人形として望まれた少年。
凍りついた心を仮面で隠した少女。
互いに湛えた、無情の視線は交差する。
それぞれが見えない、その心の在りかを知る術は、今はない。
※
白面の少年に誘われ、その後ろをついて行く千雨。進んで行く内に、不思議な事にあれほどいた人ゴミが徐々に減り、気がつけば、そこには少年と千雨以外の人影は、誰もいなくなっていた。
シネマ村には有り触れた、長屋の並ぶ通りの一つ。本来ならば、ここにも観光客がいる筈なのだが、今は住人役の役者の姿すらもない。
「東洋の魔法は、人の心理を操作するという点では、西洋の魔法使いよりも優れていると僕は思っている」
ピタリと足を止めた少年は、振り返るなりそう言った。その指先には、一枚の紙切れが挟まっている。
「人払いの符、と言うらしいね。結界で強制的に相手を押し出すのではなく、人の心理内に『ここに近寄りたくない』、『居たくない』と言う忌避感を発生させる効果がある」
ひらひらとその呪符を揺らしながら、少年は続ける。
「この符がこの区画の四方に張ってある。その中心であるこの場所には、何が起ころうとも誰も入ってこない」
「……やり合うには、うってつけと言う事か」
千雨がそう言うと、少年は軽く肩をすくめた。
「随分と物騒な事を言うね。誰にも邪魔される事なく、秘密の会話をすると言う発想はないのかい?」
「生憎、出会う魔法使いの大半が、すぐに魔法をぶっ放す物騒な奴らばかりだったんでな」
千雨は、金髪ロリ吸血鬼や、赤髪ショタ教師の姿を脳裏に思い浮かべた。
「出会いの不幸、と言う奴だね。……まぁもっとも、話し合うつもりなんかなかったけど」
少年の体から、ゆらりと殺気が立ち上る。
「僕の名はフェイト・アーウェルンクス。敵陣営において、『闇の福音』に次ぐイレギュラーである君の力を確かめに来た」
千雨は、すっ、と懐に手を伸ばした。
「長谷川千雨。関東と関西のいざこざに関わるつもりは、ないんだけどな」
「ふむ。だが君は、コノエコノカが誘拐されるのを、黙って見ているつもりもないのだろう?」
「知り合いだからな」
「ならば、君は僕達の『敵』だよ」
言うなり、少年――フェイトの姿が掻き消える。直後、その姿は千雨の懐にあった。フェイトの拳が、千雨の細い体に突き刺さる。
かと思われた瞬間、フェイトの拳は虚しく空を切った。瞠目するフェイトだが、その瞬間、千雨の姿がフェイトの真横に出現する。鉤状に曲げられた掌がフェイト目掛けて振り下ろされる。その一閃を危うい所で交わしたフェイトは、千雨から目を放さぬまま、距離を取ろうと後ろに向けて瞬動を発動させる。
そのフェイトの視界で、千雨の体が伸び上がった。否、それはあまりの速さゆえ、残像が尾を引き、体が伸びたように見えているのである。
避けられぬ一撃を予感したフェイトは、咄嗟に両腕を交差して防御固める。はたして振り下ろされる一撃が、轟音と共にフェイトの体を弾き飛ばした。吹っ飛んだフェイトは、長屋の一部を砕いてその中に埋没する。
「……?」
だが、その攻撃を加えた千雨は、手に伝わった感触に眉を顰める。そんな千雨の目の前で、瓦礫を体から振り落としながら、フェイトが立ち上がる。
「……成程、それが君の力か。長谷川千雨」
感情を写さぬフェイトの視線が、今の千雨の姿を捕える。
千雨の顔には、獣を模した一枚の仮面が嵌っていた。
『ジャガーの仮面』
くぐもった声で、千雨が告げる。
『アステカの太陽神の一人、テスカトリポカを奉じた戦士団が身に付けた仮面。彼等は、奉じた神の化身であるジャガーの装飾品を纏う事により、ジャガーの力を得る事が出来ると信じていた』
