夢を見る。
懐かしい、それでもどこか悲しい夢。
かつて、大好きな主人と一緒にいられた時の、楽しかった日々。もう戻らない過去の日々、思い出。なのに
どこにいても、何をしていても
あの人の匂いや仕草を無意識に探してしまう
それが最近、増えているような気がする。でも分かっている。その理由。わたしは――――
多くの書籍や雑誌が溢れかえっている本屋。その店内に一人の少女の姿がある。だがその姿は普通ではない。何故かカーディガンの上に白衣を纏うというよく分からないもの。そんな奇妙な少女の姿にすれ違う他の客や店員が目を奪われる。だがそれはその格好だけではない。少女の容姿。間違いなく美少女と言ってもおかしくない程の顔立ちに小柄な体。しかしそこには間違いなく女性の美しさが、魅力がある。加えて少女の纏っている雰囲気はどこかクールさを感じさせる。その全てが相反することなく融合され、形作られている少女。
それが序列四位、ごきょうやだった。
(よし、これで全て揃ったか……)
自分が多くの視線を集めていることなど露知らず、ごきょうやはお目当ての雑誌を見つけ、それを脇に抱え込む。そこには既に何冊もの本がある。だがそのジャンルはめちゃくちゃだった。医学書から何故か少女漫画までおよそ一人の人物が読むとは思えないようなちぐはぐさ。それは今、ごきょうやが薫の犬神達の購読している雑誌をまとめて買いに来ているから。薫の犬神達はその年齢も趣味もまさに多種多様。加えて一人ひとりが好き勝手に買い物をすればいくらいぐさが収入を得ているといえ宜しくない。そこで個人的ないわゆるおこづかいとは別の必要経費としての共有費が設けられている。その一つが本だった。そして今週はごきょうやがその役目となっている。
ごきょうやは全員分の本を見つけ、カウンターへと向かおうとする。もう時間は十六時を回ろうかというところ。そろそろ帰らなければフラノ達も心配する。つかつかとまるで医者が廊下を歩くかのような音を立てながら歩いている中、ふと、ごきょうやの目にある光景が映る。それが本屋の窓から見える。
楽しそうに会話をしながら散歩をしている夫婦とその飼い犬。
ごきょうやは知らず、足を止めその光景に目を奪われる。同時に何か、言葉に表すことができないような、そんな感情が自分を支配していることに気づく。それが何なのか。無意識ながらもその答えに思考が至ろうとした時
「お、ごきょうやじゃん」
そんなどこか懐かしい声がごきょうやに向かってかけられた。
「宗太―――!」
瞬間、ごきょうやは思わず声を上げながら振り返る。いつもの冷静さも、クールな立ち振る舞いもそこにはなかった。いや、そんな余裕など今のごきょうやにはなかった。それはまさに反射に近い反応。そう、まるで飼い主が帰ってきたのを出迎える忠犬のごとき反応。いや、それ以上の感情がごきょうやの体を突き動かす。その振り返った先には
「け、啓太様……?」
どこか不思議そうにこちらを見つめている学生服を着た川平啓太の姿があった。
「久しぶりだな、ごきょうや。一カ月ぶりか? こんなところで何してんだ?」
啓太は突然振り返ったごきょうやに一瞬驚きながらも興味深そうに近づいてくる。その視線がごきょうやが抱えている本の束に向けられる。どうやら自分が持っている本を気にしているらしい。ごきょうやは慌てながらも一度咳いをし、自分を落ち着かせる。いけない。どうやら昨日見た夢を引きづってしまっていたらしい。幸いにも啓太様は先程の言葉には気づいていないようだ。ならきちんといつも通りの自分を演じなければ。
「お久しぶりです、啓太様。今月分の皆の本をまとめて買いに来たのです」
「へえ、それでそんなに大荷物になってんのか。ちょっと見せてくれねえ?」
「は、はい。構いませんが……」
