「ん………」
「あ、起きられましたか、啓太さん?」
目を覚ますと同時にそんな聞き慣れた声が俺に向かって掛けられてくる。目をこすりながら改めて視線を向けるとそこにはいつもと変わらない割烹着とエプロン姿のなでしこがいる。だが違うところがあるとすればここが家ではなく電車の中だということ。
「悪い、ちょっと寝ちまってたみたいだ」
「構いませんよ、まだ駅までは時間がありますから」
なでしこは気にした風もなくいつも通りの微笑みを浮かべている。だが心なしかいつもより機嫌は良さそうだ。もっともなでしこが機嫌が悪いことはめったにないのだが……とそれは置いておいて、俺たちは今、電車に乗ってある場所へと向かっている。そこは大道寺とよばれるお寺。先日はけから頼まれた依頼を受けるためだ。俺が住んでいる場所からは距離があったため電車を利用していたのがつい居眠りをしてしまっていたらしい。だが懐かしい夢を見ていたような気がする。
四年前の儀式、なでしこと初めて出会った日のこと。きっとあの裏山と似た風景が電車から見えたのがその理由だろう。なでしこもどうやら同じことを感じているのか窓からどこか懐かしそうに風景を眺めている。
うーん、やっぱり山が恋しくなることもあるのだろうか? まあ長い間暮らしてた場所だしな……俺も何度か里帰りを勧めたことがある。いくらなでしことはいえ休暇は必要だと思ったからだ。だが
『ここがわたしの家ですから』
そんな男の母性本能、ではなかった父性本能? をくすぐる言葉を口にしながら断るだけ。その破壊力は推して知るべし。なでしこは天然っぽい所があるのか思わぬところで顔面右ストレート級の発言をするので油断できない。もしこれが計算づくなのだとしたら俺は既に引き返せないレベルまでその策略に落ちてしまっていることになるのだろう。まあそんな冗談はこのぐらいにして……ともかくなでしこは俺の犬神になって以来、一度も山には戻っていない。それどころかばあちゃん、宗家がいる屋敷へ行ったこともない。ばあちゃんに会うときは何故か俺一人だけ。流石に気になり何度か理由を聞いたことがあるが
『わたしが行くと宗家様とゆっくりできないでしょうから』
そうよく分からない理由を答えるだけ。それ以上聞いてもなでしこは笑って誤魔化すだけ。だがなでしことばあちゃんの仲が悪いわけではない。はけもそれは同じ。それなのに何故なでしこがそんなことをしているのかが俺の中の七不思議のひとつだ。
「でも啓太さん、本当によかったんですか? わたしがお仕事に付いてきても……」
「ん? あ、ああ! 当たり前だろ、なでしこは俺の犬神なんだから!」
なでしこの言葉に慌てながらも何とか答える。いかんいかん、余計なことばかり考えてしまっていたらしい。なでしこはそんな俺の姿を見てどこか心配そうな表情を見せている。その理由もまあだいたい想像はつく。なでしこは戦うことができない。それがなでしこが引け目を感じている原因。もっともそんなことは契約時から分かっていたことなのだがなでしこはどうやらまだ気にしているらしい。最近もそんな気配をちらほら感じた。そこで気分転換を兼ねてこうしてなでしこと一緒に仕事に向かっているというわけだ。まあ憑き物といってもそう大したことはないだろう。ま、いつも家にいたんじゃ気も沈むだろうし、なでしこはこうでもしないとどこかへ遊びに行くこともないので仕方ない。だが
「ふふっ、じゃあお供させてもらいますね、啓太さん」
「あ、ああ……よろしく頼む……」
そんなこちらの胸中などお見通しとばかりになでしこは告げる。自分を信頼しきっている、信じ切っているその姿に俺は身惚れながらも凄まじい罪悪感に襲われる。なでしこの気分転換、それが今回の依頼を受けた理由。それも間違いではない。だがそれ以上に俺を駆り立てるものがあった。
温泉。それが目的地の近くにあったから。しかも混浴、そう混浴! 大事なことなので二度言ってしまったがそれが一番の理由。依頼をこなした後に自然な流れでそこへ行くことが俺の真の目的。そしてそのまま旅館でしっぽりと……ではなかった、ゆっくりと過ごす。そんなプラン。だがなでしこはそんなこととは露知らずにこにこと俺に微笑みかけている。
