「手を出さない方が良いと?」
「……こちらではどういう物に当て嵌まるかは存じませんが、私の祖国での彼等は、非常に巧妙で用心深い存在です。ホーク殿が介入すれば、事態がややこしくなるかと」
「そう……か……? 余りそういう風には見えなかった」
「少なくとも、彼の養父はそうです」
ジルダウで起こっている騒動に関して、流石のホークも神経質になっていた
エルンスト企画の御前試合当日ではあるが、ジルダウの水面下では無頼者達による暗闘が続いている
実に自然な事だ。金の動く場所では、常に起こっている事だ
が、表に出てきてもらっては困る
「ルーク」
「は」
ホークは執務卓の前で背筋を伸ばすルークを見て、一つ頷いた
「ゴッチの部下と妻が攫われたと聞いたが」
「ゴッチ・バベルは速やかに問題を解決するでしょう。あと、彼に妻は居りません」
ホークは窓の外に眼をやった。じき、日が昇る。御前試合は予定通り開催されるだろう
しかし、会場準備を一手に引き受けていたロージンが誘拐されている有様だ。その分の負担は、ホークに回ってくる
貸しにしておこう、とホークは思った
「実は、オーフェス殿から仲裁の申し出が来ているが」
「…………」
「いらんよな、別に。南部のごろつきどもが騒がしくなるだろうが、オーフェス殿が苦労すればよいのだ。な?」
堂々と何も後ろめたい事が無いように言い放つホークに、ルークは苦笑してみせる
元々ホークに今回の事件へと介入する心算は無かった
理由は極めて単純だ。ホークだったら、獲物に横から手を出されたら許さない
「だがルーク、その紅いのはなんだ? 口紅の雨でも降ったのか?」
「…………」
――
報告を待つ、と言うのは、新鮮な感覚だとゴッチは思った
少人数の小さな一家である隼団は、早い話ファルコン以外の全員がソルジャーだ。当然ビジネスの向き、不向き、荒事の得意、不得意はあるが、ファルコンの手足である、と言う意味では全員が同じだ
ファルコンの手足は待たない。待つのはファルコンだけだ。ゴッチなんて特にそうで、問題が起こればいの一番、最悪でも二番目には現場に飛び込んでいくのが、これまでのゴッチの仕事だった
それが今は、分捕った屋敷の中庭で似合わないティーカップを揺らしながら報告を待っている
つまんねぇ。カポって、こういう事か? これが腑に落ちるようになんのか?
「ラーラ」
「はい」
背後に控えているラーラを呼んで、そこでゴッチは何を言った物かと黙考してしまう
正直言えば、柄にもない状況に不満を感じていた
だが、だからラーラに何を言うのか? 「まだか?」それとも進展しない状況について怒鳴り付ける?
クールじゃねぇな、とゴッチは鼻で笑った
「お前も座ったらどうだ」
「……は」
ゴッチの勧めに、ラーラは素直に喜べない
目尻を釣り上げる。鋭い視線の先にはダージリンが居る。氷の魔術師は誰に許可を得るでもなく自然に屋敷に入り込んで、然も当然のようにゴッチと卓を同じくして紅茶を飲んでいた
「……何か? 炎の魔術師殿」
相変わらず、歯牙にもかけない様子でダージリンは言う
ラーラは聡明だったが、ゴッチの事が全て解るかと言われたらそれは否だ
このダージリンの事も、ラーラに理解できない事の一つだった。ゴッチほど自尊心の高い男が、こうまでダージリンの不躾な態度を許すとは
ゴッチの言うままに椅子に座りながらラーラは考えた。イノンの事もある。意外と女に甘いのか
の、割には私には厳しいぞ。どう言う事だ
ラーラがぶすっと剣呑な視線を送る先で、ダージリンは黒いローブのフードを被り直した
この余裕がまた気に入らない。魔術師の癖に人の営みの中に紛れて、溢れ出る力を押し隠しながら生きている
ふと、屋敷が騒がしくなる
数人のごろつき達が、男を一人引き摺ってきた。でっぷり太った髭面の男で、ここに来るまでに随分可愛がられたのか、顔面が腫れ上がっている
ダージリンが右手を持ち上げると、ごろつき達はその場で膝をつく
