「ともかくシンタはガキなの! ガキ! 人の顔に向かってミカンの飛沫を飛ばすなんて! 今日日! 小学生でもやらないような事してくる普通!? そりゃさぁ! あたしがシンタに助けてほしいって頼んで! 実際にシンタ来てくれたんだから! 感謝してるし嬉しいけどさぁ! でも! やって良い事と悪い事あるでしょ!」 満天の星空を映し出す宇宙船の無重力VRブリッジに浮かぶ掘り炬燵というだけでもシュールなのに、対面に座ったメタリックウサミミ少女から、怒りが篭もった目で睨まれ罵られながら蹴られそうになる。 場所も状況もじつにほどよくカオス。 アリスは先ほどまでの作業着のつなぎから、炬燵に合わせたのか半纏のような衣服に変えているが、宇宙人と半纏というのもじつにアレな組み合わせだ。 しかも外見西洋系のくせに、なぜか似合って見えるのはアリスの性質、性格をよく知るからだろう。 他人事ならこの意味の判らない状況におまえらバカだろと突っ込めるが、あいにく俺は当事者だ。「だから! 悪かったって! そこまで! 痛がると! 思っ! とあぶね! って無かったんだよ!」 先ほどからアリスはこの調子で拗ねまくっており、頬を膨らませ感情が出る頭のウサミミを左右に振りながら怒りを表しつつ、堀炬燵の中で俺の臑を狙って何度も蹴りをいれようとしている。 くそ。こいつ上手い。 避けようとする俺の動きを先読みして叩き込んでくる蹴りを何とかガードしつつ、反撃の隙をうかがっているが、怒りに駆られるアリスの動きは苛烈で防戦一方だ。 そんな白熱した足下戦争を繰り広げつつも、なんで宇宙人のお前が地球の(というか日本限定と思われるが)炬燵内攻防戦に慣れているんだという突っ込みが浮かぶが、指摘したら、さらに怒りそうなのであえて無視している。 あまりにくだらない。それこそ小学生レベルの幼稚な争い。 でもこれこそが、現役時代の俺とアリスがもっとも多く過ごした時間なのかもしれない。 アリスとガキのように張り合いつつも背を預けて掛け合いをしながら狩りをしていた頃を昨日のように思い出す。「第一リルもリルよ! なんで皮から飛ぶ飛沫なんて再現してるのよ! しかも痛覚再現まで出来てるし! しかもあたしの心配しないで! シンタの言う事を聞いてるしさぁ! あたしの知らないところで二人とも結託してない?!」 ちゃんとリルさんを紹介されたのはつい数時間前だ。紹介したのはお前だろうが、 『お嬢様より三崎様を正式にご紹介頂いたのは地球時間において1時間45分と20秒前でございます。その時点より現在までお嬢様も同席いたしております。この状況下で密談をするなど不可能でございますし、私のログにはそのような事実はございません』 これ以上アリスの機嫌を損ねないようにと、俺が控えてた突っ込みを一切の躊躇なくやりやがったよリルさん。 しかも先ほどチャットで会話を交わしていたのに平然と嘘を吐いてるし……機械は嘘をつかないってのは嘘か。それとも俺の想像しているAIとはまた別の存在なのかこの人。 しかし制限時間の二時間まであと少ししか残ってねぇし、そろそろ勝負をつけるか。 負けるのは嫌だが、勝つのは大人げない。アリスの一撃をわざと受け動きを止めた所にカウンターの反しで両者痛み分け。ここら辺が落とし所だろう。『第一お嬢様のパートナーであらせられる三崎様のご指示であれば、私が従うのは当然の事でございましょう』 アリスの耳の動きから仕掛けのタイミングを見定めようとしていた俺だったが、リルさんが何気なく漏らした奇妙な発言を耳に捉える。 『当然』……どういう意味だ? 違和感のあるリルさんの言葉に一瞬といえど気をそらしてしまった俺の動きは鈍くなる。 そんな千載一遇のチャンスを見逃すようなアリスじゃない。 アリスのウサミミが吠えるように立ち上がるのを視界に捉えた時にはすでに遅く、「がっ!?…………ア、アリス……お前、凶悪すぎるぞ」 この野郎……一瞬で両足の臑を蹴り上げた上に、おつりとばかりに小指にかかと落としまで決めて来やがった。 恐ろしいまでに正確無比かつ強力な弱点クリーンヒットな攻撃は悶絶するほどに痛い。 しかも不意の状況に備え常日頃から一定値以上の痛覚は減少する痛覚制限設定がしてあったのに、いつの間にやら無効化されている。 予想外の痛みというのがさらにきつい。 