空を見上げれば薄曇り。時折雲海で踊るおどろおどろしくおびただしい数の影は、朝の気象情報番組で流れていた飛竜だろうか。 部屋はともかく、さすがに町並みまでは忠実に再現しているわけでは無く部屋から駅へと向かう一本道は、平凡な住宅街をもしている。 もっとも電信柱の影や、近所の軒先から、時折寒気をもよおす奇声が上がったり、明らかにおかしな方向に関節が曲がっている人影がちらほら映るホラー仕様。 実際に製作して跳ばしたり、それらモンスターを仕込むとなるとコストが掛かるので、雲をスクリーンにしたり、物影にナノセルを仕込んで動体センサーと連動してアクションを起こさせているという話だが、中々に迫力があって良しだと思う。 どうせ年中天気が悪い設定にするなら、いっそ濃い硫酸の霧でも漂わせて、建物なんかをいい感じに溶かそうという案が、悪のりしたアリスから出ていたが、さすがに地球の建物じゃ持たないんで却下。 ただこの広い宇宙には、硫酸の海で泳いで、硫酸をエネルギー源にするお方らも結構いらっしゃるらしいんで、土壌汚染や環境保護への対策をしつつ、それらの環境再現能力も必須か。 実際とは少し違うが地球環境を再現したこのエリアは、エリスの認識変化とおしおきって目的もあるが、あくまでもメインは環境再現実験。 高重力、低重力、大気成分、気温、様々に異なる惑星環境を、拠点惑星である火星に点在させた諸島群それぞれ個別で再現する。 目指すは有史以来、調査記録された全ての惑星環境再現だが、今のところ大抵が再現率7、8割といったところで、100%オリジナルと同環境に再現出来たと断言できるのは、今の所なしだ。 建物の配置もそうだが、その年式や、独特な構造といった文化的な物から、動植物の植生や分布、大気の匂い、風の強さ、調査記録だけでは、判別できない、そこで実際に息づいている風景といった感覚的な物まで含めると、100%完璧にやり遂げるのは、銀河文明の科学力を持ってしても、至難の業だ。 ディケライアには様々な人種、生物が社員として働いているので、福利厚生の一環もかねて保養設備として用いながら、アンケートを採って、ちょろちょろと改善しているが、こちらに作余力がまだ少ないのでまだまだ先は長そうだ。 建設時だけで無く補修維持に色々とコストも手間も掛かるこれら諸島群の役割は、保養所としての役割とは別に、先を見据えた先行開発も兼ねている。 星連アカデミアとの共同研究しているある分野との兼ね合いもあるが、暗黒星雲調査計画後の、暗黒星雲開発計画が始まるまでには営業レベルまで持っていければ良しとしよう。『危険。この先10メートルから環境再現エリア外となります』 街中の違和感や雰囲気をチェックしながら5分ほど歩いていると、仮想ウィンドウが自動的に立ち上がり警告メッセージが表示される。 同時に路上のアスファルト路面を形成していたナノセルの一部が盛り上がり、ディケライアのトレードマークであるウサミミを模したデザインの、ちょっと変わった形の警備ロボットが成形される。『個人用生体保護システムの確認をさせていただきます。保護機構をお持ちで無いお客様はお戻り頂いております』 赤色の警備ロボットは、そのウサミミをもした両碗を左右に広げて、行く手を塞ぎながら警告メッセージを発する。 少しばかり物々しい警告音と登場の仕方だが、事件、事故は会社の評判に関わるので、厳重に対策をしておいて損は無し。「生体保護システム発動と、外出許可を申請してくれ」 ただ遊び心が少し足りないから、この辺も要改善だなと考えつつ、左手につけた腕時計の文字盤をワンタッチ。『外部環境対応モードを起動します。環境保持可能制限時間は34時間となります』 登録された使用者である俺に適した環境で形成された特殊フィールドが展開される共に、バイタルデータウィンドウが立ち上がり内部数値を表示する こいつはうちの相棒が未開文明技術発展資料との名目で送った英国産のスパイ映画にインスパイアを受けた、銀河アカデミアの変わり者技術者が意気投合して作り上げた携帯機具。 使用者周囲に特殊重力場を形成し、外部環境と内部環境を遮断して、生態維持可能な空間を保持するという物らしい。 まぁこれで着る宇宙服なら、大昔のアニメにも光を当てるだけで宇宙空間や深海で活動可能な道具もあったなですむ話。 しかし作ったのは星間文明種族。 さすがに星間異動は無理だが、重力操作によって大気圏突破、突入は可能で、本星と衛星間移動くらいならできる、身につける宇宙船とのこと。 大気圏突破や突入という台詞に、浪漫を感じる俺からすれば、便利だが、もうちょっとギミックがどうにかならなかったのかと、小一時間くらい問い詰めたい。 