「ああ、あちらも決着がつきますね」
藤花が無防備に後ろを向いた。歩もそちらに目を向けると、目を奪われた。
みゆきたちを掴んだまま、ユウが飛行していた。月を背にし、自在に宙を駆け抜けている。背中には見覚えのある翼が生えている。キヨモリのものだ。わけがわからない。何が起こっているのか。
みゆきは歩と同じように尾で縛られて、空中で振り回されていた。イレイネも背中についたままだが、半透明なゲル状の身体がこぼれ、振り落とされていっている。イレイネの身体は、いつもの半分も無くなっていた。
「ユウ。こちらに」
藤花が声をかけると、ユウは歩達のほうを向いて飛んできた。そのまま突進してくるのかと思い身体を強張らせたが、途中で舵を上空に切り、代わりにみゆきが放られ、歩の隣に叩きつけられた。
「ゴホッ!」
「みゆき!」
喉から大きな音をもらしたみゆきに近寄って様子を見る。みゆきの顔には強い苦痛が見て取れた。急いで身体を見回す。
表立った傷は少ない。頬にある擦り傷以外は、出血箇所はない。頑丈な黒蛇製の服に守られた形だ。
ただ、両腕と両足の筋肉が微細に震えて、けいれんしていた。考えてみれば当然だ。あのユウと力比べをしていたのだ。イレイネの補助があっても、負担は相当なものだったろう。耐えられていたのが不思議な位だ。これではまともに動けない。
藤花の立つ方から、ざっと音がした。振り返ると、藤花のすぐそばにユウが降り立っていた。たとえ再生しているとはいえ、二人の無傷な姿は、歩達の完膚なきまでの敗北を思い知らされる。
「さて、どうしますかね……っと」
そこでいきなり、藤花達に赤い閃光が伸びた。一瞬で現れたそれは、同じく一瞬で地面を巻き上げた。途端に起こった疾風が肌を撫でる。咄嗟にみゆき達の前に身体を投げ出しつつ、両腕で目をかばったが、上げた両腕に気味の悪い熱が襲いかかってきた。真夏の太陽の光を浴びたときに感じる、肌を目に異常に細かい針でさされたような感触を、何倍も強くしたような感触だ。
光はすぐにおさまった。用心しながら見ると、藤花達のいたところは、真っ黒に焦げていた。地面には穴があき、その土も焦げているように見えた。
しかし藤花達の姿はそこになかった。周囲を見回したが、どこにも姿はない。どこかに避けたのか、もしくはあの光で消し飛んだのか。
ひとまずみゆきの身体を起こし、近くの切り株に背中を預けるようにして座らせていると、妙な音が聞こえてきた。ガスバーナーのような音が、微かではあるが耳に入ってきた。
序々にその音は大きくなっていく。発生源はここまで来た道の方だ。振り返り、じっとその方向を向いていると、居並ぶ木々の頭の部分が押しつぶされていくのが見えた。押しつぶされかたも、音と同期するように序々に大きくなっていき、上空からなにかがやってくるのがわかった。
音量が頭痛を起こす位までになったころ、月明かりを鈍く反射させる影が見えた。
それは竜の形をした機械だった。アーサーと似ている。やや前傾姿勢の二足歩行、脚が二つ、腕も二つ、伸びた細長の頭に、翼、尾。
しかしその皮膚は鈍く光る銀色の鋼鉄でできていた。輪郭も角ばっている。爪も剣をそのままくっつけたようにしか見えない。背中からは炎が噴き出しており、そこから轟音と木々を押しつぶす風が生まれていた。目にあたる箇所には、怪しく光る真っ赤なルビーのようなものが一つだけ嵌めこまれていた。
その機械竜は、そのまままっすぐ飛んでくると、歩の目の前に降り立った。ゆっくりと降りてきたのだが、それでもどすんと音をたて、地面を軽く振動させた。近くまできてわかったが、身体はキヨモリよりも二周りほど大きい。
「水城、能美、大丈夫か?」
突然聞こえてきた声は、聞きなれたものだった。
機械竜の背中から、声の主がすっと顔を出し、歩の前に降り立った。
雨竜だ。彼もまた歩達と同じ黒蛇製の運動服を着ている。手には少し大きめのグローブをつけていた。
