのを見て、呪三郎は無念そうな声を上げた。
「ありゃりゃ、今度こそおしまいかなぁ?二転三転して、中々興味深かったんだけど」
「残念ダッタナ。ザマァ見ロ」
呪三郎と相対していたチャチャゼロが、ケケケとせせら笑いながら言う。
「……本当に性格悪いね、君」
呪三郎がため息を吐いた。そんな風に当たり前の如く会話している一人と一体だが、それぞれの有様は酷い物だった。
チャチャゼロは体に空いた穴から生じた亀裂が顔にまで及び、頬の一部が割れている。それに加え、腕が一本捥げてもいた。
対して呪三郎は、自身が操る人形、『宿儺』が半壊している。四本あった腕はうち三本が失われており、二つあった頭は片方が切り取られ、残ったもう一つの頭も半分が砕けている。胴体もまた夥しい数の裂傷が刻まれ、チャチャゼロの攻撃の苛烈さが窺えた。その攻勢は呪三郎自身にも刻まれており、彼の頬に走った大きな傷が、どれ程の危うい状況だったのかを示している。
「デ、ドウスンダヨ?」
「さて、このままお互い壊れ尽くすまで殺し合ってもいいんだけどねぇ」
呪三郎はにたりと嗤った。
「なんて、ね。退くよ。ここで死んだら、色々ともったいないから、さ」
「……ソウカイ」
尚も呪三郎を警戒し続けるチャチャゼロの前で、当の傀儡師は足元を蹴って後方へ大きく退いた。
「ふふふ。今回の仕事は、紆余曲折あったけど、僕の中では当たりだったよ。伝説の【人形遣い】に、その第一従者とやり合う事が出来たんだからね」
「生キ人形ハ嫌イナンジャナカッタノカヨ?」
そう問うたチャチャゼロに、呪三郎は肩を竦めた。
「物による、と言う事が、君との戦いで判ったからね」
「褒メ言葉ト受ケ取ッテオクゼ」
言葉とは裏腹に、チャチャゼロは物凄く嫌そうに言った。
「捻くれた言い方をしなくても、僕は本心から褒めているのさ。君と言う存在をね」
そう言って、呪三郎は人形を伴って背を向ける。
「また会おう、『チャチャゼロ』。【人形遣い】にも、よろしく言っておいてくれ」
肩越しに粘つくような笑みを覗かせて、今度こそ【傀儡師】は去って行った。
「……行ッタカ」
彼の者の気配が完全に消え失せたのを感じたチャチャゼロが、ようやくナイフを下し、肩の力を抜く。
「アー、疲レタ。コンナニ動イタノナンテ、ソレコソ百年ブリグライダゼ」
片方だけ残った肩をぐりぐりと回しながら、チャチャゼロがぼやいた。
「ニ、シテモ……」
背後からこちらに駆け寄ってくる妹の足音を聞きながら、チャチャゼロはげんなりとした様子で呟く。
「俺モ御主人モ、厄介ナ奴ニ気ニ入ラレチマッタナァ……」
その視線が向く方向、夜の森の奥には、もう【傀儡師】の姿は、影も形も無かった。
※
一方、真名と古菲、そして月詠と鬼達の対峙する戦場にも、終幕が訪れていた。
「どうやら勝負あったみたいやな。あんたらの勝ちや、どうする、ねーちゃん?」
片腕を無くした大鬼が、消えていく【黒いリョウメンスクナ】を見やりながら訊ねた。彼の率いる鬼の軍勢は、すでに両の指で数えられるほどにまで減っており、一人の鬼が、その有様に呆れる様な感心するような様子でため息を吐いている。
「こっちも助っ人なんでね。そちらが退くなら戦う理由がない」
大鬼の言葉に、真名があっさりとそう言った。その横では、古菲が「暴れ足りないアル」、と不満顔を曝しているが、真名は気にも留めていない。そんな真名は、そのまま視線を月詠へとシフトさせて、
「お前はどうなんだ、神鳴流剣士?」
「ん~、そうですなぁ……」
問われた月詠は、少し考えたが、すぐに結論が出た様子で、退却を選択した。
「もろたお金の分は働きましたし、東西の戦争が起こらんかったのは残念ですけど、退きますえ~」
