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先に白状してしまうと、あの子は吸血鬼だった。
まあ、子供たちは薄々感づいていたようだったから改まる必要もないと思うけれど、勘違いしていた大人たちのためにもはっきりと言っておこう。
あの子は人の血を吸ったし、太陽が苦手だったし、招かれないと他人の家に入れなかった。
そんな、本物の吸血鬼だった。
それと、もう一つ白状しておきたいのは、私があの子のことをほとんど知らないということだ。
それまでどこで暮らしていたのか、両親はいるのか、好きな洋服は、お菓子は、どんな本を読むのか、家ではどうやって過ごしているのか、休日はどこに行くのか、贔屓にしているミュージシャンは誰か。
普通の友人なら知っていてもおかしくない、寧ろ当然のことが、私はわからない。あの子は打ち明けてくれなかったし、私も聞かなかった。
私があの子について、知っていると胸を張れるのは四つ。
吸血鬼だったこと、病気のこと、本当の性格、そして何に恋をしていたか。
たった、これだけ。
改めて思い返してみて自分でも驚いたけれど、本当にこれしかなかった。
そんな私があの子について話すのは、おこがましいと思われてしまうかもしれないけれど……まあそれは仕方がない。
その資格があるのか、正直なところ自信はないし。
たぶんあの子も、いい迷惑だ、と拗ねた口調で言うだろう。
ただそこは、友人の……いや、親友の誼でどうにか許してもらいたい。
えぇとつまり、何が言いたいかというと、あの子の諸々の事情については曖昧な説明しかできないけれど、勘弁して欲しい。
それと、注意もして欲しい。もしかしたら私の説明が足らないせいで、あの子が実物以上にミステリアスな存在になってしまうかもしれないけど、それは間違いだから。
あの子は、私たちと何も変わらなかった。普通に悩んで、普通に傷ついて、普通に喜んで、普通に怯える、普通の女の子だった。
まあ、その美しさだけは、常人離れどころか女神もかくやというほどだったけど。
私は、私以外の誰かにも知って、覚えていてもらいたい。あの子がどんな風に悩んで、何に傷ついて、どう喜びを表して、そして、どんなに怯えていたのかを。
うまく伝えられないかもしれないけれど、精一杯言葉にしよう。彼女に与えてもらった物を、少しでも他の誰かにも与えられるように。
ちょっと長くなってしまった前置きは、これでお終い。
それじゃあ……太陽に恋をして、最後にはその光に焼かれてしまった、とびっきり頭の悪い吸血鬼の話をしよう。
/一
学園祭まであと二週間を切って、学校中が忙しない雰囲気に包まれ始めたところに、のそのそとその子は現れた。
こんな時期に転校生? ブサイクに百円、準備の分担どうすんの? なんて、歓迎的とは言いがたい所感を口にしながら転校生を待ち受けていたクラスの皆は、その姿に度肝を抜かれてしまった。
かく言う私も言葉をなくしていた。
全身、もこもこだ。盛りは過ぎてもまだ夏だというのに、分厚いニットコートを着て、目深にフードを被っている。さらにどこかの軍隊で使われていそうなゴーグルと、やたら大きなマスクをしているものだから顔の造りは全く窺えない。手にはスキー用と思われる手袋まで装着していて、徹底的に肌の露出を避けているようだった。
寒い……わけではないと思う。夏だし。私たち汗だらだら出てるし。
それまでざわついていた教室は、その子の登場で完全に凍り付いてしまった。
まるで雰囲気だけが、その子の格好につられてしまったみたいだった。
小林先生に連れられて、その子はふらふらふらふらと危なっかしい足取りで教壇の前まで歩いてきた。立ち止まった小林先生にぶつかりそうになっている。大丈夫だろうか。あのゴーグル、前が見えないんだろうか。
