『全チェック異常なし。感覚復帰を開始しますか? …………お疲れ様でした』 いつも通りのチェック確認は滞りなく終わり、現実へと意識を復帰させる。 暖房をケチった少し冷たく湿っぽい空気を感じ、申し訳程度の個人スペースとなった安っぽいブースを視界に捉える。 VRから抜け出たときの夢から覚めたような感覚と気だるさ。 ひょっとしたらアリスと会ったアレは夢だったので、『シンタ。待ってるから早く戻ってね! あ、あたしどうしていいのか!』 感覚復帰直後に脳神経直接刺激の音声は文字通り頭に響く。 アリス……お前は空気を読め。ただでさえ理解の範囲を超えた話なんだから少しくらいは現実逃避させろ。『判った。判った。今年中にはこっちの仕事も一段落するから大人しく待ってろ。 【最重要追伸】頭が痛くなるから声落とせ』 VRに潜る前に開いたままにしていたメモ帳に書き込み、不安げなアリスへと軽い返事を返すついでに、さすがに堪えきれないので声を落とせと注意しておく。 しかし網膜ディスプレイだから他人に見られないから良いが、もし見られていたらメモ帳で一人会話する危ない奴だな。『うぅ…………ごめん。あと……巻き込んじゃって、そっちもごめん……でもシンタ来てくれて……嬉しかった……お休み』 俺が迷惑がっているとでも思ったのか、少し気落ちしたかのような声でアリスからの通信は終わった。 現時刻を確認すると午前二時半過ぎ。 起床予定は始発前四時半。今から寝ても二時間しか寝られない。 思ったより長くアリスの所へ行っていたようだ。 体を固定していたベルトを外して、シートを倒してリクライニングモードにしつつ背伸びをする。 うん。やはりケツが痛い。慣れ親しんだマイ座布団でないと、どうにも座りが悪かったようだ。 おかげであまり眠気は無い。 薄暗い天井を見て反響しどこか調子の外れたBGMを耳に考える。「お休みね……あいつが言うの初めて聞いたな」 らしくないな発言だ。 昔なら寝オチするなと五月蠅いくらいだったのに。 相棒こと最強廃人アリスもしばらくVRMMOをやっていなかったせいで、へたれやがったか。 どうにもあいつがあんなんだとこっちの調子も狂う。 「ったく。徹夜だなこりゃ」 俺も含めて廃人と呼ばれていたような人間にとっては、草木も眠る午前二時はもっとも活発的に動く時間だって事を忘れたのかあいつは。 人が少ないフィールドを駆け巡り鎧袖一触よろしくMOBを蹴散らし経験値とドロップを荒稼ぎする狩りの時間。 この時間帯に脳をもっとも動かしていた廃人プレイヤーだった頃の癖は、引退して3年経った今でも色濃く残っている。 眠気が無くて脳がフル回転できる今このときは、打つべき手を考えるには恰好だ。 兎にも角にもリアルの状況をどうにかしないと、アリスの方の問題を集中して考えることもままならない。 考えてどうにか出来るとも思えないが、それでも相談に乗ってやると約束したのだから、まずは全力を尽くす為に環境を整えるべきだな。 ユッコさんからの仕事が終われば、また細々した仕事をこなしながら、倒産の恐怖に追われる自転車操業の日々は勘弁だ。 ここからぬけだすのに一番有効で即効性のある手段は、仕事を取ってくる事。 といってもウチの先輩方やら社長がコネを使ってVR関係の細々した仕事を何とか拾って来ている今の現状で、若輩な俺の伝手でどうこうできるレベルでも無し。 そうなるとだ。拾ってくるじゃなくて、作る方が早いか? でも新しい仕事といっても…………………………校舎の耐用年数ってどのくらいだ? 思いついた即興の考えを頭の中で展開しつつ、俺は倒していたシートから起き上がる。 まずは情報。適当でもあやふやでもいい。考えるためのとりあえずのネタを求める。 