「先生!」
すっと降り立つと、機械竜はぱっと身をひるがえし、明後日の方向を向いた。
雨竜はみゆきに声をかけた。
「能美、具合は?」
みゆきは微かな声で、なんとか答える。それしか出せない、といった感じだ。
「死には、しませんね」
「まあいい。後は俺が」
「先生、どうやって、ここに?」
弱々しい声ながら、みゆきの目はしっかりと雨竜を捕えていた。
確かにそうだ。歩達が藤花をおびき出す、というのは誰にも言っていない。なのにどうしてここに来たのか。
雨竜ははっきりと答えた。
「お前らが馬鹿やってるのが、サコンの能力で見えたからだ」
「サコン?」
代わって歩が尋ねると、今度は雨竜の視線がこちらにむいてきた。表情は呆れたように微妙な笑みをしていたが、どこか吹っ切れたような印象を受ける。
雨竜は背にした機械竜の尾をこつんと叩きつつ、言った。
「こいつだ。私のパートナー。見ての通りの機械型。でかい図体と、それに合わないデリケートな身体のせいで、滅多に表に出られないんだがな」
機械族。強力な膂力と固い装甲を持つ上、レーダー等の他にはない特殊能力を持つ。燃費の悪さや耐久性の低い内部構造など、デリケートなところがたまに傷だが、天使、悪魔族を並んでB級に分類される強力なパートナー。
サコンは紹介されてもこちらを振り向こうとしなかったが、一度大きく尻尾を上下に揺らした。それが挨拶代わりなのだろう。
「こいつにはレーダー機能がある。それでお前らの動きを監視して、なにやら不穏な動きをしていると読めた。んで、位置も分かるから、ここにやってきたわけだ。色々準備に手間取って、遅れてしまったがな」
「さっきの閃光は?」
「それもこいつだ。口からの粒子砲だ。火力はかなりあるんだが――アーサーはどうした?」
不意に尋ねられ、歩も空を見上げたが、アーサーの姿は見えなかった。どこに行ったのか。
「あいつ、どこに」
「まあお前が生きてるってことは、無事なんだろう。それより、中村藤花が幼竜殺しなのは確定か?」
歩が頷くと、そうか、とだけ雨竜は答えたとき。
雨竜が突然歩の方に身を投げ出してきて、押し倒された。
「先生!?」
「やつだ」
雨竜はすぐさま立ち上がると、素早く右から左へ視線を横切らせると、すぐにサコンに指示を出し始めた。
「サコン、レーダー全解除。赤外線による視認に移行。対A-7防御壁展開。それと粒子砲準備。水城、能美を連れてサコンの尻尾側に移動しろ」
なにやらわけのわからない単語が飛んだが、雨竜の様子から、おそらく藤花達との戦闘のために態勢を変えているのだろう。
ひとまず指示に従い、近くにいたみゆきに肩を貸し、サコンの後方まで移動する。その間、雨竜は注意深く周囲を覗いつつ、歩達をいつでも庇えるように動いていた。
歩達がサコンの尾の近くで身を屈ませた頃、ガツンとなにかがぶつかり合う音が聞こえてきた。同時にサコンの身体が大きく揺れた。
「水城、そのままでいろ。そう簡単に突破はされない」
サコンの巨躯の脇からのぞき見ると、行き交う白い閃光が見えた。ユウだ。歩やみゆきと戦っていたときと同じくらい、いやそれ以上の速度で、地を、宙を駆けまわっている。
その閃光が描き出す軌跡は、サコンまで近付いていったが、触れる寸前で弾かれていた。目を凝らして見ると、弾かれる瞬間、空中に奇妙な円が輝いていた。真円を大小いくつも重ねて描き、それぞれの間を針一本位の隙間しか残さないようにしている。それがユウと衝突する度に展開され、その牙からサコンと歩達を守っていた。
それがサコンの能力だと気付いたころ、後ろの方から先程よりも軽やかだが、金属同士がかち合う、甲高くて重い音がした。
振り返ると、歩達を庇うように陣取った雨竜と、そこから少し離れたところに藤花の姿が見えた。藤花の顔には、驚きの色が見える。
すぐにその顔はいつもの微笑へと変わり、途端に藤花が動いた。雨竜に向かって鋭く踏み込むと、剣を振るう。
