「マサハル! 行け!」
「グオオォォォォ!!」
マサハルと呼ばれた巨人が駆けてきた。膂力だけで言えば、この模擬戦クラスのなかでも一番だ。ただまっすぐに走り棍棒を振るうというシンプル極まりない一撃だが、受け止められるものはクラスにほとんどいない。
歩は手にした棍のことを考えるまでもなく、避けることを選んだ。横薙ぎの一撃は身をかがめて避けたが、髪が振り払われる感触に背筋が冷えた。
ひとまず反撃の一手と、身をかがめた態勢からマサハルのすねに向かって棍を振るったが、返ってきた感触はぶ厚いサンドバックでも叩いたようなものだった。巨人の顔を見るが、苦痛は見てとれない。やはり無駄か。
そのまま横に身体を流して距離を取った。
巨人の主たる大楽が煽ってきた。
「相変わらず避けるのは上手いな! けど、逃げるだけじゃ意味ねえぞ!」
巨人の奥で腕を組み突っ立っている大楽を見る。どこかパートナーに似た大柄で粗暴な姿は見ていて面白いのだが、暴力的な性格なのは不快だ。
「ほらほら、このまま終わるか!? さっさとこいやチキン!」
煽りこそ立派だが、パートナーの影に隠れるようにしての野次はどう見ても虎の威を借る狐だ。立ち位置そのものは珍しいものではなく、模擬戦で前線を張る生徒は少ないが、狐を地で行くのはこいつ位だ。
いや、もう一人いた。正確には一体か。
「何を言うか! パートナーの影に隠れて出て来ぬ貴様こそ臆病者であろう! そういうのはこいつの眼前に立ってから抜かせ!」
頭上から降り注いでくる罵倒は、小さな身体から出てきているとは思えない声量だ。
「パートナーの癖に戦力にならないお前が言うな!」
「貴様の目は節穴か! 我は頭、こやつは身体を動かすのが我らの戦! 貴様のようにただ罵倒しているだけの脳なしと同じにするな!」
確かにアーサーの指示や警戒は役に立つ。宙から俯瞰して見ているため、歩よりも確実に戦況を見渡せるのだ。悔しいことだが、アーサーの戦術的思考は歩のそれを大きく上回っているのもあり、アーサーの指示は金言になることばかりだ。当人が胸を張ってそれを言うのは、なんだかもやっとしたものが残るが。
「なんだと!? 俺だって指示出してるじゃねえか!」
「戦況を把握し、要所を指してこその指示である。うるさいだけの戯言を指示など呼ばぬわ!」
「お前が口出ししてんのは、それしかできないからだろ! チビた身体で偉そうに言ってんじゃねえよ!」
「同等の身体のくせに、歩から逃げ回っている貴様がなにを言っておる! 少しは働けグズ!」
「……ウゴォォ?」
「……お互い大変だなー」
代理人による悪口をよそに、巨人のマサハルとの模擬戦は続いていたが、指示がなかなか来なかったためか、マサハルは大楽の方を向いていた。歩にとってはチャンスだったが、余りにも馬鹿らしい外野にそんな気は失せた。
息を整えながら、馬鹿二人を見る。
片や頭上で宙を舞う黒い小竜、片や顔を真っ赤にした暑苦しい男子生徒。
どう見ても同レベルかつ低レベルな争いだ。
あまり意味はないが、口げんかの勝敗はいつも通り小竜の圧勝に終わった。汗で顔を光らせる大楽が、怒声交じりの指示を出した。
「マサハル!! あの馬鹿竜をここに引きずりおろせ! ついでに目の前のもとっちめろ!」
「俺はついでか」
「ウオォォ!」
わかりやすい指示に巨人は猛った。怒号とともにこちらに突進してくる。
「大振りをしっかりと見極めろ! 一点に全力でぶちこめ!」
上空には巨人の方を睨みながら声を荒げて叫ぶアーサーの姿がある。
泥酔して眠った翌朝、アーサーはいつもと変わらぬ憎まれ口を叩きながら目を覚ました。昨日の夕食を食べ損ねたことで歩に八つ当たりをしてきた挙句、類から自分の分を取ってあると聞いて途端に機嫌を直す、いつも通りの子どもっぽい行動だった。歩の目から見て、純粋すぎる小学生達との一件から立ち直っているように見えた。
歩の目には、わからなかった。パートナーがショックを受けているのか、立ち直っているのか。そもそもなにを考えているのか。
「おい! 集中せよ!」
「わかってる!」
こういうところは察しのいいアーサーに返しつつ、棍棒をさける。次々と襲いかかってくる凶器の圏内から、ステップを踏んで逃げていく。追いこまれないように円を描くように動きながら、どのタイミングで動きを変えるかを探る。それが今すべき最優先事項だ。
しかし自分がどこか集中しきれていないのが自分でもわかった。一度気が抜けてしまったからか、頭上の住人のことばかりが気になる。
何をすべきか、どうすべきか。
マサハルの巻き起こす暴風から避けつつも、頭の中はごっちゃになっていた。