「どうだった?」
「ビエッケの野郎は逃げた後でした。居たのはコイツと、数人」
「……手間を掛けさせてくれる」
ラーラは立ち上がると、後ろ手に縛られ、地面に転がされた男の腹を蹴り付ける
「ビエッケは何処だ?」
「売女が……。馬とでもヤってやがれ……」
男は血の混じった胃液を吐き出しながら呻いた
鋭く男を睨みながら、ラーラの頭脳は回転する
「(騎士ルークからの情報が間違っていた?)」
ゴッチと関係のあるらしい少年騎士が、偽の情報を掴まされた。或いは意図的に嘘を吐いた
即座に思い浮かぶのはそれだが、一概にそうとも言い切れない
ルークから齎された情報は、ラーラ自身が掴んだ情報と照らし合わせても、納得の行く妥当な物だった
皮袋の毒の拠点情報。どうして、ビエッケは居なかった? 裏を掻かれた? しかし、皮袋の毒にしてみればジルダウは土地勘のない場所だ
「(と、言う思い込みは危険だな)」
慣れない土地だから、何だ? そんな事は相手も承知の上だろう。侮ってはいけない
ラーラは目に見えて不機嫌になったゴッチを横目で見やりながら自戒する
敵を低く見積もるのは、ゴッチだけで十分だ
「答えろ。私が優しく聞いている内に素直にならなければ、お前は本当に地獄を見るぞ」
地面に顔を擦り付けながら、髭面の男は怨嗟を吐く
「……うるせぇ、てめぇらこそ、覚悟しやがれ……。俺達はエルンスト軍団と繋がってるんだ、このままじゃ済まさねぇからな……」
ラーラの脳裏に閃く物があった
オーフェスが皮袋の毒に入れ知恵した? 或いは、情報を流している?
有り得る。十分に
「失礼します」
ゴッチ配下の中でも比較的腕の立つ、冒険者上がりの女が中庭に現れた
跪き、手早く来客を報せる
「オーフェスの使いの者が来てますが」
「騎士かな?」
ダージリンが口を挟んだ。冒険者上がりの女は、既にダージリンが居る事に疑問を抱いていないようで、平然と応える
「騎士鎧に大剣を佩いてます。馬も連れてました」
「仲裁の申し出だな。ゴーレム、どうする?」
タイミングが良すぎる。ゴッチは吐き捨てた
「通せ」
「は」
「ラーラ、代われ」
簡潔に、解り易く命令し、ゴッチはラーラを座らせた
倒れ伏す髭面を踏み付けると、ナイフを取り出す。輝く隼のエンブレム
その煌めきに指を這わせ、ゴッチは少し待った。そして、がしゃがしゃと言う鎧を着た者特有の足音が聞こえ始めた時、逆手に持ったナイフを無造作に振り下ろす
狙いは左の太腿だった。野太い悲鳴を一瞬だけ楽しんだゴッチは、力任せにナイフを捻じってから引き抜く
髭面の男から流れ出る血で、見る見るうちに周囲は真っ赤に染まる
現れたオーフェスの騎士に、ゴッチは邪悪に微笑んだ。跳ねた血の滴がゴッチの頬に滴る
「こ、これは」
「んー? ……手前か。婆さんも酷だな、俺を相手に土下座までした奴を、態々使いにするんだからよ」
「……雷の魔術師殿、本日はオーフェス様の書状を持ってまいりました」
「皮袋の毒と手打ちにしろってか?」
沈黙したまま、オーフェスの騎士は羊皮紙を差し出す
ゴッチはそれを無視して、血に塗れたナイフを振り上げた
「ぎゃぁぁぁぁ!!」
今度は右の太腿。のた打ち回ろうとする男を蹴り転がして、ゴッチは再度ナイフを振り上げる
「解っておられるのでしたら」
ゴッチは無視した。左の膝を割って、見事にナイフは貫通する
この先、ゴッチが万分の一の確率で気まぐれを起こして、この男を生かしておいたとしても、二度とまともには歩けない
「言う気になったか?」
「ひぃぃぃ、ひぃぃ」
見栄も外聞もなく髭面の男は泣いていた。くしゃくしゃに歪んだ男の泣き顔に生理的嫌悪感を抱いたゴッチは、おまけとばかりに鼻面に爪先を撃ち込む
折れた歯と血が舞う。爪先を男の服で拭って、ゴッチは付着した血液と唾液を綺麗に掃除した
「魔術師殿」
「手打ちは無しだ」
「……オーフェス様は」