その純粋な姿に後ろめたさを感じ、冷や汗を流しながらも俺たちは目的地、大道寺へと向かうのだった――――――
「よく来てくださいました、犬神使い殿」
そんな老人の、住職の言葉によって俺たちは迎えられる。本当なら笑顔でそれに応えたいところなのだが俺の顔は引きつってしまっている。それは住職の姿。長い白髭を除けば普通の住職なのだろうがその姿が異常だった。頭は何故か包帯でぐるぐる巻きになっており、その手には無数の絆創膏が張られている。その表情は疲れ切っており、疲労困憊と言ったところ。明らかに普通ではない。それに合わせるように寺の外は薄暗い雲と雨によって覆われ、時折雷の音が響き渡っている。どこか不気味な、おどろおどろしい雰囲気が俺たちの周りを支配している。
「啓太さん……」
なでしこはどこか怯えたような、不安そうな様子で俺に寄り添っている。本当ならその状況にキター! とでも喜ぶところなのだがそんな余裕すらない。俺となでしこの視線は住職ではなくその後ろにある扉の様なものに向けられている。そこから
カリ……カリ……
そんな何かで扉を引っ掻いているような音が聞こえてくる。まるで爪か何かで引っ掻いているような……ホラー映画顔負けの光景がそこにはある。だが住職はそれに気づきながらもどこか気まずそうに黙り込んだまま。しばらく長い沈黙が俺たちの間に流れる。だがいつまでもこうしているわけにもいかない。俺は犬神使いとしてここに来たのだから。そしてこの後俺には為さなければならないことがあるのだから。
「住職、俺達、ここに来るまでに苦労しました……何であんなに付近の人達に嫌われてるんですか……?」
俺はそう単刀直入に尋ねる。ここに来るまでに俺たちは付近の人に道を尋ねてきた。だがこの寺の名前を出した途端、凄まじい剣幕で怒鳴られ、追いかけ回されてしまった。さながら親の仇でもあるかのように。俺はなでしこを抱えながら何とかここまで逃げてきた形。まあ役得ではあったのだが……
「散歩がどうしても必要でして……近隣の衆には申し訳ないことをしました……」
どこかかすれるような声で住職はそう答える。だがその答えは全く答えになっていない。意味が分からない、伝わらないようなもの。俺となでしこは顔を見合わせることしかできない。どういう意味なのだろうか。そんな俺たちの様子を見て取った住職が意を決して何かを口にしようとした瞬間、一際大きな音が扉から響き渡る。それも何度も。まるで扉をこじ開けようとするかのような――――――
「あんどれあのふ、ダメじゃ―――――!!」
瞬間、時間が止まった。
マッチョだった。凄まじいマッチョだった。あえてもう一度言おう、マッチョだった。
しかもただマッチョではない。頭はスキンヘッド、しかもフンドシを身に付けた若い男。だがそれだけならまだ良かった。だが男は普通ではなかった。何故か四つん這いでそこにいる。そう、まるで犬のように―――――
次の瞬間、俺は床に押し倒されていた。もちろんその大男によって。その姿、そして力によって抗うこともできない。悲鳴を上げる暇もなく俺は大男にされるがまま。その舌によって舐めまわされ、そのたくましい腕と脚によってもみくちゃにされていく。誰かの声が聞こえてくるけどそれも上手く聞き取れない………
あれ? 俺何でこんなところにいるんだっけ……? ああ、でもほんとにすげえ筋肉だな……どんなに鍛えたらこんなになるんだ? でも知らなかったけど筋肉って結構手触りいいんだな。女の子とは違うけどこれはこれでいいかも……そういえば昔、俺もマッチョに憧れて鍛えようとしてたことがあったっけ……もっとも、なでしこにいい格好をしたいと思ったのがきっかけだったけど。でも結局断念したんだよな……あんまり筋肉つけすぎると身長が伸びないって言うから。それが本当なのかはわからないけど。あの頃はまだなでしこと背が変わらなかったから恥ずかしかったんだよな。今からでも鍛え直してみようかな。そうすれば俺もこの人みたいにマッチョに―――――
「あんどれあのふ、め―――――――!」