それを雨竜は拳で受けた。手の甲を真正面から剣の刃に当て、すぐさまもう片方の拳で藤花を狙い打つ。予想していたのか、藤花は後方へとステップを踏み、避けた。
藤花は剣を正面にやや傾けて構えた態勢で、口を開いた。
「どうなってるんです? その手、グローブに何か仕込みが?」
「こっちこそ。レーダーに写らないのはなんでだ? 危うく奇襲受けるところだった」
「私もレーダー持ちですから。ステルスもあります。私の質問に返答は?」
「ない。どうなってんだお前のパートナー。どう見ても機械には見えないが」
「いけずな人には教えません」
そこで雨竜は黙ると、じりじりと藤花ににじり寄りはじめた。藤花はそれを斜めに下がりながら受けつつ、更に言葉を発し続ける。
「グローブに仕込みといっても、金属板を入れる位はしているかもしれませんが、それでは衝撃を防ぎきれない。防ごうと思えば、衝撃吸収材をかなり入れなければなりませんが、それでは攻撃もできないし、見たところそんなスペースもない。となると、あなたの素の力ですか」
雨竜が仕掛けた。一気に踏み込むと、藤花の足に向かって回し蹴りを放つ。
それを藤花は剣で受けたが、またしても硬質な金属音が鳴り響いた。雨竜の足は、確かに金属音を発している。
雨竜は猛攻を始めた。前蹴りが藤花の剣と真っ向から行き交ったかと思うと、次の瞬間に逆の足で剣を持つ藤花の手を狙う。剣を地面に向かって下ろして回避した藤花に、更に踏み込み、後ろ回しの真っ直ぐな蹴り。藤花は身をそらしてやり過ごしたが、そこに突っ込む勢いを利用して肘をひっかけるように放たれる。藤花は背中をそらしてなんとか避け、苦し紛れにクワでも振り上げるように剣を振るったが、その時には既に雨竜はいなくなっていた。
雨竜は姿勢をなんとか取り戻そうとする藤花を尻面に、獲物を狙う狼のように、じりじりと円を描くように歩いていた。
少し苦しい感じの微笑を浮かべつつ、藤花は再度口を開いた。
「ずいぶん身のこなしがいいですね。やっぱ本業は軍人か何かでしたか。あらかた唯さんの護衛とかですかね」
雨竜の本業? 軍人? どういうことか。
藤花の視線がぱっと歩に向いてきた。微笑をにやりと歪め、藤花は続けた。
「歩君が驚いているようですよ、雨竜先生。説明されてはいかがですか?」
「幼竜殺しは随分と多弁なんだな。闇に紛れて不意打ちしかしないあたり、じめじめした根暗だと思ってたんだが」
そう言いながら、雨竜はじりじりと藤花ににじり寄り始める。雨竜は背を向けて闘っているため、歩に顔を覗うことはできないが、声に少し怒気が混じっている。
藤花はどこか嬉しそうに答えた。
「軍人さんは黙って動くのが美徳ですけど、私は違いますから。唯さん本人にも言わずに勝手に護衛するために、教師になるなんて、それはそれで泣ける話だと思いますよ」
「ただの任務のどこに泣ける要素があるんだ」
「あら、答えてくれましたね」
雨竜のにじり寄る動きが、一瞬びくりと止まった。すぐに動きだしたが、それは歩でも見てとれる動揺だった。
「図星。人は核心をつかれると、どうしても表に出してしまう。特に当人の精神状態が安定していないときは」
雨竜が仕掛けたが、これまでとは少し様相が変わっていた。
雨竜の足が襲い掛かる前に、剣が先に振るわれていた。自然、雨竜は受けるしかなく、攻撃は中断される。
そこから藤花は小刻みに剣を振るい始めた。小刻みに結界を張るかのように、繰り出される剣戟に、雨竜は攻め入ることができなくなっていた。射程に勝る相手にこう動かれると、雨竜としては何もできない。
剣戟の隙間を縫うように、藤花は語りかけを続ける。
「護衛。良い話じゃないですか。なのにどうして、そんなに辛そうなんです? 影から守っていた、ってだけなら、経緯はどうあれ美談じゃないですか。失敗しましたが、そんなに落ち込まなくていいと思いますよ? 唯さんが襲われて以来、ずいぶんと思いつめていたようですが」