啓太様がどこか楽しそうに自分が持っている本へと手を伸ばす。その笑顔につい目を奪われてしまうものの、啓太様はそれに気づくことなく興味深げに本を眺めている。どうしたのだろうか、確かに突然の啓太様との接触には驚いたが自分の行動、心の動きがおかしい。これではまるで
「しっかし……すげえ品ぞろえだな。医学書からともはねのな○よしまで……これを出された店員、目を疑うんじゃねえ?」
「………」
「……ごきょうや? どうかしたのか?」
「い、いえ! 確かにそうですがもう慣れましたので……そういえばどうして啓太様はこんなところに? 見たところ学校はもう終わられているようですが……」
「ん? ああ、ちょっと本を立ち読みしようと思ってさ。お前も知ってんだろ。うち、死神の呪いのせいで困窮しててさ。まあこないだの依頼でちょっとは足しができたんだけど……」
どこか哀愁を感じさせる顔を見せながら啓太が自らの近況を愚痴のようにこぼす。まるで疲れ切ったサラリーマンのよう。とても十七歳の高校生とは思えないような雰囲気。それを前にしてごきょうやは苦笑いすることしかできない。どうやらこの方の生活は相変わらずらしい。
「そうですか……そういえばこの間、ともはねたちがご迷惑をおかけしたようですが……」
「え!? あ、ああ! ちょっと色々あったけど大丈夫だったから心配すんな!」
「……? そうですか、啓太様がそう仰られるなら……」
何故か焦った様子を見せながら啓太様はその話題を終わらせようとする。何故かともはねやいまり、さよかに聞いてもそのことは要領を得なかったため何か迷惑をおかけしてしまったのではないかと思っていたのだがあまりこの話題には触れない方が良さそうだ。
ごきょうやはそのまま改めて啓太へと視線を向ける。同時に思い出す。それは一か月前、啓太様となでしこが屋敷へと泊まりに来た時のこと。その場で自分は啓太様に知られてしまった。自分がかつて啓太様の父、宗太郎様にお仕えしていたということを。できれば知られたくないことだった。
それは完全に自分側の理由。それを知られることでこれまでのように啓太様と接することができなくなるのを避けたかったため。だがどうやら啓太様はそれを気にはされていないようだ。今の会話もいつも通り、いや、フラノ達がいない分、幾分かまともなやりとりができているような気すらする。いや、きっとそれは気のせいではない。今、自分は楽しんでいる。この時間を、会話を。その中にかつての時間を感じることができているから。そんな中
「お、悪い悪い、引き留めちまったな。また今度遊びに行くからさ。フラノ達にも宜しく言っといてくれ」
じゃあな、という言葉と共に啓太様が振り返りながら立ち去って行く。何気なく、自然に。だが
―――――あ
そんな声が漏れそうになる。いや、心の中で。思わずその笑みに、後ろ姿に目を奪われてしまう。今、何か懐かしい空気が胸をかすめたような
恋とか愛とかそんな生やさしい感情ではない。もっと原始的な
「じゃあな」
そう言い残したまま啓太は足早に店内を後にしようとする。思ったよりも時間をくってしまった。今日は早く帰れそうだとなでしこに伝えてたし、急がねば。最近はちょっと家を開ける時間が増えてしまっているので今日ぐらいはさっさと帰ることにしよう。
だがこんなところでごきょうやに会うなんて思ってもいなかった。やっぱりあいつらでも街で買い物とかするんだな。当たり前と言えば当たり前かもしれんが。ちょっとごきょうやと話したいこともあったがまた今度でいいか。さっきも俺のこと親父と間違えかけてたみたいだし、ちょっと間を置いた方がいいかも。できる限りいつもどおりに接したつもりだけど大丈夫だったかな。あいつ、どっかなでしこに似てるところがあるし、察しがいいから誤魔化せたかどうかは怪しいが。ま、もうちょっと時間がたってからでもいいだろ。
