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No.3205の一覧
[0] ultramarine glass minds/under the flaming sun (Fate×クロスチャンネル)[男爵イモ](2008/08/08 19:07)
[1] 群青学院Ⅰ[男爵イモ](2008/08/08 19:08)
[2] 群青学院Ⅱ[男爵イモ](2008/08/08 19:08)
[3] サイレントシティ■月■[男爵イモ](2008/08/08 19:18)
[4] サイレントシティ■火■[男爵イモ](2008/08/08 19:16)
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[3205] 群青学院Ⅱ
Name: 男爵イモ◆16267a69 ID:23e52052 前を表示する / 次を表示する
Date: 2008/08/08 19:08



 教室に限らず、校内には静けさが漂っている。自意識のある者が少ないせいだ。
 周囲を認識せず、閉じた自分だけの世界に没頭する生徒が多いので、会話というものが数えるほどしかない。また、彼らにしても何らかの条件を満たすことで"弾ける"ことがあるが、それに伴う音は人と人の間に生まれる音ではなく、ただの騒音だ。極論すれば、風の鳴る音やセミの鳴き声と同じである。

 一言で形容するならば、空虚。
 空っぽで虚ろで、密度の低い世界。

 それが――群青学院だった。




「聞きしに勝る異界っぷりじゃない」
「まあ、でも慣れれば大したことないとは思うけどな」

 魔術師から見ても異界だとすれば、それは相当に段階が進んでいる。しかし今回の評は、社会生活に溶け込む表の顔というフィルターを通してのものだ。
 凛から聞いた話によると、そう遠くない過去、この国のどこぞの都市のマンションを丸ごと異界にした魔術師がいたらしいが、群青学院がそうであるということはなかった。

 衛宮邸の居間には、遠坂凛とイリヤスフィール・フォン・アインツベルンが机をはさんで座っている。屋敷の主たる衛宮士郎は、働きアリのようにキッチンで皿洗い中だ。その三名に加えて、先ほど家を出た弓道部の顧問と部長である藤村大河、間桐桜が、今朝、共に食事をとった。
 いまは、朝食後の微妙にまったりとした時間帯だ。
 セミの鳴き声。食器のぶつかる音。シンクを流れる水音。ニュース番組のアナウンサーの声。

「それで、シロウは慣れそうなの?」今度はイリヤが尋ねる。
「ん、大丈夫だとは思う。環境に慣れる慣れないよりも、生活費がかさむのが辛いくらいだ」
「ふぅん。ちなみにこっちは、いまだにサクラが沈んだままよ」
「正確には、衛宮くんが帰ってくるまで沈んだままだった、だけどね」

 イリヤスフィールと凛の口調にどこか責めるような響きがあるのは仕方がない。なにせ、彼女らは何もしていないのに面倒事が降ってきたようなものなのだ。ちなみに面倒事とは、桜がどんよりと悲しげな顔をしていたことだけでない。士郎の保護者、大河までもが持ち味の元気や奔放さを失い、その笑顔が精彩を欠いていたことや、それらの結果として、この家の雰囲気までもがどこか落ち込んでいたことも含まれる。

「それに関しては申し開きの言葉もない」士郎は統治責任を果たせなかった村長の心で謝った。「こっちにいられるのは九月の頭頃までかな」
「新学期は七日からだって言ってたわよね」凛の言葉は、質問というより確認に近い。
「ああ、そうだ」士郎は頷いた。

 群青学院の夏休みは、通常の教育機関のそれと比べ、始まるのが早く終わるのが遅い。要するに、やたらと長いのだ。なので、夏休みの開始とほぼ同時期に冬木の自宅に戻った士郎は、最初の内は毎朝、家族らが学園へと登校、あるいは通勤していくのを見送っていた。
 もっとも、夏休みに入っても、部活動の部長とその顧問を見送る機会は少なくない。ちょうど今日がそうだ。二人は士郎謹製の弁当を持って、朝早くに出かけて行った。

「まあ、衛宮くんにも準備とかいろいろあるわよね。引っ越してすぐにトンボ返りだったし」
「あ、いや、準備ってのは当たってるんだが、新学期の準備じゃなくて」
「じゃなくて?」
「なんだろう……、合宿、か何かに行く……らしい」
「らしいって」呆れたように凛。「それに合宿? 部活にでも入ったの?」
「入ったというか、入っていたというか」歯切れ悪く士郎は答えた。

