目覚めてから少し経ったある満月の頃、その光景を見た。
主は静かに本を読み、その傍らでは、小さな一番上の姉が、お気に入りのナイフの手入れをしていた。二人の間に会話はなく、只、同じ場所を共有しているだけの光景。
だけどその光景を、生まれたばかりの自分は、何故か酷く羨ましく感じた。
※
「絶景かな、絶景かな、ってね」
遠くに見える【リョウメンスクナ】を眺めながら、『傀儡師』はのんびりとした口調でそう言った。
「文字通りの神の似姿。美しいと思わないかい?」
その瞳には、素直な羨望と称賛の色。呪三郎は、本気で【リョウメンスクナ】を美しいと思っていた。
「二面四手。ふふふ、丁度この子も同じだ。名前も付けていなかった事だし、あの鬼神にあやかって、『宿儺《スクナ》』とでも名付けようかな」
傍らに控えた異形の人形を撫でて、呪三郎は嗤う。
「テメェノポンコツ人形ノ名前ナンゾドウデモイインダヨ」
全身から鬼気を発する呪三郎と相対したチャチャゼロが、吐き捨てるように言う。そして、自分の後方にて身構える妹に顔をグリンと向けた。
「妹。オメェハ後方支援ダ。下手ナ手ェ出スンジャネェゾ?」
「姉さん」
返す茶々丸の声には、僅かな不満の色があった。
「私も、戦えます」
「並ノ奴相手ナラ俺モ止メネェサ。ダガ、アレハ別格ダ。今ハマダ、オ前ジャ相手ハ務マラネェ」
チャチャゼロは、茶々丸の言葉をばっさり切り捨てた。それを受けた茶々丸は、不満を抱きつつも、姉の言葉に従った。己の主、エヴァンジェリンや、開発者である葉加瀬聡美や超鈴音を除けば、この小さな姉が、茶々丸にとって命令系統の優先順位の最上位となるからだ。
「おや、二体で向って来るんじゃないのかい?」
眼前に相対するのが、小さな体躯の人形だけである事に、呪三郎は首を傾げる。
「アイツハマダマダ子供ナンダヨ。オ前ミテェナ教育上好マシクナサソウナ奴ト関ワラセル気ハネェ」
「……君は本当に口が悪いね。【人形遣い】はどう言う躾をしてるんだか」
渋面を作る呪三郎に、チャチャゼロは嗤う。
「生憎、戦ッテバカリノ野放図ナ生キ方ヲシテキタモンデナ、ゴ主人ミテェナオ上品サハ欠片モナインダヨ」
そう嘯きつつ、チャチャゼロは、身の丈程もありそうな鉈を肩に担いで、何でもないような声で告げる。
「ジャア、殺ルカ」
言うなり、チャチャゼロの体は疾風と化す。瞬時に呪三郎操る『宿儺』の懐に入り込んだチャチャゼロは、弧を描く様に鉈の斬撃を振う。だが、それを易々と受ける『宿儺』ではない。『宿儺』は掲げた左の刃で鉈の一撃を受け止める。甲高い金属音が響く中、『宿儺』がもう片方の刃を振う。奇襲を防がれたチャチャゼロは、鍔迫り合いに拘泥する事無く、すぐに身を翻すと、刃の範囲内から逃れる。すると、今度は『宿儺』がチャチャゼロを攻め立てる。二本の刃、そして鋭い爪先を持つ両腕が、4つの連撃となってチャチャゼロを襲う。その苛烈な攻めを、チャチャゼロは或いは避け、或いは躱し。そして連撃の隙間を縫って、鉈の一閃を繰り出す。
唐突に始まった死線の舞踏。そのあまりの激しさに、後方に待機していた茶々丸は息を呑んだ。仮に、今の自分があの場に飛び込んで、一体何秒無傷で居る事が出来るだろうか。チャチャゼロの戦技、そして呪三郎の人形繰りは、今の茶々丸には到底届かないほどの高い次元にあった。それを理解しながらも、茶々丸は己の電子頭脳に走る、言い難い衝動の様なものを感じていた。
