「あのー中村さん。三崎君ものすごい事を言い出し始めてるんですけど、いいんですか?」 プレイヤー数、資金力、開発力。 全てにおいて群を抜くというか違いすぎて、別世界なゲームを引き合いに出した年上な後輩に呆れつつ、GMルームのVR接続用筐体に収まりお手製の検索ツールを走らせ大磯由香は情報収集を続ける。 広大で雑多な混沌とした情報の海から、業務用のマシンスペックに物を言わせ、クロガネというありふれたキャラネームを針とし、付随する各種情報で網を組み上げ、ヒットした情報を地引き網のように丸ごと引き上げていく。 情報技術が発展しAIによる高度な情報分析が出来るようになったといっても、人の直観判断力が低下したわけではない。 受付嬢として多くの関係者やユーザーに接してきた事で鍛えられた由香は、網に掛かった玉石混合な情報を、経験による勘に任せて、人柄、言動、性格、実績、交友関係などに区切り分類し判断し篩にかける。 初心者に優しくて人当たりが良いと書かれたブログがある。 言動が苛烈すぎて怖いと書かれた掲示板がある。 矛盾する情報。それがいくつもの推測となる。 相手によって態度がころころと変わるタイプなのか。 一つのサークルで外見を流用して、中身がころころと変わる複数プレイヤーかもしれない。 あるいはVR中毒者にたまに見られる、リアルと現実が乖離して引き起こされるネット型分裂症の兆候か? 求める情報の質、量は人によって変わるが、三崎の場合はどんな些細な物でも拾い上げるし判断材料は多ければ多いほどいいという、ある意味楽な相手だ。 判断は丸投げでいいとある程度まとまっては、プレゼン中の三崎へと送りつけていく。 大見得切って芝居っ気たっぷりにブラフをかます一方で、彼女が送ったファイルも他者不可視の仮想ウィンドウで逐一確認するのを忘れないあたり、三崎の入社以来三年の付き合いだが、大胆なんだか慎重なんだか未だ判断がつかないでいた。『三崎の好きにさせろというのが社長の判断だ。このまま任せるぞ。それに難易度はともかく勝算無しで戦闘はしないからなあいつは。場の空気を支配し始めたし、ここからがあいつの真骨頂だな』 なにやら面白そうな笑いを漏らす主任の中村の声が響く。 中村もホワイトソフトウェア初期メンバーの一人。自分たちが創りあげた世界を奪われた者として三崎の言葉に感じ入るところでもあったのだろうか。「だからって引き合いに出すのがHFGOって……さすがに大きすぎですってば。他の人なら冗談とか大ボラでしょうけど。本気ですよね三崎君の場合」 社内で一番常識人だと言われる上司からして三崎の発言を容認するのだから、何とも物好きな変わり者ばかりが揃った会社だと、自分のことを棚に上げながら由香は呆れ声をあげる。『腹黒い三崎の事だから他に目的があって打倒HFGOすらも、ついでだったりするかもな……それよりもディケライア社だ。どういう仕事をやっていて、先代の社長っていうのはどんな方だったんだ。大磯君しらべてあるか?』 三崎の友人であり、名物プレイヤーとして社内の一部でも有名だったアリシティア・ディケライアの言を信じるならば、亡父が残した遺産であり遺志の形。 精巧で膨大な数のVR宇宙船データは一朝一夕で用意出来る物では無い。 だがこれほどのデータ群を用意出来るディケライア社という名前は、この業界が長い中村も聞き覚えが無かった。「あーはいはい……ディケライア社。創業は20年ほど前で、アメリカじゃよくある形のリアルに事務所を構えないVR企業ですね。主要事業は個人客向けのニッチでプライベートなVR空間作りと。オーダーメイドで手間が掛かるのと依頼主の情報保護もあってかあまり大々的に宣伝はしてなかったみたいです。知る人ぞ知るという感じで」 打てば響くとばかりに由香は情報収集の傍らで中村の疑問にすらすらと答えつつ、事前にアリスから提出された事業内容書と、別ルートで収集していた資料を展開していく。 ホワイトソフトウェアにおいて関係各所の基本情報集めは広報課の仕事になる。個々のニーズに合わせた情報を迅速に提供する為にも欠かせない業務の一つだ。 「三崎君の話じゃ、日本で事件が起きたのと丁度同じくらいに先代のヘルケン・ディケライア社長が病気で急逝されて一人娘だったアリスちゃ……アリシティアさんが急遽帰国して引き継いだそうです。そのヘルケン社長ですが、三崎君も会ったこと無いそうで、ネットから拾えた個人情報も少ないです。ただ筋金入りのSFマニアぽいかなって。