いやスーツ姿で大気圏突破やら、突入ってどうよ。浪漫の欠片も無いシュールすぎる光景だ。それ以前に大丈夫だといわれても、恐ろしすぎて試す気も無い。 せめて腕時計を地面に置けば、周囲の物質を取り込んで小型宇宙船になるくらいのギミックにしろと意見もしたが、無駄が多すぎると却下された……生粋の恒星間文明人共め。段取りを踏むって事を知りやがらない。 ただ文句はあるが、使える物は何でも使うのが俺の主義な以上、使うだけだ。『保護システムの稼働を確認。通行許可を警備責任者に請求いたします』 特殊フィールドの発生を確認した警備ロボットが、管理者である警備責任者へと通行許可を申請する。 ここら辺はある意味無駄とはいえ無駄な手間だと、どうしても俺は感じる。 警備ロボットはAIにより制御稼働している。 そしてAIはあくまでもサポーターであり、全ての決定権は知的生命体が握るというのが、今の銀河を統べる惑星連合決まりであり、ディケライアがその一員である以上、AIの使用に制限を定めたこの基本法には従わなきゃならない。 警備ロボットは、申請者がこの先の保護環境外に出ても大丈夫なだけの装備や、生体機能を身につけているのを確認したという情報を上役である知的生命体にあげて、許可決定を貰い初めて次の行動へと移れる。 確認した段階で、決定は出来無い。 しかも稼働試験中は俺一人だからまだ良いが、もし人数が増えても、事故や事件防止のために、集団チェックでは無く、個別チェックの方針なので、その都度確認、申請の手間を踏まなきゃならない。 滞りなく勧めるには責任者の数を増やすのが一番早いが、人手不足のディケライアとしてはそこまで人を回すマンパワーはない。 かといってPCOプレイヤーをあてがうわけにも行かない。 送られてきたデータが通行条件に当てはまるかだけをみて許可をクリックするだけの単純作業を、誰が好きこのんでゲームでやるかって話だ。 文明が発展して、便利になりすぎたAIが全てやってくれるために、何も考えず、何も動かなくなり、やがて眠るように緩やかに滅んでいった種族がいたという。 AIの暴走や反乱以外に、便利すぎるから規制ってのもアレな話だ。だからといってその為にわざと不便にするってのもどうよとは正直には思う。 いっそ星連議会で影でちょろちょろ動いてAIに市民権で……『すみません。ちょっと今バタバタしていまして、遅れました』 先々への布石を考えていると警備ロボットの胸部モニターに、ディケライアの受付嬢をやっている三ツ目さんが映り、開口一番に頭を下げてきた。 はて、警備責任者はイサナさん率いる星内開発部の担当のはず。なんでローバー専務の部下である三ツ目さんが対応を? ちょっとばかり疑問を覚えはしたが、万年人手不足のディケライアのこと。 足りなきゃ余所の部署から人を回して何とかやり繰りしているので、俺に伝えるまでも無い部内で収まる微細なトラブルでも起きたのだろうか。「あー気にしないでください。今ここの内部時間って加速状態ですから、4、5分は待ち時間に掛かるって思ってましたから。何かありましたか?」 PCOが稼働している地球は、物資やエネルギーの節約のためにリアルの時間流より遅延させているが、エリスを閉じ込めているこの空間では細やかな時間流操作を行って、加速や遅延を駆使して辻褄を調整中。 何せ色々と慌ただしく忙しい最中、遅延状態の地球に、俺が篭もり続けているわけにも行かないが、エリスを一人ホラーな地球に放置もさすがに精神的にまずいし、なにより罰とはいえ可哀想な話。 だから俺がここにいるときは加速状態にして、精神的フォロー+先のための好感度調整。 俺が出ているときは、その進みすぎた時計を合わせる分だけ強めの遅延状態にして、エリスがゲームに接続する時だけ地球と同期状態へと合わせるという、めんどくさい仕様だ。 『はい。銀河標準の15分ほど前ですが、星系連合より特別惑星査察官の着任が決まったと連絡があり、アリシティア社長、ローバー専務、サラス部長が対応中で、各部署が状況整理を開始しています』 ……うむ。予想外の、そしてちょっと嫌な報告。 星系連合の惑星査察官というのは、惑星政府や、惑星所有企業が、星連の定めた惑星条約に違反をしていないかを、文字通り調べる役職。 これ自体は珍しい役職では無く、どんな辺境の星や、小さな地場惑星改造企業でも星系連合に所属するならば、対応する役人がいるという話。 もっとも対応する惑星や企業の膨大な数に対して、絶対数が足りないので、普段は査察官ご本人は中央星系のオフィスで仕事をし、政府や企業、もしくは地元エージェントから上げられるレポートで判断。 