オーフェスの使いの騎士はそこで言葉を詰まらせた。ゴッチの冷たく燃える瞳に射竦められて、息も出来ない。知らぬ間に、歯がかちかちと鳴りだす
人の出来る目ではない。心なしか色まで違う。少なくとも騎士の知る人間で、ゴッチのような目をする者は居なかった
受けた命令の事など頭から吹き飛んでいた。ゴッチの殺意と残虐さ、得体のしれない不気味さに、恐怖していた
「オーフェスの婆さんは、頭は良いんだろうが、それだけだな」
「……帰るが良い、使者よ。ボスは今お忙しい」
蒼褪め、ただただ、使者は首を縦に振った
髭面の男が口を割ったのは、その直後である
――
剣の手入れを行うユーゼの目は、黒く曇っていた
晴れの舞台、盟主と名だたる諸将の見守る中で存分に武を振う
しかもその相手はあのカロンハザンだと言う
ユーゼ・シュランジ。カッセオ・シュランジ侯爵の長子であり、次期シュランジ候であったが、彼もまたこの荒れた世に流された人間である
幼少より家臣達に鍛えられ、常に己と兵の練度を高めてきた
本来シュランジの後継者として不適切ではあるが、武辺の者として干戈を交える最前線を好んだのだ
そういう人間にとって、この御前試合がどういう物であるか
これ以上の事があるか。これ以上の物があるか
緊張から、ユーゼの額には汗が滲んでいた。凛々しく太い眉が時折思い出したようにピクリと動く
「カロンハザン将軍、胸をお借りいたす」
ユーゼは、実はカザンの隊に救われたことがある
ユーゼの隊が敵の攻勢の頭を抑えつけた時だ。功績を求めるユーゼのような騎士にとって激戦区は望む所で、ユーゼとその兵達は勇敢に戦った
その結果大損害を被り、ユーゼ自身も敵兵の投石で鼻の骨を圧し折られている。カザンの機を見ての突撃が無ければ、損害は二倍になっていただろう
エルンストは働きと見合わせて金銭で割が合うよう褒美を出した。が、人は直ぐには育たない。訓練された兵士と言うのは、そこいらに転がっている物ではない
戦いで人死にが出るのは当然だが、指揮官の当然の思考として、ユーゼはそれを極力減らしたかった
扉を叩く音がする
薄暗い部屋で刀身の輝きを見詰めながら、ユーゼは開いている、と短く声を発した
「ユーゼ……」
「アモン」
茶色い外套で身形を隠した女が入ってきた
赤い髪のアモン。ユーゼとは婚約関係にある。とっくの昔に結婚していても可笑しくない年齢だが、当時の不安定な情勢から、王にあらぬ疑いを掛けられることを恐れて、先延ばしになっている
幼いころから、ユーゼとアモンは一緒だった。お揃いの赤髪が、思いを寄せ合う二人の自慢だった
「ユーゼ、危ない。……止めてくれ」
「試合だ。死にはしない」
「……カロンハザン様が、普通の人間ならばだ! あの人は違う。人の姿をした武神だ……」
「その通りだ。同時に、節度をよく心得た騎士であられる。アモンのそれは、杞憂だ」
「私はカロンハザン様の戦う所を見た事がある」
ユーゼはアモンを見詰める。二人の間に交わされた約束によって、剣を持って働いていたアモンは、もう大分前に戦線から退いている
ユーゼの前で、戦場には出ない事を誓った。ユーゼは自分勝手な所のある男で、自分が武運拙く死んでしまうのは特に何とも思わなかったが、アモンにもし何かあればと思うと堪らない気持ちになる
「……父上に届け物をした時に巻き込まれて、逃げるに逃げられなくなってしまった。その時に見たカロンハザン様と、その兵士達は……普通じゃなかった。気勢を上げているのに表情は少しも動いていなくて、藁か何かを薙ぎ払うように敵を打ち倒していく……。遠目にも解った。あの人は、人間じゃない。兵士たちも、まるでカロンハザン様の気が乗り移ったように……」
ユーゼはアモンの肩を抱く
アモンの恐れを吸い取ってやりたい。恐れに捕らわれたアモンは、可愛くない
「御前試合の後、俺は家督を継ぐ」
「えっ?」
「そうしたら、俺の元へ来い。六年前の続きをしよう」
ユーゼは有無を言わせずアモンに口付けた。アモンは見ていて愉快な程に取り乱し、息を荒げる
