アロンベルの用意した馬車は、主に隊商が好んで用いる箱型馬車だった。運搬する商品を振動から保護する為に、工夫を凝らした“たるみ”のある構造になっている
が、今は急ぎの用事だ。それにレッドによれば、視界が塞がれるのは良くないらしい。箱型であるせいで、それを“室内”と見てしまうのも場合によっては危ないそうだ
ゴッチは剛力に物を言わせて羊革製の屋根を剥ぎ取り、車体も適当にへし折って強引な軽量化を行なってしまった
馬車の引渡しを行なった兵士は複雑な顔をしていた。アロンベルの紋章の入った馬車にこんな無碍な真似をするなど、彼にとっては慮外の事だったのだろう。馬車自体の価値のみを見てもとんでもない事に違いない
が、まぁ、ゴッチにしてみれば知ったことではなかった
「ゴッチ先任!」
出発間際、駆け込んでくる者があった。何時も通りの蒼いマントの下に、藍色をした胸部から下部分の無いサーコートの変形したような物を着込んでいる。そこから下は黒い皮鎧が覗いていた
割と畏まった綺麗な成りで、そのまま式典にも行けるし、逆に実戦にも出られる装いだった
「おう」
「先任のコガラシが通信不能状態だそうですが、一体何が?」
「…………あぁ、成程。妙に静かだと思ったらそういう事か。遺跡だか秘密基地だかの時もそうだったな」
「は?」
首を傾げるルークを他所に、ゼドガンが毛布にくるまってカチカチ歯を鳴らしているレッドを馬車に放り込む
ぎゃん、と泣くレッドの尻を蹴っ飛ばしながら、ラーラが直ぐ傍に控え周囲を油断なく見回す。これで恐らくは大丈夫だろう
「質の悪いクソッタレに目を付けられてな。エネミーは何らかのジャミングシステムを持ってる。詳細な性能やらは不明。理解できたか?」
「ジャミング? この世界で、ですか」
「お前の方のコガラシはどうだ」
ルークは腰部右側に張り付いているコガラシに触れた
「……停止してる。数分前までは通信可能だったのに」
「まぁ、そういう訳だな。状況に対処しなきゃいけねぇ。少しピクニックに行ってくる」
「はっ。重要度の高い作戦と考えます。自分もお手伝いします」
ゴッチはルークをジッと見詰める
何も見えてこない。自分じゃダメだ
「ラーラ、おいラーラ。コイツどうだ?」
「……可愛い物です。目をつけられないうちに、帰らせるべきでしょう」
まぁそうだ。この少年が狙われる理由を、ゴッチだって見出せない
「……何の話でしょうか?」
「あー……、リスク回避の為に、連れて行けないって事だ」
「しかし」
踵を返すゴッチに追い縋るルーク。そのルークを背後から呼び止める者があった
マグダラで主にルークの世話をしている侍女であるらしい。余程急いで走ってきたのか、髪も身成も乱れきって、今にも倒れそうなほど荒い息を吐いていた
「ルーク様! あぁ……、ルーク様いけません!」
「ナスタ? 何故ここに」
次女はルークの腰にむしゃぶりついて、大慌てで引っ張っていこうとする
馬車の引渡しの為、羊皮紙にあれこれ記入していた兵士が流石にその行動を見咎めた
「無礼だぞ! 事情は知らぬが、身の程を弁えろ! 打胸礼をしないか!」
「あぁいや、構わない。済まないが見なかった事にしてくれ。ナスタ、何が?」
やり取りを見ながら、ラーラは指に炎を這わせ、それを空中で振る
その軌跡で魔方陣を描いているのだ。ここ数日、ラーラのやる事は大半が意味不明だが、それでも無駄な事はしないだろう
「その侍女は特に早く帰らせるべきです。そういった敏感な人間を、喜んで惨たらしく陵辱するでしょう」
侍女が唐突に口元を押え、後退る。膝をついて、えづき始めた
「ナスタ!」
