アナリア銀剣兵団、とか名乗る兵士達を嘲弄したゴッチは、詰所まで連れていかれて凄まじい形相で説教を受ける羽目になった
こういうとき、反抗していいのかどうかの境界を見定めるのが、ゴッチは苦手である
本心を言えば誰にも偉そうな面をさせたくないのがゴッチだ。しかしアウトローとして、国家権力に逆らうのがどれほど危険なのかも重々承知している
ロベルトマリンでなら匙加減も解るが、ここは異世界だった。付け加えれば、こちらには自分の後ろ盾となる物が何もない
いや、あるか。ダージリン・マグダラという名は、アーリアではかなり売れているようである
という訳で、試してみた。詰所で説教を食らい始めてから、三十分もした頃であった
「グダグダと偉そうに。俺はダージリン・マグダラの客分だぜ。説教垂れる前に確認取って、自分の地位と擦り合わせてよーく進退を考えた方が良いんじゃねーか?」
情けない発言の上に、ゴッチに説教を垂れる人物、ベルカには逆効果だったから堪らない
圧力をかけるどころか、火に油を注ぐ結果となる
「甘ったれんな……! お前みたいな奴が権力振り翳して好き勝手するからこの国はこうまでなったんだ。この俗物の、根性無しの、権威主義者の腐ったような奴め」
机越しににじり寄るベルカ。うぉ、と仰け反るゴッチ。この女、阿呆の癖に権威主義者なんて難しい言葉を
「(んな事言ったってなぁ。コネは使ってナンボだろーが)」
「家名を言ってみろ、家名を。他の木端役人は知らないけどな、私は、例えお前がどんな大貴族だろうと、悪事を見逃したりしないぞ」
「家名って。……俺はゴッチ・バベル、バベルが家名って事になるが……、俺が貴族なんて大げさなモンに見えるのか?」
「へ。違うのか」
「ちげーよ。んだぁ?」
ベルカが隈のできた目元を押えながら、少し黙る
「褒める訳じゃ無いが。良いか? 褒めてないからな。お前って口は乱暴だが、話す内容には教養が窺える。だから、甘やかされて育ったどっかの貴族のボンボンだろうと……。着てる服も一風変わってるし」
「ひゃっひゃっひゃ、学があるなんて言われたのは初めてだぜ。だがよ、もし俺が貴族なんてけったいなモンだってんなら、ダージリンの名前出す前に普通に名乗っとるわ」
「……チ、笑うな。再三言うが、褒めてはいないからな」
教育レベルの差かね、とゴッチは口をもごもごさせた。ゴッチは学問など碌に修めていない。そして積極的に知識を得ようとする性格でもない。当然教養があるなどと誉められたことは今まで一度もなかった
しかし、馬鹿のゴッチでも教養がある方に分類されてしまうのが、異世界らしかった。別に嬉しいことではないが、異世界様様だわ、と一応思っておくことにした
「まぁ、良いわ。お前の性格はよぉーく解った。やり辛い相手だぜ。だが、何時まで俺をここに置いとく心算だ?」
「お前……反省しない奴だなぁ」
「反省も何もよ、俺ぁ確かに喧嘩やらかしたが、喧嘩以外は何もしちゃいねぇんだぜ。何を壊した訳でもねぇ、誰を殺した訳でもねぇ、ちっとばかし、喧嘩相手の面が腫れ上がったぐらいのモンだ」
「騒乱罪だ、馬鹿。反乱軍の策謀でピリピリしてるこの時期に……」
策謀の下りで、ゴッチは眉を顰める。時期が拙かったと、今更気付いた。内乱中なのだ
しかし、苦り顔を打ち消すようにして、嫌らしく笑ってみせる。それを見て、今度はベルカが怒り顔
歯を食いしばってギラリと犬歯を覗かせた表情が、何とも勇ましい。気性の真直ぐな番犬のような女だ、とゴッチは評す
「喧嘩の原因は?」
「……別にぃー? ただあの男が超色っぽいねーちゃんを連れてたからよ。ついつい羨ましくなっちまってな」
「女絡み? その口ぶりだと、お前が一方的に絡んだみたいだけど」
「あぁ、そうだよ。俺が売った、アイツが買った。だから派手に喧嘩した。そーいう事」
