翌日、試合は粛々と進んでいった。
次の試合は相手が棄権した。しかし特にいらだつことはなかった。
控室で顔を合わせた残りの選手達の顔に、居心地の悪さと、恐怖の奥底に尊敬を抱いている様子を感じたからかもしれない。
これが竜使いが向けられる畏敬の念か、と思った。自分に向けられるのは、初めてだった。
午前中の終わりに準決勝を迎えた。
相手は選手宣誓をした竜使いだった。
東宮博文というらしい。三つ首の陸棲竜だった。
彼の組んだもう一人の相方は三頭犬使いだったが、こちらは代々の主従関係です、といった感じで、服装も竜使いの着ているものより抑え気味で、一歩引いているのがわかった。
顔が主人と同じ位の大学生といった印象を受けたが、雰囲気だけが老成していた。
「昨日の見ましたよ。よろしくおねがいします」
「よろしく」
余りにもにこやかにそう言われ、なんだか面食らってしまった。
これまで会った竜使いの中で、最も礼儀正しく社交的な人だ。
試合が始まると、リズ、リンドヴルム対三つ首の竜、歩対三頭犬となった。
相手を見る限り、長年連れ添った関係ということで、ガーゴイル戦のように連携を組んでくるだろうと思ったのだが、こちらに合わせて一対一を二つ作るという形になった。
付け焼刃の連携しかない歩とリズにとっては都合がよかったが、なんだか不気味だった。
しかし試合内容は素晴らしいものだった。
竜対竜。
空を駆ける竜騎士と、地で待ちうける竜の交差。
咆哮とともにやりとりされる牙と剣の応酬。
一度交わる度に硬質な音がつんざき、砂が大きく舞い上がる。
いつしか観客と舞台を分かつ精霊型の膜には大量の砂が付着してしまい、歩側から観客が見えなくなった位だ。
ただいま洗浄しますのでお待ちください、と観客に向けたアナウンスが慌てた様子で流れた。
その時以外、観客からはほとんど何も聞こえてこなかった。
息をのむ戦い。
まさしくそれだった。
相手が仕掛けてこず逃げに回っていたのもあるが、いつしか足を止め、歩もまた竜同士の戦いに魅入った。
真のアーサーが幼竜殺しとやりあったときと同じ、最強同士の戦闘。
自分はやはりまだまだだ、とどこか愉快さを伴った自戒をした。
決着は、耐えきったリズがもたらした。
超弩級の戦いを、人の身でありながら一度も下りることなく戦い抜いたリズの峰打ちが、相手の胸に入った。
大きく悲鳴を上げる竜を見て、見守っていた竜使いは白旗を上げた。
「すごかったです」
観客が大きく沸く中、負けたにも関わらずむしろ試合前より増した笑みで、竜使いは言った。
「まだ戦えたのでは?」
死力を尽くした戦闘に、汗で頬に砂と髪がはりついたリズがそう言うと、負けは負けですから、と竜使いは澄ました顔で言った。
息も荒いリズとこのままディナーにでも赴けそうな竜使いは、一見どちらが勝者かわからない有様だ。
東宮博文、とリズは覚えこむように呟いた。
「リズ、お疲れ。歩なんかよりすごかったよ」
「おい」
「まあまあ。だけどこの大会で一番の戦いだったことは間違いないよね」
控室に戻った歩達を唯と慎一が迎えた。
前日に試合を終えてもう選手でない唯と慎一だったが、誰も身咎めない。
「私らが勝ち残ってたら、一番かどうかはわかんなかったと思うけど」
「唯も言うようになったのう」
「その節は大変申し訳なく」
「もういいって」
昨日とは違い、おどけて言った慎一に唯が突っ込むと、誰ともなく笑った。
そのとき。
「あら、皆さんおそろいで。昨日負けましたが、平さん達は入っていいんですか?」
悪魔使いの敬悟だった。後ろには牛顔の悪魔を従えている。
その後ろにはみゆきとイレイネがいた。
歩がそちらに目線をやると、目があったみゆきが不意に目線をずらした。
みゆきの様子など気にせず、悪魔使いは頬に笑みを浮かべた。
いつもの脱臭したような万人向けの笑みではなく、底意地の悪さが透けて見えた。
「私達はこれから準決勝ですが、まず負けないでしょう。リーゼロッテさん、決勝ではよろしくお願いします」
「どうも」
悪魔使いは歩のことをまるでないかのように扱っている。
おまえなんか眼中にない、と言外に言っているのだ。
しかしそれは歩も同じだった。
最初にちらりと見ただけで、あとが悪魔使いがなにやらくっちゃべっているのを完璧に聞き流し、ただじっとみゆきを見ていた。
対するみゆきだが、決して目を合わせようとはしなかった。
はりついたような微笑での、一見いつものみゆきだ。
ちらちらと唯や慎一のほうを覗う姿はいつもの凛とした姿からは離れていたが、それでも決して歩のほうには目を向けない。
しかし、ただ一度だけ、歩に目がいき、慌てて戻すという仕草をした。
それは一度だけだったが、その後も歩は何も変わらず、じっと見つめ続けた。
それでいいの? と言外に尋ねるように。
そうこうしている内に、敬悟が、ではリズさん、健闘を祈ります、と言い、くるりと踵を返した。