ん~、という背伸びと共に啓太は大きなあくびをしながら店から出て行く。だがふと気づく。それは気配。自分のすぐ後ろを誰かが付いてきいるような。不思議に思いながら振り返ったそこには
どこか心ここに非ずと言った風に自分の後ろを付いてきているごきょうやの姿があった。
そう、まるで主人の後を付いて行こうとする犬のように。
「ごきょうや……? どうかしたのか?」
「っ!? あ、い、いえっ! その……!」
ごきょうやは俺の言葉で我に返ったのかどこかあたふたとしながら混乱している。まるで自分が何をしていたのか分かっていないかのような焦りっぷり。普段のクールな姿からは想像もできないような姿。
「ちょと落ち着けって……それにその本、まだ買ってねえんじゃねえか?」
「は、はい。申し訳ありません」
何とか落ち着きを取り戻しつつあるごきょうやが慌てながらも店内へと戻って行こうとする。ふむ、案外こいつもドジっ娘なのかもしれんな。だがそんな属性を持っていない俺からしてもその破壊力は凄まじい。何というかギャップが凄かった。珍しいもんも見れたし、改めて帰るとしますか。
だがそんな中、店内の戻ろうとしたごきょうやがふとその足を止める。まるで何か忘れ物を思い出したかのように。そんなごきょうやの姿を不思議そうに眺めているとごきょうやはどこか顔を赤くしながら再び俺の前まで戻ってくる。何か忘れ物でもあったのだろうか。だが
「……啓太様、宜しければ少しお時間を頂けないでしょうか?」
ごきょうやはそんな予想外の言葉を俺に向かって告げてきたのだった―――――
「よし、こんなものかしら」
台所で料理を終えたなでしこがどこか上機嫌に一人、宣言する。目の前には二人分の夕食ができている。心なしかいつもよりも豪華な食事が。何故なら今日は啓太が早めに学校から帰ってくる予定だから。死神を倒してからどうやら学校では受験に向けた補習が始まり、啓太は帰ってくるのが遅くなり、休みの日にも学校に行くようになった。それは来年受験生である啓太にとっては仕方ないこと。だがやはり寂しさは誤魔化せない。特に最近は。
なでしこは片づけを終わらせた後、ちゃぶ台の前へと腰を下ろす。同時にふと辺りを見渡す。そこにはいつもと変わらないが、どこか真新しい自分達の部屋がある。
一カ月ぶりに帰ってきた我が家。
やはりこの部屋に戻ってくるとほっとする。橋の下の川辺での生活も大変でありながらも楽しかったがやはりここが一番落ち着く。もっともあの時の自分は舞い上がってしまっており、とんでもない行動をしてしまった。今、思い出すだけでも顔から火が出そうだ。きっと啓太さんの驚きはそれ以上だったに違いない。何とか以前の関係に落ち着いたが最近ちょっとそれだけでは物足りないような、そんな感情が湧いてくる。
もっと啓太さんと触れあいたい、一緒にいたい。
今までもあったその気持ちがずっと強くなってきている。でもその理由は分かっている。
なでしこはそのまま自らの頭に、髪に結ばれている白いリボンに手を当てる。自分にとっての宝物。夢にまで見た証。自らの想い人から贈ってもらえた愛の証、エンゲージ・リボン。
「~♪」
なでしこは上機嫌に、顔をにやつかせながら手鏡を目にし、何度もリボンを結んでは解き、結んでは解きを繰り返す。そしてそれを結んだ自分の髪を何度も何度も、角度を変えながら覗き見る。まるで子供のように、いや恋する乙女のように。啓太がいない時にリボンをいじりながら幸福に浸るのがなでしこの最近の日課、隠れた楽しみだった。誰かに見られればドン引きされかねない程に惚気きっている。そんな中
「何をしているのですか、なでしこ?」
そんなどこかで聞いたことのあるような声がなでしこの背後からかけられた。
「~~~~っ!?!?」
