日も沈み、夜の姿へと変わりつつある街。だがその様子はいつもとは大きく異なっていた。それは炎。ライトアップではない光、炎によって街は照らされ人々は混乱の中にある。その理由を人々は知ることはできない。何故ならそれは人外、物の怪によって引き起こされた事態なのだから。故に人々は知らなかった。その上空。月明かりと星の輝きによって照らされている夜空で今まさに物の怪による争いが起こっていることを。
「じゃえん!」
長い髪をたなびかせながらようこはその人差し指を振るう。瞬間、人差し指から炎が生まれその指し示す方向に向かって放たれていく。それこそがようこの力の一つ。炎を生み出し、それを自在に操るその名に相応しい力。それは並みの妖怪なら一撃で倒してしまえる程のもの。それをようこは放つ。狙いは自分の一番近くにいる犬神、たゆね。だがたゆねはそれを前にしても怯むことなく宙を舞いながら紙一重のところで躱す。ようこはそのままたゆねが自分に向かって反撃してくるのを予想し楽しげな、挑発的な笑みを浮かべながら待ち続けるもたゆねはそんなようこを振り切るかのように背中を見せながら逃げ去っていく。たゆねだけではない。その周りにいる他の犬神たちも同じようにようこと一定の距離を取りながらも攻撃を仕掛けてくる気配がない。
「どうしたの!? もう尻尾を巻いて逃げるだけ!?」
ようこは速度を上げ、追いかけながらせんだん達に向かって声を上げる。さっきまでの意勢はどうしたのかと。侮蔑にも似た感情を込めた言葉を。だがそれが聞こえているにも関わらずせんだん達はそれまでと変わらずようこから逃げ続けているだけ。それが先程からのようことせんだん達序列隊のやりとり。
ようこはそんなせんだん達の予想外の行動、そして展開にいらだちながらも同時に訝しんでいた。あれだけの啖呵、言い争いを行った上でのこの状況。自らの主を侮辱された犬神達は怒りのままに自分に向かってくるのだとばかりようこは思っていた。せんだんやごきょうやならまだ分かる。だがたゆねやいまり、さよかまでそんな行動をしてくるなど想像していなかった。てっきりそのまま自分に向かって襲いかかって来るだろうと。そしてそれを返り討ちにしてやるつもりだったというのに。そんな自分の予想外の展開とたゆね達の姿にようこは怒りによって煮えたぎっていた頭が冷えていくのを感じ取る。それはケモノの本能。決して怒りが収まったわけではなく、ただ冷静に相手を、獲物を狩るものの思考。それによってようこはようやく悟る。せんだん達の不可解な行動、逃亡の意味を。
「そう……そういうことね」
どこかつまらなげにつぶやいた後、突如ようこがその場から姿を消してしまう。まるで消えてしまったかのように。その光景にこれまで何の反応も示さず、まるで作業のように動いていたせんだん達の動きに戸惑いが生じる。それはようこを見失ってしまったから。しゅくち。一定の距離のあるものを瞬間移動させることができるようこのもう一つの力。それはようこ自身ですら例外ではない。
「これでいいんでしょ? いつまでも鬼ごっこじゃつまんないし」
ようこは腕を組みながらせんだん達を見下ろすような位置に浮かんでいる。それはせんだん達が逃げようとしていた、いや誘導しようとしていた場所。そこにようこはしゅくちによって先回りしていた。せんだん達はそんなようこを見据えながらも油断なくようこと対面する。
「……いつから気づいていたの?」
「ちょっと前からかな。だってあんたたち全然攻撃してくる気がないんだもん。でもちょっと感心したよ。わざわざあたしを街から遠ざけようとしてたんでしょ?」
せんだんの言葉にようこは淡々と、それでもどこか感心したように答える。ようこを街から遠ざけること。それがせんだん達の狙い。あのまま街の中で戦闘になってしまえば被害は免れない。それを防ぐためせんだん達はわざとようこを煽り、街から郊外、裏山の上空までおびき出そうとしていた。だがまさかようこの方からその場所に向かって移動するとは思っていなかったせんだんはそのまま静かに扇子を持ったまま思考する。