住職の声と共に大男、あんどれあのふは怒られたことに驚き、落ち込みながらとぼとぼと住職の元に帰って行く。まるで怒られてしまった子犬のように。後にはまるで抜け殻になってしまったかのような啓太が床に倒れ伏しているだけ。
「啓太さんっ! しっかりしてくださいっ! 啓太さんっ!」
「なでしこ……やっぱり俺、マッチョの方がいいかな……?」
「し、しっかり! 気をしっかり持って!」
なでしこは涙目になりながら啓太を抱き起こし、声をかけ続ける。啓太は目がうつろのまま訳が分からないことを口走っていたのだが次第に意識を取り戻していく。
………はっ!? お、俺は一体何を考えていたんだ!? 何だか開けてはいけない扉を開けようと、行ってはいけないところに足を踏み入れかけていたような気がする……あ、危ねえ……もう少し戻ってこれなくなるところだった……
「大丈夫ですか……啓太さん?」
「あ、ああ……あんまり大丈夫じゃないけど……」
何とか正気を取り戻し俺は改めてその光景を目にする。まるで犬のようにじゃれている大男とそれをなだめている住職。それはまるでこの世の物とは思えない程の異次元空間。流石のなでしこも引くことしかできていない。そして俺たちは住職から事の経緯を知らされる。
この寺、大道寺は犬供養を専門としておりペットブームも相まって栄えていたこと。しかし空手部の主将であるこの男が犬供養のための鎮魂岩を割ってしまったことで犬の霊に、魂に取り憑かれてしまったこと。
啓太となでしこはそれによっておおよその事情を悟る。確かにこんなフンドシ姿の大男が犬のように走りまわっては付近の人達も怒るに決まっている。さっきの散歩という言葉もそれが理由なのだろう。だがこれ以上被害を出すわけにはいかない。何よりもこれ以上自分の貞操を危険にさらすわけにはいかない。
「分かった……俺がきっちり引導くれてやる」
まるで地の底に響くような低い声を出しながら啓太はその手に蛙の消しゴムを構える。そこには一切の慈悲も容赦もない。まさに狩る者の姿。
「お、お待ちくださいっ! ち、違うんですじゃあ! わしは、わしはこのあんどれあのふをきちんと成仏させてほしいんですじゃあ!」
「成仏?」
「は、はい! この子は生前飼い主に遊んでもらえなかった子犬……どうかその無念を晴らしてやってほしいのです!」
子犬? こいつ子犬の霊だったのか……で、その無念を晴らす方法が一緒に遊ぶことってわけか……この大男と、マッチョとくんずほぐれつ、体を密着させながらさっきのように遊びまわるってわけか………………うん、ごめん、無理!
「白山名君の名において告げる……」
「お待ちくださいっ! どうか、どうかご慈悲を……!」
「やかましいっ! 俺にはこんなマッチョの男にかける情けなんかもっとらんわ!」
「男ではありません、子犬ですじゃ! 見てください! あんなに怯えたあんどれあのふの姿を!」
住職の言われるがままに俺はそこに目を向ける。そこにはうるんだ瞳で怯えるようにこちらを見ているあんどれあのふがいる。その姿に思わずひるんでしまう。確かにそこには子犬の霊がいた。
もっとも端から見ればマッチョの男が涙目になっているだけなのだが。
「啓太さん……」
どこか不安そうななでしこの声が聞こえてくる。その表情が俺の目に映る。それを前にしてこれ以上続けるわけにもいかない。なでしこがいなければ間違いなく、躊躇いなく成仏させたのだが仕方ない。だが正気のままこのあんどれあのふ(あえてマッチョとは触れない)と遊ぶことはできない。そんなことをすれば先程のように俺の精神に異常をきたしてしまう。ならば残された手は一つしかない。
「ふう………」
大きな深呼吸をしながら精神を集中させる。それはさながら精神統一。俺は身内フィルターと呼ばれる能力を持っている。それはなでしこを家族だと認識することで自分自身を自制させる能力。その応用を今、俺は為そうとしている。
あんどれあのふを子犬だと自分に思い込ませるために。
そう、あれは子犬なのだ。決してスキンヘッドでマッチョなフンドシ男ではない。
飼い主に遊んでもらえなかった可哀想な子犬。そう、子犬。
ならばそれを救うことは犬神使いの義務。今俺は犬神使いとしてここにいるのだから―――――――!!