雨竜は答えず、じっと藤花を狙い続けている。隙を見せないか、その隙をつけないか。
しかしその時はなかなか訪れようとしない。歩でもその位はわかった。藤花の動きは、完成されていた。
「そこで、考えました。雨竜先生は実は後ろめたい事情も隠してたんじゃないかと。たとえば、私が幼竜殺しだという疑いを持って、私の監視任務も同時に行っていたとか。なのに、唯さんを守り切れなかったとか」
雨竜の動きがまた揺らいだ。先程よりも大きい。歩にも見て分かる位の隙だ。
歩がそう考えたときには、藤花は動いていた。
剣を鋭く振るったかと思うと、更に一歩踏み込み、雨竜の腹に前蹴りを放った。それまでとは速さの質が違った。いわばこれまでの動きはこのための布石だったのだ。
雨竜はそれを真っ向から受けてしまった。通常時の雨竜なら受け切れてもおかしくなかった。しかし剣を振り払おうとしたその動作は、どこか緩慢だった。剣をなんとか弾いたところまではよかったが、藤花の前蹴りをまともにお腹に受けてしまった。
雨竜は膝から崩れ落ちた。よほどひどいところに入ったのか、立ち上がれそうな気配はまるでない。
そのとき、後方からずどん、と大きな音がした。同時に、サコンの尾が大きく揺れた。
振り向くとサコンの身体に、直接ユウが体当たりをしていた。例の円は展開されていたが、ユウはそれを貫き、サコンの身体に直接攻撃を与えている。白い軌跡がサコンに当たる度、大きな音を上げ、サコンの身体が揺れる。
サコンは生身でもユウを受けようとしていたが、その動きは緩慢だった。
「講義です。機械族の弱点は何ですか?」
機械族。強力な膂力と固い装甲を持つ上、レーダー等の他にはない特殊能力を持つ。燃費の悪さや耐久性の低い内部構造など、デリケートなところがたまに傷だが、天使、悪魔族を並んでB級に分類される強力なパートナー。
燃費の悪さ。それが今のサコンの窮状の原因だ。絶えず攻められ続け、あの円の展開を強いられ続けた結果、サコンの燃料は尽きてしまったのだ。
そこで更に歩は気付いた。強力な装甲、耐久力の低い内部構造。そしてパートナー。
それらが示すのは、雨竜の戦いぶりだ。
「気付いたようですね」
藤花は歩に話しかけてきたようだが、歩は何も返せなかった。ただサコンの声にならないうめきを、感じるしかできなかった。
声は更に続いた。
「雨竜先生が直接剣とやりあえていたのは、パートナー由来の体構造にあります。おそらく、別に金属片も身体に仕込んでいたのでしょうが、もともと雨竜先生の身体は物理的に固い。だからこそ剣と正面からやり合うこともできた。
しかし、パートナーからの影響は弱点にも及びます。前蹴りを腹に一撃くらっただけで、いまもうずくまっているのは、内部構造が、つまり内臓が衝撃に弱いから。動きが鈍くなっていたのも、燃費の悪さ由来の体力の無さもあるのでしょう」
雨竜に視線を合わせる。
いつの間にか顔を上げ、藤花を睨みつけてはいたが、うずくまったままほとんど動いていない。もろに前蹴りを喰らったからといって、今も動けていないのは、雨竜が痛みに弱いからではない。単純にもろいからだ。
サコンの右足が浮いた。それまで地に根を張ったように、揺れても動かなかった機械竜が、倒れる寸前まで来ているのだ。歩はイレイネが張り付いたままのみゆきを抱え、身体を投げ出した。一応藤花の警戒もしていたが、動く気配はなかった。
ずしんと音をたてて、サコンが倒れるのが見えた。そしてその上にユウが飛び乗り、尾を伸ばして、サコンに赤い軌跡を描くのをただ見ていた。サコンは音を立てながら、ばらばらになった。
ユウはサコンを解体し終えると、トコトコとこちらに歩いてきた。今度は歩達かと思って身をかまえたが、ユウはまっすぐ藤花の傍まで行くと、その隣に腰を下ろした。
藤花はその背を撫でた。その姿は、学校で何度も見た、担任の姿だった。