――――1582年2月28日
――――新府城
佐竹家、北条家といった関東の大名達が動き始めて数日後。
勝頼はまるで幽鬼にでも成り果てたような姿となって新府城へと戻ってきていた。
永遠とも思える程に只管に続いていく敗報に自落していく諸城。
初期の段階では信濃だけの報告であったが、此処数日の間にはいよいよ駿河の戦線が崩壊した事を知らされた。
曽根昌世、高坂信達をはじめとした者達を以ってしても徳川家康、北条氏規らを食い止める事は敵わなかったのだ。
如何に優れた両名であっても戦の前の段階から理を失っているとあれば如何ともし難い。
ましてや、相手は歴戦の武将として知られる徳川家康である。
穴山信君を降した手際の良さも含め、卓越した人物である家康を前にしては流石に力を失った今の武田家の方面軍では手も足も出ない。
真田昌幸と同じく、信玄の愛弟子である曽根昌世も総大将である信君が降伏したとなれば進退窮まったとして後に家康に降っている。
駿河の戦線も崩壊したとなれば本国である甲斐も危険となり、信濃に居座る事は出来ない。
勝頼は弟、仁科盛信を高遠城に残したまま、戻る事しか出来なかったのである。
「……其方も小田原へ帰る支度を整えた方が良い」
不本意ながら盛信を見捨て、一戦も交える事なく甲斐に戻ってきた事を歯痒く思いつつ勝頼は桂に北条家へと戻るように促す。
憔悴しきり、悲痛な表情で口にしたこの言葉は武田家滅亡が現実に迫って来ているのを実感させられる言葉であった。
「いいえ、私は戻りません」
だが、桂は勝頼の言葉を断固として撥ね付ける。
寧ろ決然と言い切ったと言うべきだろうか。
そんな話は聞けないと言った桂の表情は一歩も退かないという事をありありと示している。
「小田原へと戻る気は無いのか……其方のような者がもう僅かでも居れば儂は信濃から退く事は無かったであろうに」
それに対し、勝頼は皮肉めいた笑みを浮かべる事しか出来ない。
もし、幕僚達の中に桂のような強い意志を持つ人物が居たならば一戦を交えるくらいはしたであろう。
寧ろ、桂よりも強い意志を持つ者が他に居るだろうか。
信濃での事はそう思わざるを得なかった。
如何に織田家が強大であるとはいえ、立ち向かわないのは武門の名折れである。
仮に勝ち目が無かったとしても無抵抗よりは良い。
戦場で果てるのならば、一人の武士としては本望だ。
「私には委細は解りませぬ。されど斯様な仕儀になったのは各々方にも事情が御在りだったのでしょう」
「……家の存亡を賭ける事となった戦に議論は無用であろう」
窮地にあると言うのに我が身を優先して逃げ去る者達が何を言うか。
叔父の武田逍遥軒ですら、勝頼を見捨てて逃げ去っていった。
信玄が見込んで一門衆として迎えた者も皆が織田家へと寝返った。
誰もが武田家の事よりも自らの身が大事だったのだ。
勝頼は信義にもとる行動に怒りを隠せない。
「御怒りは尤もですが、此処は皆の罪を御許しになるべきです。……一丸となって立ち向かわねば織田家には勝てません」
「最早、手遅れだ。信濃を放棄し、駿河の戦線も崩壊した」
「そんな事はありません。武田家は先々代、信虎公、先代、信玄公の頃より外征を主としただけに敵勢の攻勢を耐え凌ぐ機会が無かっただけに過ぎませぬ」
「……桂はこれまでの負け戦をその転換を図る事が出来なかった事が理由であると申すのか?」
「然様でございます」
そう言われてしまえば、勝頼には立つ瀬が無い。
桂は戦の事には通じていないが、聡明な女性である。
それだけに桂の言葉を全て否定する事は勝頼には出来なかった。
聡い桂が勝頼の本心に気付かないはずがないからだ。
確かに武田家は祖父、信虎の代から父、信玄の代にかけて信濃を始めとした他国へと攻め込む事が主だった。
特に信玄の理念である”人は城、人は石垣”という理念も自らは城を持たないと言う意思を示すものである。
それ故に信玄が手掛けたものは万が一の備えとして造られた丸山の詰城くらいしかない。
