蚊帳の外。
試合中だというのに、リズの脳裏にはその単語ばかりがぽつりと浮かんでいた。
それは文字通りの意味だった。
今行われているのは、二対二形式の大会だったが、実際リズと歩がやったのは、一対一を二つやっているだけ。
にわか仕込みの連携を組むなら、いっそそうしたほうがいいだろうという判断だったが、今はそれが完全に裏目に出ている。
一応自分の対戦相手――悪魔型と愚にも着かないその使い手――を目の端でとらえながら、舞台中央に突如としてできた雨に向ける。
それは異界だった。外からは、おそらく中からもだが、先が見えないほどの豪雨。
しとしととした湿り気は、離れて空を駆け廻っているリズのところにも届いてきている。
自分で身体を自在に操れる精霊型とはいえ、呆れた技だ。
しかしリズにとって重要なのは、それが異界であるということだった。
リズのいる外とは、異なる世界。
まるで二人だけの空間に入ってくるなと言われているような気がする。
そうなると、自分がただのピエロだったということを思い知らされるのだ。
耳元でびゅうびゅうと唸る風はそのまま心に吹き込むよう。抱え持った人一人の大きさがある大剣は、妙に重く感じる。
そう感じるのはおそらく気のせいだけど、ただの気のせいじゃない。
失恋の寂しさであり、重さだ。
私は歩が好きだ。今でもそうだ。断られたとはいえ、はいそうですかと捨てられるものではない。
しかし今思えば、最初から勝ち目のなかった戦いだったのだろう。
最初から歩には相手がいたのだ。
私が初めて能美みゆきを見たのは、インテリジェンスドラゴンの使い手としての、歩の調査報告を聞いていたときだった。
家族構成の欄の枠外で、一時期同居者だったという、同年齢の少女。
写真を見たとき、綺麗だが、不幸そうな顔をしているな、と思ったことを覚えている。
写真下の調査報告に目を通し始めると、それが当たっていたのだと気付いた。
貴族の家系に突如として生まれた疑惑。そして最悪の結果。
本人には一切責任のない、どうしようもない話だった。
家族は崩壊し、本人は放逐された。
かわいそうな話だった。同情もした。
しかし正直なところ、そのときの私は、歩が彼女のことをどう思っているのかが気になった。
いきなり美少女が同居することになったら、なんて想像は大体下世話な方に行くものだ。
それは実際にこちらに来ても同じだった。
不幸だったのは、彼女を取り巻く環境が変わり、実際に二人が一緒にいるところを見れなかったことだ。
そのせいで、歩と彼女の関係を測りかねてしまっていた。
いや、おそらく違う。考えることを放棄していた。
逃げていた。歩に特定の相手がいる、という可能性から。
彼女と悪魔使いの交際疑惑を聞いたときの歩の態度は、嫌な予感をもたらすものだった。
それが兄妹のものか、異性のものなのか、事実としてはわからなかった。
しかし後者のときを想像すると、いてもたってもいられなくなった。
結果、私は本当の意味での告白をしてしまった。
その結果がこれだ。
本当に、どうしようもない。
誰にも見えない雨のカーテンの中、二人は何をしているのだろうか。
戦っているのは、九割九分そうだろう。
しかしリズには、それが何か嫌らしいことでもしているような気になる。
そう思うのは嫉妬しているからだ、ということはわかったが、だからといってどうにもならない。
雨中の戦いになる前の二人を思い出す。
おそらく二人は戦いを通じて言葉を交わしている、と思う位、二人は喜びの中にいる顔をしていた。
なのに自分は何だ。
対戦相手、空を飛びまわる私達を、精悍な顔つきで、しかしどこかしらおっかなびっくり見る悪魔使い。
目があったが、そこに相手を倒してやろうという覇気は見えない。
「どうした! さっきから一度も仕掛けてこないけど、怖いの!?」
うすら笑いを浮かべた男が、そう言ってきた。
剣を構え、私は戦っています、というかのように目を鋭くとがらせている。
だがそれは形だけ。
張りぼてをはがそうと、足でリンドヴルムの腹を叩き、仕掛ける。