「そうか……」
にこにこと笑う月詠に、真名はふと、疑問に思っていた事を聞いてみた。
「月詠、といったな」
「はい~?」
「傭兵は金の為にしか動かない。だが、お前は違うだろう?お前は、何のために戦う?」
その問いに対して、月詠は華の様な微笑みを浮かべて言う。
「決まっとりますえ。ウチが目指すんは、只一つ」
月詠は、すっと指先を空へ向け、一言、
「最強、ですわ」
臆面もなく言い放った月詠に、真名は思わず黙り込んだ。
「冗談の類やあらしまへんえ。男も女も関係なし。この手に剣を握り、武を修めたその日から、うちはそれだけを目指して生きとります」
その言葉は、普段の月詠からは考えられないほど真っ直ぐな物であった。
「多分、と言うか、確実にウチは壊れた人間なんでしょうなぁ。快楽も、友情も、愛情も、剣を、戦いを通してしか感じられませんのや」
たとえ、どれほどの剣才を持とうとも、それを磨かねば意味がない。月詠は、類稀なき才能を持ったが故に、それを磨き、高みを目指す以外の生き方が出来なくなってしまっていた。
「殺しを楽しむのも、戦う相手を愛する事も、全てはこの業が故。でも、ウチはこの生き方を後悔しておりませんのや」
月詠は真名に視線を向けた。
「だって、今日みたいな素晴らしい出会いがありますさかい。ねぇ、龍宮真名はん?」
「……随分と、嫌な気に入られ方をしたものだな」
月詠の言葉に、真名はうんざりしたように呟いた。その様子を見て、月詠はころころと笑う。
「『神鳴流に飛び道具は効かない』……。誰が言い始めた妄言かは知りまへんが、それが誤りだったと、今日は判りましたから」
月詠は、真名との戦いを思い出す。飛び交う銃弾、閃く剣閃。銃使いと戦うのは初めてでない月詠だが、真名ほどの使い手には、出会った事はなかった。一瞬一瞬のやり取りが、即、死に繋がる。月詠にとって、それらの瞬間は、甘美で、心躍る、最高の時間だった。
「また、殺り合いたいもんですなぁ」
「それなりの報酬が無ければ、私はごめんだ」
嬉しそうな月詠に、真名は肩をすくめながら言う。それは残念、と言った月詠は、軽く地を蹴ると、後ろへ下がった。
「それではウチはこれで~。刹那センパイにも、よろしゅうお伝えくださいな、真名はん♡」
そう告げると、月詠はその場から瞬動を持って離脱、あっと言う間に姿を消した。
「……大昔ならいざ知らず、今の世にも、ああいうのはまだおるんやなぁ」
その姿を見送った大鬼がポツリとつぶやいた。
「嬢ちゃん達、覚えとけ。あんな輩を、『修羅』と言うんや」
「『修羅』、か」
戦いの中でしか生きられない、戦う為でしか生きられない。それは異常で異端で、そして何処か哀れな生き方なのかもしれない。
「……そろそろ、わしらも消えるか」
そう言った大鬼以下妖怪達の姿が、端から霞の様に消えて行く。
「ほななー、嬢ちゃん達」
鬼の一人が手を振った。その隣で、狐面の女妖怪も同様の仕草をしている。
「中々楽しめたぞ、大陸の拳法使い!さっきの坊っちゃん嬢ちゃんにもよろしゅうなー」
烏天狗がそう言って笑った。
「珍しいもんも見れたし、久しぶりに愉快やったわ。今度会った時は、酒でも飲もう」
最後に、大鬼が親指をぐっと立ててそう言うと、鬼達は元いた異界へと帰って行った。
「私達はまだ未成年何だがな」
大鬼の言葉に苦笑した真名は、傍らにいる古菲の元気がない様子に気付いた。
「どうした、古」
「ん?んむぅ……」
何とも煮え切らない返事をした古菲は、ポツリとつぶやいた。
「あいつ……、月詠って言うやつの事、アル」
「?月詠がどうしたんだ?」
