歩が最初に動いた。
合図が終わると同時に身体を撥ねさせる。
様子を見るなんて、一切しない。
狙いは、みゆき。
戸惑う敬悟と悪魔を横目で確認しつつ、数秒でみゆきのもとに辿り着くと、槍を振るった。
身体ごと叩きつけるような横薙ぎの一撃。
それをみゆきは正面から受けた。
歩の捻る方向とは逆に身体を捻り、同じようにして剣を振るう。
同時にイレイネが身体の各所に展開、ふくらはぎの裏、肩、背中、首、つっかえ棒のようにして、みゆきを支える。
目が合う。不惑な笑みを浮かべていた。
しかしそれは歩も同じだった。
激突。
十字に剣と棍が交わった。
ガン、という音と共に足元の砂が舞い上がる。
歩の身体の中を骨と筋肉の悲鳴が通りぬけ、びりびりと全身が震える。
そして手応え。
みゆきはイレイネごと後方に飛んで行った。
やはり膂力は自分が上だ、と確かめつつも、身体は更に地面を蹴った。
地面を削って減速するみゆきに向かい、雨あられと棍を浴びせ始める。
みゆきはそれを剣で防ぎつつ、避けてきた。
が、全ては防ぎ切れない。
何撃目かで、肉をこそぎ取りそうな一撃が皮膚上を擦過する。いける。
しかし次撃でみゆきとの間にいきなり透明な膜が滑りこんできた。
イレイネだ。とわかったときには棍を突き入れてしまっていた。
ほんの少しの感触を残し、棍は膜を貫いたが、その先の標的には楽に避けられた。
そして引き戻すときの感触がぬるりとする。
膜に掴まれる、距離を取るべき、と反射的に体重を後ろにかけた。
瞬間、膜を貫き、剣先が飛んできた。
とっさに避けるが、頬にひきつる痛み。
やばいと全力で後方に飛びのいた。
数歩分の距離でみゆきと見合う。
みゆきは軽く息が上がっていた。しかしどこか満足気だ。
歩の知るみゆきなら、あの場面で反撃は返って来なかった。成長している。
くい、と小首をかしげた。どう? と言った感じだ。
どっと観客が湧いた。怒号となって全身を包む。
一息、少し大きめに空気を吸った後、棍を構える。
みゆきもまた剣を前へ。背中にいるイレイネの両手が前に突きだされ、先がとがっていく。
少しだけ見合った後、同時に地を蹴った。
「あら、見ない間に、二人ともそこそこなってんのね」
うるさい位に周りが盛り上がる中、類さんがそう呟き声が聞こえ、そちらをばっと振り向いた。
「そこそこって、類さん、めっちゃくちゃじゃないですか、あいつら」
同じように振り向いた慎一が言った。唯は知らなかったが、二人は知り合いのようだ。
歩と慎一が仲がいいことを考えると、自然なことだが。
それは置いておいて、会場を見る。
そこには見たことのない光景があった。
どっしりと構える美剣士、その周りを駆け続ける影、そして影に飛び続ける槍。
影の、歩の動きは人というより犬型のそれだ。
顔がほとんど見取れないほどの速度で、流麗に動き続けている。
そしてそのすぐ後ろを、通り抜ける数多の槍。透明で巨大なそれは、円の中心、みゆきの背にかまえたイレイネからだ。
太陽の光できらめくそれは、イレイネの腕から離れると途端に巨大化、超速で歩に飛来、そして足元に穴を開け続けている。
そしてその槍は、始まってから絶えたことはない。常に歩を狙い続けている。
しかし歩は一度も直撃を受けていない。それどこか時折反撃をしている。
円形の動きを続けていた歩は、くん、と方向転換した。
そう見えた瞬間には、がん、という金属同士がぶつかりあう音。剣と棍が交わった音。そして巻き上がる砂。
だが砂が落ちきる前に、二人は離れている。そして槍が飛び、歩が影となる。
「壮大だね」
唯は思わずそう漏らした。
「確かに、絵になるね」
「じゃ、ないですよ!」
「まあまあ慎一落ち着きなさい。そんなはしゃいでると疲れない? ほら飴ちゃん」
「どもっす、ってあんたどこのおばさんですか!」
「種別はおばさんよ」
本当にいつも変わらない類さんだ。
ひょうひょうとして、つかみどころのない、そして恰好いい。
職場からそのまま来たのか、パンツスーツ姿だが、女の私でも身惚れそうになる。
昼も過ぎたのにぱりっと糊のきいたスーツ、品がたもたれる程度に胸元があけられ、そこにはささやかなネックレスがおさまっている。
セミロングの髪は毛先まで輝き、気の強そうな眉と自信に満ちた顔には微笑がたくわえられている。
仕事バリバリの理想のお姉さん。そんな感じだ。
「見た目は負けないけどね~」
「類さんは、二人の動き、そこそこですか?」
飴を慎一に押し付け、黙らせた類さんに、唯は尋ねた。
「あの二人なら慌てるポテンシャルじゃないでしょ。精霊型と、竜使い」
「二人とも、その限界クラスじゃ?」
「二人とも私の子どもみたいなもんよ?」
母親は全てを知っている。そういうにやっとした笑みを浮かべた。
そう言われると、何も言えない。
「まあ後は試合見ようか。慎一、見えてる?」
「見えてますよ」
むっとしつつ試合から目を離さない慎一を見て、そっか、頑張れ、と類さんは言うと、ぐっと私に寄ってきた。
「慎一、どう?」
「どうとは?」
「頑張ってるよね、って話。超人に囲まれて」
歩、みゆき、そして僭越ながら私。
「貧乏クジひいてもらってますね。ありがたいことに」
「申し訳ないことでなく?」
「友達ですし。ありがたい、のほうがいいかと」
「あんたもいい子だ――んで、相談の件だけど」