だが一歩も踏み出さず、何か忘れ物でもしたかのように再びこちらに向いて、言った。
「あ、忘れてました。平さん、昨日はどうも。強かったですね」
「あんた性格悪いわね」
間髪いれずに唯は返した。
するとわかりやすいほどに、悪魔使いは反応を示した。
口と目がくっつきそうなほど歪んだ顔。
英雄でもミスターパーフェクトでもない、ただの醜悪な憎しみに溢れた表情だ。
それは一秒も経たない内にしまわれ、にこやかに、では、と言い残して去っていったが、完全にキレていた。
みゆきもその後をそそくさと着いていった。
「私とリズしか見てなかったね。品がない」
「顔もね」
リズは汚物を見たときのような、今にも鼻をつまみそうな表情を浮かべた。
「ほんと性格悪い。唯、あたりすぎ」
しばらくして、ディスプレイに悪魔使い達が写った。
敬悟はいつもと変わらぬ、しかしあの表情を見た後では、猫を被ったとしか思えない顔をしていた。
しかし歩にとってはどうでもいいことだった。
「リズ」
歩は他の面子に聞こえないよう言った。
「何?」
「少しいい?」
「いいけど」
「場所移そう」
そう言い、外に向かった。
リズは何か言いたげだったが、何も言わず、歩もまた言及しなかった。
部屋を貸してくれませんか、と突然訪ねてきた歩に、ギルド連合の大橋さんは何も言わずに応じてくれた。
決勝前のミーティングに使うと思ったのか、それともこれから歩がすることを察したのかはわからない。
上橋さんはただ、応接室の防音は完璧です、とだけ言った。
対面に座ったリズに、歩は言った。
「結婚の話だけど断る」
「……」
リズは何も言わず、ただ悲しそうな顔をした。薄々勘づいていたみたいだ。
しばらくして、ぽつりと言った。
「どうして」
歩はすぐに答えられなかった。
ここまで来る間、ずっと返答は考えていた。
しかし土壇場になって、用意した返答が全て空虚なもののような気がして、何も言えなくなってしまった。
「正直、わからない」
正直に言うしかなかった。
リズはこらえきれなかったといった感じで、乾いた笑いを漏らした。
「何それ」
「リズのことが嫌いなわけじゃない」
「うん」
歩は言葉を探した。
うわべだけじゃない、自分の本当の想いを。
それがリズを傷つけることだとしても、今までの自分のような考えなしのその場限りの返答よりはマシだと信じて。
「ただ一番じゃない。生涯を共にするパートナーとは思えない」
言ってしまって、本当にひどいことを言ったのだと気付いた。
だが今更言いなおすことはできない。
リズの顔を見る。
不思議なことに、どこか晴れやかな顔をしていた。
ただ目の端に滴がたまっていた。
「答えはわかってたけど、実際言われるときついね」
歩は何も言えなかった。何を言ってもリズを傷つけてしまう気がした。
「私、わかってた。歩の隣に私がいたことは一回もなかったって。物理的な意味じゃなく、心の意味で。異性とか以前に、人として」
リズの手が顔を覆うのと、頬を滴が伝るのはほぼ同時だった。
応接室にリズを一人残し、大会の控室に戻った。
ディスプレイを見ると、既に誰も写っていなかった。
「勝ったよ」
唯がそう言った。
「知らない間にどこ行ったんだよ? それにリズは? 連れていったんだろ?」
「ちょっとな」
歩はそれだけしか言わなかった。
慎一はまだ聞きたそうにしていたが、先に歩は尋ねた。
「試合はどんな感じだった?」
「あっさりみゆきが決めたよ。相手は弱くなかったけど、みゆきの出来が良すぎる感じ」
「そうか」
「けど波乱はあったよな」
「波乱?」
慎一はふん、と誰かさんのように鼻を鳴らした。
「周りの反応気付かない? どっか変でしょ?」
言われて見回して見ると、確かにざわついている。
そういえば、慎一の顔も少し興奮したように赤くなっている。
「普通気付くでしょ。ほんと、リズと何してたの?」
「まあそれは後にしてくれ。何があった?」
「みゆきが悪魔使いをビンタした」
「ビンタ?」
「見てるこっちが気持ちいい位のやつをね」
「理由はわかる?」
「さあ。カメラはずっとみゆき写してたから、悪魔使いが何をしたのかはわからない」
そのとき、周りの視線が廊下の方へ集まるのが見えた。
その先に目を凝らすと、そこには険しい表情でこちらへ来る敬悟がいた。
競歩でもしているかのような早足で、後ろのパートナーは空を飛んでいる。
その目がこちらに向き、目があった。明らかな敵意を向けてきた。
しかし敬悟は何もせず、歩の横をぱっと駆け抜けて行った。
「なんだあれ?」
「さあ」
そしてみゆきも来た。
こちらは颯爽と、という感じで歩いてくる。
目があった。
ちょっとだけ色が違う両目の瞳は、くっきりとした明かりを灯していた。
意思が垣間見えた。強い、はっきりとした意思が。
しかし何も言わず、みゆきも横を通り抜けて行った。
ふわりと、どこか懐かしい匂いが香い、なんとも言い難い浮遊感をもたらした。
「少し変わったのかな」
唯がそう言った。