プレイヤー時代のボス攻略戦を考えていた時とよく似た高揚感を感じながら、大まかな検索ワードをぶち込みながら調べ物を開始した。「おっちゃん。寝てる所に悪い。会計いい?」 カウンターで気持ちよさそうにうとうとと船を漕いでいたおっちゃんに悪いと思いつつ声をかける。 しかし、この店防犯大丈夫か? たぶん裏にも店員はいるとは思うんだが、いくら明け方四時半だからってカウンターで居眠りしている店ってのもどうよ。 「お、おう兄ちゃんか? ふぁぁぁ……もう出発か。おかげで席を無駄に……っておいおい、大丈夫か? ずいぶん顔色が悪いぞ」 あくびを漏らし目を擦っていたおっちゃんが、俺の顔を見るなり驚き目を剥いたが、おどろくのも無理ないか。 さっきトイレで顔を洗ってきた時、目の下のクマがずいぶん濃いもんで自分でびっくりしたくらいだ。 仕事、仕事であんまり寝てない所に、つい先ほどまでの脳みそフル回転。なけなしの体力をほとんど消費したせいだろう。 「仕事してて眠ってないだけなんで大丈夫。大丈夫」 少しふらつき指先にも力が入らないがまだこの程度なら問題無い。 とりあえず飯さえ食べればまだいける。 調べた情報を元に電車の中で大まかな企画書を作って、会社に到着後すぐに提出できるくらいならなんとかなる。「真面目だな兄ちゃん。しゃーねぇな。8時間で十つってたけど八でいいぜ。浮いた金でドリンク剤でも飲んどけよ」 半死半生のような有様にあきれ顔を浮かべたおっちゃんは正規の二時間二千と同じ計算にしてくれるようだ。 こんな怪しげな店をやってる割に人が良いというか何というか。「あんがと……八千で。んじゃお世話でした。助かりました」 金欠のこっちとしてはありがたい。感謝。 財布から札を八枚抜いておっちゃんに渡しつつ礼を言う。「おう。ほんと気をつけてな」 おっちゃんの見送りに背中越しに手を振って答えて店の扉を開けて階段を上がって地上へと出る。 ほとんどの店の明かりが消えた駅前繁華街。 早出のサラリーマンや終電を逃して開き直って飲んでいたであろう酔っ払いらしきのが、ちらほらいるだけで人影はまばらだ。 あーやべぇ……階段を少し登っただけで怠い。しかもクソ寒い。 昨晩ちらついていた雪は幸いにも積もらなかったようだが、手足が凍えそうなほどに寒いことに変わりは無い。 真っ暗闇で天を仰げば星が見える。冬のこの時間はまだ真夜中。 胸元の端末からコードを延ばして首筋のコネクタに接続。電車の運行状況とついでに近くの飲食店を検索。 電車は問題なし。五時過ぎの始発に乗れば九時頃には会社へと戻れる。 だけど飲食店の方は外れ。 おっちゃんがまけてくれた二千円で豪華に朝飯をといきたい所だが、この時間に開いているなんてコンビニかファーストフード。 もしくは貧乏サラリーマン御用達の丼物屋。 徹夜明けの朝から丼系の重い物やら、油と肉にまみれたファーストフードは勘弁。そうなるとコンビニだな。 「っと。あー……すんません」 半分眠っている頭で検索していた所為で前方不注意となり、歩いてきた男性にぶつかってしまった。 これだけ道がすいているんだから、避けろよと一瞬むかっ腹がたったが、人の事は言えないし俺みたいに気づいていなかったかもと思いとりあえず謝っておく。 こんな些細な事で揉めてもバカらしい。「……お前みた……がいるから……界は……奪われたんだ」 しかし謝った俺に対して男は無反応。顔をうつむけ地面を見つめてなんかぶつぶつとつぶやいていた。 目深に帽子を被り首にはマフラーを幾重にもまき付けて顔が隠れている為、年齢もよくわからない。「え……と? なにか」 聞き取れなかったので尋ね返してみたのだが、男は顔を上げて曇った目で、俺の顔を一瞬睨んだかと思うとすぐに去って行った。 たぶん同年代くらい。