地球で活動するアリス達と同じように、時折恒星間ネットワークを通じた義体による、間接的現場査察というのがデフォだそうだ。 ディケライアにも対応する査察官は、もちろんいるが、昔はともかく今はギリギリセカンドカテゴリーの弱小企業な上に、その現場は銀河の辺境の、さらに片隅という、中央星系からみれば魔境な暗黒星雲近海。 対応する査察官も、他にいくつも査察先企業や惑星を抱えており多忙らしく、報告書+短時間の義体査察だけで今まですんでいた……というか済ませてきた。 グレーゾーンな事をしでかしているこっちとしては、突っ込まれるとちょっとばかり面倒なことになりそうなので、小細工かまして色々と政治工作を仕掛けていたんだが、どうやらその神通力は切れたようだ。 しかも、この惑星査察官という役職の頭に特別とつくと、少し事情が異なる。 違反が強く疑われる。もしくは違反していると星連が判断している時に派遣され、恒星間ネットワークを通じた義体では無く、生身による査察を行うために、その星へと直接来訪するらしい。 緊急で早急な解決が求められる事変ならば逮捕、処罰まで許可された文武に優れたエリートというのが、ローバーさんの説明。「……ついに来ましたか」 まぁ、やらかしてはいるんでそのうち特別査察官に目をつけられるのは仕方ないと覚悟していたが、少しばかり予想より早い。 太陽を作るまではなんとか抑えきれるかと思ってたんだが……『すみません。他の全社員には伝達しましたが、シンタさんだけは連絡があるまでこちらからは原則連絡ができませんでしたので』 「あー連絡もらっても、すぐに俺がどうこうできる訳でも無いんで、気にしないでください」 エリスへの好感度調整は未だ途中。下手に連絡を受けてばれると俺の思惑から外れるし、どうせ中にいる時は時間流加速中で、中で一晩が経っても、外じゃ10分程度。 連絡あれば出てからという体制なんだから致し方ない。 それに相手が後ろめたかったり、違法行為で仕掛けて来るなら、いくらでもすぐに手は考えるが、王道、正道で来られるとなると、下手な手はこっちがやばくなるから慎重にならざる得ないんで、俺では無く、まずはローバー専務率いる法務部の出番だ。『はい。それで現場組の部長さん達がシンタさんにとりあえずの優先対応案件を伝えると外でお待ちです。あ、あといつも通りカルラちゃんも』 エリスの様子を真っ先に知りたがっているカルラちゃんは別として、各部長のほうはアレか。 なんとかなるならローバーさんに要相談だが、俺のほうに来たって事は限りなくアウトに近い案件対策ね。 ……さてどれだろう。 とっさに思いつく案件が片手に余る段階で、特別惑星査察官が送られてくるのも致し方なしか。 クエスト内容は、特別惑星査察官殿が来星するまでに、ブラックな案件をグレーゾーンに落とし込めって所か。 「はいはいと。待たせるのも怖いのですぐ行きます」 俺は軽口で答えてから警備ロボットの横をすり抜け、保護フィールドの境界線を踏み越える。 踏み越えた瞬間、ちょっと変わった地球の町並みは一瞬で消え失せる。 代わりに目の前に広がったのは、タールを溶かしたような真っ黒な海水で満たされた火星の海と、それ以上に暗い星の少ない夜空。 天を見上げれば我が母星地球が頭上に鎮座し、その同胞たる金星、水星が周囲を囲む。 その惑星群の中央には、2つの月である送天と創天。 地上へと目を向ければ、暗闇の中でもうっすらと判る明らかに地球人類とは異なるシルエットの5つの影。「遅い! エリス姫様独占して楽しんでないで仕事しなさいよミサキ!」「姉さん……私達が来てまだ1分ですよ」「ほっときなってカルラ。シンタの旦那にシャモンが怒鳴るのは挨拶みたいなもんなんだから」「ったく。お前ら本当に相性が悪いな、シンタ早く乗れ。イサナの義体内で緊急会議だ」「深海2万メートルまで潜れば、のぞき見や盗聴は不可能となります。降下予定時間は5分です」 頭から獣耳の生えた獣人が二人に、うねうねと動く不定形な人影。 さらには本体よりは小さいとはいえマッシブな巨人が後ろを指さす。 船と見間違える魚類とその先端から伸びる発光女性が落ち着いた口調で声を発するのに合わせて、魚体のほうも大きく口を開く。 目に飛び込む光景や相対する人物達は間違いなくSFな世界なんだが、それに対する俺は相変わらずのスーツ姿の若手リーマンと。 いや、どこでどう人生を間違えて、こうなったのやら? 「了解。んじゃ、お仕事と行きますか」 そのギャップについ笑いそうになりながらも、何時もの癖でネクタイを軽く締め直し臨戦態勢を整えた。