傀儡師:人形を使って諸国を回った漂泊芸人。特に江戸時代、首に人形の箱を掛け、その上で人形を操った門付け芸人をいう。傀儡回し。人形つかい。
※
大手チェーン店のファミリーレストラン。
特に特筆すべき事のないこの場所に、三人の人物が集合していた。
一人は『陰陽師』、天ヶ崎千草。
丸い眼鏡の下の少し吊り目がちな目つきと、艶やかな長い黒髪が特徴の美女である。
ベージュのビジネススーツを纏い、苛立った様子で腕を組んでいる。
一人は『神鳴流剣士』、月詠。
こちらも丸い眼鏡をかけているが、その下の目つきは千草とは対照的に垂れ気味で、何とも柔和な印象を受ける。
着ている服は何故か白いゴスロリ衣装。見た目の印象通りのふわふわした様子で、目の前に置かれたケーキを突いている。
そして最後の一人は『魔法使い』、フェイト・アーウェルンクス。
雪のように白い髪と、人形めいた美しさを持った、10歳程度の外見の少年である。
こちらも苛立つ千草とは対照的に、落ち着いた様子で湯気の立つコーヒーを呑んでいる。
「……遅い!」
苛々と人差指で己の腕を叩いていた千草は、遂にその言葉を漏らした。
「あいつ、一体どこをほっつき歩いとるんや!」
憎々しげに吐かれた言葉を聞きつけたフェイトが、目線だけを千草に寄こしながら、
「小太郎君なら、もう少しかかるんじゃないのかい?ここからは距離もあるし、彼は転移の符を持っていないのだろう?」
フェイトは今はここにはいない、彼らのもう一人のメンバーである犬上小太郎の動向を述べた。
しかし、千草は苛立ちを押さえぬまま、首を横に振った。
「……小太郎の事やない。ウチが個人的に雇った、もう一人の助っ人や」
それを聞いたフェイトがピクリと眉を上げる。
「初耳だね」
「中々に人気者でな。この間ようやく依頼を取り付けて、今日ここで紹介がてら合流する予定やったのに……!」
千草はぎりりと歯を噛みしめる。
依頼主を待たせて遅刻してくるとは、こちらを舐めている証拠である。その思いはより一層千草を苛立たせていた。
「強いんですか~、その人~?」
その時、それまで黙ってケーキ頬張っていた月詠が尋ねて来た。その瞳には、興味と、それに勝る剣呑さが宿っている。
「……嘘かほんまか知らんが、依頼の達成率は100%。この世界でも有数の凄腕や。だからこそ依頼を取り付けるんに苦労したんやけど」
「ほわ~、凄いお人なんやんなぁ。……楽しみやわ~」
最後の言葉に、粘つく様な狂気を宿して、月詠は哂った。
(ちっ……、こいつも大概やばい奴や。それに、上の寄こしたもう一人の助っ人は糞ったれな魔法使いで、しかもガキときとる)
千草は自嘲気味に笑う。
今回千草達に与えられた仕事は、西と東の和平の妨害である。
それ自体は、千草は諸手を挙げて賛成する。千草は、過去に起こったある事件によって、東の者達を憎み抜いているのである。
それこそ、機会があるならば、皆殺しにしてやりたい程。
だが、その仕事には厄介な注釈がついていた。
『なるべく、穏便に事を進めるべし』。
その訳を聞けば、送られて来る親書は、半ば対外的な目を意識しての代物であり、本題である和平自体は、すでにそれぞれの組織のトップ同士で話が付いているとの事。
ならばその親書の破棄、もしくは奪取の意味は、と問えば、それは自分達反対派の示威行動の様な意味合いであるらしい。
和平を進めるのは勝手だが、自分達がいる限り好きにはさせない、という意味である。
それを聞いた瞬間、千草は頭が沸騰しそうな程の怒りを覚えた。
好きにはさせない?和平が成ってから喚きたてる事で何ができる。
話が付いている?下位の者達の意見を全て無視して、何の話が付いたのだ。
