×××は目を覚ました。
目に入ってきたのは白一色の天井。壁紙は勿論のこと、純白の蛍光兎のものを使ったのか、ライトさえも混じり気のない白だった。
ここはどこ。そもそもなにがどうなってるのか。
周囲を見渡そうと手をついて起き上ると、ひどいめまいがした。ふらつく身体の様子を見ながら身体を起こし、ゆっくりと周囲を覗ってみる。
天井以外も白一色で、何もない。軽く身体を動かせる位の広さがあるが、置いてあるものはいま自分が寝ているベッドと、籠。そこでベッドの隣に小さめの籠があることに気付いた。
中を覗き込んで見ると、見慣れない姿が目に入ってきた。
「キメラ?」
口に出して思いだした。意識を失う直前に見た、自分のパートナーだ。暇だ、といった感じであくびをしている。その姿に他のパートナーを捕食して強くなる化物の面影はない。
じっと眺めていると序々に思い出してきた。
○○○と十二歳の誕生日を迎え、自分の卵からキメラが生まれた。それがショックで茫然としていたところ、見知らぬおじさんに眠らされたのだ。
なんであんなことをしたのか。キメラだからか。それでも何故自分が。
意識がはっきりしてくると、疑問ばかりが浮かび始め、同時に不安と焦燥が増していく。
「起きたね?」
おじさんの声が部屋に響いた。肉声ではない、マイクを通したひび割れた声だ。
×××は反射的に抱いた疑問をぶつけ始めた。
「あの、どういうことですか? ここはどこですか? なんでここに連れてこられたんですか?」
「×××君、君のパートナーは何かわかっているかね?」
自分の質問は無視されてしまったが、答えるしかない。
「キメラ、ですか?」
「その通り。君はキメラ使いになったわけだ。だからここにいる」
「それがどうして?」
「君は、キメラ使いと会ったことはこれまであったかね? 話を聞いたり、ラジオや新聞で見たことでもいい。キメラ使いの実在を聞いたことはあるかね?」
都市伝説としてはよく聞くが、実際に目にした話を聞いた覚えはない。
「ないです」
「それは、キメラ使いは生まれてすぐに隔離されるからだ。いまの君のように」
意味がわからない。人権やら法律やらがまるで考慮されていない。
「それって違法じゃないんですか?」
「そうだね。でも、実際は起こっていることだよ」
そこでいきなり声音が変わった。ねっとりした猫撫で声に、怖気が走った。
「しかし私は大変かわいそうに思っている。同情している。だから君にプレゼントを上げよう」
「チャンス?」
突然、ガコ、という音がした。音の方を向くと、真っ白な壁の一部分がずれている。隠し扉になっているようで、そこから○○○が乗っているベッドと似たようなものが押されてくる。上にはシーツがかけられており、中央がこんもりと盛り上がっていた。
それを運んできた真っ白い服を着た人は、すぐに元の戸に戻って行った。再びただの壁に戻ってから、自分が逃亡の機を失ったことに気付いた。
「×××君、中身を見たまえ」
従うしかなく、ベッドから降りたって運ばれてきたものに近付いた。なにか勘づいたのか、キメラも隣によってきた。
シーツに手をかけられる位まで近寄ると、一気に生臭い匂いが鼻に入ってきた。それになにか息使いのようなものが聞こえてくる。それらの発生源は、シーツの中のように思えた。
「どうした? 早くしたまえ」
覚悟を決めて、勢いよくシーツをはぎ取った。
息を呑んだ。反射的に後ずさった。
そこにあったのは、全身ぼろぼろの狼だった。
身を横たえ、口から血を流し、腹からは何か黒い物が覗いている。ベッドの上は一面血の海なのだが、更に地面にもぽたぽたとこぼれ落ちはじめた。
瀕死の狼の目を見ると、敵意が伝わってきたが、身体を動かす気力もないらしく、ただこちらを睨むだけだ。
全く展開についていけずただ茫然としていると、おじさんの声が聞こえてきた。
「さあ、そいつを食べたまえ」
意味がわからない。食べる? 何を?
×××が戸惑っていると、ベッドの上になにかが乗っかった。キメラだ。その姿に先程までののんきさはなく完全に『キメラ』になっている。大きさこそ小さいものの、目は鈍く光り、牙をひんむいており、獰猛な肉食獣と化していた。
キメラが狼のはらわたに突っ込んだ。
狼は最後の力を振り絞り、精一杯の慟哭を吠えたが、まるで意味がない。全身に血を浴びながら、首元まで狼の腹の中に埋まっている。
キメラが嚥下する音が聞こえはじめた。ごくんごくんという音が、×××の頭に響く。耳からではない、奇妙な感じがした。
それを聞いていると、×××も変な感覚が強くなっていく。すこし熱っぽくなったのか、頭がぼうっとしていく。感覚だけが鋭くなっていく。濃厚な匂いが鼻腔をくすぐり、狼の荒い息使いと飲みこむ音が脳内で木霊する。全身の肌が鳥肌を覚え、口の中は唾液で満ちていく。唾液は次から次へと湧き、溢れだしそうになり、こらえきれずに一度ごくり、と呑みこんだ。
おじさんの声が再び木霊した。
「どうした? 君も食べないのか?」
驚愕の言葉だ。人に生のパートナーを食べろというありえない言葉。
だがなぜか腑に落ちる。先程まで気味が悪かった目の前の狼が、ごちそうにしか見えない。
「人はパートナーの影響を受ける。ならばキメラの食欲もまた人に影響を与えて当然なのだ。もう一度言おう。食べないのかい?」
一歩近寄った。
狼の半死体を見る。まだ息があるのか、それとももう死んだのか。
どちらにしろ関係ない。
手を伸ばし、狼の瞳を抉る。
ぐりゅりと音がして、目玉と赤い紐のようなものが持ち上がった。
それを口に含む。
キメラがどういう存在か、ようやくわかった。
×××は、ただ本能に従った。