大会三日前になった。
大会前日と二日前は調整に、軽く流すだけの予定なので、練習としては実質最終日だった。
「じゃあ行くか」
「……おう」
着替えを済ませ、テンションの低い慎一とパートナーズを連れて運動場に向かった。
大会参加を決めてからこちら、ずっと岡田屋に、つまり慎一の親御さんにお願いして場所を借りてきたのだが、それも今日で終わりかと思うとなんだか感慨深い。
後ろに森が広がっていること以外は普通の一軒家の中を通り抜けると、奥に広大な運動場やギルド関連の倉庫があるのも、もう慣れっこになっている。
運動場に着くと、既に唯とリズ、それとお互いのパートナーがいた。
リズがにこやかに話しかけ、唯がぼそぼそとではあったが受け答えをする。
それが二人だけの時のいつもの光景で、唯が嫌がっているのかな、と見えるが、リズ曰く十分仲良くしているらしい。
確かに最初の頃、唯は本当に警戒していて、リズが話しかけても強引に話しを終わらせていた。
それに比べると十分マシにはなってきている。
みゆきとの仲まではまだまだ差があったが、こうしていればその内はためにも仲のいい姿が見られるかもしれない。
「あ、歩」
「慎一もね」
こちらに気付いて、二人の視線がこっちに向いた。
同時に忠犬よろしくリンドヴルムの顔もこちらに向いた。
キヨモリはのっとりとしたまま、ぽけっと運動場を囲む森のどこかを見つめている。
こうして見ると、竜にも色々いる。
とりわけ特殊な相方を持つ歩だが、いまさらになってそう思った。
それから準備運動を三十分ほどかけて済ませると、運動場の中心に四人と四体が集まった。
その内三体が竜。なんとも豪華な布陣だ。
「じゃあ始めますか。二対二の模擬戦」
「……おう」
慎一は変わらずテンションが低い。
「慎一」
「わかってる。オーケーオーケーアーサーはE級。アーサーはE級」
「――まあ今日は許してやろう」
アーサーが眉の間に深い溝を刻みながら、唸るように言う横で、リズがそっと寄ってきた。
「慎一、今日どうしたの?」
「大会前で緊張してたところに、自分以外竜使いの二対二でなんかキタみたい」
「へえ。気負うタイプなんだ」
「ギルドのときは結構しっかりしてんのにな」
猫背でなにやら延々呟いている慎一の姿は、傍目に見ると完全に他人の振りをするレベルだ。
リズは薄い苦笑いを浮かべた。
「慎一も大変だね」
「本当」
「歩は大丈夫? 大会経験って、そんなないでしょ?」
「いまんとこ大丈夫。見られるのには慣れてるし、勝ったからどうってわけでもないし」
昨年の唯、キヨモリとの一戦はよく覚えている。
あのときの好悪入り混じった視線と雰囲気は、なかなか忘れられない。
「ならよかった。歩のかっこいいところ見たいしね」
突然言われ、どきっとした。
リズのいたずらっぽい笑みを見て、更に心拍は早くなったが、何気ないよう装って返答する。
「ま、やるさ」
「頑張ってね。私も働くから」
力強くそう言い添える彼女を見て、やっぱり彼女は強いな、と思った。
逆プロポーズ以降、リズとの距離感は変わらなかった。
翌日から、リズがいつもどおり元気に挨拶してくれたからだ。
そういう際は第一声が大事なのだが、それをリズが上手くこなしてくれた。
それから、お互い基本的には友人の領域の付き合いを続けているおかげで、意識してぎくしゃくするようなことは一切ない。
歩はそれが本当に有難かった。
しかし同時にこのままリズの好意に甘えていてはいけないことは、しっかりと自覚していた。
「オーケーオーケー。キヨモリ、歩と闘う。俺達、リンドヴルムから逃げる。オーケー?」
