イレイネによる豪雨の中、いくつかの影が幾度も交わる映像がしばらく続いた後。
しばらくして、突然カーテンを下ろすようにぱっと全ての雨粒が地面に落ちた。
舞台の中央には対戦相手の首筋に剣を突きつける敬悟。
途端に観客がわっと沸いたのが、無音で見ているこちら側からもわかった。
控室でも何人か拍手した位だったから、その熱狂ぶりはわかるというものだ。
敬悟もかなり興奮している。
満面の笑みで手を上げ、観客に手を振る姿は、絵になる位洗練された姿ではあったが、びっしょりと濡れた頬は赤く上気している。
彼の悪魔型パートナーは観客に応えたりはしなかったが、腕を組む姿は誇らしげだ。
彼等ほどではなかったが、みゆきとイレイネも嬉しそうだ。
舞台の端でそっとたたずんでいたが、かすかな笑みで互いをいたわるように寄り添っている。
イレイネは、技で水を消費して小学一年生位の姿だったが、地面に落ちた水分をどんどん回収し、続々と元の身体を取り戻しているようだ。
対する敗者は水たまりに腰をつく無精ひげの男と、ぼっと突っ立つ色黒の女性といういかにもな姿。
それぞれのパートナーは、主人をいたわるように傍に寄りそっている。
まさに勝者と敗者の絵図だ。
「今日の主役だな」
アーサーが独り言のように言うと、誰と言わず頷いた。
その後、二回戦と三回戦と進行していったが、歩とリズ組、唯と慎一組の双方とも、全試合を棄権された。
肩すかしを喰らった気分だ。
なんだか鈍りそう、とリズが苦い笑みを浮かべながら言うと、本当にそんな気になった。
一方の敬悟みゆき組はきちんと試合を消化していった。
二人の戦いは目を惹くものだった。
他の試合ではパートナーに任せた戦いばかりが行われる中、二人は積極的に自分も戦ったのだ。
敬悟の戦法は、積極的に対戦相手の人間を狙うというもの。
普通にやるとしたらそれしかない、という戦法だったが、ただ狙うだけではなかった。
人とパートナーが共に戦場に戦う場合、パートナーの意識は主に二つに向けられる。
対戦相手と、自分の主人だ。
対戦相手は言うまでもないが、そこに主人の死はパートナーの死というこの世界の理が加わると、パートナーを縛りつける鎖となる。
二つの物に対し意識を割くというのは、かなりの重労働だ。
右手と左手で別の字を書くというのはその代表格だ。
訓練すれば克服できないことはないが、それは慣れるというだけで、更に負担が増えればおのずと失敗が増える。
そこを敬悟は突いた。
敬悟の動きは今にも仕掛けそうで仕掛けない、しかし今にも仕掛けそう、とディスプレイ越しでも思ってしまうものだった。
距離調整がメインだが、それ以外にも武器だったり、視線だったり、ありとあらゆるものを使い、見る者に危機感を抱かせた。
そうなると、パートナーは敬悟への、つまり対戦相手と主人以外の第三者にまで注意を向けなければならなくなる。
通常、主人の安否確認の中にその動きは入るのだが、敬悟はそこを刺激し、自身を第三の要注意人物にまで仕立て上げるようにしていた。
実際に戦う対戦相手パートナーと主人の安否双方への意識。
その二つだけでも苦労するのに、そこに第三者の動きまで加わるのだ。
その上、その揺さぶりは計画的だった。
強弱を付け、相手が嫌がるところに嫌がる動きをする。
相手が混乱するように、相手そのものをコントロールしていく。
相手が限界点に達したところで、人なりパートナーなり狩れそうな方を狩る。
そういう戦法だった。
歩もやる類の技だが、敬悟の巧みさ、念の入れようは桁違いだった。
こいつやっぱ性格悪いね、と唯が漏らしたが、誰も答えなかった。
見事すぎるほどの戦術だった。
一方のみゆきの戦いは非常に華やかなものだった。
みゆきはイレイネと完全に負担を分かち合う、コンビプレイだ。
一回戦で見せたほどの大技は使わないが、巧みな連携で相手を崩していく。
相手がパートナーだけをけしかけてくるのに対し、主にイレイネが対峙する中、みゆきも半歩ひいたところから、時を見て果敢に攻め入る姿は、戦乙女のよう。
特に二回戦で見せた動きは、控室も静まるほどだった。
その試合のとき、棄権されて時間の空いた歩達は、自然と備え付けのディスプレイから対戦を見ていた。
「お、みゆきのだね」
「相手は――なかなか辛いね」
相手は巨大な狼型だった。
鼻先にユニコーンのような角と、キヨモリほどある白い巨体。
動きも俊敏で、会場を所狭しと駆けまわる姿は、白い布がたなびいているかのよう。
