展望公園から見上げた空に浮かぶのは、穴だらけの球体。 送天全体が膨張し、船体表面に無数に生み出された様々な大きさの六角形の中で、ひときわ大きい穴の中から、純白色で染め上げられた真珠のような大型跳躍艦【フォルトゥナ】が、ゆっくりとその全容を表していく。 現界。高位次元から、現次元へと降り立つ儀式。 余剰エネルギーの放出によるプラズマや、僅かな船殻破砕さえ起こさず、ゆっくりと姿を現すその様は、水平線から昇ってくる月。 銀河最大の星間運送業バルジエクスプレス次期主力艦のネームシップの名に恥じない、荘厳って言葉がふさわしい威風堂々としていながらも、優雅さを感じさせる静かな跳躍だ。 さすがにお客様方が跳躍してきたってのに、のんびりしているわけにも行かないんで、シークレットスペースを解除した俺とアリスは、衛星クラスの超大型艦が跳躍してくるリアル風景を見上げていた。 そのままではどうやっても光速の縛りを超えられない現次元で、絶望的な長距離を、超次元経由で大幅にショートカットするのが跳躍航法。いわゆるワープ。 跳躍に用いられるエネルギーは膨大で、衛星艦級では一度の跳躍で恒星爆発にも匹敵するエネルギーが必要になるそうで、その分必要量との僅かな誤差も、深刻な事故を生み出す要因。 エネルギーが足りなければ、こちらの世界に戻る事ができず次元の泡と消え、かといって多すぎれば、現界時の過剰エネルギーで、自艦のみならず、周辺星域時空間に大嵐を巻き起こしと、迷惑この上ないなかなかの危険度だ。 誤差0.001%内がナビゲートのぎりぎり合格ラインクラスとのことだが、それでも船体ダメージは相当深刻。 次の跳躍に向けて本格的なフルメンテナンスが必須というシビアな世界。 だからそれら跳躍時の危険と負担が極めて少ない超長距離間固定跳躍ポイントである次元跳躍門、跳躍先の状態を知らせる無人灯台や、各恒星系に設置されたメンテナンスドッグが、銀河系航路には設置されている。 だけどここはその銀河系航路の末端からも外れに外れた暗黒星雲近傍。地球人感覚で言うなら獣道さえない密林の奥深くに僅かに開けた平野部。 ここまでのルートには一応の目印はおいてあるが、それでも突破してくるには傷だらけになる覚悟が必要。 だけど天に浮かぶ白い女王の鋼鉄の肌には傷1つ無し。 フォルトゥナの純白の肌は、銀河でも難所中の難所である暗黒星雲の中を、何度も跳躍しながらも、一切船体を傷つけなかった何よりの証ってわけだ。 さすが跳躍精度では銀河最高峰ナビゲータと誉れ高きレンフィアさん。アリスのお師匠様と、俺なんかは感心しきりなんだが、当のお弟子様と言えば、「あの……嫌み羊。わざわざ船体を白くして」 銀色のうさ耳を揺らしながら、その白い船殻に修業時代を思い出したのか、今のうちからシャルパさんとの再会に向け覚悟を決め固めた作り笑顔のまま、ぎりぎりと歯ぎしり中。 「どうせ若い子にやらせて、失敗したら不眠不休で罰掃除やらせて、優越感にふける気なんだから」 小型艦のナビゲートごときで上手くいったって調子に乗って、なめてかかった輩が失敗したときの、大型艦外装部モップ掛けというスパルタメニューがあると聞いたことはあるが、アリスも体験者か。 だがアリスの性格ならさもありなん。 まだ新モンスターのパターンやら傾向が分かってないからうかつに殴るなって言っても、殴りながら調べればオッケーってすぐ突っ込む。実戦主義って名の行き当たりばったり脳筋プレイの申し子だ。 「んなことより、実際に跳んできた影響ってどうなんだよ。どんだけ静かに跳んでも、現れた影響ってかなり残るんだろ。やっぱ少しは荒れてるのか?」 傍目には静かな登場なんだが、レンフィアさんのナビゲートでも、あれほどの大型艦が現界してくれば、周辺の時空間に与える影響はどうしても大きくなりやすく、連続跳躍は絶対に不可能ってのが、今の銀河の常識で有り、限界点。 それを補うのが、空間そのものを繋げるので、影響のない跳躍門ネットワークだけど、それも先の大戦で激減。 今は星間物質が少なく恒星系から離れて安定しやすい空間が航路に選ばれていたり、跳躍後に用いられる使い捨ての空間安定衛星なんて物で、何とか通常航路と流通網を補っているのが現状。 