一方、チャチャゼロは呪三郎の駆る人形の性能、そしてその繰りの腕の予想以上の高さに舌を巻いていた。
(ゴ主人ガ警戒スルダケノ事ハアル、カ)
空を裂く二刀の鋭さ、繰り出される貫手の速さ、そして全体の動き。それら全ては、並の剣士、魔法使いならば、十秒もあれば解体出来るほどの凄まじさを誇っている。だが、チャチャゼロは更にその上をいく。
「ぬおっ!?」
それまで防戦がちだったチャチャゼロの動きが突如変わった事に、呪三郎は困惑の声を上げる。数十合に渡る競り合いの中で、『宿儺』の動きを大体把握したチャチャゼロが、己の体のギアを上げたのだ。そもそも、チャチャゼロの戦技、武功は、凄まじい領域に達している。エヴァンジェリンの剣として、或いは盾として、数百年を戦の野の中で過ごしたチャチャゼロは、戦闘技術だけを切り取ってみると、主であり、戦技の師であるエヴァンジェリン、そして魔法世界に並ぶ英雄達のそれすらも既に凌駕している。それでも尚、チャチャゼロが絶対的強者とならないのは、エヴァンジェリンによって作られた木性の簡素な体を手放す気がないからだ。
だが、その体に拘った故に、チャチャゼロは己の体をどう動かせば、最適な戦闘行動が可能かを知りつくしている。
吹き荒れる暴風の如く、一振りの大鉈は踊る。チャチャゼロは、小さな体ごと叩きつけるように、または、ほんの小さな手首の返しによる繊細な技巧を凝らし、『宿儺』の体を削り取っていく。埒が明かぬと、と感じた呪三郎は、『宿儺』の体を強引にチャチャゼロへ向かわせ、4本の腕を抱き締めるように振う。チャチャゼロは、それを大鉈と、腰に差してあった大振りのナイフで受け止める。
「それで躱したつもりかい!?」
呪三郎が嘲笑った直後、『宿儺』の二つの頭が口をがばりと開ける。そこから覗く砲口を見たチャチャゼロは、ナイフを手放すと、鉈と刃が競り合う場所を起点に、逆上がりのように体を回し、『宿儺』の頭上に舞い上がる。直後、吐き出された針の雨が、取り残されていた大鉈とナイフを粉々に砕き散らした。
「! テメェ、ソレハモウ生産サレテナイレア物ナンダゾ!」
バラバラになった二つの得物を見て、チャチャゼロが憤慨する。
「そんなに大事なら、もっと厳重に保管しておくべきじゃないのかい?」
「俺ハコレクションハ使ッテ大事ニスルタイプナンダヨ!」
チャチャゼロの言葉を聞いて、呪三郎はからからと笑った。
「ははは、その言葉だけは同感だよ!」
己の作った物や、収集した人形は一度は何かしらに使う呪三郎である。
「姉さん!」
その時、茶々丸の声と共に、二本のナイフがチャチャゼロの傍に突き立った。武器を無くしたチャチャゼロへの精一杯の援護である。
「オ、助カルゼ、妹!」
チャチャゼロは、二本のナイフを引き抜くと、『宿儺』に向けて構える。それを受け突進する『宿儺』だが、突如その体の向きを変える。向かう先には――茶々丸の姿。
「テメェ!」
「敵は二人――、なら、弱い方を狙うのは、定石ではないのかい?」
そう言って嗤う呪三郎を、一瞬斬り殺してやろうかと思ったチャチャゼロだが、それよりも、『宿儺』が茶々丸に辿り着く方が早い。小さく舌打ちしたチャチャゼロは、体を翻して『宿儺』の背中を追った。