「真名は……、あいつの事をどう思ったネ」
「狂人だな」
真名は即答した。月詠の生き方は、真名にとって微塵も理解できないものである。己の分を弁えない生き方は、決して長く続かない。常に最良の『自分』を見極めつつ、その『自分』に見合う仕事を心掛けなければ、傭兵などと言う仕事で飯を食っていく事は出来ない。だが、そんな傭兵の価値観を抜きにしても、月詠は十二分に狂っている。大鬼をして『修羅』と言わしめるだけの事はあるのだ。
「そう、アルよ。でも……」
押し黙った古菲は、やがてゆっくり口を開いた。
「ワタシには、あの女の考えが、少し理解出来てしまたアル……」
剣と拳。握る武こそ違えど、古菲もまた、武芸に生きる徒である。月詠の『最強』へと至る為の道を、その為の考えを、理解してしまった。出来てしまった。
「真名……。『強い』って、何アルかな……」
古菲が今まで歩んできた強くなる為の道は、小石を積み上げ、階段を作っていく事によく似ている。一日一日、拳を振い、技を鍛え、上へ、上へと登って行くのだ。だが、月詠は違う。小石の代わりに屍を積み上げ、常人のそれを遥かに凌ぐ速さで上へ向かって駆けあがっていく。それは決して、人としての生き方ではない。それは古菲にも判る。それでも、心のどこかで、武に全てを捧げつくせる覚悟のある月詠に共感し、また羨ましく思う自分もいるのだ。人としての倫理と、武人としての魂。二つの意志に挟まれた結果、古菲は柄にもなく悩んでいた。
「……古。お前はやはり、バカイエローだな」
「ぬわっ!?」
いきなりの痛罵に、古菲は面食らった。ショック状態の古菲を置いて、真名は続ける。
「傭兵の私に、武人の強い弱いが何なのか、判る筈もない。だがな、古菲。お前と恐らく同じ道を歩んだであろう先人の武芸者達は、皆弱かったか?例えば、お前に拳を教えた師匠とか」
「むむっ!師匠はそりゃーむっちゃ強いアルよ!」
「その師匠は月詠よりも弱いと思うか?」
「そんな訳ねーアルよ!」
「なら、お前も大丈夫だろう」
「……あれ?」
言いくるめられた様な感じの古菲は、首を傾げた。
「今までお前が歩んできた道が間違いではない、と言う事さ。月詠のやり方は、確かに強くなれるだろうが、それだけだ。ましてや、自分の命を顧みないやり方で、本当に最強とやらになれるのかは、疑問だしな」
常在戦場、と言えば聞こえはいいのかもしれないが、自分の命を綱にして崖を登る様な月詠の生き方は間違っている、と真名は言う。
「だから、お前は他の者の事なんて気にしないで、いつもの様に馬鹿で居ればいい。そちらの方が気楽だぞ?」
「……真名のセリフがものすごく突き刺さってくるアルが、まぁいいアル!確かに、私らしくなかたネ!」
古菲がぐっと拳を握りしめた。
「武の道において、努力は才能に勝るね!月詠がどれほどの死線を潜ろうとも、私自身の努力がそれを埋められるように頑張ればいいだけの事アル!」
それは凄まじく困難な道なのかもしれない。だが、その果て築かれるのは、誰にも打ち崩せない、無敵の要塞である。
古菲、15歳。拳を握って、早十数年。今再び、思いを新たにする。真名は、そんな友の様子を見て、少しだけ、頬を緩めた。
※
戦場、と言うよりも決闘に近いのが、長瀬楓と、犬神小太郎の戦いである。ネギの足止め役として立ちふさがった小太郎だが、後から現れた楓によって、自らの役割を完全に阻止されてしまった。
狗族と人の間に生まれた半妖である小太郎の身体能力は、常人どころか、並の猛者のそれすらも凌ぐ。だが、甲賀の中忍――只でさえ厳しい修練を積んだ下忍を、弱冠15歳で超えた長瀬楓は、その更に上を行く。結果、小太郎はいい様に楓に翻弄されてしまったのだ。それでも尚抵抗を続けていた小太郎だが、【リョウメンスクナ】、そして【黒いリョウメンスクナ】が現れ、それが消えた瞬間、いても立ってもいられず、楓を置いて猛然とその場に向かって走り始めた。
