「お、おとーさん……?」 状況が飲み込めず、意味が判らず、そして信じられず、震える声でようやく絞り出せたのは、主語を失った不明瞭な問いかけだけ。 だがそんな問いかけに対して、父の三崎伸太は何時も通りの笑顔のまま、一番知りたいことを自然と汲んでくれる。 エリスティアにとって妹であるカルラーヴァの首に、なんで太い首輪を連れて引き回しているのかを。「カルラちゃんのこれか? 記憶消去と思考パターン変更の準備。カルラちゃんはよくやってくれてたから、かなり痛いんだが、まぁしゃーない。必要な事だ。リードの方は一時的に優先命令順位を俺の方にするための機械だ」 エリスティアの視線で問いかけの意味に気づいたのか、あくまでも自然に、父は平然と返す。 外見だけを残し、カルラーヴァがカルラーヴァでは無くなるという、実質的な死を意味する答えを。 まるで傘が無いときに雨が降ってきたので諦めたかのように軽い口調で、しょうが無いとでも簡単に。「本当は終わるまでエリスに会わせる気は無かったんだけど、気づいたご褒美だ」 そう語る父の横で、カルラーヴァは首輪がきついのか息苦しそうにして、悲しそうな表情で黙り込んだままだ。「っぁ……っ……」 説明の意味は判っても、理解が追いつかず混乱するエリスティアは言葉を無くすと、エリスティアから父が視線を僅かに上へと外す。 何時も大切な話をするときには、しゃがみ込んだりして目線を合わせてくれていたのに。 カルラーヴァの記憶を奪うことが、大事な事でも無いというように。「カルラちゃんが生まれた理由はエリスにも前に言ったとおり。地球人の俺と宇宙側のアリスの間で生まれたハーフであるエリスと、同じ生い立ちを持つ従者を産み出すため。つまりはエリスと同じ目線で味方になってくれる存在が欲しかったからだろ」 カルラーヴァの家であるグラフッテンは先祖代々、ディケライア社の初代社長である旧銀河帝国皇女に、帝国崩壊前から付き従っていた皇室親衛隊隊長の一族の出。 ディケライアの跡継ぎが生まれる際には、グラフッテン一族から守護者として選出、もしくは新たに産み出されるのが通例となっている。 それはもはや伝統であり、強い絆と繋がりを象徴する関係で、ここ数世代はほぼ兄弟同然で育てられているのはエリスティアだって知っている。今更説明され無くても判っている。「でも守るってのはただ無条件で、エリスが言うことに従うわけじゃ無い。命令、もしくは頼みがエリスの生命に危険をもたらしたり、立場が不利になるのであれば断れるようにしなきゃ、意味がない。実際に遺伝子レベルでそうしてたはずだったんだが、どうもここでエラーっていうか、父方のレザーキ博士の地球人遺伝子が、帝国時代に親衛隊に施されていた皇族への絶対服従伝子を活性化、というか復活させてたみたいだ」 父の背後に仮想ウィンドウが展開され、調整された初期遺伝子データと実際の遺伝子データの変容やら、未開惑星関連法案に関する条文等を一気に流しはじめ、最終的に全てのウィンドウに問題あり、至急調整が必要という結論が表示された。 元々地球人は、銀河帝国によって特別調整された実験生物達の末裔。その遺伝子には今の宇宙文明でも、未だ解析不能なロストテクノロジーによる未知の可能性が数多く眠っているという。 父三崎が、母アリスティアの空間ナビゲート能力ディメジョンベルクラドを史上最大までに引き上げたのもその一環。同じようにカルラーヴァにも何かの作用が出ていてもおかしくない。 いやひょっとしたら、エリスティア自身もハーフの身だ。何らかの相互作用があるのかも知れない。 だが違う。今知りたいのはこれでは無い。「ほれ、実例としてもオープンイベントでエリスは地球に行って美月さん達に宣戦布告兼ちょっかいを掛けに行こうとしただろ。許可のない奴は地球には降りられない。だからカルラちゃんはこれを止めるか、俺達に知らせて未然に防ぐのが役割だってのに、止められず伝えてもいない。もっともエリスは上手く出し抜いたつもりでも、さすがに無断で地球への転位を見逃すわけは無いけどな。ここと同じように作った疑似空港へと転送してたわけだが気づかなかっただろ。