新章開幕です。よかったらどうぞ
人が異形のパートナーと共生する異界は、地図上では不格好な楕円形で示される。
楕円を見ると、中央に地図をそのまま手で引き裂いてできたような形の青い面がまず目につく。それが海だ。人間にとって唯一の海だ。
残る大陸部分は三つの色があり、それぞれに国家がある。
海によって両断された楕円の右側にあるのが、面積としては狭いが起伏と四季に富んだ国土を持つ『月の国』。
残る左側の上部にあるのが『ケーニッヒブルグ』。伝統と実利の両立に成功した最も力のある国だ。
残る左側下部にあるのが、砂漠と樹海の両極端な大地で鍛えられた人とパートナーが多数存在する『タオ』。
これら三つの国と海で世界地図は構成されている。
しかしそれが世界の全てではない。
地図に描かれていない外にも大地は広がっている。
何故描けないか。
人が進出したことがないからだ。
そこには強力な魔物達が跋扈し、人を決して寄せ付けないのだ。
その空間は外地と呼ばれ、人とパートナー対魔物の争いが、時に戦争と呼ばれるほどの規模で起こり、たびたび世界地図を変えている。
それはいつからか知れぬほどの過去から続き、今もなお変わっていない。
「転入生? こんな時期に?」
「おうよ」
夏休みを終えて初日、なお残る残暑と休みボケでゆっくり登校してきた歩に、慎一が刺激的な噂を拾ってきた。
「職員室行って、実際に盗み聞きしてきた。マジだ。それもうちのクラス」
「だからみんなそわそわしてんのか」
慎一は興奮気味ににやりと笑みを浮かべた。
夏の間に家と学校双方のギルドで鍛えられ、黒く染まった頬が皺を作り出す。
見ると、教室のところどころで仲の良い者同士のグループ毎に集まっていた。
夏休み後のけだるい感じがなく、わいわいと話している。
噂はもう出回っているようだ。
「みんな朝から元気だねえ」
「ただの転入生じゃないからな」
意味ありげに唇をくいと上げた。
「どういうこと?」
「また一人厄介者が増えるってこと。その転入生ってのは――」
「はい、みんな席に着いて」
担任教師が入ってきた。
中途退職した綾辻明乃の後を受け、このクラスの担任になった老教師だ。
薄い頭皮同様、年を感じさせる落ち着いた足取りで、すっと教壇に上がる。
「はいはい、みんな席着いて。転入生の紹介さっさと聞きたいでしょ」
その一言で、全員さっと席に着いた。
年季のいった教師の現金な生徒を上手く扱う技術を、歩は見せつけられた気がした。
こうした扱いの旨さこそ、竜使いが二人もいるクラスの途中からの担任という面倒な仕事を、目の前の老教師が仰せつかった理由だろう。
ゆったりと、しかし生徒に苛立ちを覚えさせない速度で、老教師は言った。
「最後の夏休みを終え、これから受験なり就職なり忙しいあなた達に言うべきことはありますが、省略。転入生、入ってきなさい」
息を詰める学生たちの視線が集まる中、転入生は入ってきた。
わっと同級生が息を呑むのがわかった。
まず目についたのはさらりとした長い金髪。
風にあおられ、その細さを強調するように、舞う金の糸。
CMでも見せられているような気分になった。
金髪の間から見える顔は、彫の深い完全な異人種のもの。
化粧をしていない唇でも、くっきりと浮き立たせる白い肌。
釣り上がり気味の目には、強い意思がのぞき、それが存在感を増している。
微笑と交わり、隙のない美しさを醸し出していた。
慎一の意味ありげな笑みはこれか、と合点がいった。
クラスの間でも、徐々に感嘆の息が漏れ始めた。
しかし教室に更なる影が写ったとき、クラスがすっと息を吸ったのがわかった。
竜だった。またしても竜だ。だからといって慣れることはない威容だ。
飛竜型の少し小振りな身体だったが、それでも二メートルを越えている。
翼を身体の前でクロスさせ、お邪魔する、とでもいう風に教室のドアをくぐった。
足取りは人間のように確かな二足歩行。
他の竜やパートナーのような、どこかぎこちないよちよちとした歩き方ではなく、むしろ紳士然とした歩き方だ。
中に人間が入っていると言われても、驚かないほど、竜の姿がかぶり物に見えるほど、所作が洗練されている。
呆気にとられる生徒達を尻目に、老教師がいつもと変わらぬ様子で言った。
「自己紹介をどうぞ」
「はい」
凛とした声だ。歩はみゆきを思い出した。そういえば、どことなく似ているような気もした。