小林先生は声をかけてその子を立ち止まらせると、続けて私たちの方へと向き直るように言った。
「さあ皆、新しい友達を紹介するね! 今日からこの教室で一緒に勉強する、ありすちゃんです!」
職員室かどこかで既にショックを乗り越えていたらしい小林先生は、必要以上に大きな声で言った。
けれど、凍りついた私たちはその程度では解凍されなかった。その子を見つめたままぽかんと固まっている。いつもやたらと威勢のいい鈴木あたりが何か囃し立ててもよさそうだったが、そんな様子もない。
あまりの無反応さに小林先生はちょっとたじろいでいたけれど、すぐに気を取り直してその子に自己紹介を促した。
「アリス。よろしく」
その子は片言でモゴモゴ言ってから、ペコリと頭を下げた。こもっていて聞き取り辛かったが、声音は間違いなく女の子の物だった。
私は、ちゃんと人間なんだ、なんて馬鹿みたいな感想を抱いてほっとしてしまった。皆が私と同じような感想を持ったのかどうかは知らないが、途端に教室に喧騒がもどってきた。暑そうとか、ありすって外人? 日本人? とか、変な子とか、好き勝手に口にし始める。
はいはいはーい! と元気よく手を上げたのは、やっぱり鈴木だった。先生が許可を出す前に、もう喋り始めている。
「なんでそんな格好してんの!?」
鈴木にしては、いい質問だった。クラスの皆も、おしゃべりを止めて興味深々に耳を傾けている。
その子――アリスはすぐには答えなかった。表情が窺えないのでいまいち分からないが、困っているような印象を受けた。きっと、答えづらい話題なのだろう。まあ、夏にあんな格好をしているなんて、どう考えてもまともじゃない。本人だって、したくてしているわけではないはずだ。やむにやまれぬ事情があるのだろう。
助け船を出したのは先生だった。
「ありすちゃんはね、ちょっと難しい病気なの」
えーっ病気ー! といくつかの声が上がって、教室がざわつく。それが落ち着くのを待ってから、先生は続けた。
「皆にうつったりはしないから安心して。ただ、ちょっとお日様の光が苦手なだけなの。他は、皆と同じ、普通の女の子よ。仲良くしてあげてね」
あんまり上手な言い方じゃないなぁ、と私は思った。特定の子たちにとっては、いじめてあげてと言われたようなものだ。中学生って、先生が思っているほど素直じゃない。そりゃあ捻くれた子ばかりでもないけれど、アリスの学園生活はあまり楽しいものにはならないだろう。
「なーんか、変な子が来たねー。学園祭前なのに、微妙な空気になりそう」
前の席からぼそぼそ話しかけてきたのは、佳苗だ。アリスに対してあまりいい印象を持てなかったらしい。
いやあんた普段は雰囲気とかまったく気にしないで、めんどくさーい、たるーいとか好きなことばっかり言ってるじゃん! とは思ったが、そんなことは口にしない。にっこり笑ってから、実に私らしい返事をしてやる。
「まだ決まったわけじゃないでしょ。それに、もしちょっと空気読めない子でも、ちゃんと話せばわかってくれるよ」
何をわかってもらえるのかは正直思い当たらなかったが、自信満々に言い切った。こういうのは、説得力が大事だ。
さっきの先生よりも白々しい台詞に、自分でも鳥肌が立ちそうだった。でもこれがクラスでの私のキャラだから仕方がない。今更変えるなんてできっこない。
「さやかは流石だねー」
くすくす笑って、佳苗は前に向き直った。転入生への文句を言いたかっただけらしい。
ふぅ、と内心ため息をついて、改めてアリスの姿を眺めた。
鈴木や他の生徒が矢継ぎ早に質問を続けているが、アリスはふらふらと体を揺らすだけで、答えようとしない。たまに小林先生が代わりに返答しているが、大抵の質問は黙殺されている。
この子、皆と仲良くする気あるのかなーと私はなんだかイライラした。
嫌われても構わないと考えているのだろうか。