ようこの行動は想定外だったがこれで街への被害を心配することは無い。最低限の条件は満たされたと言ってもいいだろう。そしてようこの様子。どうやら先程までは違い落ち着きを、冷静さを少しは取り戻しつつある。もっともそれがプラスになるかマイナスになるかは分からない。そして自分達序列隊の状態。自分を始め他の犬神達は既に臨戦態勢。戦闘はやむなしといった構え。特にたゆねといまり、さよかは今にも飛び出して行きかねない勢い。この場所にようこを誘導するというせんだんの命令に従っていたものの度重なるようこの挑発によって我慢の限界に達しつつある。これ以上事態を先延ばしにはできないと悟ったせんだんは告げる。
「そう……そこまで分かっているのなら話は早いわ……ようこ、最後の忠告よ。騒ぎをやめて山に戻りなさい」
それは最後通告。せんだんとして、犬神として譲ることができない最後の一線。このまま矛を交えずに穏便に事態を収めたいというせんだんの配慮。だがせんだん自身、それがもう不可能であると半ば悟っている選択肢。
「勘違いしないでくれる? あたしがここに来たのは降参するためじゃない。さっき言ったでしょ。あたしの力を思い出させてあげるって……」
そんなせんだんの言葉を嘲笑うかのようにようこは告げる。もはやそんな選択肢は無いと。自分の誇りを、誓いを汚された怒りは決して収まりはしないと。それだけではない。それは今までの封印されていた日々。その恨み。今までずっと我慢してきた、耐えてきた所業。犬神という存在への。
「あんた達の言う通りだよ。あたしは犬神なんかじゃない……あたしは妖狐、大妖狐の娘。ならもうやることは決まってるじゃない。あんた達が大好きな破邪顕正ってやつの通りあたしを退治すればいいのよ」
できるものならね、という言葉を加えながらようこはその瞳と人差し指に炎を宿しながら宣言する。どこか自虐的な気配を、泣きじゃくる子供のような気配を滲ませながら。そしてそれ以上の業火の怒りを身に宿しながら。せんだん達は気づかない。気づけない。ようこの言葉の意味を。その姿の本当の意味に。それを見抜ける、救うことができる者はこの場にはいない。
月明かりが少女達を照らし出す。一匹の妖狐と八匹の犬神。一対八という数の上では圧倒的に不利な狐はそれでも不敵に笑う。何故ならそれだけの力が、強さが狐にはあるのだから。犬達はそんな狐を見ながらも動じることなく向かい合う。そして
「そう、仕方ないわね……ならもう容赦はしないわ。金色のようこ。主、川平薫の名に賭けて私達序列隊があなたをここで止めて差し上げます」
せんだんが一度目を閉じた後に扇子を振るいながら宣言する。犬神として目の前の存在を止めるために。瞬間、三百年の時を超え再び妖狐と犬神の戦いの火蓋が切って落とされた―――――
「っ!?」
その驚きはようこだけのもの。それは目の前の光景。八人の犬神達。戦闘が始まればその数に物を言わせて一斉に攻撃を仕掛けてくると考えじゃえんを用意していたにも関わらずせんだん達はそのまま再び後方へと下がって行く。まるで先程の焼き回し。まさかこの期に及んで腰が引けたのだろうかとようこが訝しんだ瞬間
「はああああっ!」
叫びと共に一匹の獣が拳と共にようこへと突進してくる。ようこは一瞬反応が遅れるもののそれを躱しながら体勢を整える。その視線の先には闘志によって霊力をたぎらせている序列三位たゆねの姿があった。
「へえ、あんたがあたしの相手? 他のお仲間と一緒じゃなくてもいいの?」
「うるさい! お前なんかに僕達は負けない!」
ようこの言葉に反発しながらもたゆねは凄まじい速度でようこに肉薄しながら拳を放って行く。だがその拳は全て見切られているかのようにようこの身体に触れることは無く空を切って行く。それは決してたゆねが弱いからではない。たゆねは薫の犬神の中では最強、山の犬神達の中でも五指に入る程の力の持ち主。特にその身体能力は群を抜いている。だがそれを難なくさばく程の力がようこにはある。およそ一対一ではようこが犬神に後れをとることはあり得ない。はけかなでしこレベルの相手でなければようこには敵わない。
「ふーん、でも残念。そろそろおしまいにしてあげる」
ようこはたゆねの攻撃の隙を狙い、力を解き放つ。じゃえん。全てを燃やし尽くす邪炎。攻撃に終始しているたゆねはそれに反応し、対応することができない。肉弾戦のみならたゆねにも勝機は存在するもののようこにはそれ以外にもじゃえんとしゅくちという力がある。それは今のたゆねだけで覆すことができない力の差。だが
「破邪結界、二式紫刻柱!」
