小学五年に上がったころ、母さんが自殺した。
自殺現場は見ていない。通いのお手伝いさんが見せてくれなかったから。葬式のときに見た母さんは特に汚れた様子はなく、ただ眠っているようにしか見えなかったが、触れると固くなっており、人形のようだと思った。
母さんの死と同時に、母さんのパートナーであるシズカの身体は消えた。精霊型パートナーの死はそういうものらしい。彼女の生きた痕跡は、彼女が死んだ後に残った、水のしずくを固めたような宝石だけだった。それは今でもだいじにとってある。もう一人の母さんの遺品だ。
葬式が終わり母の骨を墓に埋めたあと、じいさまが聞いてきた。これからどうするのかと。
私はどうでもいいと答えた。もうなんでもよかったからだ。母さんが死んだ実感もなく、記憶がない位日々が薄れていたせいか、ただ茫然としていた。
母さんの死も、私のそんな態度も、じいさまがどう思ったかは知らない。聞くつもりもない。
じいさまは、私を特殊な学校に入学させた。そこは一般には貴族の学校として知られていたが、実際は貴族ではない、複雑な事情を抱えた子ども達が集められた場所だった。
そこでも友だちはできなかった。しかしそれはいじめられたなどではなく、自分のつっけんどんな態度のせいだったように思う。人との接し方もわからず、ただぼうっとしていた自分は、小気味悪かったのだろう。
それでもしばらくすると、話しかけてくれる人も出てきた。彼等も貴族という慣例に翻弄された人達だ。そう遠い人達ではなかった。少しずつ会話することを思い出していった。母親やじいさまとの、小学校入学前の、歪だが美しかった世界を。
そのまま過ごしていれば、彼女達と仲良くなれたかもしれない。
しかし十二歳の誕生日、キヨモリが生まれた。
それで全てが変わった。
母のパートナーは精霊型だったが、父は貴族、つまりパートナーは竜。百パーセントというわけではないが、私が竜使いになる確立は低くなかった。私にはその自覚がなかった。だから何も考えていなかった。
竜。それも直立二足歩行で、腕と翼が二つずつ。その造形は最も格式が高いとされている。
キヨモリが生まれた次の日から、周りの目が変わった。
友だちになろうとしていた人達は、遠い世界へ行ってしまった。身体の変化、強化はすぐにあったが、私の内面は何も変わっていない。しかし彼女達の目は私を見なくなっていた。彼女達の目に写るのは、尊敬と嫉妬と憎しみで色づいた貴族だった。
もう友だちにはなれなかった。
そこをそのまま卒業した後、中学では貴族たちのもとに戻った。そこでも私を見る目は生暖かい遠くからのものだったが、直接間接を問わずいじめはなかった。キヨモリの存在はそれほど大きかったのだ。私に媚を売って近付いてきた者もいたが、相手をしないでいると、すぐに消え去った。
代わりに始まったのは、じいさまからの教育だ。
貴族としての礼儀作法から始まり、基礎学力、教養。国語や外国語、歴史や科学、数学などの授業は苦にならなかったが、絵や歌、琴などはてこずった覚えがある。
武芸の鍛錬も始まった。竜に任せ、最小限の自衛と指示だけで済ませる、竜使いの武術はそのときに習ったものだ。
政治や謀略も学ばされた。それで当時置かれていた自分の現状を理解していった。
それらの教育は、じいさまからだけではなく、知己の友人や若い家庭教師も巻き込んで行われた。特に政治や謀略に関しては、じいさまは不得意らしく、講義は専らじいさまの年少の友人が受け持った。竜への愛情と、それに反する現実的な思考の持ち主だった。
最近になってわかったが、それらは私の教育と同時に試験の意味もあったようだ。私が藤原の名を継ぐに足る力量があるかどうかの検査だ。後継者は別の人に決まっていたが、これまで次々と後継者を亡くしていった経験から、予備はいくらでも必要だったのだろう。
教育が一定水準を越え、後継者候補に足る力があると判断されたのは中学を卒業したとき。
じいさまは、私に首都の貴族の高校に進むように言った。そこは格が一番上の、貴族でもごく一部の上澄みが通う学校だったようだ。
しかし私は拒否した。初めての反抗だった。