「え、え? でも、カッセオ様は?」
「シュランジ家を……、最早父に任せては置けない。この事は、エルンスト様の軍師オーフェス殿も承知しておられる」
アモンは察した。ユーゼの口振りと話の流れから、この御前試合、もっと言えばカロンハザンとの試合に、家督を継ぎ、自分と結ばれるために必要な何かがあるのだ
「アモン、俺にはお前が居る。俺は果報者だ」
何も言えなくなって、アモンは椅子に座り直したユーゼの頭を抱き締めた
折れたまま治っていない鼻に激痛が走る
「鼻が痛む」
「大馬鹿。もっと痛い思いをすれば良いんだ」
「……アモン、俺の事ばかり言うが、お前も危険な真似はもう止めろ。既に、剣を置いた身なのだからな」
「ユーゼと結ばれたら考える」
「……馬鹿者め」
「大馬鹿によく似合うでしょう」
口の減らぬ奴
ユーゼはアモンを押し遣った。名残惜しげにしながら、アモンは振り返りつつ、部屋を出る
そろそろ御前試合が始まる。出場者には、開会式への出席が義務付けられている
と、また扉を叩く音がした
再び、開いている、と短く声を発した
「悪いね、邪魔するよ」
入ってきたのは老軍師オーフェスだった。老いながらもシャキッとした挙動で歩くオーフェスは、冗談っぽく微笑み、自分の肩を叩いて凝りを解しながら挨拶した
「オーフェス殿、このようなむさ苦しい所へ」
「ユーゼ殿、調子は如何ですか。ほら、鼻とかは」
「治ってはおりません。が、剣を振るのに鼻の都合は関係ありませんので」
「はっはっは、あたしゃ良いと思いますよ。鼻が潰れてるくらいの方が、武人は凄みが効いてる」
「同感です」
言いながら、ユーゼはオーフェスに椅子を勧めた
この油断ならない老軍師こそが、ユーゼに家督継承を説いた
「いやぁ、アモンお嬢様がいらっしゃってたんで、入るに入れず……。あっはっは」
――
ユーゼの父カッセオは、老いによって衰えた。人によっては評価は違うだろうが、少なくともユーゼ、そしてエルンストとオーフェスは同じ評価を下す
シュランジ家は古くからある影響力の強い家だ。だが、このアナリア内で続く争いのせいで、先祖代々の土地はその多くを奪われ、また傷つけられ、力を失っていた
自分の代でそうなってしまった事にカッセオは深い自責の念を抱き、同時に焦った
だから恥知らずにも、エルンストに褒美を強請るような真似をしてしまったのだ。それも戦後の領地を、さしたる勲功も無く
当然エルンストは激怒した。戦場ではすっとろい癖に、とまで口走ったエルンストの怒りは、オーフェスから見ても本物だった
これに大慌てしたのがシュランジ家の者達と、オーフェスである
弱まったとは言えシュランジ家の影響力は強かった。オーフェスは、平時ならエルンストに存分に怒って貰って結構だった。何が起こっても自分が何とかした
だが今は戦時だ。エルンストの中に、シュランジへの悪感情を残しておく訳には行かない。絶対にだ
そこでオーフェスはユーゼにカッセオを隠居させるよう持ち掛けた
ユーゼもシュランジの家臣たちもカッセオの衰えを感じていたし、エルンストの怒りを買った事態を重く見て、その話に乗ったのである
そして、完全に外堀を埋められた上で、息子と家臣、オーフェスに詰め寄られたカッセオの、苦し紛れの反撃が
「シュランジは尚武の家である。ユーゼの実力と声望が確かな物であるならば、素直に隠居する。……最強と名高いカロンハザン将軍に土をつけてみよ。実力を知らしめ、エルンスト様の覚えも目出度くなれば、誰憚る事も無い。アモンとの結婚も許可する」
自らの招いた事態でありながら、無関係の者まで巻き込むカッセオにカチンと来たのはオーフェスだ
ユーゼがカッセオの出した条件を達成できなければ、カッセオを謀殺する気満々である。出来れば穏便に済ませたいと言うだけだ
ぶきっちょなユーゼとアモンの仲を応援したい、と言うのもままある。オーフェスは秘密主義でエルンストぐらいしか知らない話だが、これで若い頃は惚れた腫れたで大騒ぎをしたものだった