瞬間、まるでたゆねを守るかのように紫色の結晶が現れじゃえんを受け流す。突然の事態にようこは咄嗟の反応ができずにそのままたゆねの拳をその身に受けてしまう。
「うっ……!」
その馬鹿力とも言える力をまともに食らってしまったことで苦悶の声を漏らしながらもようこは距離を取りながらもその結晶に目を向ける。その表情は苦悶と共に驚きに満ちていた。何故ならその力をようこは知っていたから。
『破邪結界 二式紫刻柱』
はけが得意とする結界術。また結界の中では特に防御に優れた力を持つもの。だがそれはかなりの高等術のはず。それをせんだん達が使ってくるなど想像していなかったようこは驚きを隠せない。だがそれだけではない。先程の結界は間違いなくたゆねが張ったものではない。そんな暇も隙もたゆねにはなかった。
ようこはそのままたゆねの背後にいる他の犬神達に目を向ける。そこにはまるで群れを作るかのように二つのグループに分かれている序列隊の姿があった。一つがごきょうや、フラノ、てんそうの三人のグル―プ。ようこは悟る。先程の結界がその三人によって張られたものだったのだと。そしてもう一つがせんだんといぐさの二人組。ごきょうや達よりもさらに奥に控えているような形でせんだんは扇子を持ちながらようこを、戦況を見据えている。その姿はまるで軍師そのもの。そんな自分の想像もつかない事態にようこが戸惑っている中
「よそ見してる暇があると思ってるのか!?」
先程よりもさらに速度を増しながらたゆねが猛攻を繰り出してくる。その拳で、蹴りで。ようこは圧倒されながらもそれを捌き続けるもその鋭さに、重さに次第に劣勢になっていく。それはようこの速さにたゆねが慣れてきたこと、そして戦いながら成長していく若い犬神であるたゆねだからこそできること。
「……っ! 調子に乗るんじゃないわよ!」
これ以上たゆねを調子づかせるわけにはいかないとようこはそのまま一瞬で後方に飛びながら再びじゃえんを放たんとする。先程のように結界がたゆねを守ろうとも第二撃によって不意をつかんともう片方の手にじゃえんを準備したまま。だが
「私達を!」
「忘れてもらっちゃ困るよ!」
そんなようこの狙いを見抜いていると言わんばかりに二つの影がまるで鏡合わせのような動きを見せながらようこに襲いかかって行く。それは双子の犬神、いまりとさよか。二人はその人差し指から光を放つ。『紅』それがその技の名前。犬神が持つ攻撃手段の一つ。二人の紅はようこのじゃえんには遠く及ばない。だがそれでもまともに受ければようこもただでは済まないためようこはたゆねに放たんとしたじゃえんで紅を迎撃する。しかし
「そこっ!」
「ぐっ……!」
代償としてたゆねの蹴りを迎撃することができずようこはそのまま吹き飛ばされてしまう。咄嗟に両手で受け止めたものの衝撃を殺しきることができない。腕がその威力によって軋みを上げる。
「まだまだ!」
「これから!」
そんなようこを嘲笑うかのように二つの流星が紅を放ちながら、その蹴りによってようこを翻弄しながら舞っていく。双子だからこそできる完璧なコンビネーションによって。悪戯好きな二人の特性である俊敏性によって捉えられることなくいまりとさよかは戦場を荒らしていく。ようこはそんな双子を排除せんともがくも完璧とも言えるタイミングで現れる結界によって阻まれ、そしてたゆねの一撃必倒の攻撃によってダメージを負わされてしまう。全く思った通りに動けず、まるで動きを読まれているかのような展開にようこは混乱するしかない。だがそんな中でようやく気づく。それは戦場の一番奥に控えているせんだん。それこそがこの戦いの、戦場の支配者なのだと。
集団戦。それこそがせんだん達の、序列隊の強さ。
せんだん達は悟っていた。それは個人としての力。それで自分達がようこに大きく劣っていることに。もちろんせんだん達は犬神として劣っているわけではない。だがようこは規格外と言ってもいい力を持っている。山の中で生活している中でせんだん達はそれを何度も目の当たりにしてきた。だが以前のせんだん達ならそれを認めることは無かっただろう。自分達全員でかかればようこなど敵ではないと。だが今のせんだん達にその慢心は無い。
それは川平啓太と死神の戦い。その影響があってこそ。
