「さあ、約束の時間だぞ。準備はできたか、新堂ケイ?」
ローブを身に纏った怪しげな人影がどこか楽しげにステップを踏みながら目的の少女に向かって近づいて行く。その手には何故か小さなラジカセがある。どうやらこのふざけたテーマソングはそこから流れているらしい。だが本人はいたって真面目。これが相手に恐怖を与える効果を果たしていると思い込んでいた。
「久しぶりだな、ケイ。一年ぶりだが全く姿は変わっていないな。だがもうそれも関係ない。汝は今日、ここで死ぬのだからな!」
「……おい」
人影、死神は高らかに笑いながら少女に向かって死刑宣告を告げる。一年ぶりの、待ちに待った瞬間を前にしてテンションが上がりっぱなし、笑いが止まらないようだ。そのローブの中に見え隠れする怪しげな瞳が少女を捉える。二十年間、少女に恐怖と絶望を与え続けた無慈悲な瞳が。だが
「……ん? どうした新堂ケイ? いつもの怯えきった顔はどうした? もう恐怖でそれすらできなくなってしまったか……まあそれもいいだろう」
「……おい」
いつもとは様子が違う少女の姿に戸惑うものの死神は気を取り直しながらその身に纏ったローブを脱ぎ捨てる。まるでここからが本番だと宣言するように。いや、これで終わりだと宣告するように。その姿があらわになる。金髪に銀色の瞳、白い肌をもったまるで吸血鬼の様ないでたち。その身には黒いマントを纏っている。それが死神の、「暴力の海」の真の姿。
「さあ、この『暴力の海』がお前に最高の恐怖と絶望を与えてやろう! くはくは、くははははははっ!!」
もはやテンションは最高潮、ボルテージマックス。最高の演出ができたことに満足しながら死神はまさに無慈悲にその目的を達成せんとしたその時、
「おい、聞いてんのか、てめえ!?」
「ん?」
死神はやっとその声に気づく。そういえば先程から何か雑音のようなものが聞こえていたがどうやらラジカセの故障ではなかったらしい。振り返ったそこには男らしき者の姿が見える。だがはっきりしない。ぼやけているかのようだ。そこで死神はようやく自分が眼鏡をしていなかったことに気づく。まったく視力が悪いことだけが我の欠点だ。もっともそんなことなど些細なこと。すぐさま眼鏡を掛けるとそこには見たことのないタキシードを着た少年の姿がある。いや、それだけではない。その背後には見たことのない少女たちの姿もある。加えてその者たちが人間ではないことも分かる。どうやら無駄な悪あがきをしようとしているらしい。
「ふむ……なるほど。どうやら今回も悪あがきをする気の様だな! いいぞ、新堂ケイ、そうでなくては面白くない! さあ、名乗りを上げるがいい、我は『暴力の海』! どこからでもかかってくるがいい!」
「んなこたあどうでもいいんだよ! お前、さっきから誰に話しかけてんだっ!?」
「ん? 汝こそ何を言っている? そこにいる新堂ケイに決まっているではないか……?」
少年、啓太の言葉によって首をかしげながらも改めて死神は先程まで話しかけていた少女に目を向ける。そこには
「……?」
どこかぽかんとした表情をみせているともはねの姿があった。
「………」
「「「………」」」
言いようのない気まずい沈黙が全員を支配する。いや、死神以外の者は皆、どこかあきれを通り越してしまっているかのよう。ともはねだけが事情がよく分かっていないのかきょろきょろしているがそれが余計この状況の間抜けさを現していた。
「……なるほど、影武者を用意していたとはな。少しはやるではないか、新堂ケイ」
「んなわけないでしょ!? あんたが勝手に間違えただけよっ!?」
まるで何事もなかったかのように話を進めようとしている死神にケイは顔を真っ赤にしながら突っかかって行く。本来ならあり得ない行動なのだが流石にともはねと間違えられたことには納得がいかないようだ。いくら眼鏡を掛けていなかったとしてもあんまりだった。そんな死神の姿に啓太はどこか呆れた様子を見せるしかない。
確かに馬鹿な奴だとは聞いていたがここまでとは……本当に小学生だから見逃してくれと言っても通用しかねないレベルの馬鹿だ……。一応死神ということで警戒していたのだがいらない心配だったかもしれない。たゆねも呆れきっていて話しかける気にもならないようだ。ただなでしこだけは何故か心配そうな、不安そうな表情を見せているが。だがまあ依頼は依頼だし、ちゃっちゃと退治するとしますか……