「ジャガーの力、か」
その力を目の当たりにしたフェイトは、目の前の少女の言葉がはったりではない事を身をもって知った。フェイトは、自身の動きが常人のそれを遥かに超えた物である事を知っている。それを、こうもあっさりと上を行かれた以上、認めるしかない。
一方の千雨も、フェイト・アーウェルンクスを名乗るこの少年が、尋常な存在でない事を知った。
今千雨が振った一撃は、通常ならば吹き飛ぶどころか、少年の体を袈裟掛けに両断していてもおかしくはない威力を込めていた。だが、千雨の攻撃はフェイトの周囲に展開されていた、幾重にも連なった不可視の壁のような物に遮られたのである。
(魔力障壁……)
千雨は、エヴァンジェリンと戦った時にもぶつかった、高位の魔法使いが張る魔法の障壁の存在を思い出した。だが、フェイトの張っているそれは、エヴァンジェリンの物よりも硬く、分厚い。
(厄介、だな)
まともな手段では、フェイトに傷一つつける事は出来ないだろうと思った千雨は、少しため息をついた。
「どうやら、無手での攻防では勝ち目がないらしい。だからここからは、魔法使いらしく戦わせてもらおう」
そう宣言すると同時に、フェイトは詠唱を開始する。
「『ヴィシュ・タル・リ・シュタル・ヴァンゲイト』……」
始動キーたる文言が紡がれ、フェイトの体から魔力が溢れ出す。
「『石の槍《ドリュ・ペトラス》』」
詠唱の終わりと同時に、フェイトの足元から鋭い先端を持った石柱が千雨目掛けて伸びた。千雨は、『ジャガーの仮面』によって強化された身体能力を持って、それが突き刺さる直前、地を蹴って石柱の群れを回避する。すると、空中に身を投げ出した千雨に向かって、フェイトは伸ばした指を突きつける。
「『ヴィシュ・タル・リ・シュタル・ヴァンゲイト。小さき王、八つ足の蜥蜴、邪眼の主よ。その光、我が手に宿し、災いなる眼差しで射よ。【石化の邪眼《カコン・オンマ・ペトローセオース》】』」
次の瞬間、フェイトの指先から光線が走る。それを身を捻る事で何とか躱した千雨だが、巫女服の一部を光線が掠める。すると、光線が当たった所から、服がどんどんと灰色になっていく。物体の躍動感そのままに固まっていくそれは、「石化」という現象である。
千雨は、石と化していく服の一部を千切り取り、それ以上の浸食を防いだ。切り離された服の一部は、完全に石化した後砕け散る。
「随分と恐ろしい魔法を使う」
危なげなく着地した千雨は、言葉とは裏腹に、恐怖など微塵も見せぬ様子で呟く。
「まぁ、真っ当な魔法使いではない自覚はあるよ。それに心配しなくても、ずっと石になったまま、と言う訳じゃない。僕達が目的を終えるまで、大人しくしていてもらうだけさ」
その呟きを聞きつけたフェイトの言葉を、千雨は静かに拒絶する。
「ご免被る」
「ならば、少々痛い目にあってもらう」
再び開始される詠唱。そして突き出す無数の石の槍が、再度千雨に襲い掛かった。その瞬間、千雨は懐に手を伸ばす。
先程同様、宙に逃れて石の穂先を交わす千雨だが、次に起こった結果は、先程とは異なっていた。
「!」
それを目にしたフェイトの目が驚きでわずかに見開かれた。
千雨は宙に飛び出すと同時に、その場、すなわち空中に留まっていたのである。その顔には、先の物とは別の仮面が嵌められている。
『鷲の仮面』
空に浮かんだままの千雨が言う。
『アステカの太陽神の一人、ウィツィロポチトリを奉じた戦士団が身に付けた仮面。彼の者達もまた、自身が奉じた神の化身を纏う事で、その力が得られると信じていた』