 要領を得ない士郎の返答に、凛も、話をほとんど傍聴していたイリヤスフィールも困惑しているようだった。
 しかし、一番困惑しているのは、何を隠そう士郎本人なのである。





 群青学院編入初日にして、後輩二人と顔見知りになった。クラスでも、いじめを絶対に許さないという校風故か、当たり前のように受け入れられた。
 そこまでは良かったのだが、黒須太一という後輩と接触したことから全ては始まった。

 群青学院の二年生、黒須太一。
 雪のように白い髪と、奇妙に輝く瞳を持つ男子生徒だった。
 だが彼は、そのような容姿が些細なものに思えるほど、中身の方に問題があったのだ。

 士郎と彼との出会いは、放課後の校門でのことだった。

 群青学院では、どのような理由によるのか士郎の知るところではないが、授業が終了しても三十分は校門――鉄格子にしか見えないが校門なのだ――が開かない。そういうわけで、士郎は門の前でぼんやりと時間の経過を待っていた。
 開門まで残すところ五分といったところで、見知った顔が現れる。
 山辺美希と佐倉霧だ。
 仲良く二人で会話しながら校門に近付いてきた二人の内、先に士郎に気づいたのは霧だった。美希は霧の視線を目で追って、その先にいた士郎に気がついた。
 二人はすぐに士郎の元へ、というより本来の進路通りに校門へとたどり着く。
 先に士郎に声をかけたのは美希だった。霧は相変わらず警戒を引きずっているらしく、美希を間にはさんで士郎と向かい合う構図も朝と変わらない。対して、話題は朝とは異なり、一日をこの学院で過ごした士郎の感想を求められるものだった。

「そうだな……、昼は学食で食べようと思ってたんだけど、売り切れてたからパンを買ったんだ」士郎は空を見上げた。青く高い空。白い入道雲。眩しい太陽。暑い夏である。「カレーパンは……、何なんだ、アレは……?」

 食べられるなら、朝と昼が両方ともパンでも文句はない。多少味が悪くとも、ケチをつけるつもりは士郎にはない。
 いや、―――なかった。
 過去形。
 簡単な話だ。
 ここしばらく経験したことがないほど、この学院のカレーパンは不味かったのである。

 予感はあった。
 食券を買うことができず、ではパンにしようと売り場に赴いたとき、カレーパンだけが周囲のパンと比べて妙にたくさん残っていたのだ。
 これが独創性に富みすぎて敬遠される類のパンであれば、何も疑問に思わなかっただろう。
 しかし、カレーパンである。
 下から数えるよりも、上から数えた方が早い程度の人気はある種類のパンだと、士郎の常識はそう告げていた。少なくとも、アンパンや食パンよりも売れ残っている姿を見たことはない。にもかかわらず、目の前の光景は常識から外れるものだった。

 そして、愚かにも衛宮士郎はカレーパンを購入してしまったのである。

 見るからに怪しいパンの山に士郎が手を伸ばしたのは、なにも進んで地雷原に踏み込んで撤去作業のボランティアだと嘯くつもりがあったからではない。単純に、好奇心のなせる業だった。
 味に対する過度で過激な執着やこだわりはなくとも、士郎とて一家庭のキッチンに君臨していたのだ、思うところがないわけではない。
 つくづく『君子危うきに近寄らず』を実践できない男であった。

 ――という旨の話をしたところ、

「あー……」

 その声はどちらの少女のものだったのか。
 士郎に分るのはただ一つ。どちらの後輩も、なんとも言えない表情をしていることだけだった。
 少女らは反応に困り、士郎はそんな美希と霧の様子に困る。
 場に、まろやかなのに嫌な沈黙が落ちる。
 開門まで、まだ数分ある。それまでこの雰囲気が続くのかと思うと、士郎は自分の話のせいだということを棚に上げて頭を抱えたくなった。
 だが、結局、士郎が実際に頭を抱えることにはならなかった。開門よりも早く、別の要因によって場が展開したからだ。
 それは、犯罪をなくすために人類を滅亡させるというような乱暴さではあったが、しかし、効果があったことだけは事実だった。

「――ていっ!」

 ガバーッ!
 という擬音が聞こえたと錯覚するほど見事に、少女らのスカートがめくり上げられていた。

 風のように颯爽と現れた、最も深い群青色を持つ男。
 黒須太一の登場だった。
 あとパンツは白とストライプだった。

 その後、太一はまるで予定調和のように霧に蹴り飛ばされ、不自然なまでに美しい放物線を描いて宙を舞った。なお、予定調和というのは太一に限った話ではなく、怒髪天を衝かんばかりに怒り狂う霧や、怒ってはいたものの相棒のブレーキ役へと回った美希にも当てはまる。
 一方、彼らと違って日常的に犯罪一歩手前のセクハラ分を摂取していない士郎はというと、静かに混乱していた。混乱している内に少女ら二人は霧の主導により場を離脱し、士郎は太一に話しかけられていた。
 そして。





