つい先程まで歩達と行動を共にしていた山田直は、己のパートナーであるオルトロス型のアカメに乗り、森を駆け抜けていた。
直前に見た獲物を思い出す。巨大な蜘蛛。それもどう見ても尋常ではない力を持った、どちらが獲物か錯覚してしまいそうな魔物。
あいつは竜使いをけちらした挙句、巨大な竜とも渡り合っていた。それも優勢だった。崖の上から落とされたにも関わらず、傷一つ負った様子はなかった。
アレは違う。悪食蜘蛛ではない。少なくとも、これまで岡田屋が対峙してきたものとは違った。
このままでは、後輩兼未来の神輿を含む学生ギルドは壊滅する。
すぐにアカメに飛び乗り、全力で走らせた。自分が乗らない方が速いが、説明が必要だ。どれほど相手が馬鹿げていたか、どれだけの戦力が必要か。
いくつもの草花を散らし、代わりに頬に擦り傷と髪と服に残骸を乗せていった後、ようやく拠点を作っている村に着いた。
「おー、お帰り。どうした?」
「おやっさんとおふくろさん、どこいる?」
同僚の話を遮り尋ねると、何が起こっていることを理解した同僚は、何も言わずにさっとテントの内の一つを指した。
その中に入ると、メンバー全員のバッグの中身を点検しているおふくろさんと、ジャケットのジッパーを窮屈そうに締めているおやっさんが目に入ってきた。
「うーむ、縮んだか。新しいの買わんとなあ」
「あんた太り過ぎだよ」
「おやっさん、おふくろさん、問題が起きました」
二人がぱっと顔を向けてきた。視線がきりっとしたものに変わった。
「何が起きた」
声が一気に太く締まったおやっさんに、ここに来るまでの間考えていた文面を吐く。
「目標の悪食蜘蛛は、普通のものではありませんでした。身体の大きさはあのキヨモリ以上、膂力も相当なもので、両足を金属でコーティングして、刃物と化していました。初撃は退けましたが負傷者が出た上、巨蜘蛛は健在で、おそらく今もギルド部は逃走中です。負傷者は竜使いの平唯、そのパートナーキヨモリ。どちらも活動はできそうですが、怪我は軽くないです。至急、増援がいります」
「わかった。ふたえ、準備を。まずここにいる面子だけで行く。俺は増援を呼ぶ・直、他の集めて、説明しろ」
自分の妻に指示を出すと、おやっさんは村役場に走っていった。電話を借りるのだろう。電話先はここにいない岡田屋の面子と、ギルド連合、もしかしたら聖竜会にも連絡を入れているかもしれない。
直は外に出ると、各自作業をしていたメンバーを集めた。もともと少人数だったため、二人しかいないが、これも貴重な人材だ。
荒げた息が落ち着いたころ、おやっさんは戻ってきた。
「準備は」
「できた」
おふくろさんの前には、それまで準備していたものより、一回り大きなカバンが並んでいた。カバン以外にも、それぞれ形の異なる巨大な棒状のものが、専用の袋に包まれて置いてあった。重装備だ。
おやっさんが言った。
「これから救出に行くが、決してまともに戦うな。正直俺達の戦力は、平唯君一人以下だ。勝ち目はない。牽制、負傷者の救出、逃走経路の確保、それだけに努めろ」
それからおやっさんが一人一人に役目を振り向けると、全員カバンを背負って外に出た。
「直、頼む」
現場までの経路を知るのは、直だ。そこまでは直が道案内し、その後はおやっさんとおふくろさんのパートナーの鼻で、慎一を追う。
準備は全て終わり、先頭の直が森の中へ踏みこんだとき、上からばさりという音が聞こえてきた。
「直、奥へ行って隠れろ」
おやっさんの指示に咄嗟に反応した。アカメと一緒にすばやく生い茂る雑草の中に身を伏せた。
その態勢から見上げると、ぐるりと旋回する竜が目に入ってきた。それなりの大きさの飛竜タイプだ。勿体ぶるように序々に減速していき、余韻たっぷりに降りてきた。
その背中には黒いスーツを来た男がいた。狐目の、見覚えのある顔だ。
下りてくると、男はこちらに近寄ってきた。
待つのももどかしいと、まだ途中の狐目に対し、おやっさんが尋ねた。
「どうされましたか、瀬崎さん? 少し問題が起きたので、手短にお願いしたいのですが」
思い出した。聖竜会の瀬崎だ。竜使い達と岡田屋の間を取り持ち、よく下請けの依頼を持ってくる男だ。決して丁寧語を崩さない、しかし決してうちを敬わない、貴族だ。
狐目の貴族が口を開いた。
「いえ、ギリギリでした。こちらもそちらが御懸念の件についてですから」
それを聞いても、おやっさんの顔は何も変わらなかった。ただ即座に返答した。
「では何を?」
おやっさんの目の前まで来て、隠れた直以外のメンバーをすっと一瞥した後、狐目の男は宣言した。
「ただいまから、この件は我ら聖竜会が受け持たせていただきます。悪食蜘蛛の回収、その糸の発見および収集もこちらでやらせていただきます。岡田屋の皆さまは撤退いただくよう願います」
「えあっ?」
