翌朝、歩は教室につくと、クラスメイト達の雰囲気が変わっていることに気付いた。
「歩」
「おう」
席についてすぐ、固い表情の慎一が声をかけてきた。
「なんか空気おかしくないか?」
「少し場所移そう。アーサーももっかい拾って」
真剣な慎一に押され、すぐにパートナー達の待機棟に移動した。次から次に学生がやってきては、待機棟にパートナーを置いて、自分達の教室に向かって行く。そんな朝の光景の中、アーサーを連れ出し、部室に向かった。
「ぁーあー」
登校後の昼寝を邪魔され、生あくびを漏らすアーサーをよそに、慎一が切り出した。
「時間もないから、さっさと本題に入るぞ。歩、クラスの空気わかった?」
「ああ。最初は勘違いかと思ったが、クラスのやつら、ちらちら俺を見てた。いらついてる感じだったな」
「昨日のことがバレたんだ。盛大な宴会したって」
「そんなことでか?」
友人同士でお祝いをしただけだ。なのにそれがどうして歩達を疎むことにつながるのか。
「唯がたいしたことないくせに特別扱いを受けていると思われているのは知ってるな? それでハブられそうになってるのも」
「俺も余波受けてるな」
慎一の顔に苦々しそうな皺が寄った。
「それがギルド部にまで波及したんだ。俺らもともと設立から竜使いの特権使ってたろ? 唯代表にして」
確かに、歩達は手続きをさっさと済ませるため、故意に唯を代表にした。
「それくらいで?」
「それまではまだ良かった。だが、ギルドランクまで特別扱い受けはじめたあたりから、雲行きが怪しくなった。唯を疎ましく思ってた教師が授業中に話したのをきっかけに、ギルド部の発足と特別扱いが学校中に広まった」
「そういや、最近風あたり強くなってたな。それが理由か」
唯や歩に対するクラスメイトの態度は悪化していた。それまでは二言三言会話すること位はあったのだが、今では伝達事項など最低限の会話しかなくなっている。遠巻きにされることは慣れていたのと、ギルド活動に集中していたのとが重なり、気にしていなかった。
「それでも直接動くやつはいなかった。ただの特別扱いならこれまでもあったことだからな。問題だったのは、そうした特別扱いを受けていた俺達が、かなりまとまった金を得たことだ。部活で金を稼ぎやがったってな」
「俺らがもらったのは正当な報酬なのに? 危ない目にもあったし」
「それは関係ねえんだよ。周りに過程は見えないからな。見えるのは、特別扱いを受けてきた連中が、部活動で金銭を得たってことだけ」
そうなると、周りの人間には特権を利用して楽に金を稼いだようにしか思えない。
「宴会の買い出しやるところを学校のやつが見たらしく、一晩で学校中に」
「――失敗したな」
「いずれは発覚したことだろうけどな」
ここでチャイムが鳴った。時計を見ると、後五分でホームルームが始まる。
慎一と顔を見合わせ、走り出した。職員室の前を走る時だけ早歩きで、それ以外は全速力だ。
走りながら、そういえば一度も声を発していない肩に乗る相方のことを思い出した。
見ると、盛大にあくびをもらしていた。歩と慎一の会話を聞いていたのに、まるで緊張感がない。
「アーサー?」
「ん、なんだ」
あまりに変わらない態度にこちらが面くらってしまった。
二の句を告げないでいる内に、待機棟についた。周りには息を切らして遅刻間際の攻防を繰り広げる、学生達がいた。
「歩、慎一」
「なんだ」
速く下りろよと思いつつ、端的に答えると、それを知ってか、アーサーがぱっと飛び上がった。
すぐに帰ろうとしたところで、アーサーが言った。
「心配するな。そう遠くない内に終わる」
「え?」
「ほら、遅刻するぞ」
振り返ろうとしたが、本当に遅刻しそうなので、悠々自適なアーサーにいらつきと困惑を覚えながら教室に戻った。なんとか遅刻は免れたが、入ったときの突き刺さるような視線に、余計に焦燥感が募った。
昼休憩になった。
いつも通り部室に集まろうとした矢先、唯が担任に呼ばれた。なにやら用事があるらしく、先に食べてて、というと担任と一緒にどこかへ行ってしまった。