「よくわからない内に、気づけば放送部の合宿に参加することになっていた、と」アンタばかぁ? と言いたげな凛の目が士郎を見る。
「い、いや……、あの時の俺は、違法勧誘や脅迫なんてチャチなものじゃない、もっと恐ろしいものの片鱗を―――」士郎はうろたえた。自分でも何を言っているのか分からなかったが、やがて正気に戻る。「まあ、確かに言いくるめられた感はあるけどな。でも、部員が仲違いしてるのをどうにかしたい、なんて言われたら断れないだろ」
「どういうこと?」この疑問はイリヤスフィールだった。「士郎が合宿に行くと、不仲が解消されるの?」
「そうじゃなくて、そうするための機会を作りたいってことらしい。新入部員を歓迎するって名目で」

 ちなみにこれは後に判明することだが、その名目どころか、士郎の参加どころか、士郎の存在すら知らされていなかった部員もいたらしい。

「ふぅん」士郎の回答で興味が薄れたのか、イリヤスフィールの視線はテレビへと戻った。そして、聞かせるつもりがあるのかないのか、ぽつりと言う。「仲の悪い人間を無理矢理一ヶ所に集めて、上手くいくとは思えないけど」

 その声は、士郎の耳にはいつまでも残り続けた。







 そして合宿の日がやってきた。

 事前に何を準備しておくべきかを知らされたのは、恐るべきことに前日、すなわち昨日の朝だった。本当に誘うつもりがあったのか、士郎は疑問に思ったものだった。
 しかし、そんなことよりも、こちらに来てから誰にも教えていないはずの電話番号に太一から電話がかかってきたことが一番の謎である。そのことについて尋ねてはみたものの、結果は芳しくなかった。なんだかんだとはぐらかされ、それ以上に士郎もあっさりと諦めすぎたのだ。士郎は、学院の教職員から聞いたのだろう、と勝手に納得している。

 今日は朝から暑い。
 風通しが悪く、加えて火を扱うキッチンの気温は特に酷い。士郎の部屋にはエアコンなどという文明の利器は設置されていないので、扇風機が頼みの綱だ。

 朝食は手軽に済ませ、食器を洗い、ガスの元栓を締め、換気扇が止まっていることを確認し、最後に窓を閉める。それらをすべて確認した上で、昨晩用意しておいた大きめのバッグを担ぎ、

「……むむ」

 携帯電話に受信あり。
 壁の薄いアパートなので、受信音は鳴らないように設定してある。ブルブルと震える感覚が、ポケットの中に響いていた。
 表示されている番号は、昨日の朝と同じく士郎の知らないものだ。

「――はい」スピーカーを耳に当て、士郎は電話に出た。
「エミヤ様でしょうか?」聞き覚えのある声は、イリヤスフィールのメイド、セラのものだった。

 セラはメイドであると同時に、イリヤスフィールの魔術の師でもある。
 魔術回路に人の形を与えたといわれるイリヤスフィール。そんな彼女の師であるというならば、その腕はどれほどのものなのか、士郎にはとんと見当もつかない。
 だが、電話の向こうにいるセラの声は、イリヤスフィールの師としてのものではなく、どうやらメイドとしてのものらしい。
 魔術師はどのようなときでも冷静沈着。氷の理性で自己を律してこその魔術師である。セラの声には、しかし、そのような要素が欠けていた。むしろ焦ってすらいるように感じられる。証拠に、挨拶もなしだ。
 そして、電話をかけてきたのが消去法的にメイドとしてのセラであると考えるならば、そして彼女が焦っているのならば、用件は火を見るより明らかだ。

「イリヤに何かあったのか?」
「昨晩、お嬢様から連絡をいただき、フジムラ様のご自宅までお迎えに上がったのですが―――」しばしの沈黙。「今朝からお嬢様の姿がお見えにならないのです。先ほどトオサカの当主にも連絡をとりましたが、確認できないと」
「…………」士郎は自分自身に落ち着けと言い聞かせた。「俺に何かできることはあるか?」
「そちらに伺っておられるかとも思ったのですが……、その、自動車の方も姿を消しておりましたので……」