「……見ていられないな。下がるが良い、騎士よ」
ラーラは顰め面で馬車から飛び降りると侍女に歩み寄る
炎を纏わせた手で頭から肩を払った。えづいていた侍女は徐々に呼吸を落ち着けていき、真赤に泣きはらした目でラーラを見上げる
それを確認して、何も言わず馬車に戻るラーラ。ゴッチはその背を追いながらぶっきらぼうに言葉を投げた
「詳しい説明はまた今度してやる。ゴッチ・バベル・アワーのお時間を楽しみにしてな」
とは言っても、俺も全く事情を知らんのだが
侍女の背を支えて立たせるルークは、その可憐な存在の事を気にしつつも尚言い募った
「ですがそれでは……」
「先任の指示に従え。とっとと失せねぇと、そこの健気なアイドルがゾンビみてーな顔色にされた挙句、心臓麻痺で殺されるぞ」
心臓麻痺で殺される、とは全く奇妙な物言いだった
ルークは全く理解不能だと言う表情だったが、仕方なく侍女を支えつつ去っていく
お優しい美少年だ事で。ゴッチは漸く馬車に乗り込む事ができた
「やっとか。出るぞ」
「あぁ、頼むゼドガン」
欠伸をしていたゼドガンが馬車を引く駿馬達にムチを入れる
動き出す馬車の上でレッドの背中を摩りながらラーラは言った
「ボスの同志とは思えない誠実な少年ですな」
「役に立つらしいぜ。男娼やってるのがお似合いの面構えだと思うンだがな」
おっと、コガラシが切れてて良かった
マクシミリアンが怖いと言う訳じゃねぇが、取引相手を怒らせるのはまずいからな
別にテツコが怖かった訳じゃねぇ
――
この馬車の旅は、ゴッチが今まで経験した内でも特に最悪だった
以前銃器密輸の冤罪を掛けられ、空港警備隊のセキュリティルームで十六時間ぐらいぶっ続けの尋問を受けた事があったが、それよりも最悪である
視界の隅では常に何か黒い影がちらついているし、ふと視線を動かしたら青白い手がスーツの裾を握っていたなどザラだった
更に、馬車は十分置きに旅人らしき人影を追い越すのだが、よく見れば追い越す人影は常に同じ背格好の男で、堪らず振り返って睨み付けるとこの世の者とは思えない声で笑い出す始末
「情けない連中だと思えば腹も立ちません。所詮あの程度の事しか出来ない下等な存在です」
ラーラがそういうので仕方なくゴッチは放っておいた。今でも馬車は、十分置きに色褪せた薄茶色の外套にくるまった人影を追い越していく
「兄弟……。あー……楽チンだぜ……。兄弟の傍に居ると……ホッとするだぜ……」
「ったく……。何が悲しくて男に擦り寄られなくちゃいけねぇ。今回だけだからな」
「えへ、えふぇふぇふぇ、やっさしーい。こりゃ、槍が降りそうだぜ……」
ゴッチが馬車の折れかかった縁に凭れていると、少し調子を取り戻したのかレッドが右肩に寄り掛かってくる
本当に、全く、嬉しくない状況であったが、ゴッチは好きなようにさせる事にした
向かい側から硬い表情で声を掛けるラーラ
「……調子はどうか。私では気休め以上の事は出来ない。済まないな」
「そんな事ないよ……こんな凄ぇボディガードが三人も付いてるなんて、自分がとんでもない大物になったみてーだぜ。ラーラが居なかったら今頃兄弟のスーツに吐いてるよ」
「おい……やったら両足をへし折るからな……」
「きょ、兄弟、顔がマジだぜ……」
そこでゴッチは気付いた。レッドの視線がズレている。ラーラの更に右側二十センチ辺りの空中を、ボーッと見詰めているのだ
ラーラに視線をやった。ラーラは当然気付いていて、寧ろそれが理由でレッドに声を掛けたらしかった
「目を見て話せ。礼儀だぞ。……時にレッド、アロンベルと何処に行っていた? 何故こんな事になったのか、詳細を教えて欲しく思う」
