戦場は、ドラゴンの咆哮で満ちていた。
大地を蹴る音、空が切り裂かれる音、途方もない力がぶあつい肉を叩く鈍い音。
そのどれもが耳をつんざくような喧噪だったが、唯にはドラゴンの声ばかりが聞こえた。
竜と龍。似て非なる両者の、おたけびが、悲鳴が、断末魔が、耳に染み入ってくるのだ。
それは多分、その一音に命の嘆きが含まれているからだろう。
そして今、自分達はその嘆きを生み出している。
「藤原!」
遥か後方からの声を聞くまでもなく、唯はするりと身を宙空に飛ばした。
空を切り裂かれる音が耳のそばで聞こえ、続いて巨大な爪が見えた。
当たれば簡単に引き裂かれるであろうその刃物、だが唯には当たらない確信があった。
身をひるがえし、その勢いのまま剣を振るう。
目標は爪の先の頭、こちらを睨む龍、そのぼんやりと開いた口、正確には牙と唇の間の、歯茎。
牙の表面を滑りながら、剣が柔らかい肉を裂き、血が噴き出した。
「キヨモリ」
龍の肉と悲鳴を感じながら唯がそう呟くように声をだすと、他の龍と身体をぶつけていたキヨモリが、相手をぱっといなした。
相手の龍がたたらを踏む中、キヨモリはすっと口の痛みにうめく龍にすっと寄り、爪を一閃。内臓まで深く抉る。断末魔を聞くまでもない致命傷。
その傷跡を見るのも束の間、唯は腰につけたナイフを投げた。目標は先程キヨモリがいなした龍、その目。
研いだばかりのナイフが目に当たった、と思ったとたんに弾かれた。瞳の表面が鈍く光っている。
目を薄く固い膜で覆っているみたいだ。防護用のコンタクトレンズの龍版。
無駄だったか、と思ったが、防いだはずの龍がふらつくのが見えた。軽い痛みでも動揺は増せさせられたか。
ならばともう一度キヨモリを呼ぼうとしたが、既に血に濡れたばかりの爪は動いていた。流れるように一閃、龍の屍がまた一つ。
「いい感じだね、キヨモリ」
周囲に気をむけながら、ふっと息をつく。返り血でキヨモリはどす黒くなっている、ふと落ち着いて、ぎょっとしたが、だがそれは唯も同じだろう。
戦場なのだから、当然のことではあったが、いざ気付くと、むせ返る匂いと嫌悪感は付きまとう。
龍が一体突っ込んできた。四足で駆けるまだら色。血ぬられている。
唯は周りをぱっと見回し、軽く下がる。キヨモリが前で、唯が後ろ。
敵は当然小動物である唯を狙うが、決して触れさせない立ち位置をとる。キヨモリも唯に合わせて、ほんの少し位置をずらす。
それで敵はキヨモリを無視して、唯を襲うことはできなくなる。重点的に訓練しているため、その動きに淀みはなかった。
衝突、大気を揺らす振動、その間、唯は周囲を警戒。
自分を狙うやつはいないか、キヨモリに横やりを入れようとするやつはいないか、腰元の投げナイフに手をやりながら、視線で一撫でする。
生憎、大丈夫そうだ。それにキヨモリも既に相手の顎をあげさせている。
これなら自分の補助はいらないだろう。
投げナイフは後六本。最近では剣よりも活躍の場が多く、生命線になっている。だがもっと改良できそうだ。そもそも刃物ではなく、爆薬や催涙系のほうがいいかもしれない。
そんなことを考えながら、唯はぽつりと思った。ドラゴンばかりの空間の中、唯一混じっている小動物である自分を、龍達はどう思っているのだろうか。
「おつかれさまでした」
「こちらの被害は?」
唯が自陣に返ると、柔らかい笑みを浮かべた男が出迎えた。
自分の小姓として、聖竜会から派遣されてきた男だが、初めてあったとき、唯は驚いた。
半年ほど前、ギルド部で出た大会で選手宣誓を務め、歩とリズの前に敗れ去った竜使いだったからだ。
名は東宮博文。
唯や歩のことを嘲ることも、負けたからといって悪態をつくこともせず、さわやかに去った姿そのままの、正統な貴族。
「五十組ほど、未確認ですが、おそらく相手方は百五十といったところでしょう。けが人はお互いその倍ほどかと。発展することなく、相手が引いてくれて幸いでした。数では負けていましたから。お二人とも、ご無事でなによりです」
正統貴族がそう言った。そこには何の嫌みもない。主人に対する執事のそれだ。
唯はふと今いるテントの奥の方を見た。彼のパートナー、三頭を持つ、バトラーという名前の龍が、甲斐甲斐しく三つ首を動かし、キヨモリの身体を大きな布で拭っていた。
「なんでそこまで私に尽くすの?」
「命令ですから」
間髪いれず答えてきた。
たしかにそうではあった。唯が藤原の名を継ぎ、少しして戦場に出ることになった際、身の周りの世話をする副官として、彼は派遣されてきた。
だが不思議な点があった。