 自動車――メルセデス・ベンツェ300SLクーペのことだろう。ベンツでもバーサーCARでもなく、ベンツェ。
 士郎は見たことがないし、ちょっとその光景を想像もできないのだが、イリヤスフィールが自分の手でハンドルを握ることもあるという高級車である。

「いや、こっちには来てない。自動車がないってことは、イリヤは自分の意志で出かけたってことだよな」行動半径は、手当たり次第探すという方法がとれない以上、実質的に無限と考えていい。「どこか他に心当たりはないのか?」
「ありません。エミヤ様には?」
「ちょっと思いつかないな……。イリヤを何度か連れていったことがあるのは学校か新都ぐらいだし、そこなら黙って行く必要もないだろ」
「そうですか……」セラの声はしおれた朝顔みたいに弱々しい。「わかりました。ではこちらは捜索に戻りますので、万が一お嬢様がそちらにお見えになったら、ご一報ください」
「わかった」士郎は電話での会話であるにもかかわらず頷いた。
「朝からお手数をおかけしました。それではこれで失礼します」そう言って、セラは電話を切った。

 短い時間の通話だったが、部屋の気温が上がっていた。
 額から汗が垂れ、眉間を伝った。
 士郎が冬木市にいたならば、無駄だとわかっていても自分の足で探しに出ただろう。いまは、それすらもままならない。
 自分が何もできないことに、士郎は強い焦燥を覚えた。

「とりあえず、黒須に連絡か……」士郎は呟き、携帯電話のキーを操作し始める。

 イリヤスフィールの安否を確認することなく合宿に参加できるほど、衛宮士郎は暢気な人間ではない。
 合宿を部員たちの仲直りの場にしたいと言った太一に申し訳ないと思いつつ、断りの電話を入れるために、登録したばかりの番号を探し出す。それほど多くない中から発見した『黒須』を選択しようと士郎がボタンに指をかけた、まさにその時だった。

「………ッ!?」

 何が起きたのか分からなかったが、
 何か起きたのは分かった。

 ―――なんかバッグがもぞもぞ動いてる。

 生きたタコとか、入れた覚えはない。
 断言していいが、士郎が昨晩バッグに詰めたのは合宿のためのものだけである。決してナマモノ、入れていない。

 士郎は恐れおののきながら後ずさった。
 その瞬間、士郎は雷に打たれたかのように気づいた。天の采配としか思えない。そう、ちょうど手には携帯電話が握られている。
 緊急救急レスキューアーミーレンジャー戦隊の助けを呼ぶにはもってこいの道具である――ッ!

「あわわわわ……」

 混乱と手の震えのせいで思い通りにボタンを押せなかった。
 かつてサーヴァント連中に命を狙われたのとはまた別種の恐ろしさがあった。いや、人が恐怖するのは、基本的に正体不明なものなのだ。サーヴァント連中こそが別種である、というのが正しいのだろう。しかし、それはいまはどうでもいいことだ。

 士郎が部屋の隅で小動物のように警戒していると、やがてバッグの動きがピタリと止まったのだ。まるで、死に際にもがいていた命が尽きたかのようだった。

 爆弾処理班の慎重さで、士郎はそろりそろりとバッグに近づく。
 危険物、というより汚物を触るかの如き手つきで、ゆっくりとファスナーに触れる。
 バレンタインデーに好きな先輩にチョコレートを渡す女の子よりもドキドキしながら、ゆっくりとバッグを開く。

 そこには―――







 今にして思えば、現地集合というのが罠だったのだろう。

 越してきたのは夏休み前とはいえ、士郎がこの町で過ごした時間は、実質半月にも満たない。手近なスーパーマーケットなどの所在地はしっかりと押さえているが、昨年の合宿を行った場所、などと言われても分かるはずがなかった。加えて、『丘』という名の山は、少し道を逸れるとすぐに迷ってしまうと聞く。
 そういうわけで、士郎は今回の合宿の発起人、黒須太一に先導されて山道を進んでいた。

 整備された道では明らかにない、二人が歩を進めるのは獣道だった。太一いわく、時間が短縮できる、とか。
 木が生い茂っているため、夏の午前中なのに周囲は薄暗い。空気もどこかしっとりと湿っているように感じられて、"山登り"は覚悟していたほど厳しいものではなかった。
 しかし、考えてみれば当たり前で、この合宿には士郎や太一よりも年若い少女らも参加するのだ。運動部が有り余る体力を絞る目的で行うような合宿とは、根本からして異なる。