「締まらねえなおい」
その後、なんとも締まらない模擬戦を終え、解散した。
帰りの道は同じだったが、リズとは別の帰途についた。
翌日の放課後になって、部室に大会の組み合わせ表が届いた。
自然、岡田屋に向かう道中での話題は組み合わせの話になった。
「本番二日前に配布ってどうよ」
「敵情視察と対策すんな、ってことじゃね? それより本番のことだ! 明後日だぜ! 今日は眠れねえ!!!」
やたらとテンションの高い慎一が叫んだ。昨日とは真逆だ。
「何か変なものでも食いおったか?」
「腹くくっただけだぜ、いぇい!」
「なんだ空元気か」
「なんだろうが元気が一番!! よし、やるぜ!」
「ひとまず私達がぶつかるのは決勝までなさそうね」
騒ぐ馬鹿を放置して、唯が静かに言った。その手には組み合わせが書かれた紙がある。
トーナメント形式で、大きく二つに分かれたブロックに、それぞれの名前を見つけた。
「で、例の二人は――」
「あった。ここね」
一瞬こめかみのあたりに力の入った歩をよそに、リズが組み合わせ表を指さした。
唯慎一組がいるブロックだった。
「順調に行けば、ベスト八で当たるね」
「まあこんなもんか」
「勝てそう?」
「負けないでしょ」
唯は平然と言い放つ。
いつもより冷たい感じがしたが、唯の目には強い感情があった。
ここのところ顔を合わせようとしないみゆきに、唯なりに怒りを感じているのかもしれない。
それを差し置いても、負けないと言った唯の声には、強い確信が満ちている。
やはり自分達、ひいてはキヨモリの力に絶対の自信があるのだ。
よく相手してもらっている歩も、出場するが、唯慎一ペアが妥当に優勝だろうなとは思っている。
「そうだそうだ! 俺らにはキヨモリがいる! 最強! 最高!」
「慎一、お前は?」
「俺は負けなきゃいい! 逃げればいい! おおおおおおキヨモリさいきょおおおおおお!」
全く、と誰ともなく呟いたその時、バンと乾いた音がした。
聞き慣れない、嫌に硬質な音だった。何が起こったのか、わからない。
混乱する歩をよそに、すぐにキヨモリが低く唸りはじめ、リンドヴルムとマオがすっと背を伸ばし、アーサーが飛び上がった。
「キヨモリ!」
「皆キヨモリとリンドヴルムの間へ! リズ、リンドヴルムをキヨモリの寄せろ!」
アーサーの指示に、半ば反射的に従った。
少し遅れてリズも動きだし、道の端に腰を下ろして俯くキヨモリの巨体とリンドヴルムの翼で、四人が囲われた。
「アーサー! 何が起こった!?」
「撃たれた! 唯、傷は!?」
撃たれた!? 何に!?
疑問はあったが、それより傷と言われ、キヨモリが傷ついていることがわかった。
唯にぱっと視線を向ける。
キヨモリの右翼の根元あたりに手を当てていた。
すぐに唯は答えた。
「――大丈夫。血も出てない。へこんでるだけ」
全員の息がもれる音が同時に発せられ、まるで木霊したようになった。
「ただの拳銃だったみたい。キヨモリにはなんともないね」
「ただのって、拳銃? 鉄砲? 警察やら軍が使うやつ?」
唯が頷いた。
「よほど大きなものでもないと、パートナーには、取り分け竜には効かないからね。そういう意味じゃよかった。麻酔銃も竜に効くほどのものになると、違法に手に入れるのも難しくなるしね」
「だから武器としても余り開発されてない、機械族でも実弾やらは使用されにくい、ってわけだけど、それ人間には効くよね」
「下手なところに当たると即死だね。対人暗殺にはよく使われる。だからあんまり出回らないようにしてるんだけど」
今回はキヨモリに当たった。
しかしそれが唯に向けられていたら?
