「あああああああああぁぁぁぁぁ!!」
身体の空気を入れ替えるように、全てのもやを吹き飛ばすように、喉から息を放出する。
全て出し終えた感触の後、一気に吸った。身体がぎりぎり動く範囲で、一瞬にかけるべく身体を調整する。
腰を落とし、槍を構える。視線はぶらさず、ただ藤花のみを注視する。湧き立つ闘争心を収束し、意識をただ藤花へ。
剣を構える藤花めがけて、歩は地を蹴った。一歩、二歩、三歩、四歩。四歩目に藤花もまた動きだした。初めはゆっくりとスムーズに、序々に速く、鋭く、衝突点に全てを出し切ることができるように、全身を絞り上げていく。
イメージは弓。弦をひきしぼり、さらにひきしぼり、限界を越えてもひきしぼる。キリキリと悲鳴を上げる身体をよそに、さらに絞る。
二人の間合いが残り三歩まで来たとき。
歩は矢となった。足、膝、腰、肩、肘、全てを連動させ、一点に集中させる。
目標は、藤花の腹部中央。
歩が矢となった瞬間、藤花の驚く顔が見えた。
槍は何にも邪魔されず突きぬけた。途中添えるように触れてきた剣をものともせず、ただ真っ直ぐに。
だが。
「残念でした」
槍は、戦闘服の脇腹部分を裂くにとどまっていた。皮膚に擦過しているのかもしれないが、血は見られないため、大した傷ではない。藤花は、なんとか身をひねってかわしていた。
藤花はまるで動きに支障がない。
対する歩はというと、全身全霊の一撃を放った直後で、隙の塊でしかない。
藤花が動いた。
首の後ろにある襟首をつかみ、硬直している歩の両足を払ってきた。歩は成すすべなく転がる。手にしていた槍はどこかに蹴り飛ばされた。
点を見上げる歩の上に、すぐ藤花がまたがってきた。腰の辺りに重心を置き、両手を逆手にして剣を掴んでいる。切っ先は歩の胸のあたりに向いている。
藤花が思い切り振りおろそうとした。
その瞬間。
藤花の頭の回りに雨つぶのようなものが現れ始めた。
ぽつりと浮かんだそれは、序々に数を、加速度的に大きさを増していく。藤花も気付き、虚にとられた。
ここまで黙っていた声が、突然響く。
「イレイネ、行きなさい」
少し震えたみゆきの声が響いた瞬間、雨が弾けた。
全てが藤花の頭に収束していく。
歩が唯、アーサーが駄菓子屋での小学生とのやりとりで傷ついた出来事の前、みゆき、イレイネペアといつもの模擬戦をやったときに新技と称して喰らった技だ。大気中にイレイネの身体を仕込み、相手を囲んだところで突然雨あられと降り注ぐものだ。あのときもまた、歩は唇がべとつく感じを覚えたのだ。
雨粒が、今度は藤花の顔に殺到している。咄嗟に腕で防いだようだが、虚をつかれたことと、一番の急所に叩きつけられていることで、藤花は完全に隙を見せてしまっている。
これを逃してはならない。このタイミングを狙っていたのだ。そのために大仰に気合を入れたのだ。
歩は硬直する藤花をのせたまま、強引に両手で地面をつき、半ばブリッジのような態勢で起き上った。そこから腹筋で上半身を持ってくると、落ちていく藤花の頭を掴んだ。態勢を変えても追尾していた雨は、歩が手を差し出した部分だけ避けるように消えていった。
藤花の髪をつかみ、引き寄せる。それと同時に右足のひざを振り上げた。
鳩尾に綺麗にひざが入る。藤花の口からこもった音が抜けた。
追撃をかける。顔を覆っていた両手の隙間から見えた眉間に向かって、思い切り拳を伸ばした。完璧にとらえた。殴った拳も痛い位だ。
最後の締めにと、脱力した藤花の身体を掴み、そのまま引きずっていく。全身を振り絞り、叫びながら走った。
「うああああああああああああああ!!」
振り被り、思い切り投げた。目標は、アーサーたちがぶつかっていった大岩。
狙い通り、そこに受身もとれずに藤花はぶちあたった。鈍い音をたててぶつかった後、石の上に血の痕跡を残しつつ、藤花はずるりと落ちていった。
歩はふっと息を吐いた。その後すぐに槍を拾い上げ、みゆき達のところに駆け寄る。
「ナイス。イレイネ、大丈夫か? お前も」
「私は動けそうにはないけど、大丈夫」
みゆきが力なく笑いながら言った。まだ全身の筋肉が震えていて、顔色も悪い。身体の前に重ねた両手が、拍手をするようにこまかく振動していた。
みゆきがおり重ねていた両手を開くと、そこには生まれたときの半分ほどまでちぢみ、まったく動かないイレイネの姿があった。形もなにもなく、ただのゲル状の物質に変わっている。
「……生きているのか?」
