前回できなかったので、二つ続けて投稿しました。
「歩すごかった! 何あの動き! しばらくわけわかんなかったよ!」
「あ、ありがと」
「我が芝居を打たねば気付かぬあたり、間抜けだがのう」
「うるせえよ」
歩達は石畳の廊下を歩いていた。
背中の方からは、まだざわつく会場の音が聞こえてきている。
信じられないことだが、その中心には自分がいた。アーサーでも誰でもない、歩が。
「もともとすごいと思ってたけど、実際は予想以上だったよ! パートナーを正面から、それも一撃で倒しちゃうなんて!」
リズも興奮した様子で自分をほめたたえてくれている。
もともと歩のことを、自分のムコにスカウトするほど評価してくれていたが、今はそれにもましている。
すごい、と言う言葉に熱がこもっている。
自分の手を見る。歩みを進める膝を見る。
生まれてきてずっと付き合ってきた身体なのに、どこか全く別のものを見ているような気がした。
これまで自分の感覚としてあった身体とは、全くの別物のようだ。
「あの程度、我がパートナーなら当然であるが、まあ今回ばかりは褒めてやろう」
「そんなこと言っちゃって、嬉しいくせに」
「何を言う」
「それともほっとしたのかな? 自分の捨て身の演技が上手くいって」
「二人とも、ありがと」
歩がそう言うと、リズは満面の笑みで、アーサーは鼻を鳴らした、ふん、という音で、それぞれ応えてくれた。
会場へつながる石畳の廊下が終わり、控室へと繋がる会場を一周する廊下にまで出た。
隅に立っている他の選手と目があう。
途端に目を見開き、どこか怖そうに後ずさりした。
驚きと困惑、そして後悔に襲われているのが見てわかる。
竜使いもどきと思っていたやつが、実は化物だった。
そんな化物を自分はぞんざいに、それも本人にわかるよう、扱ってしまっていたと。
歩は彼から目線を外した。
それから廊下を進むたびに現れる似た人達にも、横目では確認するだけで目が合わないようにする。
そうされるのも悪くはない気分だが、余り浸っていいものではない。
「ふむ、なかなかに壮観よのう」
「アーサー、性格悪くない?」
アーサーもリズも同じことを思ったようだ。
「馬鹿にはいい傷よ。調子にのって、己の立ち位置を巻きまえぬから怯えねばならぬのだ」
「ひどいパートナーに巡り合ったのに、歩は本当すごい」
「さきほどからリズはすごいとしか言わぬな」
「だってそれ以外言う言葉がみつかんないんだよ」
他愛ない言葉を聞きつつ、元の控室に戻った。
そこにいた人達の反応も同じだったが、一人だけ、本当に怯えているやつがいた。
先程、唯達に出て行けと言った子供じみた男だ。
直接無礼なことをしてしまったことを思い出し、そこから逃げることもできずにいたみたいだ。
今にも泣きだしそうに見える。失禁してもおかしくない感じだ。
これほどまでに縮こまった人間を見るのは、初めてだ。
このままほっといて唯達のところに行くか、と思っていると、翼をはばたいて彼に近付いていくアーサーが見えた。
止めようとしたが、間に合わなかった。
「おい」
ヒッ、と男は泣き声をあげた。本当に言う人間がいたんだ。
アーサーは何を言うのか、余りひどかったら止めよう、と思っていると、アーサーが言った。
「我らといた竜使い達がどこにいるか知らぬか?」
「えっ……あ、はい」
「知らぬのか?」
「は、はい」
「ならいい」
そう言うと、相手を捨て置くようにアーサーは戻ってきた。
「さっさと唯達のとこに行くぞ」
歩達のところで立ち止まらず、そのまま飛んで行った。
慌てて後を追い、声をかける。
「お前何してんだ?」
「ささやかな意趣返しと、優しさ」
「どういうこと?」
「前者はそのまま、優しさというのは、あのまま無視してもやつは勝手な妄想をしては怯えていただろうから、お前なんぞ気にせぬ、と言外に伝えてやったことだ。まあまだ妄想はするだろうが、多少は軽減されたろう」
なるほど、というと同時に、やはりこいつは性格が悪いなと思った。
演習の外に向かう廊下を進んでいくと、出口のところで慎一とマオがいるのが見えた。
こちらに気付くと、手を上げて横に振ってきた。嬉しそうだ。
「見てたぜ。歩、いつからあんな強くなったんだ?」
「唯はどうした?」
「別の場所。キヨモリいると目立つから。んで歩、質問に答えろ」
「わからん。無我夢中」
「なんだそりゃ」
それから慎一に連れていかれた先は、学生ギルド設立のときにお世話になったギルド連合の建物だった。
「キヨモリがあんまりにも目立つんで、お願いしたんだ」
それから中に入ると、業務をしていた人達の視線が一斉に歩に集まった。
称賛の目だ。
ギルド設立のときにお世話になった一度きりだが、好意を持ってくれていたのがわかる。
戸惑いつつも、軽く首だけで会釈をした後、慎一に促されてすぐ横の応接室に移った。
ドアを開け中に入ると、ソファの座る唯と、その対面に座る中年の男が見えた。
たしかここの支店長だ。