彼女は微笑から更に笑みを深めてから口を開いた。
「始めまして。リーゼロッテ・A・ハウスネルンです。リズと読んでください。皆さんよろしくおねがいします」
なめらかな口調だった。竜使いによくある尊大さが、かけらも見えない。
語彙に少し訛りがあったが、それも響きが美しく聞こえた。
「彼女はケーニッヒブルグから来ました。それも見ての通りの竜使いで、三年二学期からの中途というかなり変わった経緯を持っています。でもまあ仲良くするように――何かある?」
最後の部分はリーゼロッテに向けられたものだった。
彼女はそれに頷くと、じゃあどうぞ、と促した担任に一礼した後、一歩前に出た。
隣まで来た彼女のパートナーに手を添え、口を開く。
「私は竜使いで、それも聖竜会に所属しています。ここに転入してきた理由もありますが、言えません。我ながらかなりややこしい転入生だと思います。
ですが、私はこの半年間をただのお客さんで終えようとは思っていません。卒業の際にはみんなと一緒に泣き、笑いたいと思っています。どうかみなさん、仲良くしてください」
そう毅然とした笑顔で彼女が言い終えたとき、クラスは鎮まっていた。
しかしすぐに彼女の笑顔に照らされていくように、クラスに笑顔が連鎖していった。
「率直な演説ありがとう。ま、このクラスには竜使いが二人いるから、なんとかなるでしょ。
誰か聞いてる?」
「はい」
彼女の視線がまず唯に、その後歩に向けられた。
歩と目があったとき、彼女は意味ありげな笑みを浮かべた。
驚くと同時に、少し鼓動が増したのがわかった。
「ま、なら大丈夫ね。席はあそこね」
そう言うと、担任は教室の後ろの方を指した。
指の先は教室の廊下側から二番目の列の最後尾で、そこにはいつのまにか新しい、しかし使い古された椅子と机が置かれていた。
「じゃあ彼はパートナー棟に――では、おねがいします」
担任に指示され、新たな竜はリーゼロッテに鼻のあたりを撫でられると、廊下にいた事務員に連れられて戻って行った。
それから彼女は颯爽と歩いていき、古びた席についた。
それから始まった担任の注意伝達事項を聞きながら、歩は何度か新たな転入生をチラ見した。
竜使いと、洗練された外国人美女、それに残り半年間の理由あり転入。
そのどれもが彼女の存在感を浮き立たせていた。
朝のホームルームが終わり、夏課題の提出を終えた後、彼女の周りには慎一を初めとしたクラスメイトがファンよろしく沸いた。
様々な質問が飛び交う中、彼女はそれをそつなくこなしていった。
その輪を歩は遠くから見ていたのだが、なんだかみゆきを思い出した。
彼女の扱いに慎重な立場を見せる教師陣の授業が終わり、昼休みになった。
今日は部室に集まる日だったので、唯、慎一と一緒に向かおうとしたとき、歩君、と呼ばれた。
振り返ると、笑顔の転入生がいた。
「お昼一緒に食べない?」
「あ、いや」
いきなり下の名前だったことと、急な申し出に少し驚きどもってしまった。
彼女が異質な美形だったことも、理由の一つだった。
「ごめんなさい。今日は部活のメンバーで集まることになってるから」
唯が申し訳なさそうに代弁してくれた。
それを聞いて、リーゼロッテはきょとんとした後、急に笑顔を意味ありげに深いものに変えた。
「あなたが平唯さんね。よろしく。竜使い同士、仲良くしましょう」
「よろしく」
唯の反応は固かった。最低限の礼儀しか通さないという感じだ。警戒している。
考えてみれば、当然かもしれない。
竜使いの世界には陰謀が渦巻いている。
その結露をこの一年足らずで歩は二度も経験した。そのどちらも唯が狙われたものだ。
唯が竜使いに対し警戒する意味もわかる。
それに彼女は理由ありだ。異常といっていい、残り半年のみの外国からの転入生。
唯に対する新たな策でもおかしくない。
気をひきしめよう、と注意深く彼女を観察しはじめようとした。
その矢先、彼女が突然両手を上げた。
「敵意はないよ。その針ねずみみたいな視線、やめてほしいな」
降参というポーズだった。
洗練された彼女に似合わぬ、しかし堂に入った行為に、歩は少しあっけにとられた。
しかし横にいる唯は、そう、とだけ答え、警戒する様子を隠そうとしなかった。
「こういうのが狙いじゃないんだけどな」
「じゃ、そういうことで」