そして、『宿儺』の向う先に居る茶々丸と言えば、それに対し逃げるそぶりを見せなかった。それは、己の電子頭脳に蟠る、何らかの衝動、いや人で言うならば『意地』の様な物だった。
『自分だって、戦える』。
先程チャチャゼロに言ったセリフだ。襲い来る相手は、尋常な物でない事は知っているが、自分とて、現行の科学を遥かに凌駕するオーバーテクノロジーを持って作られた存在である。スペック上では、負けてはいない。そう自身を鼓舞した茶々丸は、『宿儺』に向けて拳を突きだす。同時に、轟音と共に発射される拳。ロケットパンチ、と言うか、有線式なのでワイヤードフィストとでも言おうか、空気を貫いて飛んだ拳が、『宿儺』を迎え撃つ。だが、初めて見る筈のその武装を、『宿儺』は首を傾けただけで回避した。
「面白い武器だとは思うけど、残念ながら隙だらけだ!」
呪三郎の言葉と共に、『宿儺』の腕が一閃。鋼鉄製のワイヤーがあっさりと断ち切られ、繋がりを無くした腕が彼方へと消えていく。
「くっ」
顔を歪める茶々丸が、次の武装を選択するよりも早く、『宿儺』がその攻撃の射程範囲に、茶々丸を捕える。
「――あ」
大きく広げられた4つの腕が、茶々丸の目には顎を開けた獣の牙のように見えた。何かを行動を起こそうとする茶々丸だが、その度に思考回路がフリーズする。それは、茶々丸の人工知能に初めて生まれた感覚、すなわち、【恐怖】であった。そのようにして体の固まった茶々丸を、『宿儺』が容赦なく切り刻むと思われた、その刹那。
「――コノチャチャゼロヲ無視スルタァ、イイ度胸ダ」
チャチャゼロが、雷光の速さで茶々丸と『宿儺』の間に割り込んだ。先の一瞬まで後方で己の人形の背中を追っていた筈のチャチャゼロがそこに居る事に、呪三郎は思わず唖然とする。割り込みを掛けたチャチャゼロは、手にしていたナイフを逆袈裟に斬りあげ、『宿儺』の体を吹き飛ばした。だが、只でやられる『宿儺』ではない。吹き飛ばされながらも、大きく開いた片方の顎から、鉄針の雨がチャチャゼロ達に向かって吐き出される。躱そうとしたチャチャゼロだが、背後に居る茶々丸を思い出しその場に留まると、手にしたナイフをぐるりと回し、鉄針の群れを叩き落とした。その代償は二つの結果を残した。まず一つ、チャチャゼロの手にしていたナイフが、使い物にならぬ程ボロボロになった。
「コレモイイ品ダッタンダケドナァ」
またしても駄目になったコレクションを見て、チャチャゼロがため息をつく。
「ね、姉さん……」
茫然と目の前に居る姉を呼ばう茶々丸を振り向き、チャチャゼロは少しホッとしたような様子を見せる。
「オウ、妹。モチット下ガレ。危ネェゾ?」
「そんな事よりも、姉さん!体が……!」
茶々丸の視線の先にあるチャチャゼロの体に、幾本もの鉄針が突き立っていた。中には、貫通している物もある。
「捌キ切レナカッタカ。マァ、イイ」
チャチャゼロは己の体に突き立った針を、無造作に引っこ抜いて行く。小さな体は、それだけで穴だらけの無惨な物となるが、本人は至って平然とした様子で、
「コウイウ時、安物ノ体ハ楽デイイナ」
と笑った。だが、そんなチャチャゼロの様子に一瞬の安堵を浮かべた茶々丸は、顔を俯け、唇を引き結ぶ。
「……ごめんなさい、ごめんなさい、姉さん」
「ド、ドウシタヨ?」
絞り出された言葉の悲痛さに、チャチャゼロは驚く。