なるべく穏便に?そんな温い事をする意味があるのか。
本当に東を憎み、和平を拒むならば、今の西の長を殺して己が長になればいい。
或いは東の要人の一人か二人を殺して、新たな火種を作ってやればいい。
それをしないのは、反対派を名乗る連中は、結局和平が成る事で、自分達の立場が危うくなるのを恐れているだけだからだ。
自分達が表に立ち、傷つく事を恐れているからだ。
その瞬間、千草の腹は決まった。
この温い仕事を利用し、自分だけはどんな手段を使ってでも、和平を阻止し、あわよくば関西呪術協会を乗っ取り、東を滅ぼすと。
だというのに、与えられた人員は、温い仕事に見合うはぐれ者ばかりであったのだ。
(ほんま、完全に捨て駒やな、ウチら。神鳴流の理から外れた剣士に、素性の知れん子供の魔法使い、傭兵まがいの半妖に、一山いくらの陰陽師。寄せ集めの屑ばっかりや)
上の者達が、千草達が成功しようが失敗しようが、どうでもいいと思っている証左である。
だが、と千草はギラリと目を輝かせる。
(この状況を逆に利用したる。こっちが何考えようが、上に気取られんのは限りなく遅い。その間に、ウチはウチの目的を果たす)
今回呼んだ助っ人は、そのための人材である。上の干渉を受けない、独自の戦力。何かイレギュラーが起こっても、切り抜けられるような強い『力』だ。
それなのに、初っ端からその助っ人に舐められている。決して好きにできると思うな、と言われているように感じ、千草は歯がみした。
その時、千草達の前に注文した覚えのないチョコレートパフェが運ばれて来た。
「?何や、これ?ウチらはこんなん頼んでないで?」
目で、月詠とフェイトに確認するが、二人とも答えは否。
「あんた、テーブル間違えてるんとちゃうか?」
千草は運んできたウェイトレスに言うが、少し顔を伏せ気味のウェイトレスは首を横に振った。
「いいえ、これはサービスですよ。……『僕』からの』
その言葉が、途中から男の物に変わる。
瞠目する千草の目の前で、ウェイトレスが顔を上げる。その顔が、突如耳までがばりと裂け、そして喉の奥から複数の銃口を束ねた、宛らガトリングガンの様な物が覗いた。
次の瞬間、動いたのはフェイトだった。
動きの硬直した千草を乗り越え、繰り出された拳はウェイトレスだった者を容赦なく殴り飛ばした。
「し、新入り……」
茫然と呟く千草を余所に、フェイトの視線は己が殴った存在に注がれたままだ。
それが、フェイト達の前でキリキリと音を立てて起き上がる。
『酷い、酷いなぁ……。こぉんな可愛い子を殴るなんて、なんて酷い子だ』
「生憎、僕には人形を愛でる趣味は無くてね」
フェイトは静かに答えた。
『自分が人形の様な顔をしているからかい?そのせいか、君の外見はとても僕好みだ。中身をくりぬいて、そのまま本物の人形にしてしまいたいぐらいに♡』
男の声が哂いを滲ませて言う。それに対し、フェイトは無反応だ。
その時、騒ぎに気付いた周囲がざわつき始める。千草は舌打ちすると、懐から取り出した一枚の符を宙に投げる。
途端、符は青く燃え上がりながら、強い光を発する。それを目にした周囲の人間が、次々に昏倒していった。
『はは、中々の腕前じゃないか。今回の依頼人は無能の類ではないらしいね』
男の声が称賛し、操る人形が器用に手を叩いた。
「戯言はええねん。それより、さっきのは何の真似や!?」
千草がそのふざけた様子に激怒した。
『嫌だねぇ。ほんの冗談だよ、冗談。その証拠に、ほら』
再びがばりと開いた口の奥にある砲口から、ポンと、音を立てて小さな作り物の花が飛び出る。
『少し、場を和ませようとしただけだよ』
その言葉に、千草は今にも怒鳴りつけたい気持ちをなんとか抑えた。