もっともあの段階で、エリスに気づかれると、後々の仕掛けに支障が出るから、あの美月さん達は本人達とリンクしたナノセル義体なんだけどな。ふふん。謀略でおとーさんを相手にするには百年は早かっただろ。今まで遊んでやれなかった分だけしっかり遊んでやったけど満足したか?」 娘と遊ぶと称して、心底楽しそうな顔を浮かべる父の思考が、いや父その物が理解でき無い。 今大事なのはそうじゃない。 それじゃ無い。 自分が、自分達の行動が最初から見抜かれていたのも、そこからずっと罠にはまっていた事実も、今は些細な事だ。 それでなんでカルラーヴァが、カルラーヴァでない存在へとされなければならないか。 今エリスティアが知りたいのは、そして止めて欲しいのはそれだけだ。「ま、まって、お、おとーさん! なんで!? なんでエリスじゃ無くてカーラがもっと酷い事されるの!? エリスが言っ、うぅん! 命令しただけだもん! だからカーラは悪くないのに! カーラを離してあげて!」 自分が本当に望むことがようやくまとまったエリスティアは、必死の思いで口にするが、エリスティアの心からの願いなら、出来る事ならば何時も快く引き受けてくれ、無理でも熟考してやれる方法を考えてくれるはずの父は、やはり目も合わせてくれず、あっさりと首を横に振った。「あーそれとこれは別。だから隔離、罰はエリスだけだろ。カルラちゃんの場合は、必要だからだ。今のカルラちゃんは、エリスが冗談でも、どっか行っちゃえとか、あの人を殺せと、自分が死ねって、もし口にしたら、無条件で従う危うい状態。さすがにこれをそのまま放置は出来ないから、エリスがこっちにいる間に色々と試してたんだが、皇族への服従遺伝子を不活性化処置しても、地球人遺伝子が再復活させているみたいでな。となりゃ手は1つ。服従対象をエリスじゃ無くてアリスに変更するしかないだろ。アリスならそこら辺の分別はついているからな。しかしそうなると記憶の方に齟齬が生じて、精神安定に問題が起きる。だから記憶消去と思考改変が同時に必要なんだとさ」「エ、エリスしないもん! そんなお願いカーラに!」「でも地球には行こうとしただろ。実際にやった後じゃ。説得力が足りないから、仕方ないよよなぁ」 目を合わせてくれず下から見上げる形になった父の口元は、残念そうに言いながらも、楽しそうに笑っていた。 楽しんでいるのだと気づく。今の状況を。エリスティアがこんなに困って、嫌だと言っているのに。 それがたまらなく悲しくて、いやで、気づけば自然と涙が溢れてくる。 だが泣くだけではどうにもならない。 泣いていては、状況を変えられない。「やぁ……やだぁ……カ、カーラに、酷い事しないでぇ……な、なら、エ、エリスが変わるから……ぜったい、ぐす……カーラにしないからぁ」 泣きじゃくりたいのを我慢して、カルラーヴァの首輪に繋がるリードが伸びた父の右手の袖を掴んで、パニックになりかけの頭の中でも必死に考えて懇願する。 父の言う処置は、基本的には絶対服従の対象を変えるという話だ。ならカルラーヴァでは無くて自分が変われば、今のままでもいいはずだと。「そうか……ん、そうだな。ならおとーさんと1つゲームをしようか」「ぐす……ゲーム?」 少し考えた父が、何時もと変わらぬ口調のまま、極めて軽い口調で主旨の読めない提案する。 なんでこの状況でゲームなんて口にするのか。そんな事で簡単に決めていいのか? その提案は、カルラーヴァから記憶を奪うことを、父がたいした問題と考えていないように感じてしまい、もっと悲しくなるが、今はその思いを封印して、どういう意味か尋ねる。「問題はエリスの判断力だからな。カルラちゃんに無理を言わず、感情に流されず、ちゃんとその状況に合わせた正解を導き出せるか……だからPCOのオープンイベント中にエリスにゲームプレイでその辺りを見せてもらおうかな」「ふぇ……み、見せるって、いつ? なにを? どうすればいいの?」「おいおいそれを教えちゃゲームにならないだろ。どういう状況か、そして何が正解か、それらも含めてエリスが自分で考えるって事だしな。セーブ機能なんてないMMOはリアルな人生と変わらない。