「さて、聞きたいことはこの位ですかね」
問答の終わりは歩達の終わりを意味する。それを忘れ、完全に話に聞き入ってしまっていた。
慌てて質問しようかとも思ったが、その前に藤花がにこりと笑った。
「それでは、もうそろそろ終わりにしますか。最後のお祈りを済ませましたか? 十秒くらいなら待ちますよ?」
十秒で何ができるか考えたが、できるはずがない。
一縷の望みに、アーサーを探したが、いなかった。アーサーの勝利への根拠はどうなったのだろうか。不発に終わってしまったのか。
最後にと雨竜を見たが、肩を丸めて頭を垂らしている姿には、何も望めそうになかった。
「それでは、まずは年長者から行きますか」
藤花が一歩踏み出した。
そのとき、見覚えのある赤い閃光が藤花とユウに伸びた。続いて起こる熱風と、不気味な煙、大気を揺るがす野太い轟音、そして肌をさすような奇怪な熱。
雨竜が登場するときに発した、アレだ。
閃光の先を見ると、首だけになった雨竜のパートナー、サコンの口に辿り着いた。一つ目のような宝石が真っ赤に輝き、断たれた首の先との間に赤黒いスパークを発生させている。そしてそれと同じものが、口から藤花達に伸びていた。首から先の草地は炎を上げる間もなく焼け焦げており、黒煙を上げていた。
視線を雨竜に戻す。上げた顔は青白いままだったが、口をきりっと結ばれており、鋭い視線が閃光の先、幼竜殺しに向けられている。その表情に驚きはなく、これが狙っていたものだということがわかった。
「先生」
「黙っていてすまんな。予兆無しの完全な奇襲を仕掛けたかったんだ」
赤い閃光が止まった。同時にサコンの頭と首の間から発せられていた強い光が消え、最後にゆっくりと一つ目の宝石の色が失われて行った。最後の力を使いきった、という感じだ。
それは同時に命が消え失せたようにも見え、雨竜のほうを見ると、青白い顔のままではあったが、その目には力があった。
「先生?」
「死んでない。が、サコンは予備電源も全て使い切り、自閉症モードに入った。もう動けない」
つまりこれが最後の乾坤の一擲。これが失敗に終われば、歩達の命も終わる。
藤花達のいたところに視線を移す。まだもうもうと煙が立ち込めており、先は見えない。どうなったのか。煙の晴れた先には骸が転がっているのだろうか、それとも死体ごと蒸発してしまっているのか。逆に生きていて、深い傷を負って動けないのか、ぴんぴんした身体で逆に奇襲をかけるタイミングを覗っているのか。
そのどれもがあり得そうで、歩は身構えつつも、煙が晴れるのをじっと待つしかなかった。
煙がおさまり始めた。同時に、黒い影が写る。
予想外だった。その影は、どう見てもユウのものとも、藤花のものとも思えなかった。大きい。直立していたサコン位はある。なんとなく影も似ている。どういうことか。
声が聞こえてきた。何度も聞いた変わらぬ藤花の声だった。
「驚きました。いい奇襲でした。流石の機械型ですね」
その声には、いささかの欠陥も見られなかった。痛みも、怒りも、何も込められていない。教壇に立っていたときと同じ、健全な声だ。
生きている。それもおそらく傷一つ負っていない。
「あれの直撃を……」
「危なかったです。ユウの力が役に立ちました。温度変化を敏感に察する、蛇型パートナーを食していてよかったです」
「食べた?」
煙が晴れた。
黒く焦げた巨大な翼が目に入った。二つの翼がクロスされて、卵を守る親鳥のように中のものを隠している。完全に焼き焦げており、触れればすぐに砕けてしまいそうな、消し炭に見えた。
その翼には見覚えがあった。最近よく目にするようになり、そして直近失われたと思い、つい先程、見た大きくて勇壮な二対の翼。
キヨモリの、翼。
「ええ。私、キメラですから。食べたものの能力や身体を得られる。レーダーもその一つ。今はつい最近食べたものを使いました。見覚えありますよね?」
炭化した翼にヒビが入った。それが合図だったかのように、翼はそっけなく崩れた。
そこから見えたのは、藤花と――竜。
歪ながらも、それはどう見ても竜だった。
心臓の音が跳ね上がった。
喉から声が漏れる。
「竜?」
藤花の視線がこちらを向いた。その視線を受けて、身体が熱く燃え始めた。強く、血がたぎるように。
「私、幼竜殺しですから。キメラに例外はありません」
つまり目の前の竜はユウなのだ。狼型のころは、歩よりも少し大きいくらいだったのに、今はその何倍もの大きさがある。風船のように膨れ上がっているわけではあるまい。おそらくその大きさと同じく、質量も何倍にも増大しているのだろう。物理法則を完全に無視している。
全体が燃えるかのように赤い。両手は三つ指で、爪は狼型のころの尾のように、赤熱している。腹はでっぷりと出ており、そこだけ白くなっていた。