「……下らん冗談はお呼びやないねん。それより、人形越しに話しするんはやめ。けったくそ悪い」
「ふむ、依頼人がそう言うなら、そうしようか」
千草の言葉が終わると同時に、その真後ろの席に突っ伏していた人物が不意に立ち上がる。どうやら、周囲の客に擬態していたようだ。
ひょろりと細長い体に纏うは、紺の作務衣の上下。足元は草履を履き、額には白い手ぬぐいを巻いている。その手ぬぐいの下にあるパーツは、鼻に掛けた小さな眼鏡を含め、何とも人の良さそうな印象を与える。
ただ、その眼だけが違う。狂気と殺意が濃く混ざり合い、どろりとした泥の様な、反吐が出る目をしていた。
その目が与える印象と、顔のパーツが与える印象のちぐはぐさが、男を見る者に、酷く不安な気持ちを抱かせる。
男は千草達の前に立つと、芝居がかった様子で一礼する。その背後では、人形が全く同じ仕草を取っている。
「初めまして。僕の名は、呪三郎。少し人殺しが得意なだけの、しがない傀儡師でございます」
そう言って、男――呪三郎は、にたり、といやらしい笑みを浮かべた。
「はわ~。助っ人って、呪三郎はんの事やったんか~」
月詠が呪三郎の姿を見て目を丸くする。
「月詠はん、呪三郎の事知っとったんか?」
千草が尋ねると、月詠は嬉しそうに頷いた。
「へぇ。前に一遍、同じ側で仕事させてもうた事があるんですわ~。ほんま、惚れ惚れする様な手際の良さでしたわ~。……思わず、死合ぉてまいたくなるくらいに」
月詠がその時の事を思い出したのか、恍惚とした表情になった。見た目が清純そうな月詠がそのような表情をすると、それはとても淫靡な物を感じさせた。
「ああ、僕も覚えてるよ、月詠ちゃん。何度も何度も後ろからいい感じの殺気を放ってくれて、こんな可愛い子が僕を意識してくれているんだと思うと、嬉しくてねぇ。――ついつい、殺してやりたくなったよ」
呪三郎もまた、それ受けて哂う。
その瞬間、月詠は取り出したニ刀の鯉口を切り、呪三郎の傍らにいた人形の掌から、仕込み刃がじゃきりと飛び出る。
場の雰囲気は、一瞬にして粘ついた物へと変わる。月詠と呪三郎が放つ狂気と殺意が渦巻き、正に一触即発と言うその刹那。
「やめろや」
空気が凍りついた。その声に込められた冷たい何かは、闘争に興じようとした二人の魔人の頭を冷静にさせるには十分なものだった。
月詠と呪三郎は、その声がした方に目をやる。
そこに、酷く冷めた顔をした千草がいた。
「お前等がどこで殺し合おうと知ったこっちゃない。ただ今回の仕事は、ウチにとって人生掛けた一八の大博打や。ウチの言う事に従わんと勝手するんやったら、もうええ。どこへなりとも、去ね」
何処までも冷たく、千草は告げる。もし仮に、ここで月詠や呪三郎が去ったとしても、千草は決して止まらない。すぐに別の手段と、別の人員を雇い、事を進めるだろう。
制御できない力等、千草には必要ない。必要なのは、確実に事をなす為の力。ただそれだけである。
そんな千草の言を受けた月詠と呪三郎は、内心で感嘆する。
(いやはや、見縊ってましたわ~)
(へぇ、中々如何して。楽しい仕事になりそうじゃないか)
月詠と呪三郎が千草への評価を改めたその時、店の自動ドアが音を立てて開いた。
客か、と千草は舌打ちしたが、すぐに安堵する。
そこには、フェイトと同じぐらいの年頃の、黒い学ランを着た少年がいた。少し幼いが、中々に精悍な顔立ちをしている。そして何よりも目を引くのが、そのぼさぼさの黒髪の天辺に生えた、獣の様な耳である。
『半妖』、犬上小太郎。その場にいなかった、千草達の最後の面子である。