それによってせんだん達は痛感した。自分たちよりも遥かに上の力を持つはけですら敵わない、苦戦する相手がいることに。特に実際に戦ったたゆねとともはねはそれを誰よりも肌で感じることになった。そして気づく。自分達が強くなったと思っていたその理由。それが自らの主、川平薫の力によるものであることに。自分達の真価が集団戦にあるのだと。だがそれは天才と言われる犬神使いである川平薫がいてこそ。故にせんだん達は模索した。主だけの力ではなく、自分達で強くなるための術を。それがこの布陣。
前衛、中衛、後衛。三つのグループに分かれ、連携するスタイル。
前衛はたゆね、いまり、さよかの三人。中心となるのは最も力のあるたゆね。圧倒的突破力を持つたゆねが先鋒となり、トリッキーな動きとコンビネーションが可能ないまりとさよかがそれを補助する。
中衛はごきょうや、フラノ、てんそう。中心となるのはごきょうや。いつも行動を共にしているがゆえにこの三人は統率、意志疎通が優れている。役割は前衛のサポート。結界によって前衛の補助を行うことが主な役目。場合によっては紅によって援護を行う。
後衛はせんだん、いぐさ、そして今はこの場にはいないがともはね。役目は戦場全体のフォロー、そして何よりも司令塔の役割を果たすこと。序列隊のリーダー足るせんだんだからこそできる役割。
もちろんせんだんの指揮は主、薫に及ぶものではない。その点においては足元にも及ばない。だがそれでもせんだん達はこの一ヶ月間ただ己を磨いてきた。
例え主がいなくとも自分達の役目を果たすために。そして何よりも自分達の主に相応しい犬神たるために。
それが成長した、今の序列隊の力だった―――――
ようこは悟る。侮っていたのは自分の方だったのだと。例え一対八であっても自分の力なら負けるわけがない。でも違っていた。それは山の中にいた頃の話。もしその時のままだったなら勝負は自分の圧勝だったろう。でもそうならなかった。自分が知らない四年間。その間にせんだん達までもが変わっている。なでしこのように。自分は何も変われていない。その事実を突きつけられるような感覚。それは今のようこにとって認められない、認めるわけにはいかないもの。
「……っ! なめるんじゃ……ないわよ!」
たゆね達の攻撃の一瞬の隙を突き、ようこはしゅくちによって瞬間移動する。それは後衛、せんだんといぐさがいる場所。それはせんだんこそが序列隊の要であると見抜いたから。加えて他のグループに比べて後衛は二人組。そしてせんだんは指揮にため動くことができずもう一人は序列隊の中でともはねを除けばもっとも弱いであろういぐさ。ならばせんだんを撃破し、混乱したところを各個撃破する。それがようこの狙い。ようこはその手に力を込める。それは先程までの比ではない。だいじゃえん。ようこの最高の攻撃。もし結界を張られてもそれごと消し飛ばせるほどの力を込めた一撃。だがようこは知らなかった。
指揮をする者を倒せば犬神を止められる。それこそが間違い、罠。犬神使いと戦う者が必ず犯す間違いをまた自分も犯してしまったことを。
ようこは目を見開く。それは目の前にいるせんだんではなくその隣にいる犬神、いぐさ。取るに足らないと判断し視界にすらいれていなかった存在。だが今まさにだいじゃえんを放たんとした時にようやく気づく。それはいぐさの拳。そこに凄まじい霊力が込められている。とても今の瞬間溜めたとはおもえない規模の霊力。それこそがいぐさの役目。要たるせんだんを狙ってくるようこを迎撃するためにいぐさは戦闘が始まったその時からずっとその霊力をため続けていたのだった。いぐさの力を知っている、侮るであろうことを見越した上での奇策。
「はああああっ!!」
いぐさの拳から霊力が放たれる。それはただの紅とは比べ物にならない威力。いかなようこといえども直撃すればただでは済まない。
「ちっ……!」
ようこはだいじゃえんを咄嗟に引っ込めながらしゅくちによって間一髪いぐさの攻撃を躱す。あの状況でそれができるだけでようこがまさに戦闘においてずば抜けた力を持っていることを証明している。だがそれはようこにとっても精一杯、限界の動き。故にようこは対応することができなかった。この瞬間を狙ったせんだんの最後に一手に。
それはまさに閃光だった。凄まじい霊力の塊が光のままにようこに向かって迫る。先程のいぐさの一撃を遥かに超えるまさに一撃必殺の切り札。
「破邪走行、発露×1! たゆね突撃―――――!!」