「おい、死神! いつまでも馬鹿やってねえでさっさと始めようぜ、一日早いけどここで引導渡してやるよ!」
「ほう……どうやら命知らずの馬鹿らしいな。一応名前を聞いておいてやろう」
「犬神使いの啓太だ! 覚悟しな、きっちり退治してやるぜ!」
「ふん……イヌガミツカイか、話には聞いたことがあるが戦うのは初めてだ。少しは楽しませてくれよ、人間。さあ、新堂ケイ、見ているがいい、お前の最後の誕生日に新たな生贄が加わるところをな!」
死神はどうやら先程の失態を誤魔化せたことで調子が戻ってきたらしい。いつまでも馬鹿やってられても困るのでまあこれはこれでいいのだが、どうしてもちょっと聞いておかなきゃならんことがある。それは
「そういやお前……どうして今日出てきたんだ? ケイの誕生日は明日だろ?」
そんな当たり前な、素朴な疑問だった。最後の誕生日の前だし、何か特別な理由でもあったのだろうか。でもケイ達は何も言ってなかったし。
「……え? 明日?」
だがそんな啓太の疑問はあっさりと氷解する。死神のあまりにも素っ頓狂な、驚きの言葉によって。そんな予想外の答えに啓太は顔を引きつらすことしかできない。先程までの緊張した、戦闘前の空気も霧散してしまった。死神はどこか慌てながらきょろきょろと周りにいる人物達へと視線を向ける。皆が同じようにどこか憐れむような、生温かい視線を返すだけ。どうやら本気でケイの誕生日を間違えてきてしまったらしい。
あの……俺、帰ってもいいかな……?
「啓太様、あんまり言っちゃ可哀想ですよ、きっと本気で間違えてたんですから……」
「あ、ああ。でもあいつどんだけ馬鹿なんだ……っていうか暴力の海って……どんなネーミングセンスだよ。今時中学生でもそんな名前つけねえぞ……」
「きっとそういう年頃なんですよ」
「啓太様、たゆね、一体何のお話してるんですか?」
ひそひそ話をしているところに興味をひかれたともはねもやってくる。そんな会話の内容も聞こえているのか死神は羞恥心で顔を真っ赤にしている。もはや死神の面目丸つぶれだった。元々そんなもの登場の時点から皆無ではあったのだが。
「ご、ごほんっ、では始めようか。前夜祭の始まりだ。かかってくるがいい、ケイの命を守らんとする者たちよ!」
何事もなかったかのように死神は再び戦闘態勢に入る。どうやら前夜祭ということで乗り切ることにしたらしい。もはや引っ込みがつかなくなっただけだったのだが。まあ何にせよちょうどいい。明日まで待つ必要もなくなったんだしな。
「いくぜ、死神! ここできっちり引導渡してやるぜ!」
啓太はそのままタキシードのポケットに手を突っ込み、自らの武器、蛙の消しゴムを構える。それこそが霊能力者である川平啓太の力、攻撃手段。同時にそれらがまるで拳銃の弾丸のように次々に発射されていく。その数は四つ。それは一瞬で死神までの距離をゼロにする。死神はその速度に対応することができない。そして
「白山名君の名において命ずる、蛙よ、破砕せよ!!」
言霊と共にその全てが凄まじい爆発を起こす。その威力によって部屋は爆音と爆風に包まれる。死神は為すすべなくその力に飲み込まれていく。タイミングも完璧。直撃コースだった。その光景にたゆね、セバスチャン、ともはねが歓声を上げる。誰の目にもそれで勝負がついたことは明白だった。新堂ケイですらその顔に驚きをみせている。それほどの攻撃。啓太自身も己の勝利を確信する。だがそんな中
「啓太さんっ! まだですっ!」
なでしこだけが鬼気迫った表情で啓太へと叫ぶ。その声によってすぐに啓太は気づく。目の前の光景。そこにあった爆風が次第に晴れて行く。それが消え去った後には
「ふむ、この程度か。がっかりさせるなよ、人間」
傷一つ、息一つ乱していない死神の姿があった。まるで何も起こっていないと言わんばかりの姿。だが間違いなく先程の攻撃は直撃したはず。その証拠に死神の足元はその爆発によって吹き飛んでいる。それなのに。
「これが死神の黒衣という物だ。その程度の霊符などいくら使っても通じぬよ」
死神がそうどこかつまらなげに言い捨てるのを待たず、啓太は瞬時に次の攻撃を仕掛けんとする。だが
「遅い」
「っ!?」