「あなた十分戦場に出れる力あるでしょう? 私の小姓役なんて、普通戦力にならない子を選ぶでしょうに」
東宮博文とそのパートナーが戦う姿は、出会った大会で知っている。自分達と歩、みゆき達を除けば、ダントツの優勝候補だったし、実際強かった。
リズの前に敗れたものの、その力は今日唯が戦った龍達と引けをとるものではなかった。
「それは私ではなく、パートナーであるバトラーだけです」
だが帰ってきたのは、煙を巻く返答。
「みんな一緒でしょ、それは」
戦う、といっても基本、人間は戦わない。それはパートナーの役目だ。
ちっぽけな人間が、比べ物にならない体躯を持つパートナーと張り合えるわけがない。
多少竜使いが龍の恩恵を受けているとはいっても、所詮は人間。
パートナーや魔物と対等に戦えるなんてのは、ほとんどいない。
「唯様は違いますが」
「はぐらかさないで」
「事実ですから。今日戦場にて、龍と剣を交えたのは、唯様だけです」
「褒めてうやむやにするつもり?」
「事実ですから」
博文の顔を見る。猫のような目に、微笑がはりついている。
その顔を崩して、奥にあるものを見るのは、少なくとも今は難しい。
「いずれ聞くからね」
「はい、あと一つ、熊倉公がおよびです」
「それを先に言いなさい」
今回の総大将、熊倉『公』。会長副会長に次ぐ地位の大貴族。
僧兵のような風貌を見れば、名ばかりの貴族ではないことが一目瞭然の、本物だ。
「場所は」
「案内します」
そういうと、博文は踵を返して外に出ていった
「一つ、質問してもよろしいでしょうか」
無言で林道を歩いているとき、そう尋ねてきた。
「自分は答えずに質問?」
「あなたが実際に戦場に立つことを決めたのは、いつですか?」
慇懃無礼。だが唯は質問の内容を聞いて、ふと自分でも答えたくなった。
いざ考えてみると、実際にそれを口にしたことはなく、自分に言い聞かせてみたくなった。
「可能性を見たからかな」
「可能性」
「あなたも見たでしょう?」
「――ああ、ですか」
パートナーを戦わせ自分は高みの見物、それがこれまでの人類の戦いだった。
だが唯は見てしまった。人の身で怪物たちと戦い、勝利する人を。雄姿を、そしてパートナーとの真の共存を。
「危険では? 竜や龍に比べて、人は余りにももろい。人間が死んで、竜を巻き添えにしてもいいと? 非効率ではないと?」
「変わるべきときが来てる、と思ったの」
理屈じゃない。感覚でしかなかった。だけど唯はその感覚を大事にしたかった。
現代には、様々な考え方や理論がそれこそ無数に存在する。
それはこれまで先人達が積み上げてきたものだ。一人一人が必死に生き、結果生み出した段。より高みへ登るための、足場。
その上に立つことで、唯達はいい暮らしを送ってきた。
電化製品、各種マニュアル、社会構造。そもそも効率という思想そのもの。
それがあったからこそ、人類は他の種族の上に立てた。
限られた土地とはいえ、王様をやってこられた。
だが唯はもういいんじゃないかと思っていた。
段を一つ一つ勉強し、無数の理屈を飲みこみ、自分の中の非効率、非論理的なものを吐きだし、最後にちょっとだけ、自分が生み出した段差を置く。
そんな連鎖を繰り返すだけの日々に。
ピラミッドを、必死に盲目に登る人達を見て、自分はその上に行きたくない、という感覚を大事にしていいんじゃないか。
どれだけ考えても正しさしかないそのピラミッドの、どこか歪な部分を嫌ってもいいんじゃないか。
そう思うのだ。
「わかります」
唯は前を行く博文の後ろ姿に視線を合わせた。
「意外ね」
「なにがです?」
「いや、なんでもない」
わかります、という博文の声は、ため息をもらしたような声だった。
それがまるで本心から言っているようだった。
「着きました」
そこは出陣前にも来た、布で囲っているだけの陣だった。
「くれぐれもお気をつけて」
博文のその言い方が、戦場に出る主人への言葉みたいだ、と思い、その意図を理解した。
龍の軍勢から人類を守り、その存在すら世間には知らせない聖竜会。
これまで知らなかったその真の姿。
だが実際の中身は、やはり唯が味わってきた集団、そのままだった。
「また最後ですね。さすがは龍と生身で戦う勇者様は違いますなあ」
「遅れてすみません」
「丁度あなたについて話しているところです」
となると、今回の恩賞を決める論功がこの場の目的か。
「まあそれでも殺した数を見れば、認めざるをえませんがね。ああ血なまぐさい」
「いくら活躍しようと、スタンドプレー。列を乱す行為でしかない」