仕方なく慎一と二人で部室に向かったのだが、和気あいあいとした昼食にはならなかった。
そこで話したことだが、慎一とみゆきの二人には案外唯の余波はないらしい。二人とも顔が広いため、心配されることはあっても、ハブられる気配はないとのこと。最上級生ということも僥倖だったようで、すくなくとも二人がどうこうされる気配はないとのこと。
「ただ、唯に対してのを辞めさせるのは難しいんだよな。色々話してみたけど、やっぱり内心竜使いの特権にいらついてる部分がみんなあるみたいだ。普段それが色んなもので隠されてるけど、唯みたいにぶつけてもいい対象を発見した瞬間、解放されるって感じで」
「たまんねえな」
ソファの背もたれに思いっきり身体をのっからせながら歩はそう呟いた。主犯がおらず、みなが少しずつ悪い、どうしようもない悪意だ。
「そういう歩はどうなの? 歩も竜使いでしょ。危なくない」
「一応だけどな」
食事を終え、早くも午睡に入っているキヨモリと、同じくソファに横になっているアーサーを見ながら答える。条件付きでしか竜になれない、E級生物。それをパートナーに持つ自分。竜使いというには、足りない気がした。
実際、周りからの扱いもそうだ。
「どっちにしろ、俺がされるとしたら、唯のおまけだ。俺自身がうらやむ特権持ってるわけじゃないし。唯がどうなるかで決まる」
「どっか投げやりだな」
「――そうか?」
ほとんどが遠巻きで、たまに意地のわるいやつだけが絡んでくる現状。どう変わろうと、自分が脇役であることは変わりない気がした。
さらに慎一が何かいようとしたが、その前に歩は口を開いた。
「それにしても、唯遅いな。何があってんだろ。なんか聞いてる?」
みゆきも慎一も首を振った。何があるのか。
さらに質問しようとしたとき、コンコンとノックされ、ドアが開いた。
「唯。おそかったな」
「遅くなってごめん。みんな食べちゃったね。私の分ある?」
「もちろん、はい」
ソファにどさっと座った唯に、みゆきが取り分けておいた分を差し出す。
「さっすがみゆき。ありがと」
「どうぞおかまいなく」
唯はさっそく箸を動かし始めた。時計を見ると、昼休憩は後十五分ほどしか残っていない。
慌てた様子で手早く食べる唯に、みゆきが声をかけた。
「そんな急がなくてもいいよ。午後は模擬戦だし。なんならそのときに食べればいいんじゃない?」
言われて時間割を思い出した。確かに午後は模擬戦、しかも全クラス合同のだ。いつもより張りきるやつが多いため、その分激しいものになる。何も考えずに昼食をとった自分が恨めしくなった。
「忘れてた。ならさっさと戻らないと」
「そうだな。全クラス合同だと混むし、さっさと行くか。唯、すまんが、先行くぞ」
慎一がそう声を駆けたが、口いっぱいにつめた唯は首を振った。意図がわからない。
咀嚼し終え、水で喉を洗い流した唯が言った。
「私も行くから、待って」
「え?」
唯は今まで模擬戦に出たことがない。竜の強すぎる力のためだ。それ以外にも他の生徒と同じカリキュラムを過ごせないことの多い唯達のために、今は部室となっているこの部屋が与えられている位だ。
なのになんでいまさらそれが変わるのか。
「どういうこと?」
「もともと申請してたのよ。授業の模擬戦に参加させてって。その許可が下りたみたい。今までかかったのは、誓約書を読んで、サインしてたから」
ごちそうさま、と手を合わせ終え、時計に視線を向けた後、唯はすっと立ち上がった。
「そういうことだから、みゆき、連れていってくれない? 勝手がよくわからないから」
「あ、うん、わかった。なら歩、慎一、ここ任せていい? 私ら時間かかるから」
「おう」
口だけで答えると、唯とみゆきがパートナーを連れて出て行った。
残された歩達もそう時間があるわけではない。テーブルの上を片付け、模擬戦服に着替えに教室に向かい始めた。
その道中、やはりお互い疑問をぶつけあうことになった。
「どういうこと?」
「わからん。それに唯自身、これからのことどう思ってんだろ」