「私、生きてるからね。けどもう動けそうにないな。あの技を発動するのに、地面に転がってたイレイネの残骸を強引に使ったみたいだけど、それももう戻す力は残ってないみたい」
「生きているなら、それでいい。ありがとう、助かった」
「いーえ、こちらこそ、そんくらいしかできなくでごめんね。後、おねがい」
「ああ」
突如轟音が鳴り響き、すぐ後に地が揺れた。
音のした方を向くと、そこには二体の竜がからみあって盛大に墜落していた。アーサーの身体は端々に傷があったが、ユウは無傷。
ただし、優勢なのはアーサーだった。
アーサーの牙が、ユウの喉元に深々と突き刺さっている。真っ赤に燃え盛るたてがみごと喰らいついていた。
ユウの首からは赤黒い液体が脈に合わせて吹き出しており、アーサーの顔は血まみれになっている。腕がアーサーの身体を必死で引き離そうとしているが、もう力が入っていないのが歩からも見てとれた。大量に流された血といい、死に瀕しているのは明らかだ。
「アーサー! 大丈夫か!?」
返事はなかったが、アーサーが一瞬こちらを見た。大きさこそ違えど、振り返ってきた目はいつものアーサーだった。興奮の色はあったが、それでも安心した。
歩は投げ捨てた藤花の方に視線を移した。熟れすぎたトマトを塗りたくったような跡はあるが、量としてはそれほどではない。ユウを見ても、まだ生きていることがわかる。
藤花が立ち上がった。
口の端からは血を流しており、よろめいている。大岩に手をついてなんとか立っている様子だ。歩の膝と拳、大岩との衝突は流石の幼竜殺しも堪えたようだ。
歩は大声で言った。
「ユウ、死んじゃいそうですね。一応聞いときますけど、降参しませんか?」
藤花が口元にうすら笑いを浮かべるのが見えた。
「今にきて言いますか」
「別にさっさと片してもいいんですけど、念のため。僕ら殺人鬼じゃないので」
それに、できれば早くみゆき達を病院に連れて行きたい。今は生きているが、どちらも瀕死といっていい状況だ。
歩は藤花をじっと見た。何を考えているのかまるでわからない。
拘束するために、ゆっくりと藤花に近付きはじめる。序々に、藤花の姿が大きく見えてきた。
そのまま注視していると、藤花の口元がにい、と歪んだ。うすら笑いが、もっと気色の悪いものに変わっている。
「拒否します」
「死んじゃいますよ? 何か手があるのですか?」
「今、思いつきました」
藤花が大声で叫んだ。
「ユウ! 燃えろ!」
はっとアーサーのほうをみやる
ユウのたてがみが大きく燃え広がり始め、全身を包もうとしていた。
「アーサー!」
巨大な口で舌打ちをした後、アーサーは機敏な動作でユウの上から飛びのいた。アーサーが牙を外した瞬間、一際高く血が噴き出すのが見えた。
すぐにユウの身体は炎の塊となった。煌々とあたりを照らしはじめ、竜の身体は陰影でしか判別できなくなっている。
炎の塊と化してからすぐ、ユウは悲鳴か雄たけびかわからない咆哮をあげた。空へと飛び上がり、のたうちまわるかのように空を駆け巡っていく。その内に炎がおさまり焼け焦げた皮膚が見え始めた。先程の咆哮は悲鳴の要素が強かったようだ。
なんとか、といった感じで炎を止め終えると、ユウは半ば墜落するように藤花の横に降り立った。片膝をつくように降りた後、すぐにひれ伏すように態勢を崩した。アーサーに大穴をあけられた首筋は、幸か不幸か炎で焼かれて傷口が悲惨なことになっているが、出血は止まっている。
藤花は即動いた。歩達が見入っているなか、まだところどころで煙を上げているユウによじ登り、首のあたりに乗った。
そして飛翔。瀕死に見えたユウが力強く飛び上がった。キメラの再生力を侮っていたのかもしれない。
「歩!」
アーサーが声をかける直前に、歩は動きだしていた。幼竜殺しを逃すわけにはいかない。アーサーの駆けより、首の付け根あたりによじ登った。
歩がよじ登ると、アーサーもまた飛翔。身体にかかってきた強烈な風で、一瞬滑り落ちそうになったが、慌てて腕に力を入れて留まった。
すぐに立ち並ぶ木々を追いこし、夜空が正面にいっぱいに展開されたかと思うと、すぐにそこから地面に向かって方向転換、身体が浮き上がる感覚と同時に、風が歩の身体を引きはがそうとする。
なんとかアーサーの首にしがみついていると、序々に風が落ち着いた。
まだ吹きすさぶ風は強かったが、なんとか開けた目で、前を見る。
幼竜殺しがそこにいた。身体の至る所に痛ましい傷を負い、どこか弱々しく飛行している。
終戦は近い。