千雨の体は重力の頸木を離れ、宙を翔ける。その体は徐々に高度を上げ、遂にはフェイトから見て豆粒ほどの大きさになった。千雨の行動を訝しげに思っていたフェイトだが、次の瞬間、その体を翻した。
直後、高々度から一気に飛来した千雨が、フェイトの体を掠めるように飛んだ。危うく千雨の突撃を躱したフェイトだが、遅れて走った衝撃波に体を吹き飛ばされた。
魔法や、その他の物理攻撃ではないため、フェイトの強固な障壁でも防げないそれは、容赦なくフェイトの体を傷つけた。
「ぐぅっ!」
思わず、小さな呻き声を上げるフェイト。地を転がる少年に向け、大鳥と化した千雨が再び突撃する。
「『ヴィシュ・タル・リ・シュタル・ヴァンゲイト。おお、地の底に眠る死者の宮殿よ。我等の下に姿を現せ。【冥府の石柱《ホ・モノリートス・キオーン・トゥ・ハイドゥ》】』」
紡がれたフェイトの魔法が、虚空から巨大な石柱を幾本も出現させる。
「行け」
フェイトの声と共に、大石柱が千雨目掛けて飛ぶ。これ程の質量の物とぶつかれば、どんな存在であれ、ただでは済まない。
くおぉぉぉぉおぉおぉぉおおぉおおおおぉ!
化鳥の如く長く鳴いた千雨は、迫る石柱を避ける事なく、僅かに空いた隙間を縫って飛び、フェイトに襲い掛かる。
だが、石柱をすり抜けた先に待っていたのは、鋭い先端をこちらに向ける、石の槍の群れであった。
「君ならば、向かってくると思ったよ」
千雨の行動を予測したフェイトが、一歩煎じて魔法を発動させたのである。そして、少年の指先には、先程と同じ、石化の魔光が灯っている。石の穂先を避ける千雨を、今度こそ石化させるためだ。
だが、千雨の行動はフェイトの予測を超える。千雨は、石の槍を避けるどころか、更に速度を上げて、石の槍目掛けて飛んだ。
何かが砕ける音が連続して響く中、千雨の衣装はズタズタになり、珠のように美しい肌は無数の傷で覆われていく。それでもなお、強引に石の槍を突き抜けた千雨は、驚きに固まるフェイトの障壁をも砕き、その細い肩を握り潰さんばかりに掴んだ。
そしてフェイトを掴んだまま、長屋の一部に己ごと突っ込む。
「ぐはっ!」
肺の空気をぶち撒けながら、息を詰まらせるフェイト。接近を許した事は失態だが、同時に、先程まで手の届かぬ位置にいた敵が目の前にいるのは好機でもある。
フェイトは素早く呪文を唱えようと顔を上げるが、その顔が強張る。
息が届くほどの至近距離にいる千雨の仮面が、いつの間にか別の物に代っていた。
ぎょろりと剥かれた目と、だらりと垂れ下がった舌を持つ、頭に無数の蛇を冠の如く頂いた異形の仮面に。
『お前が石になった事はあるか、フェイト・アーウェルンクス?』
くぐもった問い掛けと同時に、仮面の双眸から、かっ、と光が迸った。咄嗟にその光を手で遮ったフェイトだが、次の瞬間、心の底から驚愕した。
「っ何!?」
光を浴びた手が、指先から石に代わっていく。あたかも自身が使う石化魔法のように。
「くっ!」
フェイトは、渾身の力を振り絞り千雨を跳ね飛ばすと、そのまま大きく距離を取る。しかし、その間にも石化は進み、既に二の腕の近くまでが石になっていた。
『スリランカのナーガ・ラクシャの仮面は、頭上に蛇を抱くゆえ、西洋においては“メデューサの仮面”とも呼ばれた』
異形の仮面を被ったまま、千雨は静かにフェイトを見つめる。
じわじわと石になっていく腕に対し、フェイトは先の千雨を同じ行動を取った。石になった部分を切除し、それ以上の石化の進行を抑える方法。
即ち、フェイトは、己の右腕を残った左手の手刀を持って、切り落としたのである。
だが、切り落とした腕からは、一滴たりとも血は流れなかった。