「私が、私が弱いから、姉さんが傷ついてしまいました……」
「別ニ、オ前ノセイッテワケジャ……」
「でも!」
なんとか宥めようとするチャチャゼロの言葉を遮り、茶々丸は言い募る。
「でも、もしここに居たのが、私じゃなくて、他の姉さん達だったら、こんな事にはならなかった筈、いえ、寧ろ、姉さんと並んで、あの男に立ち向かう事だって……」
茶々丸は、ぎゅうと拳を握りしめた。弱い自分が、悔しくて、守られる事しかできない事が、辛くて。
「……私は、他の姉さんたちみたいに強くない。最新の科学で作られた筈なのに、マスターのお役に立つ事も出来なくて……」
「イヤ、ゴ主人ノ衣食住ヲ面倒見テンノオ前ジャネェカ」
「そんな事、他の姉さん達だって……」
チャチャゼロは、酷く落ち込んだ様子を見せる茶々丸に、ため息をついた。と言っても、他の姉達と自分を比べる、と言うのは、何も茶々丸に限った悩みではない。チャチャゼロが見てきた他の妹達も、同じように通って来た悩みだ。それらに対し、チャチャゼロは自身が彼女たちを鍛え上げる事で、その悩みを解消してきた(無論、他の妹達は別のアプローチをしていたようだが)。そんなチャチャゼロであったが、今回に限り、言葉を持って、この末の妹に伝えた。
「……イイジャネェカ、弱クテモ」
「え?」
姉の言葉に、茶々丸はきょとんとした表情になった。そんな妹に、不器用な姉は言葉を紡いでいく。
「今ノゴ主人ハヨ、ヤット自分ノ未来ッテ奴ニ目ヲ向ケラレルヨウニナッタヨナ?」
「は、はい」
「俺ガゴ主人ノ従者二ナッタ頃ハヨ、毎日ノヨウニ誰カト殺シ合ッテタモンダ。ゴ主人ハ今ヲ生キル事ニ精一杯デヨ、トテモ未来ナンテ見テル場合ジャナカッタンダ」
「……」
「俺ヤ、他ノ妹達ガ強エッテノハヨ、ソンナ闇ノ時代ノ名残ミテェナモンダ。決シテ、誇レルヨウナモンジャネェ」
それは、チャチャゼロにとっても思い出したくない記憶である。あの頃、何度己の主を死なせかけたか。何度弱い自分に歯噛みをしたのか、わからない程の辛酸を舐めていた。そんな中を、必死で己の技量を磨いて、何とか主を護れるようになったのである。
「ゴ主人ガ麻帆良学園ニ通ウヨウニナッテ、友達モタクサン出来テ、俺ハ本当ニ安心シタンダ。コレデモウ、ゴ主人ガ傷ツク事ハナインダッテ」
でも、とチャチャゼロは言う。そんな主が、ある日を境に、魂が抜けたような状態になった。呪いのせいで、全ての絆を失った主をどう慰めればよいのか、戦う事しかできないチャチャゼロには判らなかった。
「ソンナ時間ヲ何度モ繰リ返シテタ時、オ前ガ出来タンダ」
己達とは、違う技術によって生み出された新しい妹。その無垢な存在は、少しずつであるが、主の心を癒していったように、チャチャゼロは思う。そして、それから少しの後、主は、己の道を再び光へと導いた、あの少女に出会ったのである。
「アノ眼鏡ノオカゲデ、ゴ主人ハマタ前ヲ向ケルヨウニナッタンダ。コレカラ先ノゴ主人ニ、戦イナンテイラナインダ。ダカラ、ソンナゴ主人ニ付キ従ウオ前モ、戦ウ事ナンテナインダ」
「姉さん……」
「オ前モ、ソシテ光ノ道ヲ歩キ始メタゴ主人モ、マダマダコレカラサ。明ルイ場所ヲオッカナビックリ歩クゴ主人ノ横デ、一緒ニ笑ッテ、一緒ニ泣イテ、ユックリ成長スレバイイ」