小太郎は、入ってすぐ、店の人間全員が倒れている事に驚き、辺りをきょろきょろと見回している。
「小太郎、丁度ええ時に来たな。これを店の入り口に貼っとき」
千草はそう言って、小太郎に一枚の符を投げ渡す。人払いの効果がある符であった。
「それは別にええけど……。何やねん、この状態」
小太郎はそう尋ねるが、千草は黙って顎をしゃくり、ただ急かしただけで答える気はなそうである。
小太郎は小さなため息をつくと、言われた通りに符を貼り、改めて千草達の元へとやって来た。
「あー。めんどかった。ん?知らん顔がおるけど」
小太郎が呪三郎を見た。
「今回の仕事でウチが雇った助っ人や。名は、呪三郎。お前も聞いた事くらいはあるやろ?」
千草は呪三郎が余計な事を言う前にさっさと紹介した。
「呪三郎って、あの『傀儡師』呪三郎かいな!うへぇ、生粋の殺し屋やないか。姉ちゃん、こんな危ないの雇ってどうするんや?」
「……本人がいる前で随分な物の言い様だね」
小太郎の遠慮がない言葉に、呪三郎の胡散臭い笑顔が少し引き攣った。
その様子に僅かながら溜飲を下げながら、千草は言う。
「必要やから雇ったんや。お前が気にする事やない」
その冷たい言い方に、知らず小太郎の犬耳がしゅん、と垂れ下がる。
この面々の中において、千草と小太郎は一番付き合いが長い。
小太郎はその生まれ故か、物心付いた頃には、既に親の顔を知らずに育った。その後、すぐに自分が育った保護施設を脱走する。その理由は単純明快。施設内に当たり前に蔓延する、露骨な差別を嫌ったのである。
半妖というのは、人にも妖にも受け入れられない、半端な存在である。そして、事情を知る者達は、そんな半妖達を自分たちよりも下と見る者が多い。
とにもかくにも脱走を果たした小太郎は、その身体能力を生かして傭兵紛いの仕事を始めた。しかし、そこはやはり幼い子供。ある仕事であっさり捨て駒として扱われ、すぐに窮地に陥ってしまった。
そこを助けてくれたのが、千草であった。
以来、千草は何故か小太郎の面倒をちょくちょくと見てくれるようになった。
千草は、小太郎を見下さない。その辺の子供を扱うのと同じ扱いで小太郎と接する。
千草にしてみれば当たり前の事だったのだが、小太郎にとって、それはとても新鮮な事だった。
故に、小太郎は千草に懐いた。千草も、自分を慕ってくれる小太郎を突き放す様な事をしなかった。
それは、それぞれが失って、或いは持っていなかった『家族』の真似事だったのかもしれない。
代償行為でしかないと言われても、家族を知らぬ小太郎にとっては、十分だった。
しかし、ここ最近の千草の様はおかしい。
今回の仕事を引き受けてから、千草はほとんど笑わなくなった。冷笑や嘲笑を浮かべても、心から楽しそうにしている様子はない。
何かに取りつかれた様に、様々な文献を読みあさったり、仕事の根回しに没頭している。
そしてここに来て悪名高い殺し屋まで雇う始末。
小太郎は、自分の『姉』が、何か取り返しのつかない道へ進んでいる様な、そんな嫌な予感がしてならなかった。
「……たろう。小太郎。どうしたんや?」
小太郎は千草の呼び掛けに没頭していた思考から我に返る。
「あ、ああ。何でもないで。それより、これ。ターゲットの追加情報や」
小太郎はそう言って、手にしていた封筒を千草に手渡す。
「ご苦労さん。…………ふーん、ネギ・スプリングフィールド、か」
人数分がコピーされた資料を読み進めながら、千草は今回の親書を届ける特使の名を呟いた。
「あの『サウザンドマスター』の息子だね」
フェイトがそれを聞きつけ、補足する。
「何でこないなガキに特使なんぞ任せるんかねぇ?」
