模擬戦は散々な結果だった。
結果は全敗、藤花には小言を、保険教諭には模擬戦そのものへの不満も兼ねた愚痴、隣で飛んでいる小竜には散々な煽りを入れられた。
なんとか模擬戦を終え、帰途についた。歩く振動で傷がひきつる感触がなんとも言い難い。
「はあ」
「おつかれさまでした」
隣で歩いているみゆきは髪を下ろしており、模擬戦の後だと感じさせない優雅な姿だ。イレイネも多少身体が縮んではいるが、激戦の後を感じさせない。アーサーはのんびりと夕餉の匂いによだれを垂らしそうになっている。
「あそこの肉まんなどいいのう。もう一週間も行っていないのではないか?」
「相変わらずの食い意地で」
「育ち盛り故。お前の傷にも効くのではないか? 旨いもの食えば痛みも忘れよう」
「お前が食いたいだけだろ」
「何を言う。お前への配慮というに」
「よだれ垂れてるぞ」
大きな口からよだれをこぼすアーサーは、歩とは対照的に無傷だ。飛んでいただけで直接対峙したわけではないから当然だ。それは歩も同意していることだし、アーサーの指示は役に立つことも多いので、不満はない。ただぼろぼろの自分とアーサーを身比べると、恨めしく思うことはある。
よだれを垂らす能天気な姿を見ると、パートナーとはなんなのかと今更ながら考え込んでしまう。みゆきの三歩後ろで粛々と従っているイレイネを見ると、余りの落差に泣きたくなってきた。
「家まで我慢しろ」
「嫌じゃ」
「酒飲ませんぞ」
「何の権限があって左様な外道を!」
「そもそも五歳にゃまだ早い!」
「法律では我に飲酒制限はないぞ!?」
「自分から飲みたがるパートナーなんて普通いねえからだろうが!」
「まあまあ。私がおごってあげるからさ」
隣で歩いているみゆきが言った。
「なんでお前らはそう甘いかなあ」
「まあまあ。私も小腹が空いたしね。分けてあげる位ならいいでしょ?」
「本当か!? なら、あそこの肉まんがいいぞ!」
『あそこ』とは、アーサーお気に入りの駄菓子屋のことだ。風体は昔ながらの駄菓子屋ながら、中身は駄菓子だけでなく肉まんをはじめとした軽食類、野菜、酒、挙句の果てには花火や武器の類まで扱っている、とんでもない店なのだ。営業時間は基本的には朝十時から夜九時までとなっているが、深夜でも多少の色を付ければ店を開いてくれるという、自由すぎる営業をしている。家までの帰り道にあることもあって、歩達は常連になっていた。
「こうしちゃおれん! 早くいくぞ! 肉まんが我を心待ちにしておるわ」
「肉まんの気持ちがよくわかるな」
「我は先に行くぞ! フハハハハハ!」
歩のツッコミにもまるで反応せず、アーサーは飛んでいってしまった。
それを見て微笑みながら、みゆきが問いかけてくる。
「追わないの?」
「あそこのおっちゃんも馴染みだから、勝手にしてくれるだろ」
みゆきは柔らかい微笑を浮かべているが、少しだけ苦笑が混じっているように見える。
「無理しすぎたね。そんなに傷一杯作っちゃって、藤花先生怒ってたよ」
「……言うな。アーサーと一緒に震えあがらされたんだからさ」
怒った藤花は本気で怖い。『もし学期末模擬戦が明後日じゃなかったら、私達としごいてあげたのに』と聞かされたときは、初めて学期末模擬戦の存在に感謝した。
怖いものなしに見えるアーサーも彼女達は苦手なようで、積極的に関わろうとはしない。闘争心がかきたてられる己が怖いのだ、などとうそぶいていたが、半ば怯えている様子は消えなかった。特に、藤花のパートナーであるユウが苦手なようだ。
みゆきは笑った。
「相変わらず仲がよくていいね」
「どこがだよ」
「二人揃って先生怖がってた姿とか。それに言いあいできるのは仲が良い証拠でしょ?」
「お前らみたいな阿吽の呼吸の方が羨ましい」
我ながら今日は本当に愚痴っぽい。藤花のドラゴン話からこっち、気落ちすることばかりだったからかもしれない。空気を重くしているのも、なんとなくわかる。