なるべく跳躍や船の数を減らすために、基本的には銀河腕をまたぐ長距離跳躍航路は、乗り合い大型艦に限定され、大型艦に搭載された中型艦が一方面航路、そして最終目的地の各星系航路には中型艦に搭載された小型艦にと、マトリョーシカ方式がとられている。 だからどうしても人気航路なら乗り合いも多く輸送料金は安くなるが、辺境域であればあるほど専属船に近くなって料金は跳ね上がるので、辺境での開発が不採算かつ高コストとなりやすい原因……というのがサラスさんからたたき込まれた銀河経済学の基礎知識の1つ。 送天の跳躍門モードが、片道切符とは言え、各跳躍門から直接乗り付けて来られるなら、単純に半分とまでは行かずとも、コスト減の要因にはなり得るんだが、「影響は大分弱い……かな。でもすぐに再現界、再跳躍って訳にはいかないくらい。正直微妙?」 頭の上でうさ耳を揺らしていたアリスの反応や表情を見るに、すぐに実戦投入が出来る数値ではなさそうか。「シャモン姉。質量とか形状を変えた小型船をいくつか用意って出来る? 出来れば今の銀河系内で多めに使用されている小型貨物船のデータで」「最新型はライセンス関係で無理ですけど、ガワと質量だけを合わせた模倣艦だったら問題ありません。クカイにも協力させてなるべく忠実に再現してみます」「うん。お願い。船だけじゃなくて、ナビゲートの数値もいくつか制限を加えていろいろやってみる。リルは後でいいから昨日の収集データから、各星系のディメジョンベルクラド跳躍記録データをメルに転送。メルはそれに基づいて各跳躍門からの跳躍をシミュレート。結果をアカデミアと情報連結してデータを共有化。興味持ってくれそうな人が居たら実地試験の協力要請。あたし1人のデータより信頼度が高められる方向で……あとついでに腹黒羊にも一応打診」 アリスが矢継ぎ早に指示を出して、送天の簡易跳躍門機能を何とか使えるようにするため、算段を始め、最後に心底嫌そうに、だけど絶対必要な優秀なお師匠さんを上げる。 商売熱心なレンフィアさんなら確実に乗ってくるだろうし、むしろはぶいたらあとが怖い。 跳躍関係の手はずをアリスがあれこれしているうちに、フォルトゥナは完全に姿を現し、重力制御による微速移動で、創天の直上方面へと移動し停止する。『フォルトゥナ所定位置への停船確認。第21メイン可動埠頭移動。ドッキングを開始します』 フォルトゥナが停船すると同時に、創天が広げていた細長く長大な花弁状の埠頭の1つが、根元から折れて動き始める。 フォルトゥナや展開した創天が大きすぎるせいで棒のようにも見える埠頭だけど、その長さは手元のデータを見る限り、本州よりも長い距離をもつ大埠頭。 文字通りの桁違いの光景にスケール感が狂ってきそうだ。 でも宇宙であろうが、地球であろうが、おもてなしの基本に変わりなし。 望む望まずにかかわらず、わざわざ遠方から来てくださったんだから、最上級のおもてなしをしてみせるのがサービス業の心意気ってもんだ。「んじゃ補給リストをあちらさんに送信と。火星手作りの各嗜好品をトップに。あと必要かどうか分かりませんけどメンテ用に各種資材も無償提供で」 何でもありな超技術持ちの宇宙において、一般的な工業品じゃとても銀河トップクラスの星々と渡り合う気にはなれない。 後発組もいいところの俺たちが目指すべき路線は、手作り製品を含めた高品質の独自サービスを提供するリゾート惑星。 ただ、いきなり売りにしようとしても、まずお客様なんて来やしない。 ここは来るのも大変な辺境のさらに外の未開の地。 だけど暗黒星雲内航路が設立すれば、近傍の未開星系群で大規模開発が行われる予定が立っているならば、その時に向けていくらでも手は打てる。 PCOを通じてVRからの全銀河規模の宣伝活動。 先の大戦もあって銀河文明では今ではほぼ途絶えた手工芸の匠達による伝統文化。 原始文明であるが故に課せられた、研究目的の極少量物資以外原則星系外持ち出しを逆手にとった、ここでしか味わえない品々。 何せフォルトゥナは今第二太陽系内に停泊中。 純地球産資源や物資は持ち出し、持ち込み禁止。 でも特別惑星扱いの火星の食料嗜好品や、水星、金星産物資なら、そこに金銭のやりとりが発生せず、必要最低限度であれば、現地調達物資として認められた範疇に収まる。 無いならないなりに、未開なら未開なりに、いくらでも手はある。作れる。 法律のグレーゾーンを上手いこと縫って手を繰り出す。 