病的なやけに青白い顔色が印象的だった。 目が血走っていたし……なんかやばい薬でもやってるのか? 触らぬ神にたたり無し。 朝食は後にしてとりあえず駅に向かおうと俺はふらつき気味な足を早めた。『西校舎と自習室を結ぶ連絡通路にバグ。走ると映像が乱れる。範囲外に出たから確認たのまぁ』 作業はいよいよ最終段階。 再現した校舎内に潜っている確認班がVR映像の僅かなずれや五感で感じる違和感を見つけて、VR内の管理室に詰めている俺たち修正班はその箇所のソースを確認し修正をかけながら全体を仕上げていく。「おう。当該区域停止。確認修正かける………なぁ三崎。今日何日だっけ」 隣の席で開発部所属の先輩が勢いの無くなった半死半生な声で尋ねてくる。 ただ声は死んでいてもその腕は休むこと無く仮想コンソールを叩き、可視状態に設定されたウインドウに高速スクロールする文字列を険しい目で見つめバグを探している。 親父さんのあれは発破でも脅しでも無く事実だった。 俺はまだ我が社の黒さをなめていたようだ。 VR内で6時間力尽きるまで働いて、リアルに戻り4時間寝て起きたら、また6時間働く。 中世の炭鉱労働並な過酷な状況が会社のあちらこちらで繰り広げられている。 時刻は明け方五時。 あと一時間で交代ができるが、もう思考はナチュラルハイ状態に入っていて楽しくてたまらない。 「あー……20っすね……完成予定まであと1週間です……あら探しが楽しくなってきたんですけど」 バグを見つけるたびに心躍るようになって、精神的にやばい領域に入っている気もする。 当初の予定より多少遅れているが、しかし納期は今年いっぱい。 ぎりぎり完成する予定だ。 年明け早々にはユッコさん達の同窓会を開催してあげられるだろう。「楽しいうちはまだまだだな……そのうち本能的にバグが許せなくなる。狩り尽くさねぇと気が済まなくなって、うちの会社じゃ一人前だ」「んなダメ狩猟本能に目覚めたくないんすけど」 会社に泊まり込んだ総力戦状態はもう五日目。 世間が浮かれるクリスマス前に訪れた最大の修羅場だが誰も文句を言わない。 これは愛社精神とかプロ根性とか生やさしいもんではない。「うっせ…………ともかく、がんばんぞ。絶対に会社存続させてVRMMO運営としてのホワイトソフトウェアを復活させてやる」 死にかけていた先輩の口調に力がこもり目に灯がともる。 この修羅場を乗り越えさせるもの。 それは執念。 丹精込めたリーディアンオンラインを奪われた制作者として臥薪嘗胆な日々を過ご…… 「それでクリスマスランダム発生イベントでカップルプレイヤーを阿鼻叫喚の地獄に落とす恒例行事を復活させてやろうな」 ……むしろ怨念か。 プレイヤーを一番に謳う会社のGMとしてそれはどうなんだろうとも思うが、イベント的には盛り上がってたから有りだろう。 「そうっすね。今度はクリスマスケーキで血の色に染め上げてやりましょう」 クリスマス用特殊ドロップをするケーキ型小ボスモンスターをばらまいて、その中に外れとして一定時間落ちない血糊でも仕込んでやろう。 うん。実にスプラッタなサンタのできあがりだ。「……ほんとあんたらは。碌な事考えないね。うちのバカ息子と同じような思考してんじゃないよ。いい大人が」 疲れがピークで思考がカオスに達していたのか、未来に向け明後日方向に全力疾走気味な思考をしている俺たちの背後には、いつの間にやら開発部の佐伯主任が立っていた。 佐伯主任の息子さんは確か小学二年くらい。 さすがにそこまで幼児化していないと思いたいんですけど。 「し、主任!? 帰ったんじゃないっすか?! 泊まり込みは男衆だけって事でしょ」 ばつの悪そうな顔を浮かべた先輩が、あきれ顔を浮かべる直属の上司である佐伯主任の顔色を伺う。 