1.
草木も眠る丑三つ時。彼女は唐突に笑い出した。
その時、週末最後の楽しみとして、眠気雑じりにパソコンを弄っていた僕はその笑い声に少し驚いて、朦朧としていた意識を完全に取り戻した。
部屋の蛍光灯は寿命が近いのかチカチカと時折点滅を繰り返しており、その下で笑う黒髪の女性はこの時間帯にも構わずテレビの方を見たまま、おなかを抱えて笑っている。
「どうしたの?」と只事ならぬその様子に、問いかけると、
「っはは。・・っぁあ、ごめん。調べ物の邪魔だったよね。・・っふ。」
と、笑いながらも謝ってきた。
「あー、それはもう終わったから大丈夫。で、何事です?いきなり笑い出しちゃって。」
状況だけ見れば、テレビの内容で笑ったのだろうけど、彼女が見ていた番組は『政治討論』という全く持ってこの時間帯に相応しいもので、正しく、その内容も子供が見るような『キレイ』な内容では無い。
与党議員と野党議員の壮絶な足の取り合いは、なるほど、それなりに滑稽ではあったが、件のシーンを見逃した自分にはさっぱりだ。彼女は口角をニヨニヨと震わせながら、その情景を語ってくれた。
「野党の・・・あぁ、この人。が、『こんな穴だらけの雇用政策案では、社会の癌を増やすだけでしょう!?』って大声で怒鳴ってさ。」
「ふんふん。」
「与党の人たちが反論するんだけど、野次の飛ばしあいになって、若手の議員さんがマイクで拾えるぎりっぎりの声で、『癌はお前らだろう』って。」
「・・・うわー。それは・・また、腐ってるねぇ。」
政治家らしく。とは口に出さずに画面を覗きこむ。
その発言を受けてか、与党と野党は今にも殴り合いが始まりそうなほど殺気立っている。
「つぶやきもままならないよね。・・でも、中々に云い得てると思わないか?この二人。」
「『社会の癌』?よくある例えじゃないですか。病巣とか膿とか。治らない不治のイメージがある分、強い言い方だけど。」
名前も知らない議員達の赤い顔をカメラマンがアップで次々に映していく。
彼らは自分の属する派閥の為に正か不かは別として、声高に訴え続ける。
それが、相手の議員に向けてなのか、視聴率も僅かなこの時間にテレビをつけていた奇特な国民になのかは分からないが、まだまだ画面の混乱は続きそうに見えた。
「癌腫や肉腫って言うのはね、正常な細胞の中で何らかの拍子で唐突に生まれるんだが、こいつは他と違って細胞が“死なない”のさ、その上こいつらは怠け者でね。その場所の細胞がするべき仕事をしないでサボるんだ。」
「死なない?それにサボるって?」
「細胞のテロメア・・寿命を司る部分が際限無くなる上に、仕事・・例えば胃の細胞なら消化のような運動をしないんだ。サボったり、変なホルモン出したり・・人間で言えば、仕事中に昼寝したり趣味に走ったりってとこかな。更に問題なのはこいつときたら給料だけはちゃっかり取っていくんだ。あぁ、栄養のこと。」
「げ、最悪じゃないですかそれ。」
「しかも、群れる。吸血鬼、いやジワジワ広がって仲間を増やすトコを見るにゾンビみたいなものだ。」
僕は一方的かつ加速度的に増えるゾンビの群れを想像した。
こちらに向かってくる死者の群れ。それに対して僕は何の武器も持たず逃げ惑うただの一市民。
唯一出来ることは神への祈りだろうか。必死にやり方も知らない十字架をきって、神様助けてくださいと小声で囀るのだ。
「助からないわけだ。さすが人類の天敵。」
「面白いのは、元は自分の体というとこだな。で、だ。この場合癌は、雇用政策と今の時代を返り見るに非生産的ニートな国民で、同時にブラウン管の向こうで騒いでる公約破りが趣味の議員達というわけだ。」
なるほど。
確かにテレビに映る彼らは意味なき言葉を訴えるゾンビの様だった。
ここ数年、安定しない景気に生域を拡大しつつある一部市民の群れも、あるいは近しい姿形をしていて、日本という体を蝕んでいるのかもしれない。
・・まぁ、勝手なイメージでしかないのだが。
実際は必死に国を変えようと足掻く議員もいるだろうし、働きたいのに、その願いを聞き取ってもらえない人もいるのだろう。
だから、そう考えると、今のこの時代は人生で言うところの“終末”のように思う。
それもまた、国という概念を擬人化してみたイメージで、現実には見えも、知りもしない問題が横たわっている。
それでも僕は、この国の腐敗っぷりに「だろうなぁ。」としか思えない。
先人がどうかは知らないが、この国の政権に関わる人間に“かっこいい”と思える人はいないし。僕が知る政治とは“汚い”物というイメージがついてまわった。
でも、
そこまで考えて僕は目の前の彼女を見る。
年は20代半ば頃だろうか、黒い艶髪を背中の中ほどまで伸ばし、顔も整っている。
少しだけ古いデザインの白いロングスカートに黒のセーター・・・の上からドテラにこたつミカン、そして、どことなく希薄に感じる全体像。
まとっている溢れんばかりの生活臭と、一種の不思議空気を差し引いても、まぁ、所謂美人な彼女を。
「うん?どうした少年?」
「いえね。これプラズマだからブラウン管はついてませんよ。ユーレイさん。」
そう、死者が政治を語る時代だし、案外、国がゾンビになっても、ゾンビなりに細々と生きていくと思うのだ。