「ちょっと待ってください。ここでいいんですか?」
横目で類さんを見た。いつも通りで、息子の試合を身に来た姉といった感じだ。
黒い話を切り出したようには見えない。
「こういうとこだといいのよ。こんだけうるさきゃ聞こえないし」
「でも」
ちらりと視線をやると、慎一と目があった。咎めるような目をしている。
試合中、なにひそひそ話てんだ、って感じだ。
「大丈夫、中身まで聞こえてないよ。それに――慎一! 女子同士の話にからむような男はモテないよ! それとも試合が目で追えない?」
わかってますよ、というと慎一は試合の方に目をやった。
「こうやっとけばいいでしょ」
「悪女」
「まっさらな聖女なんてつまらないでしょ? みゆきは勘違いしてたけど」
それには唯も同意だった。
そう、みゆきは勘違いしていた。
「理想の異性になろうとして、聖女を描くあたり子どもだよね。ほんと、不器用な子」
「歩に惚れられるように、ですよね」
今思えば、みゆきにとって歩は特別だった。
アーサーも交えてとはいえ、一緒に帰ったりもしていたし、誰よりもフランクに接していた。
義理の兄妹みたいなものだから、といえばそうかもしれない。
しかし、一緒に弁当を作り始めると、みゆきの歩への好意は、兄妹のものではないのがはっきりわかった。
最初はみゆきと唯の二人分だったのが、歩と慎一、アーサーの分も入れるようになったとき、作り方が変わったのだ。
何が、とは言えない。手順は全て変わらない。
若干丁寧な作り方になったが、それも明確な差じゃないと思う。大人数になったから、というのも違う。
多分これが恋する乙女の弁当作りなんだな、と思ったのは、歩が食べているときのみゆきの顔を見たときだ。
苦笑いしながら、類さんは頷いた。
「清廉潔白、誰にでも優しく、自分に厳しく、なんにでも取り組み、こなし、いつも人より一歩ひいて動く。大和撫子、理想の嫁、ってとこかな」
「でも理想の恋人じゃない。まるで現実感がない」
「だってそんなの異性じゃないもんね」
歩とみゆきの間にあった壁は、そういうことだったんだろう。
類さんは、どこか悲しそうに、今にも消え入りそうな儚い顔をした。
「本当に、不器用な子。生き方も何もかも。こんな男同士の殴り合いでしか、思いを交換できないなんて」
言われて、二人を見てみる。遠目で激しい動きになかなか見えなかったが、目を凝らすと、二人の顔が見て取れた。
二人とも笑っていた。一種の凄絶な笑みではあったが、楽しそうだ。
類さんに言われて、これは二人は初めての夫婦喧嘩みたいなものなんだな、と思った。
「凄まじい夫婦げんかですね」
「お、いい言葉。全くだね――で、本題に移ろうか」
本題。
言われて思いだした。
そう、これは本題じゃない。別にある。
少し頭を切り替えようと、少し類さんに抗弁してみた。
「さっきもそんな切り出しでしたね」
「人を驚かすの好きなの」
背中をつーっと撫でられて、首のあたりが寒くなった。
抗議の目を向けると、にやにやとした笑みで、で、本題、と言ってきた。
「依頼された資料は後で渡すよ。みゆきの両親のこととか、今回の顛末とか」
「お願いします」
三日程前に、歩に聞かれないよう、学校が始まった後を見計らって、学校をさぼって水城家へ行った。
そしてそこで、類さんにお願いをしたのだ。
「急なお願いしてすみません」
「そりゃ藤原の御嬢さんにお願いされちゃね」
藤原。聖竜会でも名高い名家だ。
そして、私が卒業後に背負う名でもあり、使って行く権力だ。
その手始めが、類さんへのお願いだった。
「あんた、背負うつもり?」
「できることだけ多くを」
幼竜殺し、悪食蜘蛛。どちらも防ごうと思えば防げた事案だ。
私が藤原の後継者となろうとすれば。
そしてそうなれば、より多くを助けられる。
たとえば、今回のこととか。
「襲撃は誰の仕業かはわかった?」
「あそこの馬鹿です」
会場の隅で、リズにあしらわれている悪魔使いを指して言った。
「兄が警察官で、拳銃はそっから手に入れたみたいです」
「そんなまでして勝ちたかったか」
「欲しかったんでしょうね。実績が」
卒業後、それなりの進路に進もうと思えば、実績が必要だ。
警察にしろ軍にしろ、幹部は八割竜使いだ。
残りの二割に入りこむには、個人でも実績がいる。
それをてっとりばやく手に入れようとした、馬鹿とその家族の暴走が、キヨモリが撃たれたあの事件の顛末だ。
「みゆきの力を目にして、変わったんでしょうね。勝てるかも、って」
「みゆきのお父さんも見る目がないですね」
「あそこも色々あんのよ。それも資料に入ってるから」
観客が湧いた。会場に変化があったようだ。
「ま、これで終わり。私達も試合を見ましょう」
「一つ、質問いいですか?」
「何?」
「類さんは一体何者なんですか?」
竜使いの奇形児であるみゆきを預かり、変型の竜であるアーサーと歩の母。
そして藤原家の後継者が、自身の襲撃について調べていたことを知っている人。
「秘密」
類さんの顔を見る。いつも通りの笑みだった。勝ち気な大人の笑み。
そしてそれがこれから私の行く世界に必要なもの。
後半年か、と思うと、泣きたくなった。
「ちなみに襲撃事件の話はかまかけね。あったのは知ってるけど、後はさぐり。どうせ調べてたんでしょっていうね」
「それもかまかけですか?」
「やるじゃん」
乾いた笑いが漏れた。