思考が停止してしまっているのがわかる。そもそも今日は頭のキレが悪い。先程無駄な攻撃をしてしまったのが、模擬戦に集中できていない証明だ。どうも色々半端な現状に、苛立ちばかりが募り始めた。
「集中せよ! 単調な行動をしっかり見取れ! 相手は一切の小細工をしてこぬ!」
「わかってる!」
苛立ちのせいか、予期できていた大きく薙ぎ払う棍棒を避け損ねてしまい、マサハルの棍棒が歩の腕をかする。態勢を崩すほどではないが、ひりひりとした痛みが伝わってきた。
「歩! 一回距離を取れ! 呼吸を整えよ!」
アーサーのもっともな言葉だったが、苛立ちの種にしかならない。
歩の中でこのぐだぐだした現状が嫌になってきた。はやく決着をつけて、この場から離れたいとすら思い始めた。
「歩!」
歩は一度大きく後方に飛んでから棍を構えた。正面には相変わらず馬鹿の一つ覚えの巨人。
うやむやを振り切るように、飛び出す。
指示を出すアーサーの声もどこか遠くに聞こえる。空を切り裂きながら全身を凶器と化し向かってくる巨人にのみ意識が集中する。
まずは振り下ろされた棍棒。
ギリギリのところを読んで、左腕に棍棒の感触を覚えるほど近くで避ける。そしてその省略した分の回避動作の分だけ、棍に力を込める。
全身をバネと化し、突きこんだ。狙いは腹。
狙いどおりの位置に棍は突き刺さった。歩が驚くほどに棍が肉の壁に埋まっていく。内臓にまで至っていそうだ。
予想以上の出来に驚きつつ、歩は巨人の足元を抜けるべく身体を滑らせようとした。巨人の勢いは歩では受け切れず、このままでは正面衝突してしまうからだ。
しかし強すぎる反動は、歩の身体の動きまでぶれさせた。歩の腰が猛烈な勢いで向かってきた巨人の足にひっかかった。
歩の胴体ほどもある左すねにあたり、身体が跳ね上げられる。超高速の牛車にひっかけられた小石のように、歩は弾き飛ばされた。
久しぶりの感覚だ、と歩は思った。上下の感覚がない。重力がどちらに向かっているかわからず、ただ苦しい。痛みが遠のき、頭の回転が恐ろしく鈍る。最近は機会がなかったが、昔は毎日のように経験させられたものだ。
気絶する前の感覚。
全身を衝撃が突き抜けると、遅くなっていた思考が完全に止まった。
気が付いたとき、歩は保健室で横になっていた。すぐに腰の鈍い痛みが意識を鮮明にし、なにが起こったかを思い出させてくれた。
「馬鹿者」
目が覚めたのに気付いたアーサーが声をかけてきた。
失態した自覚のある歩としてはまともな返答を返せない。
「あほ」
「……うい」
「戦に臨む心遣いがまるでない。精進せよ」
「反省します」
「みゆきが心配して、来てくれてたぞ。制服も持ってきてくれた。後で声をかけとけ」
「……了解」
言っていることは正しく大人しく聞くことしかない。
幸いアーサーもこれ以上言うつもりはないようで、はあとため息を残すのみで終わった。
居心地の悪さを感じつつ、その場で伸びをしてみる。ひきつった感触が腕と腰、それと背中全体でして、痛みが同期して起こる。痛みの具合からして、そう重傷というわけではなさそうだ。
「なんとか大丈夫か」
「いや、一概にそうは言えん」
アーサーに視線をやると、深刻そうに眉を曇らしていた。そんな顔をされると、こっちまで不安になってくる。
「どうした? 何かあったか?」
アーサーはぽつりと呟くように言った。
「昨日の模擬戦の後、藤花が言ったこと、覚えておるか?」
「えっと、なんだっけ?」
考えてみるが、心当たりはない。
「お前が無茶をして、藤花に何事か言われなかったか?」
「えっと、確か、学期末模擬戦がなかったらしごいてあげたのに、だっけ」
「そう」
そのときばかりは学期末模擬戦が間近でよかったと思った。明日に迫った今も、有難い位だ。
「それがどうした?」
「わかれ」
「だから、どうなった?」
アーサーが歩を恨めがましい目で見てきた。
「あんまりだったから、学期末模擬戦が終わった後に個人授業を開催するそうだ」
「……マジ?」
「マジ」
「……やめて」
「お前が悪い」
『ドキッ、藤花先生の個人授業』
藤花の個人授業は男子の間でそう呼ばれている。
命名者は、最初に個人授業を仰せつかった男子だ。何も知らなかった彼としては、見目麗しい女性教師から個人授業すると言われると、男子として色々妄想をかけめぐらせて当然だ。自慢するように盛大に振れ回ったのは仕方のない話だ。
意気揚々と放課後を迎えたそいつだったが、次の日、制服の下から包帯をちらつかせて登校してきた。顔は絆創膏まみれ、たった一晩たっただけとは思えない青白く豹変した顔色、足をひきずりながら黙々と席に着いたそいつは、何も語ることなく、余りの異常な様子に誰も声をかけられなかった。