「……人間ではないのか」
「人間だと言った覚えもないね。だが、それはこちらのセリフでもあるよ、長谷川千雨」
腕を切り落とした痛痒等塵程も見せずに、フェイトは千雨を見つめ返す。
「魔法も使わず、魔法以上の奇跡を起こす存在……。君は一体、何者だい?」
千雨は、フェイトの問い掛けに対し、しばしの沈黙の後、
「――『化け物』さ、私は」
そう、答えた。
仮面で覆われたその表情は判らないが、少なくとも声の調子には、相も変わらず何の情動も感じられない。だがフェイトは、その言葉に何故か自重気味の何かを感じた。
その時。
「「!!」」
千雨とフェイトは、ほぼ同時に感じた膨大な力のうねりに、思わずその方向へ目を向けていた。
「魔力の流れ、か?」
少し前の夜、エヴァンジェリンから感じた暴虐の如き力によく似た、それでも穏やかなその力の正体に、千雨は呟きを漏らす。
「成程、これがコノエコノカの力、か。千草さんが躍起になるのもよくわかる」
感心したように頷いたフェイトの脳裏に、当の天ヶ崎千草からの念話が届いた。
《新入り、聞こえとるか!?》
《ああ、聞こえているよ。これがコノエコノカの力かい?》
《そうや、うちの夢を、うちの宿願を果たす為になくてはならない力や……!》
上ずった声を上げる千草に、冷静なフェイトの思念が飛ぶ。
《確保は?》
《今は無理やな。連中は本山に行くつもりや。お城に入って油断しとる所を狙わせてもらう》
《そう言う事なら、僕に任せて貰いたい》
《ほぉ、大層な自信やないか。なら、あんたに任せる。所で、例の仮面使いはどうなった?》
《残念ながら健在。予想以上だね、彼女は》
フェイトの言葉に、千草は舌打ちする。
《何事も上手くいかんもんや。呪三郎の方では、『闇の福音』が出張って来たみたいやし》
《へぇ……。それで、彼は?死んだのかい?》
《世界のへーわのためにはその方がいいんやろうけど、生憎ピンピンしとる。打倒『闇の福音』に燃えとるわ》
少し呆れたような千草の声に、フェイトは無感動に頷く。
《ともあれ、厄介な人達が向こうには二人いる。これ以上の介入がない内に、事を進めよう》
《お前はんに言われんでもわかっとります。……じゃあ本山の件、よろしゅう頼むで》
その声を最後に、千草の念話は切れた。フェイトは、すぐ近くにあった水を湛えた桶を足でひっくり返す。
「どうやら雇い主は退く様だ。僕もここは退かせてもらおう」
フェイトは水に濡れた地面を踏みしめる。すると、その体がゆっくりと埋没していく。水を触媒に使った転移魔法である。
「今日の所は君の勝ちだ。その力の見極めはまたいずれ。その時までさようなら、長谷川千雨」
そう言って、フェイトはとぷん、と小さな水音と共に姿を消した。
その場でしばし周辺を警戒していた千雨だが、本当にフェイトが消えた事を確かめてから、静かに緊張を解き、顔から仮面を外した。
「……っ」
可憐な唇の端から、つ、と一筋の血が流れた。三つの仮面を連続して使った負荷は、確実に千雨を蝕んでいた。もし仮にあのまま戦いを続けていたら、千雨は負けていたかもしれない。
「フェイト・アーウェルンクス」
その名が唇から毀れる。下手をすれば、エヴァンジェリンに匹敵するかもしれない、得体の知れぬ魔法使い。
その存在と、そしてボロボロになった貸衣装の弁償の事を考えて、千雨は最近やたらと増えたため息をまた吐いた。
【あとがき】
シネマ村第三戦、千雨VSフェイトは、千雨にかろうじて軍配が上がりました。
さて、遂に物語は終盤。次からもバトル、バトル、バトルです。
それでは、また次回。