開始の合図と同時に、イレイネが仕掛けてきた。
開幕の一撃は、左腕を伸ばしての突き。空手の演武のように、その場で突きだされた左腕は、そのまま細く長く伸びてきて、歩に襲いかかってくる。先の部分のみを圧縮、硬化することで十分な威力を持たせており、凶悪な得物になっている。不定形であるが故の技だ。
歩は棍棒を一閃して弾いた。突くことが主眼ではあるが、棒部分を用いた払いでも防御には十分だ。
飛んできた手首のような部分に衝突させると、呆気なく散った。地面にぼたぼたと飛散したが、地面で蠢いてイレイネの元へ戻って行くのが目に入る。身体から離れた部分も操作できるため、いくら散らそうとほとんど意味がないのだ。
間髪いれずに、二の槍が飛んできた。一応の警戒のため、地面にちらばるイレイネの破片を避けるように動きつつ、歩はステップを踏んで避ける。右に左に身体をぶれさせ、的を絞らせない。避ける動作でそのまま前へと進み、序々に距離を詰めようとするが、相手もそれに合わせて後退し、決して距離を詰めさせてくれない。
すぐの一定の展開になった。イレイネが仕掛け、みゆきも寄り添う形で一緒に動き、なんとか離れまいと歩が追い掛ける。そんな鬼ごっこの様相を呈していた。
一見すると鬼たる歩が劣勢に見えるが、それほどでもない。何度もみゆき達と模擬戦してきた結果、歩はだいたいの動きがわかっている。伊達に一人で怪物達を相手にしてきたわけではないのだ。主導権は握られてはいたが破局は全く見えない。
息が荒くなってきはじめたころ、不意にみゆきが声をかけてきた。
「歩、新技試したいんだけど、いい?」
少し茶目っ気のある笑顔を浮かべる。実戦にはそぐわない行動と変に律儀なみゆきの言動が重なり、思わず苦笑してしまった。
「どうぞ」
「では、お願いしますね」
そう言うと、いきなりみゆきが仕掛けてきた。
これまで後ずさりするように下がっていたのを一転し、前方に身体をはねさせる。一瞬で距離を縮めると、手にした剣を振るってきた。
歩は余裕を持って棍棒で受けた。十分見切れる速度と威力だ。人同士のタイマンであれば、歩はまず引けを取らない。
そのまま二度、三度と撃ち合うが、振るってくる剣にはさほど力が込められていない。簡単に防げる。何か仕掛けがあると思っていい。横目でイレイネを見たが、みゆきが仕掛けてきたところから動いていない。ただ突っ立っているだけだ。周りをみても、特におかしなところは見受けられなかった。
仕掛けがわからない以上、発想を変えた。ここで勝負をつけてしまえば、イレイネがなにをしようと歩の勝ちになる。
そう考え、四度まで受けたところで歩は動いた。
大きく剣を払った後、さっと棍を向け、出来る限りの速度で突いた。
一度で決めようとせず、二度三度と突く。息もつかせないよう、余裕がなくなるよう、追い詰めるように突き、引き、また突きを繰り返す。
みゆきはなんとか避けてきたが、序々に剣で受けることが増え始めた。歩に剣が向かなくなるまでに、そう時間はかからなかった。
劣勢のあまりみゆきが押されて後退の第一歩を踏んだ瞬間、歩はその場にとどまり棍棒を振り被った。
全身の筋肉を引き絞り、すこしだけ助走をつけて、一撃。。
「はああっ!!」
雄たけびと共に、渾身の横薙ぎを見舞った。
後退しかけのみゆきにもろに棍が入る。剣越しに、衝撃が突きぬけたのがわかった。そのまま力を込め、みゆきを吹き飛ばす。
みゆきの身体が砂地に線を描くのを傍目に、歩はイレイネを注視したが、まるで動きが見られない。イレイネの仕込みは見つけられない。
ならば、このまま勝負をつけようと、地を蹴ろうと足に力を込めたとき、唐突にアーサーの声が響いた。
「上を見よ!」
アーサーの声で咄嗟に真上を見上げると、透明な槍が落ちてきた。
その場で転げるように身をひるがえし、なんとか避ける。槍は地面に深く突き刺さると、すぐに形が崩れて、地面に水たまりを作った。イレイネの奇襲だ。これが新技か。
しかし、歩は避けた。奥の手まで避けたならば、後は歩の――
「周囲警戒!」
アーサーの声に感応し、辺りを見回した。
しかし、何も見えない。聞こえない。臭わない。おかしなところといえば……唇が少しべとつく位。五感では何も感じられない。
そう考えたが、なにかが違う。違和感があるのだ。なにか、全く別の。
額に冷たい汗を感じ始めたころ、見えはじめた。
宙になにかごくごく小さなものが浮かんでいる。
加速度的に膨らんでいったそれは、雨粒に見える。
これが――本当のイレイネの新技!?