それよりも早く先程まで遥か先にいた筈の死神が目の前に現れる。まるで瞬間移動したかのように。そのスピードの前に啓太は驚きの声を上げる暇すらない。ただ本能のまま手にしかけた蛙の消しゴムを投げ捨て、体得している中国拳法による肉弾戦を挑まんとする。しかしそれを仕掛けるよりもはるかに早く死神の拳が啓太の胸へと突き刺さる。まるで杭を打ち込むかのような威力と衝撃をもって。
「がっ!?」
啓太はその前にただ悶絶することしかできない。呼吸困難に陥ることで思考が定まらない。反撃を、回避を、戦う際の思考を行うことができない。だがそれでも啓太は体を捻りながらその足で死神の首に向かって蹴りを放つ。まさに本能、体に覚え込ませていたが故にできる条件反射。しかしそんな神業に近い反撃すら死神はまるで埃を払うのかのように、片手で受け止める。そこからはもはや戦闘ですらない、ただの蹂躙だった。
ひざ蹴りによって啓太の体はまるでボールのように天井まで飛び跳ね激突し、落下と共に再び蹴りによって宙に舞う。まるでサッカーのリフティングのように為すがまま、全く抵抗も、受け身もとることもできないまま、ただ蹂躙される。
それが何度繰り返されたのか、死神はまるで飽きたと言わんばかりに一際大きな蹴りを放つ。それが容赦なく啓太の腹部へと突き刺さり、そのまま遥か後方の壁まで吹き飛ばされる。その衝撃によって啓太は悶絶し、そのまま地面へと蹲り、動かなくなってしまった。それは時間にすれば一分にも満たない時間。
それが川平啓太が死神に敗北した瞬間だった―――――
「………え?」
それは一体誰の声だったのか。残された者たちはただその光景を前に身動き一つとることができない。まるで何が起こったのか分からないかのように。一瞬。一瞬で勝負がついてしまった。ケイとセバスチャンでも分かる。啓太は決して弱くなかった。いや、きっとこれまで挑んでいった者たちの中で間違いなく最も強かったはず。それが一瞬で、呆気なく敗れ去ってしまった。なでしこはその光景に顔を蒼白にし、ともはねは何が起こったのかのさえ分かっていない。皆がただ立ち尽くすことしかできなかった。唯一人の例外を除いて。
「あああああっ!!」
咆哮が、雄たけびが部屋を切り裂く。まるで犬の遠吠えの様な叫びを放ちながらたゆねは凄まじい速度を持って死神へと肉薄し、その拳を振り下ろす。それはさながら断頭台の刃。受ければ間違いなく相手は一撃で再起不能になるであろう威力が込められていた。それは死神の隙を狙ったもの。たゆねは今、怒りに支配されていた。先程まで啓太が闘っていたのを傍観してしまっていた自分への、そして啓太を傷つけた死神への。だが
「やれやれ、野蛮なイヌガミさんだ」
どこか呆れたような、馬鹿にしたような態度を見せながら死神はその振り下ろされた拳を一歩、体をずらすことで難なくかわす。まるでその動きを見切っているかのように、あっさりと、危なげなく。空を切った拳が地面へと突き刺さり、地面が崩壊していく。とても少女の拳とは思えないような人智を超えた力。それが犬神の、たゆねの力。その力は犬神達の中でも五指に入る程のもの。
「このっ! 調子に乗るなあああっ!」
すぐさま体勢を立て直しながらたゆねはその拳を、爪を以て死神を倒さんと突進していく。その速度はまさに疾風。放たれる拳はまさに弾丸。かすっただけでもダメージは免れない程の威力。それが息を突かせぬほどの速度で、数で死神へと降り注ぐ。そこに一切の手加減はない。たゆねはその性格から本気を出すことはほとんどない。それは相手のことを心配してしまうから。本気を出せば相手が唯ではすまないと知っているから。だが今のたゆねにはそんなことはこれっぽっちも頭にはなかった。目の前の相手には手加減など必要ない。いや、手加減できるような相手ではないと。先程までの馬鹿にしていた慢心は一切ない。にも関わらず
「ふむ、イヌガミツカイサンよりはマシなようだが優雅さが足りないな」
唯の一撃も当てることができない。それどころか息一つ乱してさえいない。その光景に、事実にたゆねの心に焦りが、そして恐怖が生まれてくる。それは犬神の、いや犬の本能。この相手には挑んではいけない。勝てない相手に挑んではいけないという動物の本能。それが心のどこかで自分へと警鐘を鳴らす。だがたゆねはそれを力づくで抑え込む。
認めるわけにはいかない。僕は犬神。破邪顕正を為す存在。例え主がここにいなくとも、目の前の死神を、悪を前にして退くことなど許されない!