「えー……今じゃなきゃ……駄目ぇ?」
「ほらこちらを見ろ、だらしないぞ……。レッド! こちらを見ろと言っている!」
突然大声を出してラーラはレッドに詰め寄った
正気を失ったという風ではない。レッドの黒いインナーの襟首を掴みあげてガクガクと揺さぶっている
「ん? どうした?」
呑気そうな声を出すゼドガンの方を見もせず、ラーラは激しい口調で行った
「この馬鹿者、引き込まれているのです! 仕方のない奴!」
ラーラはゴッチのスーツを要求した。少し考えた物の、素直に従うゴッチ
スーツの上着を渡すやいなや、ラーラは右拳を気合一発レッドの頬に打ち込んで、頭からスーツを被せる
そしてそのまま頭を抱き締めた。ラーラの身体をうっすらと炎が這い回る
「おい彼処、何が居るんだ?」
ゴッチは先ほどレッドが視線をやっていた所を指差す。目を閉じたままラーラはそれを制止する
「ボス、指を下げて下さい。意識してはいけない」
「あー、そう言う事言われちまうとなぁ。面構えだけでも教えてくれ」
好奇心を隠しもせず、ニヤニヤしながら言うゴッチ
ラーラは難しい顔で考え込んだ。言うべきか否か、或いはどの程度までを伝えるべきか悩んでいた
ゴッチの余裕綽々の態度がキモだ。こうも平然としていられると、ラーラも教えても大丈夫だろうという方向に思考が傾くらしい
「薄汚い女です。小猿のような顔をした、落ち窪んだ目とガリガリに痩せた体付きの不気味な女。自分の指をしゃぶってニタニタ笑いながらレッドを取り殺そうとしている」
「追い払えんのか」
「他とは格が違っています。私の知識では」
ゴッチはガタガタ揺れる馬車の上でそろりと立ち上がる
この歳になるまで、幽霊とドライブに出かける事になるなんて思いもしなかった。まぁ、今ゴッチの周囲はゴーストが一山幾らで投げ売りされている状態だ。今更同乗者が一人増えた程度で、騒ぐ事も無いだろう
「ククク」
ゴッチは何だか急におかしくなって小さく笑い始める
ふと思い立って右手の親指を唇に触れるか触れないかの位置まで持っていき、その上で口をチュパチュパ言わせ始めた
指をしゃぶっているように見えなくもない
「どうだ、こんな感じか?」
「……ふ、ふふふ」
ラーラは青白い顔で笑った。ゴッチの大胆不敵さ……と言っていいものやら。兎に角恐れ知らず振りには、流石の自分も敵わないなと思い始めていた
「おい、実況しろよ。その……猿みてぇなブス女が何してるかをよ」
言いながら、ゴッチはレッドを庇うように座り込んでこれみよがしにチュパチュパやり始める
空気が変わった
「……これは愉快だ。腹を立てているようです。凄い目付きでボスを睨んでいます」
「よーしそれじゃ俺はダブルピストルだ。どうだ、アーン?」
ゴッチは左の親指も口元に持って行って両手でチュパチュパし始める
実際に口に含んではいないと言ってもそれなりに面倒な仕草だ
屑め。使えないゴミ虫め。指しゃぶるのって楽しいのか? ガキかてめーは
ゴッチは嘲るような視線で周囲を睥睨した。何処にいるか解らない相手を見ると言うのは、結構大変だった
「ふふふ……目と鼻の先ですよ。ボスと接吻したいそうです」
ここに居るのか。あっかんべぇする
「ばァァァ~~~~っかじゃねぇかお前。チンケな虫が何イキがってんだド阿呆め。精々指しゃぶりながら俺の事を見てりゃ良いさ。それしか出来ないんだからな! うわはははは!!!」
ずし、と肩が重たくなった気がする。今まで何とも無かったのに、急に気だるさを感じた。耳がキンと鳴る