だからこそ自分の勘と考えを信じるやり直しの利かない勝負が面白いのに、その楽しみを奪うなんてするわけ無いだろ」 あまりに抽象的で、明確な問題も答えの無いルールに困惑しているエリスティアに対して、父は煙に撒くように惚けながら、それはそれは楽しそうに返してくる。 その声で悟る。父は本気だ。今の提案が最大限の譲歩で、これ以上何を言っても、そのゲームで勝たなければ、カルラーヴァは記憶を消され、別の存在へと変わる、今のカルラーヴァが死んでしまう。 エリスティアにとってカルラーヴァは大切な、とても、とても大切な妹分だというのに、それは父も知っていて、個人的にも目に掛けて可愛がっていたというのに。 カルラーヴァの生死を、ゲームで、たかがゲームの結果で決めてしまおうとしている。 初めて目の当たりにした、父の異常性に、全身に寒気が走り、その顔をこれ以上見ていたく無くて下をうつむき、手からも力が抜けたエリスティアは、自分でも気づかない間に、袖を掴んでいた手を離していた。「まぁ、やるかやらないかはエリスの自由だ。受けるならこのまま戻る。それとも受けないで、家に、創天に帰るか。エリスの好きな方でいいぞ」 判る。声だけで判る。父はどちらでもいいのだ。どちらを選らんでも、父は楽しんでいる。 娘”で”、エリスティア”で”遊んでいるのだと。 その事実に気づき絶望しかけるが、止まってしまってはカルラーヴァを助けられない。 だから我慢する。泣いて、叫きたいけど、今この父の前で泣くのだけは絶対に嫌だ。 父はひょっとしたら、エリスティアが悲しむその姿すらも楽しんでしまうかも知れない。 そう考えたエリスティアはクルリと背を向け、ついさっきまでおっかなびっくり抜けてきた薄暗い住宅街へと振り返る。「戻る…………おとーさんなんてだいっ嫌い!」 ゲームを受ける宣言だけにするつもりだったが、どうしても心からあふれ出した言葉を大声で叫んだエリスティアは、足元だけを見て駆け出す。 どうせ前を向いても、涙で視界が歪んで禄に見えないのだ。 相変わらず得体の知れない影が視界の隅をよぎり、変な音も聞こえてくるが、それらは今も恐いが、恐くない。 父の前に、父の本質を知る事の方が恐い。もっと恐ろしい。一刻もここを離れたい一心だった。「っと誘導成功と。カルラちゃん緩めるよ。大丈夫だった?」 角を曲がったエリスの姿が見えなくなったところで俺は息を吐いてから、リードを手放し、カルラちゃんの首につけていた首輪の締め付けを緩くする。 しかし、娘の妹分に首輪をつけてはべらせる父親ってのは感じ悪い事この上ないし。どこの鬼畜エロゲーだ。 しかもそれ最序盤で、息子辺りに刺されて死ぬちょい役か、もう少し扱いよくても刺されて死ぬラスボスだよな。 どっちにしろ死亡エンドだわな。「あ、わ、私は、一時間くらい、脳に酸素が行かなくても、だ、大丈夫ですけど、姉さんが、あぁ、だ、大丈夫でしょうか!?」 首輪を緩めて息を大きく吸ったカルラちゃんは、泣いたまま動揺して駈けだしていったエリスの去った方向をみておろおろしている。 あれだけ首輪がきつく首に食い込んでいても全く影響が無かった辺りは、さすがはサラスさんの娘でシャモンさんの妹。苦しい内には入らない生粋の戦闘種族。「んじゃそういうわけでカルラちゃんは、このまま傷心のエリスに合流。外時間と上手く調整するから明日の朝には戻って、シャルパさんの出迎えな」「へっ!? で、ですが小父様。今、姉さんに会って大丈夫なんですか!? 先ほどまでの設定とか破綻しますよ!」 カルラちゃんの遺伝子どうこうはもちろん嘘。大昔には実際に皇族への絶対服従遺伝子を埋め込んでみたいだが、んな時代錯誤なもん今時は禁止されている。 大体エリス含めて2例しかいない、極めて貴重な地球人ハーフのカルラちゃんの定期検査なんて、それはそれは細かに、頻繁にやっているんだから、遺伝子変貌なんぞ長期で見逃すはずも無い。 エリスがそれに気づかないように、わざわざ鬼畜父なインパクトのある首輪付きで登場したんだが、エリスの反応を見るに上手い事は行ったようだ……ちと上手い事、行きすぎたような気もせんでも無いが。「そこはそれ。あれ。気力維持と好感度調整。開口一番『実際に無理な事を言わないか、ついでに確かめてみるか』と、俺が楽しそうに送り出したってことにすれば問題は無いって。