「破邪走行、発露×1! たゆね突撃!!」
一瞬で死神から距離を置き、たゆねはまるでクラウチングスタートのような体勢を取る。同時にその凄まじい霊力が増幅し、たゆねの体を包み込んでいく。それがたゆねの切り札。自らの肉体を霊力によって強化し、相手を打ち砕く必殺技。岩すら砕く威力を秘めたもの。
その爆発的力を解き放ちながらたゆねはまるで砲弾のように一直線に死神に向かって突進する。その速度は先程までの比ではない。瞬きすら許さない程の一瞬で光の少女が死神へと襲いかかる。まるで戦車が通ったのではないかと思えるような爆音と爪痕を地面へと残しながらその衝撃が響き渡る。まさに相手を轢殺せんばかりの光景がそこにはあった。だが
「………え?」
たゆねはそんな声を上げることしかできない。当たり前だ。自分の最高の攻撃が、岩すら砕く攻撃が決まったはず。なのに、それなのに
「なかなか悪くなかったぞ、イヌガミの少女よ」
死神はその片手を持ってそれを防いでいた。まるで見えない力が働いているかのようにたゆねの攻撃は届いていない。死神からすれば自分に防御を取らせたことだけでも十分称賛に値するのだがたゆねにとっては知る由もない。たゆねはただその場に立ち尽くすことしかできない。
己の全力、会心の一撃を片腕で、難なく受け止められてしまったのだから。もはやたゆねに残された手はなかった。いや、その心が折れてしまいかけていた。そして
「気に入った、汝には恐怖をくれてやろう」
死神の指がたゆねの額へと触れる。瞬間、たゆねは恐怖に囚われた。
「うわああああっ!? やめて、やめてよおおおおっ!!」
たゆねはその顔を苦痛に、恐怖に歪ませながらその場にうずくまってしまう。その体ががくがくと震え、まるで痙攣をおこしているかのよう。それこそが死神の、暴力の海の力。相手の恐怖を覗きこみ、そこに相手を陥れる力。まさに反則に近い能力。その力によってたゆねは自らの恐怖、幽霊によって襲われている夢を永遠に見せられ続けている。それによってもはや戦うことはおろか、身動きすら取れなくなってしまっていた。
その光景にケイの表情が真っ青に染まる。何故ならそれは毎年自分が受けている仕打ちと同じ光景だったから。そんなケイの姿が気に入ったのか死神は邪悪な笑みを浮かべながらケイへと近づいて行く。もはや自分を阻むものなど存在しないと誇示するかのように。
啓太とたゆねをまるで子供扱いし、息一つ乱すことなく、まだ本気すら見せていない。まさに悪夢のような、冗談だとしか思えないような圧倒的な力。それが死神『暴力の海』の実力だった――――――
「夢は覚めたか、ケイ? 我に敵う者など存在しないとまだ理解していなかったのか?」
「………」
死神の言葉にケイは何も言い返すことができない。できるはずもなかった。そう、最初から分かっていた。こんなことをしても無駄だと。傷つく人が、巻き込んでしまう人が増えるだけだと。それなのに、それなのに自分はまた――――
「うおおおおおっ!!」
「っ!? やめなさいっ、セバスチャンっ!?」
そんなケイの絶望を振り払わんとするかのように隣に控えていたセバスチャンが絶叫を上げながら、決死の覚悟でその拳をもって死神へと立ち向かって行く。決して敵わないと分かっていながら、それでも逃げるわけにはいかないと言う絶対の意志をもって。
「またお前か、セバスチャン。負け犬の分際でよくもおめおめと……」
それをつまらないと吐き捨てながら、まるで道端の石ころを蹴るかのような手際で死神は振り払う。セバスチャンはまるでその体躯が何の意味も持たないかのように軽々と吹き飛ばされ、意識を失ってしまう。最後まで己が主の身を案じながら。その光景にケイは声を上げることすらできない。そして改めて死神がケイへと近づかんとしたその瞬間、まばゆい光が死神を襲う。だがそれは黒衣の前にあっけなく霧散し、力を失ってしまう。そこには