ゴッチは大きく息を吸い込んで叫んだ。かっ! 気だるさを吹き飛ばして、耳の穴をほじる
「……はぁ……。ボスは最近特に、……その、常軌を逸してきましたな。……レッド、調子はどうだ?」
ラーラが呆れたように言いながら、黙りこくるレッドの身体を揺すった
どうやらレッドは失神していたようだった。頭をふらつかせながら起き上がると、前と比べて幾分かはっきりとした目付きで周囲を見渡す
「……あれ……ちょっと楽になったかも。……何かあったのん?」
「……いーや。何も無ぇさ。だが目は開けてろよ。ラーラも夢の中までは面倒見切れないからな」
「童のまだるみです故、さてどうしているのが良いのやら」
「? 何だそりゃ」
「夢か現か区別出来ない状態と言う意味です」
静かに手綱を握っていたゼドガンが、不満げに言う
「お前らだけ楽しそうで、割に合わんぞ」
「そういうお前の背中には、筋骨隆々の大男がしなだれかかってるぜ」
「本当か?」
「嘘だ。お前の周りには見えねぇ。少なくとも俺にはな。ラーラ、ゼドガンはどうなんだ?」
ラーラは答えず、肩を竦めるばかりだった
「居るってさ」
「大男でない事だけを祈るか」
――
夕方、カンスレー山岳部へと到達する。渓谷を超えた先にある山の麓には小さな村があった
規模は五、六十人程度。出来損ないのオムレツのような、歪な紋章の入った服を着ている村人達を一目見て、ゴッチはシケた村だなと評した
何となく、目なんだなと思った。服の模様の事である。墨のような黒で乱暴に描かれたそれに、ゴッチは嫌な物を感じた。ただ布に塗りつけられただけの墨を、嫌な目つきと表現するのは不自然だろうか
「……馬が限界に来ている。不思議な物だ、幾ら走りどおしだったとは言え、それ程速度を出した訳でもないのに、この程度の道程でここまで疲労しているとは」
「あーあ、何もかも幽霊のせいだろうよ。馬がへばってるのも、俺の機嫌が悪いのも、太陽が沈んでいくのもな」
「馬も幽霊は怖い物なのだな」
「……くぁ……ふ……、まぁ好きではないだろうさ」
大欠伸をかます
疲れ果てた駿馬。ゴッチには馬の表情なんて解らないが、ゼドガンが疲れ果てていると言うのならそうなのだろう。荒地を蹄で引っ掻いてはぶるると息を吐いている
体調も回復し、多少の軽口を飛ばすようになったレッドが吃逆しながら降りてくる。横隔膜のみならず、体のあちこちが痙攣しているようだ
「ぐひっく! ふへー、もうちょっと多かったら呼吸困難になってるかも」
「そんな物に抱きつかれて平然としているお前が凄いのだ」
「この騒ぎが終わったら、もうちょっと“あっち側”の事勉強するだぜ?」
「……そうだな、ご教授願うとしよう。ふんっ!」
「うひゃぁ!」
その尻を蹴り飛ばしながらラーラ。その行動にどういった意味があるのか、矢張りゴッチには解らない
「ふいー……で、この、俺達に特に厳しい大自然しか無さそうな村にどんな秘密兵器があるんだ?」
「ここにゃ無いだぜ。山頂付近に解決の糸口が……、あるといいなぁ?」
「…………まぁ、行ってみるしかねぇ。どうせお前の話を聞いたところで、十分の一も理解できそうに無ぇしな」
「兄弟もラーラと一緒に勉強する?」
「奴らの? 勘弁しろ。おかしくなっちまう」
笑い飛ばしながらゴッチは村に足を踏み入れる。余所者であるゴッチ達に対し、村の者達の視線は冷ややかだ
いや、とゴッチは適当な老人を一人睨みつけた。コイツらの視線は余所者云々と言う感じではない
怒りだ。憎しみの篭った視線である。ゴッチの表情が途端に恐ろしいものへと変貌する
何ガンつけてんだ。指を折るぞ
「赤い楽士だ……」