霊力を爆発させながら相手に突撃するたゆねの必殺技。それこそが序列隊の切り札。そこにつなげることがこれまでの布石。ようこは声を上げる暇もなくその直撃を受けそのまま真下にある裏山に向かって吹き飛ばされる。凄まじい勢い、そして落下音と共に。
それがようこと序列隊の戦いの決着だった―――――
ふと、目を覚ました。
ようこはどこか虚ろな意識のまま辺りに目を向ける。それはまともにその場を動くことができなかったから。体中が痛みで軋んでいる。満足に身体を動かすこともできない。同時に思い出す。自分が先程まで犬神達と戦っていたことを。そしてそれに敗れ、地面に倒れ伏しているのだと。
「ねえ、これからどうするの? 一応結界は張ってるけど……」
「そうだな……ひとまずはけ様をお呼びした方がいいだろう。この件に関してははけ様が深く関わっておられる」
「そうね……いぐさ、悪いけれど山まで行ってお兄様を呼んできてもらえる?」
「え? は、はい……!」
誰かが走って行く音が聞こえる。どうやら話の内容からはけを呼びに行ったらしい。擦れた視界に捉える。それは結界。自分を囲むように四方に張られている。そんなことしなくても自分は立つことすらできないと言うのに。念の入ったことだ。
でも、そうか。もうこれで終わりなんだ。はけが来たらもう自分の力ではどうしようもない。一対一なら刺し違えるぐらいできるかもしれないけれどこの場にはせんだん達もいる。いや、それどころか自分はせんだん達にすら勝てなかった。結局は三百年前と同じ。オトサンが負けて、封印されてしまったように。自分もまた犬神に封印されるだけ。本当に封じられるのか、また山の中に閉じ込められるのか分からないけれど。でもどっちでも変わらない。またあの日々が待っている。それだけ。
「でもせんだん、ようこが啓太様の犬神になるって言ってたの本当だったの?」
「それはフラノもずっと気になってました~ほんとなんですかごきょうやちゃん?」
「それは……」
「……本当よ。ようこは啓太様の犬神見習いとして山を出てきていたの」
そっか……前と一緒じゃない。
もう、ケイタに会えないんだ。
もう二度と会うことができない。
街で騒ぎを起こしたあたしをはけはもう山から出すことは無いだろう。だからこれでおしまい。
でも楽しかった。一週間だけだったけど……ケイタと会えて、しゃべって、触れ合って、遊んで、みんな、みんな楽しかった。でもそれももうおしまい。だから……もう……
「なんでそんなことになってんの? 啓太様にはなでしこが憑いてるのに?」
「なでしこがそれを許したの? プロポーズまでされてるのに」
「そ、そうだよ。どうしてなでしこがいるのにようこが啓太様に憑こうとしてるのさ?」
瞬間、ようこの瞳に光が宿る。そこに何が映っているのか。それはようこにしか分からない。
そうだ。
このままあたしは山に返されてしまう。二度と出ることができない牢獄に。
なのに。
なのにあいつはここに居続けるんだ。
ケイタと一緒に。これまでもそうだったように。
笑いながら。楽しそうな笑みを浮かべながら。ケイタと一緒に生き続けて行く。
それはあたしが手に入れるはずだったのに。あたしが最初に見つけたのに。
なのにみんな、なでしこのことばっかり。
どうしてあたしじゃないの?
なでしこが全部奪ったのに。
あたしの欲しかったものを、時間を、楽しみを、ケイタを。
なのに。何で。何で何で何で何で何で何で―――――――
「ああああああああああああああ―――――!!」
少女の叫びが響き渡る。それはまるで泣きじゃくる子供の泣き声。果てしない悲しみとそれと同じぐらいの怒りが込められた慟哭。同時にこの世の物とは思えないような力が、霊力が溢れ出してくる。
犬神達は声を上げる暇もなくその場から弾き飛ばされる。決して中から破壊することができない結界がまるで何もないかのごとく消し飛ばされてしまう。
犬神達はただその光景を前に立ち尽くすことしかできない。まるで隕石が落ちてしまったかのようなクレーターの中心にそれは存在していた。
夜の闇の中にあってなお輝きを放つ巨大なケモノ。鋭い爪と牙を持つ一匹の狐。ようこがこれまで決して見せることのなかった本性。その二つ名の通り金色に輝く毛と魔性の瞳をもつ妖狐。
『金色のようこ』
彼女達はまだ知らなかった。いや知るのが遅すぎた。決して手負いのケモノを侮ってはいけないことを。そして自分達が決して触れてはいけないケモノの逆鱗に触れたことを―――――