「(馬鹿殿を隠居させる事が出来、恩を売ってシュランジ家の忠誠は高まる。おまけに若人の色恋は成就して、こりゃ骨を折るだけの価値はあろうて)」
何せ、シュランジに潰れて貰う訳にはいかない
「して、オーフェス殿は如何な用向きで?」
「いんえ、純粋に調子は如何かなと思っただけで御座います。気力が充実しておられるようで、安心しました」
「オーフェス殿としては複雑でしょうな。俺は勝たねばならないが、それはカロンハザン将軍が負けると言う事」
「うーむ……、ま、それは、ね」
「折角来て頂いて申し訳ないが、直ぐに開会式です。そろそろ向かわねば」
「あいや、これは気が利かず申し訳ない。……ユーゼ殿、この婆も貴殿に勝って貰わねば困りますからな、一つ助言させて下され」
ユーゼは訝しげな顔をした
オーフェスは確かに出しゃばりの気があるが、剣の扱いについてまでどうのこうの言う人物ではない
その辺りは十分に弁えた軍師だ
「……カザン将軍はこりゃ凄まじい使い手です。この婆の素人目にも、比類なき物だと解る。が、戦士が一流でも、剣が一流かどうかは今回怪しい」
「……あの方ほどの騎士ならば、名だたる鍛冶師がこぞって剣を打ちたがると思うが」
「さてね。今回、カザン将軍には余り時間が無かったようですから。まさか御前試合で炎剣アズライを振う訳にもいきませんでな」
正直言えば、余り面白い話ではなかった。これはシュランジ家の都合とか、オーフェスの企みとかは関係なくて、純粋に剣を交える場に立つ者としてだ
弱点を突いて勝つのはユーゼにとって恥ずかしい事ではない。弱点を見せる方が寧ろ恥ずかしい
だが剣が弱くても、それはカザンの弱点ではない
ユーゼは変わらぬむっつり顔で、頷くだけに留める
「御助言、覚えておきます」
――
どれ程か時間が経った。昼を過ぎ、程なくして夕方になる
ビエッケは中々運が良くて、しかも頭が良い。流石のゴッチも感心した。未だ逃げ続けている事にだ
ダージリンが気儘な猫のようにゴッチの傍で好き勝手している間に、ビエッケからの使者が一人現れた
ロージンと娼婦を解放するから許してくれ
馬鹿げた事だ。その使者は、今はゴッチの屋敷の窓から吊るしてある。身体に木の管が刺してあって、長い時間を掛けて苦しみ抜き、死に至る
ダージリンは天気の話でもするかのように言った
「ゴーレムは、凄みが増したな」
「お前は猫みたいになったな」
なんとなく、気負っていたものが消えた。氷か鉄で出来ているのかと思うような女だったのに、今はよく厭世的に笑っている気がする。表情が動かないのでよく解らないが
諦観を多く含んだ、澱んだ目をしているのだ
「同族の誼で許してほしい」
同族か。ゴッチはカハ、と笑う
情けない奴だ。俺と馴れ合おうなんて、とんだ勘違いだ
「(処刑されかければ、流石のこいつでも何か思うのか)」
フードから僅かに露出した口元が、僅かに引き結ばれる。ゴッチが何を考えているか察したようだった
家族、地位、それらに何の興味も無い癖に、縛られている
不思議だ。強いのに
「騒がしい方が戻ってこられた」
ダージリンがそっぽ向いて言う
ラーラが現れた。背後に手下を引き連れて、古ぼけた羊皮紙の束を握り締めていた
「ボス、アレは?」
丸めた羊皮紙の束で、窓から吊るされた男を指し示すラーラ
「ただの阿呆だ。生まれ変わったら、真面目に畑を耕すとよ」
「……ビエッケを追い詰めました。奴等、大昔の廃坑の情報を手に入れていたようで、今はそこに立て籠もっています」
ラーラが卓に置いた羊皮紙の束は、廃坑内の見取り図と関係書類だ
昨日今日に書かれたものではない。ゴッチは唸る
「まだ俺に逆らう奴が居たか。これをビエッケに教えたのは?」
「……鉱山労働者の、元締めの娘です。元締め自身は既に死んでいます」
穴倉に潜られたとなると面倒だ。最後まで粘りやがる。ゴッチは羊皮紙を握り締める