「こやつらになら一矢報いられるかもしらんな」
そうアーサーが言ったほどだ。
巨大質量の高速移動。これほど単純な破壊力のある技はない。
自然、イレイネとみゆきに受けるという選択肢はなく、避け続けるしかなかった。
幾度となく自分に向かって引かれる白い線上から、戦乙女がなんとか身をくねらせて逃げる。
一回戦のヒロインが巨狼になぶられる映像は、誰もが息を飲んで見守っていた。
ただ歩は割と余裕を持って見ていた。
幼竜殺しのとき、似たような状況になったからだ。
あのとき、最後は捕まってしまったが、みゆきは長いこと耐えていた。
そして今対峙している巨狼は、犬形態だった幼竜殺しより遅く見えた上、なにより怖くなかった。
場が動いたのは、しばらくして後のほんの一瞬だった。
巨狼の相方、白一色で染め上げた甲冑とコートを纏う騎士風の男が、早まって剣を抜いたときだ。
圧倒しながらも決定打を浴びせきれない状況にやきもきした結果なのだろうが、彼が近寄ったことで均衡が崩れた。
いきなりみゆきが騎士風の男に向かって駆けだした。
当然巨狼は主人を守りに向かうのだが、主人が近寄っていた分だけ、対処する余裕がなくなっている。
その上、これまでただ立っていただけの男の動きは鈍く、危機感を増した巨狼の動きから、その分だけ余裕がなくなる。
そして余裕を失ったときの動きは単純化し、読みやすくなる。
全ての対戦に通じる真意だ。
そうして読みやすくなった白い暴虐を、みゆきは読んだ。
突進してくる巨狼の線上から、ぎりぎりのところで宙を飛んでかわし、まばたきほどの猶予でイレイネによって引っ張られ、巨狼の無防備な背中にとりついたのだ。
落ちる勢いも込めて、刃引きした剣が首筋を強く叩く。
斬ることはできないが、それでもそれなりの威力を伴った一撃にはなる。
急所に衝撃を受けた巨狼は、動きが鈍ってしまう。
そこにイレイネがとりつくチャンスが生まれた。
首の周りにぐるりと纏わりつき、締めあげ始めた。
イレイネの単純な膂力は低く、高速移動の最中にはとりつくことさえできず、とりつくことができても、窒息させるまでは行けない。
それでも首を絞められて力の入る生物などいない。
そう経たない内に巨狼はへたり込んだ。
みゆきとイレイネの勝利だった。
「本当、みゆきはいつの間にこんなに強くなったんだろ」
「さあな」
唯とアーサーのやりとりだったが、歩も同じことを思った。
三回戦を終えた頃、歩は不穏な場の空気を理解した。
それまでもなんとなく感づいてはいたが、その正体がわかったのがそのころだった。
「あの二人が主人公で、私達が嫌な敵役、って感じだね」
リズが言ったその言葉に、うすうす感じ取っていた全員が頷いた。
この場にいるのは、社会人が多い。少なくとも、社会に揉まれた経験を積んでいる人ばかりだ。
そうなると、自然と聖竜会の現状がわかってしまう。
竜に対する畏敬の念はある。
実際にこうして肉体を動かす以上、竜の能力を肌で感じている。
だからこそその待遇もわからないまでもない。
しかしそれでも嫌な感情は残る。
どうにもならない生まれ持ったものへの嫉妬、自身の待遇の不満、特別扱いへの嫌悪。
いくつもあるが、そのどれもがどす黒いが、人間らしい感情だ。
どれだけ苦心しても、消すことはできない。
それは何かのきっかけがあれば、噴出してもおかしくない代物だ。
不幸なことに、歩達はそのきっかけになりうる立場にあった。
妬ましい竜使い。自分達の苦労を知らない学生。歩達に非はなくとも、卑怯と責めたくなる不戦敗の数々。
大人の空間に、我がもの顔で居座る子ども達。
そこにヒーローとヒロインが現れた。
学生だが見栄えのする外見、研鑽が覗える戦闘、思わず応援したくなる熱い戦い。
にっくき敵役を、打ち倒す主人公にはもってこいの姿だった。
現状、敵役が主人公達を上回る力を持っていることも都合が良かった。
敗北必死の戦いに臨むものほど、心躍る戦いはない。
完全に、歩達が敵役に、みゆき達が主役に、それぞれなる土壌が育っていた。
自然と歩達に対する周りからの無言の圧力は相応なものになっている。
これまでも嫌な視線だったり、視線を合わせようとしないことは多かったが、今は明確な敵意が覗き見えた。
負けろ、消えろ、ひどい目に会え、俺達の溜飲を下げさせろ、被虐心を楽しませろ、そういう悪意が伝わってきた。
時折口に出すやつもいたが、そういうやつは大概そそくさとその場から逃げて行った。