「このバカヤロー! そんな詰まんない事で私は苦労背負込む羽目になったのか! 面白過ぎて鼻血が出るぜ!」
「うお、何だよ、いきなりキレんな。鼻血出てんのはこっちだっつーの。ってかな、もう三十分もこの状態なんだぜ、いい加減顔ぐらい洗わせてくれても良いんじゃねーのか」
血が凝固して、軽く擦るとパラパラ落ちる
「大体詰まんねーのか面白いのかはっきりしろってんだ」
「下らないあげ足を取るな!」
顔色の悪い兵士が入ってきて、水の入った桶をどん、と置いた。桶の縁には濡れた布が掛けられている
「……へへ、何だ、妙に親切だな。ありがとうよ」
「……取り敢えず、もう良い。顔を洗ったらとっとと帰れ。二度とアナリアで暴れるなよ。私は疲れた。寝る」
首を鳴らすベルカは、投げやり気味に言った。ゴッチにしてみれば、好都合であった
「ベルカ隊長、ボコボコにしなくて良いんですか。舐められまくってますよ」
「気に入らないからと言う理由で民を傷つけたら、ソイツはもう兵士じゃない。刃を呑んで死ぬべきだ。というか、コイツの相手をしてる余裕が無い。もう寝たいんだ、私は。だから寝るんだ」
ぶつぶつぼそぼそと言い合う兵士二人を見やりながら、ゴッチは鼻と口を乱暴に拭う。パリパリした感触が消えていき、何となく落ち着いた
「説教終わったんなら、行くぜ、俺は」
犬を追うように、手をシッシッ、と振るベルカ
ゴッチはナニコラ、と恐い顔をしながらも、それ以上は何もせず大人しく出て行く
「隊長?」
「構わない、所詮は市井の喧嘩だ。直ぐに場が収まった以上、本当ならここまで引っ張って来る事も無かったぐらいだろ」
――
慣れない地理に迷いながらも、ゴッチはダージリンの屋敷に帰り着く。既に夕刻であった
顔を覚えていた門番に丁寧な礼をされ、気の利く侍女の治療の申し出を断り、ゴッチは宛がわれた部屋でぐったりとする
怪我が痛いのではない。後数時間あれば、擦り傷も切り傷も、全部跡形もなくなる
酷く気疲れしていた。異世界に進入してからの強行軍のツケが、今日の騒動で一気に顕在化したかのようであった。本人も気付かない内に、蓄積しているストレスがあった
ゴッチは夕食も取らずに寝入った。体力の限界まで遊び疲れた、子供のような有様だった
翌日、朝食を運んできた侍女をひっ捕まえて、ゴッチは質問した
「お前、カロンハザンって奴を知ってるか?」
「はい、存じております」
「そうか、まぁ早々知ってる訳ねーやな」
下がって良いぜ、と言うと、侍女は深く一礼して、退出しようとした
あ! と叫んだのは、ゴッチだ。思わずギャグをかましてしまったではないか
「待った、知ってんのかよ」
「はい、存じております」
「チ、何だよ……。まぁ良い、知ってんなら説明しろや」
クスクス、と侍女はたおやかに微笑んだ。今ので精神的優位に立たれたような気がして、ゴッチはベッドの上で足を組み、むす、と拗ねた顔をする
「ゴッチ様は遥か遠方から旅をされていると聞いておりますが、アナリア王国の中でも南の山岳部に位置する、炎の神殿の事を知っておられますか?」
いや、知らん、と首を振るゴッチ。ではそこからお話しさせて頂きます、と侍女は、また微笑む
「炎の神殿は所謂俗称で御座いまして、本来はカノート神殿と言います。アナリア王国では知らぬ者が居ないと言われるほどの所でして」
「なんか、観光地みてーな乗りだな」
「絶景の地、と言われておりますが、残念ながら極めて閉鎖的な体制で、観光などは望むべくもないでしょう」
「閉鎖的ねぇ? それで、その引き籠り神殿がどうした」
ゴッチの言い草に、侍女が肩を震わせて笑いを堪えた。引き籠り神殿と言う物言いが、非常に気に入ったようである
「うふ、まずはお聴き下さい。その引き籠り神殿で御座いますが、代々神殿の長となる方は、炎を操る魔術師と定められておりまして」