「というか、どうして、男二人で、俺たちは、男二人で、山登りなんか、男二人で、してるんでしょうね、男二人で……!」現状に大いなる不満を抱いているらしい太一が、歩くリズムに声を乗せて、振り返らずに言った。
「いや、それは俺の疑問なんだが……」一方、士郎は、薄暗い中で強烈に目を引く前方の白い頭を見ながら答えた。「もしかして、一緒に山登るのも無理なくらいに仲が悪いのか?」

 事ここに至って、士郎は未だに放送部の中身がどのようなことになっているのか、詳しいところを知らないのであった。いや、それどころか、今日の合宿に何人が参加し、その内の何人が男で女なのか、何年生なのか、そもそも人間なのか、といったことすら知らされていない。

「ぶっちゃけ、あらゆるところにキューバ危機が」太一が冗談めかした声で言う。「あるいはメルトダウン直前のチェルノブイリでも可」
「たしかこの町、原発があるんだよな」

 実に不謹慎な比喩だった。

 それにしても、いままで放送部の内情に関して何度も尋ねてきたのに、よりにもよってこのタイミングで返答がくるとは。
 士郎は内心で唸った。
 既に離脱できる状況ではないことくらい、士郎にも分かる。もちろん太一もそれを分かった上で、ようやく返事をしたのだろう。
 元より断るつもりがなかったとはいえ、抜き打ちテストじみたやり方に、そして予想以上に状況が悪いということに、士郎は困惑を感じた。

「そんな状況で、よく全員を集められたな」

 返事はない。
 ザッ、ザッ、とアスファルトの上を歩くのとは違う足音が二人分、セミの鳴き声に紛れ込む。
 士郎はこめかみから頬に一筋作った汗を袖で拭き、肩をずり落ちてきたバッグの位置を直した。それから数秒か、数十秒か経って、唐突に気がついた。
 そもそも、一緒に登山もできないような関係の人間同士が、合宿に集まるはずがないのではなかろうか。

「同じですよ」士郎が気づくのを待っていたかのようなタイミングで、太一は言った。「必要な情報しか教えてません。集合時間も、到着する順番を考慮して伝えてますし、これは山頂で遭遇戦ですなー」

 太一が素直に白状したことに、士郎は驚いていた。
 太一の態度は、士郎を道具として使ったことに対する、彼なりの精一杯の誠意だったのかもしれない。出会いの印象が強烈すぎたせいで、自分の中にある黒須太一像は、見るも無残に歪んでいたのだ。どことなく自嘲するような彼の言い草を耳にして、士郎は少し反省した。
 ―――あの時の黒須は、きっと暑さにやられていたのだ、そうに違いない。
 実は士郎の中にある歪んだ姿こそが真実に近いのだということを、付き合いの短さから、士郎はまだ知らない。何ごとも、知らぬが華である。

 それから二人は黙々と山を登り続けた。単純作業のように足を進める様は、修行に勤しむ僧に似ている。
 何度ぬぐっても湧き出てくる汗は、雨に降られたかのようにシャツを濡らした。時折木々の隙間から吹き抜ける風が、数少ない救いだった。

 どれほどの時間が経過したのか、ついにたどり着いた目的地には、まだ誰もいなかった。士郎と太一が一番乗りだ。

 ふぅ、と息をつき、士郎は木陰にバッグを置いた。否。置いたというよりは、肩から滑り落としたとでもいうべきか。とにかく、丁寧とは言い難い扱いをした。
 ゴン、と鈍い音がした。
 同時、

「ふぎゅっ」

 バッグが悲鳴を上げた。

「…………」士郎は、奇妙な感覚――既視感を覚えた。
「…………」太一は、何事かと士郎とバッグを交互に見た。

 男二人で奇妙な沈黙に包まれるのは、なかなかどうして士郎には新鮮だったが、幸か不幸か雰囲気を味わう余裕などなかった。
 一秒が一分に、一分が一時間に引き延ばされる嫌な感覚だ。
 それを振り切るために、士郎は勇気を振り絞って自分のバッグを開いた。

 そこには―――紅い瞳。
 それで士郎は今朝の、すなわち数時間前の記憶を取り戻した。





『い、イリヤ……!?』
『あ、バレちゃった』
『なんでこんなところに……、いや、それよりも、なんでこんなところに……、じゃなくて』
『言い直せてないじゃない。もう、こんなに早く見つかるなんて、不覚だったわ。―――仕方がないから、ねえシロウ、わたしの眼を見て』
『え……?』
『いいから! しっかり見ないとダメなんだから』
『あ、ああ、……………………あ―――れ? なにしてるんだ、俺。―――げ、時間ギリギリじゃないか』