「恐らくだが、彼の肩書に箔をつけるためだろうね。魔法世界の重鎮達の中には、彼を英雄の後釜に据えようとしている者達もいるそうだから」
「はっ、この国の長きにわたる東西の因縁も、向こうの連中からすれば子供のためのステップアップ教材か。相変わらず、魔法使いっちゅーのは、腐った性根の連中ばっかりやな」
その『魔法使い』であるフェイトが横にいるにもかかわらず、千草は罵るのを遠慮しない。
そしてフェイト自身も、自分を尋常な魔法使いだとは思っていないので、何も言わなかった。
小太郎は、その『英雄の息子』とやらの写真を見る。甘ったれた顔をしている、と言うのが小太郎の最初の印象だった。
英雄の息子。きっと自分みたいな半端者と違い、多くの人に愛され、育ってきたのだろう。
「……気に入らん」
知らず、小太郎は呟いていた。
「ほぅ。じゃあ、その坊やの直接の相手は小太郎、お前がするか?」
それを聞きつけた千草が提案する。それに対し、小太郎は黙って頷いた。
「ほな、ウチはこちらのお人にしようかな~」
月詠はそう言って指でなぞったのは、『桜崎刹那』と言う名の少女の写真だった。
長い髪を片側で縛った、凛とした顔の美少女である。
「神鳴流剣士、か。麻帆良での木乃香お嬢様の護衛やな。ウチらの本当の目的のためには、真っ先に立ち塞がる邪魔もんや」
千草は冷たい瞳で刹那の顔を睨みつける。
「綺麗なお顔でんな~」
月詠はうっとりと言う。
「それに意志も強そうや~。……切り刻んであげたら、どんなエエ声で泣いてくらはるやろか~」
「……」
舌舐めずりせんばかりの月詠に、千草は余計な事を言うのを避けた。
(まぁええ。黙っとっても相手してくれるんやったらむしろ好都合や。その隙に、お嬢様を攫える)
千草達の真の目的。それは、関西呪術協会の現長である近衛詠春の娘である、近衛木乃香の誘拐である。
その血筋と、体に宿る莫大な魔力があれば、あらゆる物を押さえつけてでも関西呪術協会を乗っ取る事が可能な程の鬼札。
(そして、あれをウチが手に入れるためにも、どうしても必要なお方や)
千草は知らず、木乃香の写真を愛おしげに撫でていた。
(木乃香お嬢様さえ手に入れば、冗談抜きで何とでもなる。このお方には、それくらいの力があるんや)
千草は思う。もし自分にそんな力があれば、あんな事にはならなかったのに、と。
耐えがたい過去を思い出し、改めて東への憎悪を滾らせていた千草の耳に、フェイトの言葉が飛び込んできた。
「――どうやら、とても厄介な事になってるらしいね」
フェイトは、何枚目かにある資料の一点を見つめている。
「何や、新入り。そないに真剣に見つめて」
首を傾げる千草に、フェイトはその資料のページを見せる。それを読み進めた千草は、顔を強張らせて呻いた。
「『闇の福音《ダーク・エヴァンジェル》』、やと……!?」
そこには、今回の麻帆良の修学旅行において、あの真祖の吸血鬼が参加する事、そして最も警戒すべしと言う事が書かれていた。
「な、何で急に……?こいつ、サウザンドマスターに封印されてたんと違うんか!?」
千草は頭を抱えた。これは、あまりにも予想外すぎる。
『闇の福音』の名は、国内外を問わず、魔法に関わる者ならばその全てに知られている。主に、悪名として。
「何でや……?まさか、事前に察知されたんか?」
「どうだろうね、可能性としては低そうだけど。案外、只の真祖の気まぐれかもしれない。僕達は、そのサウザンドマスターが掛けた封印なる物がどういった魔法なのかも知らないんだ。実は割と自由度が高くても不思議じゃない」
「せやかて、何で今回に限って修学旅行なんぞに参加しとるんや!?」
「だから言っただろう?只の気まぐれかも、と」
フェイトが冷静に視線を返すと、千草は黙り込んだ。