あのまま下を見て駈けているといつ転ぶか判らないし、今、転んだらしばらく動けなくなりそうだから」 転んだくらいじゃ怪我はしないだろうが、精神的ショックが強すぎて、立ち上がる気力さえ湧かない可能性がある。そうなるとこの先のゲームプレイにも問題が発生する可能性が大。 だからカルラちゃんを派遣して、取り戻す、守りたい対象を、きっちりと思い返させれば、モチベーションは保てるはずだ。「それに、なんだかんだ言っても1人じゃ飯も作れ無いしお世話係を頼んだ。というわけで行った、行った。ただし演技だけは続行で。適当に記憶を消される怖さを時折吐きだしていればいいから」「わ、判りました! すぐ行きます!」 元々会いたいのを我慢していたのはカルラちゃんも一緒。俺がそれなりの理由を与えてやると、一目散に駈けだしていった。 残像が見えるくらいの速度で角を曲がって行ったその姿は、動物耳も相まって、兎を狩りにいく狼みたいだ。 もっともあの子の場合は、うちのウサギッ子の最強のガーディアンなわけだが。「おーはぇーはぇ。さて………しくった。やり過ぎた! いやどうする俺!? まじで!?」 これまで何とか耐えていたが、カルラちゃんが見えなくなったところで、あまりにきつい精神ダメージに俺はがくっと膝をつき、地に倒れ伏す。 泣かせるつもりは無かったんだが泣かせた上に、嫌いまで言われたぞ!? しかもだいっ嫌いだぞ!? 俺の可愛い娘にあんな悲しそうな顔をさせる奴がいたら、全身全霊で地獄にたたき落としても良い位に思っているのに、俺がやってどうするよ!? ヘイト管理を完全にミスった。完全にあげすぎた。 くっ。敗因は判っている。エリスがあんまり悲しそうな表情をするから、途中から目線を外した所為だ。顔を見ていて中途半端に手心を加えたら、気づかれると思って、エリスのウサミミに焦点を合わせたのが敗因。 あの揺れ動くウサミミを見て、手を抜かないためにアリスの2Pカラーだと思い込んだのが失敗だった。 気づいたら対アリス戦レベルでの追い込みを掛けていた。「だーっ! くそ! あれはアリスが悪い! あの阿呆兎が!」 自分でも八つ当たりと判ってはいるが、どうしようも無い心の底から浮かんだ感情のままに、アスファルトを叩いて雄叫びを上げていると、不意にぽんと肩を叩かれる。 まさか今の声でエリスでも戻ってきたかと慌てて顔を上げると、目の前には何故かアリスがいやがった。しかもやけに楽しそうに頭のウサミミを左右に揺らし、にんまりした顔を浮かべ、「ねぇねぇどんな気持ち? 目に入れても痛くない可愛い娘に大嫌いって言われてどんな気持ち?」「あぁっ! みりゃ判るだろうが、最悪だよ! 喧嘩売りにわざわざ来たのかおまえは!?」「やーい! 娘に嫌いって言われる気持ちがこれでシンタも判ったでしょ! あたしにばっかエリスにお説教させるんだから、たまには父親の苦悩を味わいなよ!」 煽り度MAXな死体蹴りをして来やがったアリスにつかみかかろうとしたが、アリスはひらりと躱して、あかんべーとしてころころ笑う。 この野郎、夫婦喧嘩中だって事に加えて、子育て中の不満も纏めてぶつけに来やがったな。 ちっ! 相変わらずタイミングと弱点を突いてくるのが上手い。 どうやってこの阿呆兎に仕返しをしてやろうかと俺が睨み付けていると、不意にアリスが立ち止まって、右手を上げて制した。 表情も心なしかかえ、そしてやけに臨戦態勢な気配をだしてきた。 いきなり変わった雰囲気、それは俺がよく知っている、そして共に駈けたアリスの空気だ。 あの仮初めの世界で、アリスの正体も、宇宙の状況も、何も知らず、それでも相棒としていた時代に何度も体験した空気だ。 そしてその空気を発するのは、いつだって同じ状況だ。 「はい。じゃあここで一時休戦……シンタ。ボス戦が来たよ」 そういってアリスが指を鳴らすと、一枚の仮想ウィンドウがその掌に浮かぶ。 それは星連議会が緊急特別招集されたという予想していた知らせ。 ディケライア社の代表として召喚された俺の名前はある。 だがもう一つ予想外の要素が1つだけ有った。 召喚されるのは2名。そこにはアリスの名前も記されていた。