だとしたら、なんて思い上がった子だろう。佳苗にはああ言ったが、アリスには極力関わらないことにしよう。たぶん、後のフォローは私がすることになるんだろうけど。
「質問はそろそろお仕舞い! アリスちゃん、席について」
いろんな意味で限界になったらしい小林先生が強引に話を打ち切った。えー! と不平を漏らしたのは鈴木だけで、他の生徒は素直に口を噤んだ。皆、アリスに不穏なものを感じていたのかもしれない。
「鈴木君は、休み時間になったらお話してね」
しっかり対応してやる辺り、小林先生は律儀だった。その丁寧さに加えて、生徒たちのことをしっかり理解できれば、きっといい先生になれるだろうと、職員室で学園主任が大声で言っていたことを思い出す。あのときは何で職員室に行ったんだっけ。そんなことを考えながら、先生がアリスの席を指し示す姿を見やる。
私は安心していた。だって、私の席は一番後ろの列で、先生が示したのは一番前の列だ。もちろん転校生がその席に座ることは、新しい机が運び入れられた時からわかっていたが、改めてほっとしてしまう。
ただでさえ面倒ごとを押し付けられることが多いのだから、トラブルの種になりそうな子の近くにいたくはなかった。私は基本的に自分のことで精一杯なのだ。
遠い席でよかったーなんてホクホクしていると、またも教室がおかしな空気に包まれていることに気がついた。
原因はやっぱり、アリスだ。生徒たちの質問に続いて、今度は小林先生の言葉も無視している。促されても、席につこうとしない。相変わらずふらふらと体を揺らしているだけだ。
小林先生は戸惑いながら「あ、ありすちゃん……?」と声を掛けている。たぶん、私だけじゃなくて、皆思ったことだろう。アリスって頭もおかしいのかな? 佳苗の言葉がいよいよ現実味を帯びてきたように思えて嫌だった。
ふらふらふらふら。なんだか病的な感じで揺れるアリスに、教室中が呑まれていた。この子どうしよう。全員の困惑が目に見えるようだ。
一際大きく前に振れた体が倒れそうになる。アリスは一歩前に踏み出すことでバランスをとった。かと思うと、今度は横に傾いていく。たたらを踏んで、それもどうにかこらえたけれど、三度目は耐えられなかった。つんのめった体が、最前列の斉藤さんの机へと流れていく。
どんがらがっしゃん、と漫画のような音を立てつつ、アリスと机は床に転がった。教科書がばさばさと散らばって、一瞬早く立ち上がって難を逃れた斉藤さんが白々しく悲鳴を上げた。
一拍遅いよ! 突っ込んできたときに上げればいいのに。などとどうでもいい感想が出てきてしまうほど、私は現実から目を逸らしたかった。これは面倒くさい子だ。ふざけたのか、運動神経が悪いのかは知らないが、とことん問題を起こしまくる気がする。
教室はまたざわついていた。信じらんなーいと困惑顔の女子がいれば、大爆笑している男子もいた。が、そのざわつきは長く続かなかった。アリスが起き上がらないのだ。頭でもぶつけたのだろうか。
途方にくれていた小林先生が、慌ててアリスに駆け寄った。
「ありすちゃん、大丈夫!? ……っ。あつい」
ぐったり無防備なアリスを抱き寄せて、驚いた声を出す。あついっていうのは、熱があるということだろうか。あんなに分厚いコートの上からでもわかるなんて相当だ。アリスはふざけていたのではなくて、調子が悪かったのか。
アリスに対する認識を改める反面、いやでもこれはこれで大変そうだなぁと思う。先生頑張れ! と心の中でエールを送っていると、出し抜けに小林先生は叫んだ。
「だ、誰かっ。ほ、保険委員の人!」
……おいおい、あたしじゃん。
※チラシの裏より。移転したら表示されなくなったので新規投稿です。感想レスのある回もありますが、寂しい一人遊びではありません(涙
批評・感想お待ちしております。よろしくお願いします。