歩達は教室に戻り、帰途についた。護衛として雨竜も同行した。
みゆきとも途中まで一緒で、互いの明日の健闘を祈りながら別れた。
家の前で雨竜と分かれ中に入ると、足早に風呂に入ってから夕食。類は残業で今日帰らないことを聞いていたので、冷蔵庫の中に作ってくれていたものを温めて食べた。明日の模擬戦に来られるように今日残業をしているらしいが、少し本末転倒ではなかろうか。
アーサーと食器の後片付けを終えたところで、明日の準備をする。
必要なのはもらったばかりの晴れ着と、武器。いつもは学校に置きっぱなしだが、今日は持って帰って整備するようになっているからだ。
分解していた穂先をつけ、棍を槍へと変貌させる。鋭い音をたてて刃は所定の位置におさまった。それから軽く振るってみて、何かおかしな動作をしないことを確認。それから再び外した。
華々しい学期末模擬戦とはいえ、やはり刃物は使えない。なんとなく槍として整備したが、残念ながら使えない。この穂先が活躍する日は来るのだろうか。
歩が槍を調整する間、ア―サーは半ば眠ったように、専用の籠に身を埋めていた。夕食を終えた後、いつもアーサーは横になるが、眠りについていることは少ない。話しかければすぐに返答が来る。本人いわく、食後の瞑想だそうだ。おそらく今もそうなのだろう。
ひとまず明日の準備を済ませようと、貰った晴れ着を着てみることにした。
いつも着る模擬戦服と同じように身に着け、その上からジャケットを羽織ってみた。案外動きやすい。大仰な見た目とは裏腹に、動きの邪魔をしない。伊達に特別扱いされてないといった感じか。
「アーサー、どう思う?」
「豚に真珠、馬子にも衣装、役不足、好きなのを選べ」
「お前はどう思った?」
「全部だ」
「ひでえな」
薄らと目を開けたアーサーの口から、手厳しい言葉が飛んできた。余り腹が立たないのは、自分でも格好と実情があっていない気がするからだろう。
明日の学期末模擬戦はただの模擬戦ではない。教育委員会、企業、大学などから多くのお偉いさんが観戦しにやって来て、目に止まった人物をスカウトするのが目的だ。ここでの印象は一生を左右する可能性が高く、皆一様に気合が入っている。
ただ、歩は余り興味が持てなかった。
もうそういったものを中学時代に捨ててしまった気がする。
「どうした、明日のことが気がかりか?」
顔に出てしまっていたのか、アーサーに声をかけられた。
「うんにゃ、別に」
「覇気がない。晴れの舞台を前にして、明日は重要な一日であろうに」
「俺は日々過ごすだけで精一杯なの」
アーサーが生まれたばかりのころは、歩も人並みかそれ以上に将来に期待を持っていた。なにしろ竜使いになったのだ。しかもアーサーはインテリジェンスドラゴンと呼ばれる知恵のある竜であり、世界のヒエラルキーの頂点に君臨できる可能性すらあった。
しかし、半年がたつ頃には消えた。アーサーはほとんど成長せず、竜としての膂力を発揮できそうにもなかった。となると後に残るのは周囲の失笑の視線と、竜使いとしての歩にとっては有難く無い特権の数々。有難いはずの特権も、逆効果にしかならなかった。模擬戦での特別扱いなどはそれの最たるものだ。今度の模擬戦でも、なまじアーサーが竜であるからと、本物の竜であるキヨモリの相手をさせられるようになったのだ。泣くしかない。
ときどき自分でも悲観的すぎるとは思う。だが一度期待を抱いた分、消えさってしまった後の失望感は尋常ではなかった。下手な希望など思い浮かべるだけ馬鹿らしいのだ。
ア―サーは言った。
「やる気を出せ。馬鹿はおいといて、良き戦はしたかろう?」
「やる気出してもできることできないことあるだろ」
「我はお前を買っているのだぞ? みゆきも高く評価している」
「みゆきは身内。あいつは俺にもお前にも甘いだろ」
ふとアーサーが籠から飛び出てきた。立ったままの歩の頭と同じ位まで飛び上がり、目線を合わせてくる。
「なにはともあれ、明日は勝つぞ。あの小生意気なチビと雌雄を決するのだ」
「つってもねえ」
相手を思い浮かべる。
本物の竜とそのパートナー、キヨモリと唯。
勝てる見込みは少ない。
「何を情けない顔を」
「相手竜じゃん」
「我もそうだろう」
「……明日ははれるといいなー」
適当に流したところで、ジャケットを脱ぎ始める。もうそろそろ寝る時間だ。
脱いだジャケットを適当にたたんだ後、腰をおろしてブーツを脱ぎはじめたところ、アーサーが提案してきた。
「歩、賭けをせぬか?」
「賭け?」
聞き返すと、アーサーは大仰に頷きながら返してきた。
「うむ、賭けだ。明日、いつもより働いたほうが相手になんでもおごる」
「なんだそれ。どうやって決めるんだよ。そもそもお前、金あるのか? 飲み食いしすぎて残ってないんじゃないか?」
ずいぶん大雑把な賭けだ。どうやって勝敗を決めるんだろうか。それに奢ると言っても、アーサーは類からもらったこづかいをノータイムで使いきる輩だ。宵越しの銭は持たない主義らしいがそれでどう賭けをするのか。
「ふん、我もいざというときのために残しておるわ。ほれ、あれを見よ」
アーサーが指したさきには、ちびた猫の置物があった。背中に何やら細長い穴があいてあるのが見える。
「貯金箱?」
「類に言われて、小銭を入れていたのだ。我が生まれてから一度も開いておらぬ」
「知らなかった」
「黙っていたからな。切り札は秘密裏に最後まで取っておいてこそだ」
得意満面の笑みを浮かべるアーサーになんかいらっときた。
「軍資金はいいとして、じゃあどうやって勝敗きめるんだ? 誰かに頼むか?」
「基本は我とお前の合議、そうでなければ、みゆき、類、それと慎一の多数決でどうだ?」
こんな抽象的な内容だと、アーサーと歩では決まらない。となると残りの多数決。何かと歩にきびしい類はアーサー寄りになるかもしれないが、みゆきと慎一は公平な案を出してくれそうだ。実際に戦うのは歩で、アーサーは基本指示のみ。ならば頑張りようがあるのは歩のほうだ。分は悪くない。
「乗った」
「言ったな。後で吠え面かいても知らんぞ」
「お前こそ」
誓約書の作成に取り掛かる。適当に書きなぐり、交互に名前を書いた。抱きかかえるような態勢で、ペンを両腕で掴んで書くアーサーの字は相変わらずダイナミックだ。
最後に誓約書の上で握手をする。アーサーのチビた手を握ると、すこしだけ明日が楽しみになってきた。