常に攻勢を主としていたため、守りを固めると言う発想は信玄にも無かったのだ。
桂の意見はある意味では的を射ていると言える。
「……ならば、この城にて籠城の構えを取る」
勝頼は桂の意見を取り入れる事を決断する。
撤退する間に四散した軍勢を再び纏め上げ、本拠地である甲斐で戦えば如何様にも出来る。
以前から斯様な事態になる可能性は予測していたのだ。
こうなった以上はそうするしかない。
「それが宜しゅうございます。この城にて腰をおろして居られれば御味方も落ち着きましょう」
「うむ、そのつもりだ」
勝頼の存念に私もこの城を動かないと言いたげな表情で桂は頷く。
そんな姿は頼もしい事であると勝頼は思うが、本当は小田原へと戻って欲しい。
だが、桂がそれを聞き届ける事は在り得ないため、これ以上は告げない事にする。
今の状況で出来るのは織田家の軍勢を迎え撃つ準備であり、今後の事を踏まえた準備を進める事。
限られた事しか手を打つ事が出来ない状況に歯痒く思いながら勝頼は織田家を迎え撃たんがために動き始めるのであった。
――――2月29日
「此処はこの城に籠って織田を迎え撃つべきだ!」
翌日、新府城で軍議が開かれる。
真っ先に発言するのは勝頼の嫡男である武田信勝。
この年、16歳になる信勝は父、勝頼に似て勇猛果敢な気質の武将で織田家の大軍が迫っているとの情報にも怯む事は無い。
「若、この城は半造作故に迎え撃つ事に適してはおりませぬ。織田の大軍を引き受けるのは無謀でしかありません」
それに対し、強く反論するのは未だに上州の戦線を維持し続けている真田昌幸。
昌幸は勝頼が信濃を放棄する事を決断した段階で叔父である矢沢頼綱らに上州の指揮を委ね、この新府城へと戻って来ていた。
勝頼が信濃を放棄した以上、兼ねてよりの計策を実行しなくてはならない時が近付いている。
「それでも構わぬ! むざむざ滅ぼされるくらいならば本城で戦う方が良いでは無いか!」
反対する昌幸に信勝は悲痛な叫びをあげる。
滅亡へと向かう流れが止められないのならば、武田家の本拠地である甲斐で迎え撃って滅んだ方が良い。
「……信勝。我らは最後まで望みを捨てる訳にはいかぬ。長きに渡って続いてきた甲斐源氏の血脈を絶やしてはならぬのだ」
「何を申されます、父上!」
昌幸の意見に肯定する様子を見せる勝頼に信勝がくってかかる。
勝頼にしてはあまりにも弱気な意見だ。
「……儂もいよいよとなれば武田家の武士として恥じぬ最期を遂げるつもりで居る。信勝よ、命の使い道を誤るな」
「父上……解りました」
だが、勝頼の表情に何か存念があるのだと感じた信勝はこれ以上の追求を止める。
これ以上、喚いたとて何が出来る訳でも無いのだ。
勝頼は如何にして戦うか、または生き残るかを必死に模索している。
信勝にはこれ以上、問いただす事は出来なかった。
「それでは……岩殿城への撤退というのは如何か?」
勝頼と信勝の論議が終わったのを見計らって提案するのは小山田信茂。
「岩殿城はこの新府城からも近く、天然の要害に囲まれた甲斐屈指の堅城。如何に織田が相手であっても半年は戦えましょう」
甲斐の国の中でも堅城と名高い、自らの居城である岩殿城への撤退を提案する。
信茂からすれば地の利を活かした籠城戦を行える事もあってか自信あり気といった様子である。
「岩殿城は確かに大雲戒と言っても良い堅城ではあるが、北条家の領土に近すぎる。万が一、相州の軍勢が動員されれば数万もの大軍を相手にする事にも繋がる。
それに敵が北条となれば相手は兵站の維持が容易だ。そうなれば時が経つほど優位に立てなくなる」
だが、昌幸は信茂の意見に首を振る。
岩殿城では小田原に近く、攻め寄せられた場合は北条家の本隊を相手にする事になるのである。
しかも、今の北条家が親武田派の発言力が大幅に後退している事を昌幸は既に掴んでいた。