一人だけ場に居座るやつもいたが、そいつはどうやら一回戦で負けたやつのようだ。
自棄になっているのかもしれない。
どのみち、歩達を取り巻く環境は最悪に近かった。
場所を変えることも考えたが、
「何も変わらない。それどころか逃げる姿を見せたら、余計に状況は悪くなる」
「我も同意だ。馬鹿に尻を向けるなど、臆病者のすることだ」
唯とアーサーの反対でとん挫した。
「それに次の試合で状況は変わる」
唯が言った。
対戦表を見れば、一目瞭然だった。
唯と慎一組の次の対戦相手はみゆきと敬悟組。
観客達も、選手たちも、おそらく歩達以外全員が浸っている、物語の山場だ。
「慎一、気張れよ」
「唯、気をつけてね」
「キヨモリ、思う存分男の方を食いちぎってやれ。失格になってもかまわん」
久しぶりにアーサーの手の急所を掴んでやろうか、と思ったがやめた。
唯と慎一が苦笑しながら、廊下を進んでいった。
その後ろ姿を、だいぶ減った周りの選手も見ていたが、うすら笑いを浮かべているものもいた。
おそらく会場もそうだろう。
完全なアウェーの中での戦い。
「二人、大丈夫だよね」
「大丈夫でしょ。キヨモリはああだし、唯は俺らの中で一番落ち着いてたし、マオはマイペースだし、慎一は足には自信がありそうだし」
「慎一の扱いひどくない?」
「それ以前にリズが言っておることとは違おう」
二人の返答に乾いた笑いを漏らしながらも、歩はそんなこと位お前に言われるまでもなくわかっていると内心でぼやいた。
リズが言ったのは、雰囲気に飲まれるかだったり、散々肩透かしくらった後の強敵だったり色々あるが、総じて今の不吉さに飲みこまれないか、ということだ。
なんとなく空気が悪い、というのは、どんな理屈や理性的な現状見込みよりも不安になる代物だ。
なにせまともな対策を何一つ立てることができない。
神頼みしかない、というやつだ。
「まあまともにやったら勝ちだから」
それは唯一のいい材料だ。
勝てば、おそらく場は白けるが、少なくとも歩達が粗雑に扱われる空気は薄れる。
「まともに出来るかのう」
「アーサー、不吉だよ」
しばらくして、解説やらなんやらが写っていたディスプレイ画面が変わり、四人と四体が写った。
慎一は緊張しているようで、若干顔が青白く、表情が固くなっていた。
マオも釣られてか、不安げに耐えず動きまわっている。
それを見て、敬悟は見るからに嬉しそうにしていた。獲物だ、と言った感じか。
ただ手の甲を絶えず掻いており、やはり緊張しているのだ、というのがわかる。
みゆきと唯はいつも通りに見えた。
ただお互いの顔をまっすぐ見やっており、画面越しなのに近寄りづらい感じがした。
キヨモリだけが一人いつもと変わらない様子でのほほんとしていた。
お互い握手した後、試合が始まった。
まずみゆきが動いた。
なんと、迷わず真正面から唯に仕掛けたのだ。
唯は落ち着いて一撃を避けると、さっと距離を取り、いつものキヨモリに任せる態勢に入った。
唯とみゆきの間にキヨモリが割って入り、みゆきから唯へのアクセスは遮断される。
どうでるかと思っていると、またもみゆきは正面からキヨモリに剣を向けた。
真っ直ぐ突っ込み、剣を振るう。
それとキヨモリの腕が交差すると、途端にみゆきが弾け飛んだ。
桁の違う膂力さがそこにあったが、弾け飛んだみゆきを風船状に膨らんだイレイネが受け止める。予想していたようだ。
「派手ね」
「全くだ」
リズとアーサーもそれだけしか言わなかった。熱戦の予兆があった。
みゆきはそれからも幾度となく仕掛けた。
時にイレイネの補助を借り、宙空で姿勢制御をしてキヨモリの目測を誤らせたり、イレイネそのものに仕掛けさせたり。
一度、キヨモリの肩に飛び乗り、首に向かって剣を振り下ろすところまで言ったが、腕に弾かれたシーンは、控室がどよめいた。
「この戦い方、歩に似てない?」
リズに言われ、少し考えたが、よくわからなかった。
「自分じゃ自分の動きは見えないからな」
「お前にはもう少し俯瞰というやつをだな」
「試合見ようぜ」
冷たく言うと、アーサーはふん、と鼻を鳴らした。
その間も、みゆきはキヨモリに果敢に仕掛けていたが、序々に手が少なくなってきたのか、キヨモリがみゆきを追うようになっていった。
「見ずとも、少なくともお前よりかは試合の流れがわかっておるからのう」
「何かわかったことある?」
「当然であろう」