「それよりも全体に及ぼす士気の方が深刻では? 藤原様の勇気に当てられて死んだ同胞は相当数いるでしょうから」
唯が着くなり、面と向かっての悪口が始まる。
椅子にどっさりと座りこみ、たるんだ腹と赤らんだ顔の目立つ女々しい中年、定規を背骨にしたような痩せた二十代の男、ふんわりとした顔で毒を吐く女らしい女。
共通しているのは、貴族らしい品とおごり、竜使い、それと唯に敵意をもっていること位だ。
手柄を競いあうわけで、当然ではあるのだが、一番目立つ上に、妾腹の分際で藤原を継いだ唯への風あたりは強い。
「戦場に出て日がないのだから、多少の荒は多めに見てやれ」
その中で割合マシなのが、この場の主、熊倉公だ。
大柄な身体を鉄板に貼り付けたような姿勢で座る、薙刀の似合う男。
三十五にして、既に主たる貫禄がある。
「今回の戦での一番の功は間違いなく藤原だ。初陣からの数度を除いた戦全てでもな」
反論はなかった。多くが忌々しそうに顔を歪め、残る数人が涼しげな顔でやり過ごす。
実際に、唯がこの数カ月で倒した龍の数は、熊倉と唯を除いた残りの面子全員が生涯で倒してきた数を上回っている。
唯が面と向かって悪口を言われてもなんともないのは、これがあるからだ。
「藤原。一つ、要望がきている」
「はい」
「戦場を移す気がないか? 西の国の、外国境なのだが」
熊倉の発言に、場がざわついた。
西の国、というと、唯達のいる国と海を挟んだ先にある、二つの国の片方のリズの故郷の方。そして外国境というのは、国境ではなく、外の世界との境のこと。
確か今そこは。
「最近、龍の動きが激しいところでしたか」
「人と龍の屍で谷が埋まる、と言われているところだな」
聖竜会に入ってから、龍との戦争状況を知った。
何百年もの敵対関係だが、意外と全面戦争は少ない。一般に真実が知れ渡ることがなかった位なのだから、言われてみればそうなのだが、でも意外さは残る。
だが現在、そこに今変化が生まれている。
西の国の国境沿いで、一年ほど前からこれまでにない龍側の侵攻が起こっている。
聖竜会戦力の三分の一が投入されているが、その数を三割ほど減らしても現状維持で精一杯という状況らしい。
だがそれは裏を返せば、そこは今絶好の名を残す場ということでもある。
これまでにない侵攻、それを食いとめたときの功績はどれほどか。
もしそこで一等級の活躍を残したらどうなるか。
先程周りがざわついたのは、そこが余りに危険なだけでなく、栄光へのかけ橋にもなっているからだ。
「行く気はないか?」
熊倉の顔を見る。三十五にしては貫禄のある、皺が深く刻まれた彫の深い顔。
竜のように口が大きく、がばりと大口を開けると、飲みこまれてしまいそう、だが本人は常に渋面で、ほとんど表情を崩すことがない。
唯にはこの人が何を考えているのか、全く読めない。
「断らせてください」
「そうか」
だからそう答えた。
「唯様、よかったのですか? 断って」
軍議を終えて、藤原のテントに戻るなり、博文が言ってきた。
「せっかくのご指名でしたのに」
「罠とも限らないから」
唯は最も汚い貴族のやり口を知っている。キヨモリの翼を失ったり、外来種の悪食蜘蛛に襲われたり、散々な目にもあった。
だからこそ、唯は用心している。それが例え、一見尊敬に値する人物だろうと、どれほど美味しそうな道でも。
「戦場ではあんなに大胆に振る舞うのに、ずいぶんと慎重なんですね」
「あれとこれとは別」
「彼の影響ですか?」
「彼?」
唯は雑草まみれの地面に横たわるキヨモリの首元を撫でながら聞き返した。
「人の身でパートナーと渡り合う彼です」
唯は撫でる手を止め、あたりを見回した。
むき出しの地面に、生地のテントを組んだ、だだっぴろい殺風景。
入口近くには剣が数本たてかけられ、その横に木棚、お茶を飲めるよう湯沸かし器、それとベッド。それだけのさびしい空間。
昔の自分なら、本当にさびしくなっていたかもしれない空間だ。
「影響はあるね」
「好意からですか? 男女としての」
「ずいぶん直球ね」
「聞いておきたいですから」
博文の声は面白がっているようだったが、どことなく固く聞こえた。
なんとなくその顔を見たくなくて、きっぱりと答えた。
「違うわ――っとごめんごめん」
キヨモリに催促の唸り声をあげられ、慌てて撫でる手を再開する。
「彼は何をしているんでしょうね」
唯はさあね、と答えながら、そういえば歩は今先程激戦になっている西の国に行っているんだっけ、戦場には出ないでほしいけど、とぼんやりと思った。
本当ごめんなさい、めっちゃ遅れました。
ついでに更新不定期にもなります。
すみません。