「歩君、さすがに危ないですよ」
「大丈夫ですよ」
陽は完全に落ち、辺りは真っ暗になっていた。歩の持っていた電灯がなければ、こうして歩くこともままならないだろう。
歩に連れて行かれた先は、近くにある森だった。
その森は商店街を抜けてすぐにあり、気軽に入っていけるようになっている。人の手が入っているおかげで、小振りな樹木がほどよく並び、足元は多少の起伏はあるものの、意図的に残された部分を除いて、芝生程度の雑草しか残っていない。魔物もほとんどいないため、昼はやんちゃな小学生達の遊び場に、夜はお金のない男女の大人の遊び場になっている。
しかし、それらは一定の区域までで終わる。その先に進むと、光景が一変する。一気に木々は太くて高いものに変わり、居並ぶ密度も上がる。木のない場所には雑草が鬱蒼と茂り、濃密な青臭い匂いと湿気を漂わせていた。
「こんなところに行きたいところがあるんですか?」
「ええ。少し用事がありまして」
藤花の足元には雑草が足首位まで伸びている。今歩いている道は、元は馬車が行き交う道路だったようで、木々が一本もない。かなり広い幅に雑草だけが生えた道が、延々と続いている。時折、野生動物のものらしき糞が転がっている以外、雑草だけが広がっていた。
アーサーを肩に乗せた歩は、その道をしっかりと踏みしめ歩いていた。足首程度の雑草でも、実際歩くとかなりの負担になるのだが、歩は最初からしっかりと一定のペースを保って進んでいる。かなり体力がある証拠だ。
しかしどこに行こうとしているのか。幼竜殺しに狙われているかもしれない状況で、人気のない森の中に進んでいくとは、危機感が薄いというより、もはや頭のネジが外れているように思える。
仕方がなく、藤花は前を行く歩を強く呼びとめた。
「歩君、どこに行くつもりですか? これ以上は危険ではないですか? 帰りましょう」
歩は振り返らず、答えてきた。
「もう少しなので、お願いします。もう三分もかかりませんから」
「十分前に、後十分って言ってませんでしたっけ?」
「すみません、あのときは後十五分位かな、と思って言いました。けど藤花先生の健脚のおかげで、予定より速く着きそうです」
藤花は、はぁと息を漏らした。平然と歩く足元のパートナー、ユウを見ると、真っ暗な周囲を淡く照らしている。
「懐中電灯を二本もってた位です。もともと連れてくるつもりだったんでしょう?」
「すみません、どうしてもやらなければならないことなので」
「その様子だと、何をと聞いても答えないですね」
「申し訳ないです」
歩の意思は固い。護衛として、教師としての自分は、いますぐ首根っこを捕まえて家に連れ帰れと言っていたが、藤花はしなかった。
今度は歩の言った通り、三分後に着いた。
そこは雑草まみれの道のつきあたりにある、広場だった。
それまでの道と同じように、足元は雑草が生えていたが、ところどころ大きな切り株が残っていた。その内、いくつかは芽が生えている。
その広場を囲むように、円形の掘りがあった。右奥に川があり、そこと繋がっているようだ。逆方向を向くと、そちらにも川があった。川の一部を変形して作っているのだ。
「あの道過ぎた先に、こんなところがあるなんて」
「もともとは国立公園作る予定だったみたいですよ。途中で頓挫して、こんな感じになっちゃったみたいです」
何故こんなところに作ろうとおもったのか、疑問に思ったが、あるものはあるのだ。それよりも、優先すべきことがある。
歩は堀に渡された橋を越え、近くの切り株に座った。歩が腰かけたところで、アーサーは宙に飛に、歩の座った同じ切り株に腰を下ろした。
藤花は近寄って行くと、声をかけた。
「それで、どうしました?」
歩が藤花の目を見て言った。その瞳には深みがあった。
「先生、雨竜先生のことをどう思いますか?」
雨竜? どういうことだろう。
「いい教師だ、と思いますけど」
「そういうことじゃありません。あの人、あやしくないですか?」
藤花は眉をしかめた。何を言い出すのだろう。
「あやしいとは?」