リズの質問にアーサーが少し弾んだ声で答えた。そう言えば、素直に質問されるのって珍しかったかも。
「まず一つ。キヨモリの動きが悪い。どうも加減してしまっておるようじゃの」
画面上ではまた変化があった。
キヨモリが優勢なのは変わらなかったが、どうも攻めあぐねているようだ。
腕を、尾を振るうが、そのどれもが空振りに終わっている。
空を切り裂くような速度で、まきあがった塵の渦は、どれもが必殺の一撃のようで、みゆきが避ける度に控室には息を飲む音が聞こえたが、一度も当たることはなかった。
「知り合いだから?」
「それもあるが、おそらく癖でもある。今まで満足に正面からやりあったことなど、少ないだろうからな」
アーサーが言ったことを、歩はなんとなくわかった。。
これまでキヨモリは常に加減しなければならない世界にいた。
歩が手合わせしてもらったことは何度もあるが、強弱以前に人間が竜の全力を受け切れるわけがない。
何度か手合わせしてもらった、といっていた雨竜も同じだっただろう。
そこまでやっても、普通の模擬戦でも加減ができず、唯に叱られるハメになっていた。
考えてみれば、キヨモリはなんて窮屈な世界にいたんだろうか。
「キヨモリとまともにやりあうのは、リンドヴルムでも難しいもんね。飛竜型はキヨモリほどの膂力ないから」
「――強すぎるのも考えもんか」
「ふむ、まあそれはそれとして、二つ目に移ろうか」
ディスプレイ上では、みゆきが動いていた。
攻めあぐねてキヨモリの動きが雑になったところに、不意にみゆきが飛び上がりキヨモリにとりついたのだ。
しかし剣を振るう前に、キヨモリがぐるりと身体を回転しただけで、画面外に飛ばされた。
画面が慌てて軌跡を追うと、コロシアムの壁を背に立つみゆきが写る。
背中にイレイネがいて、クッションになっていたようで、怪我はなさそうだ。
しかし劣勢は変わらない。
「では、二つ目。非常に簡単な話だ。画面にみゆきとイレイネしか写っていない。それが問題だ。画面外こそ重要であるのに」
あ、と歩も気付いた。
「どういうこと?」
リズの質問に、アーサーがあっさりと答えようとしたとき。
いきなり画面が止まった。
いや、戦闘が止まった。
キヨモリに仕掛けようとしていたみゆきが止まり、キヨモリもその場でびくりと制止した。
後ろの方を見て不満そうに強靭な顎をぱくぱくと動かし始める。
唯に何か言われたのか、と歩が気付いたときには、イレイネがみゆきの背中に現れ、集合し始めていた。
控室がざわめき始めた。無音なため、何が起こっているのかわからない。
「何が起こっているの?」
「多分、負けたんだ」
アーサーの前に歩が答えた。
自分のセリフをとられた、とアーサーが機嫌を損ねるかと思ったが、その口から漏れたのは、ほう、と嬉しそうな声だった。
「気付いたか」
「まあ」
リズや周りがわかっていない上、悪い話なので、余り手放しに喜ぶ気になれない。
画面が変わった。
途端にいつか見たときと同じように、観衆に向かって手を振る敬悟の姿が写った。
その少し離れたところで、うずくまる慎一もいた。
アーサーが解説を始めた。
「我らが危惧すべきは、慎一だったのだ。正直、唯とキヨモリが負けることなどありえぬ。それこそ我ら位だ。しかし今回、唯とキヨモリが負けずとも、慎一が負ければ終わりだ。つまり注意すべきは慎一。それが見えてないのだから、我らが見ているのは小競り合い程度のものでしかない」
「そういえば、一度も慎一達を見てないね」
ディスプレイに写っていたのは、全編を通してみゆきと唯の戦いだけだった。
慎一と敬悟が写ったのは、始まる前に選手紹介をしていたとき位のものだった。
「みゆきとイレイネ対キヨモリは絵になっていたからのう。カメラもそちらに目がいってしまっても仕方あるまい」
「だけど勝負の核は慎一対敬悟だった。あの男の戦い方もかなり厳しかったし」
「戦い方?」
「相当嫌らしい戦い方するから。慎一、精神面からやられたのかも」
「お前も気付いていたか。少しは我が慧眼が」
「それより、問題だよ」
正直、ここで勝てばそれでこの空気も終わりだと思っていた。
しかし周りがヒーロー達の勝利に終わったことに気付き、にわかに騒ぎ始めている。
それ自体は問題ではないが、騒ぎが終わった後が問題だ。
奇跡を起こしたヒーロー達と、まず負けるはずのなかった中ボスに、どう見ても中ボス以下のボス。つまり歩達。
この後どうなるかを考えると、重い息がもれた。