胴体から伸びた首には、獅子のようなたてがみのようなものがついていたが、それは物理的に燃え盛っていた。角はなく、顔は竜のものだったが、どこか狼のころの面影がある。角はない代わりに、牙が異様に長い。
歪だったがこれは竜だ。いくつか他のものも混じっているが、ユウの姿は間違いなく竜のものだ。なにより、サコンの赤い閃光を受け切ったその膂力は、竜以外の何物でもない。
背中から何かが蠢きながら大きくなっていった。翼だ。キヨモリのもの似ていたが、赤く光っていた。それは全く別の竜の翼だ。
アリ塚の作成を、早回しに見ているような光景は、翼の先まで出来上がったところで終わった。そこには、歪な、完全な竜がいた。
胸が再度どくんと大きく高鳴った。
「竜」
雨竜がそれだけ言い、肩を落とすのが見えた。終わった、という感じだ。五体満足な竜をしのげるほどの戦力はもうない。
竜の脇にいた藤花がそっと微笑んだ。柔和な、優しい女教師の顔だ。
「それでは終わらせましょう。どうせなので、今回は全員頂きます。骨も残しません」
藤花が竜となったユウから横に離れた。
ユウが足を踏み出した。どっしりと、重量感のある足音をたてた。やはりその身体には肉が詰まっている。
それを歩はじっと見ていた。不思議と恐れはなかった。代わりに、身体が熱かった。汗は全く出ない。鉄が火にあぶられているように、ただじっと熱を蓄えている。しかしその熱は外部から受けたものではなく、歩の身体の芯から発せられていた。
これは何なのか。恐怖を越えた先にある、なにかか。
不思議な感覚があった。近付いている。翼を動かし飛翔している。耳には風が唸る音。前面からの風が、燃える身体を冷まそうとしていたが、熱はおさまらない。逆にその風がその熱を煽っているような気すらした。
その感覚は歩のものではない。しかし、歩にはわかる。
ユウの前に立ちはだかるように、舞い降りた。
アーサーだ。
「どうしました? 手間が省けてよかったですが、わざわざ捕食者の前に出てくるのはどうかと思いますよ?」
藤花の声に反応せず、アーサーは口を開いた。
「我はずっと竜が怖かった」
脈絡のない吐露に、藤花が戸惑うのが見えたが、アーサーは構わず続けた。
「本当に、怖かった。畏敬と憧憬の念は尽きることなく存在したが、実際には近付きたくなかった」
「アーサー、私は知っていましたよ。ですが今それがどうしたというんです?」
アーサーは淡々と続ける。
「我はそなたが怖かった。そならの器量、頭の回転、能力、どれも尊敬に値するものであった。会話も楽しかった。しかし怖かった。だから逃げていた。そなたについて考えることを放棄していた」
「時間稼ぎならもういいですよ?」
「故に、悲劇は起こった。唯とキヨモリだ。やつらの翼は我が折ったも同然だ。我は忘れようとしていた。自然と恐怖の源から、ただ耐えるだけとなっていた。ほんの少しでも頭を使えば、そなたの内に竜が潜むのは自明であったのに」
「なるほど、私への恐怖は、竜へのそれと同じだったと。だから今どうしたんです?」
藤花がだらりと垂らしていた腕を上げ、アーサーに剣を向けた。顔には苛立ちが見えた。
アーサーはそれに構わず、続けた。
「我は竜を前にすると、身がすくんだ。思考には鎖が巻かれ、頭の中を醜悪な泥が満たした。それは竜への恐怖だと思っていた。
しかし違った。我は竜そのものを恐れていたわけではなかった」
身体がひどく熱い。先程、光線の余波で受けたものとは比べ物にならない灼熱が、首の後ろあたりに生じていた。それは周囲のあらゆるものに伝播していく。脳髄からは脳に。血液から血管を通して全身に。行きつく先の心臓で熱く速く鼓動させる。
不思議と気だるさはなかった。むしろ意識は霧が晴れたようにすっきりとしている。視界は鮮明になり、川を越えた先で、風に煽られている葉の葉脈すら数えられた。鼻腔には焼け焦げた草の香りが満ち、耳は目の前にいる藤花の身体の軋みを捕えた。生物としての能力が上がっている。
怪訝な表情を浮かべる藤花の顔を見る。
ああ。そういうことか。
「我は、己を恐れていた。竜を前にした己に。竜を目にしたとき、力が湧きおこってくる竜に。竜の存在を知覚したとき、それを殺そうとする不埒者に」
「どういうことです?」
藤花の声はいつもとなんら変わらぬものだったが、今の歩にはなによりも艶めかしく聞こえた。獲物のあえぎ声。
この感情はアーサーから伝わってきている。身体を駆け巡っている力も、アーサーの力だ。熱だ。アーサーは今、発火しそうなほどに身体が、精神が、魂が熱くなっているのだ。
アーサーが言った。
「我は竜殺しの竜。目前の竜を弑するものなり」