チャチャゼロは、これから先を主と共に歩むのは、茶々丸がふさわしいと思っていた。自分のような存在は前に出ず、偶に主や幼い妹をからかうぐらいが丁度いいとも。或いは、【闇の福音】を始めとした数々の悪名の影響が、こうして立ちふさがる時の護り手としてあるぐらいで丁度いいと、そう思っていた。
「ダカラ戦ウ事ハ、ソレシカ出来ナイ俺ニ任セテ、ソコデノンビリ観戦シテレバイイサ。オ前ノ――“茶々丸”ノオ姉チャンガ、凄ェ強エ所ヲナ」
「――はいっ!」
心の内に秘めていた姉の心情聞いて、そしてそんな姉から初めて名前を呼ばれた事に気付いた茶々丸が、嬉しそうに返事をする。基本数百体以上の妹がいるチャチャゼロにとって、大抵の妹は名前が覚えきれないために、『妹』で通す。名前を呼ぶという事は、チャチャゼロにとって、その存在が特別な物になった事を意味しているのだ。
チャチャゼロは、己の持参していたカバンの中から、持てるだけの刃物を取り出すと、全て体に背負い込んだ。そして、呪三郎と再び相対した。そんなチャチャゼロを見ながら、呪三郎は妙に軽い拍手を彼女に送る。
「いやぁ、美しい姉妹愛。と言ってあげたい所だけど、僕から見れば、醜悪だよ、君達はね」
「ア?」
チャチャゼロの声に剣呑な物が宿る。それを気にした風も無く、呪三郎は続ける。
「人形は、ただそこに在るだけで、或いは人に繰られてこそ華。にも拘らず、自分の意思で動き回る君達は、不出来な人間の模型な様な物だ。無粋な上に、見るに堪えない。だから、人形に『魂』なんて必要ないのさ」
「……ソウカイ。ゴ高説、痛ミイル。ケドナ」
瞬間、チャチャゼロの姿は『宿儺』の目の前に到達していた。
「俺ハソウハ思ワネェ」
「何!?」
顔を歪ませる暇もなく、チャチャゼロの振るう刃を『宿儺』で受け止めた呪三郎だが、その瞳が再び見開かれる。鋼がぶつかる音がしたと思った次の瞬間、チャチャゼロの姿が再度かき消え、今度は跳ねあがった刃の一閃が『宿儺』の腕を弾く。それと同時に叩き込まれた蹴撃が、『宿儺』の体を吹き飛ばした。
(何だ!?速すぎる上に、この力は!?)
呪三郎は、チャチャゼロの速度と剛力に驚愕する。
先の攻防において、茶々丸に迫る『宿儺』に追いつく事が出来たチャチャゼロの切り札の一つ、『瞬動』及び『虚空瞬動』による連続機動、そして魔力を纏う事による『限定強化』である。本来、人形であるチャチャゼロに『気』を発生させる事は不可能である。だが、チャチャゼロは、それを主から供給される魔力を代替物として使用する事により、これらの技を可能とする。そして、数百年に及ぶ研鑽は、本来直線機動しかできないそれを、ごく短時間で切り替えながら使う事により、恐ろしく滑らかに動く事を可能とした。そして全身強化は、言わずと知れた魔力供給による産物であるが、チャチャゼロはそれらの出力を制御する事が出来る。先の蹴撃は、脚力を極端に強化する事で起こした物である。
チャチャゼロは吹き飛ばした『宿儺』を追って疾駆しながら叫ぶ。
「コノ意志ガ合ッタカラ、アノ方ヲ護ル事ガ出来タ!」
――ここまで来れば、もう大丈夫だろう。お前のおかげで助かった。ありがとう!
チャチャゼロは担いでいた刃物の内、小振りの物を投げつける。腕力の強化によって放たれたナイフは、『宿儺』の胴体を容赦なく穿つ。
「コノ思イガ合ッタカラ、アノ方ヲ笑顔ニ出来タ!」
――決めた!お前の名前は、『チャチャゼロ』だ!どうだ、いい名前だろう?