所謂トレッキーみたいです。その筋のマニアサイトへのリンクが故人のFBにいくつかありました」 呼び出したリンク集を展開し、そのサイトをサブウィンドウに次々に表示していくと、初代から一世紀近く経つの未だに時折ドラマや映画での続編が作られているあちらで国民的なSFドラマの公式サイトや、濃いファンサイトへ繋がっていた。 故人の趣味がうかがい知れるリンクは、VR内で仮初めの空で展開されている新規ゲーム案と合致するものだ。『なるほどな。趣味が高じてSF系VRMMOを考えていたって事か。うちの社長と同じ趣味を仕事に出来るタイプのようだな。一人娘を日本に留学させてったって事は、ひょっとして最初から日本で展開させる気だったかもしれんな』「あちらだと新規ゲームが出ても、HFGOと顧客層が被るとすぐ潰れちゃいますもんね」 Highspeed Flight Gladiator Online。 そのタイトルが示すとおり、速度=破壊力を地でいくど派手な高速バトルの爽快感と、単純だが奥の深い一度嵌まると抜け出しにくい中毒性をもつゲーム感覚は、アメリカ本国で同系統のVRMMOが追随するのが難しいほど、圧倒的なシェアを持つ要因となっている。 オープンβテストを開始したが参加者が集まらず、制作中止になったゲームもいくつかあるほどだという。 ゲームを練り上げる事すらままならない本国よりも、他国でまずは様子見と開発を行い地盤を築くというのは、VR実装によってさらなる高度情報化社会になり、垣根が低くなり世界が狭くなった現在では有効な手と言えるかもしれない。『しかしそれだけ本気って事か。開発部の連中も三崎の展開したデータ群を調べているが、バグや違和感も見当たらなくてどれも完成度が高いって騒いでるぞ。佐伯さんが動けば、もう少し調べられるんだが、なにやら音信不通になって連絡がとれないそうだ。身体はこっちにあるから中にいるとは思うんだが、大磯君は何か聞いているか?』「佐伯さんですか? いえ特には。私がこっちに戻ってくるときもまだ中にいました」『そうか。怪しいな……この状況で何か仕掛けてくる気かもしれん。なんでこううちの会社は変わり者ばかりが多いんだ本当に』 三崎達が展開したデータ群は、開発部主任である佐伯女史なら垂涎で飛びつく上物だが、佐伯は自ら姿を隠している。 怪しいにもほどがある女傑の動向に、笑いを含む中村の愚痴が筐体に響いた。 いくつか予想外のことが起きているが、現状の流れは概ね思い通りのまま。あの許しがたき男に罰を下せるはずだ。 己の感情を衣の下に秘め、仮想体の表面には相手が予想しているであろう驚いて動揺していると思わせる表情と仕草を貼り付ける。 弱者のみを狙う卑劣なPKを、幾度も自らをおとりとして誘い出してきたその手腕は些かも衰えない。 過去のプレイヤー時代から今に至る言動を調べ上げ、自らの利を求める狡猾な男の手管は見抜いている。 予想外の手で動揺を誘った所で、相手側が承諾しやすい結果、条件を出すことで、罠を仕掛けた道へと相手を自ら誘い込ませる。 相手の心情を読み取り、場に会わせて臨機応変に手を変える。 策を張り巡らし、流れを操る策謀家。 それが彼女が分析したミサキシンタという男だ。 数多のPKを罠にかけた擬態も、この男は気づき手を打ってくるかもしれない。彼女が予測もしていない手をまだいくつも隠し持っているかもしれない。 実際ここまでのゲーム内容には、いくつもの疑問点がある。 ゲーム内容に自由度を求め、やれることが増えれば増えるほど、プレイヤーが熟練するまで膨大なプレイ時間を必要とする。果たして1日二時間という規制に対してどうするつもりか? 元々用意していたデータは別として、この男が言うほどの規模のゲームを、業績が傾いた中堅どころのホワイトソフトウェアと、名前を聞いたことすら無い国外の会社で運営できるのか? 分かり易すぎるほどに分かり易い弱点。 おそらくこれらは罠だ。こちらがその質問を発した途端。この男は即座に切り返し、自らの勢いに変えるつもりだ。 今の流れで、これ以上起死回生の策を披露させて会場に熱を与える空気はよくない。ミサキシンタに有利に動いてしまう。 全ての疑問点はこの男が説明を終えた後。いったん流れが落ち着いた後。感想評価という形で彼女に尋ねてくるだろう時に攻めれば良い。 会場の熱に任せ勢い任せで問題点を強引にスルーする姑息な手を考えているのだろう。 しかし厳しいVR規制条例相手では、どのような策であろうともアラは浮かぶはずだ。