「ほぉ。……そりゃ御大層な事だが、魔術師ってのはかなり数が少ないんだろう? 俗世間に係る奴となれば更に居ないって、自分の事を棚に上げてダージリンが言ってたぜ。そんな都合よく、炎の魔術師ばかりが見つかるモンなのか」
「都合よく、と言いますか」
侍女が、俄かに考える素振りをしてみせる
「神殿の長たる者が子を成せば、その子は必ず炎の魔術の素養を持って生まれてくるのです。事実上神殿の長の子がその職責を継ぐことになり、そして二人以上同時に生まれてくる事は絶対にありません」
なんだそりゃ、とゴッチは言った。すっとぼけたような顔をしていた
なんでございましょうかね、と侍女は笑う。先ほどから、コロコロとよく笑う女だった
「魔術師の素養に血筋は関係無いと言われております。歴史に名を残すような魔術師でも、その力は一代限りで、子に能力が受け継がれると言う話は聞いた事がございません」
「引き籠り神殿の長とやらだけが例外だと?」
「そうです。この事からアナリア王家は引き籠り神殿を保護し、火の神の寵愛を受ける者達として重用してまいりました。祭事を行うに当たっては、当然ながらこの神殿が重役を担います」
不思議で面白い話ではあった。アナリア王国は、こちらの世界で非常に数が少ないと思われる魔術師を、二人も抱えている事になる
片方はダージリン、もう片方は神殿の長とやらだ。しかも神殿の長とやらの能力が、この先も脈々と受け継がれていくのだとしたら、アナリア王国は常に魔術師を一人、抱え込んでいられると言う事だ
「で、胡散臭い引き籠り神殿と、カロンハザン、どう関係がある」
「えぇ、カロンハザン様は……」
「様?」
侍女がポッと顔を赤らめた。何故そこで赤面するのか、ゴッチには解らなかった
「カロンハザン様は、二ヵ月ほど前まではアナリア王国でも有数の騎士で御座いました。公明正大で下々の者にも優しく、教養があり、機知に富み、勇猛果敢で戦になれば滅法強い、と、欠点を探す方が難しいくらいのお方でした」
凄まじい持ち上げぶりである。ゴッチは何だか居心地が悪くなった
ふと、自分と向かい合った顔を思い出す。そう言えば、かなりの色男だ
「そして眉目秀麗、と」
「うふふ、えぇ、そうで御座いますね。お会いになった事が?」
「続きを頼む」
米神を揉み解すゴッチに、侍女は首をかしげた
「話を少し戻しますが、今代の引き籠り神殿の長は、長い宵闇色の御髪の、それはそれは美しいお方だそうで。確かお名前は、」
「んあ?」
長い黒髪の美人と聞いて、ゴッチは直ぐに、カザンに寄り添っていた女を思い出す
と言うか、この話の流れであの女以外は思いつかない。ゴッチは顎に手をやった
「へぇ」
あの女が話の「神殿の長」であったとしたならば、どうだ
アナリアの騎士“だった”男が、昼間から荒くれ酒場で炎の魔術師“らしき”女と酒を呑み、あまつさえ行きずりのアウトローと喧嘩をし、同僚とでも呼ぶべきアナリアの兵士達の目から、逃げるようにして去る
面白そうな匂いがぷんぷんしていた
「……お名前は、ファティメア様、でしたか」
「ファティメア。良い名だ」
「実はカロンハザン様とファティメア様は、恋中なのです」
「ほぉ」
予想は付いていた。あれだけ親しげにしていれば、そう勘繰っても仕方ない
侍女の頬が、先にも増して真っ赤になっている。胸の前で両手をぐちゃぐちゃと組み合わせながら、何故だか解らないが羞恥に身を捩っていた
とっても気持ちが悪い
「それで、かなり有名な話なのですが…………、長いので細かい経緯は省きますけれど、一言で言い表すとしたら、お二人は駆け落ちなさったのです!」
大きく息を吸い込んで、侍女は顔をくしゃくしゃに歪めながら言い切った
荒々しい息遣いと、額に光る汗。何かをやり遂げた顔をしている
ゴッチが、おぉ? と唸り声を上げた
「解りますか?! カロンハザン様は、既に婚約者までいらっしゃったこの国の火の巫女を、大胆にも奪い去っていったので御座います! 地位も名声もかなぐり捨て、全ては、愛ゆえに!」
