「なんだあれは! クズに負ける竜など、竜ではない! とんだ無駄足ではないか!」
ハンス=バーレは憤慨していた。
わざわざ全国七位の実力を持つ彼が足を運んだというのに、そこにいたのは竜と名乗るのもおこがましいクズと、そのクズに負けるただの木偶の坊だったからだ。
会場で木偶の坊が暴走したところで、ハンスはその場を離れようとした。力とは己の意思のもとにおけて初めて価値がある。主の指示を無視して好き勝手に暴れまわるなど、竜どころかパートナーとしても問題外だ。
その場を離れようとパートナーの背に乗り、飛び上がった。そしてそのまま帰ろうとしたとき、更に問題の光景が目に入ってきた。木偶の坊が人にやられたのだ。
竜が人に負けるなど、あってはならない。名目上、相手が竜使いであったとはいえ、パートナーは竜とは名ばかりのE級生物である。そんなものは竜使いとは呼べない。
またがった己のパートナーを見る。
ハンスが乗ってもびくともせず、空を悠々と飛ぶ翼竜。全国七位の空戦能力を持つ竜。勇壮に翼をはためかせ、大空を駆ける王の中の王。その竜に手綱と鞍をつけ、その上にまたがっている人。
――これこそ竜なのだ。
あのような雑種とは違う。あれは全くの別物。竜とは特別な存在なのだ。
今もそうだ。この広い大空を飛んでいるのはハンスとミッヒだけ。いわば空を占有している状態だ。これは幼竜殺しが出現したため、周辺一帯を飛行禁止にしているからだ。
だが竜には、ハンスには関係ない。幼竜殺しだろうとなんだろうと、負けるはずがないのだ。殺された竜など、竜ではない幼竜。ハンスは違う。証拠として、申請すれば簡単に飛行許可をもらえた。特別なのだ、竜は。
ただ一人で空を占有する気分に浸っている内に、少しだけ溜飲が下がってきた。そうだ、あれらは竜ではない。我こそが竜なのだ。
そうして悦にひたっていたが、すぐにその時間は終わった。正面になにやら飛行する物体が見えた。自分の庭が汚された気がして、途端に眉をしかめる。
よく見えないが、相手は大きな翼ではばたいて飛行している。竜ではないし、悪魔や天使、機械族でもない、完全な雑種だ。大きさは先程の木偶の坊と同じ位か、かなり大きめだ。
なんにしろ飛行許可を得ていないものだろう。舌うちをしながら、喉を張り上げた。
「そこの貴様! 何をしている! ここは飛行禁止である! ただちに飛行を辞め、警察に出頭せよ! 命令に従わないのなら、この私が叩き潰すぞ!」
正面の影は序々に大きくなっているが、まるで動く様子がない。竜相手に喧嘩を売っているのか。なんたる不遜だ。
野良の魔物かとも思ったが、背中にはその主人と思しき姿がある。マントを全身に巻きつけており、顔どころか髪すらも見えないのだが、大きさや影の形からしておそらく人であろう。それも不遜極まりない。
「よかろう! ならば私が直々に相手をしてやる! 五体満足で帰れると思うなよ!」
鞭を入れ、ミッヒに空戦へと移らせる。ハンスも腰の剣を抜き、気合を入れた。
相手の姿がはっきりと見え始める。その姿はどこか竜に似ていたが、違う。翼や体型は少しらしいが、頭は全くの別物で、獅子に似ていた。
足元で流れる景色が加速する。耳元であばれはじめた風がうなりをあげ、ハンスの身体を宙に投げ出そうと襲い掛かってくる。
それらを無視し、迫った不埒者に合わせるように剣を振り下ろした。
爪が、牙が、そして剣が交わされた。ハンスの剣に手応えはなかった。背中に乗った主と思しき人物を狙ったのだが、上手くかわされたようだ。振り返ってみたが、獅子もどきのほうも壮健そのもの。ミッヒも不発だったようだ。
手綱を操り、ミッヒを獅子もどきに向かせる。久々の戦のせいかミッヒの反応が鈍いため、少し旋回に時間がかかったが、後方を向いた時には獅子もどきもこちらを向いていた。戦う気だ。
逃げる獅子もどきを追うのも一興かと思っていたが、正面勝負のほうがいいに決まっている。内心喜びながら、軽く腰を浮かし、再度の交錯にそなえる。
獅子もどきが目の前に迫り、剣を振り上げた瞬間、視界が赤い炎で包まれた。
炎が全身を舐める、と思った直後、足元がぐらつき身体の態勢が崩れる。足場になっているミッヒが落下しはじめていたのだ。先程交錯した際、なにかされていたのか。
ちっと舌うちをして重心を下げ、パートナーの身体に張り付かせる。炎が周囲を満たしていたが、竜使いたるものこの程度の炎はぬるま湯にすぎない。
炎の嵐から抜け落ち、空が見えた。しかしそこに何か赤黒い液体が舞っていた。
なんだ、と思い手を伸ばす。
冷たい感触がつき手を引っ込めようとしたとき、その手がぐらりとゆらめいて見えた。続いて平衡感覚も消え失せ、視界が白濁する。間際に鉄臭い匂いをかぎとった後、嗅覚も消えた。思考もどんどん遅くなる。
己の体調の異変を、ようやく理解した。赤黒い液体は血だ。宙を舞っている血液の量は、ハンスの全身からしぼりとったものより多そうだ。
そして自分自身の体調の変調。自分自身、全く痛みがないのに全身が消えていくような感覚。
おそらく、これは、パートナー死。命が、リンクした人と、パートナーの、一心同体と、呼ばれる、一番の、理由。
ミッヒが、やられた。竜が。
や、ら、れ――