メンバーの一人、直よりも若いまだ血の気のあるやつが、唸るように言った。元ヤンキーの面目躍如という感じの、堂にいった威嚇だ。
それを涼しげな顔でやりすごした狐目に、おやっさんは丁寧に、敵意を持って尋ねる。
「ただいま、水分高校ギルド部の方々は、重大な危機に陥っております。そのことを御存じですか?」
「いえ、しかし全てお任せください」
「私の息子も含まれております」
「はい」
「我々の仕事を奪うのですか?」
「その件については、十分な補償をいたします」
「――お早い対応をおねがいします」
「全て我らにお任せください」
驚いて思わず立ち上がりそうになった。すんでのところで思い留まり、代わりにおやっさんの顔を見る。今にも噴火しそうな顔だった。鼻の穴が膨らみ、紅潮して、今にも破裂しそうな赤風船のようだった。しかし決して噴火しないのは、明らかだ。
「おやっさん!?」
「黙れ」
元ヤンは黙った。野太く深みのある声だった。
「瀬崎さん、後はお任せします」
「はい。村役場を案内してくれますか? これから話を通さねばならないので」
「はい。――おい、頼む。カバンは置いていっていいぞ」
夫妻と直を除いた二人のメンバーの内、元ヤンキーではない方に声をかけ、瀬崎を案内させた。不満たらたらだったが、そいつは大人しく動いた。
元ヤンが声を再び吠えた。
「おやっさん! 慎一のやつはどうなるんです!? それにおふくろさんも、何黙ってんすか!」
「それ以外になかろう。ここで抵抗すれば、うちは聖竜会に睨まれることになる。この業界にいるお前ならわかるだろう?」
元ヤンがくやしそうに口をつぐんだ。聖竜会の権力は全ての分野に及ぶが、とりわけギルドではその力は強い。単純な戦闘力がモノを言う世界では、竜の力は強いものになる。
もし岡田屋が面と向かって抵抗した場合、おそらく岡田屋の面子はそう遠くない内に路頭に迷うことになるだろう。全てのメンバーがブラックリスト入りし、三代先までギルド活動ができなくなる。実際そうなったギルドを、直はいくつか知っていた。
しかし、と直は言いたくなる。その先は何も言えないが、その思いは消えない。時と共に膨れ上がっていく感触すらある。後輩を、将来の上司を、見捨てることはできない。しかし、できない。
苦虫をかみつぶすべく、顔をしかませていると、不意におやっさんが口を開いた。声量は小さい、独り言のようであったが、確かな声だった。
「そういえば、直はどこに行ったかな、お前知っているか?」
何を言っているのか、ぽかんとしてしまった。さきほど自分に指示を出したのは、誰だと思っているのか。
元ヤンもぽかんとしていると、その隣にいたおふくろさんがおやっさんに答えた。
「まだ帰ってきませんねえ。ほんと、どこまで着いて行ったんですかねえ。あんな大荷物抱えて」
そう言うと、おふくろさんは背負っていたカバンをばっと投げた。カバンは放物線を描き、直の隣にある茂みに消えた。
二人の行動が異次元すぎて、理解できない内に、今度はおやじさんがカバンを投げてきた。同時に足元に転がっていた、瀬崎を役場に連れていったやつの分も、缶蹴りのように蹴りとばし、どちらもおふくろさんのカバンと同じところに落ちた。
「おやっさん? おふくろさん?」
元ヤンのことを放置して、二人は続けた。
「ほんとどうしたもんかな。連絡手段もないから、どこに行ったのかもわからんしなあ。慎一達のところに張り付いとけって言ったきりだからなあ」
「そうですねえ。まあちゃんとギルド部のみなさんの、助けになっていることでしょう。もし傷を負ったとしても十分な救急道具と色んな装備を、カバン四つ分も持っていってるわけですし」
「おいおい、五つ分だろ。なあ」
元ヤンに向かって、おやっさんはそう言った。元ヤンがえ、と間の抜けた声を漏らすと、おふくろさんがその背中にあるカバンに手を伸ばし、それも同じように投げた。
ようやくわかった。これはおやっさんの機転だ。聖竜会の圧力がかかった以上、動けないが、その中でもなんとか動ける最小限、直を狐目から隠し、ギルド部の増援とするために。
直は急いでバッグを五つ集め、アカメにくくりつけた。
終えると、すぐに動いた。初めは茂みに隠れるようにしていき、他の人の目が届かないところまで行ったら、すぐに起き上って駆ける。
「おやっさん、すげえっす」
「何がだ? それにしても、聖竜会にはこの件の賠償、どうするかねえ」
「向こう一年分の活動費とかどうですかね。結果次第で、百年分にもなりそうですけどねえ」
ようやく気付き、顔を真っ赤にして興奮する元ヤンをいなしつつ、とぼける夫妻の問答が聞こえてくる。
それをBGMにしばらく進んだ後、聞こえなくなってから立ち上がると、直をパートナーの背に乗った。重くなった荷物にも関わらず、駆けだしたアカメの速度は、先程とほとんど変わらなかった。