『宿儺』に追いついたチャチャゼロは、手にしていた身の丈ほどもある剣を、体ごと振り回すように叩きつける。咄嗟に交差した刃の腕で受け止める『宿儺』だが、そのあまりの威力に、体全体が軋み、足元の大地が砕けた。
「コノ心ガ合ッタカラ、アノ方ヲ孤独カラ救エタンダ!ダカラ!」
――これからは、お互いが滅ぶその時まで、私達はずっと一緒だ!よろしく頼むぞ、チャチャゼロ!
「俺ハ自分ノ『魂』ガ生マレタアノ時カラ、一瞬ダッテソレヲ後悔シタ事ナンテネェンダヨッ!!」
叩きつけた剣を手放すと、素早く地に降り立ったチャチャゼロは、腰にあった二本のナイフを、交差するように振った。空を走った刃は、掲げられた事で伸び切った『宿儺』の腕の関節の繋ぎ目を、過たず斬り飛ばした。
「馬鹿な!」
慌てて呪三郎は『宿儺』を己の傍らに招き寄せる。傷つき、二本の刃を失ったその姿は、酷く不格好となりあらゆる面で呪三郎の美意識を不快な方向に逆撫でた。
そしてチャチャゼロは、斬り落とした『宿儺』の腕を踏みつけながら、そんな呪三郎に向けてナイフの切っ先を突きつけて笑う。
「ドウダイ?醜イ人形モ、ヤルトキャヤルダロ?」
そんな風に余裕ぶるチャチャゼロであるが、かなり全身がマズイ事になっていた。チャチャゼロが、切り札をあまり使用しないのは、『連続機動』、そして『限定強化』による反動を、脆い体が受け止めきれないからである。関節が軋み、傷ついたか所からは、罅割れまで起こっている。
(コリャ、後デゴ主人カラ大目玉ダナ)
そう思うチャチャゼロであるが、この場を退く気は全くない。何故ならば、チャチャゼロの後ろには、これからの主の未来を託した、大事な妹がいるのだから。
「サァ、続ケヨウゼ!」
不調を押して、チャチャゼロが『宿儺』に立ち向かう。そんな小さな姉の、あまりに大きな背中を見ながら、茶々丸は思う。
いつの日か、きっとそう遠くない未来で、戦う事しかできないなんて言った姉の手を引いて、自分と主がそんな彼女を導いてあげたい、と。
※
その場に佇んでいた自分に気付いた姉が、手招きした。何事かと思えば、自分と、そして主の為に紅茶を入れて欲しいらしい。与えられた技能に従い紅茶を入れると、本に夢中の主は生返事である。そこで悪戯を思いついたのか、姉が砂糖と塩の入った壺を入れ替えた。はらはらして見ていると、やがて本から目を離さぬままの主が、砂糖(から入れ替えられた塩)を二匙掬い、紅茶に溶かして一口飲んで。
噴き出した。
折角の本は紅茶まみれになるし、主は予想外の味に咳込み、それを見た姉はお腹を抱えて笑っている。それから大騒ぎしながら追いかけっこが始まり、なし崩しに自分も姉を追いかける羽目になった。結局、姉を捕まえる事が出来ず、その夜は悔しがる主を宥めるのが大変だったが、眺める事しかできなかったあの光景に一緒に居られた事が、とても嬉しかった事を、今でも自分は覚えている。
【あとがき】
これが某海賊漫画ならば、チャチャゼロの背後に確実に『ドンッ!!』の文字が浮かんでいる筈(笑)。
実はとても家族思いのチャチャゼロと、思春期(?)真っただ中の茶々丸の話。呪三郎?誰だっけ?(おい
次回は、場面変わって儀式の場。二度目の激突になる、白面の魔法使いと、大いなる力を手に入れた陰陽師が立ち塞がります。
それでは、また次回。