開発部を束ねる女傑に面と向かって逆らえるのはうちの会社じゃ須藤の親父さんくらいだ。「早出だよ。握り飯と味噌汁。作ってきてやったからリアルに戻ったら食いな。ちゃんと保温してあるから暖かいよ」「「うぉ!!!」」 俺と先輩は思わぬ嬉しい差し入れに歓声を上げる。 ここの所のインスタント続きの食事には正直飽き飽きしていた。 しかも早出と言っても佐伯主任が帰ったの昨晩三時過ぎ。 家は近いはずだが、そこから飯を炊いて握り作って味噌汁も煮てって、ほとんどというか、全然寝てないだろ。 ありがたすぎる差し入れに涙が出そうに、 「寝て起きたらまた仕事だよ。気合い入れな。この仕事がぽしゃったら会社は潰れる。待ってくれているお客さんのためにも会社を潰すんじゃないよ」 飴と鞭ならぬ。飴と鞭さらに鞭。 最初に来る飴玉が大きくて感謝しかない分さらに質が悪い。「「……………はい」」 握り飯と味噌汁の誘惑には抗えぬ俺らは、佐伯主任の無慈悲な言葉に肯定と服従を示すしかない。 「あーそれとだ。三崎……そのあんたが出した企画書あったろ、ほれこの後の事業展開案ってやつ」 佐伯主任は珍しく口ごもり少し言いにくそうな表情を浮かべる。 この間の出張後に提出した企画立案書は今回請け負ったVR同窓会を、他のお客にもプランとして売り込もうという単純明快な物だ。 ただの同窓会ではなくVRならではのいくつか仕掛けを施してリアルとの差別化を図るというのが、メインの考えだったが佐伯主任の反応を見るからにダメだったかこりゃ。 即興な上に徹夜明けの寝不足で拵えたかなりアレな出来だったもんな…………「実は社長も似たような展開を考えていてね……でそっちと折衷していくつかあんたの案を採用したから。お客様に喜んでもらえそうだからってね」「っ? マジですか?」 あっさり採用されるとは思っていなかった俺は思わず驚きの声を上げて聞き返した。 よし。これで上手く填まれば次の仕事に繋がるはず。 アリスの方に割く時間にも少しは重点をおいてやれるかもしれない。「でだ…………早速今回からやるから仕様変更がついさっき決定した。ちょっと組み直しするよ。これがソースコードの一部。順次須藤の親父さんから上がってくるからいれてきな」 佐伯主任が目の前にポップアップウインドウを呼び出して、できあがったばかりのソースコードを表示していく。 何千行にも及ぶ変更、追加箇所が挙列されてるんだが…………………………………いやいや。もう仕上げ入ってますよ。 納期まであと11日しか無いですよ。 俺はこの次のつもりでしたよ。 今回はさすがに諦めてましたよ。 ユッコさんに喜んでもらえるかもしれないけど、さすがに間に合いませんって。 っていうか親父さんいつから作り始めたこれ。 俺じゃあ3日はかかる作業量。しかもこれで一部って。「はははっはは…………冗談ですよね?」 発案者は俺ですけど、さすがにこれは無い。 乾いた笑いを漏らしながら横の先輩を見ると、真剣な目でソースコードを読んでいやがります。 いやいや無いでしょ。さすがに間に合わなくなりますよ。「諦めろ三崎。お前はリーディアン開発段階の時は知らないから無理ないが、完成直前に仕様変更は何度かあった。そしてお前も知ってるとおり、うちの会社はお客様の為ならいくらでも地獄をくぐり抜ける猛者揃いだ……今日から勤務六のあと睡眠時間三でいく。納期は絶対だ」 余計な仕事を増やしやがってという目で睨まれていたのならまだ良かったかもしれない。 目が本気で顔つきが真剣すぎる。 やばい……俺が修羅場だと思っていた今日まではまだ入り口。ここからが本番のようだ。「…………了解ッす」 しかしこの企画案を言い出したのは俺自身。 拒否する選択肢を選べるわけも無かった。