怯えながらも決して希望を失っていない瞳を持ったともはねの姿があった。その人差し指が死神へと向けられている。それは先程の光、紅を放った証。
「これはこれは、可愛い援軍だな。喜べ新堂ケイ。どうやらお友達も一緒に付いて行ってくれるらしいぞ」
「だめっ! この子は関係ないわ! だから……!」
そんなケイの制止など全く聞く耳を持たないまま死神は無造作に手を払う。その瞬間、まるで見えない力が襲いかかったかのようにともはねが吹き飛ばされる。悲鳴を上げる間もなく、一瞬で。まるで小の葉を吹き飛ばすかのように。
「ともはねっ!!」
ともはねが地面へ叩きつけられる前に間一髪のところでなでしこがそれを抱きとめる。だがその衝撃でともはねは気を失ってしまっている。どうやら大きなけがはないようだが安心はできない。早く手当てをしなくては。だがそんななでしこの前に死神が近づいて行く。一歩一歩、どこか楽しさすら見せながら。
「どうした、イヌガミよ。お前は向かってこないのか? それとも臆病風に吹かれてしまったか、そんな小さなイヌガミが向かって来たというのに」
「…………」
死神は笑いながらなでしこに向かって挑発する。だがなでしこは何も言葉を発しないまま。ただ真っ直ぐに死神を睨み返しているだけ。そこには間違いなく怯えが、恐怖がある。だがそれが自分に対するものではないことに気づく。恐怖を司る死神だからこそそれが分かる。故に不可解だ。この状況で何故自分以外の何かに怯え、恐怖する必要があるのか。
「……? 汝、一体……」
死神がそれを問いただそうとした瞬間、凄まじい勢いで何かが飛んでくる。瞬時に死神はそれを片腕で見えない力を張るかのように受け止める。そこには先程受けたものと同じ蛙の消しゴムがあった。
「お前の……相手は、俺だろうが……無視してんじゃ……ねえよ!」
絞り出すような、それでも変わらない闘志を以て啓太が死神へと慟哭する。だがその声とは、気迫と裏腹に体は満身創痍。膝は震え、立っているのがやっとなのが一目瞭然。だがそれでも啓太はその手に消しゴムを構えながら死神と対峙する。その瞳にはその姿が映っている。
自分のために怒り、犬神として向かって行ったたゆね、敵わないと分かっていながらも怯えることなく向かって行ったセバスチャン、幼い体で、それでも誰よりも強い勇気で立ち向かったともはね。いつも自分を心配してくれているなでしこ。
そして自分より年上の小さな少女のために
「俺は……絶対てめえには負けねえ!!」
川平啓太は絶対負けるわけにはいかない。
「くっ……くくく、くははははははっ!! 面白い、面白いぞ人間! こうでなくてはここまで来た甲斐がない!! ならば見せてもらおう、汝のあがきを! この天と地ほどもある力の差を見せつけられても尚、向かってくる勇気があるならな!!」
心底面白いと、侮蔑と嘲笑を高らかに叫びながら死神はその口を大きく開く。
「さあ、絶望が奏でる歌を聞けえええええっ!!!」
瞬間、凄まじい声が、いや、振動が部屋を、屋敷を包み込んでいく。この世の物とは思えないようなまさに悪魔の声。禍々しい、凄まじい霊力を纏った息吹が全てを無に帰していく。部屋を、屋敷を、そして希望さえも飲みこみ、絶望へと変えて行く。
後には崩壊し、跡形もなくなった屋敷だったモノと、倒れ伏している仲間達。そして月明かりだけ。
それがこの絶望の宴の終わり。そして川平啓太の生まれて初めての完膚なきまでの敗北だった――――――