現当主の北条氏直、一門衆の北条氏規が徳川家康の動きに呼応するように動いている事は上州で北条家を相手にしているからこそ解る。
甲斐や信濃で戦ってきた者には解らなくとも、昌幸には全てが見えるのだ。
故に明確な根拠がある上で信茂の意見に反対する。
「それは……」
此処まで言われては信茂に昌幸の意見を否定する術は無い。
それに昌幸の述べた事は全て現実味がある事なのだ。
可能性としても北条家が織田家の要請に応じて甲斐の国に攻め寄せる可能性も充分に在り得る。
「しかし、武田家は甲斐を根拠地として大勢力となった。やはり、此処で踏ん張る方が活路を見い出せるのではないか?」
昌幸に対し、山県昌満がやはり、新府城で籠城すべきでは無いかと言う意見を出す。
武田四名臣の一人である山県昌景の子である昌満らしい具申と言うべきだろうか。
あくまで甲斐の本拠地で戦ってこそ、活路が見い出せるとの見立ても猛将と名高い父、昌景の気質を色濃く受け継いだからこそのものであると言える。
「そうは申しても現状の新府城に残されている兵力は1000程度。既に甲斐国内にも我らの味方をするであろう者も少ない今、無意味でしかない。
それに昨日、高坂信達殿が善光寺へと戻った報せも受けている。駿河、河東の戦線も崩壊した現状では甲斐国で戦う事は下策でしかないだろう」
「しかし……」
昌幸の理路整然とした意見に尚も反論しようとする昌満。
しかし、昌幸の述べた事に対して何も言い返す事が出来ない。
信玄の眼と名高い名軍師は全てを見透かしていた。
「御屋形様、北条が織田を恐れるのであればこの機に乗じて、甲斐へと兵を進めてくるは必定。それに徳川もいよいよ、動きましょう。
そうなれば、我らだけで四方から迫る敵を迎え撃つ事は不可能。半造作の城に加え、兵力も無いとなれば凌ぐ事は敵いませぬ」
「……御主がそうまで言うのであれば、如何にもならぬか」
昌幸の見立ては勝頼の希望的観測の全てを打ち壊すものであった。
武田家の本国である甲斐でならば、地の利も人の和もあり、充分に戦う事が出来ると考えていたのだが……。
昌幸はそれは不可能であると断言した。
家中随一の知恵者であり、信玄が我が眼であると評した昌幸の進言は全てにおいて的を射ている。
思えば、武田家の命運を変えた長篠の戦いの時も全てが的中していた。
昌幸は織田家が柵を築こうとしている事と雨が降らない日取りを待っている事に戦が始まる前の段階から気付いていた。
馬場信房、山県昌景、内藤昌豊といった四名臣達ですら見えていない物が見えていたのである。
この時は昌幸もまだ30歳にも満たない若手の武将であったため、誰もがその意見を取り合わなかった。
だが、昌幸の進言を受け入れなかった事が長篠の戦いの大敗を呼び、今の武田家の行く末にまで発展している。
勝頼は自嘲気味に笑うしかない。
「此処は予ての計策通りにやはり、岩櫃城へと退く事が宜しいかと存じまする。岩櫃ならば小諸の武田信豊殿、箕輪の内藤昌月殿、国峰の小幡信貞殿とも連携出来まする。
彼らと共に戦えば織田勢であっても相当な戦も出来ましょう。それに岩櫃の背後には上杉家、佐竹家がある。いざとなれば其方まで落ち延びる事も可能です」
昌幸の構想は以前にも聞いていたが、改めてその見事さに勝頼は圧倒されるしかない。
根拠地である甲斐に拘らないその発想に加え、甲斐源氏の血を絶やさないために如何に動くべきかの全てを見据えている。
他国にまで落ち延びたその後は共に戦うか身を退くかの選択肢は勝頼に委ねるのであろうが……何れにせよ、生き延びるためにするべき事を抑えている事に変わりはない。
それに織田信長と言う人物は最後まで潔く戦った者には寛大であり、昌幸はそういった信長の人物像も捉えているのかもしれなかった。
「相解った。此処は安房の申す通り、岩櫃へと退くとしよう。但し、儂は如何しても高遠を見捨てる訳にはいかぬ。五郎らが奮戦し、僅かでも支えられれば状況は変わる」