「大分コントロールができるようになったね」
身体から離れたパーツもコントロールはできることは知っていた。ただ見えないほど薄く操作できるとは思わなかった。それに量も違う。目に見えぬほど薄い状態から、次々と生まれ、膨れ上がり、空間を満たしていった。
そこでイレイネを見直し、気付いた。身体がいつもの七割ほどまで縮んでいる。気取られぬよう、ゆっくりと身体を細分化し、空中に仕込ませていたのだろうか。見事としかいいようがない。
「イレイネ、行きなさい」
みゆきの合図と共に、雨が降ってきた。
歩に向かって収束、文字通り雨あられと降り注いでくる。歩は反射的に両腕で顔を庇うが、お構いなしに雨粒は叩きつけてきた。
威力はさほどでもない。小石を投げ付けられた位のもので、日々鍛えている歩にとっては、一つ一つはどうとでもなるレベルだ。
だが、量が多すぎる。身体の至る所を殴りつけられるような状況だ。一つ一つに気を配るのは不可能で、目や鳩尾といった急所は晒せない。
「あ……! よ……よ!」
アーサーが何か言っているが聞こえない。スコールの如き大雨は、外と内を音の面でも遮断していた。
腹のあたりに重い衝撃が突きぬけた。
地面の感触が消え、雨の感覚がなくなったかと思うと、今度は背中ががりがりと削られる。ほこりの匂いがして、砂利を含んだ地面の上を滑っているのがわかった。
身体が止まると同時に、なんとか平静を取り戻して起き上る。先程まで歩のいたところに立つイレイネの姿が目に入った。先程の衝撃はイレイネの蹴りか。
と、首元に冷たい感触がした。鋭利なものが、皮膚に当てられた感じだ。
「降参?」
両手を上げると、すぐに冷たい感触が消えた。振り返ってみると、みゆきが剣を納めていた。素早く回り込んでいたようだ
「どう?」
「驚いた。いきなりやられると頭が真っ白になるね」
「慣れるまでは、拘束できそうだね。感想、後でもう少しおねがいしていい?」
「全身ねらうより、頭とか目とか一点集中で狙った方がいいかも。感想の件はいいけど、イレイネは大丈夫なのか? 明後日学期末模擬戦だけど」
みゆきの隣にいるイレイネの身体はいつもの八割ほどまで縮まったままだ。あの技は大分負担をかけるようだ。
「二日もあれば大丈夫。まあ、感想考えといて」
歩が頷くと、藤花のおつかれさまでした、という声が聞こえてきた。
その場を離れ、次の人に受け渡す。倉庫の壁に背を預けるようにして座りこんだみゆきの隣に歩も続いた。
「ふむ、壮観であった。いい技だ。模擬戦前にこんな目立つところで使っていいのかは気になるが」
「ありがと」
空中から降りてきたアーサーがみゆきに言った。
歩がふ~っと息を吐くと、アーサーが声をかけてくる。
「それにしても情けない。あっさりとやられおって」
少し頭にきた。
「二体一なんだから仕方がないだろ」
「技を見抜き、警戒を促したのは誰だ?」
「口動かしただけじゃん」
「ふん、我が英知をなんとするか。深い洞察とたゆまぬ鍛錬によって我が見識は……」
「生後五年が何言ってんだ」
「年月などただの目安に過ぎぬ」
「それなら百年早いも意味ないだろ。お前は何様のつもりだ」
「何様もなにも、竜だ」
「竜が苦手な癖になに言いやがる」
「はい、そこうるさいですよ。余りうるさいと私達と模擬戦やらせますよ」
藤花の声に反応し、隣で睨みを聞かせている彼女のパートナーを見た。ユウと言う名の、燃える巨大な狼。背筋に冷たいものが吹き出してくる。
歩とアーサーはあっさりと黙った。脇目でみゆきが吹き出すのが見えた。