「また現れたのか、厄介者め」
少しずつ村の者達が集まり始めていた。ゴッチ達を遠巻きに取り囲み、ぼそぼそと話し合っている
漏れ聞こえてくる声は当然ながら歓迎の言葉ではない。ゴッチはレッドと肩を組んでニヤリと笑った
「よう、大した嫌われようじゃねぇか。普段人懐っこい面してフラフラしてるお前が、どんな悪事をしでかしたんだ?」
レッドがべぇーと舌を出す。ラーラが不敵に笑った。ラーラも今、相当“キて”居る。激高するのはゴッチより早いかも知れない
老人の集団が人の輪を押しのけて現れた。黒い布を頭から被った小柄な人影を護るように、或いは捕えるようにして中心を歩かせている
レッドが顔を上げ、息を飲んだ
「なん……止めろって言っただぜ!!」
「レッド?」
「てめーらその子を離すんだぜ! いい加減鶏冠に来たんだぜ!!」
老人集団の先頭に居た最も老いた老婆が黒い布の人物をレッドの方へと押しやる
レッドはその人物を抱きとめて座らせた。黒い布を取り払うと、酷く衰弱した華奢な少女が現れる
褐色の肌に黒い髪。閉じた目尻から涙を流している
少女は何も着ていなかった。腕と足、腹と背から血を流している
魔方陣だ。肌に魔方陣を刻まれているのだ。ゴッチの見立てでは相当切れ味の悪い刃物、錆びたような奴。そうでなければそもそも刃物ですらない、尖った石のような物で
「あぁ、あぁ、こんな、酷ぇだぜ。エシュー、しっかりしろ!」
「……レ……ド……?」
「もう大丈夫だぜ。明日にでもクエラの所に連れてってやるかんね」
少女が目を開けた。瞳の表面に白カビが生えたみたいに濁っている
ラーラが歯ぎしりした。隣りに居たゴッチはラーラの怒気に眉を跳ね上げる
「……毒、目に毒を……。これだから田舎者は。……頑迷で排他的で進歩の無い、勝手な都合で人を傷付けて平然としている屑どもめ」
「…………直接言ってやれよ」
「この屑ども! お前達教養のない田舎者は何時もそうだ!」
鬱陶しそうにゴッチが言うと、ラーラは本当に大喝を叩き付けた
ゼドガンがラーラの口を塞いで黙らせる。話が進まないだろう、と目が言っている
「ゴッチ……。こういう娘だと言うのは、重々承知だろう」
「あぁ、悪かったな。……いやだが、こりゃ明らかに別の私怨が入ってるだろ」
老婆はちっとも堪えた様子が無い。ラーラを一瞥したきり無視すると、レッドに向かって剣呑な視線を向ける
口を開けば嗄れた声が響く。地の底から響くような不気味さがあった
「楽士、お前が連れて行くんだ。愚かなお前と騎士達が引き起こした事だ。責任をとってもらう」
「責任? 元はと言えば、てめーらが迷い込んだ神官を嬲り物にして殺したからだぜ! いけしゃあしゃあ、許せねーんだぜ!」
「大神様の所望された女だ。我等の働きによって、北の大地は神怒を免れておるのだぞ」
「どこまで自分達に都合良く考えられるんだぜ……? カシーダを怒らせたのはてめーらの祖先だし、訳のわかんねー儀式で呪いを強めてきたのもてめーらだぜ! 全部自業自得、ざまぁカンカン! こっちは迷惑してんの! ロベリンド護国衆も、全てのタウラも、バヨネの案内人達も、皆そう言う! てめーらが正しいと思ってんのはてめーらだけだぜ!」
老婆は溜息を吐きながら首を振る
「お前の戯言を聞きたい訳ではない。その娘と共に深淵に行けと言ったのだ。さっさとしろ」
「カチン、来たぁ……。誰が聞くかよ。カシーダの祭壇もあの掃き溜めも、一切合切ぶっ壊して帰るかんな! 今度という今度は本当の本当にもう心底から許さんだぜ!」
周囲を取り囲む人の輪の空気が変わった
老婆の目つきが剣呑さを増す。ゴッチは欠伸をした