これはおそらくアリスの仕業だろう。「っ……うっさい! シンタが酷い事するからでしょ。ともかくあたしの勝ちだかんね」 勝ち誇るアリスだが少しだけその声が震えていて、若干涙目だ。 どうやらこいつも痛みを我慢しているようだ。 さては結構な勢いで蹴ってきたから自分の足も痛かったな。 被弾覚悟の上でこっちを落としに来る辺りがじつにアリスだ。「……どっちが酷いんだよ。しかもお前……痛覚制限を解除しやがっただろ」「公平にしただけだもん。チート使ってるシンタがずるなんだよ」 半眼で睨む俺にアリスは舌を出して答える。俺の痛覚減少は公式ツールだ。 くだらないじゃれ合いのためだけに、高度なセキュリティで守られている脳内ナノシステムにあっさり入って変更してくるお前の方がよっぽどチート存在じゃねぇか。 こんな所でも天と地ほどある技術レベルの差を思い知らされるのだからやってられない。「さてそれで敗者のシンタはどうするのかな?」 勝った事で不機嫌は少しだけ収まったアリスが、代わりに若干だが不安を除かせる瞳で問いかけてきた。 何を言いたいかわかるでしょ? 覚えてる? アリスの表情は如実に語っている。 んなもん考えるまでも無く判るっての。3年間も背中預けた相棒とたびたびやってたやり取りを早々忘れるわけがないだろうが。 「俺が全面的に悪かった。以後しないようにしますから許してください」 すこし癪なんで若干棒読み口調ではあるが、アリスに謝ってついでに頭を下げる。「うん。許してあげる。以後あんな事はしないように」 偉そうにかつ嬉しそうにアリスが頷く。 勝った事に加えて、負けたときの何時ものテンプレで俺がちゃんと返した事なんかもあるんだろうが、先ほどまでの不機嫌は完全に消え去っていた。 単純な奴だな……さすが俺の相棒。 いくら技術が発展しようともVRMMOも所詮はオンラインゲー。画面の向こうには別の人間がいる事を忘れてはいけない。 今日の狩り場をどうするとか、レアアイテムの取り分やら、あとどっちのミスが敗因だった等々。 どうしても考えの違いや行き違いなどで、揉めたり、喧嘩腰になるときがある。 俺とアリスの場合も、どちらかの機嫌が悪かったとか何気ない事で時折喧嘩になるときがあった。 こういうとき日本人なら、なあなあで済ませて腹にため込んで終了ともなるんだろうが、アリスの場合ははっきりさせたがる上の負けず嫌い。 結果PvPモードで打ち合いやったり、どちらが先にプチレアを狩ってくるかなど、何かにつけて勝負と相成っていた。 これで俺とアリスのどちらかに勝ちが偏っていたなら別の展開になっていたのだろうが、どういうわけか俺達の場合は、どんな競技内容だろうと五分五分な展開となり、接戦を繰り広げて、勝敗が読めないから面白いとギルド内外で賭けの対象になっていたほどだ。 いろいろな意味で相性が良かったともいうべきだろうか。 「へいへい。気をつけますっての」 アリスとのこのくだらない戯れが楽しかったといえば楽しかったのだが、なんかそれを認めると二十代半ばの男としちゃ負けのような気がするので内心を悟られないように適当に返す。「うん……やっぱりシンタだ」 そんな俺の演技もどこ吹く風、ちょっと疲れたのかぺたんとテーブルの上に体を預けたアリスは緩い笑顔を浮かべつつもわけの判らない事を宣い、犬が尻尾を振るようにウサミミをゆっくりと動かしていた。 不機嫌一転ご機嫌モードに入ったようだ。「そりゃそうだろうが。当人だっての」「だってなんかシンタって就職してから余所余所しくなったし、前みたいに遊んでくれなくなったじゃん。今日は普通だけどさぁ。ほら覚えてる? だいぶ前だけどさぁ、ゲーム内イベントで偶然に会ったときなんか気持ち悪い敬語で話してきた事あったでしょ。あれ結構ショックだったんだよ」「そりゃプライベートと仕事は態度を変えるっての。GMと結託して優遇されているなんて評判が立ったら、お前やらギルドの連中も居心地が悪いだろうって、あの時は気を使ってたんだよ。それなのに言うに事欠いて気持ち悪いって、こっちがショックだっての。最初にあんだけ苦労してやっかみ交じりのデマを完膚無きまで叩きつぶした俺の努力を忘れたとは言わせねぇぞ」「忘れるわけ無いでしょ。連続デスの特別ペナでレベルが下がったのアレが最初で最後だったし。