「待って。じゃあ少し時間くれない」
去ろうとした唯に、リーゼロッテがそう言うと、唯は少し溜めた後、息をもらした。
「いいよ。ここでいいの?」
「屋上で」
「じゃあ行きましょう。さっさと済ませたいから――歩、慎一先行っといて」
「ちょっと待って。私が来てほしいのは歩君なんだ」
「――えっ?」
てっきり唯かと思ったが、そう言えば声をかけられたのは自分だったなと思い返した。
思わず彼女を凝視すると、彼女が目を合わせてきた。
何故だかぱっと彼女の頬が少し染まった。
「歩、どうする?」
「あ。まあ、行くわ。唯、慎一、先行っといて」
「――わかった」
「それじゃあ、屋上行きましょう。場所わからないので、連れていってくださる?」
唯の疑う視線を背にし、リーゼロッテを連れて屋上に向かった。
途中すれ違う視線がなんども歩の後ろに集まり、なんだか居心地が悪かった。
屋上にはまだ誰もいなかった。
「ここ、いいね。空気がきれいで、がらんとしてて」
そう言うと、リーゼロッテは後ろから飛び出して、舞台の上のような踊るような仕草で歩き始めた。
絵になる光景だった。
「それで何の用? ってか俺に?」
スカートと金髪をひるがえし、彼女がくるりとこちらを向いた。
「はい」
彼女が意味ありげにふっと笑みを浮かべた。
「何か接点あったっけ?」
「どうでしょうね」
曖昧な彼女の答えに、記憶を思い返してみたが、この金髪にはまるで記憶がない。
見たら忘れそうにない姿だ。
「で、何?」
彼女はくすくす笑い始めた。何故だかはわからない。全くもって理解できない。
ただ頬が少し赤くなっていることに気付いた。
階段をいくつも上がったからか、踊るように歩いたからか。
わからないが、一つ確かなことはこれまでのどこか完璧だった洗練された竜使い像からは、かけ離れた姿だった。
彼女はふーと息を吐いた後、言った。
「では、単刀直入に。歩君、私の婿になりませんか?」
「――――はあ」
気の抜けた返答にも、彼女は美しい笑みを浮かべたままだった。
「そういうことなので、取次、お願いします」
「はいはいわかりました」
廊下で柔和な笑みを浮かべた男子を背にし、教室に向かって、河内恵子は声を張り上げた。
「みゆき~! お客さん!」
机の上でなにやら大きめの包みを取り出していたみゆきが、ぱっと立ちあがった。
「恵、もっと静かに言ってよ」
「別にいいじゃん。恒例行事なんだし。いつものよ」
「意地悪なんだから」
少し恥ずかしそうにみゆきがぽつりと言った。
本当にむかつくやつだ。くそ。今度家に上がりこんで飯食ってやる。
「いい加減なれなよ」
「嫌よ、そんなの」
「今まで何匹も退治してきたんだから、いい加減あきらめなさいよ」
それか誰か特定の誰か作れ、高嶺の花め。
今もクラスの男子の何人かが、居心地悪そうにしてるじゃないか、かわいそうに。
さすがにそこまでは言わないけど。
「じゃあ、行ってくる」
「場所は体育館裏ね」
「相手は?」
「財前敬悟。悪魔使いの」
確か去年の学期末模擬戦決勝の相手だ。
みゆきも覚えていたようで、ああ、と言った。
「彼ね」
「まあ行ってらっしゃい。今日は部活仲間の日でしょ? 私食べてるよ」
「はい」
本当にむかつくやつだ。聞く前から断る気でいやがる。
ひとまず残った面子と適当に机を並べて、昼食を始めた。
話題は次なる生贄。
「彼、なかなかよね。恰好いいし、頭いいし、模擬戦も強いし。今度こそ成功するんじゃない?」
「じゃあ賭けようか。帰りのアイスね」
「嫌だよ、最近小遣い減らされたんだ。もっと勉強しろってね」
なんか笑える会話だ。色んな意味で。
「それにしても」
「どした?」
「うんにゃ、なんでもない」
あいつ落せるやついるのかねえ。
十分ほどで、みゆきは帰ってきた。五分以内に帰ってくるかと思ってた。
おかげで賭けに負けちゃったじゃないか。
そう言おうとしたのだが、みゆきの顔を見て、止めた。
「どした?」
「うーんとね、とりあえず保留ってことで」
「なにそれ!」
クラス中の視線がみゆきに集った。特に男子の目がきもい。
周りを放置して、言った。
「どういうこと?」
「うん、まあ、そういうこと」
どないやねん、と言おうとした瞬間、クラスがわっと沸いて、かき消された。
お祭り状態だ。もうどうにもならない。
しかし、どういうことだ?