侍女の額に閃光が走った。それが空間を貫き、ゴッチにも伝わる
頭に、ズキ、と来た。ゴッチは愛ゆえに、という言葉に侍女の激しい情熱を垣間見、そしてその勢いに少し圧倒された
「おぉ、駆け落ち」
「はい! 駆け落ちに御座います!」
侍女がキャーキャー言いながらバチバチとゴッチの肩を叩く。ゴッチは嫌らしい笑みを浮かべながら、こちらも自分の膝をバチンと叩いた
年頃の女には堪らない話であった。ゴッチとしても、カロンハザンに好感が持てた。国か女か天秤に掛けて、女を選べる奴の方が面白い
侍女は身悶えして、相変わらずゴッチの肩を叩く。その勢いが抑えきれず、力強くゴッチの横面を張り飛ばしてしまう
次の瞬間、ゴッチは侍女の頭を鷲掴みにしてベッドに引きずり倒していた
「手前は誰に何してくれてんだコラ。痛ぇじゃねーか」
「は、はい、申し訳ありません。私とした事が何と恐れ多い事を」
「…………ケ、冗談だよ、冗談」
ゴッチはゲラゲラ笑ってベッドから身を起こした。用意された朝食は、眼中に無い
もともと、朝起きて、豪華な料理を寝室まで運ばせ、優雅に朝食、など似合わない男だ
だが一つだけ、朝食の皿の横に添えてあった、小さな酒瓶だけは引っ掴んだ
ドシドシと足音高く、朝食も取らずに出て行こうとするゴッチに、メイドが追い縋った
「な、何か気に入らない事でも御座いましたか。先程の仕置きは冗談と言って下さいましたのに」
侍女が青い顔を伏せながら、不安げに問う。客人の機嫌を損ねるなど、致命的な失態である
冗談だ、と茶化して見ても、内心は怒っているのではないか、そんな事を考えているのが、手に取るように解る
「あぁ、いや、そんなこっちゃねーよ。飯食わねーのは起き抜けで腹減った気がしねーからだ」
「そうで御座いますか……」
侍女が、しゅんと俯いてしまった。ゴッチの言葉を適当な方便とでも受け取ったようだった
ほんの少しだけ、ゴッチは快感を覚える。虐めるのは、楽しかった
「おい、お前の話、中々面白かったぜ。お前とグダグダ話してるとよ、気分が良かった」
「え?」
侍女の頬が、またもや赤くなる。朝食を持って現れた当初は、もう少し余裕とも言える雰囲気を持った女だったが、こうなっては形も無し
ゴッチはひゃっひゃっひゃ、と陽気に笑いながら、備え付けの椅子に放り投げてあったスーツを拾い上げ、部屋を出て行く
ゴッチ・バベル。隼団の同僚に、馬鹿の癖に飴と鞭の上手い男、と言われる事が多々あった
――
「ツケで呑ませてくれるかい?」
ゴッチは、昨日散々騒ぎを起こした酒場で、性懲りもなくとぐろを巻こうとしていた
店主の目は非常に冷たい。ゴタゴタで追及する暇が無かったが、酒代は踏み倒されているのだ
散々暴れて、しかも代価は払わず、その上ツケで酒を呑ませろ等と、まともな人間の言う事ではない
もう一度言うが、店主の目は冷たかった。店主が兵士に申し立てするのを忘れていたせいも、ままあったが
ゴッチが突然机を飛び越え、店主の目の前に立つ
何を、と声を発するよりも早く、ゴッチは店主の胸倉を掴む。店主も荒くれ酒場の主だけあってか、それなりに大柄で、筋肉質だった。だが、ゴッチは構わない。店主の抵抗など蚊に刺された程度にも感じないようで、そのまま強引に宙に浮かせて、締め上げにかかった
「何だその面ァ? 悪いが今日の俺は行儀よくねぇからな」
「てめぇ……こな……ックソ」
「まぁ、昨日の俺もそこまで行儀よくは無かったがよ」
ストン、と、店主の足が地面に立つ
そのまま中年の店主は、あまりよくない足腰がまるで使い物にならなくなったかのように、へなへなと座り込んだ
「いけねぇいけねぇ、これじゃ駄目なんだ。喧嘩売る相手が間違ってらぁ」
ゴッチは、何時の間にか机の反対側に戻っていた。悪びれもせずに堂々と椅子に座り、頬杖をつく