シンタはやり過ぎなんだよ」 元プレイヤー上がりのGMという結構珍しい出自な俺の場合、当然と言えば当然だが、元所属ギルドやら知人プレイヤー達に、ボス出没時間や新スキル情報などを漏らしたりといろいろ便宜を計るんじゃないかと、就職当初はあちらこちらで噂されていた。 それに対してうちの会社が取った手は、異例中の異例とも言えるボス戦時の中身の公表という荒療治。 あえて操作GMが俺である事を明かしたボス戦を行う事で、GMミサキという存在を実際に見せつけるという寸法だ。 要はあれだ。つい先日までボス攻略戦の最前線でギルドを率いて戦っていたプレイヤーが、敵に回るとどれだけ厄介で意地が悪いかという証明に他ならない。 なんせ俺の場合は稼働初期からの参加でプレイヤー心理はもちろんだが、アスラスケルトン戦に限らずボス攻略戦で考案してテンプレになっているベーシック作戦もいくつかあったので、ボス戦の裏の裏まで知り尽くしている。 そんな俺が卑怯かつ卑劣な作戦も躊躇無く投入してプレイヤー連中を罠に嵌めておこなったボス戦は、プレイヤー達の油断もあったせいか通常時同ボスと比較して討伐までに5倍以上の死亡者が名を連ねた。 ボスモンスターとの戦闘で10回連続死亡した者に与えられる特別ペナルティのレベルダウンを受けた高レベルプレイヤーはアリス以外にも続出で、討伐参加者全員に軽くトラウマを与えるほどだったらしい。 容赦の無いまでのやり口と、徹底的な無差別攻撃に、俺が元所属ギルドやら知り合いに便宜を図るんじゃ無いかという疑念は見事なまでに消え去ったというわけだ。 その時の大暴れが原因で『裏切り者』やら『腐れGM』と各種掲示板で叩かれる極悪非道なGMというイメージが就職直後から根付いたのはご愛敬だろ。 思い出した記憶に眉根を寄せたアリスが頬を膨らませ、ついでに頭のウサミミをぷいと横に向けて拗ねていますと訴える。「ったく。ガキかお前は……時間ももう無いってのによ。ほら雑談しに来たんじゃないんだぞ」 先ほどの激戦の後だからか、どうにもマッタリというかダラダラとした空気の中アリスの愚痴めいた雑談に付き合っていたのだが、制限時間が近い事を思い出して俺は声を少しだけ引き締める。 するとテーブルに体を預けていたアリスがゆっくりと起き上がった。「時間が無いってなんか用事?」 こんどは心細そうな不安げな様子をアリスが覗かせる。浮いたり沈んだり激しい。 さっきのじゃれ合いでいつもの調子を取り戻したかと思ったのだが、どうもまだ不安定な部分があるようだ。「この三日間は里帰りも止めて時間は空けてあるって言っただろ。そうじゃなくてヒス条。あーVR規制条例の二時間規制って知ってるだろ。個人名義のVRチャットでの完全没入は娯楽目的に引っかかるんだとさ。網膜ディスプレイだけ使った半没はオッケーとか基準が曖昧すぎんだよ」 たぶん俺は今ものすごくうんざりとした顔を浮かべているだろう。 あれよあれよという間にVR規制派の世論に押され決まってしまったVR規制条例は施行から数ヶ月で悪名高い条例となっていた。 元々死亡事件から勢いづいた流れで早急に決められたのだから仕方ないかもしれないが、条例には穴や見落としが多く、かなり生活に根付いていたナノシステムとそれによるVR技術を規制したのだから、ともかく不便なのだ。とくに俺のようにVR関連業種のような人間には。 しかもどこまでが娯楽目的でどこからが違うのかそこらの線引きが曖昧で、VRゲームやVR風俗関連は完全アウトだとしても仕方ないが、このようなVRチャットまで規制するのは些か行き過ぎではないかという声もあるらしい。 そのうち、条例の基準にも見直しが入ると思うが、果たしていつになるのやら。 ともかく今日の所は完全にVR世界に入る没入でぎりぎりまで粘って、あとは自室で半没チャットでアリスからの説明を受けるつもりだ。 時間がもったい無いのに、あんなくだらない事で時間を消費している辺り、どうもまだ俺は、アリスの会社がピンチで地球もやばいという話に現実感を感じていないようだ。「心配するな。ちゃんと話は聞いてやるし考えてやるからさ」 元気づけてやろうと力強く答えたのに、なぜか深いため息が返ってきた。 しかもあきれ顔を浮かべていやがる。 