「竜使いだからまあ助かるとは思うけど、眉間とかピンポイントだと危ういかな」
「冷静に言ってるけど、それ!」
「命の危機だね」
唯が平然と呟くように答える。それが冷ややかな現実を余計に引き立たせた。
ずっとキヨモリの方を向いていた唯が、ぱっとこちらに振り向いた。
表情をいつも通り、しかし確かな竜使いだった。
「もうそろそろいいかな」
「ならば早急に移動せねばなるまい。リズ、唯を連れてリンドヴルムで空を」
「貴族二人が、ってことね」
狙われるとすれば、まず唯、続いてリズだ。
唯には狙われた前科があるし、リズは正真正銘の貴族。
竜使い未満の歩と、一般人の慎一が狙われた、という可能性は少ない。
「移動先は岡田屋の運動場でいい?」
「うむ。即屋内に移動せよ。我らは走って戻る」
「本当はキヨモリも危ないんだけど、しょうがないか。リズさん、お願い」
「了解」
それから空と陸に分かれて移動した。
歩はキヨモリの地響きのような足音と一緒に走ったが、二分とかからずについた。
岡田家の中に入ると、奥の事務室のほうにリズと唯、リンドヴルムがいた。
「狙われたのは、私だよね」
椅子に座ってすぐに、唯が言った。
「誤射はまずないね。他に狙われてるっていうのは? 銃使えそうな立場にいる人で」
歩と慎一は除外だ。慎一は完全に、歩もほぼない。
「私もないと思う。家は政争から遠ざかってるし、それでここ十年以上安定してる」
リズも弾かれた。となると、唯しか残らない。
ここにきても、授業中を受けているようないつもどおりの唯は、呟くように言った。
「悪食蜘蛛からこちら、なかったんだけどな」
「リズ、お前の家に入ってきたとかいう唯関連の情報を詳しく」
こちらはいつもより深みのある声でアーサーが尋ねる。
場を落ち着かせるため、わざと出しているみたいだ。
困惑した様子のリズが答える。
「副会長が平家の跡継ぎ候補を狙っていたが、会長に止められた、ってことだけ。それ以上はない。歩の周囲について調べたついでだから、そこまで詳しくは」
「リズさん、その情報の確度は?」
唯の質問に、語りだしているからか、少しずつ落ち着き始めたリズは答えた。
「うちの実家は権力こそないけど、学者気質っていうか、毒にも薬にもならないけど伝統はあるっていう家柄。それで代々お偉いさんの愚痴聞き兼、誰にも話せない相談の相手とかしてる。それで出来たパイプで知ったから、間違いないと思う。騙されて、何かに利用された可能性はあるけど、最近したのは歩のスカウトだけ。歩が権力闘争に巻き込まれてないなら、うちもないかな」
「そう――副会長、ね。それ以外も、か」
唯が天井を向いた。
壁を突き抜け光の膜を越え、星空を見ているような、そんな顔をしている。
「ごめん。勝手なこと言って」
「いや、それだけで十分だよ。ありがとう、リズ――うん、リズ」
これまでずっと付けていたさんではなく、呼び捨てだった。
すっと立ち上がると、キヨモリの方へ寄って行く。
「念のため、これからキヨモリ見てもらいに病院行ってくる。慎一、最後の調整できなくてごめんね」
「いや、それはいいんだけど。明日もあるし。けど」
「出るよ。ひきこもっても、何も変わらないってわかったから」
声音は何気ない感じなのに、妙に耳に残った。
ひきこもっても、何も変わらない。
「多分大丈夫だとは思うけど、一応みんな気をつけててね」
「わかった。お前もな。なんなら手を貸すぞ」
答えたのはアーサーだった。
唯の確信に満ちた一言で、歩達を凍りついていた。
アーサーがいなかったら、おそらく唯は何も言わずに出て行くはめになっていただろう。
唯がほんのりと微笑んだ。
「そのときはよろしく」
唯は出て行った。
それから歩とリズも身体を動かすことなく家に帰った。
そんなことをする気にはなれなかった。
帰ってベッドに転がった。
じっとしていると、何もなかった夏休みの分まで押し寄せてきたような、ここのところの喧噪が浮かんでくる。
リズ。
インテリジェンスドラゴン。
みゆき。
大会。
そして先程の襲撃事件。
頭が痛くなってきた。