奥のほうで、キヨモリが身体を丸めるようにして寝ている。
二人が振り向き、両方の目が歩に来た。なんかこそばゆい。
「おめでとう。素晴らしいものを見させてもらったよ」
「あ、ありがとうございます。えっと支店長さん」
「上橋だよ」
「上橋さん」
無礼に全く機嫌を損ねた様子を見せず、上橋さんは出ていった。
「歩、すごかったよ」
「またすごいか」
「それ以外何かいい言葉ある?」
「さあな」
一瞬溜めた後、みんなで笑った。
それでふっと身体が軽くなり、自分が慣れないことに強張っていたことに気付いた。
そのまま借りた応接室で試合の感想なりをしゃべっていると、大会を中継していたテレビで、今日の試合は終わりだということを知らされた。
念のため会場に向かい、事務の人に確認したが、今日はもうそれで終わりらしい。予定よりずいぶん時間がおしていたようだ。
それからギルド連合の人達にお礼を言い、帰路についた。
明日も試合あるからと、どこにも寄らずに家に帰った。
幸か不幸か母さんはいなかった。仕事のようだ。
台所に行くと、いつの間に作ったのか知らないが、後は温めるだけの晩飯と共に書き置きがあった。
ごめん、仕事。勝ったかどうかはわからないけど、しっかり寝なさい。勝ってたら明日いくかも。
とのことだ。簡潔ならしい書き置きだったが、明日来るかもしれないというのを見ると、なんだか気恥ずかしくなった。
それからすぐにシチューの入った鍋を温め、サラダとパンと共に食べた。
冷えた身体が暖まり、食後に一息つくと呼吸と共に身体の強張りが一緒に抜けていったような気がした。
食べ終わると、アーサーは珍しく歩の部屋にある自分の寝床に行き、即寝た。
普段は居間の自分の定位置につき、寝酒しながら寝ることが多いのだが、本当に疲れていたようだ。
歩もさっさと風呂に入り、身支度を済ませた後、床についた。
ベッドの中に入ると、途端にまどろみはじめる。
しかしなかなか寝付けない。
眠いことは眠いし、実際まどろんではいるのだが、頭が冴えてしまっていた。
まどろみながら、浮ついた思考が始まる。
今まで自分は何をしていたんだろう。
さんざん戦闘をこなしてきた。自分の力量を知った気になっていた。
常識に考えれば、所詮人なんだから、そう言っては自身を卑下してきた。
「アーサー」
起きていれば、と思い口に出した。
反応が返って来ず、やっぱ寝入っちゃってるかと諦めたところで、
「なんだ」
と聞き慣れた声が聞こえてきた。声は少ししゃがれている。起こしてしまったのか。
「起きてた? 起こしたならすまん」
「いいから話せ」
天井を見上げたまま、尋ねる。
「おれが自分の力に気付かなかったの、なんでかわかる?」
「んなものわかりはせん」
きっぱりと言い切られると、そうだよなあ、と苦笑してしまった。
「だが思うことはある」
ぱっと横に寝るアーサーを見た。身体を丸めて眠るアーサーの尻尾が見えた。
「何」
「我が生まれたとき、どういう風に感じた?」
唐突な質問だが、まどろんでいるのもあり、さっと答えた。
「すげえ。竜だ。竜使いだ」
「期待した?」
「それは当然」
期待しないほうがおかしい。その後へこまされることになったが。
「が、その後期待は消えた」
同じことを、と思った。
「我のせいだな」
「誰のせいでもねえよ。強いて言えば運命位のもん」
「だがお前はそこで諦め癖がついた」
「ん?」
「生物はどうしようもなく打ちひしがれると、期待することができなくなることがある。竜使いとしての栄光から転落させられた挙句、周りから憐れみと嘲りの混じった視線を向けられるようになったお前は、まさにそうだった。お前は何かを望むということを基本的にしない。してもうちひしがれるだけ。いや、転落されることが怖い。希望を持っても、また絶望させられるのが怖い。ならば最初から希望を持たない方がいい」
アーサーはそう一息で語った。たまっていたものを、一気に吐きだすように。
言われて、少し前の自分を思い出す。
少し前の自分。
これまでと違って見える。
幼竜殺し以前の学校での無気力な一日を過ごす自分
唯との一戦前の最初から諦めた自分
勝ってもただのまぐれだと頑なだった自分
唯が襲われても、やっぱり、と諦観した部分もあった自分。
悪食蜘蛛のときは、今思い出しても向こう見ずなところがあった。
生きていられたのが不思議な位だ。
あのときはそれしかない、と思っていたが、少し考えればもっと違う方法もあったのではないか?
リズのこともそうだ。どこか他人事だった。貴族からの婚約という、ある意味栄光。
リズ自身もいい人だし、いい女性だ。勿体ない位純粋な好意を向けてくれている。
……勿体ない。
それも自虐か。
そしてもう一つ。
「アーサー」
返答は帰って来なかった。再び眠りについたみたいだ。
そう気付くと、歩も眠くなってきた。
本物のまどろみに身を任せると、またたく間に意識は溶けていった。
意識が消える直前、すまぬ、と聞こえた気がした。