みゆきには悪いとは思うが、それでも容易く気分は変えられそうになかった。
なんとなく町を見回してみる。人間と多様なパートナー達の営みが目に入ってきた。
足早に帰途につく学生、なめした竹で作った買い物籠をさげる主婦と思しき女性、威勢よく呼び込みをかける売り子の兄さん。
学生の足元では、ピンと背筋を伸ばした猫が寄り添って歩いている。主婦の頭上では、四足の鳥が少し小さめの買い物袋をくわえている。売り子が威勢よく呼び込みをしている後ろで、サンタクロースのような可愛らしい小人が、陳列した野菜を丁寧に並べ直していた。
歩達が今歩いている道を見ても、そこかしこにパートナーの存在が見えた。
そもそも道そのものが人だけが通るためにしては広すぎる。全ての道が大型のパートナーも通れるように作られているためだ。砂地の道路を見るだけでもパートナーの息吹を感じる。
歩の脇を大型の牛車が通り抜けていった。巻き上がった砂に辟易しつつも、角をそびえ立たせた巨大な牛が引きずる荷台には、『最大積載量十トン』と書かれているのが見えた。
「あー、なんかなー。うん」
「どうした?」
「いや、なんかなー、もやもやする」
ぱっとみゆきとイレイネを見た。イレイネは巻き上げられた砂を防ぐべく、みゆきの横で手を広げていた。本当にみゆき思いのパートナーだ。それを見て何故だか嬉しくなった。
「ほんといい子だな」
「アーサーも可愛いと思うよ? 素直で」
素直というより、我がままなガキだと思ったが、そのことを口にはしない。
「アホなのはいんだけど、やっぱ模擬戦がなーあいつのせいじゃないんだけどねえ」
「歩は一人でも十分戦えてるじゃん。最上位クラスのパートナー相手に人間だけで勝ててるんだから、自信を持っていいよ」
「十回に一回も勝ってないんだけど」
「それだけでもすごいよ。今日だって、私、すぐにやられちゃったし」
確かに人間相手のタイマンではまず負ける気がしない。模擬戦の度に強力なパートナーと張り合わないといけないということがあり、日々鍛えている。毎朝ジョギングしているし、休みの日は筋力トレーニングと槍を使った型の練習。たまにイレイネやユウに手伝ってもらって、組手もしている。その成果もあってか、人間としての身体能力には自信があった。
「先週とか一撃で巨人倒したりしてたし。あれどうやってるの?」
「巨人とかは皮膚と筋肉ぶ厚いから、避けながらだと大したダメージになんない。だからリスクもでかい一撃にかけて、捨て身でやってるんだよ。うまくいかなかった場合は反撃喰らって即終了なんだけどな」
思い返してみると、今日はそうした捨て身の行動が多かった気がした。少し自暴自棄になっていた部分があったのかもしれない。今だからわかることではあるが。
みゆきが呆れたように言った。
「十分すごいって。捨て身の一撃なんて、よほどの度胸がないとできないよ」
「度胸だけってのもねえ」
ここでみゆきが身をひるがえして歩の前に立ち、歩のペースに合わせて後ろ歩きを始めた。長い髪とスカートがはためき、夕日を反射させてまぶしく輝く。みゆきの造詣の美しさも相まって、眼前の光景は一枚の絵になっていた。
「そんなことないって。歩はすごいよ。私が保証する」
にっこりと笑みを浮かべたみゆきに真正面から褒められると、どうも照れる。
「ありがと」
「いーえ、どういたしまして」
そうこうしている内に、アーサーが飛んで行った駄菓子屋に着いた。
中に入ると、すっかり馴染みになっている店主の顔が見えた。白いものが混じり始めたひげが印象的なおじさんで、アーサーが勝手にツケても快く受けてくれる。
軽く会釈した後、尋ねた。
「アーサー、どこいます?」
「あっちでアイドルやってるぞ。折角の好物も食わずに。とりあえずほら」
店主は肉まんの入った包みを渡してきた。慌てて受け取り、代金を渡した。
歩が受け取るのを見て、店主は奥の方で小山になっている学生達の人だかりをさした。冬服の制服を見るに、歩も通っていた小学校の生徒か。身体の大きさからして、小学五年生といったあたりか。