なら会場が冷めてから指摘すれば良い 焦る必要は無い…………すでに勝敗は決している。全ては手遅れだ。 打倒HFGO? VR復活? 貴様にはすでにそんな事をいう資格は無い。そんな野望を抱く事はできない。 愚かな男だ。関係者で溢れたこの場に降り立ちミサキシンタというGMを糾弾した段階で、すでに仕込みは済んでいる。 もっといえば出会ったあの日に、忠告をしたあの段階ですでに勝敗は決していた。 祭りが起きればこの男はGMであるが故に業界からつま弾かれる。 世界を奪われた者達の怨嗟を一身に身に纏い消え去ればいい。 クロガネと呼ばれる彼女は驚き顔を貼り付けた仮想体の内側で、すでに敗北したということに気づかない愚か者に対し冷たい嘲りの笑みをこぼしながら、目の前。そして仮初めの空で対峙するミサキシンタを蔑んだ。『シンタ。注意。なんか狐からやな感じ』 艦船データで場の空気が十分に熱を含んだと判断し次のステージへと突入しようと俺が口を開く直前、アリスから注意を促すWISが飛んでくる。 アリスの指す狐とは言うまでも無く、今現在籠絡に掛かっているクロガネ様のこと。 こちらが繰り出した切り札その位置『艦船データ』の量と完成度に、唖然として呆けた表情を貼り付けている相手に何を警戒しろと、他の連中からの忠告ならあまり気にもとめないんだが、アリスの忠告となると別だ。こいつの勘の良さに何度デスペナから救われたことか。「では皆様、次に戦術ステージの説明へと映らせて頂きます。こちらのデータ群はまだ一部。いろいろな”モノ”が控えておりますので驚きを残しておいてください」 戯れ言で僅かな時間を稼ぎつつ、ウサミミで電波でも受信しているんだろうかと疑いたくなるようなチート級な警戒警報に、俺は緩みかけていた意識を引き締め直して、左手を仮想コンソールに走らせ大磯さんから送られてきた各種情報を検索する。 検索するのはPKKとして恐れられていたクロガネ様の狩りの手法とその手腕。 スキルに縛られるゲーム内と違って、勝つためなら何でもありなこの状況下でどこまで相手の思惑を推測できるか定かでは無いが、参考にはなるはずだ。「戦術ステージは艦を指揮していく艦長の分野となります。艦装備の変更。乗組員の入れ替えもしくは演習によるスキル強化などで育てていく育成面と、三次元軌道をメインとした宇宙戦から、惑星内での海戦、水中戦、もしくはフレア吹き荒れる恒星表面、掠っただけで致命傷となる高重力圏ガス星雲内での特殊状況戦など多種多様な戦場を用意…………」 事前に用意していたカンペと映像群を使いながら説明を開始する一方で、俺はアリスの忠告に沿い行動を開始する。 キーワードとして他者の評価。狩られたPK側、護られた一般プレイヤー側と検索をかけるとすぐに情報が無数に上がってくる。 賞賛するギルメン募集掲示板や狩りを邪魔された事を愚痴るブログ。匿名掲示板に書かれた罵詈雑言。 さすが大磯さん。この短時間でいろいろ浚ってきてくれている。こりゃ後で差し入れもってお礼コースだな。 情報の多さに感謝しつつ、その中でいくつか気になる言い回しを拾い上げる。『怖がっていたふりが上手い』『呆然として青ざめた顔しているからって油断してたらやられた』『必死に逃げる表情が作り込みすぎだあのクソ女。パニックになって動きが遅くなってると思って深追いしすぎたら罠にはまってやられた』 ふりが上手い……呆然とする……遅くなる。 脳内ナノシステムによるVRは原理的には脳から発される電気信号を読み取り、実体では無く仮想体へとダイレクトに反映されるシステム。 直結しているその為か感情に反応しやすく、特に基本的な喜怒哀楽は表面にあらわやすく内心を隠しにくいといわれている。 アリスのウサミミなんかも良い例だろうか。 ある程度慣れてくると表情を取り繕う事も出来るんだが、それにもそこそこ限界がある。 自分が考えている事が表面に出やすいってのはNPCモンスター相手の時は別に気にしなくても良いが、PvPとなると話は別。ポーカーフェイスが出来ないようじゃ罠に誘う駆け引きなんぞ出来やしない。 だからVR内の対人戦では顔を隠せるフルヘルムやらマスクやら覆面の装備が結構重宝されたりしているんだが、それに対して自分が丹精込めて作った顔が隠れるのが嫌だというプレイヤーも結構多い。 この辺りは実利一辺倒な戦闘派と、見た目重視なロープレ派の違いだろうか。 そんなロープレ派の筆頭だった俺の相棒が手をこまねいているわけでも無く、いくつか手は打ったんだが、(アリス。