途端に身体に叩きつけてくる風が増し、光景が数多の線となる。
ものの数秒でひきつった男の顔が近付き、もう少しで手が届く、というところまでなる。
だがその直前、間に悪魔型パートナーが立ちふさがった。
大剣の峰と、悪魔型の交差した両腕が、衝突。
ばん、という音とともに、全身がもってかれそうなほどの衝撃を耐えるのは一瞬、すぐに再び舞いあがった私の眼下では、悪魔型がもんどりうってひっくり返っていた。
なんとか立ち上がるが、悪魔型の両腕はぶらりと下げられていた。
折れてはいない、痺れと痛みで動かない、って感じか。
さすがの悪魔型、されど悪魔型。
ならば近付いても問題ないか、リンドヴルムに合図を入れ、もう一度下降する。
今度は仕掛けず、二人の周りをぐるりと旋回。先程の歩のような動きだ。
そして言った。
「本気出していいの?」
途端に男の顔に苦いものが浮かんだ。
結局のところ、それが目の前の男の限界だった。
私と戦う気がない、勝てるわけがない、しかしそれは表に出せない。
男の顔には、それがずっと透けて見えていた。
パートナーをすぐ近くに配置しているのも、自分がやられて負けないように、という配慮だけでなく、怖いから、というのもあるだろう。
そう思うのは仕方がないのはわかっている。実力差のある相手に、勝とうと思えるやるが何人いるか。
しかし隣で凄まじい勝負の最中の二人と比べると、なんとつまらないことか。
早く勝負を終わらせ、こんな不毛な輩との相手は終わらせたい。
しかし、できない。
その苛立ちをぶつけるように、言葉を続ける。
「つまらないやつ」
返答も反応もないが、さらに続ける。
「この前、昼休みでやってた放送。あれもつまらなかったね。仕込みでしょ」
男の鼻のあたりがひくっと動いた。当たりか。適当だったけど。
「あんなせこいことしなきゃ、納得できなかったの? 能美みゆきは自分のものだって。誇示したくなった? 小さい人間だね」
「そう言うあなたはどうなんです? つまらない人間につまらないっていうの楽しいですか?」
虚勢の笑みを貼り付けた男が返してきた。どうだ、という感じだ。
残念なことに、彼の言葉は真実をついている。それは私の痛いところだ。
今私がやっているのは、馬鹿に馬鹿といって自分を慰める行為。決して褒められたことではない。
だがそんなことはわかっていた。言われれば少し傷つく。けど、それだけ。
「そうね、それもつまらないね」
「それになんで勝負を終わらせないんです? 本気出せばいいでしょう? なのに?」
「さあね。少なくとも、あんたが怖いからじゃないから、安心して」
今私が決着つけたら、もう一つの勝負も終わってしまう。
それは楽しくて仕方がない時間を過ごしている二人に水を指すということ。
そうしてもいいじゃない、と言う内の声はある。
だけどそれをしたら、私はきっと将来にわたってこの日を忘れられない。傷になる。
それはしてはならない。耐えなければいけない、二人に水を指す誘惑に。
そう言外に締めくくったところで、現実に戻り、対戦相手の顔を見る。
あっさりと返す私の反応に、失望の色が浮かんでいた。
勝てっこない、と今にも言いだしそうな顔だ。
さあ、後は二人を見守るだけ、と更に高度を上げようとして、気付いた。
二人の勝負の決着。おそらく、極限のところとなる。
二人ともボロボロで、押せば倒れてしまうようになって、それでも最後の人刺しを狙う。
そうなってもおかしくない。
そのとき悪魔使いはどうするか? 当然、狙うだろう。
自分が勝負をつけられる瞬間、歩を狙える機会を。
そのとき私はどうするだろうか?
そう考えていたとき、はっと自分に向けられる視線に気付いた。
それはアーサーのものだった。
振り返ると、宙空で浮くように飛ぶ黒い小竜がいた。
その濃い緑色の瞳が、自分を捉えている。
そこには何か今まで見たことのないものが宿っていた。
わからない、しかし目が離せない、わけがわからない。
ただ、それでいいのか? と聞こえたような気がした。
首のあたりを冷たい汗が伝わり、身体がぶるりと震えた。