そして授業になって現れた藤花に向かって、勇者がおそるおそる何をしたのか聞いたところ、返答は「『ドキッ、藤花先生の個人授業』受けたい人は好きにお茶目しちゃってくださいね」
それ以来、『ドキッ、藤花先生の個人授業』は畏怖を伴った正式名称になった。
それが明日以降、待っているという。
最悪だ。
歩は似たようなことで以前受講させられたことがあるのだが、内容を思い出すといまでも身体が震えだす。
「……一週間、まともに寝られなかったな。痛くて」
「口の中が裂傷まみれで、酒どころか飯を食うのも難儀した」
「消毒液の匂い、制服に染みついたな」
「包帯まみれのせいで、マミーと呼ばれたのは屈辱であった。誇り高き竜が」
「……実際受けた個人授業の内容、覚えてるか?」
「悲劇をいつまでも覚えておられるほど、我は強固にできておらぬ」
悲劇が繰り返された。自業自得とはいえ、泣くしかない。
深く息を吸い、自然と大きく吐き出した。ため息というには、余りにも大きな呼吸だったと思う。
突然、声をかけられた。
「辛気臭いため息、やめてくれないかな」
声はカーテンで遮られた隣のベッドからだ。
「あ、ごめん」
「竜使いなら気丈な振る舞いをして」
いつもなら揶揄されているのかと思ったが、声音に嫌らしい意図は見えなかった。それ以上に、声に聞き覚えがあった。
がらりとカーテンが開けられて見えた顔は、案の定見覚えのある顔。
整った眉を不機嫌そうにひそめ、小さな口をとがらせている。燃えるような暗赤色の髪は長く、うなじの辺りで二股に分かれ腰まで伸びていた。どこか幼さの残る風体に、吸い込むような漆黒で大きめの瞳は可愛らしい。
しかし、その実態は大きく違う。
彼女は歩とアーサー双方から返答がなかったからか、再び口を開いた。
「保健室なんだから、静かにしようよ」
「ごめん、平さん」
「水城君には、もっと落ち着いてほしい。同じ竜使いとして」
彼女は本物の竜使いだ。名前は平唯。余り見かける機会はないのだが、彼女のパートナーは紛うことなきAランク生物の、正真正銘の竜だ。
唯はすねたように口をとがらせたまま続けた。
「そっちの竜も、もっと毅然と振る舞って。小さい姿でも竜は竜なんだからさ」
アーサーにちらりと視線をむける
どこか及び腰ながら、こめかみのあたりに皺が寄るのが見えた。アーサーは自身が竜なのに、他の竜を苦手にしている。それは竜使いである唯にも適用されるらしく、彼女とも余り顔を合わせようとはしない。
ただし、例外はある。こめかみの皺はそれ故だ。
「小さい? 誰がだ?」
「あなた」
手を伸ばして抑えようとしたが既に遅く、アーサーは飛び立った。
唯と目線の高さを合わせて、アーサーが言った。
「なんだ小娘? 小さいなりはどっちだ?」
「あなた。手のひらサイズ」
アーサーの鼻から深紅の炎が漏れでた。完全に忘我したときの癖だ。
「そういう貴様は何故ここにおる? 中学生は家に帰れ」
「私、立派な十七歳だから」
「年齢詐称もほどほどにせよ。狼少年の末路は知らぬか? なんなら本屋に連れていってやろうか? 貴様ならまだ童話を読んでも違和感はなかろう」
「決めつけないでくれない!? そんな口叩くのは私の頭より大きくなってからにして!」
「お前のでかい顔の話はしていない!」
「私の顔はそんなでかくない!」
むしろ小顔に分類されるであろう少女は、顔ともども真っ赤に燃えあがらせており、歩では止められそうにない。アーサーを止めようにも、この剣幕だと決して止まらない。
「頬をりんごの如く赤らめる小娘は、幼稚園に帰れ!」
「黙れチビ竜!」
「黙るのはお前らだ」
一人と一匹に拳骨が見舞われた。
ゴッ、という余りにも良い音が聞こえてきた。アーサーはふらふらと身体を漂わせ、唯は頭を抱え込む。
「ここ、保健室だから」
「っ長田先生! 最初にいちゃもん付けてきたのはアーサーですよ!」
「結果的に騒いだなら同罪」
「ふん」
「偉そうにしてるがお前が主犯だからな」
拳の主は歩達の副担任である長田雨竜だ。いつのまにか保健室に入ってきていたようだ。まだ二十代なのだが、黒髪の中に白髪が混じっている。百八十センチを超える長身から振り下ろされた拳には迫力があった。
年代の近いのもあり、他の教師よりは考え方や感覚が生徒に近いのだが、それでもこうして締めるところは締めてくる。
「水城、お前もパートナーを止めろ。一番扱いになれているのはお前だろうに」
「すみません」
矛先が歩にも向いてきて、ほとんど反射的に謝った。
雨竜は謝る歩を見た後、未だにいがみ合う唯とアーサーを斜め見しながら言った。
「とりあえずお前ら。退場」