自らへの洗脳を完了した啓太はまるでその合図のように脱ぎ捨てる。自らの服を。まるで邪魔なものを投げ捨てるようにあっさりと、一切の躊躇いもなく。後にはブリーフ一丁の啓太が仁王立ちしている。ドヤ顔を見せながら。もはや啓太の自制心は、常識は欠片も残ってはいなかった。
「おお! なんと!」
その光景に住職は歓声を上げる。住職は気づいていた。啓太の行動の意味。服を脱ぎ、裸になることであんどれあのふの警戒心を解こうとしているのだと。まるで未開の地の部族と接するかのように。もっとも啓太は本能で服を脱いだだけだったのが。ブリーフが残っていたことだけが啓太がまだ人である唯一の証だった。
なでしこは突然の事態に顔を真っ赤にしながらあたふたすることしかできない。当たり前だ。いきなり自分の主人が服を脱ぎ、ドヤ顔を晒しているのだから。もし誰かなら炎で焼き払いかねない光景がそこにはあった。
「来い、あんどれあのふ!!」
啓太の言葉と共にあんどれあのふが喜びの声を上げながら飛びついて行く。啓太はそれを優しくけ止めた後、スキンシップをし始める。あの胸を、頭を撫で、一緒に抱き合いながら床を転がり続けている。楽しそうな声を出しながらまるで子供のように啓太とあんどれあのふは遊んでいる。
「おお……何という労りと友愛……流石……流石ですじゃ! 犬神使い殿!!」
住職は歓喜の涙を流しながらその光景を見つめ続けている。住職の目には確かに映っていた。啓太と子犬が楽しそうに遊んでいる光景が、その微笑ましい光景が。これがきっとあんどれあのふが望んでいた夢だったのだと。なでしこはただその光景を見つめることしかできない。
確かに啓太さんは子犬であるあんどれあのふと遊んでいるのだろう。その仕草も犬と遊ぶためのそれ。まさに犬神使いの啓太さんだからこそできること。でも、どうしてもその光景を前にして顔を引きつかせることしかできない。そこには間違いなく裸の主人と筋肉質な大男が抱きつきあいながら転げまわっている光景がある。啓太さんが子犬の霊を救うために全てを捨てていることは分かる。でも、どうしても分からない。
何故裸になる必要があったのか。
そんな当たり前の疑問をなでしこが抱いた瞬間、突然、啓太とあんどれあのふの動きが止まる。いや、動きが止まったのはあんどれあのふだけ。
「あんどれあのふ……?」
どこか心ここに非ずといった風に啓太がその名を口にする。だがあんどれあのふはもうそこにはいなかった。そこには元のマッチョな男がいるだけ。そう、あんどれあのふはこの瞬間、満足し昇天したのだった。
「あんどれあのふ――――――!!」
啓太はあんどれあのふの体を抱きかかえながら絶叫する。
なんてことだ……もう、もう逝ってしまうなんて……もっと、もっと遊んでやりたかったのに……心残りがあっただろうに………
啓太は自らの心の純潔と引き換えにあんどれあのふを成仏させたのだった――――――
「ありがとうございました、犬神使い殿、流石ですじゃ……これであの子も悔いなく逝けたことでしょう」
「ああ………」
感動し号泣した住職の言葉をどこか引き気味に啓太は聞き続ける。もうすでに啓太は通常の状態に戻っている。ところどころ記憶があいまいだが思い出さない方がいいだろう。だが何故自分はパンツ一丁なのか。聞いてもなでしこは顔を赤くしたままで答えてはくれない。これ以上触れない方がいいだろう、互いのためにも。だがこれで依頼は完了した。そう安堵しかけた時
「これなら他の子たちもすぐに成仏できるはずですじゃ」
そんなヨクワカラナイ言葉を聞いてしまった。その理由を聞こうとした瞬間、先程あんどれあのふが出てきた扉から黒い影が次々に飛び出してくる。それは全てがマッチョな男たち。共通しているのは皆裸にフンドシ、そして犬の様な動きをしていると言うこと。
「実は主将の他に部員もおりまして……幸か不幸か部員も奉られていた犬も二十で数が合いましての」
住職の言葉に啓太の顔が絶望に染まる。それはつまり先程のあんどれあのふと同じ状態の男たちが十九人もいるということ。この数を前にしてどうすれば。自分は既に子犬フィルターを解除してしまっている。もう一度発動させるためには時間が必要だ。というかもう使いたくもない。しかし、ど、どうすれば―――――――
しかしその瞬間、驚愕が俺を襲う。それは犬達(あえてこう呼ばせてもらう)は俺を素通りしてしまったから。一体何故。だがその理由をすぐに悟る。何故なら
「なでしこ―――――!?」