こんな物が無ければ楽に済んだのだ
「ロージンはまだ生きてるようだ」
「それは良い。突入準備を急がせます」
「元締めの娘とやらを脅かしておけ。散々にビビらせて、俺に逆らったら次は無ぇって事を吹聴させとけ」
ラーラの表情が強張る
「俺を恨んでる奴はこの街にごまんといる。少しでも俺が甘い顔をすれば、雑草みたいに幾らだって出てきやがる」
「娘は“こちら側”とは無関係です。ビエッケに脅されて」
「そうさ、脅されて仕方なく情報を渡した。だから俺も仕方なく教えてやる。俺とビエッケどちらが怖いかをな」
「失礼ですが」
ラーラの眉が吊り上った
何らかの覚悟を決めた時の顔だ。こういう顔になった時、ラーラは容赦が無い
「八つ当たりではありませんか?」
「俺が、お前に優しくしてやってるのが解らねぇか? ラーラ」
テメェがグダグダ言うのが解ってたから、殺して見せしめにしろと言わんのだ
感情のままにラーラを睨み付けようとして、ゴッチは慌てて米神を揉んで誤魔化した
殺気が抑えきれない。元々、野獣のような男が服を着て誤魔化しているだけだ。気を付けて居なければすぐにぼろが出る
己の配下にすら殺意を突きつけてしまう
ラーラはブスッとした。表情は変わらなかったが、気配の変化は明白だった
ごろつきを一人呼び付けると、聊か大きい声で命令する
「カナルの娘を脅せ。傷はつけるな。軽く締め上げる程度で良い」
一度ゴッチを振り返る
「これからは行き過ぎた鞭の出番はない。ジルダウはボスの元に平伏した。ここからは、飴の出番だ。無闇な殺しは控えて、甘い汁のおこぼれを用意してやらねばな」
足早に立ち去るごろつきを見送った後、ラーラは宜しいですね、と自信満々に聞いてきた
ダージリンが愉快だとばかりに笑い出した。この氷の女が声を上げて笑うなど初めてだから、ゴッチもぎょ、とする
「主の統治をよく助けるよい部下だな」
「……ケ」
馬鹿馬鹿しい。と吐き出して、ゴッチは立ち上がる
椅子の背に掛けていたスーツを握り締めた。陽光に晒されて、生暖かい
金の隼が挑発的にゴッチを見詰めている
「ボス?」
「大詰めには、上役が出向かんとな」
「……は!」
ラーラがローブを脱ぎ捨てて小剣に手を這わせる
刀身の半ばまでを抜いて、鞘に叩きつけるように再び納めた。カシャン、と耳慣れた音がする
ラーラは一気に機嫌を良くした
後ろで堂々と構えているのも良い。しかし、前を行くゴッチの伸びた背筋を追い掛けていると、何故か自信が湧いてくる
不思議な魅力だ。この男に数多い、理屈で言い表せない物の内の一つだった
ゴッチがスーツに袖を通す。バリ、と音がして、青白い電流が胸元で弾けた
くだらねぇ。つまんねぇ。どうしてだろう
荒事なのに、面白くねェ
イノン
「おう、行くぞ」
カシャン、と言う音がそこかしこで上がる
ゴッチは誰に命令を下す事もせず、誰の顔を見遣る事もせず、ただ一人だけで歩き始めた
ラーラがその背を追う。そしてその後ろを、ごろつきどもが追う
孤児だったり、食い詰めだったり、借金のカタに売られた奴だったり、冒険者上がりだったり、そんな連中だ
屑の集まりだった。その癖、皆一様に自信に満ちた顔つきをしていた
ラーラのちょっと後ろで、ダージリンが気配を消しながら歩く。口元は微笑んでいて、掌中で小さな氷の花を生み出しては手折り、手慰みにしている
「不思議な男だ、ゴーレム」
ジルダウの大通りに出た。大体の者は御前試合の会場に行っていて、商人の街は聊か活気なく見える
ゴッチが通り過ぎた後、路地裏から、廃屋から、ごろつき達が現れる。町の仄暗い場所から、後ろ暗い者達が現れて、ゴッチに付き従う
ゴッチは命令しない。ただ、その背を追わせる
――
後書
今更だが、「男二人」は
もっと全然違う構成にすべきだったと本当に反省している。
あれもしたい、これもしたい、もっとしたいもっともっとしたいぃ~
とやってたらこんな事になっちゃったよテヘ!!