査察官のシャルパさんが来ているこの状況で、脱法行為マシマシはちと危険だが、完全な違法行為でなければ、ある程度の修正猶予期間とお叱りですむ。 なら逆に境界線を見極める基準にすればいい。 一度認めさせればこっちは大手を振って、さらに大々的に出来るってもんだ。 その判断役であるシャルパさんに当てるための最適な人材は我らに有りってか。 もっと問題はその切り札は緊張の面持ちで、生まれて初めて会う肉親へプレッシャーを感じているのか耳と尻尾がへたれ気味だ。「メインのお客様はレンフィアさんにシャルパさんと。んじゃカルラちゃん。アリスと一緒にお姉さんのご案内は任せた。俺とシャモンさんはあっちに乗り込んでレンフィアさんの籠絡と行きますか」 「あ、あの小父様。でも私で大丈夫なんでしょうか? シャルパ姉さんは私情を挟まない厳しい方と皆さんから伺っているのですけど」「カルラ! あんな根暗女にびびること無いわよ! どうせ細かい所をぐだぐだねっちこく攻めるしか能が無い陰険なんだから。嫌がらせに展開した本社モードで稼働した部署は跳ね上がってるんだから、あっちが根を上げるまで引っ張り回してやんなさい!」 不安げなカルラちゃんの背中をバシッと強く叩いたシャモンさんが好戦的に笑い、犬歯を覗かせる。 妹の方は及び腰だけど、姉の方は今にも噛みつきに行きそうとホント対照的な姉妹なこって。「えーとシャモン姉。一応嫌がらせじゃなくて、シャルパ姉に望郷を意識させるための本社モードなんだけど」「甘いです姫様! あいつがそんなセンチメンタルな気持ちに流されるなんてありません! 血も涙もない冷血女ですよ!」 うむ。普段はアリスの言葉は無条件全肯定のシャルパさんが、非常に珍しく反論している。 それだけ思うところ有りって事だよな。 イコクさんらが口をそろえて、いきなりシャモンさんとシャルパさんを対面させるのは絶対にやめとけと言うだけはある。 シャルパさんの方はどう思っているか不明だが、ここまでこじれていると一筋縄ではいきそうにもないか。 そんなシャモンさんの様子に心配になったのか、アリスがちょいちょいと俺の袖を引いてから耳打ちしてくる。「シャモン姉は任せるからね。あとついでに性悪羊の方も」「こっちの大ボスがついでかよ。レンフィアさん相手なら、むしろ頼もしい人材だから心配するな」 俺もアリスに併せて小声で本音を返す。 レンフィアさんは銀河でも名うての人たらし。引き抜き、籠絡に長けて有能な人材を集めている人材コレクター。 その本城にのこのこ乗り込むんだ。 いきなり調略完了は無いにしても、種さえ埋め込ませないには、アリスへの忠誠度100な絶対守護神シャルパさんが最適。「そっちの心配はしてないけどさぁ……むしろシンタの方が心配なんですけど。あの性悪羊と同系統でしょ。うまい話に乗せられないでよね。あの性悪羊の事だから、こっちの状況が悪いとみたらすぐに裏切るよ。自社利益最優先なんだし」 極めて有能だけど味方につけても、情勢次第でいつ裏切るかわからない難物。 だけどそれはゲームの駒としちゃ最高におもしろいユニット。 こういうのを使いこなした時の快感こそ、ゲーマー冥利に尽きるってもんだ。「あいよ。調略合戦なら望むところだっての。上手いこと乗せてくるから心配すんな。そっちこそ、情に負けて失敗するなよ」 俺はにやりと笑ってやりながら、紋章風になったウサギとモニターが向かい合う図柄のネクタイを少しきつめに締め直す。 今日選んだのは、我らが頼りになる同胞ユッコさんオリジナルデザインのここぞって時につけるようにしている勝負ネクタイ。「ふんだ。じゃあ勝負ね。どっちが先に攻略するかで。リル。接触と同時にコンマタイムで計測開始」 つい先ほどまでは不安からくるプレッシャーからの空元気じゃなく、俺がよく知っている笑顔でアリスが手のひらを掲げてみせる。「んじゃゲームスタートだ”相棒”。カルラちゃんの前なんだから、シャルパさんに冷たくされたからって泣きじゃくるなよ」「それこそ余計な心配。シンタこそ”パートナー”のあたし以外に籠絡されないでよね」 互いにからかい半分で笑い合って、手のひらを打ち合わせ、次いで拳を握り再度打ち合わせる。 いつものゴングを合図に俺たちは、互いが絶対にそんな状態にならないと確信を抱きながら、それぞれの戦場へと向かった。