「シンタ……それってさ日本国内のVRサーバ限定でしょ。ここ海外どころか地球外。創天のメイン領域。二時間制限とか関係ないよ。何言ってるの」「………………」 返す言葉が無い俺にアリスが少しばかり不安の色を強める。 指摘されるまで俺が全く気づいていなかった事を悟ったようだ。「たぶんタイムラグとか操作タイミングに一切のズレが無いから、無意識に国内サーバみたいな感覚でいたと思うんだけど、リルを一部でも再現しようとしたら、地球の全サーバを使っても足らないよ。今シンタの脳内ナノシステムと繋がっている回線って、地球に散布して環境調査報告させてるナノセルシステムが使ってる恒星間ネット回線の一部。だから銀河中心を挟んで地球のほぼ反対側にいる創天に直通状態。繋ぐときに秘匿設定を掛けたりするから、立ち上がりに時間はかかるけど後はタイムラグ無しなんだけど」 アリスが俺に判りやすいよう入れてくれた解説を聞きながら考える。 力になってやろうと思っているが本当に役に立てるのかと。「銀河の反対側か……遠いな」 自問自答してみるとネガティブな答えしか浮かんでこない。 技術レベルが違い過ぎる事がどういうことなのかと改めて思い知る。 当たり前の事。常識が通用しないのに、何かを考える事が出来るだろうか? 言葉を無くし気まずい沈黙が俺たちの間に降りたとき、「…………ふむ。やはり懸念したとおりでしたかな」 どこか達観した老人の物にも聞こえる嗄れた声が俺の背後から不意に響いた。 いきなり響いた声に内心は焦りながらも俺はゆっくりと後ろを振り返る。 青白く光るゴツゴツとした表面をもつ太さ5センチほどで長さ1メートルほどの細い棒としか表現しようが無い物が、いつの間にやら俺の背後に直立で立っていた。 よく見ると棒の中央付近に亀裂のようにも口のようにも見えるスリットがある。声の主はどうやらこの棒……もとい人らしい。 ここが現実ならいきなり背後に言葉を喋る謎物体が出現するなんてホラーだが、VRMMO世界じゃ、ログインしてきたプレイヤーが目の前に出現したり、いきなり横沸きしたMOBモンスターにぼこられるなんてのは日常の風景。 ログアウト場所が悪かったのか、街から少し離れた森の中で逢瀬していたカップルプレイヤーの間にログインしたときに比べれば、まだ驚きは少なかったと思い平静を装う。「ローバー専務……今はプライベートって言ったでしょ。覗いてたの」 アリスが棒人に対して頬を膨らませてみせてから顔をぷいと横に向けた。 ただし耳だけはローバー専務(棒)に向けたままだ。 この態度と耳から判断するならば、この専務を嫌っているのでは無く、口うるさく言われるから苦手としていると言ったところか。 しかし社長がウサミミ少女で、専務が棒人間?……何ともシュールな響きだ。 「はい。ご指示には反しますが、此度の事案は我が社のみならずアリシティアお嬢様の先行きも左右しかねない重大事項。お叱りは覚悟の上です」 その短い受け答えだけでもローバーさんが好奇心や遊びでのぞき見していたのでは無い事が初対面の俺でも感じ取れる。 勘の鋭いアリスも当然気づいたのだろう。アリスは一瞬だけ耳を払うように動かしたが口には文句を出さなかった。「シンタ。ローバー専務。先代社長……あたしのママの頃からの幹部で、今は私の補佐してくれている」 アリスが短い紹介をすると、ローバーさんは音も無く俺の右側へと移動した。「お初にお目に掛かります。ディケライア社専務取締役を任されております。ローバー・ソインです」 ローバーさんの挨拶が終わると共に、その全身がぼんやりと発光し二度ほど点滅をする。何となくだがこれはお辞儀をされたみたいな物だろうか。 予想外の状況に成り行きをついつい傍観していた俺だったが、その丁寧な物腰に我に返り、「っと、座ったままで失礼しました。私は」 「いえ。ご挨拶は結構でございます。三崎様の事はリル嬢より拝聴しております」 立ち上がり挨拶を返そうとした俺をローバーさんがやんわりと止める。 ……この雰囲気は感じた事がある。 契約が破棄になったり、物別れに終わる交渉で感じる嫌な空気。「三崎様……誠に申し訳ございませんが、今日までの事は全て忘却し、このままお帰りになっていただけませんでしょうか」 俺の予感は見事に当たる。 明らかな拒絶を含む声が静かに響いた。