ダージリンの屋敷の朝食から持ち出した酒瓶を置いて、それをゆっくりと掌の上で弄んだ
「まぁ、酒はどうでも良いんだよ、酒は。実は、アイツの事を探しててさ」
空が、灰色に曇り始めている。早朝から既に雨が降りそうな気配がしていた
時間が時間だ。酒を呑みに来る客など居ない
剣呑なやり取りを見ていたものは、誰一人としていなかった
――
「……カザンの事か。奴を探したところで、良い事なんぞ一つもないぞ」
「いーや、あるね」
小さな酒瓶は、ゴッチがその気になれば一息に飲み干せる程度の容量であった
しかし、訝しげに酒瓶を見やる店主を伺えば、異世界では、上等な部類の酒であることは解る
がっついたら、勿体ねぇや。それは酒も、喧嘩も、同じ事だ
「気持ちが良いのさ」
「変態野郎が」
「ちょこっと噂を聞いてきたぜ、大恋愛の末に駆け落ちしたらしいな。アンタ、昨日の感じを見る限りじゃ、カザンとそれなりに親しいんだろう?」
「それについちゃ、カザンがアナリア王家と話を着けてきた。残念だったな、アイツの首を差し出したところで、アナリアは報償なんぞ出してくれんぞ。なんも知らん奴が引っ掻き回すな」
「報償とか、要らねーんだって、そんなモンは」
欲しい物はそんな物ではない。異世界で何か得たとしても、それは元の世界に帰る時、全て投げ捨てて行かなければならないのだ
持って帰れるのは記憶だけだ。ファルコンのお下がりであるこのスーツですら、焼却処分になる可能性がある
もっと悪ければ、口封じの為にゴッチ自身が狙われる事も予想しておかなければならない。当然、簡単に殺されてやる心算も無いが
無性にカザンに会いたい。ゆきずりに無茶な喧嘩を吹っ掛けた、等と言う、安い上にまともとは言えない因縁だったが、決着をつけておきたかった
「奴の事情とか知らねぇ。俺は興味ねぇ。多分、奴も俺の事情なんかどうでも良いと思う」
ゴッチが身を強張らせて、机に張り付く
「だが、俺は奴に会いたいのよ。奴も、俺に会いたがってる筈だぜ。俺に奴の居場所を教えられんってんなら、まぁ良い。だが、俺がここに居ることぐらい、奴に伝えて貰えんかねぇ」
店主が険しい表情で、俯いた
――
その日は結局何も進展せず、日が落ちる前にゴッチはダージリンの屋敷へと帰還した。小さな酒瓶は、結局大事に取っておかれる事になる
ダージリンはまだ帰っていないようだったが、当然そんな事で気後れする男ではない
まるでダージリン・マグダラの屋敷の主とでも言いたげな堂々とした態度で、用意された飯を食い、用意されていなかった酒まで持ち出させ、思うまま欲求を満たして床に就いた
「その……、ゴッチ様は、細かい事をお気になさらない、豪胆なお方ですね」
侍女が控えめにもじもじとしながら言った台詞は、ゴッチを止める嫌味としては弱すぎた
二日目、酒場に顔を出すと、前日と比べて店主の顔色が悪いのが見て取れた
ゴッチは、気にしない
「おいおい、そんなに嫌うなよ」
軽口をたたいたが、店主は無視した。注意がゴッチに向いておらず、原因は別にあるらしい
結局その日も、カザンには会えなかった。ゴッチは苛立ちを抑え込んで、その日は夕食も取らず、宛がわれた部屋も使わず、ダージリンの屋敷の庭で一晩明かした
まるで気にいらない事があって家出した子供のような態度だったが、事情を知らないマグダラの屋敷の者達は困惑するしかなかった
待たされるのが、我慢ならない男だ。早くも二日目にして限界が来ていた
ゴッチは、気にしない。そう思い込む
そして、三日目になる。酒瓶の止め紐は切られず、まだゴッチの懐で大事にされていた
――
「……おうおう、どうしたよ。昨日も何だかシケた面してやがると思ったが、今日は尚更酷ぇ面だな」
やはり、早朝の酒場に客は居なかった。店主が一人、深刻そうな顔で佇んでいる