なでしこは突然の出来事に声にならない悲鳴を上げながらその場を飛び上がりながら振り返る。そこにはいつもと変わらない清らかな雰囲気を纏った犬神、はけの姿があった。もっともどこか呆気にとられているような表情を見せてはいたが。
「は、はけ様っ!? いつからいらしてたんですかっ!?」
「いえ……何度もチャイムとノックをしたのですが反応がなかったもので……」
顔を真っ赤にしながらあたふたしているなでしこの姿にはけはどうしたものかと途方に暮れる。なでしこは突然のはけの来訪、そして先程までの自分の姿を見られていたであろうことで混乱状態。まともに話ができそうもない。まるでいつもの啓太様のよう。やはり主従であれば知らずその仕草や行動も似てくるのだろうか。そんなことを思いながらもはけはなでしこが落ち着きを取り戻すまで静かに待ち続けるのだった―――――
「落ち着きましたか、なでしこ?」
「は、はい。失礼しました」
何とか落ち着きを取り戻したなでしこがちゃぶ台の前に座っているはけの前にお茶を差し出す。色々と思うところ、言いたいことはあるがなでしこはさっきのことはなかったことにする。幸いはけも先程のことは蒸し返す気はないらしい。それでも恥ずかしいところを見られてしまったことには変わらないが。
「ですが元気そうで安心しました。体も大事ないようですね」
「ええ、御心配おかけしました。本当ならお礼に伺わなければいけなかったんですけど……」
「気にすることはありませんよ。啓太様にも言いましたがあれは私が自分で決めたこと。気に病むことはありません」
「はい、ありがとうございます」
なでしこはどこかほっとしたような表情を見せる。なでしこが気にしていたこと。それは言うまでもなく死神との戦いにはけを巻き込んでしまったことにあった。本当なら自分が果たすべき役割を、役目を負わせてしまったこと、自分のせいで危険を負わせてしまったことをなでしこはずっと気にしていたのだった。
「それに私はむしろあなたが怒っているのでないかと心配していたのですよ。あなたの大切な御主人様を横取りしてしまうようなものでしたから」
「は、はけ様っ!?」
どこか楽しげなはけの言葉になでしこは顔を真っ赤にすることしかできない。どうやら先程の自分の姿はしっかり見られてしまっていたらしい。穴があったら入りたいほどの恥ずかしさだった。
「失礼、少しからかいすぎましたね。ですが上手くいっているようですね。死神の呪いも解けたと聞いて安心しました」
「はい、おかげさまで。そういえばどうしてはけ様はこちらに? 啓太さんならもうすぐ戻ってこられると思いますけど」
「……いえ、今回はあなたに用があって伺ったのです、なでしこ」
「わたしに……?」
はけの言葉になでしこは首をかしげることしかできない。はけがここを訪ねてくるのはいつも啓太に依頼をするため、もしくは宗家に関連したもの。それなのに何故。だがなでしこは気づく。
それははけの雰囲気。
先程までの清らかな、優しげな雰囲気が変わりつつある。どこか真剣さを、いや、戸惑い、躊躇いを感じさせるような雰囲気。その表情も目を伏したまま。その扇を自ら顔の前に広げ、何かを思案している。まるで言いづらいことを、何かを口にすることを躊躇っているかのように。それでもそれを口にしなければないという覚悟をもって。
なでしこは自分の心臓が止まったのではないかと思えるような感覚に囚われる。言い様のない不安がなでしこを支配する。それは直感。いや、確信。それはこれまでずっと感じながらも、先送りにしてきた、逃れることができない、自らの罪。
「はい……単刀直入に伝えます。ようこのことです」
はけは静かに、それでもはっきりと言葉を口にする。この四年間、決してなでしこの前では口にしなかったその名を。
今、本来の未来が、運命が再び動き出そうとしていた―――――