乱雑に積まれた菓子の山を脇に通り抜け近寄って行くと、小学生達の甲高い喧噪の間から、アーサーの声が聞こえてきた。
いつも通りの尊大な口調だが、応対は心なしか優しい気がした。
「そんな無茶をするでない。我はモノではないのだぞ」
「うわ~すげ~」「本物の竜だぜ? 角かっけー」「馬鹿、翼のほうがかっけえよ」「やっぱ竜いいなー。俺も欲しい」「最高!」
アーサーは全身を無遠慮に触られていた。角を撫でまわし、翼をぱかぱかと広げて閉じるを繰り返していたり、尻尾をひっぱったりされている。困った様子ではあるが、怒気を見られない。
「相変わらず、子どもには甘いんだね」
「自分もガキだからだろ」
歩達の会話も届かないほど、小学生達の興奮は冷めやらないものだ。目は爛々と輝いており、頬を上気させている姿を見ると、自分が年をとった実感がわいてくる。
一番前で、最も興奮していた少年が言った。
「ねえねえアーサー、俺のパートナーも竜だったりしないかな?」
「それは我にもわからぬが、どうしてだ?」
「俺、軍に入りたいんだ。やっぱり軍隊っていったら、パートナーが重要だろ? 俺のパートナーが竜の可能性ってある?」
「うむ。皆も軍志望なのか?」
アーサーが見回しながら尋ねると、結構な人数の子どもが頷いた。自分の小学校のころの記憶を思い起すと、将来軍に入りたいというやつはやっぱり多かった気がする。社会的な保証もあり、親の支持があることもあるが、パートナーと共に闘う、というのは男の夢の一つなのだろう。
アーサーはすこし考え込んだ後で答えた。
「可能性はあると思うぞ。実際、卵が孵ってみないことにはわからんからな」
「何言ってんだよ。竜が生まれるかなんてほとんど血筋だろ。貴族ばっかじゃん」
空気に相反する冷えた声が聞こえてきた。声の方を向くと、アーサーを取り囲む輪から、離れた場所に座っている少年がいた。ただ一人輪から外れ、群がる同級生達を小馬鹿にしているように見えた。
先程一番に質問をした少年が笑いながら言った。
「何言ってんだよ。アーサーは一般人のパートナーって今さっき言ってただろ。普通にあり得るって」
一般的に誕生するパートナーに法則はない。親が犬型だからと子どもに犬が生まれるわけではなく、トンビが鷹を生むなんてことはざらにある。
だが竜のみ違う。ほとんどは血筋であり、親から子へ受け継がれるケースばかりなのだ。竜使いはその能力故に社会的地位が高くなるため、それも受け継がれた結果、竜使いは貴族になっているのだ。
冷めた少年は、重く嘆息した。どこか呆れた感のある、絶望感が伝わってくる声音だ。続いた声は、小学生の甲高いものなのに妙に重く響いた。
「貴族の血筋じゃない竜使い、全国でどの位いるか知ってる?」
唐突な問いに、迷いつつ先程の少年が答えた。
「え、と。百人位じゃない?」
冷めた少年はつぶやくように言った。
「五人」
「えっ?」
「だから、五人。三世代さかのぼっても竜使いがいないのに、当人だけが竜使いの人。突然変異の竜使いは、五人だけ。世界の人口一億人の中で、代々竜使いばかりを輩出する貴族の家系で千人、親戚に竜使いがいる人で二百人。全く関係がない突然変異は五人だけ。その五人のうちの一人がアーサーの相方」
凍りつかせるような少年の言葉が、場の空気を一気に冷やしていく。アーサーの回りで起こっていた熱気は一気に昇華していった。
「ざっと計算して、十年に一人位。まずないよ」
一番興奮していた少年はなんとか反論しようとしていたが、何も浮かばないらしく口をもごもごさせるだけで、言葉が出てこない。それ以外の同級生も皆同様だった。
全員が押し黙り、背筋に流れる汗が感じられる空気が蔓延した。歩も何か声をかけるべきかと思ったが、かける言葉がみつからなかった。
しばらく続くかと思われた空気を切り裂いたのは、良く耳にする渋い声。
アーサーだった。
「貴公は竜が好きか?」