一昨日、昨日、と朝から雨が降ったが、今日もどうやらそうなりそうで、ゴッチは鼻を鳴らして天を睨む。その背中に、今まで一言たりとも、自分からは話を振ろうとしなかった店主が、重々しく口を開いた
「……カザンとファティメアの居るだろう場所を、教えてやっても良い」
「へへへ、とうとう観念したか。なんつったって、俺は執念深いからな。いい判断だぜ」
「だが、事は恐らく簡単じゃねぇぞ。俺の予想が中っていれば、な」
ゴッチが椅子を引いてどっかり座りこむ。どんな酔狂なのか、店主の為の椅子まで引いてやった
話がこじれていそうな気がした。店主の深刻な顔色からは、揉め事の匂いが漂っていた
「カザンとファティメアが……、もう三日も戻らない」
「三日?」
三日前とはつまり、ゴッチとカザンが大立ち回りを仕出かした日だ
「何だよ、奴ら、ガラをかわしてたんか」
「なに?」
「何でも良い。とっとと続きを話せよ」
店主は米神を揉んで、傷だらけの机を撫でる。考えを整理していた
「……お前がカザンの揉め事の事を、どれくらい知ってるのかは、まぁ良い。多分興味無いだろうからな」
「ねーよ」
「取り敢えず結論を言えば、カザンとファティメアの関係は、黙認される事になっていた。カザンなんかは、騎士の位も何もかも剥奪されて、高貴な身分の者を誘拐した大罪に問われていたが、追われる事がないように話を付けた。実現に、一月もの期間を根回しやその他に費やしたがな。…………しかし、流石に王都アーリアでうろちょろされたら堪らんらしくてな、準備が済めば直ぐにでも何処か遠くへ旅立つ契約の筈だった」
まぁ、無いでは無い話か、とゴッチは顎を撫でた。要人誘拐など、一国の面子を蔑ろにしておいて不干渉を勝ち取るとは凄まじい話だが、こちらの世界では或いはそれも可能なのかもしれない
何にせよ、“表向きは”とただし書きが付いているのだろう。裏で手を回されたから、こうやって店主が青い顔をしているのだ
「まぁ、そんな時に、訳の解らん酔っ払いが下らん喧嘩を吹っ掛けてきたんだが、それは良い」
「おぅ、良い、良い。続きだ続き」
「…………カザンとファティメアは、アーリアを出る前に、アラドア将軍に挨拶をしてくると言っていた。屋敷に招かれた、と。その日の内に戻ると言っていたが」
「もう三日って訳か」
「…………最悪、殺されたかも知れん」
「その、アラドアってのは?」
「アラドア・セグナウ将軍は、ファティメアの父だ。ファティメアが前代炎の魔術師、ユライアの娘として生まれた以上、父と引き離され、次代の神殿の長として育てられるのは致し方ない事。たとえ殆ど親子の時間が無かったとしても……いや、無かったからこそ余計に、ファティメアの事が気になるのだろうと俺は思っていたが」
「ふーん」
つまり今の状況、カザンと決着を付けたいなら、アラドア・セグナウとか言うこの国の重要人物らしき人物の屋敷に襲撃を掛けなきゃならん訳か
ゴッチは頬杖をついて思考を巡らせた
「俺が言うのも何だが、カザンは並みじゃねーだろ。まともな人間じゃ相手にならねぇくらい強いんじゃねーか? その上、ファティメアとか言うのは炎の魔術師なんだろうが。どうしてむざむざとそのアラドアとか言う奴に、良いようにやられちまうんだ」
「ファティメアにとっては父、カザンにとっては義理の父になる人物だぞ。警戒していなかったのかも知れん。警戒していたとしても、カザンは義理の父を切り捨てるような男じゃない」
それに、と、店主は少々、言いよどむ
「ファティメアの方は、炎の魔術師なんて言われていても、実際にはその力は殆ど残っちゃいない。種火を起こすのが精一杯だ」
「……そーかい」
炎の魔術師は、既に形骸化していた訳か。ゴッチはぼそぼそ呟く
カザンが不干渉を勝ち取れた理由に、それが関係しているのは、間違いなかった
「(しかしどーする。何でこんな事になってんだ。何でこんなにも)」
カザンに喧嘩を売るために、アラドア・セグナウに喧嘩を売らなければならない