犬たちは一斉になでしこに向かって襲いかかって行ってしまったから。予想外の事態に俺は反応が遅れる。なでしこもいきなりの事態に身動きができない。だめだ、ま、間に合わない! どうしようもない絶望に陥りかけたその時
「え?」
なでしこはどこか驚いたような声を漏らす。何とかなでしこを助けようとしていた俺も動きを止めてしまう。何故なら
犬たちはまるで順番を待つかのようになでしこの前でおすわりをしていたから。そう、まるで触ってもらうのを待っているかのように。それを感じ取ったなでしこがどこか恐る恐ると言った風に一匹の犬の頭を撫でる。するとその瞬間、その犬はまるで先程のあんどれあのふのように動かなくなってしまう。そう、その犬はなでしこに撫でてもらったことで昇天してしまったのだった。そしてそれはその犬だけではない。並んでいた犬たちもなでしこに撫でられることで次々に成仏していく。
「おお……何ということじゃ……あの子は女神さま……いや、観音様じゃ……!」
その光景に涙を、嗚咽を漏らしながら住職が感極まっている。住職の目には確かに見えた。少女の、なでしこの後ろから後光が差しているのが。その慈悲深い微笑みと共に迷える犬たちの魂を鎮めている姿が。
もっとも本当はどこか引き気味に、苦笑いしながらなでしこが空手部員たちを撫でているだけなのだが。
「は、はは………」
その光景に啓太は乾いた笑いを漏らすことしかできない。それは犬たちが成仏している理由を悟ったから。何のことはない、子犬たちは皆、オスだったということ。そしてなでしこは女性の犬神。自分と遊ぶことよりも可愛い女の子に触ってもらうことの方が犬たちにとっては嬉しかったと言うこと。ある意味で生物の真理。その証拠にあんなに時間をかけて一匹しか成仏できなかった自分とは違い、なでしこに撫でられた犬たちはすぐに昇天していく。身も蓋もない話だった。自分を捨てて、心の純潔さえも捧げたと言うのに………
まあ言いたいことは色々あるがとりあえずよしとしよう。あのままあの数の犬たちを相手にする必要が無くなったのだから。そしてついに最後の犬がこの世から去って行く。これで正真正銘依頼は完了。どうなる事かと思ったが何とかなった。なでしこに一緒に来てもらって本当に良かった。そんなことを考えていると
「あ、あの……」
そんななでしこの困惑したような声が聞こえてくる。いったいどうしたのか。ふとそこに目を向ける。そこには一人の男がなでしこに撫でてもらおうとするかのように座りこんでいる。だがもう既に犬たちは全て成仏したはず。まだ成仏しきれていない奴がいたのだろうか。そう思った瞬間、気づく。そう、そこには
犬のようになでしこに迫っている住職の姿があった。
「おい、あんた一体なにしてんだっ!?」
「おお、犬神使い殿! あなたもご一緒に! こんなチャンスはめったにありませんぞ!」
住職は一片の迷いなく、誇らしげに告げる。どうやら先程のなでしこの姿にやられてしまったらしい。だが端から見れば老人の住職が少女に触ってもらおうとしている異様な光景があるだけ。紛うことなきヘンタイだった。なでしこもどうしたらいいのか分からず涙目になっているだけ。
「白山名君の名において告げる……」
啓太は静かに告げる。その両手にありったけの蛙の消しゴムを握りながら
「蛙よ、爆砕せよ――――――!!」
その日、近隣の住民は寺から大きな花火の様な爆発音を聞いたという―――――――
「大丈夫ですか、啓太さん……?」
「ったく……とんでもない目にあったぜ……」
なでしこの心配そうな言葉に何とか疲労困憊ながらも応える。今、俺たちは帰りの電車の中。流石にあの後に温泉に行く元気はなかった。せっかくの機会だったが次までお預けだ。そんなことを考えているとなでしこはどこか楽しそうな笑みを浮かべている。まるで今日の出来事が楽しかったかのように。
「どうかしたのか、なでしこ?」
「いえ……でもよかったです。啓太さんの仕事のお役に立てて」
「あ、ああ……まじで助かったよ……」
それは心からの本音。もし俺だけだったならどうなっていたか想像もしたくない。そんな俺の姿を見ながらなでしこもどこか微笑ましく見守っている。どうやら気分転換という意味では成功したらしい。今度は依頼ではなく、旅行でも行くことにしよう。そのためにはもっと稼がなくてはいけないが。そんなことを考えながら俺となでしこの依頼は終わりを告げるのだった――――――――
「でも啓太さん……服を脱ぐのはやめてくださいね」
「………はい」