「へっ?」
突拍子のない問いに、少年の口からすっとんきょうな音が漏れた。
アーサーは何も聞こえなかったように、厳かに続けた。
「貴公の語った詳細は、相当の熱意を持って調査されたことは察して余りある。竜に対する熱き思いを我は感じ取ったが、違うか?」
冷めていた少年の顔が真っ赤になった。図星なのだろう。
一番熱意を持っていた少年が笑みを浮かべ、真っ赤になった少年に声をかけようとしたが、途中で止まった。
アーサーが頭を下げたからだ。
「感謝の意を述べさせてもらう。竜に対しての熱き愛情は、竜として何よりもうれしきことだ。ありがとう」
意外だ。こんなアーサーの姿を見たのはいつ以来だろう。今アーサーが心から人に頭を下げているのは、誰でもわかる。竜に対する愛着は相当なものだとわかっていたが、まさか他の竜と対面することはおろか話題さえも避けるアーサーが、これほどまでに真摯な思いを抱えていたとは。
小学生達は黙りこんでしまった。何を答えればいいのか、どう受け止めればいいのか、よくわからないのだろう。熱気のあった少年も、冷めた少年も、等しく黙ってしまっている。
そのまま一分ほどが過ぎたころ、アーサーが歩に気付いて声をかけてきた。
「おう、来たか」
小学生達の視線が一斉に歩に向けられた。
驚きと羨望と、淡い嫉妬が入り乱れたが、すぐに別なものに変わった。
「ああ」
「では帰るか」
翼を上下に羽ばたかせ、歩のところまで飛んできた。肩に乗り翼をたたんだところで、一番の熱気を持っていた少年が、怪訝そうに尋ねてきた。
「お兄さん、高校生?」
「ああ、高二だ」
「ってことは、アーサーってE級?」
人間以外の生物は五段階にランク分けされる。
A級は竜。B級は天使族、悪魔族、機械族が振り分けられる。C級は上記以外で、人間社会にダメ―ジを負わせることが可能とされるA級でもB級でもない生物。ここまでの生物で、パートナーではないものが、魔物と呼ばれている。
D級は、一般に食肉や卵、毛等を採取するための家畜のこと。
そして、E級。
それは生後五年経っても身体が三十センチ以上に成長しなかった生物を指す。
俗称は『外れ』。文字通りの意味だ。
一週間前、アーサーはE級と判定された。
場が一気に白けていくのがわかった。「何だE級か」「竜じゃねえじゃん」「つまんね、帰ろ」など次々と聞こえはじめ、ぞろぞろと連れだって外に出て行った。先程の少年二人が慰め合うように一緒にいたのが、妙に目に残った。
あっという間に、小学生たちはいなくなった。残ったのは、歩とアーサー、みゆきとイレイネ、そして店主だけ。
歩はなんと声をかけていいかわからなかった。自分が近寄らなかったらこうならなかったのではないかという思いもあり、何をするのも躊躇われた。
「肉まん、あるか?」
アーサーに言われて、手に持った肉まんを思い出した。何も考えずに持ち上げたが、持ちあげてから冷めてしまっていることに気付いた。
「あ、冷めてるから……」
「ふん、かまわん」
歩が下ろそうとした袋を掴むと、アーサーは食べ始めた。
すぐに平らげたが、横から温かい肉まんが差し出された。店主だった。
「ほら、食え。俺のおごりだ」
「いいのか?」
店主が頷くのを見てから、アーサーは手を伸ばした。一気に胃に納める。
あっさり食べ終えたア―サ―が口を開いた。声音はいつもどおりだ。
「帰るぞ、歩。別にそこで呆けていても構わんがの」
「あ、いや、うん」
「何をしておる? 怪我は脳まで及んだか?」
少しいらつく言い方は、いつものアーサーだ。へこんでいる様子は見られない。
「ま、帰るか」
「うむ、さっさと帰るぞ。時間ももう遅い。足早にな」
「なんだそれ。走れってこと?」
「当然」
「飛ぶ気はない?」
「面倒だ」
「まあまあ二人とも」
みゆきが間に入ってくれるのもいつも通り。
店主に礼を言い帰途についた。
いつもどおりのアーサーとやりとりをしつつ見上げた空は、真っ暗だった。