 目が合い、紅い瞳の持ち主は、士郎が全てを思い出したことを悟ったのだろう、にっこり笑ってバッグからずるりと這い出てきた。
 その光景は、ちょっとだけグロかった。

「ね、シロウ、びっくりした?」

 したに決まってる。
 上がった体温が一気に下がったかと思うほど、士郎は驚いていた。

 数秒後、士郎は呼吸することをようやく思い出し、口を開いた。「―――待て、黒須。なんで携帯電話」
「ロ、ロロロロリ、真性のロリコンが出たぞぅッ! 我々はとんでもない怪物を引き入れてしまったようだ……」携帯電話片手に、太一は超エキサイトしていた。「駄目だインモラル、来るな! 愛貴族たる俺は、これから貴族としての使命を果たす。人里から幼女をさらってきたロリコニアン・ウルフを俺が倒すまで、山には決して―――な、なんだと、もう到着する……!?」

 バッ、っと効果音が鳴る勢いで、太一は先ほど自分たちが通った道へと振り返る。

「あ、太一。それと……」新たなる登場人物インモラル、またの名をシスコンオナニーのプロは、初対面の士郎と、その傍にいるイリヤスフィールを怪訝そうに見た。彼は、士郎の存在を告げられていない一人だった。

 もうグダグダだった。





 入部するにあたって芸名を必要とする放送部のしきたりに従い、ロリコニアンウルフという大変に不名誉な名を得た士郎は、とりあえずイリヤスフィールを連れて山を下った。遠く離れた冬木の地で、いまも必死にイリヤスフィールを探しているメイドたちを思ってのことだった。加えて、イリヤスフィールがバッグの内側を占領していたために合宿に必要なものが何一つなかったので、それを取りに戻るという意味もあった。

「いいのよ、たまには息もメイドも抜かないと、わたしだって疲れるわ」
「いつも藤村組で好き放題やってるじゃないか」
「実は動物園に興味があったの」
「動物園? なんで急に……待て、あいつらは動物じゃない」
「似たようなものでしょ? 希少種ばかり集めてるんだから、博物館でもいいけど」
「いいわけないだろ。……とにかく、一度向こうに連絡するからな」

 という会話を経て、登ったとき以上の時間をかけて下山、再び上る作業を繰り返してアパートの最上階にたどり着く。
 士郎は、イリヤスフィールが住んでいる藤村の家に電話をかけた。次いでメイドのセラへと連絡を取り、小一時間ほどグチグチと文句を言われ、さらにイリヤスフィールが徹底抗戦の構えを取ったことにより通話時間が飛躍的に跳ね上がったが、結局、イリヤスフィールが電話を切ったことによって決着がついた。
 電話代も心配だったが、それ以上に自分の命が心配になる士郎だった。

 イリヤスフィールは強情だった。そして士郎は、イリヤスフィールに勝てたためしがない。唯一の勝利は、もう半年以上前、アインツベルンの森でのことだ。
 もしや自分は本当にロリコニアンウルフなのやもしれない、と自身の性癖に危惧を覚えつつ、士郎はイリヤスフィールの合宿への同行を受け入れることにした。これは、電話で太一に連絡を取ったところ、二つ返事で許可が下り、逃げ道がなくなってしまったという情けない理由によるものだ。

 イリヤスフィールはイリヤスフィールで、ちゃっかりと数日分の着替えを準備してきていたらしい。一度士郎のアパートに戻ってくることも計算に入れて、荷物はしっかりと車内に置きっぱなしであった。
 少女の荷物は当然の如く士郎が持ち、二人は二度目の登山に挑むことになる。運動を目的としない体のつくりをしたイリヤスフィールに合わせ、頻繁に休みをはさんでの行軍だ。水分補給も欠かせない。

 太一と登ったときの倍以上の時間をかけて、士郎とイリヤスフィールはついに元の場所にたどり着いた。

 そこには既に、何やらギスギスとした空気が出来上がっており、お世辞にも二人を歓迎するといった雰囲気ではなかった。
 その雰囲気は、果たして、合宿の最後までコールタールのように場にまとわりついていた。




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一話目投稿にしていきなりタイトルを間違えるといううっかりをしてしまったので、タイトルの方も修正いたしました。


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