つまりアナリア王国の将軍様に喧嘩を売ると言う事だが、勝手にそんな事をしたら
ゴッチは眉を顰めた。テツコの説教は、正直堪える
しかし、この胸の高鳴りは抑えきれない
「(何でこんなにも、面白そうな事ばかり起こるのかねぇ)」
ゴッチは肩を震わせて、息を殺しながら笑った
「店主、アンタ、カザンやファティメアと、どんな関係なんだ?」
「……俺は、酒場を開くまでは冒険者をやってた。俺が冒険者を廃業する時、知り合いから止むに止まれぬ事情があって、赤子を育てて欲しいと頼まれた。それがカザンだ。……俺にとってアイツは、実の息子同然だ。ファティメアは、息子が連れてきた美人の嫁さんさ」
「……良いぜ。詰まり、アンタの本音はこうだ。『知りたきゃ教えてやるなんて言いましたが、実は手前の不肖の倅とその妻の事が心配で堪りません。つきましてはアラドアとか言う糞ったれの屋敷に乗り込んで、倅を助けてやっちゃ貰えないでしょうか。二人が生きてる保障はねぇけど。』 そうだろ?」
店主が徐に立ち上がって、息を吐いた。ゴッチの方に向き直る
そして屈辱と羞恥に顔を真っ赤にしながらも、酒場の床に伏した。土下座をしていた
「……頼む」
「……!」
ゴッチは何故だか堪らなくなって、店主の首根っこ引っ掴むと、無理やり起き上がらせて椅子に座らせた
ずっと昔、ゴッチが今よりももっともっと糞餓鬼で、自分でも使い物にならねぇ屑だと確信していた時の事を思い出した
『下げたくねぇ頭は下げらんねぇのが男ってモンだ。だが』
ひれ伏して頭を垂れる店主の姿が、ファルコンと重なって見えた。あの頃はファルコンも、まだまだ若かった
『息子のために、下げたくねぇ頭を下げるのが、親ってもんだろう』
ゴッチの顔から火が出そうだった。理由など、ゴッチ自身が知りたいくらいだ
無性に恥ずかしくて、情けない。糞ったれ、とゴッチは罵声を吐く
「この玉無しが、手前の安い頭なんぞ幾ら下げられたってなぁ、何の得にもなりゃしねぇんだよ!」
「駄目か、ここまでやっても」
「駄目じゃねーよ! 死ねハゲ!」
ゴッチが大きく息を吐く。取り乱している自覚があった。こういうのは、いけない
眼に力を入れて、店主を見た。ほんの少し前よりも、店主の背中が随分大きく見えた
「…………アンタさ、ラグランと、アシラ。この二つの単語、聞いた事があるかい?」
「……いや、両方とも知らん」
「俺もちっとばかし訳有りでね。この二つの言葉について、何でも良いから情報が欲しい」
元冒険者なら、何か上手い方法があるんじゃないか?
ゴッチはにやにやしながら言った
「……あぁ、そう言う話なら、伝手がある。俺がその二つについて、情報を集めてやる」
「よーし、それじゃ、やってやろうじゃねぇか。良いか、これは取引だ。間違ってもテメェの安いな頭一つで、俺様が動いたなんて勘違いするんじゃねーぞ!」
――
「…………ぐあぁぁ、俺は馬鹿か。絶対ぇ割に合ってねぇよこんなの」
ゴッチはアラドア将軍の屋敷の位置を聞き、直ぐに酒場を飛び出した
潜入任務だ。信頼できる情報も、まともな見取り図も、碌な支援も無い状況での、馬鹿げた仕事だ
だが、まぁ、それは何とかなるだろう。カザンのような男がゴロゴロしている訳ではないのだ
真正面からの力押しでだって、この世界でならどうにかなる。何せ、主な武装は剣や槍だ
兎に角、何とかなるのだ。そして思った以上に物理的なリスクは小さい筈だ
だから、これは極めて合理的な判断なのである。そう言う事にして置こうと、ゴッチは思った
「糞が、仕方ねーだろ、カザンと決着つけときたいんだよ、俺は」
テツコという監視役が居なくなって、タガが外れているのかも知れない
ゴッチは誰にしているのかも解らない言い訳をしながら、早足でアーリアの古風な表通りを突き進んだ
――
後書き
情報収集→クエスト受注→クエスト開始!
え? 違うか