「わからん」
教室に着き、着替え始める。クラスの大半は着替え終え、教室から出ていくところだった。急がないと遅れてしまう。
「こんな状態で、模擬戦どうなるかね」
「決まっておろう」
服を脱ぎ、上半身に張り付くシャツに袖を通していたとき、アーサーが口を開いた。視線を向けると、盛大に欠伸をもらし、ばきばきと音を立てて大口をあけているところだった。やっと目が覚めたようだ。
着替えながら、尋ねる。
「何が?」
「決着がつくであろうことが」
「決着?」
「わかれ」
着替え終えたとき、教室にはもうほとんど残っていなかった。歩達は走り出した。
道中、肩口に乗ったアーサーが言う。
「それにしても、そう遠くない内に来ると思っていたが、案外早く来おったな」
「唯の模擬戦参戦のこと?」
アーサーは首を振った。
「違う。チャンスだ」
「チャンス?」
「唯が現在の状況になったのは何故だ?」
きっかけは、歩に負けたこと、幼竜殺しに翼をもがれたことの二つ。
「負けたから」
「唯を疎ましく思っている輩目線で答えよ」
「――たいしたことないくせに、何特権もってやがんだ――あ」
「そういうことだ」
そういうことか。
模擬戦会場についた。場がざわめいている。多くの視線が、唯とキヨモリに向けられていた。
その中で、唯は毅然と立っていた。その隣にいるキヨモリは、眠たげに大口をあけていた。アーサーと同じ、しかしサイズのちがう、文字通りの大口だった。
初めての模擬戦授業は、学年全体での合同授業になったため、いわば完全な晒し場になっていた。
初めに教師から唯とキヨモリがこれから参加することになったと説明が入った。
その知らせを聞いて、一部の生徒が意地悪そうに笑うのが見えた。後で慎一に聞いたところによると、そいつらはいじめを始めるとしたら、まず動きだしそうな輩だったらしい。
唯の最初の相手を務めたのは、大楽昭。歩にもよくつっかかってくる、マサハルと呼ばれる巨人の使い手だ。彼は唯に対しても、わかりやすい下種な精神を発揮して、にやにや笑みを浮かべながら、唯の相手に立候補した。
そこで完全に子ども扱いを受けた。
開始の合図と共にマサハルは直進、いつものように棍棒振るったのだが、キヨモリは無造作に素手でつかんだ。何が起こったかわからない様子のマサハルを尻目に、棍棒をひっぱり、地面に転ばせる。
そこからさらに足を掴み、片手で持ち上げると、校舎に向かって投げ飛ばした。
そのまま校舎にぶつかると、マサハルは気絶した。その様は起きた轟音と震動で窓の外に顔を伸ばした学生たちの見るところとなった。やりすぎだと説教をする唯とそれをしおらしく受けるキヨモリの姿に、その場にいた学生は皆目を丸くしていた。
大楽はともかく、彼のパートナーである巨人型のパートナーは、かなりの能力がある。伊達に模擬戦クラスのトップに呼ばれておらず、膂力だけで言えば学年でも一、二を争っている。
キヨモリはそれを幼稚園児を扱うようにあしらったのだ。
皆が驚く中、歩はアーサーに話しかけた。
「問題だったのは、多くの人が唯とキヨモリの力を実感したことがなかったことなんだな」
「普段模擬戦に参加しない唯達の戦う姿を見れたのは、我らとの一件のみ。だが我らの戦術は異質だ。実際の強さを測るには、些か相手が特殊すぎた。しかも負けた。ま、わからんくても仕方あるまい。喧嘩売ったアホにはいい薬だろう。しっかり相手を見極めよ、とな」
その後、トップクラスの学生たちが挑んだが、どれも相手にならなかった。神速の狼型を的確に手で掴みあげ、空を飛び仕掛けてくるグリフォンには、その爪とくちばしを平気な顔で無視しながら地に落とし、挙句の果てには、学期末模擬戦でみゆきと決勝を争った総合力ナンバー1の悪魔型を、何もする暇を与えず尾で弾き飛ばした。牽制を多用し、巧みな逃げを見せたみゆきにだけは決定打を入れられなかったが、それは何の問題にもならなかった。
模擬戦を終えた後、唯を取り巻く環境は一変した。それまでとは逆方向に。