「『闇の福音』、と言う事は、相手はあの『人形遣い《ドールマスター》』、か……」
その時、黙って資料を捲っていた呪三郎が呟く。その口調は、何故かとても楽しげだ。
「ああ、そうや。何や呪三郎、おまはんがあの吸血鬼の相手をしてくれるんか?」
半ば自棄になってそう言った千草に、呪三郎は大きく頷いた。
「ふふふ。ああ、願ったり叶ったりじゃないか!ふはは、受けた時は正直微妙な仕事だと思ってたけど、これはいい!あははははは――!」
そう言って、呪三郎は笑い始めた。因みに、千草と小太郎は完全に引いている(フェイトは我関せず、月詠は今だトリップ中)。
「な、何やの、あんた。『闇の福音』に恨みでもあるんか?」
笑い続ける呪三郎に、千草は恐る恐る尋ねる。
「いや、何も」
呪三郎は笑いを収めると、あっさり首を横に振った。
「ただね、『人形遣い《ドールマスター》』の名は、僕達『傀儡師』にとって、憧れだよ?何せ、操る人形千体を連れ、一夜にして一つの国を滅ぼしたって話も聞くじゃないか。挑み甲斐がある。もし、僕が彼女を殺す事に成功すれば、名実共に、僕は最高の人形使いだ……!」
どうやら、呪三郎は『闇の福音』のもう一つの二つ名、『人形遣い《ドールマスター》』の称号を欲しているようだ。案外それは、魔法使い達が『偉大な魔法使い《マギステル・マギ》』に憧れるのにも似ているかもしれない。
「……そう言う事やったら、『闇の福音』はあんたに任せる。ただし、相手が手を出してきた場合だけや。新入りの言う通り、只の気まぐれかも知れんのや。態々藪を突いて鬼を出す必要はないで」
「ふふふ、わかったよ」
呪三郎は滴る様な笑みを見せた。
「なら僕は臨機応変に動こう。メインを千草さんのサポートを置いて、ね」
フェイトの言葉に、千草は頷いた。この少年魔法使いがどれ程の腕前かは知らないが、上が態々助っ人として送ってきた相手である。加えて、先ほど見せた立ち回りの件もある。弱いという事は決してないだろう。
こうして、それぞれの役割が決まった。
千草、フェイトは木乃香の誘拐。
月詠は護衛の排除。
小太郎は親書の奪取、もしくは破棄。
そして呪三郎は遊撃要員、及び『闇の福音』が出て来た時の相手。
「正直、ウチらにはあんまり時間がない。総本山の手練は、上が上手い事スケジュールを調整して出払う様にしてくれるらしいけど、いつまでもつか判らん。加えて、その上もウチらはだまくらかすから、一層や」
千草がその場にいる面々の顔を見回す。少し緊張気味の小太郎はともかく、他の三人にはそれを聞いても焦る様子はない。
月詠と呪三郎に至っては、逆に何かイレギュラーが起こった方が面白いと思っている節すらある。
「せやさかい、動き出したら、止まらん。目的を為すその時まで、突っ走る。邪魔するもんがおったら構わへん。相手が英雄の息子だろうが、護衛だろうが、真祖の吸血鬼だろうが、容赦なく、呵責なく、遠慮なく。――ぶち殺せ」
その言葉に、外法の剣士と殺戮の傀儡師が昏く哂う。白の魔法使いは表情を変えず、半妖の少年は悲しそうな顔をした。
そんな者達を見つめ、復讐の陰陽師は何処までも冷たく、そして何かが滾った声で宣言した。
「ほな、始めよか」
短く、簡素な言葉。だがそれが、関東魔法協会でもなく、関西呪術協会でもない、三番目の組織の胎動の瞬間だった。
【あとがき】
そんな訳で、天ヶ崎千草サイドのお話でした。
千草さんは切れれば切れるほど、冷静になるタイプ。
そして呪三郎がついに登場。彼とエヴァンジェリンを戦わせる、と言う事は少し前から考えていました。
次回は京都到着、そして千草一派との初戦闘です。
それでは、また次回。