気に入らんってーなら、ぶっ殺してしまえば良い物を。どうせこんな辺境の村、火でも掛けて皆殺しにすれば露見もすまい。後腐れもなくなってスッキリ爽快ではないか
「聞き捨てならんな……そんな事を許すと思うのか」
「おうレッド、言ってやれよ」
レッドは大きく息を吸い込んだ
「誰が許してくれって頼んだんだぜぇー?!」
老婆は嗄れ声で哄笑した。馬鹿にしきった笑い方だった
「愚か者は何処まで行っても愚か者だ。大神が神罰をくだされるだろう。その時に慈悲を乞うが良い。……まぁ、その慈悲を賜った者は今まで一人として居らぬが。……さ、連れてゆかぬと言うなら娘を返してもらおう」
割り込んだのはゼドガンの拘束から脱したラーラだ
ゼドガンは肩を竦めてやれやれと行った風である
「残念だったな。私は屑の頼み事は何一つとして聞かない事にしている。赤子の手を捻るが如き容易な事柄であってもだ」
「小娘、先ほどから騒がしい奴だ。弁えたらどうだ?」
「……この、このラーラ・テスカロンが、……死に損ないの化石に、不勉強で、利己的で、想像力の欠如した醜いしわくちゃの老婆に、弁えろと、弁えろとそう言われたのか」
ラーラは足を地面に叩きつける
ニタリと笑ったのだが、その様は何処かゴッチに似ていた
ラーラは顎を引いて恨めしげに見上げるような視線で人々を威圧した
五指を反り返る程に伸ばした右手を突き出し、指の間の隙間に人々の顔を捉えながら、ぐるりと周囲を見渡す
「解らないのか、見えないのか愚鈍な者どもめ! 貴様らの背に取り憑く女の姿が! ギシギシ歯を鳴らしているぞ! 貴様等を苦しめて、苦しめて、苦しめて、衰弱しきり死んだ後も、永遠に飴玉替わりにしゃぶり尽くしてやろうとしているのだ! 夢に見るのではないか?! ふとした拍子に感じるのではないか?! 己の背後に忍び寄る者を! 貴様等の信じる物にとって貴様等は家畜同然だ! そして畜生に神は居ない! お前達は縋るものも無く死んでいくのだ、一人として残らず、悶え苦しみながら!」
もう一度、ラーラが足を地面に叩き付けた。叩き付けた足を始点に突風が巻き起こる
「んお?! ……あ? 何だ……?」
生ぬるい風だ。それが頬を撫でた瞬間、本当にその一瞬だけ、ゴッチは自分の身体を這い回る小猿のような複数の影を見た、気がする
「あ、ヒィィィ!」
村人の一人が悲鳴を上げてのたうち回る。しきりに自分の体のあちこちを手で叩く
混乱は一瞬で広がった。全ての村人が悲鳴を上げながら、身体を叩き回す
己の身体に取り付く何かを叩き落とそうと必死になっている
「小娘! 何をした!」
一人平然としている老婆が大声で詰問する。ラーラは高笑いした
「お前達の言う、“神”を見る手伝いをしてやったのではないか! この中では、お前が最も愚鈍であるようだな!」
少女を抱き締めるレッドの体が青白く光る。お得意の不思議な手品で少女を治療しているらしい
周囲を見回しながら、レッドはうひゃぁ、と恐ろしそうに身を縮こまらせた
「ラーラってば悪役振りが板についちゃってまぁ。……兄弟のせいだぜ?」
「……そうかぁ? ラーラに問題があるような気がするが……。まぁ良いからよ、こんなカスども放っといてとっとと行こうぜ。肩が重てーんだ。さっさと終わらせてぇ」
昨日寝てねーからな……眠ぃんだ……
ゴッチはもう一つ欠伸した。レッドの顔色が悪くなった
――
レッドやラーラが言う所によると、エシューとか言う小娘を連れて行くのは色々と危険らしいので、ゼドガンがエシューと共に山道入口で待機する事になった