「!待つでござる!」
それを捨て置く訳にもいかない楓が、慌ててその前に立ち塞がる。
「邪魔ぁ……するなぁっ!!」
ぎりっと牙をかみ合わせた小太郎の体が、不意に一回り以上大きくなる。
「むっ?」
その変化に思わず細い眼を見開いた楓の前で、小太郎の体が変貌する。獣と人の間の様な異形こそ、小太郎の切り札、『獣化』である。
「な、なんですか、あれは……!?」
木の影からこっそり覗いていた故が、その変化に呆然とする。先の戦いにおいても、頑なに顕す事の無かった『獣化』を曝した小太郎は、大きく口を開くと凄まじい咆哮を楓に浴びせかける。
「くっ!?」
びりびりと鼓膜を震わせる轟音に顔を歪めた楓は、次の瞬間、自分の間合いの深くまで踏み込んで来た小太郎の姿を見る。
(速い!)
瞠目する間もなく、小太郎は固く握った拳を楓に向けて突き出した。回避不能と判断した楓が、気を込めて防御した瞬間、炸裂した拳が楓を吹き飛ばした。
「か、楓さん!?」
人間が水平に飛んだ姿を生まれて初めて見た夕映が、思わず声を上げる。だが、小太郎はそんな夕映にも、己が殴り飛ばした楓にも目もくれず、今度こそその場から走り去る。少年の脳裏には、今、一つの事しか浮かんでいない。
(姉ちゃん……!無事でおってや……!)
自分の大切な『姉』の身を必死で案じる小太郎は、夜の森を駆け抜けて行く。
一方、後に残された夕映は、楓の飛んで行った場所に走り寄る。
「か、楓さん、大丈夫ですか!?」
「んー、ま、何とか無事でござるよ、夕映殿」
「にょわ!?」
不意に隣に出現した楓に、夕映が珍妙な悲鳴を上げる。はっはっは、と軽く笑う楓だが、小太郎の拳を受け止めた腕は、気で強化していたにも拘らずどす黒い痣ができ上がっている上、軽く動かすだけで鋭い痛みが走る。
(折れてはおらぬようだが……)
それでも、手痛い反撃を食らった事には変わりない。未熟、と己を戒める楓は、小太郎が向かった先に目をやる。
(随分と必死な様子だったでござる。あそこに、誰か大切な者でもいるのでござろうか?)
首を傾げる楓は、くいくいと袖を引く夕映に気付いた。
「楓さん、あの子を追わなくてもよいのですか?」
「無論、追うでござる。だが、先の巨大な影が去った所を見るに、事態はどうやら収束へと向かっている様子。そうそう、焦る事も無いでござる」
(あそこには、刹那や、それにエヴァンジェリン殿もおるようでござる。そして何より――)
楓は、脳裏に一人の無表情な少女を思い浮かべる。
(長谷川殿、か)
エヴァンジェリンの言葉を信じるならば、最強クラスの手練もまた、あそこにはいる。
(独特の空気を持つお人とは思っていたでござるが……)
やはり自分は、まだまだだと思っている楓は、それでも尚不安そうな顔をしている夕映ににぱっと笑いかけた。
「まぁ、のんびり行くでござる」
そのようにのたまう楓に、深い事情を知らぬ夕映は、全く不安が拭いきれないままであった。
【あとがき】
更新が遅くなり、申し訳ありません。にじファン消滅の煽りを受け、向こうに置いていた二次創作作品をこちらに移動するにあたり、手直し等をしている内に、こちらの小説の手がどうしても止まっていました(ひと段落はつきましたが)。
とりあえず、本編に入る前に、それぞれの場所では何があったかと言う事を書かせていただきました。次の更新は、なるべく早くできるよう頑張ります。
それでは、また次回。