お前だいぶ前に偽装MODって作ったことあったよな? ほれ内心とは別に仮想体の表面に別の表情をとっさに流すってやつ。対人戦で顔隠さないで済む秘策とかいって。アレなんで没にしたんだ) どれもあまり上手くいかず、最終的には送られてきた電気信号とは別の表情へと変える高難度なMODまで作っていたが、なぜか没という結果に終わっていた事を思い出し、文字チャットで尋ねる。『あれ扱いが難しいの。事前に特定の変換パターン決めるってのも考えたけど会話や行動に合わないとちぐはぐで不自然だし、状況に合わせて操作するとどうしても反応が遅れるし、そっちに気を取られてると他の行動も遅くなるから、対人戦じゃ使えないって結論だよ……それ聞いてきたって事はその類似品を使ってるって事?』(……今は判らん。でもたぶん現役時代は使ってるな。こちらのクロガネ様は釣り狩りの名手みたいだ。結構なPKが油断して釣られてやられているみたいだ) 『ん~そうなると。今の呆気にとられている表情もシンタのペースに巻き込まれて打つ手無しって訳じゃ無くて、何か仕掛けてる、もしくはすでに終えたって所かな』(仕掛けか……こっちの隙。ゲームの規模やらVR規制条例対応策でのあからさまな誘いにも食ってかかってこない辺り、当たりかもな) こちらの隙に食いついてきたならこれを一気に釣り上げて即時論破で、こっちが有利に立つつもりだったがそう上手くいかない。 となるとだ。相手の策は待ち……闘論会という形に引っ張り込んだ以上、俺の方からクロガネ様に最後に総評を尋ねる必要はある。そこで仕掛けてくる気だろうか。 会場のボルテージを徐々に上げていき全体を巻き込んで、不確定要素は勢いでごまかすつもりだったんだが、そう上手くはいかないようだ。 社長への説明と許可を取り付けてから社内で動くつもりだったが、先に動いた方がよかったかもしれないと反省する。 まだこちらの最大カードは社内ならともかく”会社外”まで巻き込めるほどの完成度を得ていない。 案として記載はしているがせめてもう一押し。VRゲームメーカー。そしてユーザーが興味を持てるような無視出来ないインパクトが欲しかった所だ。 (とりあえずこちらの隠し札はあと2枚だけど、次の戦闘説明で1枚切る。時間規制条例とHFGO対策の、限定型VR戦闘システムを混ぜるぞ) 多少の不安は抱きつつも俺は勝負へと出るために、クロガネ様のリアクションを待たずに戦力投入を決断する。 最大の相手が乗ってこないといえど、会場内の他のお客様が注視しているのは変わらない。 この熱をさらに高めて最大の切り札をより効果的に使うためにチャージしておく必要がある。 最後の切り札こそがクロガネ様をこちら側に引きずり込むための、ユーザーを味方につけるエースカードだ。『了解。無双システムのほうね』 制限状況下においてもVR機能を最大に活用する事で、ユーザーの高揚感を高めゲームを盛り上げる為のゲームデザインをアリスは無双システムと呼んでいる。 『でもシンタ。隠し札は+1枚しておいてね。あたしが用意した切り札も準備完了って連絡がきたから』 自信ありげで実に楽しそうなアリスのWISが響く。 アリスの切り札? ひょっとして俺にも内緒といっていた何かか。この状況下で準備完了って何をしていたんだこいつは。 (オッケー。期待しとく……ただ油断するなよ。思惑を外されまくってるからな) 頼りになる相棒のこと。期待はずれな手は出してこないだろうと信頼しつつも注意を喚起する。 このクロガネ様というプレイヤーは、大磯さんからの情報が集まれば集まるほど、厄介な相手だと判る。 この目の前の狐娘の中が予想通りであるとすれば、最初にあったであろうあの日に、すでにクロガネ様は俺に対するワイルドカードを手に入れているはず。 自らのあずかり知らぬ所で起きた事件で、VR全体が規制されるというVRユーザーの不平不満がくすぶった状況下で、火をつけ祭りを起こす火種を。 俺がもしクロガネ様の立場ならそれを最大に利用する。相手の名声を地に落とし、二度とVR業界に関われない悪評をつける手として。 こちらの御仁はネットゲーマーにとって古来からの最大禁忌の攻撃をやりかねない。なかなかあくどい相手だと、俺の勘が告げる。 まぁつまりは…………あまり認めたくは無いがクロガネ様と同様のどす黒い悪意混じりのジョーカーをリルさんに準備してもらっている俺は、思考が似通っているのかもしれ無いということだ。