レッド鉄粉で円を書き、青い炎でそれを焼く。ゼドガン胡座を掻き、その上にエシューを座らせた。ゼドガンの大柄な体躯の懐にすっぽりと隠れるエシュー
「良い感じ。これならきっとバレねーだぜ」
「よく解らんが……。まぁ、この娘は守ろう。あの妙な村の者達からもな」
「ゼドガンの専門外の奴も、この陣の中に入ったなら多分見えるんだぜ。もし来たらズバっとやっちゃって」
「任された」
斬れる、と聞いたゼドガンは、心無しか嬉しそうだった気がする
レッドを先頭に三人は山を登った。道は山道と言うよりも獣道と言った感じの物で、途中えも知れぬ方に紛らわしくそれていたり、草叢に隠され途切れていたりしたのだが、レッドは少しも惑うことなく登り続ける
登山の間、ラーラは生い茂る木々の隙間に絶えず注意を払っていた
ゴッチにも、そこに何か居て、自分達を見ているのが解った。耳鳴りがやまない
「眠気が飛ぶから、そこだけは感謝しとくか」
どうでも良さそうに言いながら、半ば走るようにして先頭を行くレッドに追従する
「ここだぜ。この祭祀場、多分ここ」
レッドの言う祭祀場とは実に簡素な物だった
ゴッチよりも背の高い、一抱えほどの胴回りの大岩が八つ、古びた倒木を囲むように設置されている
倒木の周囲は不思議と草が生えていなかった。山中故に虫が多くゴッチは辟易していたのだが、その虫達も倒木の周囲には居ない。もっと言えば、岩で作られた円の範囲内に居ない気がする
「ほう?」
ラーラが面白そうな声を上げて湿った土を蹴り払う
何かの突起物が地面から顔を出した。泥に塗れていて元が何色も解らない
「人骨です」
「ふぅん? ……察するに、生贄って奴かな」
「えぇ。年端も行かぬ少年ですね」
「そんな事まで解るのかよ」
ラーラが大岩の一つを指差す。頭の辺りが欠けていて、凹状になっている岩だ
「本人が」
「……親切で良いこった」
ゴッチとラーラが無駄口を叩く間、レッドは岩や倒木を丹念に調べていた
それがお守りか何かであるようにギターケースのベルトを確りと握り締めている。肩に掛かる重量が、或いは安心させてくれるのかも知れない
「……すげーゴチャゴチャしてて解り難いけど……大体解ったかも……」
「……何がだ? 解決策か?」
「敵の秘密基地」
「おぉいまたかよ。俺はまた腐った死体と楽しく踊らなきゃいけねーのか?」
「どうだろ。もっとヤベーかも知れないんだぜ」
「スーツが汚れるのは勘弁して貰いたいね」
もううんざりとでも言いたげなゴッチを軽く流して、レッドは祭祀場の岩の円から出る
登ってきた獣道とは反対側に踏み出せば、そこからは急な下り坂になっていた。その半ばまでおりると、レッドは土を掘り始める
「ここだぜ……。スゲー溢れてきてる。破裂寸前って感じ。アロンベルの調査はズバリだったんだぜ」
ゴッチとラーラが追い付いた時には、レッドは石版らしき物を掘り当てていた。三人は顔を見合わせたあと、揃って石版に蹴りを入れる
石版が音を立てて奥向きに倒れ、石の通路が現れた
「…………」
ゴッチのニタニタ笑いが引き攣る
「俺にも何か……解るんだが……、ここ危険だな」
そう言いながらも、ゴッチが真先に通路へと潜り込んだ
この阿呆みてーな幽霊祭りもいい加減終いだ。どいつもこいつも纏めて磨り潰してやる
通路に入り込んだ時にはゴッチにも見えていた
自分の肩にしがみついて凄まじい憤怒の形相を見せる、猿のような顔をした不気味な女の姿に
――
後書
ホラーにありがちな伏線的な物をやろうかと思ったが
危ないものはゴッチがぶちのめし、危なくなりそうなものはラーラがぶちのめすので
そんな物はないド直球だぜフゥーハハハァー