昌幸の意見を取り入れる旨を皆に伝えつつ、勝頼は自らに言い聞かせるように言う。
高遠城に関しては最早、空論の域でしかなかったが、諸将に反対する者は居ない。
武田家中でも傾奇者と言われる仁科盛信の人柄に惚れ込んでいる者はこの場にも多数、存在するのだから。
こうして、勝頼の今後の方策は岩櫃城へと退く方向で話が進んでいく。
それに従い、昌幸は防衛態勢を整えるために岩櫃城へと先行する事になるのであった。
「御屋形様」
「……安房」
軍議が終わり、岩櫃城へと向かう準備を整えたところで昌幸は再び勝頼の下を訪れる。
「諸将の前では如何しても言えぬ事があります故、出立の前に参上致しました」
「……うむ、聞こう」
勝頼も昌幸が訪れる可能性がある事は予測が付いていた。
誰よりも広く、深い視野を持つ昌幸の事だ。
まだ何かあるだろうとは思っていた。
「……御屋形様、此処から先は如何なる事があろうとも岩櫃へと退く事のみを御考え下さい。例え、御方様が何かを申されても此度ばかりは聞き届けてはなりませぬ」
「安房……」
まるで嘆願するかのように言う昌幸。
その姿は付き合いが長い勝頼ですら見た事の無いものであった。
今後の方針としては確かに岩櫃城へと退く事が決定したが、先行する昌幸はこれ以上、勝頼に干渉する事は出来ない。
長篠の戦い以降、昌幸の関わらない場所では絶えず、軋轢が生じていた。
それだけに勝頼の身に降りかかる事が必ずある事は容易に見て取れる。
昌幸にはこのまま、何も告げずに出立すれば上州にまで辿り着けないであろう勝頼の姿がはっきりと見えていた。
故に昌幸は最後となるかもしれない助言を勝頼に進言する。
「流石に僅かな時間では尾を掴む事は出来ませなんだが……既に織田家か徳川家の者が出入りしているとの話も我が配下である戸隠の頭、出浦盛清より受けておりまする。
何処かで御屋形様が岩櫃へと退かぬように、と誘導する者が出てくるやもしれませぬ。この安房を御信じめされるのであれば、その事を何卒、御心に御留め置き下され」
昌幸が口にしたのは武田家中に内応している者が居る事を示唆するもの。
真田家は信濃の忍である戸隠衆を直属の家臣としており、特に先々代の当主である幸隆からその扱いの手解きを受けている昌幸は謀略に滅法強い。
恐らくはその筋から水面下で動いている者が居る事を掴んだのだろう。
「相、解った。安房の忠言、然と聞き届けた。……感謝する」
勝頼は昌幸の進言に感謝する。
信濃での事もあり、誰を信じるべきかと疑心暗鬼になっていたのだが……。
忠言とも言うべき昌幸の進言は青天の霹靂とも言える程、具体的なものであり、唯一の進むべき道筋であった。
家中の誰もが見えていない物を昌幸は唯一人だけ、捉えている。
それは恐らく勝頼の末路が如何に進んでいくかであろう。
信玄の眼の異名を持つ、稀代の名軍師の眼は確かに誰にも見えないはずのものを見据えていたのだ――――。
こうして、二人だけの間で密かに交わされた主従の会話。
他の誰にも聞かれる事は無かったこの会話は史実では無かったもの。
ほんの僅かな時間だけのものであったが、確かに勝頼は昌幸が何を考え、何を見ているのかを垣間見る事が出来た。
信濃での出来事は勝頼にとっては己の価値観の全てを打ち崩すものであっただけにそれは尚更である。
誰もがいざとなれば自分の身が大事であるとし、容易く見捨てる者が多いのにも関わらず、昌幸は全てを投げ打ってまでして手筈を整えてくれている。
ましてや、此度に関しては任されている上州の戦線から離れてまで馳せ参じてくれたのだ。
先代の信玄の姿を追い求める者が多い中で勝頼のために働く昌幸は家中でも数少ない存在であった。
それだけに昌幸の忠言が勝頼の中に僅かばかりの光を灯したのは間違い無い。
武田家滅亡が隘路のように広がっている現状に投げ入れられた一石が何を意味するのか。
そして、信玄の眼が見て伝えたものが如何に影響するのかはまだ定かでは無かった――――。