今思えば、不思議なことはたくさんあった。
友達はいなかった。母さんにもだ。家にやってくるのは、通いのお手伝いさんと、黒服のボディーガードと、じいさまだけだった。
出歩くこともなかった。食べ物や衣服、本や食器なども、すべてお手伝いさんが買ってきていた。
それでも何も不自由に感じなかった。もっぱら絵本を読んで過ごした。最初のころは母さんと一緒に、次第に一人で読むようになった。竜が出てくるものばかりだったが、どれも飽きなかった。
身体を動かしたいときは、庭に出ればよかった。庭にはなんでもあった。芝生の広がった先に池があり、背丈位までの小山もあった。
四季も楽しめた。春には桜と舞い、夏は木陰で昼寝をし、秋は紅葉の中で転げ回り、冬は家の中から雪を眺めた。それだけでよかった。ひきこもっていたが、それを感じさせない確かな世界があった。
小学校に入学すると、その世界もほころび始めた。完璧だった唯の世界に、陰がさし始めた。
入学して早々、同級生に面と向かって愛人の子と言われた。彼の顔には明確な敵意があった。入学式の際、母さんが辛そうな顔をしていたのは、それが原因だったと気付いたのは、ずいぶん後だった。
初めてのクラスに入った瞬間には、ほかの同級生は私を疎んでいた。貴族の集まる学校で、私は異物だったのだ。
教師は分け隔てなく扱ってくれたが、庇ってくれもしなかった。必要最小限のやり取りしかしなかった。それが貴族の学校での、処世術だったのだろう。
友達は一人もできなかった。話しかけても無視された。愛人の子と私に言った、藤原の名を冠する同級生の嫌がらせだった。私の苗字は平だったけど、序列は私の方が上だった。家長の直系だったから。だから直接的ないじめはできず、無視したのだろう。所詮は愛人の子だから、その程度は許されるだろうと思って。実際、許された。
母さんに学校を変えたいと言ってみた。辛かったからだ。
しかし母さんはできないと言った。じいさまがこの学校に入学しろと言ったから、無理だと。そう辛そうな顔で言われた。それ以上、何も言えなくなった。
母さんは弱い人間だった。本当に弱かった。じいさまに捨てられることを恐れ、何も言えなかった。ただ耐え忍ぶことを是とする人だった。
何もしようとはしなかった。できなかった。ただ、私がじいさまに直接お願いすると言ったときも、同じ顔をされたのが辛かった。
それ以来、私はひきこもることにした。内に内に。母さんを悲しませないよう、いつも努めて笑いながら。今思えば、笑いになっていたか怪しいけど。
それからしばらくの間の記憶は今も抜け落ちている。