「この前の貴族が来た時とか、かなりぞんざいな扱いしてたじゃないですか。それに俺達と唯達がやった模擬戦のときに、暴走するキヨモリを俺に任せろとかも。普通の教師がそんなことできますかね?」
「雨竜先生は有能ですから、あり得なくもないと思いますが」
「いや、おかしいです。唯に聞くと、キヨモリとも戦えるとか言ってたし」
歩の顔は真剣だった。真っ直ぐに藤花の目を見つめてきている。まだ若く、屈折したことのない、怖さを知らない目をしている。置かれた状況からしたら、羨ましくなるほどいい目をしている。
それだけに、藤花も真剣に答えた。
「それで歩君は雨竜先生をどんな存在だと思っているのですか?」
歩は藤花の目を見て言った。
「幼竜殺しではないか、と思っています」
驚いたが、それを顔に出さず、重ねて尋ねた。
「何を根拠に?」
「まず、これしかないというタイミングで、唯達を襲ったことです。あまりにもタイミングが良すぎるのではないか、と思いました。あのときを逃したら、以降は学校の保護のもと、当分はまともに外出できなくなります。唯達の近くにいないと、無理ではないかと」
「他にはある?」
「雨竜先生ならば、竜も狩れるのじゃないかと。雨竜先生自体、ものすごく強いなら、まだ見ぬパートナーも相当なものじゃないのかと。先生、見たことあります?」
藤花は首を振った。雨竜のパートナーは病気だとかいう理由で、一度も表に出てきたことがない。年の近い教師が尋ねたこともあるらしいが、雨竜は決して見せようとしなかったらしい。
不自然なことだが、校長も何も言わない以上、どうしようもない。
「どちらにしろ、一番怪しいのは雨竜先生ではないかと」
歩はそう言い終えると黙った。藤花が口を開くのを待っているようだ。
藤花は歩の期待に応えた。
「二、三疑問は残ります。何故唯さんを殺さなかったのか、とかですね」
「そこは俺達も疑問に思っています」
「答えは出ましたか?」
歩は首を振った。
俺達、と言う言葉を聞いて、アーサーが何も言ってこないことに気付いた。こういうとき、率先して口を開くのはアーサーで、歩はどちらかというと仲立ちのような役割をしていた。どんな心境の変化があったのだろうか。
疑問をひとまず置いて、藤花は続けた。
「それで、どうするつもりですか?」
「俺達を餌に、雨竜先生を誘ってみようと思っています。藤花先生をここまで連れてきたみたいな、こんな感じで」
「私は何をすればいいんですか?」
「雨竜先生に話を通してほしいんです。俺が呼んでいると」
藤花はそこで黙った。
考えれば考えるほど、粗が見える計画だ。学生らしいといえばそうなのかもしれないが、仮に雨竜が幼竜殺しだとして、正体を現すのか。その場合はどうするのか。万が一、それで正体を現したとしても、捕まえることができるのか。釣りの餌が、そのまま食われたらただの寄付だ。まるで意味がない。
しかし藤花はゆっくりと頷いた。
歩の顔がほっと安らいだ。
「よかった。どうなることかと思ってたんですよ」
「まあ普通は受けないですよね」
歩は笑った。無理な行動だと、薄々感づいているのかもしれない。しかしもうはじめた以上、最後までやりとおすつもりなのだ。
そのとき、強い風が吹いた。森がざわめき、藤花の髪が散らされた。年中緑色に色づいたままの葉っぱが、いくつも風に飛ばされてきた。
「じゃあ受けたついでに、質問してもいいですか?」
「どうぞ」
「それだけを言うならどうして私をここに連れてきたんですか?」
歩は少し申し訳なさそうに笑みを浮かべた。
「実は藤花先生も少し怪しいと思ってたんですよ。それで本番用の練習も兼ねて、こうして隙を見せたと。この状況って、もし藤花先生が幼竜殺しなら、犯行が可能じゃないですか。誰もいない、人気の少ない空間ですし」
なんだか呆れた。色々無鉄砲な話だし、当事者の藤花からしたら悲しい話でもある。
「それは悲しい話ですね」
「すみません。それも杞憂で終わってよかったです。では帰りましょうか」
歩は頭を掻きながら立ち上がると、アーサーが肩に飛び乗るのを待ってから歩きだした。
藤花の横を過ぎ、掘りを越える橋のあたりまで進んだ。
そこでは藤花は聞こえないよう、本当に小さな声で呟いた。
「本当、悲しい話です」